アン・ペリー『偽証裁判 上下』

いま当ブログの〈アン・ペリー アーカイブ〉を開いて、アン・ペリーの翻訳されている本を全部読んでいるのを確認した。全部といっても彼女が書いたものの中の一部に過ぎないが。
トーマス・ビット警部と妻のシャーロット・ビットもの「十六歳の闇」と「娼婦殺し」。
ウィリアム・モンク(元警部の私立探偵)と看護婦へスター・ラターリィとオリヴァ・ラスボーン弁護士が活躍するシリーズ「見知らぬ顔」「災いの黒衣」「護りと裏切り 上下」、今回の「偽証裁判 上下」。
その他に「青い蠍」(アン・ベリー編著「ホロスコープは死を招く」)と「人質」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」)の短編2篇を読んでいる。

クリミヤ戦争でナイチンゲールとともに働いた独立心の強いへスターだが、平和な時代の病院に就職するとひどい男女差別や職業差別にあって落ち着かない。それで広告やつてで家のベッドにいる病人の世話を仕事にするようになった。今回世話をしていた病人が思ったより早く回復し、次の仕事にはまだ間があったので、新聞広告で日にちがあう仕事を見つけて応募した。まだ知らぬスコットランドにも行ってみたい。仕事はエディンバラの名家の女主人メアリ・ファラリンがロンドンへ行く往復の付き添いである。メアリは病気を持っていたので薬や体調の管理が必要だった。二人は気があって夜汽車で楽しく語り合った。そのあとロンドンに到着する前にメアリの体は冷たくなっていた。
ロンドンに着いて友人で後援者のレディ・キャランドラの家に行ったへスターの荷物にメアリの黒真珠のブローチが入っており驚く。そこへ警察が来てへスターは宝石を盗んだ罪で逮捕され、その上にメアリを殺したと殺人罪で起訴される。

ロンドンで逮捕されたのだが、裁判はスコットランドで行われることになり、弁護士のラスボーンは弁護できない。レディ・キャランドラはモンクに真犯人を見つけるよう捜査を頼み、そしてスコットランドの実力ある弁護士アーガイルを雇う。
「護りと裏切り」の裁判シーンでのラスボーンの弁護がすごかったが、今回はアーガイルの後ろに座って、いらついたり、指示したり。ラスボーンの父ヘンリーも駆けつけて裁判を見守る。
真犯人が見つかってさえいればとモンクは必死だが、知らない町で手がかりがつかめない。
アーガイル弁護士とラスボーンは法廷闘争でへスターの無罪を勝ち取るしかない。弁護士側の証人としてナイチンゲールが出てきてへスターの人柄と戦場における仕事ぶりを話す。またともに戦場にいた医師モンクリーフも証言する。そこでの検察官の問いへのへスター及び証人の答えが素晴らしい。
最後はもちろんモンクとへスターが真犯人を見つける。
(吉澤康子訳 創元推理文庫 上下とも1000円+税)

新聞紙とツイッター

新聞をとるのをやめてからかなり経っている。その後にテレビをやめた。ラジオニュースは用事をしながら聞くようにしているが、うちの主な情報源はネットである。お金を払っている情報もあり無料のニュースもあり。ツイッターはすごく役に立っている。

ふだんそれで暮らしていて何の支障もないけど困っていることが一つある。新聞紙だ!
葉物野菜を買ってきたら新聞紙にくるんでカゴに立てておくのだが、毎日のことだから足りなくなって使い回ししてたりして(笑)。
姉のところへ行ったら帰りに「新聞紙をちょっとちょうだい」ともらってくる。興味のあることがあったときはコンビニで新聞を買ってくる。

ツイッターはすごく役にたっている。
昨日、口臭がするぞと相方に注意されたんだけど、なんでかなと思っていたら、今日偶然ツイッターで知り合いがぴったりの記事を紹介していた。1年くらい前の雑誌の〈相手の顔ひきつってない?恋愛や出世を阻む「口臭」の原因7つ〉という記事。
それを読んだら、いまのわたしの口臭は先日の転倒でやられた治療中の歯のあたりの歯磨きがずさんだからとわかった。対策は、しょっちゅうイソジンや塩水でうがいして、水をたくさん飲んで、ご飯後には歯間ブラシで清掃する、ことのようだ。

エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事 1』

エドワード・D・ホックの人気シリーズ、全仕事というタイトルの「1」だから続きがあると思うとうれしい。木村さんの訳した本はていねいな解説があって楽しい。今回も巻末に87篇のタイトルがずらりと並んで解説あり。「改訳」「新訳」「初訳」とあるんだけど、もちろんすべて順番に従って読んでいくつもり。

エドワード・D・ホックのシリーズは「怪盗ニック」「サム・ホーソーンの事件簿」「サイモン・アークの事件簿」と三つあって、それぞれがおもしろくて好きだ。ホックは生涯に950篇以上書いている短編小説の名手である。
当ブログに三つのシリーズの感想を書いています。

ニック・ヴェルベットは、イタリア系アメリカ人がグリニッジ・ヴィレッジでまだ優位を占めていた頃に生まれた。チーズの名前のような本名を縮めて、他の多くの高校中退者と一緒に朝鮮戦争に行った。40歳近い今はある分野での自他ともに認める専門家(特殊な泥棒)である。お金や宝石には手を出さない。自分のためにも盗まない。一度は、監督やコーチや野球用具一式を含めた大リーグのチームをそっくり盗んだことがある。
報酬は充分(一件2万ドル、動物なら3万ドル)で年に四・五回働くだけだし、一仕事するのに一週間もかからない。ガールフレンドのグロリアと仲良く静かに暮らしている。グロリアはニックが泥棒であることを知らない。旅行していろんな会社の新しい用地を見つける仕事だというのを信じている。
そういう説明のある最初の仕事(泥棒)は「斑(まだら)の虎を盗め」で、動物園で虎を盗む。次の依頼はプールの水で、その後は真鍮の文字、湖の怪獣、囚人のカレンダーといろいろ。
(木村二郎訳 創元推理文庫 1160円+税)

米朝さんのレコード『池田の猪買い』

えらい昔の話です。
むかし、むかし・・・思い出を掘り起こせば、1970年より前かもしれん、69年ごろだったろうか。わたしらができたてのカップルだったころ。
大阪駅前第一ビルにたしか「タイム」という小さなジャズ喫茶があった。いましょっちゅう行っているシャーロック・ホームズがある地下一階のもひとつ下の階の反対側にあった。
店ができたころから行っていて店の人と顔見知りになっていた。そのころは休みの日に奈良公園に遊びに行って帰りにタイムに寄ってジャズを聞くのが習慣になっていた。
ある夜、遅い時間に行ったら店はもう終わっていたが、一緒にどうですかとインスタントラーメンを作ってくれた。そのときにかかっていたのが米朝さんの「池田の猪買い(いけだのししかい)」のレコードだった。それから夜遅くタイムに何度も通って何度も聞いた。

わたしの家は戦争前に東京から大阪に引っ越してきたので、両親は東京弁で文化も東京志向だった。落語は江戸落語でレコードと落語本がたくさんあった。「もう半分」だって東京弁で聞いていた。大阪より東京のほうが上みたいな意識を親から自然に植え付けられていた。そんなもんでミステリーとジャズと落語、古本と古レコードを我が家の文化として育った。

そんなわたしへの一撃は米朝さんの「池田の猪買い」だった。
十三と三国の渡しが噺に出てくるのも、新町を焼け出されて阪急沿線に逃れ住んだ我が家を思い出してなつかしかった。

それからうん十年も経ってから田辺寄席に行くようになって、2005年に桂春之輔師匠の「もう半分」を聞き、「もう半分」は上方が元だと知った。その上に物語の舞台が現在のわたしの生活圏なのである。

桂米朝師匠のご冥福をお祈りします。

御堂筋でこけた

暖かくて気分の良いお彼岸の中日。ちょっと散歩と買い物に心斎橋に出て御堂筋を歩いていてこけた。歩道にちょっと空いているところがあって、そこでつまづき、つつつと前のめりになってばたんとこけた。派手だから道行く人たちがみんな見ている。目の前にいた男子2人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれ、唇に血がついてますよとティッシュをくれた。ありがたく頂戴し、ついでに手を引っ張ってもらって立ち上がったら、街路樹の横の石のところへ連れてって座らせてくれた。厚くお礼を言ったがほんまに優しい子たちだったな。前歯がちょっと欠けてそこが唇にあたって血がにじみ出ている。
立ち上がって買い物だけはすまそうとハンズに行って買い物して帰った。鏡を見たら唇が腫れていて、前歯の歯肉が少々痛いが我慢ができないということはないのでほっとした。明日の朝になったらどうかな。

