サラ・ウォーターズ『荊の城 上下』

サラ・ウォーターズの作品をぼちぼち読んでいる。
長編小説は全部で6冊。1作目だけが訳されていない。あとの5冊は中村有希訳で創元推理文庫で出ている。
(1) Tipping the Velvet (1998)
(2) 半身 (1999)
(3) 荊の城 (2002)
(4) 夜愁 (2006)
(5) エアーズ家の没落 (2009)
(6) 黄昏の彼女たち (2014)

『半身』が未読。『夜愁』はだいぶ前に図書館で借りて読んだ。これから『半身』とともに買って読むつもり。
このブログにはいまのところ『黄昏の彼女たち』だけしか感想を書いてない。

『荊の城』の感想。
19世紀のロンドンの下町、持ち込まれた盗品などの故買で稼ぐイップス親方のもとで、捨て子のスウは養母サクスビー夫人に育てられて成長した。サクスビー夫人は捨て子や思わぬ妊娠で生まれた子供を預かって育て、子どもの欲しい人に売っていた。
スウはすばしこくスリやひったくりが得意な少女に育った。
ある日、古い知り合いの紳士を気取るリチャードがやってきて仕事を持ちかける。ブライア城に入り込んで、令嬢と結婚して全財産をせしめる計画である。スウにはその計画がうまくいくように召使として同行し手助けしてほしいという。財産をせしめたら令嬢は精神病院に入れてしまう。スウには礼をたっぷりやる。

令嬢は叔父とたくさんの召使と大きな城で暮らしているがほとんど幽閉状態である。スウはすぐに令嬢のモードに取り入るが、その孤独な生活に同情してしまう。このままでは精神病院に閉じ込められると教えてもモードは逃げるとは言わない。
精神病院に連れ込むために男たちがやってきたが、令嬢として連行されたのはスウだった。モードとリチャードは最初から、結婚を前提の遺産を手に入れるためにスウを犠牲にするつもりで計画を練っていたのだ。
スウはモードとして精神病院に閉じ込められる。
きつい病院生活、そして脱走し、ロンドンにもどる。

スウの出生の秘密、モードと叔父の間の秘密の生活、スウが慕っているサクスビー夫人の秘密、そして、スウとモードとの愛はどうなるのか。
ディケンズを思わせるロンドンの下町の生活。公開絞首刑のシーンもあり。
(中村有希訳 創元推理文庫 上下とも940円+税)

G・K・チェスタトン『ブラウン神父の知恵』

昨日話題にした『半七捕物帳』とブラウン神父ものはよく似ているとさっき『ブラウン神父の知恵』を読みながら思った。時代は半七のほうが古いが、どちらも「古き良き時代」という感じがするところが似ている。

「賢い人物は、木の葉をどこに隠すかね?そう、森の中だ。森がなければどうすればよい?簡単だ、森を作れば良いのだ。」(ピクシブ百科事典「ブラウン神父」より)

こどものとき家にあったブラウン神父の物語を読んだ。おもしろくないのだがヘンな魅力があったように思う。それから10年以上経って花田清輝が評論集の中で上に引用した「木の葉を隠すのは森の中」を語っているのを読んでブラウン神父を懐かしく思い出したのだった。でもずっと本は読まず、たしか『ミステリマガジン』の短編特集号みたいなのに載っているのを2・3編読んだだけだった。
今回新しい訳本が出ているのを知らなかったが、偶然懐かしい本屋で見かけて買った。縁があったんだ。

G・K・チェスタトン(1874–1936)ロンドン生まれ。本書にブラウン神父が最初に登場するところを引用。「自分の帽子と蝙蝠傘を、大荷物のようにもてあましている風だった。・・・帽子が絨毯に転がり落ち、重い蝙蝠傘が膝の間をすべってドスンと音を立てた。持ち主は手を伸ばして片方を追い、身をかがめてもう片方を拾おうとしながら、真ん丸い顔に変わらぬ微笑を浮かべて、・・・」ユーモラスな神父さんがおそるべき推理力で事件を解決する。
(南條竹則/坂本あおい訳 ちくま文庫 760円+税)

