関電本社前の再稼働反対の大規模抗議行動に二度目の参加

〈大飯原発再稼働迫る !再稼働を許すな! 6/8(金)18時〜大阪・関電本社前、東京・首相官邸前で野田政権と関電に対し原発反対を訴える抗議行動を行います!〉

先週は行かなかったから今日は是が非でも行こうと、雨が降っているが膝にサポーターして出かけた。地下鉄で肥後橋へ出てから橋を渡って左折すると巨大なビルが並んでいる。関電の本社ビルは中でもでかい。すこし行くとシュプレヒコールの声が聞こえてきた。
片手で傘をさしもう一方の手にはプラカードを持っている人たちが「再稼働反対」と叫んでいる。雨やからどうだろうと思ったのだが、いやいや大人数だ。あとでツイッターに400人と出ていた。先週の1000人と比べると少ないが、雨の中を2時間立ち続け叫び続ける人が400人というのはすごいことだ。
ちょうどわたしが立ったところは通路になっていて、通用口から出てきた社員らしき人たちが、顔を伏せたりまっすぐ前を見たり傘で隠したりしながら帰って行く。せっかくの週末の帰りが楽しくないだろうな。楽しく帰れるように「再稼働反対」したらどうかなとふと思ったが、それはないな。

先に行っていた相方が探してくれたので、全体を見渡しにいってから真ん中へんに定着して「再稼働反対」。
「再稼働反対」と半分が叫ぶと、すぐにあと半分が応じて「再稼働反対」と叫ぶのが絶妙。いつまでも止まない叫び声の美しさにしびれた。

山田真医師がMBSラジオニュース〈たね蒔きジャーナル〉に電話出演

福島で子供の健康相談活動をしている医師の山田真さんから、最近読んだミステリの感想と大阪のラジオ局MBSの〈たね蒔きジャーナル〉に電話出演を知らせるファックスが入った。福島のことを話すと書いてあったので、絶対聞かなきゃと思い、ヴィク・ファン・クラブの関西メンバーにラジオを聞いてねとメールした。ツイッターにも3日間ツイートした。放送が終わったらすぐに聞いた会員から感想メールが入っている。

もう10年くらいのつきあいになるが、山田さんとわたしはミステリファン仲間である。かなり好みが違っていて、お互いに自分のほうが趣味がいいと思っている(笑)。とはいえ、わたしはグレッグ・ルッカとヘニング・マンケルを教えてもらったことに感謝している。今回の山田さん推薦は「特捜部Q キジ殺し」(ユッシ・エーズラ・オールスン)である。「二流小説家」はあかんらしい。わたしは両方とも読んでないからわからないが、どちらかというと後者のほうが好みだと思うのだが。でも、ここは敬意を表して「特捜部Q キジ殺し」(ハヤカワポケミス)を買おうと思う。

さて、放送は9時半からとまたお知らせをいただき、ラジオの前で待っていて聞いた。この番組はときどき聞いているが、女性キャスターが司会をしている。木曜日だけが違っていて男性である。ちょっと挑発的な聞き方が気になったが、山田さんはいつものように落ち着いて話されていた。

東京で医師をしていること、いままでも森永ヒ素ミルク事件などで闘ってきたことが前置き。
去年の5月に現地の人からの要請で福島に行き、それから10回くらい相談会をやって1000人を超す人たちと面談してきた。6月に福島に住んでいて大丈夫かと聞かれ、避難したほうがよいと返事した。9月以降は避難できる人は避難して、事情があって避難できない人が残った。そこで、子どもたちを夏休みだけでも県外に出すこと、どういう生活をしたらいいかなどを話している。
9月に福島で国際会議が開かれ、国際的なレベルで「政府の対応がよかったから今も将来も心配ない」と決められてしまった。
いま、福島市内は戒厳令状態である。放射能の話題が出せない。心配が口に出せない。あきらめ、絶望し、「福島は安全、大丈夫」と思いこもうとしている。

