朝風呂で腰湯

暖かくなってから朝起きたらまずお風呂に入って腰湯することにしている。目覚めの気分が良い。起きたら洗濯機を動かしておいて湯につかる。出たらすぐに洗濯物を干す。今日も天気が良くてありがたいなあとお日さん見て思う。

先に起きた者が先に入るが、わたしはいつも後である。先に寝て後から起きる。よく眠るから昔なら怠け者と縁切りされるところだ。とにかくいまはわたしの体調が大事な我が家。寝込まないように、これ以上悪くならないよう気をつけている。

朝風呂は気持ち良い。腰湯しておいてからまたたっぷり湯を足してぱちゃぱちゃやったりする。石鹸はちょっと贅沢している。髪も石鹸で洗ってるが心地よい。温泉旅行するような余裕がないから内湯で楽しむ。疲れと美容に腰湯。

遊び疲れ読書疲れ対策

今日は本の感想をしっかり書こうと思っていたが、土曜日の遊び疲れが日曜日を通り越して持ち越し、足腰重くぐだらぐだらと過ごしてしまった。金曜日にえらいスピードで本を読んだのも疲れの原因。あまりにも面白すぎて先へ先へと進んでしまった。
ということで、今日は疲れた〜で終わりとするかなと思ったんやけど(笑)、疲れの原因を追求しとかねばあかんと思い直した。

なんせ膝と腰が悪いのでしんどいとまず膝にくる。そういえば、昨夜寝るときは膝が冷えるなあと思ったのに、昼間が調子良かったのでまあええかと対策を考えなかった。すぐに寝付いたけど、冷えてたんやな。
クーラーのところに長くいたら帰ってから温めなあかんのを忘れてた。これはおととい。昨日うちはクーラーつけてなかったけど、わりと冷たい風が通り抜けていたっけ。今日もそうやから寝るときのソックスを忘れないように。用心にサポーターも枕元に置いとこう。

熱中症どこかへ飛んで行けっ

この1週間はなんとなくしんどい日が多かった。家事や遊びも余分なことをしていないのに、ちょっとぼぉっとしてしまい「?」と自問するときがある。倒れそうにしんどいのなら病気だが、なんとなくしんどくて「?」となるのはなんやろ。これが続けばなにかの病気の症状かもしれないと心配になってきた。どこか不安定ということで、そのどこかのせいで倒れるとか、ありうるかも。

昨日の午後は整形外科に行って、ヒアルロン酸の注射を打ってもらって、リハビリもしてもらった。
帰ってお茶しながらどんと落ち着いて相方と今日の暑さとしんどさについてしゃべっているうちに、なんとなくしんどいの「?」が解けてきた。冬から春へと徐々に暖かくから暑いになっていってるのに体のほうが追いついてなかった。水分補給といいながらお茶とコーヒーそしてアルコール。水は飲まなあかんといいつつそんなに飲んでいなかった。単純な話である。睡眠不足でもあった。夜は何時まででも起きていられる。昼寝で睡眠時間を取り返えさなくちゃ。

今日は夕方近く少し涼しくなってから、サンドイッチなど手作りおやつを持って木津川沿いの散歩道へ出かけた。月初めに行ったときまだ芽生えたばかりだった草花が大きく育っていた。
野いちごが実り、ラベンダーが咲いている中にイキシアの枝が伸びて花が咲いていたのでびっくりした。ハタチくらいのときに「イキシア三池を守る会」ってのを女子ばかりでやってた。イキシアの花言葉は「団結」だということで名付けたんだった。白い清潔なイキシアの花を見て喜んだら元気が湧いてきた。熱中症どこかへ飛んで行けっ。

掻いて治した

午後から美容院でくつろいできた。毎日くつろいでばっかりじゃん(笑)。
白髪にもどす髪の対策を相談して、短くカットしてもらった。ボブからショートヘアになって、そのうちに全体が真っ白になる予定。
遅ればせながら入院のお見舞いに果物を持って行ったら、帰りに和洋のお菓子をいっぱいもたせてくれた。わたしらなにをしているんだか(笑)。