田村隆一『半七捕物帳を歩く』

子どものときに読んだ本って忘れないものだ。忘れてしまった本は覚えてないのね。『半七捕物帳』を読んだのは中学のとき。色っぽいしぐさの描写が気に入ったし、粋な会話も気に入った。それから何度読んだかわからないくらい読んでいるが、半七親分いまも大好きである。
最近読んだのはiPhone3Gを買ったときだから2008年か、使い方がよくわからなかったけど持ち歩いて青空文庫の『半七捕物帳』を読んでいた。出先(ライブの待ち時間とか)ではiPhoneで読み、帰って続きをMacで読んで江戸情緒を楽しんだ(笑)。

どんなミステリにも言えるけど、『半七捕物帳』は半七の性格や推理力や言葉遣いの魅力で惹きつけられる。そしてあっと言う間に江戸の雰囲気になじむ。そしたらもう虜になってしまう。傘を持って家を出て雨が降らないと「傘がお荷物か〜」と半七調でつぶやくようになる(笑)。

そんな半七ファンだから、好きな(最近好きになったばかりとはいえ)詩人が『半七捕物帳を歩く』のを知ったからには読まないとね。
本書は1980年出版だからもう35年経っている。35年前の東京で江戸を探って、そのときに変わったと書いているところはすでに大変わりしてるだろう。江戸を感じたところだってもうないだろうな。
わたしは東京生まれだけど学齢前に大阪に引っ越したので東京の記憶はほとんどない。でも一応わたしのふるさとの土地を歩く詩人の言葉をありがたく読ませてもらった。よく歩くが、よく酒を飲む詩人だ。すごく楽しんで読んだ。
(田村隆一全集第4巻 河出書房新社 4500円+税)

レーナ・レヘトライネン『雪の女』(2)

エリナの背中には大腿部の後ろ側と背中と臀部に擦過傷と青あざができていた。まだ息のあるうちに意識を失った状態でついたものだった。何者かがエリナを引きずって森へ入って行き木の根元に運んだと推測できる。
同僚のペルツァがづけづけいう。「おまえの大好きな仕事じゃないか、カッリオ。おまけに、真性のフェミニスト集団の事情聴取ができるときた」しかも今日の事情聴取にはおれがつくことになったと満足げ。

館にいるヨハンナは古レスタディウス派の宣教師の妻で、教義により避妊も中絶もせずに9人のこどもを産み育ててきた。最後のこどもを母体が危ないということで中絶したのだが、その支えとなったのがエリナだった。ヨハンナはエリナを雑誌とテレビで知って連絡したという。ヨハンナは夫がエリナを殺したと確信をもっている。夫は自分を神の道具だと思っているから、自分のこどもを殺したエリナを罰したと。

詩人のキルスティラとエリナは2年ほど前に男性性に関するセミナーで知り合った。まるっきり意見の食い違うふたりは列車やレストランで話を続け、最後はキルスティラの部屋に泊まって恋人同士になった。

州刑務所からハルットウネンが脱獄したという連絡があった。マリアと同僚のパロが追いつめて捕まえた男だ。ハルットウネンは自分を捕まえた警察官のひとりが女性だったことに強い憎悪を抱いている。拳銃を持ち歩くことにしたというパロがハルットウネンに人質にされてしまう。ほんとうは女性の自分を人質にしたかったろうとマリアは思う。
捜査に向かうマリアを夫のアンティは気遣う。マリアが後先考えずに走ってしまうから。

そんな忙しさの中で妊娠検査薬を買ってくる。避妊効果は100%でないと避妊リングに書いてあった。医者に行くとやっぱり妊娠していてマリアはこどもを生もうと思う。
(古市真由美訳 創元推理文庫 1200円+税)

レーナ・レヘトライネン『雪の女』(1)

創元推理文庫を買うと去年の末頃から北欧ものばかりを集めた広告が入っている。そのどれもがおもしろそうだ。そんなときに友だちのメールでレーナ・レヘトライネンの「雪の女」を一押しされた。先日梅田を通ったときに紀伊国屋で探したらすぐに見つかった。

