ヴィク・ファン・クラブ会報10月号は、特集「サラ・パレツキーさん 日本の日々」

ようやく会報ができた。今月は特集「サラ・パレツキーさん 日本の日々」、明日送る。東京でのサイン会&ミニトークと日本ペンクラブの講演会に参加された人たちの詳しい報告や感想。そして奈良での食事会と翌々日のお見送りと、じかにサラさんご夫婦と接することができたメンバーの報告が楽しい。参加できなかった人からの熱いメッセージもうれしい。

サラ・パレツキーさんから日本へ行くこと、最後に関西へ行くつもりなので奈良で会いたいというメールをいただいてから、何度かのメールのやりとりで場所や時間が決まっていった。その日に奈良へ行けるメンバーは自然に決まった6人で、東京、岐阜、名古屋、神戸、大阪×2が当日午後に集まった。

メールをいただいてはいるものの、ご自身のツイッターで15年前に会ったヴィク・ファン・クラブの人たちと再会したい、そしてブログでは再会した写真も載せてださった。世界に向けてだからうれしい♪

電子書籍よりも図書館

今日のNHK「クローズアップ現代」で電子書籍を取り上げていた。わたしはまだiPadも買っていなくて、アップル大好きなのにと不思議がられる。iPadはファッションとしては欲しい。サラ・パレツキーさんが奈良のカフェでiPadを出して写真をいろいろ見せてくれたときは、わたしも欲しい!と思った(笑)。

でも読書としては、このパソコンで「青空文庫」を読ませてもらっているし、新刊書が欲しい場合をのぞいて図書館がいい。子どものときから古本屋へ通ってたし、何十年も本を買う主義だったが、ここへきて所有欲がなくなってきた。それどころか在庫の本も整理しておこうという気持ちがおきてきた。こんなに駄本(わたしには重要本だが)を残されたら困るやろ。

そしてテレビを見ていると、電子書籍が金儲けになるとみた人たちが群がっている。電子書籍で本を読みやすくなる人や、作品を書く人に有利になったりといいことがたくさんあると思うが、いまのところ、わたしは図書館がええわ。
でも、だれかがiPadをプレゼントしてくれたらありがたく使わせてもらう。

毛利嘉孝『ストリートの思想ー転換期としての1990年代』を読み始めた

今月7日のdommuneにEP-4の佐藤薫さんが出られたとき、話し相手で出演されていたのが本書の著者 毛利嘉孝さん(社会学者で芸大准教授)だった。もう一人の話し相手 地引雄一さんはミクシィでEP-4を検索して、わたしのページに足あとを残してくれたので、彼の日記にコメントしたら返信を書いてくださった。音楽業界で活躍されている人のようだ。

そのdommuneのときに本書が紹介された。佐藤さんも読んだとおっしゃる。そしてEP-4のことも書いてあるとのことで興味を持ち図書館にあったので借りてきた。まだ全部読んでいないのだが、読んだところはとてもおもしろい。わたしが個人的な好みで遊んでいたことが、体系化されているというか、全体を見渡す観点で書かれている。
わたしの1980年代は70年代のジャズの友人たちから離れて新しい音楽にはまっていく時代だった。80年代に入るすこし前からパンク・ニューウェーブを聞き出して新しい友人ができ賑やかに遊んだ。離れていたミステリの新しい風に出会ったときでもあった。それが90年代になるとヴィク・ファン・クラブという存在と翻訳ミステリに耽溺ということはあったが、音楽から離れていた。このあたりの音楽状況をがぜん知りたくなってきた。自分史と客観的な時代的考察とを重ね合わせる体験ができそうだ。

レイモンド・チャンドラー『かわいい女』

わたしは日本でチャンドラーが紹介された最初のころの読者だと思う。家には「別冊宝石」が山ほどあった。チャンドラーの他にもウイリアム・アイリッシュ、エラリー・クイン、クレイグ・ライスなど子どもながらにおもしろくてしかたなかった。父が亡くなったときに10册ほどもらってきて置いてあるが、触るとぼろぼろと破れ落ちそうだ。

いつまでも読まない本を置いておいてもしょうがないので、不要な本は整理しようとぼつぼつ出している。わりと新しいのは妹や友だちに送っているが、汚くても手放せない本がナンギだ。読みたい本は買う主義だったが最近は図書館で借りて読むことが多い。物を持たないという考えが本にはおよんでいなかったのが、ようやくおよんできた。

