手紙友達からメール友達へ

毎日メールで友達とつながっている。すぐに返信をくれる友がいて幸せなことだ。昔は手書きの手紙をよく書いていた。若い女子が夜に手紙を書くと感傷的になって朝になって読み返すと顔から火がでる状態になる。兄貴分のボーイフレンドがいて、悩みなんかを聞いてくれるのだが、しまいには聞き飽きてしまう。それほど身勝手な悩みがあったのだなあ。下手な絵も添えてよく書いたものだ。甘えの構造くん。

中学校に図書室ができて、どこからか本がやってきて壁際に並べられた。図書委員に立候補して当選し、毎日図書室で本を読んでいたっけ。図書室にある夏目漱石をほとんど読んだ。
姉・兄の買ってくる『改造』や『思想』や真面目な雑誌もよく読んだ。『スタイル』や『それいゆ』や『スクリーン』は出るごとに姉が買うのを読んだ。なんでも文字を読むのが好きだった。
本を読む間に手紙を書いていた。さすがに学校では女子にあてて書いた。夜書く手紙は少し年上の男子宛。

いまはメールでなんやかやと身の回りの話や病気の話が多い。病気というより体調の話やね。目も耳も歯も疲れてよれよれであるから。それを笑い飛ばすのがわれわれ女子のなれの果て。

本読みの原点

10日くらい前から久しぶりにドロシー・L・セイヤーズの『学寮祭の夜』を出して読んでいる。わたしの原点の二番目になる本だ。
一番目は『小公女』で、いまでもときどき「青空文庫」で読む。きつい仕事を終え汚い屋根裏部屋でセーラが疲れ果てて眠り込んだ頃合いをみて、隣家の使用人のインド人が入って暖炉に火をつけ、テーブルに食事を並べる。目が覚めたセーラがおどろき喜ぶところが大好き。

セイヤーズのほうは初めての訳本『大学祭の夜』をずっと抱いていたがボロボロになったので今年になってついに捨てた。浅羽莢子による新しい訳の『学寮祭の夜』も文庫本がずいぶん古びたがこればっかりは死ぬまで捨てることはない。何度も読んだ本だからどこを開いても会話やシチュエーションがわかっている。事件そのものよりも、女性と男性について考えさせてくれる本である。

サラ・パレツキーのヴィクシリーズは本箱の大きな部分をしめている。アメリカで最新作が出たが、その前の1作品が訳されていないのが残念だ。英語が読めたらええのになあ。

タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』を読み出した

ジル・パケ=ブランネール監督による映画『サラの鍵』がすごくよかったので、見た後すぐに本を頼んだら今日の午後届いた。厚くて郵便受けに入らず部屋まで届けてくれた。ありがたい。表紙がとても静かにきれいで、本文の文字組がとても読みやすい。だがページ数が多い。全部読み上げるのにいつまでかかるか心配になってきた。
なんて心配は置いといてと早速読み出した、映画の最後のところが気になっていたものだから、終わりのほうを読んだ。晩ご飯前だから大忙し読書30分(笑)。晩ご飯の片付けをすませて真ん中あたりを読んでいる。
フランス警察に連行されたサラとサラの両親の悲惨な生涯、サラの弟は悲惨に死んでいた。
ジュリアの調査でいろんなことが明らかにされていく。

映画と小説とでフランスで実際あった出来事を調査し掘り下げて行くジャーナリストの仕事と生活を読んで考えて当分毎日が埋まりそう。
(高見浩訳 新潮クレストブックス 2300円+税)

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』

長いことハンナ・アーレントの本を読もうと思いつつ読んでなかった。どういう人かも知らず、東京で映画が上映されたのをニュースで知って見たいなと思ってから数年経っている。
女性の思想家でよく読んだのは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとシモーヌ・ヴェイユ。それにジュリア・クリステヴァを少し読んだことがある。だけどハンナ・アーレントの本は読んでなかった。反省。

相方がいい映画だというので『ハンナ・アーレント』のネット紹介記事を読んでいたら、即、見なあかんと思った。ネットで見られてよかった。格調高い映画だった。今夜はハンナ・アーレントに鼓舞された。

今日は書いてる時間がないので、感想記事はまたそのうち書くつもりだが、映画の中でハンナがいった言葉に笑ったので紹介する。
ハンナの夫ハインリヒは高校卒業前に徴兵され、その後ローザ・ルクセンブルグ率いるスパルタクス団に参加。独学でマルクス主義やシェイクスピアを学んだ。映画業界で働いていたこともある。フランス亡命中にアーレントと出会う。その後アメリカに亡命、大学の哲学科教授である。彼らの家に来客があって会話中、自分は大学行ってないからと彼がいうと、ハンナは「思想家に学位は必要ない」と答えた。そうだそうだ。

クロソイの煮付け、温野菜、しじみの味噌汁

スーパーで安かったからと相方が買ってきたクロソイはメバルに似た姿で全身が黒い。煮付けたらうまそうだ。いっしょに日本酒も買ってきた。今日の晩ご飯は、冷酒、クロソイの煮付け、温野菜いろいろ、しじみの味噌汁、白菜の漬物。メニューが決まるとさっさと下ごしらえをして作りはじめた。わたしは友人にメールを書いていたが、なにやらうまそうな匂いが流れてきて伴奏になった。ちょっと悩みがあるのを聞いてもらうメールをあちこちしながら書き上げた。これでわかってもらえるやろか。