昨日、阪急オアシスの冷凍ケース前であちこちしたあと選ぶものがあって、車椅子でじっと止まっていた時間が長かった。「寒いわ、はよ帰ろ」といったときはときすでに遅かったみたい。
帰って暖かいパンツに着替えてご飯を食べた。背中や足が冷えているから気をつけなきゃとお風呂に入って長時間じゃぶじゃぶした。寝る前にストレッチと体操をした。

今朝はいつもどおりに起きたけどどこかしんどい。
美容院から帰っておやつを食べ、ぼちぼち台所の片付けをしていたら背中が痒くなってきた。太ももや膝の裏まで痒い。手を背中に突っ込んで掻きまくりながら悟った。昨日の冷えがこれで消えて、搔くだけ掻けば日常にもどる。
今日の前半は家の中を歩くのもしんどかったのが冷えのせいだとわかって、やれやれ。自分のからだは自分で守らにゃ。

さては花粉か、暑いのに鼻水

今年の春はなかなか暖かくならなくて、桜の花は咲いたものの散るのが遅かった。その後も朝夕寒い日が多かったが先週の終わり頃からようよう暑くなってきた。今日は夏並みに暑いと予報でいってたが、うちは昔から冬が寒くて夏はマシなのでそう暑いとは感じなかった。家の中の板敷きの部屋にいる限りは。

今日は午後の3時ごろに洗濯して干したんだけど、ベランダに直射日光がきびしくあたってクラクラした。暑さと明るさで倒れそうといってもウソでない。あわてて壁に手をついた。なんせ、腰と膝に弱点を抱えているのでね。
そんなこんなでしっかりせにゃと思う初夏。

暑くても鼻水が出るというのはなぜだろう。さっきからテッシュペーパーのお世話になっている。だいたいアレルギー症で鼻水が出やすい体質なんだけど、もしかしたら花粉症が遅ればせにやってきたのかも。早くから くしゃみ鼻水でなんぎしたが、みんなが騒いでいるころはころっと忘れていた。いまのは風邪ひきっぽくないから、わたしに合った花粉が飛んでいるのかも。なんじゃもんじゃとか(笑)。

脊柱管狭窄症をストレッチで

去年の正月に自分が脊柱管狭窄症になっていることをを義弟の言葉と酒井先生の本『脊柱管狭窄症は99%完治する』で知った。義弟に電話したとき、半年で治ったというので「なんで治ったのがわかるの?」と聞いたら「歩けるようになった!」との返事で「なるほど〜」だった。
そのときは半年か〜、そんならやれるわと思っていたのだが、わたしの場合は半年ですまなんだ。整骨院の先生に聞いたら男性は筋力がある人が多いとのことで、特にわたしのように筋力が弱い人はなかなかじゃないかなって。ということでストレッチを続けるしかない。先日『わかさ』を買って勉強したので理解は深まったがそれで治るかというと自信がない。ストレッチのやり方が増えたので、頑張るしかない。

脊柱管狭窄症は背骨の脊柱管が狭まって、歩くと痛みが出る病気である。トシをとると脊柱管が自然に狭まる人が多くいるそうだ。本にある症状の説明を読むと、わたしは純粋な脊柱管狭窄症である。
間欠性跛行(かんけつせいはこう)が特徴で、歩いているときにだんだん歩けなくなり、5分ほど休憩したらまた歩けるようになるが、歩き出すとまた歩けなくなる。

毎日3回脊柱管を広げるためにストレッチをしているわけだが、毎日やっても効果が現れないと情けなくなる。内臓はよくなっている気分があるけど。
それでも本と健康雑誌を読むととても追い風が吹いている感じで希望が湧く。

いつのまにか脊柱管狭窄症になっていた

おとといは姉の家からの帰りからはじまった脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)のことを書いた。
今日はそこにいたるまでを思い出しつつ書いておく。
去年(2018)の暮れから姉は有料老人ホームに入居して生活全般を世話してもらっているが、それまでは古い借家で一人暮らししていた。夫が亡くなってちょうど10年を毎週1日は日をずらして姪たちとわたしが行き、その他、週に2日のデイサービス、週に2日掃除に来てくれるヘルパーさん、なにかと声をかけてくれる隣人や民生委員さんがいて、電池の入れ替えまでやってくれる電気屋さんもいて、近所のローソンも利用してとてもうまく暮らしていた。古くからの人情プラス最新の福祉環境。

