ミクシィ・コミュニティ「昔 素敵な少女雑誌があった」を懐かしむ

昔の少女雑誌「白鳥」のことを「幻の雑誌『白鳥』と内田静枝編『長沢節』というタイトルで2007年1月に書いている。
そのころJさんが主催していたミクシィのコミュニティ「昔 素敵な少女雑誌があった」にずいぶん書き込んだ覚えがあるが、いつの間にかコミュ自体が消えてしまった。60年くらい前の少女雑誌の写真をたくさん見せてくださってすごくありがたくうれしかったのだが。こんなことなら気に入った写真だけでも保存しておけばよかったと思ったが後の祭り。でもこどものときから少女時代にかけて心の友だった少女雑誌の写真を再び見られた喜びの気持ちは残っていてそれだけでも充分と思っている。

それから7〜8年経って、最近、Jさんがミクシィに再度出てこられたのでちょっと言葉を交わした。そしたらこのサイトを教えてくださった。
吉本由美さんによる『吉本由美のこちら熊本!』というサイトの<a href=”http://kumamonne.blog.fc2.com/blog-entry-66.html”_blank”>「小さな町の小さな図書館は少女雑誌の宝島」(2013.05.04)</a>という記事。いざとなったら熊本の菊陽町図書館に行ったらいいのである。多分行かないだろうが、そこに存在していると思うだけでも満足。
Jさん、教えてくださってありがとうございます。

そういえば、こどものとき読んだ本を探して、千里の国際児童図書館にあるのがわかり、コピーしてもらったことがあった。
願えば叶うものだと思ったものだ。願いにはかなりの努力が必要だが・・・。今回はJさんが当時わたしが喜んだことを覚えてくださったからね。そしてミクシィをやめずにいたから。

吉田喜重監督『鏡の女たち』

まだ「エロス+虐殺」を消化しきってないのに、見たい欲が高まって「鏡の女たち」のDVDを購入。今日中に届くとのことで昼と夕方と2回郵便受けを見に行った。晩ご飯後すぐに見た。

「鏡の女たち」は2002年の作品。
東京の閑静な住宅街に夫を亡くしたあと一人で住む女性 愛(岡田茉莉子)のところへ、娘 美和(田中好子)の母子手帳を持った女が見つかったと連絡があった。20年前に家出した娘はその4年後に出産したが赤ん坊を置いて失踪したままである。訪ねると正子と名乗ったその女性は記憶を失ったまま自分は誰かわからない。愛はアメリカ留学中の孫 夏来(一色紗英)に連絡する。

アパートで家と同じように割った跡のついた鏡を見て自分の娘と確信する母。
祖母をママと呼んで育った孫の夏来は自分を産んだ母が現れたと聞いて驚く。
三人はルーツの広島に旅立った。

メイキングを見たら、吉田監督が自身が原爆を描くことについて謙虚なコメントを述べていた。
「ヒロシマわが愛 二十四時間の情事」をわたしは封切りで見た。1959年にアラン・レネがヒロシマを語った。2002年に吉田喜重「鏡の女たち」がヒロシマを語った。

吉田喜重監督『エロス+虐殺』〈ロング・バージョン〉

1970年公開の作品。公開時に見た記憶があるから45年前だ。覚えていないところばかりだが、思い出したところもあり。今回は216分のロング・バージョンだから公開時の映画館では1時間近く短縮されていたと思う。

なんとなく興味を持って買った「ユリイカ」(高峰秀子特集号)で、吉田喜重監督のインタビューを読んで、論理的な人だと驚いたのが最初だ。次に岡田茉莉子の「女優 岡田茉莉子」を買って読んだ。この本がまたすごくページ数が多くておもしろく、しばらく岡田茉莉子さんオンリーで過ごした。
岡田茉莉子と吉田喜重監督に惹かれて次に買って読んでいるのが吉田喜重「小津安二郎の反映画」(岩波書店)。いま注文中が「ユリイカ」(吉田喜重特集号)で明日くらい届くはず。
ということで、ミステリ読書はお休み中である。
その流れで今日はYouTubeで「エロス+虐殺」を見たというわけ。まだまだ見ていないのがあるのを調べて、さっき「鏡の女たち」のDVDを注文した。

