ジョー・ネスボ「スノーマン 上下」

ミステリを最近まったくというほど読んでいない。その上興味にまかせて他の分野の本を読むものだから、ミステリの感想がなかなか書けない。ジョー・ネスボ「スノーマン 上下」をとっくの昔に読み終わったんだけど、記憶が遠ざかっていく。その前にサラ・グランの「探偵は壊れた街で」を途中まで読んだだけで置いてある。他にも読みかけや積ん読のミステリ本が・・・もしかしたら読んで感想を書いたのは2月に読んで読書会にも行ったエラリイ・クイーン「災厄の町」〔新訳版〕ではなかろうか。あっ、そうそう、イアン・ランキン「他人の墓の中に立ち」は読んで感想も書いた。スコットランドについても地図出して空想していた。それくらいかも。

そんなことを思い出しつつ本を取り出した。このクソ暑いときによりもよって「雪だるま」とは! しかもノルウェーのオスロだから超寒いところ。寒そうな表紙を見たって涼しくはならない。

本書を教えてくれたのは小児科医の山田真さんで、ヴィク・ファン・クラブの会報に丁寧に紹介文を書いてくださった。
【ヘニング・マンケルがヴァランダー警部ものを書かなくなった現在、北欧ミステリーの旗手はネスボだと言われますが、そう云ってもいいと納得できる『スノーマン』でした。】
おお、そうなんだーと本を買って期待して読んだ。

主人公はオスロ警察警部ハリー・ホーレ。スウェーデンのヴァランダー警部におとらぬ突っ込んでいく警官である。転勤してきたカトリーネ・ブラット刑事は頭が良くて美しく、美しさを武器にする才能がある。
ハリーは昔の恋人ラケルと会って食事をする。ラケルとは別れたがこうして話せる関係である。息子のオレグともうまくいっていたのにラケルが出て行ったのはハリーが仕事に突き進みすぎたから。ラケルは新しい恋人の医師マティアスと同居することになったと言う。

オスロに初雪が降った日、一人の女性が姿を消し、彼女のスカーフを雪だるまが巻いていた。捜査をはじめたハリーはこの10年間で女性が失踪したまま未解決になっているのに気がつく。そして「雪だるま」事件は連続殺人事件のようになってきた。

ハリーは上司に事件の解決が見えないことを責められて言い返す。「これまでも、いまも、おれが考えているのは犯人をどうやって捕まえるかについてであって、捕まえそこねたときにどうやって自分を正当化するかではありません」。
まだ1/4くらいのところでそう言ったのだから、それからあとの3/4ものスペースで連続殺人が起こり、捜査の苦労が延々とある。
いま少し読み返しただけでも北欧ミステリの良さがどかーんと伝わってきた。またミステリにもどって積ん読本を減らしていこう。
(戸田裕之訳 集英社文庫 上下とも800円+税)

今夜もニコニコ動画『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』

ここ数日は日記のアップが遅くなっている日が多い。10時から12時までの番組「ニコニコドキュメンタリー」を見てから書いていた。詳しくは【ドキュメンタリーを中心とした世界の映像作品を配信する「ニコニコドキュメンタリー」がスタート。第1弾として、日韓問題を描いたオリジナル作品を配信する。】というもの。
わたしはニコニコ動画には関心がなかったし、こういう番組が始まるのも知らなかったが、相方が突然「これから見るけど・・・」というのでなにも知らずに見た。【第1弾、BBCワールドワイドから推薦を受けたイギリスの制作会社 BLAKEWAY が国際的な第三者の視点から「日韓問題」を描いたオリジナルドキュメンタリー。『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』】がすごく良かった。そのあとの討論も勉強になった。
まだ続く番組だけど、今日は「朴槿令(パク・クンリョン)氏インタビュー 聞き手:津田大介」だった。
昨日の『「ヘイトスピーチ」を考えよう』には作家の中沢けいさんが出ておられて、理路整然で元気いっぱいの発言に驚いた。
7日に『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』のエピソード2があって、8日は討論がある。両方とも楽しみだ。

わたしの自炊本(PDF)第1号は「嵐が丘」

おととい7月31日に500円玉貯金を入金してきて、買うと決めてあったスキャナと断裁機を注文した。それが8月1日の朝に断裁機が届き、スキャナが今日2日の朝に届いた。すっごいスピードに驚くけど付いていく(笑)。
ええ塩梅に断裁機がさきにきたので、さっそく用意してあった本を断裁(わたしでなくて相方が)して準備OK。今日はさっそくスキャンにかかり、相方の古い文庫本を数冊やってみてOKだったので、午後から「嵐が丘」をやってもらった。表紙カバーも入って上品な出来上がり。字が小さくて読めなかった文庫本がiPad miniで読むと読みやすくて涙が出そう。
この調子だとぎっしりつまった本棚ひとつが思ったより早く整理できるかも。押入れの本も引っ張り出してきて整理できるかも。

