いろいろ整理、今日は紙類

いろいろと長期間捨てがたく保存しているものがあって、今日はちょっとだけ片付けた。紙類は本だけでなく文房具もある。シールや包装紙もある。
こどものときから便箋・封筒など紙ものが大好きで、気に入ったら買っていた。ピンク系、ブルー系の花柄便箋セットが引き出しにたくさんしまってあるのを引っ張り出した。

いろいろありますわー。コピー用紙のすみっこに愛猫の写真を入れた便箋まで出てきた。ちょっと手書きの手紙を書く気分が盛り上がってきた。
まだ出てきてないが、バーバラ・クーニーの絵本の絵が入ったレターセットがどこかにあるはず。出てきたら友達に送ってあげよう。でも、いまごろこんなんもらって喜ぶかな。

書類用引き出しがこれでだいぶ整理できる。空いたところはお医者さんの領収書入れにする。高齢者になって、夢から実用へ(笑)。
まだまだある。絵葉書のファイルが段ボール箱に入れてある。あれもなんとかせにゃ。点検していると捨てるのが惜しくなるから、そのままどばっと捨てるか・・・まだようしません。

柿食って風呂入って寝る

今年の秋は短かった。いまはもう冬の寒さになろうとしている。
足元が冷えるのでふくらはぎサポータをはめているが、タイツをはいてもいい季節になったんやな。歳をとるってこういうことかとしみじみ思う。ほんとに芯から寒さを感じるし、疲れてかなわん。
でも、食欲は去年もおととしも変わらないように思う。少々食べる量が減ったかな。体重が41キロ台というのも昔なら狂喜しただろうが、最近は当たり前である。ご飯というか炭水化物を減らしているから当然だが、「お腹が空いた」といいながらも食べないでいけている。少々の和菓子、チョコ、クラッカーとおやつも食べるがしれている。

大好物の柿はいくらでも食べる。柿で太ってもよろしい(笑)。
いまから柿を食べて、お風呂に入って、ストレッチに励んで、かかと落としの体操して、それから読みかけの本(村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 1』)を読んで寝る。そうそう、寝る前に血圧を測っておこう。

ぼちぼち冬支度、そして終末支度

暑い間外してあった引き戸をすだれと入れ替えし、ベランダのガラス戸に厚手のカーテンをかけた。窓のカーテン掛け替えはまた今度やることに。
相方が掃除機をかけ雑巾掛けもしたのをわたしはお手伝いしただけだが、「昔はひとりでやっとった」とすぐにいってしまう。ほんまに昔は元気でなんでもちゃっちゃとできていた。いまはさっぱりでお手伝いさんである。

枕元に置いてある非常用リュックが重い。いざというときにかつげないねと中味を点検したら、たいそうなヤッケが入っていた。寒さに強いと入れておいたのだが、いざというときこんなん背負っていられないと捨てることにした。家着と下着の着替えも入れてあったがこれも洗濯して家で着る。なんだかやる気まんまんで準備してたのがおかしい。いざというときは小さなカバンだけで身一つで逃げよう。
小型懐中電灯の電池を入れ替え枕元に置くことにした。しょっちゅう点検できるのがいちばん。その他にしっかりした大型を置いて安心。

冬支度と同時に災害用支度も点検できてよかった。これからはもひとつ死に支度もしておかねば。特に本を捨てるとといいながら、まだ増え続けているのをなんとかせねば。

猫がいたとき

昨日の午後は施設の姉の部屋でゆっくりしゃべっていたら「チャーの死んだ日がわかれへんねん」と姉がいう。猫のチャーを姉が膝に乗せてなにか話しかけているのとチャーが庭の木陰に立っているのと2枚の写真が額縁にいれて飾ってある。「その写真の下に死んだ日を入れておきたいねん」「ふーん、なにか書いたものを調べてみるけど」と答えた。
帰ってブログを調べたら、チャーが死んだ日はわからない。黙ってある夜、出て行ったまま帰ってこなかったから。数週間待ってようやくチャーは帰ってこないんだと納得した。「どこか死に場所を決めていたんやな」「猫はひとりで死ぬというからね」と姉はいい、それでも玄関に「まつとしきかばいまかえりこむ」とおまじないを書いて貼った。(元の歌は中納言行平の「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ」だそうな。わたしは内田百けん『ノラや』で知った。)

