蚕起きて桑を食む

【5月21日〜25日頃は、七十二候『蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)』。カイコが桑をさかんに食べはじめる時季です。】と暦のサイトにあった。それで昨日は皇室のカイコのニュースがあったのか。

わたしの母の実家は農家で養蚕もしていた。泊まりに行ってて朝方まだ寝ているときに叔母はすでに桑の葉を収穫して蚕に与えていた。屋根裏部屋の台の上でサラサラと桑を食べる蚕の音が聞こえてきた。白くてぐにょぐにょしていてわたしは気持ち悪くてよう掴まなかった。

蚕はいろんな過程を経て糸になり布になった。というのは叔母が織った布で母が縫った羽織をこの冬愛用したから思い出した。去年の秋に姉の箪笥の中で長いこと眠っていた綺麗な縞の羽織を見つけてもらって帰った。セーターの上に着るととても暖かい。
色が田舎っぽいのがいま見るとかえっておしゃれだ。叔母が機を織っていた姿を思いだす。いろんな色の縦糸が二段にセットされていて横糸をその間に通していく。その速さと正確さに圧倒されて本気で「あたしはおとなになれない」と思った。超不器用なので無理無理といまも思う。いまもおとなになれないままの女である。
母も叔母もとうに亡くなって家は建て替えたようだし、わたしはあれ以来何十年も行ったこともないし。
従姉妹に桑の実を取って食べるのを教わった。あれはうまかったなあ。

ヴィク・ファン・クラブ会報5月号は明日発行

いままで何度も書いているけどヴィク・ファン・クラブ(VFC)は月に一度、会報「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」を発行している。24年ずっと出してきて今年11月で25年になる。今月は通巻293号。この持続力だけは自慢してもよいと思っている。最近は体力が衰えてできるまで半月近くかかってしまうが、それでも会員情報が詰まっていていい会報だ。みんなよそいきにならず本音を書いているところが快い。これは編集力のせいです、えへん。
今日は相方が晩ご飯の支度をしている間に「あとがき」を書いてレイアウトしてプリントした。ええ感じや〜 あとは綴じて封筒に入れてポストに入れに行ったら完了。これにもけっこう手間かかる。なんせ単独行やから(笑)。

昨日から暑さのせいかどことなくしんどい。飲めないくせにワインが出るとつい3センチほど飲む。眠気がやってくるのを我慢してツイッター読んだり本を読んだりしているともう夜中だ。
今日はもうあかんなあ。明日の仕事にしよう。いや、綴じるとこまでこれからやるか。酔いも醒めてきたことやし。

思い出の夏のワンピース

小学4年生のときと記憶しているが、なぜか「5月1日からは半袖」と早くから思い込んでいて、5月1日の朝、勝手に予定していた半袖セーターを引っ張り出した。まだそれを着るのには寒いと母親にきつく言われてボツになったが、学校に行ったら昨日着ていた長袖服でちょうどよかったから黙っていた。半袖を着てる子はいたのかいなかったのか。そのときですら中原淳一ファンだったから、おしゃれ感覚はありすぎるほどあった。姉が縫ってくれたピーチピンク地に白い花模様のワンピース、いまだに胸や袖のデザインも覚えている。赤いリボンがついていた。明日の姉への定時電話で礼を言おう。あのワンピース覚えているかしら。姉とは長い間確執があったのだが、こどもの時は世話になってたっけ。

今日は昼食後暑いなあと、姉にもらったバウムクーヘンを食べ紅茶を飲んでいたのだが、飲み終わる前にテーブルに突っ伏して眠ってしまった。睡眠不足気味だったからなあ。それからベッドに移動して30分ばかり眠って起きた。ケーキを食べて寝るなんてなんてことだと思ったが後の祭り。
それから着替えて銀行とスーパーに行ったのだが、長袖の薄手セーターで汗をかいて歩いていたら、まわりは男女ほとんどTシャツ姿であった。