こういう話であった。
わたしはなにをしたらいいのだろう。ともかくも原発再稼働に反対して、明日は関電前で抗議集会、あさってはデモに行きます。

細野ビル66展X オープニングイベント

Opening Act 出演者
Music:豊田奈千甫×中嶋佑一(映像)
Art Live:小澄源太×豊田奈千甫(音楽)
Music Live:AZ CATALPA、MOHIKAN FAMILY’S、わたなべゆう、KING COLUMBIA
Art Live:今川咲恵×藤沢祥衣+田島隆(音楽)
Final Act「素敵なあなた」:鞍掛綾子(ダンス)、AZ CATALPA、KING COLUMBIA

今年は66展10回目になる。
数日前に細野さんから手渡された番組表を見てびっくりした。これだけの出演者だと一晩ですまないんとちゃいますかと聞きかえしたら、みんなにそう言われるだって。
そんなことも興味しんしんで行った66展だったが、開演時間をすこし遅れたので中に入らず、ではなくたくさんの人でいっぱいで入れず、外の植え込みの縁石に座って窓から見ていた。長堀通りに面しているので空が広い。夕暮れていく景色の中で音を聞いていると和む。

緊張感にあふれたライブと小澄源太さんのライブペインティングが終ると、横の庭にNさん夫妻が用意していたワインとつまみのテーブルのそばにどっと人がよってきた。いろんな知り合いとおしゃべり。年に一度ここで会う知り合いがいて、七夕さんやなと笑いながら乾杯。
また外に出て、AZ CATALPA、MOHIKAN FAMILY’S、わたなべゆう、のライブに耳を傾けつつ、友人としゃべったり、空を眺めたり、すごく和めていい気分。

以上が終わった後に、正面にあった小澄さんの絵を少し横に動かし、新しいキャンバスが置かれて、今川咲恵さんのライブペインティングが始まった。今川さんはずっと外で出番を待ってはったが、待ち時間が長くて大変だったと思う。藤沢祥衣さんのアコーディオンと田島隆さんのタンバリンがすごくよかった。タンバリンってあんなに多彩な音が出るとは知らなかった。
終わるころにSさんが側にきた。もう帰る時間だという。ほんまや、11時やんか。外に出てだれかれとしゃべって地下鉄へと送った。お土産もらった。
もどったら今川さんは描き終わっていた。小澄さんのと並ぶと壮観である。全然違うのに二人とも黒い色が多く使われている。

そして、KING COLUMBIAの楽しい演奏があって、細野さんの好きな曲を毎年締めくくりにやることになっている鞍掛綾子さんのダンス「素敵なあなた」。鞍掛さんのダンスはいつもいいのだけれど、今日は名付ければフェミニストダンスだわと思った。力強くしなやかで、女性のからだの美しさに心打たれた。
終わったら12時15分だった〜

今日は家の用事があるので途中で帰ろうかと思ったのだが、もう少しもう少しと思っている間に最後までいてしまったが、いてよかった。
そのまま帰るには惜しくて片付けを手伝い打ち上げのつどいに加わった。Nさんの彼女が作ったケーキが素朴でうまかった。ミュージシャンやスタッフとしゃべって笑ってたら2時半になっていた。

小山仁示さんの思い出

小山仁示さんが5月26日に亡くなられたと昨日(6月2日)姉の家の朝日新聞で知った。専門は日本近現代史で関西大学名誉教授だけど、ずっと大阪大空襲の講演会のほうで知られていた人だ。2006年の講演会のときにしんどそうだったので、それ以来お名前を見ないし気になっていた。実は先日ふと小山さんのことを思い出して検索してほっとしたところだった。虫の知らせというけど、亡くなられた日の前後だったと思う。

大阪大空襲は1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけてだった。わたしの家は西区にあってアメリカ軍の空襲で焼け出され、命からがら親子離ればなれになって逃げた。わたしはいま焼けた家の近くに住んでいるのだが、なにも空襲について学ぼうとかいう気持ちをもたないで戦後50数年を過ごしてきた。それが田辺寄席の会報「寄合酒」に載っていた「田辺に落とされた模擬原爆、戦中戦後の男性と女性」という東住吉区女性学級の記事を読んで行ってみようと思った。講演内容もだが講師が小山仁示さんだったので、お会いしたくなったのだ。