今回はフィンランドの女性警察官ものである。フィンランディアくらいしか知らないフィンランドになじめたらうれしいなと読み出した。
首都ヘルシンキに近い海に面した街エスポー、西にはスウェーデン、南にはエストニア、ラトヴィア、リトアニアがある。最近の読書でかなりこのあたりのことがわかってきているので入りやすかった。
本書はマリア・カッリオが主人公のシリーズの4册目で、前の3冊ではいろんな職業についているが、本書からはエスポー警察の一員となり、仲間たちと経験を重ねていくようだ。次の作品の翻訳が決まっているそうなので楽しみ。

エスポー警察の巡査部長マリア・カッリオは大学に勤務しているアンティ・サルケラと結婚している。ふたりの結婚式のシーンから本書ははじまる。アンティの姉さんに姓について聞かれて、アンティは「ぼくたち、夫婦別姓にしたんだよ」と答えた。

セラピストのエリナ主催の講座にマリアは講師としてロースベリ館に招かれる。館の壁や庭がバラに覆われているロースベリ館は男子禁制のセラピーセンターとして知られている。エリナのおばアイラもここに住んでいる。
20人ほどの女性たちを前にしてマリアは気持ちよく話し終える。

数週間後、マリアが家で休暇を過ごしているところへ署から電話があった。ロースベリ館のアイラからでエリナがいないという。館にいたのはわけありの女性ばかり数人。エリナには詩人の恋人がいたのもわかる。数日後、ガウン姿のエリナの死体がスキーヤーによって発見された。

マリアはどことなく体がだるい。避妊リングをつけているのに生理が遅くなっているのが気になる。
(古市真由美訳 創元推理文庫 1200円+税)

昔の知り合いと出会ったような『k u : n e l』

『週刊現代』を買いに行ったら『k u : n e l』5月号が目についた。前号が良かったので迷わずに買った。わたしのお小遣は雑誌代で消えていきそう。でもね、表紙が甲田益也子さんである。一目でわかった。わたしが『アンアン』を買っているころに表紙やファッションページでよくお目にかかっていた。82年から専属モデルだったんだって。
その他、淀川編集長の知り合いや仕事仲間だった人たちだろう、一読者のわたしすら懐かしい人がいっぱい載っている。
その土台の上に新しい人たちによる記事がある。いまを彩る新しいお店の記事や広告がある。天然の山ぶどうの蔓を時間をかけて加工し丹念に編んだ逸品という手さげかごが欲しいと思ったが72,000円ではカンケイない(笑)。

料理記事がたくさんある。エプロン男子の松浦さん「料理をすればするほど、自分が成長し、すてきになっていくように思える、とは言い過ぎでしょうか。料理をすることによって、自分が食べたいものを、自分で作るという自由は、素晴らしき暮らしの経験です。」と書いている。「料理をすれば、たいていの問題は解決する。」とも書いている。
(マガジンハウス 722円+税)

波屋書房で買ったG・K・チェスタトン『ブラウン神父の知恵』

先日久しぶりにミナミの映画館に行ったとき、目的地に近いところの本屋さん「波屋書房」があるか確かめた。ちゃんとあってほっとしてなにか欲しい本があればいいなと中に入った。昔と同じように入ったところにはプロが読む料理本がものすごくたくさん置いてあって懐かしい。
レジにはご老人と若者がいた。レジの後ろ側に文庫本があるのを見ていたら翻訳ミステリがあった。『その女アレックス』と『悲しみのイレーヌ』が平積みしてあって棚にもいろいろ並んでいる。これ新刊やったなと.G・K・チェスタトン『ブラウン神父の知恵』(坂本あおい/南條竹則訳 ちくま文庫 16年1月発行)を買った。新刊だけど古風なところが波屋書房に合っていると思って。

ブラウン神父ものを読んだのは何十年ぶりだろう。子どもの時以来だ。そうそう生意気時代にミステリを離れてフランス文学や難解な評論集などをかじっていたとき、花田清輝さんがブラウン神父を持ち上げたエッセイを書いていたっけ。こんなジャンルにも明るいぞと得意げに語る花田清輝さんに憧れた。一度講演会でお話を聞いたことがある。話しながらハンカチを広げては丸めてた。