膝が悪いから歩くときに足があまり上がっていない。それでちょっとしたところでけつまずく。妹に電話したら彼女はいつのまにか膝が曲がりにくくなっていたことがあり、整形の医師の話では歳をとると足首が弱って足が上がらないからと足首を強くする運動を薦められたという。もっともな話なのでやり方を聞いた。

久しぶりにこけたなあ。6年前にアップルストアの階段の最後のところですってんころりと転んで以来だ。
まあ足や腕の骨がなんともなくてよかった。
それにしても気をつけなくては。

ツイッターにちょこっと書いたらすぐにフォロワーさん計1人からお見舞いツイートとDMがあった。ミクシィで2人。ありがたし。

ディケンズ『大いなる遺産 上下』

めちゃくちゃおもしろい小説だった。19世紀のイギリスのことがよくわかる。小説で脇を固めておいてエンゲルスを読めば資本主義が生まれて発展する過程が目の前に映画のように現れるだろう。19世紀の裁判や監獄の描写も詳しい。村の鍛冶屋の義兄は清廉な男で主人公のピップの過ちを許し助ける。その力を借りてピップは自分の力で生きて行く人間になれた。

両親と死別して村の鍛冶屋のジョーと結婚している姉の世話になっているピップ。やかましい姉と違ってジョーは静かでピップに優しい。こうるさい妻の小言を避けてピップに目配せし〈相棒〉と呼んで可愛がる。
ピップは目はしの効いた子どもである。ある日誰もいない湿地で逃亡してきた犯罪者にヤスリと食べ物を持ってくるように言われてジョーのヤスリと姉から食べ物を失敬して渡す。
お屋敷のミス・ハヴィシャムは古いウェディングドレスを着たまま暮らしている変わった中年女性だが、ピップを屋敷に呼んで散歩やトランプの相手をさせる。その養女エステラは美貌の少女でピップは一目惚れ。彼女と同等に付き合うためにジェントルマンになりたいと切望する。
ピップはジョーの鍛冶屋で年季奉公することになった。静かな生活にすっかり満足しているジョーが歯がゆい。渡り職人のオーリックは悪い奴でピップの姉であるジョーのおかみさんを襲って致命的な怪我をさす。
そんなことがあって日々が過ぎたある日、ロンドンから弁護士が来てピップに匿名の人から遺産があるという。
衣装を誂えてロンドンに行きポケット先生にジェントルマンとしての行儀作法を習う。ポケット先生の息子ハーバートと知り合い終生の親友となる。彼といっしょに無駄遣いも覚えたピップだが読書は続けている。

久しぶりに読んだディケンズはおもしろくてためになる。
「荒涼館」が大好きなのだが最近読んでない。いまの積ん読を早く読み終えてまた読もう。
(石塚裕子訳 岩波文庫 上1140円+税 下1080円+税)

ディケンズ『大いなる遺産』とアン・ペリー『偽証裁判』

「偽証裁判」は読み終わっているのだが、もう一度ていねいに読んでから感想を書こうと思っているうちに、数日前からiPad miniで夏目漱石を3冊続けて読んでしまった。
ヴィクトリア時代のロンドンが薄れて、もう少し後の東京が姿を現している。この調子ではいつまで経っても漱石から抜けられぬ。
積ん読本が増え続けているのをどうしよう。Kindleにも入っているけど・・・。まあ1冊ずつ片付けていくしかない。
悩みつつも今年早々に買った岩波文庫のディケンズ「大いなる遺産」を読みかけている。ディケンズはかなり読んでいるけど本書ははじめて。映画はグウィネス・パルトロウが出ている1988年版を見たがよく覚えていない。あんまり後味のよくない映画だった。

いま「偽証裁判」と「大いなる遺産」は同時代でないかとふと気がついた。「偽証裁判」はクリミヤ戦争が終わってすぐのことで、解説を読んだら1857年のこととあった。「大いなる遺産」は1861年に発表されている。
ヴィクトリア時代のイギリスだが、同時代に書いているのと、後世になって時代小説として書いているのと違いはあるが、同じロンドンを馬車が走っていると思うとなんだか興奮してしまう(笑)。
「大いなる遺産」を読んでしまうか、「偽証裁判」再読を先にするかまだ悩んでいるが、ストーリーに引っ張られてディケンズだろうな。
(「大いなる遺産」岩波文庫 「偽証裁判」創元推理文庫)

