静かに暮らしている

本の感想を書こうと思っていたが、読書用眼鏡が壊れて新しいレンズがあさってになるとのことで、今日明日は不自由である。パソコン用は健在。
そんなもんで去年の日記アーカイブを読んでいる。
去年の今頃は大阪の瓦礫焼却の件で気持ちが昂っていて、集会や講演会によく参加していた。家にいるときは「IWJ」(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)の中継を毎晩のように見てた。タダ見じゃ悪いので1万円払ってIWJの定額会員になり、先日これからの1年の更新をしたところ。
11月29日は「大阪震災瓦礫の試験焼却日 前夜」、30日は「大阪震災瓦礫の試験焼却日 当日」の気持ちを書いている。ずっと焼却は行われて毎朝〈環境省大気汚染物質広域監視システム〉の「そらまめ君」を見ることで一日がはじまっていた。外出はマスクを忘れないようにしていた。
当初の予定は2年だったと書いているから、1年足らずで終了したのはよかったが。

あとは今年もいっしょやな。ミステリを読んで映画DVDを見て、野菜を食べる話。友人から柿を送ってもらって、違う友人から教えてもらった甘酒を飲んで、全然変わらぬ日常やん。30日には〈あたしら年寄りやさかいに静かに暮らすしかないな。映画「プリピャチ」に出てきた老夫婦のように。〉なんて書いておる。それから1年経った。ありがたいことに静かに暮らしている。

アップマーケットin芦原橋で遊んだ

9月に友人からこんなんあるよと、毎月第三日曜日開催〈アップマーケットin芦原橋〉を教えてもらった。彼女は焼き菓子を出品するそうなので行くつもりだったが、当日は雨で断念した。来月はと思っていたら10月はなんか用事ができて行けなかった。今日は早くから行く予定でいて、食べるものがあるらしいから昼ご飯を食べるつもりで出かけた。電車で行くと地下鉄で大正へ出てJR大正から芦原橋と大回りになる。タクシーで行ったら800円ほどで10分くらい。
暖かかったし駅から近い広場はたくさんの人出だった。テントを張ったお店がたくさんあって、外回りにはぐるりと、真ん中のコーナーも上手にレイアウトされている。催し物を見るように座る場所もある。すべてのテーブルの真ん中に秋の花を挿したガラス瓶があっていい感じ。
肝心の友人は今月は出店しなかったみたいだ。でも、彼女のおかげでここを知ったのだから感謝だ。

食べ物屋さんがたくさんある中から「大和フォー」というのを食べた。ベトナム料理のフォーを和風にアレンジしてあってうまかった。これからフォーに凝りそう。そしてコーヒー専門店では目の前で淹れたおいしいコーヒー。
オーガニック野菜の売り場で梅干しを買った。塩と紫蘇だけの梅干しがいままで買っていたのより安くてありがたい。カレー屋でカレー粉とアッサムティーを買うのに、お店の女性にいろいろ食べさせてもらった。ここでタンドリーチキンとシシカバブーを買って晩ご飯のおかず。蒸したら美味しかった。
小物や袋物のお店もたくさんあった。和歌山の龍神村から来たという女性の草木染めの店があって、気に入ったけど大きなものは高い。椿の花となにやらを煮詰めた染料で染めたという、渋茶色のスカーフを相方と共用することにして買った。
久しぶりにゆったりとした午後を過ごしていい気分。

夏の終わりの 大雨 雷 台風・・・

この間の日曜日の雨はすごかったようだが、わたしは実感してないのでなにも言えない。前日寝る前に天気予報を見て、〈明日の午前中は雨のようだ。おっと、朝6時から昼頃まで強雨になっている。明日は強い雨の音で起こされそう。窓閉めて寝なきゃ。〉と書いた。真夜中にずいぶんと降ったようで目が覚めた人も多かった様子。それから昼頃もすごい雨だったようで、あちこち冠水したという。
10時頃あまりの寒さに目が覚めて開けていたドアを閉めたとき、すごい雨やなあと思った。そしてそのまま寝入ってしまい目が覚めたら12時過ぎ。クライマックスは終っていた。そして梅田あたりが冠水したと後で知った。

いま去年の日記を読んでいたら、8月19日に生まれて初めてといっていいくらいの雷や大雨で、大阪終るんちゃうかと思ったとまで書いてある。今年も1週間の差があるが、同じころに雷雨があったんやな。
去年はミナミのほうがひどく、今年はキタのほうがひどかったみたいだ。