さて、本書、レイモンド・チャンドラー「かわいい女」だが、古い(1959年発行)創元推理文庫だ。紙は茶色く変色し小さな文字は読みにくい。それでも持っていたのは愛着があったからだが、もういいか。チャンドラーの作品中でいちばん好きなので捨てられなかったのだが。
ドロレス・ゴンザレスというハリウッド女優が好きでずっと名前を覚えているくらいだ。ドロレス・ゴンザレス、これからも忘れないだろう。燃えるようなブラウス以外は男が着るようなスタイルの黒ずくめの服装。「女には、いくら恋人があったとしても、どうしても他の女にゆずれない恋人があるのよ」「でも、私が愛した男は死んでしまったわ。私が殺したんだわ。他の女に奪られないように・・・」おお。

その他にも「濡れた手袋で顔を殴ってやったらいいわ」「誰がいったんだ」「壁よ。ものを言うのよ。地獄へ行く時に通り抜けた死んだ人の声よ」という受付の女。

PANORAMA手芸部で息抜き

家にいるとパソコン前と読書の他になにもすることがないという不趣味者である。ちくちくと針仕事ができれば言うことはないのだが、出来上がりのカタチが見えるのに手が追いつかぬ。今日はPANORAMA手芸部の日。息抜きが必要と10時過ぎに片付けて出かけた。人のお裁縫を見てのんびりしよう。

最近は知った顔が増えて、その上にツイッターでみんなの動きが見えているので場に居やすくなった。女たちそれぞれがいきいきしている。音楽がある場でいままで味わったことのない雰囲気がある。何十年か音楽の現場から離れていた間に変わったのね。
昔のジャズ喫茶は男の世界だった。わたしはどこでも出入りしていたし、男性たちも受け入れていたけど、それは〈名誉男性〉だったからだ。いつから変わっていったのだろう。
わたしが言うとリクツっぽくなるが、女性がそのまんまの姿でいられる場所があるいまはすごく気持ちがいい。

今夜はHさんの誕生日で、突然DJサキちゃんがハッピーバースディツーユーをかけ、みんな拍手をして祝った。まわってきたアベチカさん作のケーキは秋の味で最高だった。
マッサージもしてもらった。すごい肩こりが解消されたので今夜は安眠できそう。

個人年表作成中

おととい佐藤薫さんと話をしたときは(80年代)と指を折り、昨日は「マリクレール」を買っていたのはいつだったかな(90年代)と首を傾げて考えた。毎度こんなことをしててはいけない、ってずっとこうしてたんだけど(笑)。で突然、年表つくろうと思った。
今日はエクセルで西暦、年号、年齢、自分のできごと、まわりのできごと、社会のできごとの行をつくった。いやに縦に長いんでいやになるが、ちょこちょことすぐ書けるところを入れていくと、人生だな〜悪くないって気になった。

この表を眺めながらブログのテーマを決める日もありそうだ。とりあえず数日は入れる楽しみを味わえる。さっそく去年暮れの義兄、今年夏の義姉の命日を入れたが、父親と母親のを覚えてないという親不孝者である。父のほうはブログをはじめてから亡くなったのでわかるけど。母のほうは姉に聞こう。
登山のところは登った山まで入れようとしたらたいへんやな。このころ登山に夢中と書いておくか。コーラスも団長したこともあったなぁ。仕事を辞めてぶらぶらしてたとき大阪府知事選のアルバイトをしたとか、年表っていくらでも埋めることが出てくるのね。

海野 弘「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」を読む

暑くても本は読んでいたけど、涼しくなると厚い本を読もうという気になる。海野弘さんの「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」を出してきた。1993年に出た本で何度か読んでいるのだが、時を隔てて読むとまた新鮮に読める。
わたしは井上究一郎訳の「失われた時を求めて」を二度読み、三度目は挫折したままなのでなんとか完読したいのだが、こんな生活をしていたら無理だ。それで本書で気を紛らわそうと思ったのだが、この本は「失われた時を求めて」を読みたくさせる本でもあった。ああ、どうしよう。

いまは出ていない女性誌「マリクレール」に連載されていたものである。もう亡くなられたけど名編集者で知られる安原顕さんが編集長だった。安原さんに「好きなだけやれ」と言われて延々4年間続けた労作である。美しい写真とともに毎月読むのが楽しみだった。

1980年代後半から90年代のはじめはどんな時代だったろう。雑誌が輝いていた最後の時代だったのかしら。個人的には音楽から去って猫の時代だったなぁ。音楽関連の若い友人たちが東京へ行き、わたしらは猫と家でレーザーディスクで映画を見ていたんだわ。ソニーの大画面のテレビを買って、そうそうプロ野球も見てたんだ。ちょっと年代表をつくってみたくなった。失われた時を求めて。思い立ったが吉日だエクセルでkumiko年表の骨組みをつくった。徐々に書き入れていく。
(1993年初版発行 中央公論社 4500円)

dommuneでEP-4 佐藤薫さん

半月ほど前に発表されたEP-4 佐藤薫さんのdommune出演日が今日だった。実は昨日は間違えて7時にパソコンの前に座っていたが他の番組がはじまり、カレンダーを見直したら今日なのであった。今日も7時に夕食をすませて正座っぽく椅子に座った。