コート丈がちょうどよい奇跡

この冬はなんとコートを3着買ってしもた。なぜ買ったかというとL・L・ビーンにコート丈がちょうどわたしに合うのがあったから。
最初に買ったのは秋口で、薄く綿っぽいものが入っているシックな新製品のコートだった。わたしの膝上まであっていい感じ。次は今年になってから超バーゲンで買ったダウンコートで膝下まであって暖かい。両方とも黒色。
なんとまた最近梅田へ出たついでにバーゲンをのぞいたら紺のトレンチコートがぴったり。なんでやねんと言いながら買った。ちょうど合うといっても、腕は長いので折り返して着るしかないが、それもワイルドで(笑)。
よく考えると3枚とも普通の人が着ると膝上から太ももの途中までの丈なんだろう。ポケットに手を突っ込むとちょっと下になるのがご愛嬌(笑)。

わたしはずっとサバを読んで公称身長150センチと言ってきたが、最近はちょい縮んでると思うので146センチくらいなんだと思う。
「ドラゴンタトゥーの女」のリスベットは身長150センチであの迫力である。日本でも150センチは小さいのに大女が普通のスウェーデンで150センチはほんまに小さいやろな。ふむふむわしもリスベットのように堂々としていようじゃないの。
さっき「週刊現代」をぱらぱら見ていたら、ヤワラちゃんこと谷亮子さんの記事があって身長146センチと書いてあった。
トレンチコートを買ったことだし堂々と着こなして歩いていこう。ドンドンドンガラガッチャ🎵

ジャン・コクトー監督『美女と野獣』

偶然古書アオツキ書店で手にしたジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」を読んだらおもしろくて映画を見たくなった。たしかDVDを持っているはずと探したらお気に入りの数枚といっしょに大切にしまってあった。最初に見たのはかなり昔でNHKのテレビ画面に震え上がるほどに感動したのだった。いまもその場面は脳裏に焼き付いている。
ずっと後になってからレーザーディスクを買ったときはうれしかった。そしていまはDVDがある。

「美女と野獣」は大好きなおとぎ話である。「ろばの皮」とともにこどものころから大好きで、いま持っているのは澁澤龍彦が訳した本で美しい日本語で読めてしあわせだ。

土曜日の深夜にひとりウィスキーを手にパソコンの前に座り、70年の歳月を経た映画を山ほどの製作中の苦心を思いつつ見ていた。人間が美しく、風景が美しく、光と影が美しい。
美女ジョゼット・デーがなんともいえず美しい。野獣で王子そしてベルを愛する近所の男を演じるジャン・マレーは美しくて声が独特。
野獣の城で壁から突き出た人間の腕が支える燭台の数ある蠟燭のゆらめき、部屋のあちこちに置かれた胸像は向きを変えたり微笑んだりする。ドゥドゥ扮する狩りの女神ディアーヌの像は矢を射る。美しくてファンタスティック。
日記を読み映画を見たあとで検索したら、いろんな記事や解釈が出てきて勉強になった。
「La Belle et La Be^te」1946年フランス映画
監督・脚本;ジャン・コクトー 原作:ボーモン夫人 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ジョルジュ・オーリック

Evernoteを設定してもらった

iPad miniを買って3日目、夏目漱石の「吾輩は猫である」と「草枕」をすいすいと読んだ。読みやすい上におしゃれで持っているのがうれしい。わたしのやりたいことってこんなもんだ(笑)。

さて、Mac miniとiPad miniとiPhoneが揃ったところで、evernoteを設定してやるわと相方が言う。その3つでevernoteの情報が共有できるんだって。いままではMac miniだけの世界でいろいろしていたが、それぞれのデバイスでMac miniにある情報を読むことができるし、加えたり変更したりできる。
ノートをとるように情報を蓄積するといっても、まだわたしにはよくわからんが便利なもののようだ。
とりあえず、ノートにタイトルをつけて作ってもらった。読書ノートとかね。いままでのメモ帳からこちらに移したら実際に使えるような気がしてきた。
なんとか使っているうちにうまく使えるようになるだろうと希望を抱いて今夜は寝る(笑)。