ベンジャミン・ブラック『溺れる白鳥』(2)

クワークはくたびれたどうしようもない男として描かれているのだが、女性からしたらかまってやりたくなる男なのだ。ボストンからフィービの祖父の3人目の妻で未亡人のローズがきて、なにくれとなくクワークの世話を焼く。
また、クワークは死んだディアドラの共同経営者ホワイトの妻ケイトを訪ねて話を聞くのだが、ふたりの間にはもやもやとした空気が立ちこめる。

だが、クワークの実の娘のフィービ、【彼女の鋼のような冷たさの前に、クワークはたじろいだ。やはりデリアの子だ。日ごと彼女そっくりになってくる。デリアは彼が会ったなかで、最高に意志の強固な女だった。最初から最後まで、鋼のようだった。そして彼が何より愛していたのは、そういう部分だった。すばらしく美しいが、自ら苦しみを抱え、人を苦しめる女。】クワークはかつてデリアというすごい女性を愛してしまった。いまは同じように冷たい娘のフィービをどうしようもなくて苦しんでいる。

フィービとローズの会話は何度読んでもおもしろい。なんで女たちの会話をほんとみたいに書けるんだろう。【フィービは考えて、言った。「あなたのこと、尊敬してます」するとローズは頭をさっと引き戻し、笑い声をあげた。鋭く張りつめた、銀のように冴えた声だった。「ほんとにねえ。たしかに、あのお父さんの娘だわ」】

【ローズはしばらく黙って彼を見すえていた。「言ったでしょう、ずっと前に。あなたとあたしはおんなじだって——心は冷たく、魂は熱い。あたしたちみたいな人間はたくさんはいないのよ」】ここんとこもいい。クワークをわかっている女性がいると思ってほっとした。
(松元剛史訳 武田 ランダムハウスジャパン 900円+税)

ベンジャミン・ブラック「溺れる白鳥」(1)

ベンジャミン・ブラックの本は2009年5月に「ダブリンで死んだ娘」を読んでいたので迷わずに買った。「ダブリンで死んだ娘」というタイトルがよかったから読んだのだが、ほんとに読んでよかった。現代アイルランドを代表する作家のジョン・バンヴィルが別名で書いているミステリということで、これからジョン・バンヴィルをチェックすると書いているがまだしてなかった(恥)。

前作と同じダブリンの〈聖家族病院〉病理科の医長で検死官のクワークが主人公である。古い友人の医薬品セールスマン、ビリー・ハントが電話で妻が自殺したという。カフェで会うとハントは妻の体を解剖しないでくれと頼む。耐えられないと。
ディアドラ・ハント(職業上の名前はローラ・スワン)はビューティ・パーラーの共同経営者だった。ダブリン湾に身を投げた彼女はそこまで乗ってきた車を停め服をきちんと埠頭の壁際に畳んでいた。クワークはハントの頼みをハケット警部に伝える。

ディアドラは父から虐待をうけるなど厳しい環境で育った。そしてハントと結婚して、仕事の才能があるのに気がつく。共同経営者のホワイトは女につけこむタイプで、いつの間にかディアドラは夢中になってしまう。
クワークの娘フィービはずっとディアドラから化粧品を買っていた。彼女の死後に店に行くとホワイトに出会いパブに誘われる。やがてフィービはホワイトを自分の部屋に入れる。ホワイトは事業は失敗するしとんでもないやつだが、ディアドラもフィービも難なく手に入れしまう魅力がある。クワークはフィービとホワイトの仲を知り心配する。

クワークは前作では酒飲みだったが、今回は禁酒している。彼が酒を飲むのは週に一度フィービとホテルで食事するときだけである。フィービは孤独な人生を送っている女性で、途中で叔父から父親になったクワークには特に冷たい。

ストーリーにはもちろん惹かれるが、それよりも1950年代のダブリンの描写がすごくいい。荷馬車がギネスを運んでいる道路とか。道路で倒れた馬の目の描写とか。憂鬱な小説なのだけれど手放せなくてここ数日繰り返し何度も読んでいる。
(松元剛史訳 武田 ランダムハウスジャパン 900円+税)

