四方田犬彦さんの『心ときめかす』を心ときめかせて読んでいる

翻訳ものばかりに気を取られて100冊以上の本を出しておられるというのにお名前もろくに存じあげなかった。去年手にした2003年発行の『ユリイカ』吉田喜重監督特集号で四方田さんが書いた「母の母の母」を読んで論理的な人やなと思ったのが最初である。それ以来、吉田喜重、蓮實重彦、四方田犬彦をわたしは先生と呼んでいる。
そんなときに姉が購読している『波』で四方田さんのインタビューを読んだ。今年出た本『母の母、その彼方に』についてである。えっ、箕面!!

その前にアマゾンの中古本でこれはと買ったのが『ハイスクール 1968』だ。まず、これをと読み出して一通り読んだときに『母の母、その彼方に』を買ってきた相方にとられた。わたしらにとっては1968年は忘れられない年である。きっと四方田さんもと思ったが、わたしらよりもずっと若くてハイスクールのときだったのだ。いろんな人の経験談や回想や自慢話を聞いたけれど、高校生だった人の話は聞いていない。非常に勉強になった。

いままでに読んだ本
『赤犬本』(扶桑社 1993)〈図書館〉
『ハイスクール 1968』(新潮社 2004)
『歳月の鉛』(工作社 2009)
四方田犬彦・鷲谷 花 編集『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(作品社 2009)
『女神の移譲 書物漂流記』(作品社 2010)〈図書館〉
『人、中年に到る』(白水社 2010)〈図書館〉
『母の母、その彼方に』(新潮社 2016)
いま注文中『ひと皿の記憶 食神、世界をめぐる』(ちくま文庫 2013)

いま読んでる本『心ときめかす』(晶文社 1998)〈図書館〉
平野甲賀さんの装丁になる美しい本で文字も読みやすくてうれしい。四方田さんが心ときめかすものってなんだろう。『枕草子』がいちばん先にある。やっぱり普通に語ってはいない。ノスタルジックな歌『ペィチカ』についての真実をはじめて知った。そして『アリラン』の真実をいままで知らなかった。
「蜜の歴史ー矢川澄子」は大好きな森茉莉のこと。フランス語に「神聖なる怪物」という言葉があって、コクトーやオーソン・ウェルズのような大芸術家たちを指すそうだ。四方田さんの見るところでは日本の文学者ではたった二人しかいなくて、三島由紀夫と森茉莉だという。
こんなふうに「心ときめかす」ことがたくさん書かれたエッセイ集である。さあもう少し読んでから心ときめかしつつ寝るとしよう。
(晶文社 1900円+税)

心ときめかす
心ときめかす

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四方田 犬彦
晶文社
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中原昌也 自伝『死んでも 何も残さない』に付箋を貼った

引用(130ページ)
【 貧乏な都会っ子は不幸だ。共感は得られないし、生まれ変わることもできない。世界中のモノや情報が腐るほど視界に入ってきても、結局、手に入れることができない境遇。寂しくて、みんなが好きでないマイナーなものに想いを寄せるしかなかった。田舎にいたら、マンガやヤンキーに行ったのかもしれないけれど、バブルの頃の東京には何もかもがある不幸があった。】

付箋を貼っておいたのに昨日は見逃していた。
いい言葉というより、わたしのことを語ってくれている言葉だと思った。うまいこというなあ。わたしは彼よりもずっと年長だけど、生まれも育ちも不幸な貧乏な都会っ子である。そして、そういうことをいう年齢を過ぎても言える貧乏という特権を手放していない。
死んでも、なにも残っちゃいないよ。

中原昌也 自伝『死んでも 何も残さない』

先日の午前中にNHKラジオ第一放送をかけたら「すっぴん」アンカーの藤井彩子さんと話していたのが本書の著者中原昌也さんだった。たしかテキーラの飲み方についてが話題だった。ヘンな面白い人だなあと聞いていたら作家だとのことで、さっそく検索したのが発端だった。
たくさん本を出しておられ、先日「伯爵夫人」で話題になった三島由紀夫賞を2001年に受賞している。アマゾンでつらつら眺めて単行本で安い本を探して、いちばん安く手に入る単行本が本書だった。中原昌也 自伝『死んでも 何も残さない』(2011 新潮社)
さっそく注文したのがおととい到着。表紙とカバーにかわいいイラストがあり、特にカバーは真っ赤な地に黄色いクマさんのイラストがかわいい。前は前向き、後ろは後ろ向きのランドセル背負ったクマさん。