最近とみに充実した時間を過ごしている実感がある。いまを走っているという気持ち。

小津安二郎監督「晩春」

「晩春」は1949年の作品で、ずっと公開時に見たと思いこんでいたが、49年に見たはずがない。いったいいつ見たのだろう。ベ平連のころより先か後か、全然わからん。一人で見に行ったのはたしか。そうだ!「東京物語」(1953)を見たあとだ。「東京物語」が評判良かったので小津特集とかやったのかな。

独り者の父(笠智衆)と結婚の決まった娘紀子(原節子)の二人が京都へ旅して旅館で枕を並べて眠るシーンに驚いたのをいまも覚えている。それこそ、紀子が叔父の再婚に「不潔!」と言った以上だと思ったものだ。もっとも、紀子は間違ったことを言ったと自分の結婚が決まってから後悔していたが。

能楽堂のシーンはよく覚えている。のちに梅若万三郎さんの「杜若」を産経観世能で見たことがあるのだが、晩年の万三郎さんが素晴らしかった。
能を見ながら父は再婚話の相手に目礼する。それを見た紀子の嫉妬心が能面のような表情の下に見え隠れする。

ベ平連のころ

アメリカ軍の北ベトナムへの〈北爆〉に対する抗議活動市民団体「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(ベ平連)は1965年に発足した。のちに「ベトナムに平和を!市民連合」に名称変更。
なんで知ったのかどう連絡したのか覚えてないが、月に一度くらい出ていた通信を購読して、大阪でベ平連主催の講演会があるときは行っていた。朝までの徹夜集会というのに行って朝帰りして近所の主婦に嘲るような顔をされたのを覚えている。

65年の9月にサルトルとヴォーボワールが来日し、ベ平連主催の講演会があるというので頑張って入場券を購入し東京へ行った。そのころはヴォーボワールに夢中だった。講演会が終わって外へ出るとお二人と鶴見良行さんたちがおられたのをうらやましく見ていた。

だいぶ経ってからだと思うが、「関西ベ平連」というのが発足するというので、喜んでその会に行ったが、労働組合ぽい匂いを感じて遠ざかった。
その後は新聞を送ってもらいカンパするだけになった。

のちのち、阪神大震災のボランティアをしているときの会合で小田実さんが側におられてお互いに顔を見たのだけれどなにも言わずだった。それからしばらくして小田さんは亡くなられた。
吉川勇一さんが亡くなり、鶴見俊輔さんが亡くなって、ベ平連の中心を担った方々がいなくなっていく。ベ平連を実際に知っている人も少なくなっただろうから、できるだけ当時を思い出して書いておこう。

小津安二郎監督「麦秋」

「麦秋」という言葉が好きだけど実った麦畑を見たのはほんの数度あるだけで、だからこそ「麦秋」という言葉に惹かれるのかもしれない。
「麦秋」(1951)は爽やかな風に揺れる麦畑のように後味の良い作品だった。

北鎌倉に老いた両親と長男の医師康一(笠智衆)と妻(三宅邦子)と男の子2人の一家、それに会社勤めをしている長女紀子(原節子)が穏やかに暮らしている。日常の些事を描きながら映画はゆっくりとすすんでいく。

大和から来た伯父が紀子が28歳で独身なのを心配し息子をせかす。
紀子の会社専務の紹介があって話は決まりそうだったが、年齢が行き過ぎと家族は気にする。
近所に住む医師の矢部は戦争で死んだ紀子の兄の友人で、妻が女の子を残して亡くなり、母親(杉村春子)と暮らしている。
ちょっとした用事で矢部の家を訪れた紀子は、母親から息子が秋田の病院へ転勤する話を聞き、その流れであなたのような人と結婚できたらという言葉に、あたしでよかったらと自然に言葉が出た。
そこからは家族からなにを言われてもにこにこと自分を通す紀子。親友(淡島千景)もびっくりするが納得。

最後に紀子と兄嫁が海岸を歩くシーンが美しくて、後味の良い映画だった。その後、大和に暮らす老親たちが実った麦畑を眺めながら話すシーンがよかった。

溝口健二監督「新・平家物語」市川雷蔵の平清盛

ほとんど日本映画を見ないできたから、機会があればできるだけ見たい。いま見たばかりの「新・平家物語」(1955)は大好きな市川雷蔵が清盛をやっている。母の泰子(木暮実千代)は祇園の白拍子出身で白河上皇の寵愛を受けていたが妊娠し、上皇の意向で清盛の父の忠盛の妻となる。清盛は忠盛の嫡子として育ったが、実は上皇の子とわかり苦悩する。
清盛は貧乏貴族の娘でてきぱきした時子(久我美子)に惹かれて結婚する。なんやかやと断片的な知識がある時子夫人とはこうして結ばれたのかと納得。久我美子さん清潔感があふれて美しい。
木暮実千代の胸の谷間がきれいで色気が充満していた。胸の谷間をちらと見せて上着を羽織るのはいまも同じ。
市川雷蔵は優しい顔つきを太いゲジゲジ眉毛にして逞しい男に見せていた。貴族社会の終焉とこれからくる武士社会のはじまりの時代を生き抜く勢いを感じさせてよかった。