おお、帰ったらTシャツに着替えよう。夏物を出そうと思いつつ帰った。帰ったら部屋にはまだストーブが(笑)。

こう暑いと

昨日も暑かったが今日も暑かった。
9時半に家を出て姉の家に行ったのだが、まず駅まで歩くのが暑かった。歩きながら考えたが真夏の暑さはこんなものではない。爽やかな5月と思っているから暑いのであると気がついた。でも暑い。
地下鉄のプラットフォームは涼しかった。電車の中も涼しかったのかな。あんまり気にならなかった。真夏なら電車内は異常に涼しくて羽織るものがほしいくらいだけど。
デパ地下は涼しいけど買い物しているときはあまり気にならなかった。ゆるい冷房が入っているのかな。人気で感じないのかも。
タクシーは涼しくて乗ったときはほっとするが、だんだん足元が冷えてくるのがかなわん。ちょっとの間だからいいけど。行きしも帰りしも運転手さんとの会話は「暑いですねえ」「夏が思いやられますね」「いまからこんな暑うて夏になったらどないなるんでっしゃろな」

姉のところではコタツがおぜん代わりになっていて、薄い掛け布を膝に掛けて低い椅子に座る。下には電気カーペットが敷いてあっていつもの癖でスイッチが入れてあった。午後になって暑い暑いと言って気がついた。冷えるよりも暑いほうがまし(笑)。
少しの間植木鉢に水やりした。
終わってテレビの前にもどったら阪神が広島にくつがえされていた。あれっ、さっき2点先行してたのに。若い子が活躍したけど負けてしまった。たまに見てるんやから勝ってほしかったなあ。野球が終わったので帰ってきた。
熱いお風呂に入って元気回復。ビールがうまい!!

ゴーヤで元気

今日の昼は30度近くにまで気温があがったが、夕方になると少し涼しくなった。梅雨入りしてから半月くらいは朝夕涼しいが、その後は昼も夜も猛暑になると思うと、思うだけでしんどくなる。長期天気予報はどうなんだろう。冬はあんまり気にならないが夏は気になる長期予報。そして当たらないとモンクを言うのがならい(笑)。

先月くらいからゴーヤをよく食べている。ビタミンがすごく豊富でたくさん食べるとガンの予防になるとか。ゴーヤチャンブルーをよくするし、ただ肉と炒めるだけのときあり、炒めて卵とじのときもある。酒の肴によし、ご飯のおかずによし。簡単に料理できるのがありがたい。ものすごく美味しいものではないが、飽きずに食べられるのがよい。焼酎に一番あうが、ビールのおかずにも最適。

今日の晩ご飯:焼酎水割り、ワカメとシラスの炒め物、ゴーヤチャンブルー、ご飯、味噌汁(茄子とピーマン)、昆布の煮物、納豆、梅干し、三年番茶。

蓮實重彦『伯爵夫人』をもう一度

『緋牡丹博徒』のシリーズを4日連続で見て疲れた。映画を見終わってから検索して登場人物やストーリーを確認して一応の感想のごときものを書いて、そのことをくっちゃべって、寝るまで大変。しかも昨日とおとといと三島由紀夫賞を蓮實重彦さんがもらって記者会見というのがおもろいと知ってネットで探して見た。おとといはニコ動で蓮實さんの会見の様子、昨日はその前の町田康氏の記者会見。両方見たから蓮實さんの態度もよくわかった。

わたしは○○賞というのに興味がない。新聞をとるのをやめたら○○賞があることさえわからない。それでも去年の芥川賞の騒ぎは伝わってきて中継を見た。又吉さんは感じの良い作家さんでお話を楽しめたし、姉に『文藝春秋』を借りて読んだ。容姿が気に入った直木賞の東山彰良『流(りゅう)』を買って読んだが、こっちもおもしろかった。