ご飯の前にメールを出したのに、ご飯がすんだら返信が届いていた! すごっ! Nさんは返事が早い、決断が早い、これで連休中のもやもやがどこかへいった。わたしも決断は早いほうだが迷い出したらきりがない。彼女がこうしましょうといってくれた通りにすれば問題ないと思ったら、ほんとに問題なく解決できそうな気持ちになった。

ご飯のあとは三年番茶、富有柿、コーヒーとオーガニックチョコレートとナッツ、豪勢なもんだ。悩みが霧消したせいでしょう。

英国パブ シャーロックホームズ 40周年感謝祭

長いこと毎月ヴィク・ファン・クラブの例会を開かせてもらっていたシャーロックホームズが開店40周年を迎えた。8月3・4・5の3日間が感謝祭ということで、全品200円offで提供と先日行ったときに聞いた。
たしか大阪駅前第一ビルができたときに入居開店したと最初の経営者であるご両親に聞いていた。わたしは15年目くらいから25年間行っている。最近はなにごとも5年10年単位で勘定してるなあ(笑)。

ということで、相方を誘って美味しいギネスを飲みに行ってきた。マルビルのスタバで待ち合わせ、LLビーンで服や小物を買ってお店に到着。いつもギネス1パイントは相方で、わたしは半パイントなんだけど、今日は1パイントずつにした。大きいカップの方が抜群に味が良いが、量を飲まないわたしはいつも半分。でも今日は1パイントを半分くらいさっさと飲んだ。うまーい。うまかったけど酔った(笑)。

お店はだんだん人が増えてきた。ダーツのお仲間とかよく見るカップル、男子一人で飲み食べるひと。帰りしにお店の経営者とこれからもよろしくと女性同志の固い握手を交わしてきた。

楽しかったよ キャロラーさんたちのパーティ

今日は「キャロラー」さんたちの集まりに参加させてもらった。いうまでもなく最高齢のわたし。お誘いがあったのは先日の飲み会でキャロラー試験に合格したのかな。でもまだなんとなく人見知りの気分で行ったのだが、そんな懸念は一切吹っ飛び、みんなに柔らかく温かく接してもらってうきうき。梅田のイタリアレストランで、飲み物と食べ物が配られると食べたりしゃべったり、小鳥がさえずるような女子ばかりのおしゃべり会であった。さえずっていても内容はしっかりとあり、いくつか質問されたのに考えつつ返事した。みんなツイッターをきちんと読んでいるから話が早い。

「映画『キャロル』ときめき上映会」というのが16日に東京であり、映画の後にアフターパーティが開かれた。その中心にいた2人が大阪に来られての今日のパーティなので、明るく朗らか、席を立つまでの2時間とカフェでの1時間、充実した会話と笑いで満たされた心温まる会であった。帰りの階段やエスカレーターではしっかりとエスコートしてくれたし、バッグや髪のカットを褒めてくれたし、素敵なポストカードをお土産にもらった。キャロラー最高!!

『キャロル』の縁で

去年の2月に映画『キャロル』を見て、小説のほうも前後して読んだ。映画を何十回見たという人がたくさんいるの知った。そうこうしている間にツイッターでたくさんのキャロルファンとツイートのやりとりで知り合いフォロワーさんがけっこうできた。わたしとしては30年近く前にV・I・ウォーショースキー(ヴィク)のファンが集まったとき以来の出来事である。こういう感情を持つことはもうないと思っていたからうれしいようなまぶしいような。キャロラーたちの集まりはもうすでにあって、わたしの目にも触れていた。でもって弥次馬魂が炸裂し厚かましくもメッセージのやりとりをするようになった。

今日は気持ち良く飲み会とあとのカフェに誘ってもらったのでついて行った。
ヴィク・ファン・クラブで経験してたけど、好きの中心があると話が早い。にっこりするとわかりあえる。子か孫かと言われそうだが若い女性たちと笑いながらしゃべれて幸福だと思った。まあ、それなりに気を使いはしたが、彼女らのほうがもっと気を使ってくれて段差に気をつけてくれたりね(笑)。

1958年の北八ヶ岳と日本シリーズ

1958年の秋、若かりしわたしはちっこいのにいっぱし登山家気取りで日曜日ごとに六甲山を歩いて足を鍛えていた。女子ばかりで北八ヶ岳に登ろうと話が決まり、それぞれ受け持ちを決めて出発した。背が低いから国鉄(いまのJR)の改札をリュック担いで通ると引っかかるので下ろして両手で持って通った。リュックを網棚にあげるにはポケットから新聞紙をさっと出して座席に敷き、ぱっと乗って網棚に置いた。こういうことを迅速にできることが自慢だった(笑)。遠くの山に登る前に六甲の次には比良山にも登っていたから国鉄の改札も荷物置きも修行済み(笑)。

コースとか忘れてしまったが、低い山をひたすら歩いた。ナナカマドの大きな木を生まれて初めて見た。山小屋のおじさんに採ってきたキノコがほとんど毒キノコだと教えてもらった。
途中でみんなと別れて最後の一日は一人でどこへ行ったのか忘れたが単独行した。ほんまに怖いもの知らずで生意気だった。

一人歩きの途中の峠で登山者が持っていたラジオが日本シリーズをやっていて、三原監督が率いる西鉄ライオンズがその場で優勝した。その瞬間ラジオを持ってた人と喜び合った。
日本シリーズがはじまると思い出すのが稲尾の連投と北八ヶ岳彷徨。