昨日と今日で読んでしまった。
小説と思って読み出したので違和感あり。それであちこちしてから最後のページを見たら「本書は著者の談話を編集部が構成したものである。」とあった。それで納得しておもしろく読んだ。

本書がおもしろいのは東京育ちの子供時代を経て高校中退にいたる親子関係、そして音楽関連のことを淡々と語っていること。バイトしても東京の子のおっとりしたところとちゃっかりしたところがあっておもしろい。四方田犬彦さんについで東京で育った男子の生態がわかった。

彼が活動していた1990年代、2000年代はわたしはもう音楽を聞くことを卒業していたので「暴力温泉芸者」というバンド名は知っていたけど聞くことはなかった。

次は小説を読もうと思う。それにしても知らない作家が多すぎる。

蓮實重彦『伯爵夫人』をもう一度

『緋牡丹博徒』のシリーズを4日連続で見て疲れた。映画を見終わってから検索して登場人物やストーリーを確認して一応の感想のごときものを書いて、そのことをくっちゃべって、寝るまで大変。しかも昨日とおとといと三島由紀夫賞を蓮實重彦さんがもらって記者会見というのがおもろいと知ってネットで探して見た。おとといはニコ動で蓮實さんの会見の様子、昨日はその前の町田康氏の記者会見。両方見たから蓮實さんの態度もよくわかった。

わたしは○○賞というのに興味がない。新聞をとるのをやめたら○○賞があることさえわからない。それでも去年の芥川賞の騒ぎは伝わってきて中継を見た。又吉さんは感じの良い作家さんでお話を楽しめたし、姉に『文藝春秋』を借りて読んだ。容姿が気に入った直木賞の東山彰良『流(りゅう)』を買って読んだが、こっちもおもしろかった。

今年はまた無関心にもどっていた。そこへ三島賞。賞よりも先に作品を読んだ。
蓮實さんの小説を読みたいと思ったのは、最近よく読む吉田喜重さんの本に書いておられる文章が気に入っていたのと、『伯爵夫人』は「エロい小説」という噂を聞いたから。『新潮』を買って読んだら長い小説なのにやめられないおもしろさ。おもしろいし猥褻な言葉が出てくるけどエロくはない。その点がもの足りないとわたしは思った。エロくないと思ったのはひょっとしてわたしだけかもしれないが。

第二次世界大戦が始まるその日のその夜のもの苦しさが伝わってくる。何者だったのか伯爵夫人が去っていった。これからもう一度読む。
(新潮4月号 954円+税)

またまた四方田さんの本 『人、中年に到る』

四方田さんの本をしつこく読んでいる。
わたしの仕事コーナーに本が積み上がった。買った本が何冊になったかなあ。まだ10冊はないなあ。図書館で借りた本が3冊ある。読んで気に入ったら買う。
わたしは図書館で借りるより古本でいいから買うほうである。自分のものにした本がいとしい(笑)。それでいて読み終わると人に貸したりあげたりするのだが。置く場所がないから「これっ」と思わない本は泣く泣く処分する。

今日目が覚めて読んだ本は図書館で借りた『人、中年に到る』(白水社)である。この本も自分で持っていたい。
いい言葉があったので引用。
【だが書物などその土地の図書館に行って読めばいいと嘯(うそぶ)く者たちには、わたしが長年慣れ親しんできた書物の物理的実在から立ち上がるオウラを理解することはできないだろう。書物とは情報の束でもなければ、文字の収蔵庫でもない。それは読むという意思に応えるために物質的に結晶した、書く意思にほかならない。】

今日アマゾン中古本から届いた本は、四方田犬彦・鷲谷 花 編集『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(2009 作品社)。少々汚れていてもいいやと思ったが、まるで新本のようにきれいでうれしい。ちょっと開いたら「緋牡丹お竜」についての一章があった。お竜さんの映画は全部見ている。日本映画はよく知らないのでここから入り込むことにしよう。四方田さんの文章タイトルは「女の戦いはなぜ悲しいのか」である。ぐさっときた。

四方田犬彦『歳月の鉛』からちょっとだけ

読む前から覚悟していたが、この本は暗い。この本だけを長時間読んでいるのはしんどいので、他の本を混ぜながら少しずつ読んでいる。今日は気に入った一箇所についてだけ書いておく。