今年はまた無関心にもどっていた。そこへ三島賞。賞よりも先に作品を読んだ。
蓮實さんの小説を読みたいと思ったのは、最近よく読む吉田喜重さんの本に書いておられる文章が気に入っていたのと、『伯爵夫人』は「エロい小説」という噂を聞いたから。『新潮』を買って読んだら長い小説なのにやめられないおもしろさ。おもしろいし猥褻な言葉が出てくるけどエロくはない。その点がもの足りないとわたしは思った。エロくないと思ったのはひょっとしてわたしだけかもしれないが。

第二次世界大戦が始まるその日のその夜のもの苦しさが伝わってくる。何者だったのか伯爵夫人が去っていった。これからもう一度読む。
(新潮4月号 954円+税)

藤純子主演 小沢茂弘監督『緋牡丹博徒 二代目襲名』(1969)

緋牡丹博徒シリーズ第4弾は『緋牡丹博徒 二代目襲名』。原作が火野葦平。しっかりとした物語で見ごたえがあった。
お竜は矢野組二代目襲名のために不死身の富士松(待田京介)を連れて故郷の熊本へ戻ってきた。馬車に乗ると一目でお竜さんに惚れたという男(津川雅彦)につきまとわれる。馬車を追い越して騎乗の男が行き、その後をたくさんの男たちが馬車で追いかける。男どもを追い払い撃たれた男(半次)を病院へ連れて行き事情を聞き、金を預かって雪江に届ける。
川辺親分(嵐寛寿郎)はお竜の帰郷を喜び、いまの北九州の状況を話す。いままで石炭を運ぶのは川舟を使っていたのを列車輸送にするために鉄道を敷設しているところで、川辺組と危機感をもつ川船頭たちはトラブルを繰り返していた。
石炭の需要は増すばかり、本庁からは催促がきていて鉄道局の役人は川辺をせっつく。そこへ現れたのが荒木田組で、暴力を陰で使いながら権利を奪おうとする。
雪江の兄八代(高倉健)は刑務所からお前はカタギと結婚するようにと言い聞かせてきた。「馬鹿は俺一人で沢山だぜ」。
川辺親分が矢野組に後をまかせると言って亡くなったあと、お竜は矢野組一家の親分として川筋で働く。
大阪からやってきたお神楽のおたか(清川虹子)が襲名披露の座や最後の殴り込みで貫禄を示す。
喧嘩状を渡したお竜と八代はともに戦い荒木田をやっつける。妹を幸せにすると誓った半次と富士松に抱かれ、なお続くお竜の戦いを見つめながら死んでいく八代。
お竜は故郷を出て再び旅に出る。

8作中4本を続けて見たので明日は休む。

藤純子主演 加藤泰監督『緋牡丹博徒 花札勝負』(1969)

午後つるかめ整体院に行ったら肩がいつもにも増して凝ってると言われ、それは緋牡丹のお竜さんのせいだと言い訳した(笑)。もちろん映画だけ見ていたわけでないけど、すごく真剣に見ているから肩が凝りもする。

名古屋に着いたお竜は間違って列車の線路に入っていく盲目の少女(お君)を間一髪で助け、後からやってきた母親に礼を言われる。
名古屋で最も旧い家柄の西之丸一家でわらじを脱ぐが、胸のすくような初対面の仁義を切るシーンがすばらしい。親分(嵐寛寿郎)は統率力のある人格者。四年に一度の熱田神宮の祭りがあり勧進賭博を仕切るのが西之丸一家である。親分に贋のお竜が賭場に出没していると聞かされ、お竜は新興の金原一家の賭場へ出向く。そこで出会ったのがお君の母だった。
金原のところで奇食している花岡(高倉健)と雨が降る道で出会い傘を貸す。お竜が持っていた傘の柄の暖かさが忘れられない花岡とはそれから何度かすれちがう。一宿一飯の恩義ということで花岡は西之丸一家の親分を襲うことになるが急所を外す。勧進賭博を開くことができたが、傷口が悪化して親分は亡くなる。
西之丸一家の通夜の中をそっと出かけたのはお竜と富士松だった。乱闘中に花岡が加わる。この結末は自分に任せてくれと花岡は言う。
花岡がお君を病院に連れて行き手術でお君は目が見えるようになっていた。