ありゃ、もう2時半だ。映画の感想はまた今度書くことにして今夜は寝る。

吉田喜重監督『エロス+虐殺』日陰茶屋事件

画面には「春三月縊り残され花に舞う」と大杉栄が詠んだ句が浮かぶ。

無政府主義者 大杉栄には妻の堀保子と以前からつきあっていた神近市子がいて、新しく出会った伊藤野枝とも関係ができる。
大杉と野枝には生活力がなく、市子が働いたお金を貢いで生活が成り立っている。
映画「エロス+虐殺」は1916年に起きた日陰茶屋事件を中心に描かれている。
実際の事件は葉山の日陰茶屋に滞在している大杉を神近市子が刺し重傷を負わせる。市子は海岸で入水自殺をしようとしたが死ねずに、ずぶ濡れ姿のまま交番に自首した。野枝は市子が来たときに東京へ帰って行った。

映画では、野枝が日陰茶屋に戻ってきて3人の長い会話と絡み合いになる。
3人の交わす会話と動き、特に日本座敷の障子や襖の開け閉め、次々と倒れていく白い襖に圧倒される。

昨日、この映画を見て「日陰茶屋事件」ってあの・・・と思い出した。関東大震災のとき、わたしの両親はまだ新婚で祖母とともに東京に住んでいたが、地震で家がつぶされ、近所の神社の大木の根元で夜を明かしたと言っていた。震災から年月が経って生まれたわたしだが、こどものときから震災と大杉栄たちのことを知っていた。苦労話をするときセットで語られたからである。主義者や朝鮮人に対する流言飛語が飛び交ったこと、大杉と伊藤野枝と甥の3人が甘粕大尉らに虐殺されたことは震災の苦労とともに語られ、昨夜わたしは久しぶりに亡き父母の話しぶりを思い出した。

映画『水で書かれた物語』岡田茉莉子と吉田喜重監督

岡田茉莉子が書いた「自伝 岡田茉莉子」を読んでいたら、小津安二郎、木下恵介を筆頭に日本映画の監督がたくさん登場するので、日本映画見たい熱が上がっている。特に茉莉子さんの夫である吉田喜重監督の映画が見たい!!
わたしが見たのは「秋津温泉」「エロス+虐殺」「嵐が丘」だけだ。今夜見た「水で書かれた物語」もすごくよかった。
「ユリイカ」でのインタビューを読んだら本も読みたくなって、おととい注文した「小津安二郎の反映画」が今日はまだだったが明日には届くだろう。

さっきまで「水で書かれた物語」を見て、その後に特典として吉田監督と岡田茉莉子さんへのインタビューがついていたので、時間が気になったが見てしまった。たしか2004年に行われたNHKのものだった。とにかくカッコいいカップルである。

吉田喜重監督・石坂洋次郎原作『水で書かれた物語』

これから当分は吉田喜重監督の映画を見ていこうと思う。いままで見たのは「秋津温泉」「エロス+虐殺」「嵐が丘」。昨夜見た石坂洋次郎原作「水で書かれた物語」(1965)は「秋津温泉」の次の作品である。
信州上田で撮影されたということで、上田に住んでいる友人を思い出しつつ見た。大阪市内にいると周囲がビルだらけで、たまに京都へ出ると東山が見えてうれしくなる。昨夜もそんな感じで山が見えるところに住みたいなとちらっと思った。

父(岸田森)が結核で早く亡くなって、華道を教える母(岡田茉莉子)と二人で暮らす息子(入川保則)は銀行に勤務している。母はずっと昔から実業家の山形勲と関係があった。山形の娘(浅丘ルリ子)は積極的に入川に近づき結婚にいたるが、入川は鬱々としている。こどものとき母が山形の家に通うのを見ていたからだ。もしかして自分と浅丘は兄妹ではないかと疑問を持つ。
着物姿で白いパラソルをさして歩く母の姿を追った日を忘れられない息子。
いまも母はバラの刺繍のある白いパラソルをさしているが、入川が浅丘ルリ子と泊まった日に温泉の中庭の窓際に干してあるパラソルを見てしまう。
父と母の乗った車は事故を起こして止まっていて父は死んでいた。
若い二人は母を探して湖に出る。やがて母のパラソルが浮かんでいるのを発見。
病気の父親を演じている岸田森が美しかった。

