デザートあり

電話の音で目が覚めたがすぐになりやんで目が覚めたぶん損した。10時過ぎてたから起きたけど。洗濯物がたまっているので洗濯機をかけて干してあるのは取り入れて室内干しへ。
さあ今日はどうしようと思うこともなく白湯を飲みながら読書の続き。『サラの鍵』は二度目だし重いので夜まで置いとこう。
鹿島茂の『オール・アバウト・セックス』の残り半分を読んだ。この本おもしろい。気軽に読めるし知らないことをずいぶん教えてもらった。知ってることを書いてあると自分もいっちょまえになったみたいでうれしいし。

途中休憩してディケンズ『荒涼館』の未読のところを読んだ。すぐに昼が来たのでカンタン昼ご飯を食べて、メールの返信を何通か書いて、また『荒涼館』を読書して今回は最後まで読んだ。とても素敵な小説だと断言する。主人公の二人がいろいろ苦難の末に幸せな結婚生活を送るのがしみじみうれしい。文庫本4冊は新しい本棚に並べることにしよう。代わりになにか捨てなくちゃ。

夕方から相方が買い物に行き、食料のほかに堀江のベースへ寄ってヴィーガンケーキを買ってきてくれた。
晩ご飯は、赤ワイン、イワシのトマト煮のパスタとトリの胸肉の焼いたんに生野菜をつけて。パンの代わりはデザートのヴィーガンケーキ、そして紅茶。

第20回大阪翻訳ミステリー読書会 『さむけ』ロス・マクドナルド著

早くから課題書が決まっていたのになかなか読めず、というより、読むべき本の中に混ぜて積んだままだったのをようやく読んだ。ロス・マクドナルドの本は70年代になってミステリー読者に返り咲いたころに読み出して夢中になったが、最終的にはたいしたファンではなくなっていた。輝かしくロバート・B・パーカーのスペンサーが出てきて、ジョセフ・ハンセンの調査員ブランドステッターやマイケル・ナーヴァのヘンリー・リオスなどゲイの探偵、そしてヴィクなど女性探偵たちの新鮮さに興味が移った。あちこちで書いたが、目下の興味は北欧の捜査官たちに向いている。

今夜の「第20回大阪翻訳ミステリー読書会」は20名の参加者が熱心に『さむけ』について語り、ロスマクについてそれぞれ感じたところから語っておもしろかった。ベテランの読み手の人を別にして、たいていは今回はじめて読んだ人なので感想も新鮮だ。その感想の裏打ちをするベテラン読者がいるのがいい構図だった。読書会の醍醐味を主催者は味わったと思う。

室生犀星『山吹』のふたり

道を歩いていているときにちょっと脇へ寄ってなんとなく空を眺める。青い空に白い雲が浮かんでいたらラッキー。運良く昼の月が見えたら気分がよい。雨雲が見えたり向こうのほうが曇ってきていると、雨になるから帰って洗濯物入れなくてはと気がせく。

夕方には月が見えないかなとぐるっと空を見渡す。天文の知識がまるでないから見えたらラッキーというだけだ。うちのベランダからは西から南方面と上空が見える。お月さんが西にあればいうことないけど、この半月ほど見えたことがない。時間をずらせば見えるだろうが、夕方から深夜にかけては全然見えない。寝坊だから家で明け方見るのは無理である。徹夜で遊んだ帰りに明け方の月を見るのが好きだが、この頃はそれがないので寂しいかぎりである。

月と木星がセットで見えてたときが懐かしい。あれは春か夏のことだったかな。
「月齢カレンダー」を見るのが好きだが、参照しようにも月が西の空に見えないのだからしょうがない。月にまつわる話をあれこれ読むばかり。俳句や和歌を読んで気持ちをうろうろさせる。

思いがたどるところは、室生犀星『山吹』。ふたたび会えた男女は都でいっしょに住むようになるが、おとこが病いの床につきさきが長くない。ふたりは月を眺めている。千年あとでも、ひとは月を見て語るのだろうか、とふたりは語り合う。
『山吹』の男女が語り合ったときから千年経っているかしらないけれど、いま、月を見て同じことを思ってますよとあのふたりに伝えたい。

楽観の人

台風過ぎ去っての月曜日、結局昨夜は選挙結果も知りたいしと明け方まで起きていたので今日はゆっくり寝ていた。お昼前に明るく日が射しているのを見てあわてて洗濯した。夏なら夕方までに乾くが、いまの季節だからこのまま明日の午後までおいておく。次の洗濯物が山積みだ。夏物カーテンなどいろいろ洗い物があるので今週いっぱい洗濯に追われる見込み。今週はこれからずっと天気が良いらしいので助かる。