本書が書かれている時代は先日読んだ『ハイスクール 1968』のあとになる。高校生だった筆者は東大へ進学しようとして受験に失敗し予備校へ通い、一年後には合格して東大生になった。1970年代の学生生活の暗さが言葉から立ちのぼってくる。

本書の出版は2009年で「あとがき」には【1970年代とは文字通り、停滞のなかで両手両足を縮めながら、いかにして生き延びるかを模索していた時間であった。】とある。そして本書を書くにあたってこの時代に書き続けたノートを読み直して当時の感情を回復した。わたしはいま73章のノートからの引用が挟んであるのを読んでいるところだ。

途中で気がついてにやっとした箇所がある。
引用の(23)はポール・ニザンについて。20歳のニザンは融通の利かない社会にうんざりしてアデンに向かった。そこで少しニザンと旅について説明をしたあと、【生きるとは旅行をすることではなく、慎重にひとつの場所に辛抱強く定着するということなのだ。真実を得るにはじっと待ち伏せしていなければならないのだ。】とある。
そうや、そうやとわたしはつぶやき、そして大声で言った。「四方田さん、若いときにもうわかってはったんやなあ」
とても有益なというか我が意を得たりの読書をしていると思うと楽しい。
(工作社 2009年5月発行 2400円+税)

四方田犬彦『ハイスクール 1968』

楽しい読書だった。さきに『母の母、その彼方に』を読み終わっているのだが、高校生時代を描いた本書のことを先に書くことにした。手に入れたのも先だったし。
ちょっと前に書いたけど、こんなにたくさん本を読んだり買ったりしているのに四方田さんのことを長いこと知らなかった。2年ほど前に『ユリイカ』の吉田喜重監督特集に書いておられるを読んでええこと書いてると思ったのが最初である。彼の映画の本を買おうと思いながら買ってなくて、新潮社の『波』4月号に出ている紹介記事とインタビューを読んで、こりゃ買わねばと思った。
買う前に著書を調べたら100冊もあって、その中で気に入ったタイトル『ハイスクール 1968』(2004)を中古本で買った。読み出したら相方にとられ、わたしは『母の母、その彼方に』を読んでいたのだがこれがすごく気に入った。それからもどってきた本書を昨日今日で読んだ。これもまたおもしろくて、なんでいままで知らなかったんだろうと不思議でしかたない。

四方田少年は1968年4月に東京教育大学農学部附属駒場高等学校に入学した。その前の年に大阪の箕面から東京杉並区に引っ越してきたのだ。西洋風の家の庭には芝生が植えられ、薔薇のアーチがあり庭の隅の井戸からはこんこんと水が湧き出ていた。少年は2階の一室を自分だけの部屋として与えられた。窓からは隣家との境界に欅の木と池がよく見えた。
時代はベトナム戦争のさなかで、ボリビアではチェ・ゲバラが処刑され、シナイ半島はイスラエルの奇襲作戦で占拠されていた。
日本はアメリカ、西ドイツについで世界第3位の国民総生産を誇り、米はあまるほど収穫されピアノの生産台数は世界一に達していた。

少年が振り分けられたクラスの半分ほどは附属中学組、その他は厳しい受験勉強をして合格した生徒たちでなりたっていた。
それからの学生生活と学友たちのことを興味ふかく読んだ。
特に高校紛争について詳しく語られているのが興味深い。
そして、高校生で!! 文学とジャズと映画への傾倒が羨ましい。ビートルズのことも。
(新潮社 2004年2月発行 1600円+税)

サラ・ウォーターズ『荊の城 上下』

サラ・ウォーターズの作品をぼちぼち読んでいる。
長編小説は全部で6冊。1作目だけが訳されていない。あとの5冊は中村有希訳で創元推理文庫で出ている。
(1) Tipping the Velvet (1998)
(2) 半身 (1999)
(3) 荊の城 (2002)
(4) 夜愁 (2006)
(5) エアーズ家の没落 (2009)
(6) 黄昏の彼女たち (2014)

『半身』が未読。『夜愁』はだいぶ前に図書館で借りて読んだ。これから『半身』とともに買って読むつもり。
このブログにはいまのところ『黄昏の彼女たち』だけしか感想を書いてない。