明け方の夢は地震の夢

今朝の地震の夢はリアルだった。がたがたっと揺れて目を覚まし「地震やっ」と叫んだ。目が覚めたときも揺れていたみたいで、いまになってもほんまに地震があったような気がする。さきに起きていた相方が地震なんかなかったでと言ったのが信じられない。それでネットで「履歴」を見たのだが、もちろん今日は関西に地震はなかった。
前の道路をトラックが通って荷物ががたんと音を立てたのか、強い風が吹いてベランダのドアががたがたいったのかもしれない。とにかくがたがたっと大きな揺れだった。
明け方に見る夢は正夢だとこどものころにだれかに教えてもらった。それからたまーに合ってたと思うことがあったが、最近は夢を見ていたことは覚えていても、夢の内容は覚えていないことが多い。
今朝は地震の揺れで目を覚ましたのだからどうもこうもない。正夢でないことを祈るのみ。

月の光

さっき空を見たら、真上にある満月が雲の中に入ったり出たり。まわりはビルだらけだけど月だけを見れば神秘な光を放っている。

昨日は松尾大社で素晴らしい体験をした。ライトがいろんな色や形を楼門や舞台にあてている他は月の光だけ。月の光を遮るのは大きな木の葉叢だけ。そばにいる人の顔も判然としない。複数の知り合いが来ていたのに確かめられず、帰ってからツイッターやミクシィでそこに居たのを知った。
それでふと思ったんだけど、昔は恋する人の存在を香りで判断したのだろう。だから香というものが大切だったんだろう。匂宮、薫宮と名前からしてそうだなんだもんと、ふんふんとうなづいている。「源氏物語」とか何十年ぶりに読みたくなった。

大阪にもどってきて地下鉄から上がると、いつもは「帰ってきた〜やっぱり新町はええなー」と思うのだけれど、昨日だけは「あれっ、ヘンな匂いがしてるなー、松尾とえらい違うなー」と思ったのだった。はは、いい空気を吸った後だから異臭に敏感になっておった。

松尾大社楼門ライブ

松尾大社(まつのおたいしゃ)という名前くらいは知っていたがどこにあるかも知らず、楼門ライブのフライヤーをもらって古風でモダンなデザインに惹かれた。またこういう場所でのYA△MAさんのDJも聴きたくて、最近クラブに興味を持ち出したY嬢を誘って行った。
阪急電車の桂で嵐山行きに乗り換えて松尾で下車。駅を出るとひろびろとした道からすぐ大きな赤い鳥居がある。まず駅前食堂で腹ごしらえして、鳥居をくぐるとまた鳥居があって楼門にいたる。せっかく行くのだから神社の見学をしようと楼門をくぐった。昔からの信仰の場なのだ。いま検索したら701年勅命により現在地に社殿を造営とあった。背後に松尾山がある神社は神々しい。お百度を踏んでいる人がいる。
お酒の神様でもあるようで境内に大きな酒樽がおいてある。お酒の資料館は4時までということで見られなくて残念。

ぼつぼつ人が集まってきた境内にYA△MAさんがお子さん2人といた。話しているうちにY嬢が来たので紹介した。
だんだん暗くなってきてライブがはじまった。石畳の上に防寒用に持っていたショールを敷いて座った。だんだん寒くなる。寒いから気をつけてと言われていたので、ショールのほかパーカとカイロを持って行ったのが役に立った。Y嬢がそこだけ電気がついて明るいところでお酒を買って来てくれたのをいただいたら体の中から温まってきてありがたかった。

ライブがそこそこやったところで、DJ YA△MAさんが登場。この場に合った一種神々しい音からモダンな音へと変わっていく変幻自在な音に酔った。月が上ってきて、真上には星が光って、寒いというより冷えてきた。DJ KAZUMAさんに替わったら宗教性が強調されているような感じで、ふわ〜っと揺れる。最後は aMadooのライブ。だんだん座っていた人たちが立って踊りだした。