義兄が病気になる前はわたしと姉は不仲でつきあっていなかったが、アルツハイマーの義兄の様子を聞いて手伝いに行くようにした。そして姉の孤独を見て週に一度姉の家を訪問することにした。その上に毎日電話でしゃべる。電話がかかるときに不在だとややこしいので、姉はいつでも在宅だからこちらからかけるようにした。それでも時間が遅れるとかかってくる。それを10年。

姉の家は地下鉄御堂筋線の東三国にあった。地下鉄と歩きで1時間以上。最初の頃は黙々と通っていたが、こちらも年をとってしんどいし、行きの買い物が重いので行く時だけ西中島駅からタクシーに乗って1000円。これで何年かやって、次は梅田で買い物してタクシーで2500円。そのうち帰りは新大阪へタクシーで800円。新大阪から地下鉄。行き始めてから7〜8年経っている。新大阪の新幹線乗り場で降りて、お店をのぞいてから帰るのが習慣になった。本屋さん、小物屋さん、ドーナツ屋さん、ユニクロなど。
そのうち、午前のタクシープラス地下鉄がしんどくなって、家の近所の高級スーパーで買い物して直接タクシーで行き、帰りは姉の家から何度か乗って知り合った運転手さんに電話して乗せてもらうようになった。タクシー代往復7000円は支給。帰りは堀江へ寄ったり梅田でぶらぶらしたり。

最初に異常に気がついたのは、義弟の言葉から脊柱管狭窄症に違いないと確信し、間欠性跛行(かんけつせいはこう)という言葉を知りこのことを振り返ったときだ。
新大阪の商店街からエスカレーターで降りてちょっと歩くと地下鉄乗り場がある。いつのまにかそのちょっと歩くのがしんどくなった。普通に歩いているつもりなのに、みんなに追い抜かれる。あれ、なんでや〜 地下鉄ホームに出てベンチに座るとしんどいのが治る。1台おきの新大阪駅発に乗って心斎橋へ。降りてから乗り換えまで歩くのが一仕事。エスカレーターのところにあるベンチに座って一息つく。立ち上がったら元気。で、また歩いて疲れ、乗り換えた電車に座って元気に。
いまになって以上のように整理して考えたら、この症状は脊柱管狭窄症患者の典型的な間欠性跛行だ。
おととしの秋はこうして去っていき、寒くなってから倒れたんだけど、ずっと前兆があったのだ。

湿気が苦手、アルコールも少々苦手

湿度が高い日は膝が痛むので苦手だ。昨日は整形外科に行ってヒアルロン酸の注射をしてもらった。それで膝の調子が良くなったのかわからん。頼みのヒアルロン酸だが、膝痛の人みんなに効いているのだろうか。痛い注射を我慢しているんだから効いてほしいな。今日からっと晴れていたら効いているのが実感できたかもね。

とにかく今日は体感で湿度が高い。湿度計に用はないよというておこう。こんな日は膝が痛くて当たり前だと諦めている。午前中はまあまあ。午後もそつなく過ごしたが、晩ご飯を食べてからしんどくなってきた。いまは台所の片付けを最後までせずにさぼっている。痛みがましになったら台所へ復帰するつもり。しかし、なんでこんなにしんどいのかしら。
あっ、そうだ、アルコールだ。焼酎のソーダ割りを晩ご飯のとき少々飲んだっけ。このせいだとするとなんか情けないな。

以上を書いてから台所へ行って片付けをすませてきた。立っていると膝はまだ痛いんでいやになる。気持ちよく晴れる日を待つしかないか。

『わかさ』4月号で脊柱管狭窄症の勉強

一昨年の暮れのとても寒い夜に姉の家から帰宅するときタクシーに乗るために広い道路に出るのがしんどい。腰がだるくて歩こうとすると足が進まない。帰ってからお風呂で体を温めて寝たが、トイレに起きるため立つのに一苦労した。
数日は家で寝ていたが、正月に義弟の年賀状を読んで、わたしの病気はこれだ!とわかった。義弟は脊柱管狭窄症をストレッチで治したと書いてあった。電話で詳細を聞いたところ、この本に書いてあると教えてくれたのが、酒井慎太郎『脊柱管狭窄症は99%完治する』という本。さっそく買って読んだら、酒井先生の書いていることがわたしの症状とぴったりあっている。それ以来、本のとおりにテニスボールストレッチをしている。ストレッチの効果で体調がよくなっているのは確かだが、完治にはほど遠そう。なんでやろ? わたしは「残りの1%」なんやろか。