『荊の城』の感想。
19世紀のロンドンの下町、持ち込まれた盗品などの故買で稼ぐイップス親方のもとで、捨て子のスウは養母サクスビー夫人に育てられて成長した。サクスビー夫人は捨て子や思わぬ妊娠で生まれた子供を預かって育て、子どもの欲しい人に売っていた。
スウはすばしこくスリやひったくりが得意な少女に育った。
ある日、古い知り合いの紳士を気取るリチャードがやってきて仕事を持ちかける。ブライア城に入り込んで、令嬢と結婚して全財産をせしめる計画である。スウにはその計画がうまくいくように召使として同行し手助けしてほしいという。財産をせしめたら令嬢は精神病院に入れてしまう。スウには礼をたっぷりやる。

令嬢は叔父とたくさんの召使と大きな城で暮らしているがほとんど幽閉状態である。スウはすぐに令嬢のモードに取り入るが、その孤独な生活に同情してしまう。このままでは精神病院に閉じ込められると教えてもモードは逃げるとは言わない。
精神病院に連れ込むために男たちがやってきたが、令嬢として連行されたのはスウだった。モードとリチャードは最初から、結婚を前提の遺産を手に入れるためにスウを犠牲にするつもりで計画を練っていたのだ。
スウはモードとして精神病院に閉じ込められる。
きつい病院生活、そして脱走し、ロンドンにもどる。

スウの出生の秘密、モードと叔父の間の秘密の生活、スウが慕っているサクスビー夫人の秘密、そして、スウとモードとの愛はどうなるのか。
ディケンズを思わせるロンドンの下町の生活。公開絞首刑のシーンもあり。
(中村有希訳 創元推理文庫 上下とも940円+税)

田村隆一『半七捕物帳を歩く』

子どものときに読んだ本って忘れないものだ。忘れてしまった本は覚えてないのね。『半七捕物帳』を読んだのは中学のとき。色っぽいしぐさの描写が気に入ったし、粋な会話も気に入った。それから何度読んだかわからないくらい読んでいるが、半七親分いまも大好きである。
最近読んだのはiPhone3Gを買ったときだから2008年か、使い方がよくわからなかったけど持ち歩いて青空文庫の『半七捕物帳』を読んでいた。出先(ライブの待ち時間とか)ではiPhoneで読み、帰って続きをMacで読んで江戸情緒を楽しんだ(笑)。

どんなミステリにも言えるけど、『半七捕物帳』は半七の性格や推理力や言葉遣いの魅力で惹きつけられる。そしてあっと言う間に江戸の雰囲気になじむ。そしたらもう虜になってしまう。傘を持って家を出て雨が降らないと「傘がお荷物か〜」と半七調でつぶやくようになる(笑)。

そんな半七ファンだから、好きな(最近好きになったばかりとはいえ)詩人が『半七捕物帳を歩く』のを知ったからには読まないとね。
本書は1980年出版だからもう35年経っている。35年前の東京で江戸を探って、そのときに変わったと書いているところはすでに大変わりしてるだろう。江戸を感じたところだってもうないだろうな。
わたしは東京生まれだけど学齢前に大阪に引っ越したので東京の記憶はほとんどない。でも一応わたしのふるさとの土地を歩く詩人の言葉をありがたく読ませてもらった。よく歩くが、よく酒を飲む詩人だ。すごく楽しんで読んだ。
(田村隆一全集第4巻 河出書房新社 4500円+税)

パトリシア・ハイスミス『キャロル』と吉屋信子『屋根裏の二處女』

『キャロル』がいいと友人と話していたら、日本には吉屋信子がいると言ってくれた。忘れてたわ、吉屋信子を。そのときは覚えていなかったが突然うちに『屋根裏の二處女』があるのを思い出した。探し出したらまだまだきれいな箱入り本で『花物語』といっしょに入っている。(吉屋信子全集 1 朝日新聞社 昭和50年(1975)発行)
久しぶりだから両方とも読もう。お正月に読む本がまた増えた。ハイスミスのリプリー・シリーズ3冊とどっちを先に読もうか。
(リプリー・シリーズは『太陽がいっぱい』『アメリカの友人』『死者と踊るリプリー』の3冊を正月用に買ってある)

『屋根裏の二處女』は大正8年(1919)に書かれた本で、『キャロル』は1952年である。どちらもかなり前に書かれたものだけど、いきいきした愛の姿が美しい。
どちらも二人の女性どうしの愛の姿が美しく描かれている。優しく美しいだけでない力強く生き抜こうとする二人。前途多難はわかっているけど、もう向かっていき闘っていくしかない立場を選んだ。

キャロル (河出文庫)