夜の野外だから5時半から9時前までちょうどいい時間だった。月光の下でのライブ。楼門にライトがあたって神秘的。大きな木があって後ろの山もぼんやり見える。暗くて人の顔を判別できないほどだ。
帰りに空を見上げたら月とともに木星が輝いていた。うちから月を見るとビルの上になるが、ここでは木々の上である。風情があるわ。

京都からの特急電車が満員で普通に乗って本を読みながら帰った。地下鉄御堂筋線のホームに降りたら、なんと朝から他のイベントに行っていた相方とばったり。しかも、わたしと会う前に松尾に行ったカップルと会ったんだって。kumikoさんかと思ったんやけどとのことだった。やっぱり暗かったせいね。

みずひきぐさ

思いがけず姉の庭に水引草が咲いていた。くちなしの木の根元に2本とほととぎすの鉢に同居して1本。近所を散歩していて鉢に植えたのを見かけることがあるが今年はまだ見ていなかった。
こどものときに母親の実家の近所の竹やぶの横に流れる小川のほとりに咲いていて、その寂しそうな感じに自分を重ね合わせていた。いや、ほんま、あたしって寂しい文学幼女だったの(笑)。
のちに立原道造の詩「のちのおもひに」でみずひき熱はいっそう高まった。

 立原道造 のちのおもひに
  夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しづまりかへつた午さがりの林道を

スティーブ・ジョブズさん逝く

わたしのマックのブラウザはサファリでアップルのサイトがホームページになっている。今朝起きて開くとアップルストアが出ないでジョブズさんの笑顔の写真があり、横に1955-2011とのみ記してあった。あっとおどろき、まさかとニュース記事を読みにいったら、やっぱりお亡くなりになったという記事が並んでいた。
腰が抜けたような脱力感でしばし呆然。涙ぐみそうになるのをおさえて記事を読みあさった。ツイッターにはたくさんのツイートが並んでいる。リンクされている記事を読んだり動画を見たりした。そして当ブログのカテゴリー「マック・パソコン・ネット」を読むと、半年ちょっと前の3月5日にiPad2の発表があって、マックを見ながら夜中に騒いでいたことが書いてある。機嫌良くiPad2を紹介していた姿が思い出される。痩せていてちょっと痛々しかった。あの夜は今日のようなことが起こりそうな予感がしてはしゃいでいたような気がする。
わたしの人生の後半に思いもかけない彩りを添えてくれたジョブズさんに感謝するのみ。

ツイッターとミクシィのつぶやきにこう書いた。
〈朝起きてMacを開いたらジョブズの写真と1955-2011の文字が・・・。わたしがMacを最初に買ったのが1987年11月、それから24年、ずっとMacとともに暮らしてきた。iPhone3、iPad2もここにある。謹んでご冥福をお祈りします。〉

どんぐりころころ

近所のビオトープのある公園は実のなる木が多い。掲示板には樹木の写真と遊び方が書いてある。マテバシイ、アラカシ、あとは忘れてしまったがドングリのような実がなる木である。今日はいっぱい転がっているドングリをほいほいと拾ってきた。

ウキペディアを見たら【シイ(椎)は、ブナ科シイ属(Castanopsis)の樹木の総称である。ほかに、マテバシイ属のマテバシイ(Pasania edulis)もこの名で呼ばれている。果実のドングリは椎の実と呼ばれ食べられるので、古くから親しまれている。照葉樹林の代表的構成種でもある。】と書いてあった。

食べられるとあったので「椎の実の食べ方」で検索したら「大学生のための社会的責任投資概論 花咲爺の教え」にヒットした。「椎の実の食べ方」だけでなく他のページも勉強になりそう。
わたしはインテリア用に拾ってきたのだが、写真を見てたらほんまにおいしそう。生で食べると気分は縄文時代だそうだ。ちょっとようせんなぁ。