チャーは覚悟の家出をしたんやねと、姉とわたしは何度も話し合った。もともと野良猫で姉の家の庭に紛れ込んできた子である。ときどき数日いなくなることがあったが、この家が基本的に自分の家だという感じで戻っていた。そしてご飯を腹一杯食べてごろんと寝た。
チャーがいなくなったのは2013年11月だ。
その翌年、チャーの子分だったシマちゃんが死んだ。2014年7月17日。暑い日だった。この子はグレーのシマシマの美形だった。

姉妹団欒の午後

午後から姉がお世話になっている高齢者介護施設へ行ってきた。春に行ったきりすっかりご無沙汰していて、ブログの読者さんに「ずいぶんお姉さんのところへ行ってないですね」といわれる始末。姉は姪の携帯から電話してきて、久しぶりにあんたの声を聞けてよかったけど、顔を見たいなあと。それで重たい腰をあげてタクシーを呼んで出かけたというわけ。行こうと思えばすぐなんだけど、腰がなかなかあがらんのですわ。
5時の夕食まで暖かい部屋でゆったりとおしゃべりしたが、戦争中のこととか聞きたかったことは忘却の彼方だった。わたしのほうが細部を覚えていた。

戦争中に短歌を学んでいた姉の歌が一度「朝日歌壇」のようなページに採用されたことがあった。その歌で覚えているところ「海の中行くにもにたりわが汽車は・・・・信濃路を行く」(「・・・」のところの記憶が出てこない)、なんともない歌だけど、当時は新聞に載ったというだけで尊敬したものだった。
「へえ、そんなことがあったっけ」という姉に「ここんとこなんていうたか思い出して」といったが出てこなかった。
それからケチな叔母さんと豪快な叔母さんの思い出話がおもしろかった。ケチなほうは蒸したサツマイモを1センチ幅に切って皿に並べて出し、豪快なほうは大きなままでザルにどんとのせて出したって。

愛猫チャーがいなくなった日を思い出せないというので、なんとか記録を探してみると返事した。壁にチャーを抱いた姉の写真が飾ってある。その下に記録を書いておくんだって。このブログからなにか出てくるだろう。

話好きな運転手さんの相手をしながら帰りもタクシーで。お蕎麦屋さんに寄って酒と肴と蕎麦の晩ご飯。帰ってお饅頭とお茶。洗濯物を取り入れたら11時過ぎてしまった。

鏡の中の白い髪

居間に大きな鏡があって浴室&トイレから出ると姿が映るようになっている。最近は白髪の自分が映っている。にこっと笑うと白髪の人もにこっとする。なかなかいい。

髪を染めるのをやめようと思ったのは、たしか5月のはじめだった。美容院の予約を入れてから、おもむろに「あたしこれから白髪あたまにしようと思てるねん」といったら「わかった。うまく切ったげる」と簡潔な返事。それ以来カットだけしてそのまま帰っている。それ以前とカットと染めの具合で茶髪の部分と白髪の部分ができて混じり合っているところもあり、意図してそういう髪にしたみたいである。自分では気に入っているが、他人が見れば「みっともない」かもしれない。前髪だけがなぜか全面的に白くなっていておもしろいと思うのだが。あと2ヶ月はこの混じり髪で過ごす。

明日は久しぶりに姉のいる施設へ行くつもりをしているが、白髪あたまの妹を見て姉はびっくりだろうな。

パプリカ食堂 Veganでおいしいパスタ

いつも野菜を買いに行く野菜屋さんカリスファームはパプリカ食堂のひさしを借りて営業していて、うちは無農薬の野菜を月・木曜日に買いに行っている。いつもパプリカ食堂のヴィーガン料理ってどんなんやろといいながらまだ食べてなかった。
数日前から今度の火曜日に四ツ橋へ出た帰りに寄ろうと決めて楽しみにしていた。郵便局や銀行に寄って用事を片付け、ユニクロでTシャツとセーターを買って夕方新町1丁目のお店へ。店の前で野菜を買うときしか行ってないので、今日は新鮮な気分。
木の香りのする店内へ案内してもらって、まずトイレを借りた。車椅子では前からの風があたって冷えるのだ。カッコもクソもない(笑)。