小津安二郎監督『秋日和』

小津の作品で映画館で見たのは「東京物語」(1953)と「晩春」(1949)だけだ。小津の映画をあまり好きでなかった。だけどなぜか「東京物語」のいろんな場面をいまも鮮明に思い出す。
「晩春」は娘と父親が娘の嫁入り前に旅行するのだが、旅館の同じ部屋に布団を並べるところがなんかいやだった。そのことについてはいろいろと説があるのを最近ネットで知った。

岡田茉莉子の自伝「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)は、日本映画の全盛期が終わっていく時代に映画スターとして輝いた彼女の長い映画と人生が語られている。関わった映画監督たちも多数で、日本映画史になっているのも素晴らしい。

小津監督は岡田茉莉子の父、岡田時彦の映画を撮っており、茉莉子のことを〈お嬢さん)と呼んで可愛がってくれたが、茉莉子が女優になったのは小津監督の晩年であったため、出演映画は「秋日和」(1960)の他には「秋刀魚の味」(1962 遺作)の2本だけだ。

「秋日和」
「彼岸花」についで里見弴の原作をもとにした2本目の作品。原節子がはじめて母親役を演じている。娘アヤ子が司葉子で、岡田茉莉子はアヤ子の仕事の同僚であり親友で下町の寿司屋の娘の百合子。
原節子の夫の七回忌に集まった親友3人(佐分利信、中村伸郎、北竜二)の会話はアヤ子の結婚になり、佐分利信の会社の社員佐田啓二が候補にあがる。しかし話が進まないので、母親が先に結婚するのがいいと、独身の大学教授 北竜二に話が向かい、本人もその気になるが、母親のほうはその気になれない。アヤ子は自分に黙って母親が結婚すると誤解し百合子に話す。百合子は中年の3人を集めて糾弾する。
原節子は自分は一人で暮らすからとアヤ子に結婚するように説得する。
アヤ子の結婚式の夜、ひとり質素なアパートにもどった母は寝床を整える。そこへ式後に銀座へ出かけた帰りの百合子が訪れ、これからもときどき寄りますねと伝えて帰っていく。

吉田喜重「小津安二郎の反映画」(岩波書店1998年発行)が明日あたり届くのでしっかり勉強するつもり。

谷崎潤一郎『鍵』

ちょっと前のことだが梅田で待ち時間があったときに読むものをなにも持ってないのに気がつき、大阪駅構内のイカリスーパーの横にある本屋に入って文庫本を探した。今年になってから川端康成の文庫本をけっこう買って読んでいる。新い文庫本の紙の手触りが気持ちよい。新しいといっても本が新しいのであって中身は古典である(笑)。アマゾンの中古本にまさかあると思わなかった井上靖の「夢見る沼」なんか古い本があっただけでありがたかったが、文庫本は新本が好きである。
ざっと眺めてその日は谷崎潤一郎にした。谷崎は好きでけっこう読んでいるが、読んでなかった「鍵・瘋癲老人日記」にした。発表当時はずいぶん話題になった作品である。

そのときは本は不要だったので帰って未読本の箱に入れておいたのを、数日前から他の本と並行して読み出した。内容がきついので今回は「鍵」だけにした。発表当時にいろんなところで紹介されていたからどういう小説かわかっているけど、いざ読むとすごさがあって感嘆した。

夫婦ともに秘密の日記を書いていて、相手が読んだか気にしていると書いて、こういうふうに隠したとかセロテープを貼ったのを剥がした跡とか、鍵が落ちていたとか、中年というより老年にさしかかろうとしている夫婦の話。酔ってセックスして、熟睡しているところをポラロイドカメラで撮って・・・
読み終わったとき、これは「文学」だと感じた。
(「鍵・瘋癲老人日記」 新潮文庫 630円+税)

木下恵介監督・製作・脚本「香華」

「婦人公論」1961年1月〜12月に連載された有吉佐和子の原作小説の映画化。1部〈吾亦紅の章〉、2部〈三椏の章〉と分かれていて合計201分の白黒映画、1964年。
はじまりは紀州の小地主の家。祖母を田中絹代、母郁代を乙羽信子、主人公朋子を岡田茉莉子。