その帰り道で、昔の仲間の話になり、わたしの知っていた夫人は若くして亡くなり再婚したこと、いっしょに遊んだ文学仲間の青年も最近亡くなったと教えてくれ、「昔の仲間で生きてるのはぼくときみだけや」と言われた。「ぼくも元気なつもりやけど、君は元気そうやな」と続けられ、わたしは「出世とかお金のことを考えへんから元気なんですわ」と答えて「変わらんなあ」と笑われたのだった。
それから2006年の講演会にもう一度行ったのが最後だった。そのときは面会者がたくさんいてお話できなかった。
小山仁示さんのご冥福をお祈りします。

ピーター・トレメイン『サクソンの司教冠』

アイルランドの修道女フィデルマが滞在中のローマの僧院で殺人事件が起こる。殺されたのはカンタベリー大司教の指名者ウィガードで、犯人はアイルランド人の修道士だとだれもが思っているようだ。もしそうならアイルランドとサクソンの間の争いが再燃する。
翌朝、ゲラシウス司教に呼び出されたフィデルマの前に現れたのは、ローマに滞在中のサクソン人の修道士エイダルフだった。前日挨拶にいったフィデルマが〈アイルランドのブレホン法の法廷に立つドーリィー〉と答えたのを覚えていたゲラシウス司教が、以前、フィデルマとエイダルフが協力して事件を解決したことから、今回もと命じた。二人の護衛に宮殿衛兵隊の小隊長リキニウスがつく。

真実を探ろうと二人は関わりのあった人たちに会って話を聞く。続く殺人、第三の殺人と追いかけるよりも早く事件は続いていく。殺人だけでなく、好色な修道士や、アレキサンドリアの図書館の放火による火事から救い出された貴重な本を巡る事件がある。ハードボイルドの女性探偵のようにフィデルマは地下墓地で襲われる。やがて殺されたカンタベリー大司教の指名者ウィガードの過去が明らかにされる。権力欲と色欲と所有欲、そして兄弟愛がフィデルマの明晰な頭脳によって明らかにされる。

なにも思わず7世紀アイルランドの修道女のシリーズとして読んでいたが、この時代だったのだ。
【「預言者?」「三十年ほど前に、亡くなった“メッカのムハンマド”のことです。彼の教えは、野火のように東方の人々の間に広がっていきました。彼らは、この新しい宗教をイスラム教と呼んでいますが、これは、“唯一神”、あるいは“アラーへの服従”という意味です。」】

アレキサンドリアの街への襲撃、そして図書館の放火について、
【「イスラム教というのは、ほんの数十年前に予言者ムハンムドが始めた新興宗教の信者だが(中略)彼らは、新しい教えに改宗しない者を“異教徒(カーフイル)”と称し、彼らの指導者たちは“聖戦(ジハード)”と叫びつつ、あらゆる“異境徒”を襲いはじめた。」】

事件を解決しローマでの用件も終わり、フィデルマはアイルランドに帰る船に乗ろうとしている。エイダルフが見送りにきているところへリキニウスがお別れの品を持ってくる。ゲラシウス司教もやってくる。エイダルフは船が見えなくなるまで見送っていた。
(甲斐満里江訳 創元推理文庫 1300円+税)

修道女フィデルマの物語を読んでいて思い出したこと

「サクソンの司教冠」はピーター・トレメインの修道女フィデルマシリーズの7冊目、短編集が2册と長編で上下になったのが3冊あるから冊数からいくと10冊目。
7世紀のアイルランドを舞台に修道女フィデルマが活躍するシリーズだが、今回は教会会議に出席する代表たちに法律上の助言をするためにローマにきている。
フィデルマはローマの司教にアイルランドの王たちは法廷に女性が立つことを認めているのかと問われて「修道女であるだけでなく、アイルランドのブレホン法の法廷に立つドーリィー(弁護士、時には裁判官としても活躍)でもありますので・・・」と答えている。
7世紀のアイルランドの物語を読んで羨ましがってます(笑)。

