ナンシー・アサートン「優しい幽霊シリーズ」から映画『哀愁』を連想

「優しい幽霊シリーズ」はいまどきあり得ないような甘い作品で、しっかりした人からは「こんなんが好きなん?」と冷たく言われそう。表紙はうさぎのぬいぐるみレジナルドが可愛くて電車の中で広げるのをためらう(笑)。主人公ロリはおっちょこちょいで惚れっぽい。

早く父を亡くして母に育てられたロリはシカゴで育ち、ボストンの大学を卒業し結婚するが離婚。そして母を亡くし貧しく暮らしているときに弁護士から連絡があり、イギリスのディミティおばさまから莫大な遺産を相続する。
4作品ともに幽霊であるディミティおばさまの恋人だった第二次大戦中の飛行士の生と死にまつわる物語になっている。ディミティおばさまは彼の死後せいいっぱい生き一生独身で自分の才覚でつくった財産をロリに遺した。

最初から思い出していたのが映画「哀愁」だった。物語は第二次大戦だとばかり思っていたが、いま映画サイトを調べたら物語のはじめの回想するところが「1940年燈火等制下のロンドン」とあった。回想の中身が第一次大戦中と戦後の話である。
クローニン大佐(ロバート・テイラー)はスコットランドの旧家の出身である。バレーダンサーのマイラ(ヴィヴィアン・リー)と、ロンドン空襲のときにウォルター橋上で知り合った。二人は愛し合い結婚の約束をするが、彼に出発命令が出る。
やがて彼女は新聞で大佐が戦死したという記事を見る。バレー団をクビになったマイラはお金に困って夜の女になる。戦争が終わって死んだと思った大佐が帰ってくる。マイラは彼や家族が真相を知ったときのことを考え、思い出の橋の上で軍用トラックに身を投げる。
美男美女の悲恋にわたしの姉たちは無我夢中だったのを思い出す。わたしが見たのはずっと後だったからそんなに熱狂はしなかったが。

「優しい幽霊シリーズ」では、恋人は死んでしまい、ディミティおばさまは幽霊(魂)になってまで、彼に縁のある人たちのために動くようにロリに青いノートで語る。
第二次大戦が終わってから60年以上経っているが、作者には語ることがたくさんあって、こういうかたちで読者に語りかけているのね。

ナンシー・アサートン『ディミティおばさまと聖夜の奇跡』

去年の末に「優しい幽霊シリーズ」3冊をNさんに貸していただいて読んだ。その続きで4冊目(2010年9月発行)の本書を今度はSさんが貸してくださった。
シカゴ出身のロリが亡き母の友人のディミティおばさまから莫大な遺産を受け取る。そして遺産の管理をしていた弁護士の息子と愛し合い結婚する。遺産の一部であるイギリスの田舎の家に住むことにし双子の男の子が生まれた。

ベビーシッターが長い休暇をとったので、義父の大ウィルスは子どもの面倒を見にボストンからきている。
クリスマスも近くなり、ロリは完璧なクリスマスにしたいと準備が忙しい。村の人たちとの降誕劇もある。外を見ると雪が降り出していた。

翌朝も雪は降り続き、ビルが窓際にぬいぐるみのうさぎレジナルドがいるのに気づく。息子のベッドに入れてやってたのに。窓に近づいて外を見ると一人の男が倒れていた。粗末な服装をしたホームレスのようだ。家に連れて入りソファに寝かせるとまだ脈はある。
大ウィリスが連絡して英国空軍の救命救急ヘリでオックスフォードのラドクリフ病院へ搬送した。義父の人脈を使った医師団が低体温からの肺炎と栄養不良で意識不明の彼の治療をはじめる。

ロリはディミティおばさまとの連絡に使っているノートを広げて天国のおばさまと交信する。浮浪者はどうやらおばさまに知り合いらしい。クリスマスのクッキーを焼いたり楽しい一日を過ごすはずが、オックスフォードのラドクリフ病院で過ごすはめになるなんてといやいや出かける。ビルはボストンに仕事が発生し出かける。
翌日、ロリは病院へ行くが、患者は見た目よりもずっと若く看護婦たちの関心を惹いている。帰ろうとすると一人の男が呼びかけた。あご髭をはやし黒い革ジャン姿だが、ローマ・カトリックの司祭ジュリアンと名乗る。
それからはジュリアンと助けた男スミッティのことで、走り回るはめになり、クリスマスどころではなくなってしまう。
(朝月千晶訳 RHブックス+プラス 800円+税)

イアン・ランキン『最後の音楽』

ジョン・リーバス警部の最後の事件をようやく読み終わった。
リーバスは停年退職が目の前にせまっている。退職の日の9日前、2006年11月15日の深夜、エディンバラ城脇の道路でロシア人が殺されているのが見つかる。見つけた少女と通りかかった中年夫婦が通報し警官が駆けつける。若いグッドイアは気が利いていて制服警官から刑事になりたがっており、シボーン・クラーク主任刑事はこの事件の捜査で使ってみることにする。彼の祖父は犯罪者で兄もぐれているが、彼だけは生真面目な警官になっていた。