『ブラウン神父の知恵』久しぶりに読んだけどおもしろかった。新訳だから読みやすかったのかな。

明日は本を買いに行きたいな

これから読む本が山積みしているが新刊書の広告を見ると買いに行きたくなる。ここ数年は新刊でないがすぐに読みたい本をアマゾンの中古本で買っている。でも基本的には本屋で本を買うのが好きなので新刊書は本屋で買う。買った本を抱えて帰るのが好き。老眼鏡を出すのが面倒なので、昔のように帰りの電車でちょっと見ようというのはなし。地下街の喫茶店になじみがなくて結局素通りすることが多い。高島屋を出たところに昔からある喫茶店は好きだけど、ジュンク堂からは遠いし。

いま欲しい本はついこの間発行の『二都物語(上下)』(ディケンズ 池央耿 訳)である。ツイッターの「光文社古典新訳文庫」をフォローしているので「新刊お知らせ」に気がついた。『二都物語』は昔読んだままで忘れていたのを去年あたりからまた読みたいと思っていた。いま読んでいるサラ・ウォーターズ『エアーズ家の没落』はディケンズの香りがするからよけいに読みたくなる。
他にちょっと読んでみたい本は『美術手帖』4月号(特集メンズ・ヌード)。対談:湯山玲子×金田淳子「眼差される男のハダカ」どんなんやろと興味しんしん。
明日はちょこっと難波ジュンク堂まで本を買いに行きたいなあ。

花の名前は連翹(れんぎょう)だった

昨日、田村隆一の『詩人のノート』を姉に渡したら、えらく感慨にふけって本を撫でまわしていた。そして本の最後の章に「連翹」とあったはずと確信を持っていう。
先日の花束のフリージャを見たときにいっしょにあった水色の花「デルフューム」を指して言ったのは間違いで、黄色からの連想で「連翹」というつもりだったようだ。木や花についての記述はあるけど、一章が「連翹」というのはないので記憶違いだろう。

ところで、わたしのほうは本を渡してしまったので、ちょっと宙ぶらりんになったところへ、おととい相方が図書館で『詩人のノート』が入っている『田村隆一詩集』第2巻を借りてきてくれた。今日はずっと読んでいたけど他のもおもしろいので全巻借りてくるかと言っている。
第4巻には「ミステリーのたのしみ」「半七捕物帳を歩く」「ミステリーについて」「アガサ・クリスティへの旅」が入っているから必読だ。いまごろなにをぬかすか(笑)だが、いい機会だから生かさなければ。
姉の脳細胞の奥に隠れていた黄色い花の記憶と『詩人のノート』の記憶が合致して蘇った春。

田村隆一『詩人のノート』

先週の木曜日に頼まれていた買い物をして姉の家に行った。お土産に持っていった花束を見て花の名前を聞かれた。フリージャともういっこなんやったっけ・・・全然思い出せない。思い出したら電話するわと言ったら、あの本があればすぐわかるのにと、すらすらと口にしたのが田村隆一『詩人のノート』である。わたしは全然知らんかった。田村さんの詩は読んだことがないし。あ、でもミステリの翻訳をたくさんしてはったからけっこう読んでるな。
姉はその本をとても大事にしていたのに、人に貸してあげたんだそうだ。絶対返してやというたのにと20年も前のことを残念がっている。それで帰ってからアマゾンを見たら中古本が出品されていたので即注文したのが月曜日に届いた。また木曜日に行くのでそれまでに読み終えることにした。
装丁がとてもおしゃれな本だ。それに目に優しいたいへん読みやすい本である。柔らかい内容で文章が優しくて読みながらにっこりしていた。でもどうも姉の覚え間違いらしく、花の名前は出てくるけど鎌倉の家の庭に咲いているのとかで、花屋で1本いくらというような花は出てこない。きっと朝日新聞に連載していた大岡信さんの『折々のうた』の思い違いではなかろうか。明日この本を持って行って聞いてみよう。
その花の名はデルフューム。