さっき、お風呂でわたしが若いときから比べると世の中は変わったといえる出来事を思い出した。もう30数年前のことだ。仲良しの女性が結婚した。もちろんずっと働くつもりでいる。結婚披露宴は会費制でたくさんの友だちが集まっていたが、挨拶でだれもが彼女に内助の功を求めるのである。しかも挨拶をするのは男性ばかり。わたしはだんだん怒りが溜まって、ついに手を挙げて「彼女ばかりが内助の功を求めらてますが、彼も彼女のために内助の功をやってください」といったら、しらけ鳥が飛んだ(笑)。

まだまだ女性の賃金は低く家事労働の負担も大きい。でも反原発のデモに行くと元気な女子がいっぱいいて、子どもを連れたお母さんたちが元気だ。すこしは世の中進んでいるよね。そう思いたい。そうやなかったらやっとられん(笑)。

レジナルド・ヒル『武器と女たち』を買って読んだ

さっき「武器と女たち」三度目を読み終えた。最初に読んだのは2002年で次に読んだのは2007年、2回とも図書館の本だ。今回はアマゾンの中古本で最後の4冊を買った。これで翻訳された本はみんな持っていていつでも好きなときに読める。箱に入れてしまうと取り出すのが面倒なので、本棚を整理してずらりと並べようかと考え中。いまのレジナルド・ヒル熱がそのままいくとすれば本棚でないとややこしい。
いま気がついたが5年おいての三回だ。いまや全册読んで(持って)いるから余裕である。シリーズの前のほうに出てきた登場人物がさりげなく出てくるのを楽しめるのもベテラン読者ならでこそ、えへん(笑)。

エリーとダフネ・オールダーマンは階級をこえて仲が良い。ダフネは「薔薇は死を夢見る」で知り合った資産家の妻である。今回は何者かに狙われたエリーを娘のロージーと犬のティグ(この犬も最初は「ベウラの頂」に登場、ウィールドが引き取って連れて帰り、病気が治ったロージーの友となる)ととも海辺の別荘に招待する。

ドクター・ジョー・サウデンは「死にぎわの台詞」で知り合った医師である。お互いに忙しくてぎすぎすするが、最後には今日は帰りにいっしょに飲みましょう、となった。それから仲良くなっていたのね。ここではダフネがエリーにかかわって怪我をし入院したときに出てくる。

このシリーズは登場人物がゆっくりと年を取っていく。それでも16冊目となればピーターは主任警部となり、エリーは本が最初の本が出版される手はずとなる。ふたりの娘ロージーは学校に行っている。それなりに貫禄がついているのを、若いシャーリー・ノヴェロ刑事はエリーとダフネを〈おばさん〉(ダフネは裸で海で泳ぐおばさん、エリーは詩を朗読するおばさん)としか認識してない。

ダフネの夫パトリックは薔薇と植物に精通している。別荘名の〈ノーズブリード・コテッジ〉が〈鼻血〉を意味することについてうんちくを傾ける。ノコギリソウのことを〈ノーズブリード〉という。その葉を鼻に入れると鼻血が出る。それが愛が本物がどうか確かめる方法なのだ。こんな話をエリーにする。
〈ノーズブリード・コテッジ〉に行って外で犬と遊んでいたロージーは、知らない女性から花束をもらう。エリーが見るとそれはノコギリソウだった。そこでエリーは詩を暗唱しノヴェロにいやがられる。
最後の一節は【わたしはすべての男を傷つけ、一人の男もわたしを傷つけることはない。】これはノコギリソウを摘むときに唱えるゲール語の呪文だとパトリックは教える。すごいなあ。
(松下祥子訳 ハヤカワポケットミステリ 1800円+税)

ナンシー・アサートン『ディミティおばさまと貴族館の脅迫状』

毎度Sさんに貸していただいているディミティおばさまのシリーズが7冊目になった。1年半経たないうちに7冊だから人気があるのね。たしかに嫌みがなくて読みやすい。
主人公のロリはいつも美男子とあやうい中になりかけるが、事件を片付け最後には優しい夫のビルのもとへもどる。
ロリはシカゴの労働者階級の生まれだが縁あってイギリスへ渡り、弁護士の夫ビルと双子の男の子とコッツウォールドに住んでいる。遺産を遺してくれたディミティおばさまは、ロリがひとりでいるときにノートを開くと流麗な文字で意見を書くという行為で存在する。
今回は隣家に住むエマが突然ロリのところへやってきたところからはじまる。