メニューを見るとパスタがいろいろあってとまどったが、相方がうまく説明をききながら注文して、パスタとサラダとワインが出てきた。
家では真似できないパスタだといいながら食べた。ワインもうまくて、わたしはふだんあんまり飲まないのだが、ついコップの半分くらいを飲んでしまった。酔ったみたいで足がもつれ帰りに出口でどすんと尻餅をついた。相方とお店の人と外国人のお客さんが手を貸してくれてヒロイン立ち上がる(笑)。怪我はなし。

コーヒーとケーキをと思ったときはお腹いっぱいでコーヒーだけにしたんやけど、残念やった。ヴィーガンのケーキはどんなんやろ。たまごを使わないそうだがどんな味かな。次回が楽しみ。

焼きそばとコロッケと柿

なぜか突然「焼きそば食いとうないか、作ったるで」と相方が言い出して晩ご飯は自家製焼きそばに決まった。酒の肴は昨日の麻婆豆腐の残りがある。サラダ用の野菜もいろいろある。ビッグビーンズでコロッケとなにか買うてくるとのこと。なにかとは高野豆腐の炊いたんやった。ちょっと高かったと太めの麺、豚肉とキャベツと紅生姜とおたふくソース。出来立ての焼きそばがうまかった。
昔は女友達とよくお好み焼きを食べたあとに焼きそばを食べたものだ。お好み焼き1枚ずつと焼きそばは1人前を半分ずつ。昔の彼女たちいまいずこ。

「焼きそばまたやってや」と相方にお願いしたら、「早く安くできてうまいからしょっちゅうしてやる」とご機嫌さんな返事あり。
今夜はその上に今年最初の柿が出た。今朝採った柿。少し青っぽかったが新鮮で歯ごたえが良くうまかった。これからが楽しみ〜今年いっぱい柿を楽しむ。

戦時中もおしゃれにこだわり(わたしの戦争体験記 71)

最近このあたり、新町〜堀江に高級マンションや高層マンションがたくさん建って子供人口も増えている。わたしが近くの医院、整体院、郵便局なんかに行くとき、学校帰りの子供たち、母と子の二人連れや乳母車や自転車の三人連れとよく出会う。この辺の子たちは垢抜けした服装で持ち物もかっこよくつい見惚れてしまう。

子供達を見ていると、あっそうやあたしもこのへんの道を歩いて通学してたんやなあと懐かしくなる。わたしの行った西六(さいろく)小学校は戦災で焼けて無くなってしまったが、堀江小学校と明治小学校は残っていて発展し生徒数も増えている。いまの子らが歩いている道を戦争前から戦争中のわたしは歩いていたのだ。

いまの子もおしゃれだが、私の時代の子らもおしゃれだった。歯医者さんのお嬢さんを中心に裕福な子のグループがあって、わたしはあまり近づけなかった。着ているものが違う。身体検査のときレースの下着とかちらっと見えて。いまだに覚えている執念深いわたし(笑)。

なぜか5月になったら半袖のセーターを着ると思い込んでいて、ちょっと寒くても半袖にこだわって母親に出してもらった。布でなくて毛糸または糸を編んだものというこだわり(笑)。

眠れない夜と寝入った昼

昨夜はこれからくる台風に備えて部屋を片付けたり、食べ物を点検したりして落ち着かなかった。関西はそれるとわかっているけど、もしかということもあるからと思って。2時ごろ横になったが寝付けないでごろごろしていた。
今朝は朝というより昼前に起きてネットで台風情報を探してなんやかんやとコメントをしゃべくっていた。
しゃべくりとご飯がすんだら午後遅い時間になっていた。相方が昼寝して、わたしはネット。4時ごろ選手交代でわたしがベッドに。いつもわたしは横になるけど、寝入ったことがない昼寝できない体質。でも今日はすぐに寝入ってしまい、爆睡2時間で目覚めた。

夕方起きてまたネットで台風ニュース。今回はツイッターに川の氾濫報告がたくさんあって胸がいたむ。
昔、小6の時に「クミちゃんの家が川の氾濫で水浸しになってるで」と偽ニュースを流されたときのことを思い出した。必死で走って帰ったらいつもどおりの日常があって、ほっとするやら腹が立つやら。

今夜の川の氾濫はどんな結果になるのだろう。すごい数の氾濫記事が並んでいる。そこへ震度4の地震発生記事が入っている。