たしか夏目漱石の「三四郎」で、三四郎が池のそばにいるとふたりの女性が近くにおり、まだ知り合いになっていない美穪子があれはなんの木?と尋ね、相手は「あれは椎」と答えていた。

パラソル

パラソルという言葉が好きだけど日常的には日傘っていうかな。パラソルはハイカラな感じで少女小説的かしら。岡田茉莉子とか昔の映画女優を思い出す。
太陽光の強さに10年くらい前から日傘をさすのが当たり前になった。もっと以前は少なかったように思う。いまは長い手袋はめて黒い日傘をさして自転車に乗っているひとが多い。

わたしは昔から日傘をさして歩くのがわりと好きだったし、仕事で出歩くから必需品だった。ある夏に知り合い夫婦の事務所へ寄ったとき、女性のほうがわたしの日傘を見て、「日傘っておばちゃんぽいって彼がいいやんねん」と言った。わたしが彼の顔を見たら知らぬ顔をしている。彼女のほうがわたしよりもずっとおばちゃんぽいやん。もう10数年経つのに覚えている執念深いわたし(笑)。

濃淡の水玉が入った紺色の日傘は何年前に買ったっけ、7年くらい経つかな。バーゲンでお店の前に広げてあったのを一目惚れで買った。UVカットのベージュの折りたたみは近所のスーパーライフで買った。電車で出かけて降りてからの歩きが長いので持ち歩きように。
昨日2本とも洗って片付けた。また来年お世話になる。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』

雑誌「ミステリーズ!」4月号にあったフェルディナント・フォン・シーラッハの短編小説「棘」と「タナタ氏の茶碗」(「わん」の字がないので茶碗とします)に惹かれた。エッセイ「ベルリン讃歌」もよかった。
単行本が出ると知って待っていて買ったが、読む本が山積していてなかなか読めなかった。3カ月も経ってようやく読んだ。瀟洒な美しい本なのもうれしい。

翻訳で読んでいるわけだけど、原作の気分というか空気の漂いがそおっと心に忍び込んでくるような短編集だ。先の2作品を読んでいたから、全体に気持ちの悪いというか、心の闇の部分を描くのが作風かと思っていた。そこんところが文学的と思えるのかななんて。それだけじゃなかった。

すべての作品が「犯罪」を描いており、犯罪を犯したとされた者が逮捕され弁護士が係わる。ドイツの法律に基づいた裁判と裁判に係わる法律家たちが描かれる。弁護士の私は犯人とされた人たちを法に従って弁護する。物語の終わりにはその冷静さとプロフェッショナルな態度に読者の気が静まる。

最後の作品「エチオピアの男」が良かった。
ドイツ、ギーセン市近くの牧師館の前に捨てられていた赤児のミハイルは、里親に虐待されなにひとついいことがなく育った。中学を出て家具職人に弟子入りし実技が優れていたので職人検定にかろうじて合格し兵役につく。除隊後〈ハンブルグには自由がある〉というどこかで読んだ言葉を信じてハンブルグへ行き家具職人として働く。工場で盗難がありミハイルは犯人とされ解雇される。後に犯人がわかりミハイルは無実だった。
仲間と歓楽街で会って2年間娼館の半地下にある暗い部屋に暮らし酒におぼれる。そして借金を返せないために袋ただきにされる。警察に逮捕され、このままでは身を持ちくずすとミハイルは思って、外国へ行こうと決意。銀行強盗で金をつくり空港でアジスアベバ行きの航空券を買う。
エチオピアの首都に着いたミハイルはハンブルグもアジスアベバも悲惨なことに変わりないと気づき絶望する。残ったお金で列車に乗り降りてからは草原を歩いて蚊に刺されマラリアになる。
倒れた彼を村人が助けてくれた。目が覚めてミハイルは人の情けを知り、その土地で家具職人の技を活かして村のために働く。看病してくれたアヤナとの間に子どもが生まれる。でも、まだ辛苦がある。
最後は心にそよ風が吹く。
(酒寄進一訳 東京創元社 1800円+税)