郁代は20歳で後家になったが小学生の朋子を母の家に残して高坂の後妻となる。村人の噂の中を花嫁姿で嫁ぐ母を見送る朋子は祖母と暮らしていたが、やがて祖母は死に、母の嫁ぎ先へ。まもなく継父が静岡の遊郭へ連れて行って半玉として売る。賢い朋子は勉強もでき芸事にも励んで日々を過ごしていた。そこへ郁代が花魁として売られてきた。

朋子はここからすごく美しい岡田茉莉子になる。東京弁がすごく歯切れ良い。
17歳になった朋子は東京赤坂でおかみさん(杉村春子)に礼儀作法と一流の芸をしつけられてお座敷へ。やがて貴族に水揚げされて小牡丹という名で一本立ちする。
士官学校の江崎(加藤剛)を知って一世一代の恋をする。真面目な江崎に待ってくれと頼み、伯爵の世話で独立して置き屋をはじめて6年。
伯爵が病死して、葬式にも行けない身分を実感する朋子。追い打ちをかけるように、母が女郎だったことを理由に反対され結婚できないと江崎に告げられる。
40代半ばの母は昔の雇い人と結婚するとはしゃぐが、朋子にはだれもいない。

関東大震災で全てが壊されたが店を建て直し仕事に生きる。
第二次大戦がはじまり緊張の日々。訪ねてきた旧知の野沢(岡田英次)と京都へ行くが、そのとき東京は大空襲でなにもかも焼かれてしまう。
焼け跡の防空壕生活が続くが、やがて建て直し店をはじめて安定してきたころ、新聞で江崎が絞首刑されるという記事を見つける。巣鴨の収容所に通い続けて一度だけ顔を見ることができたが、その後絞首刑されたと知る。

倒れて入院した朋子を見舞いに行こうとして交通事故に遭い母は死亡。遺骨を持って和歌山に行くが引き取りを断られ、遺骨の包みを壁にぶつける。
いまは夫と別れてもどってきた妹の息子の面倒をみるのが楽しみになっている。

座敷に座って少しだけ会話する男が菅原文太。若き日の文太さんが二回出てきた。
加藤剛と岡田英次と菅原文太の3人が見られてよかった。

成瀬巳喜男監督『稲妻』

「ユリイカ」4月号(高峰秀子特集)を読んでいたら高峰秀子が出ている映画を見たくなった。わたしが見たのを思い出すとごくわずか。「細雪」(1950)「女の園」(1954)「浮雲」(1955)「女が階段を上る時」(1960 映画館で見た)くらいである。これから少し気を入れて見ていかねば。
成瀬巳喜男監督作品のリストを見ていくとかなり見ているのがわかったが、全体からするとわずかなのでこちらも見ていかねば。

子どものころ映画館には連れて行ってもらわなかったが(行く場合は洋画だった)、家にあった映画雑誌でたくさん高峰秀子(でこちゃん)の写真と記事を読んだ。その次には姉の雑誌「それいゆ」でパリ旅行記を読んで憧れた。
その後は洋画一辺倒できたので気にしていなかったけど、最近になってその生涯が気になりはじめた。

「稲妻」(1952)は林芙美子の小説の映画化で、それぞれ父親が違う4人きょうだいの長女(村田知英子)、次女(三浦充子)、バスガイドの三女清子(高峰秀子)と息子の丸山修。母親が浦辺粂子で、父親がそれぞれ違う家族が東京の下町で暮らす姿が描かれている。
4人は不和ではないが、清子以外はみんな連れ合いがいてややこしい。清子に求婚している綱吉が姉たちにも手を出したので、最初からこの話に嫌気がさしている清子は家を出て静かな住宅地に下宿する。たまたま隣家には音楽を学ぶ娘と真面目な兄が住んでいてつきあいがはじまる。

下宿に母が訪ねてきて口喧嘩から二人が泣き出すシーンがすごい。
「産まなきゃよかった」と母親、「産んでくれなきゃよかった」と娘。
でも、泣き止んだ清子は「お母さん、今夜は泊まっていったら」という。
帰る母を送って暗い道を歩く二人。お母さんがくれた指輪は本物のルビーだったと清子がいい、「あの人は偽物をくれるような人ではないよ」と母親。

東京の下町の裏通りのセットが切ないような懐かしいような感じで迫ってきてやるせない。