半年ほど経ったとき友達に「なかなか治らへんねん」とこぼしたら、ヘルニアの手術をしたことがある彼女のお父さんが「そんなに簡単に治るもんやないで。ストレッチで治すというなら最低1年はかかると思わなあかん」といったとのことで、そうなんかと気を引き締めてストレッチを続けている。1年以上は経ったけど、ストレッチのやり方が足りないのかまだ治らない。体調はとてもよくなっているが、歩くのがまだまだあかん。これはなにか理由があるはず。

おとといスーパーライフに行ったとき雑誌売り場で立ち読みしてたら健康雑誌のところに1冊だけ『わかさ』が残っていた。手に取ると「坐骨神経痛」がでっかく、次に「脊柱管狭窄症」の文字がでっかい。あれっと手にとってみたらわたしの知りたいこと、やるべきことが書いてあるような。
写真付きでストレッチのやり方が出ている。説明も納得できるので買って帰った。おとといはわたしが読み、昨日は相方が読んだ。脊柱管が狭窄しているのを広げるストレッチということでの説明が納得できる。
わたしは映画を見るのに座り続け、ツイッター読むのにパソコン相手に座り続け、本を読むのに姿勢を正して座り続けている。脊柱管が広まることを拒むことばかりしていると冷や汗。せめて立つときは片足を前に出して立とう。

わたしは理屈はわかるけど、いざストレッチとなると運動オンチだからなかなか写真のようにいかない。相方に手取り足取り説明してもらって昨夜と今朝とストレッチをやった。なんとかなったのでこれを毎日続ける。続けることには自信がある(笑)。とにかく脊柱管を広げるためにがんばる。

1985年

昨日は1985年に開催されたライブエイドをテレビで見るために病院から外泊許可をもらったことを書いた。6月20日ごろに倒れて救急車で運ばれて即入院。手術はしないで輸血と薬と睡眠で1ヶ月の安静と診断された。倒れた時は太陽がギラついていて数日好天が続いたが7月に入ると雨の日が多くなった。

救急車で運ばれたのは本田にある大阪掖済会病院だったから、うちからは西へまっすぐに30分くらい歩いたところにあり、途中に松島公園と松島橋があった。アジサイとクチナシが雨に打たれている植え込みのそばを長靴履いてぱしゃぱしゃ歩いて行った。
毎日昼ごはんがすむと病院へ行って夕方までいたが、ちょうど名古屋場所のときで千代の富士を応援してたから済むまでテレビを見ていて帰った。

そうそうもういっこ思い出した。休んでいる間にわたしの両方の親知らずを抜いたんだった。心斎橋の日航ビルにあった歯科に行って抜いてもらったのだが、帰り道は大丈夫かと聞かれ、次回行くと、抜いた後は晩ご飯を食べられましたかと聞かれた。えっ、昼ごはんもしっかり食べましたと答えて歯医者さんをびっくりさせてしもた。実は食べることはしっかり食べたんだけど、からだはしんどくて病院から早々に帰って寝たっけ。

1985年をよく覚えているのは、プロ野球の阪神タイガースが優勝した年だからだ。あの夜は晩ご飯にお赤飯を買っておいて食べ、野球中継が終わってすぐに家を飛び出した。梅田へ行ってファンの渦の中に入り、「御堂筋を行進しよう」との呼びかけに応じて道頓堀まで歩いた。夜中を過ぎても大騒ぎが続いて、わたしたちも明け方近くまで騒いでいた。

いま思い出すと、夫が一生に一度の大病をした年であるが、ライブエイドに熱中し、阪神タイガース優勝で騒いだおもろい年でもあった。体調を気遣って仕事をセーブしたので、それ以来お金の苦労が絶えなかったが、なんとか切り盛りして現在に至る。いまも懐が苦しいっす。入院したときにタバコをやめてよかった。