午後から明るい日差しの中で読書できていい日だった。読みかけの本や新刊書がいろいろ置いてあるのを片付けなければいけないが、昔のようにがむしゃらに読めないので困る。トシをとるっておそろしい。目は疲れるし、読んだ内容を覚えていられないし。ついには、なにを読んだか忘れてしまうかもしれない。ナンギなこっちゃである。でも、読みたい気持ち、読まなくっちゃという気持ちがあるから、読書については楽観的である。ミステリーもロマンスものも、何度も読む漱石や荷風も、ブロンテ姉妹も。買ったままの栗原康『伊藤野枝伝 村に火をつけ、白痴になれ』も「読まなきゃ本」の山に混じっている。
「死ぬまで本を読む」と楽観の人語りき(笑)。

本を減らす方法

一大決心をして本を捨てることにしたが、長い間に溜めたものだからなかなか減らない。部屋の隅にあった古い大きな本棚を引っ張り出して新しい台の上にのせたのが気に入って残した本を並べている。でもこれでは全然片付かない。整体院の先生に指摘されたけど、本の整理労働は膝にくる。ちょっと休んで落ち着いたらまた取り掛かろう。

そんなときにまた本を買ったし、訳者に新訳本を送っていただいたしで本が増えている。読むのは楽しいからやっぱり買うし、いただくのは喜んでいただく。

さっき新しい整理方法を考えた。
一度箱から出して本箱に並べる。数日後おもむろに「あったほうがいい」か考える。あったほうがいいのうち、まず大好きだったアラスカの女性探偵ケイトが活躍するシリーズの文庫本の1冊目「白い殺意」ともう1冊気に入っている本を残す。この方法でかなりの数の女性探偵物が整理できる。気に入っている本を探すのが一苦労だが。
これやってみると時間がかかるけど、納得できるような気がする。

本を読む、本を捨てる、本を買う

毎日本を捨てている。自分が持てる大きさと決めた小さい箱だけど、全部で18個あるのを毎日1箱は点検して仕分けしている。全部は無理だけど半分以上は捨てられるだろう。古い本って愛着があるだろうと思っていたが、全然そんなことはなくて、すいすい「捨てる本の箱」に移動している。内容を忘れているのはもう一度読もうと思うかなと考えたが、そんなことはなかった。サラ・パレツキー、ドロシー・L・セイヤーズさえ全部揃っていればいいじゃん、なのである。10数冊あるクレイグ・ライスはどないしょ。イアン・ランキンたくさんあるなあ。1冊ずつが厚すぎる。ポケミスのみ残そうか。こんな感じ。

おおかたの本を開いて飛ばし読みとかして思ったことは、ミステリーは旬の食べ物みたいということ。旬のとき読めばピンとくるし楽しいが、鮮度が落ちると楽しくなくなる。
いまは北欧ものがおもしろくて仕方がない。いま読んでいるアイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンの『湖の男』(東京創元社)はいま現在面白い本である。さっき捨てた本だって買ったときは新鮮で面白かった。だから冷凍保存のように箱に入れて押入れに積んだのだ。
あっ、それは本の内容のせいだといってなくて、自分の感じ方のせいなんだけど。まあそのときはお金を払って買ったものだから、そのときの頭の栄養になり体が鼓舞されて元気になったんだわね。ということで後腐れなく捨てられる。そして新刊をまた買って楽しむ。でも、押入れには本は入れない。
今日も1冊アマゾンで買った。鹿島茂『オール・アバウト・セックス』(文春文庫)

堀江からアメリカ村へ カズオ・イシグロさんがノーベル賞

「誕生日にご飯を食べに行かなかったなあ、明日アブサンに行こうか」と相方が言い出した。この前の日曜日に大阪南港でアブサン主催の野外パーティがあって楽しかったそうだ。そのお裾分けと称して今日も飲もうという魂胆が見えてるけど(笑)、姉のところでお手伝いさんをやったあとの気晴らしになるかと同行した。ジョローナで待ち合わせている間に姉の誕生日プレゼントに秋らしいスカーフを買った。