若山富三郎の愛嬌、清川虹子の太っ腹、待田京介(不死身の富士松)がお竜を「おじき」と呼ぶのが楽しい。ちょっとだけど藤山寛美が笑わせてくれた。

藤純子主演 鈴木則文監督『緋牡丹博徒 一宿一飯』(1968)

今夜も夕食後はお竜さん。
緋牡丹博徒シリーズ第2弾は戦うお竜さんと鶴田浩二が出会って権力とつながる卑怯な奴と徹底的に戦う。前作では高倉健がやっていた役を鶴田浩二がやっている。

熊本の矢野一家再興のために各地を回って修行を重ねる「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子は上州富岡の戸ケ崎一家に身を寄せている。
富岡では高利貸が生糸農家を締め付け農民は困窮の極みで、戸ケ崎はなんとか調停しようとしているが、舎弟の笠松が上州一帯の利権を得ようと裏で暗躍していた。戸ケ崎は騒ぎが起こるのを察してお竜を上州から去らす。
東京に出たお竜は笠松が上州の利権を確実にするために東京で上層部への接近を図っているのを知り阻止しようとする。
お竜が居ぬ間に戸ケ崎は笠松一家に襲撃される。それを知ったお竜は・・・
笠松の腕の立つ子分に菅原文太がなっていやな奴モードいっぱいで、それはそれでかっこいい。
鶴田浩二はもともとこの地の出身で貧しい家を嫌って家を出た。その後、両親は貧しさの中で死んだ。お竜との間はお互いに口に出さないけど愛と信頼で結ばれる。
お竜を阻もうとする賭博師の女にも戸ケ崎一家を守ろうとする娘にも、お竜は優しい。身を汚されたと泣く娘に、自分の背中の刺青を見せる。「女だてらに、こぎゃんもんば背負って生きとっとよ」

藤純子主演 山下耕作監督『緋牡丹博徒』(1968)

四方田犬彦・鷲谷 花 編集『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(2009 作品社)を開いてまず読んだのは「緋牡丹お竜論」(斎藤綾子)だ。取り上げられている他の作品を全然と言っていいくらい見ていないから、なじみのあるお竜さんからまず入ろうと思った。

「緋牡丹博徒シリーズ」は全部で8作あって第1作が『緋牡丹博徒』である。わたしは1968年頃はずいぶん映画を見ていて、洋画は梅田で北野シネマやコマ劇場地下、日本映画は新世界の映画館だった。鶴田浩二、高倉健、池部良、ちょっと後には菅原文太とたくさんのヤクザ映画を見たものだ。このシリーズでは待田京介が好きだった。

「肥後熊本は五木の生まれ、姓は矢野、名は竜子、通り名を緋牡丹のお竜と発します」と仁義をきるお竜さんは美しくて清々しい。親分だった父親が辻斬りに殺されて、堅気の人と結婚寸前だったのに破談となる。多くの子分たちはいなくなり、終生ついていくという一人の子分に留守番させてお竜は渡世の旅に出る。
旅の途中で出会った高倉健に肩を怪我したお竜さんは片肌脱いで傷に薬を塗ってもらう。肩から背中に緋牡丹の刺青が花咲いている。
悪い奴がはっきりしており、女親分清川虹子の筋を通す古風な生き方が泣かせるし、お竜さんに惚れ込んでお竜さんのために死ぬ子分、若山富三郎(熊虎親分)のユーモア、不死身の待田京介の純情。様式美と笑い、すべてが揃ったやくざ映画だ。続けて8作みんな見るつもり。