いまの台風情報では台風15号は日本列島に沿って進んでくる感じだが、西日本に到達するころは温帯低気圧に変わっているそうだ。

セミの声で目が覚めた

夏になるといまは亡き義弟が大阪勤務になったときの言葉「大阪はセミの声までうるさい」を思い出す。掲示板やSNSの初期のころはセミの鳴き声の比較とかよくしたものだ。

今年最初のセミの声は7月13日の朝、地下鉄駅にいそいでいるとき長堀通りの真ん中の植え込みから聞こえた。いっせいに声を出したという感じで、しばし止まって聞いていた。それからあとはツイッターなどでセミの便りを読むたびに、あれっ、ここはまだやん、と思うのだった。ツイッターではセミのツイートのほかにセミが鳴かないツイートもあったので、なにか異変があったのかしらなんて心配したりして。

今朝がたぐっすり眠っていたらセミの大合唱が聞こえた。おおっ、鳴いている! よかった〜と思いながらまた眠ってしまった。お昼頃も鳴いていたので「おお、夢ではなかった」と、うるさいのに喜んだ。
今年もくそ暑い夏がやってきた。

昔乗ったバス

今日は亡くなった義兄(次姉の夫)の33回忌だった。わが家が第二次大戦の空爆で焼け出されてからずっと住んでいた家に、姉の家族が家を建て直して住んでいる。
わたしはかなり長いことここに住んでいた。阪急沿線とはいえ不便なところで駅まで遠かったのを歩いたり自転車に乗ったりしていたが、バスが開通してすこしラクになった。あまり本数はないし、夜は早く終ったけど。
姪から電話で駅まで車で迎えに行くということだったが、昔みたいにバスで行くわと言ったら、この前といっしょやなと笑われた。前回は駅から歩いて道を間違え、お経がはじまってから到着して、センチメンタル・ジャーニーやってる間に迷ったんやと言い訳したのを覚えてたってわけ。
今日は慎重に梅田のバス停の場所と発車時間を調べておいた。バスに乗って窓から外を眺めながらの40分の旅だった。小銭もちゃんと用意してたし降りる場所も間違えず。

お経が長い上に説教も長いのを聞きつつ、義兄のことを回想していた。大正の末に生まれて、大阪で働き出したときに赤紙がきて中国戦線で戦って戦後復員した。戦線の話はせずに桃源郷って言葉はほんまやでと桃の林が美しかったことや、上官の馬の世話係をやっていたことなどを話してくれた。わたしも若かったからそれ以上のことを聞けなかった。

お昼は近所の和食店で懐石料理を食べながら姪ふたりとこどもたちとしゃべって笑った。今度彼らと会うのは姪の夫の三回忌である。

早朝の地震

昨夜は映画を見て、会報づくりをちょっとやってから日記を書いた。そしてお風呂に入って髪を洗って乾くのを待ちながら本を読むことにした。半身浴のせいで冷えていた足が温まったのはいいが痒くなり、本を読みながらばりばり掻いていたらおさまってきたのでようやく3時半ぐらいに横になった。痒くなるのはかなわんけど、温まったという体からの合図なのでオーケーなのだ。
そのまま一直線で夢の世界に入っていった。最近ときどき寝付きが悪いことがあるが、寝てしまえばぐっすり眠れる。どんだけ楽観的なやつか自分でもおかしい(笑)。

ぐっすりと眠っていると地震だった。ちょっとした揺れならさっと起きるのだが、今朝は揺れが大きかった。そのまま仰向けで運命を待ち受けていたが、かなり揺れたあと止まった。ああよかったと、起きてツイッターを読んだら続々と地震の報告が入っている。わたしもちょこっと書いておいた。
あとからyahoo! japanの地震情報を見たら、震源地は淡路島、深さ10kmとあった。大阪市は震度3となったが、体感震度は4だったよ。
時間が阪神大震災のときと同じくらいだったからよけいに感じたのかもしれない。あのときは片側の壁全面が本棚で上段の本が飛び落ちてきたっけ。
そんなことを思い出しながらまた眠りに落ちた。

父の思い出

昨日の夕方姉から電話で明日は寒いらしいよとのこと。明け方は0度になって昼間になっても4度とか。ほんまに12時過ぎたらぐっと冷えてきた。暖房費がコワイ。
午後買い物に出かけたら少しだが雪が舞っていた。マスクしてメガネかけて、帰ったらコートのホコリを払うのを忘れずに。
ホコリを払うので思い出したが、わたしの父親はきれい好きだった。古本や古レコードを買ってきたら雑巾で心ゆくまで拭いていた。こどもたちが帰ってくると外に立たせてハタキで払うのが習慣だった。掃除機がない時代は風向きを見て箒を使う。こどもたちは掃き終わった風上に移動させる。コートや上着は脱いで外で払う。
最近のわたしは洗濯物をとり入れるとき1枚1枚振っている。お父ちゃんとおんなじことをやってるやんかと思い出し笑い。そういえば風向きを毎日気にしている。父親は箒をどっちむけて掃くかだったけど、わたしは舞州からの風向きを気にしている。