エスニックな料理をいろいろ頼んでワインを飲み、お店の人と楽しい会話をしてから、アメリカ村のバーへ行った。信じられないような凝ったテーブルと椅子に驚いた。趣味でこういうものを集めて使うことに喜びを感じている人がいるんだ。お酒の味が引き立つ。一杯だけ飲んでタクシーで帰宅。タクシー待ちの三角公園付近でちょっとおぼろな月を見た。

今夜は始まりが早かったから終わり時間も早くて、帰ってからじゅうぶんツイッターで楽しんだ。カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞をもらったニュースがあった。前からなぜ彼の名前が話題に上がってこないか不思議に思っていたからうれしい。

本を整理中

いろいろと片付けて本棚が整ったので、押入れから出してきた本を置いておきたいのは並べ、不要なのは捨てることにした。押入れは毛布や布類などを収納して本来の用途にもどす。本を全部点検するのは大変だけど、もう一度読む気がしない本を置いといてもしかたないから捨てる。まとめて捨ててしまうのはやっぱりいやだから、点検はする。どうしても持っていたい本は本棚に並べるとする。ぐるぐる同じことを考えてる(笑)。

ミステリーがたくさんある。けっこう貴重だと思うのもあるけど、自分にとってほんとに貴重なのはもうしばらくは並べておこう。

本って重いね。押入れから箱を引っ張り出して本を出すのに疲れた。まだ1/10くらいしかやってない。まあ期限のない用事だからぼちぼちやろう。自分が働いてほとんどの収入を費やし本を買ってきた。酒を飲んだと思えばいいかな。カタチが残っているのがいいのか悪いのか。本がある幸せはじゅうぶん味わったからこれでいいかな。

ジュンク堂難波店 彷徨

たまにいつも行かない本屋さんに行ってみようと思い、姉の家の帰りに梅田を通って心斎橋を通って湊町のジュンク堂へ行ってみた。御堂筋を心斎橋から南へ行ったのは久しぶり。堀江アメ村あたりとは若者でも雰囲気が全然違う。タクシーの運転手さんによれば、東を向いて堺筋のほうへ行けば中国人が多くて賑やかでっせとのこと。ここらあたりの若い者は信号無視して歩くから気をつけにゃという。

雰囲気が違うねと言いながら湊町リバープレイス正面へ。いままでは地下鉄でしか来たことがないのでお店の位置関係がわかるかなと思ったら、目的のビルは真正面にあって中に入っているスーパーとホームセンターの名前がでかでかと見える。ほれ行く先わかったじゃん。
エスカレーターで3階に上がると、広〜い本屋さん。ワンフロワーだけどものすごく広くて迷路のよう。だが迷路ではなくて、きちんと専門ごとに仕切ってあってさまざまな本が並んでいる。
くらくらのまま、ミステリの文庫本売り場へ行き、北欧の女性刑事ものを買った。コーヒーはどこへ行ったら飲めるの?とレジで聞いたら地下のドトールと提携しているそうだ。この広い本棚を眺めながらコーヒーを飲みたかったので、今日はまあいいかとそのまま帰った。
もう二回ほど通って湊町に体が慣れたら地下なとよそのカフェなと行こう。

ギンガムのハンカチ

ギンガムのハンカチを愛用している。しっかりしていて何年経っても洗濯しては使っている。デパートの小物売り場のバーゲンにあったのを見つけて買ったのは10数年前だ。最初はちょっと気恥ずかしかったがずっと使っている。

長年のおんなともだちが失恋したときつきあって心斎橋あたりの喫茶店や洋品店を歩き回ったことがあった。コーヒー店でギンガムの赤いハンカチをとり出しておでこの汗を拭いたわたしを見て、彼女がふっと笑った。同じようなことを繰り返す会話と涙から解放され、わたしは聞き疲れの恋話から一瞬日常にもどってほっと息をついた。あのとき赤いギンガムのハンカチはとても助けになった。

いつもそのギンガムを使っているわけではない。わりとハンカチを買うのが好きだ。買ったものの綺麗なハンカチはもったいなくてバッグの奥深く畳まれている。吉屋信子の小説のシーンがもしわたしの生活に現れたらその綺麗なハンカチをそろりととり出すだろう。

ギンガムという名称は小学校のとき『あしながおじさん』で覚えた。村の孤児院から成績優秀ということでカレッジに入るように後援者がついたジュデイ。カレッジの女中さんはみんなギンガムのエプロンをしている。村の孤児院でギンガムばかり着せられていたジュデイは見ていられない。わたしはこの物語でギンガムという布の名を覚えた。