エマの夫デレクは前の妻を亡くし二人の子どもがいる建築家で、アメリカ人のエマとは二度目の結婚である。デレクは実は貴族の跡継ぎだったが父親に背いて自立していたのをエマに話していなかった。今回父のエルスティン伯爵に招待されたので行かねばならない。エマはロリにいっしょに行ってほしいと頼む。ビルは三カ月前から伯爵のアメリカでの事業の顧問弁護士になっているのでロリはいっしょに行くことにし、エマとロリは大慌てで衣装や持ち物を整える。

英国のお屋敷というと、わたしは映画「レベッカ」を思い出す。門を入ってからうねうねと車で行くと大きなお屋敷が見えてくる。ドロシー・L・セイヤーズのピーター卿のお屋敷もそうだったなぁ。まあ、そういう屋敷に到着し、それぞれの部屋に落ち着く。ロリはさっそくデレクのいとこサイモンと気が合う。サイモンの妻のジーナは伯爵の顧問弁護士として屋敷にいる。
(朝月千晶訳 RHブックス+プラス 820円+税)

金環日食、寝てました

今朝は熟睡していて金環日食を見なかった。関心があれば日食メガネを買ってるだろうし早くから起きてるよね。地球が暗くなるとこはちょっと見たかったかも。そんなことでネット検索でいまごろ読んでいるわけだが。

午前中にミクシィを開いたら、金環日食を見たという感動の書き込みがいくつかあったので「イイネ」をつけた。早くもkazunさんがブログに写真を載せている。ツイッターのタイムラインを読んだのは午後遅くなってからなので、すでに日食のツイートは少なかったけど、さすがに凝った写真があった。

こどものときに山梨のおばあちゃんに「あんた、木の葉が舞ってもおかしいづら。おらぁ、たたみが舞ってもおかしかないだよ」と言われたのを思い出す。いまやその心境かも(笑)。
夜の月ならなんぼでも見ているのに・・・と負け惜しみ。

そういえば、月食の時間あたりに夢を見ていた。目の前に海が広がっているのを海岸のホテルの庭から見ていた。海の向こうに太陽がほの暗く見えていたのは、昨夜寝る前に明日は日食やねと言ってたからかな。

「5/20 反原発デモ in 大阪!」に参加

「2012.5.20 反原発デモ in 大阪!」南堀江公園に13時半集合、14時半スタート。
コースは、南堀江公園〜四ツ橋筋〜アメリカ村〜御堂筋大丸前〜道頓堀橋〜難波〜元町公園で解散(16時半)。

いつも公園に近づくとなにか音が聞こえるのだが、今日は静か。公園に入ると人が少ないような。ほとんど知り合いが来てないがいつものF君がいた。植え込みの石に座っているとヤブ蚊が指を噛んだ。首筋を噛んだのと飛んでいるのを叩いた。蚊君はなぜかわたしを刺すのが不思議。
だんだん人が増えてきた。
出発前に主催者から体を無理しないようにと注意があった。もちろんわたしは水筒持参、古いパナマのつば広帽子。

いつも集合場所から道路へ出るときは昔の記憶が甦って緊張する。それにしても、生きているうちにまたデモの機会がくるなんて思いもよらなかった。
今日はサウンドデモでないので、太鼓のリズムにのせてシュプレヒコール。簡単な言葉を道路の人たちに向けて叫ぶ。「原発いらない」「再稼働反対」「こどもをまもれ」「おとながまもれ」。
アメリカ村は若者でいっぱいで、無視や不思議そうな顔の人も多いけど、手を叩いたり応援の身ぶりの人もいたし、途中から参加される人もいた。公園で作っていた小旗を道行く人に配っていたが、避ける人もいるけど喜んで振ってくれる人もいた。

今日も曇天のデモ日和。あんまり汗をかくこともなく歩いていた。最初のころからするとコースが短くなって、わたしでも完走(完歩き)できる。相次ぐデモや集会があるから集まりにくいだろうと思ったが、途中参加の人が多くて、200人はいるなという声を聞いた。
静かに公園へもどって主催者の挨拶を聞きカンパして帰った。今日は12回目。