EP-4は80年代のパンク・ニューウエーブを聴いていた時代にもっともスゴイ(いまの言葉で言うとヤバイですね)と思ったバンドだった。外来のバンドはそのバンドが生まれた街でやったらヤバイだろうが、こちらへ来るとホールでやるからもうひとつなのだった。

扇町へんの営業を終えた小さなブティックの店内を片付けてスタンディングのライブ。この一回しか聴いていないのに、80年代というとなにをおいてもEP-4を思い出す。その次は友だちが佐藤さんといっしょにわが家に来たのだ。そのときは夜を徹して語り合った。いつのまにか窓の外が明るくなっていったのを覚えている。朝食に紅茶とトーストとゆで卵を出したっけ。とにかくオトコマエで笑顔が優しかった。
それからは東京へ行かはったのだろうか。いつの間にか25年経っていた。

わたしの愛するミュージシャンは70年代は阿部薫で、80年代は佐藤薫だとさっき気がついた。素晴らしいミュージシャンと知り合った幸せを感じる。阿部薫は亡くなってしまったが、佐藤薫さんは音楽の世界に帰ってこられて、また活動をはじめられるようだ。

今日のdommuneでは、司会者たちと会話するほっそりとした佐藤さんはエフェクタから声を出されていた。横のTLに「佐藤薫といえばヴォイスエフェクターだ」というのがあったので納得。
EP-4の83年のライブ映像に佐藤さんが音を重ねられた。カッコいいぞと叫ぶ声をとどけたいが、すでにいっぱい聞こえていることでしょう。
また「25年前のぼくのレコードは、いまのDJの人たちにかけてもらうために12インチで出してたんです」とおっしゃった。
また「音楽はどっかで聞くもの」とも。相方は「だよな。おれは今夜もクラブで聞く」とツイッターに書いてお出かけ(笑)。

少し風邪気味だけど元気

この1カ月くらいはサラさん来日に向けての会報づくりや連絡メールで忙しかった。昨日の光合祭で冷えたってこともないが、ようするに張り切り過ぎがたたったのだろう。今朝はすこし風邪気味。寝ていたらヒューという小さな音が自分の胸の内から聞こえたと思ったら咳が出た。
起きてから野菜と豆のカレーをつくって煮込みながら半身浴して、食後は2時間寝たらかなり回復。だけど夜遊びのPANORAMA行きはお休みにした。

うれしいメールがきて、一人悦にいっている。サラ・パレツキーさんのブログにわたしらの写真が1枚入っている。

もういっちょう、ツイッターにあったサラさんの出発直前のコメントを教えていただいた。
I’m getting ready to leave for Japan where I’ll have the opportunity to speak and take part in the International PEN Congress on literature and the environment. Very excited, especially at the opportunity to meet up with some of the strong interesting women I met there fifteen years ago.

雨の日曜日って秋らしい 夕方から光合祭へ

夏の間は雨が降らなくてたまに降ると大雨だったが、ようやく秋らしい雨が降るようになった。そしたら晴れてほしい日に降る。朝はまだ天気がよかったように思うが、お昼過ぎに起きたら降り出していた。

なにかうまいものが食いたくて、今年最後の茄子やと言いながら秋なすのパスタをつくった。トマトはずっと生のトマトを使っていたが水煮缶を使用。サラダのトマトも高くなったのでプチトマトに切換え。夏の名残りっぽい昼食がうまかった。

メールの返信やミクシィのコメント返しを書いておやつを食べて、夕方から光合祭の湊町リバープレイスへ。すっかり遅くなって帰りかけている人もいる8時までの2時間。最後の1時間はageishiさんのDJで盛り上がった。
秋分の日に毎年行われる光合祭が雨のために今日に延期されていた。今日雨ならば気持ちよい外でのお楽しみは屋内に変更されると聞いていたが、ほんまに雨になり屋内になった。あそこらへんへ行くとよく目立つピラミッドみたいなガラス屋根の下の階段と広場である。

子ども連れが楽しめるようにK嬢が小さな子どもたちを集めて遊ばせている。薄い衣装と大きな羽根を背中に広げたフェアリー姿で、フラフープやシャボン玉や昔遊びのいろいろ。先日のタムタムカフェオープニングパーティでも子連れが多かったが、これからはDJルームの横に託児室がいるね。子どもができてサヨナラするんでない人たちが増えたらええな。