被害者はロシアから亡命してきた著名な詩人だった。エディンバラにはロシア人がたくさん訪れており、事件の裏には政治にからむなにかありそうだ。続いてなんでも記録している録音技師が殺される。事件につながりがあるとみたリーバスとシボーンは調査し検討していくと、リーバスの宿敵でギャングから市の上層部にまでつながりを持つまでにのし上がったカファティが関係しているのがわかる。
物語は一日毎の記録になっている。リーバスは深く調べ過ぎて市の上層部から睨まれ、上司から退職の日まで休職処分を受ける。それでもなおシボーンと連絡をとりながら調査を続け推理する。そして退職日までに真犯人を探し出す。だが、罠にはめられてリーバス自身が警察に調べられる身になる。

他の部署の者から「齢を重ねても丸くはならなかった」と言われているとおり、その激しさ、一徹さは変わらない。巧妙な質問ではぐらかそうとする相手をびびらせ、あるときは威嚇して真実に迫っていく。
最後についてすごく語りたいけどやめておく。
(延原泰子訳 ハヤカワミステリ 2100円+税)

おてんとさんが見てる

懐かしい言葉だ。母親かその母親であるおばあちゃんが言ってたのか。長いこと忘れてたわ。悪いことをしたら誰もいなくても「おてんとさんが見てる」からやったらあかん。神様や仏さまが見ているのではなく「おてんとさんが見てる」というのがええなぁ。

日曜日早朝の小沢一郎さんのテレビ出演はよう見なかったが、さっきユーチューブで録画を少しだけ見た。理路整然と話されていたが「おてんとさんが見てる」という言葉がわたしを捉まえた。そうやそうや、おてんとさんが見てはんのや。いまのことろ、おてんとさんに見られて恥ずかしくないよな、と我が身を振り返った。

ヴィク・ファン・クラブの会報を昨日今日で仕上げたので明日送れる。22日が例会日なので早めに到着するように頑張った。今月の目玉記事はモンゴルからの会員のおたより「モンゴル語学習奮戦記」です。

こんなことにも共感 イアン・ランキン『最後の音楽』

イアン・ランキンの本を読んでいると付箋だらけになる。共感するところが多いのだ。読み終わるのは明日になりそうだが、共感したところ。
【彼女のこれまでの様子を見るだけで、その全人生が読み取れるように思った。裕福な家庭に生まれ、両親から金と愛情を注がれて育ち、自分への自信という技を磨き、甘えた声でごまかしきれないような困難には一度も直面したことがない。これまでは。】
リーバス警部が事件について聞き出そうとすると、苦労知らずで育ってきた金持ちの娘がこれまでに出合ったことのない困難に直面することになる。大金を払ってクスリを手に入れているが、そこから殺人事件につながっていく。
読みながらこんな女性いるいると共感。この女性はまだ若いからわかるけど、40歳くらいになってもこんなタイプはいる。できる限りお近づきにならないようにするしかない。

ジョー・ゴアズ追悼

ジョー・ゴアズが亡くなったと昨日のツイッターに書き込みがあった。最後まで現役と書いてあった。「スペード&アーチャー探偵事務所」を読んだのはほぼ一年前の2009年12月だ。すごい力のこもった作品だった。

いま著作目録を見ているが、わたしが読んだのはほとんど「ダン・カーニー探偵事務所」ものだ。当時は孤立したミステリファンでただ好きでひたすら読んでいたが、ヴィク・ファン・クラブを発足させてからミステリ評論家の広辻万紀さんと知り合って孤独ではなくなった。広辻さんは早く亡くなってしまわれたが、彼女と女性探偵ものやその他のハードボイルドミステリについて語り合ったのが忘れられない。
広辻さんはヴィク・ファン・クラブのサイト中にある「パレツキーズ・アイ」でジョー・ゴアズ作品に登場する女性たちについて熱く語っている。

ジョー・ゴアズはハメットに対する熱い思いで知られている。わたしは「ハメット」を1985年に出たのを読んだと思うのだが、いま思い出せない。それよか映画「ハメット」のほうをよく覚えている。あんまり評判はよくなかったと思うのだが、わたしは好きだった。
ここにある「ダン・カーニー探偵事務所」と「スペード&アーチャー探偵事務所」を追悼読書してジョー・ゴアズと広辻さんを偲ぼう。