晩ご飯は湯豆腐、その前に少々お酒を飲んだ。酒の肴は、新たまねぎの薄切りにかつお節とポン酢醤油をかけたのとたまねぎの葉と薄揚げを炊いたんと酢れんこん。湯豆腐は菊菜だけ入れ、最後は春雨。そして玄米ご飯。最後に煎茶で京都の山清水ってお菓子を食べてまんぞく。

まちあそび復活

昨日は本を読みヴィク・ファン・クラブの会報をせっせとやったが、足腰が弱っている感じで買い物にも行かなかった。風邪引きくらいでナンギなことやとがっくりだった。腕振り体操するのもしんどい。
今日は起きたときから元気で腕降り体操は200回。朝食は食べないので紅茶とビスケットを朝食代わりにして朝食後の薬を飲んだ。

昼ご飯を食べて片付けた。
さあ、元気だぞ、街歩きに出るぞ。
歩いて南船場へ行って、年末から行こうと言っていた相方が見つけたパンとケーキの店で、おいしいコーヒーとチョコレートケーキを食べた。道に面したテラス風なところに大きなストーブがあり、膝掛け毛布が用意してある。ケーキのチョコレートがすごくボリュームがあってうまかった。ここはパンもうまい。

バケットなどパンを買って、すぐそばのオーガニックカフェ&オーガニック食品店へ。相方が野菜や玄米を買っている店だ。カフェでオーガニックワインを頼んで和んだ。
自分らのお土産に店先で焼いている安然芋の焼き芋を買った。

お土産にマスク!

今日は天気がよかったが風が冷たくて寒かった。明日は午後から雨らしく、28.29・30日と連続して雨らしい。さっき洗濯して干したところ。雨が降り出すまでにいくらか乾いてほしいなあ、ほんまに冬は洗濯物を乾かすのに苦労する。

午前中に百貨店で頼まれた買い物してお昼前に姉の家に着いた。午前中はリハビリに行ってるから入って猫の相手をしていてと言われていたので合鍵で開けて入った。猫が2匹行儀よく玄関に座って待っていて、開けたらさっさと外へ出て行った。

天気がよいので布団干し、場所を開けるために物入れの整理、買って行った水了軒のお弁当を食べて、京菓子を食べて、しゃべりながら背中のあんま。あとはテレビで黒柳徹子のトークと2時間もの推理ドラマを見てしゃべっていた。

焼却のことを知らなかった友人が、先日の試験焼却の日になぜかわからないままに喉をやられマスクを買いに走った。次いで目がおかしくなったので、メガネをかけたらちょっとマシだったから今度はゴーグルかと笑っていた。
本焼却が近いと教えたら「ほなマスクを買うとかんとあかんな、絶対品薄になるで」という。うちはまず、体の弱い高齢の姉に60枚入りのマスク1箱をお土産に持って行った。大変な時代になったものだ。

大阪・本焼却前、住民説明会。 平成25年1月16日(水)19時〜20時30分。大阪市立此花区民ホール。 受付18時〜
大阪市のサイト「東日本大震災により生じた廃棄物の試験処理結果及び本格処理にかかる説明会を開催します」

わたしの大阪地図 千鳥橋

昨日「木下黄太講演会 7月17日 此花」があって、千鳥橋の此花区民ホールへ行った。千鳥橋へ行ったのは何十年ぶりになるかしら。西区に越してきた当時、散歩で足が伸び、気がついたら千鳥橋の駅のそばだったことがある。方向オンチの散歩は思っていなかったところへ着地する(笑)。それだって30年も前のことだ。そこから尼崎まで電車に乗って梅田行きに乗り換えて、千船で降りてみた記憶がある。長い散歩だった。
そのころの駅はまだ古いままだったからすぐにわかった。いまは高架になって駅前は知らない町にきたようだ。

ずっと昔、西淀川区で働いていたとき仕事でよく千鳥橋まで行った。通勤は梅田から阪神電車に乗り千船で降りた。会社から用事で千鳥橋に行くときは出来島駅から車両数の少ない線に乗った。あれは何線と言ってたかしら。伝法線? 検索したらアタリ! 千鳥橋には労働基準監督署と職業安定所があったように記憶している。阪神本線と同じ神崎川と淀川を越えるのだが、ずっと川下のほうになる。いまは千鳥橋から難波まで線路ができて、奈良や松阪まで行く電車を昨日見てびっくりした。いま路線図を見たら伝法(でんぽう)、福(ふく)、出来島(できじま)、大物(だいもつ)と懐かしい駅名が並ぶ。

職業安定所では友人が求人係をしていたので用事をつくって行ったものだ。世話好きな彼女のいうなりに横にちょこんと座って職の世話もしてもらった。結局は転職しなかったが。彼女は学者の卵と結婚したが若くして亡くなった。

今度は時間をたっぷりとってセンチメンタルジャーニーしようと思うが、いつも思うばかり。