ベジ鍋とワインとチョコレート

わたしらと同じくゆるベジ(ゆるやかなベジタリアン)の友人が午後から用事があって来てくれたので、晩ご飯をうちでいっしょに食べた。最近は家で会食することはめったになく、どこかお店に行くことにしているので久しぶりだ。
用件がすんだあと、昨日から用意していたベジ鍋(ひろうすと京揚げと豆腐に野菜とキノコ)を食した。さっぱりとしておいしく彼女も喜んでくれた。ビールで鍋のあとは赤ワインとチーズとおかき。紅茶とチョコレート。そのあとみかん。ワインとチョコレートは東京の友人が元旦に送ってくれたもの。ワインは飲みやすくておいしく、チョコレートは上品。
食べるほうもよく食べたが、おしゃべりのほうも発展して延々10時間くらいにも。お互いによくしゃべった。しゃべれる内容があって、うなづけることがたくさんあって、これ以上のことはない。

今夜のSUBは荘司幸恵QUARTET+2

荘司幸恵QUARTET+2(荘司幸恵(P) 鈴木一郎(G) 財 盛紘(B) 中野 圭人(D) +西山満(cell) +城下麻弥(Vo))の演奏は月に一度やっている。11月の演奏がすごくよかったのでまた来るわねと言ったのに12月は風邪ひきで行けなかった。年末に今度は行くと演奏者だけでなくお客さんとも約束したので、今日は行かなくちゃ。

よく冷えて寒い。長堀通りと白髪橋が交差するあたりは道が広くて見通しがよい上に空も広い。上を見ると三日月と木星が真上よりも少し西にあった。空が澄んできれい。
地下鉄千日前線で谷町九丁目へ着き、SUBは駅から外へ出ないで、6番出口の階段の踊り場で左を見たらドアがある。

演奏はスイングする荘司さんのピアノに21歳の2人(ベースとドラム)がくらいつき、そして鈴木さんのギターが落ち着いてからむ。だんだんアンサンブルがよくなっていくのが実感できる演奏だった。そして城下さんのヴォーカルはだんだん大人の歌になっていっている。
時間を忘れて聴き入っていた。ほんまにたいしたもんやで、若者たち。

ルイス・ブニュエル監督『哀しみのトリスターナ』

在庫ビデオの整理をしていてこれを見ようかとなった。1970年のルイス・ブニュエル監督「哀しみのトリスターナ」。67年に「昼顔」(同じくカトリーヌ・ドヌーブ主演)を見てからルイス・ブニュエル監督作品を見る機会があれば出かけて見ていた時代だ。まだビデオもレーザーディスクもなかった。「昼顔」を北野シネマで見たのはよく覚えている。隣の席の男が痴漢で反対側に席を移したらまた痴漢で、うしろで立って見たから。「昼顔」がすごかったから同じ監督と女優なので期待して見たが、もうひとつだった記憶が残っていた。「昼顔」はチンピラ役のピエール・クレマンティがよかったけれど、こちらは画家のフランコ・ネロがもひとつだったし。

そんなことを思い出しながら見た。1920年代のスペインで、幼い頃に父を失い16歳で母を亡くしたトリスターナは、母の知人の貴族ドン・ロペに娘として引き取られる。屋敷には古くからの女中が一人いて取り仕切っている。やがてロペは女としてトリスターナを見るようになり、強制的にベッドに入る。トリスターナは散歩中に知り合った画家と恋に落ち、やがて家を出て行く。
ロペの仲が悪かった姉が死亡しロペに遺産が入ってくる。そこへトリスターナが戻ってくる。足にデキモノができて片足を切るはめになった彼女をロペは受け入れる。それから残酷に冷酷になっていくトリスターナ。

ずっとカトリーヌ・ドヌーブが大好きだった。見た作品をあげてみる。
「昼顔」(1967)「別離」(1968)「哀しみのトリスターナ」(1970)「ロバと王女」(1970)「ひきしお」(1971)「リスボン特急」(1972)「終電車」(1980)「海辺のホテルにて」(1981)「ハンガー」(1983)「見出された時-「失われた時を求めて」より」(1999)「8人の女たち」(2002)

今年もSUBへいきまっせ

今夜はSUBの最初のライブの日。金曜日だから西山さん(ベース)と竹田さん(ギター)の日だ。寒かったけれど最初が肝心と晩ご飯をすませてあわてて行った。
寒さのせいか客は少なかったが演奏はすごくよかった。40年の間に一度も演奏したことのない曲と西山さんが曲名(肝心の曲名を覚えてない)を言うとすぐに演奏に入る竹田さん。とっても懐かしいメロディだった。

途中で西山さんが客席にいたベーシストの井上幸祐さんを紹介された。いつも聴き慣れた西山さんと財さんにない硬派な弾き方をする人だと思った。その後は財さんで繊細な感じ。だんだんベースの弾き方の違いにも気がつくようになったなと自分を褒める(笑)。3人につき合った竹田さんは満足の表情。
最後のセントルイスブルースはブルースの神髄を見せてくれた。
今年もSUBへさいさいいきまっせ。