原作(吉川英治)を読んでないし、テレビドラマもほとんど見ていないし、いい加減な歴史の知識しか持っていなかったからおもしろく見た。比叡山のシーンといい、牛車がゆったり歩く京の道といい、それぞれの屋敷の佇まいといい、豪華なロケやセットで映画製作にまだ力があった時代。

小津安二郎監督「秋刀魚の味」

「秋刀魚の味」(1962)は小津安二郎監督の最後の作品である。小津安二郎は1962年60歳の誕生日に亡くなった。
小津の作品をあまり見ていないまま岡田茉莉子の自伝や吉田喜重の「小津安二郎の反映画」を読んだので頭でっかちになっている。これはいかんとチャンスがあれば見ていこうと思い、今夜「秋刀魚の味」を見た。

先日見た「秋日和」とほとんど同じシチュエーションで、年頃の娘路子(岩下志麻)と次男と暮らす父(笠智衆)を中心に中村伸郎、北竜二が元同級生で飲み仲間。彼らは仲が良くよく飲みよくしゃべる。昔の先生を囲んでの飲み会があり、送っていくと先生は下町でラーメン屋をやっており、いかず後家の娘(杉村春子)がいる。ラーメンを食べに来た客が戦争に行ったときの部下だった。彼に連れられて行ったトリスバーでその店の女性(岸田今日子)に亡き妻の面影を見る。
杉村春子と岸田今日子が絶品。

友人達は先生親子のようにならないように早く娘を嫁にやるように忠告する。
長男(佐田啓二)と嫁(岡田茉莉子)は共稼ぎでアパートに住んでいる。ゴルフ道具が欲しくてたまらない夫を妻は牽制するが、会社の同僚(吉田輝雄)からのセットを月賦で支払うことにする。
路子は吉田に好意を持つが、つねづね結婚する気がないと言っているので、彼は違う女性と結婚の約束をしてしまう。

その後路子は父親の友人の紹介で結婚することになり花嫁姿で家を出るシーンにつながる。
結婚式を終えた笠智衆は中村伸郎宅で飲んでいたが一人よろよろと立ち上がる。トリスバーに行く哀愁のこもった姿が絶品。家で式服のままでじっと待っている長男夫婦。寝間着姿の次男は父親の顔を見るとほっとして「おれは寝るよ」。

木下恵介監督「今年の恋」

1962年のモノクロ映画。二人の仲良し高校生が悪いグループに襲われて強くなろうとボクシングを習おうとジムに通う。二人の姉と兄、両親の小料理屋で働いている岡田茉莉子と金持ちの大学院生の吉田輝雄が偶然知り合う。二人ともきょうだい思いのいい姉と兄なんだけど、相手を非難しあって喧嘩ばかり。
お互いに好意を持つのに反発しあう二人の言い合いが楽しいラブコメディ。最後は大晦日に京都知恩院で除夜の鐘を並んでつくというおしゃれな設定である。
高校生の一人が田村正和、ばあやに東山千栄子、学校の先生に三木のり平、岡田茉莉子の両親が三遊亭円遊と浪花千栄子と懐かしい人が出ている。
東京から熱海に車で行くことになるのだが、その道中の景色、富士山や熱海の海岸道路も懐かしい。

いま53年前の映画を見てこんなに笑えたのだからすごい。こんなおしゃれなラブコメディが日本映画にあったんや。この映画を見ないでなにをしてたんやろ。まあこの映画を見てこんなに笑って楽しめるのはいまやからでしょう。

吉田喜重監督「嵐が丘」を再び見て

さっきまで吉田喜重監督の「嵐が丘」(1988)を熱中して見ていた。二度目だったから検索したら2011年のお盆休みに見て感想を書いていた。わたしとしては熱狂が不足している(笑)。それまでに吉田監督の映画は2本しか見てなくて「これからできるだけ追いかけたい」と最後に書いているが、口だけだった。すみません。(「秋津温泉」(1962)と「エロス+虐殺」(1969)は封切りで見ていたのだけれど。)

今回は最近何度も書いているけど、「ユリイカ」高峰秀子特集のインタビューで吉田喜重すごいと思い、パートナーの岡田茉莉子さんの自伝を読み、著書の「小津安二郎の反映画」を読み、ユリイカの吉田喜重特集を読んでいる最中である。
突然、炎のごとくに吉田喜重熱が高まっていて、映画のほうはDVDで「水で書かれた物語」、「鏡の女たち」、「エロス+虐殺」を見た。つぎは「嵐が丘」をもう一度見ようと決めていた。

エミリ・ブロンテ「嵐が丘」の舞台ヨークシャーと主人公ヒースクリフとキャサリンを日本の中世の荒涼たる風景に置き換えていて見事。
人里離れた山の中にあるお社のような山辺一族の屋敷で、あるじ(三國連太郎)が都から汚らしい孤児を連れて帰ってきたところからはじまる。屋敷には娘の絹と息子の秀丸が待っていた。新しい仲間の鬼丸を絹は遊び相手にするが、秀丸は目の敵にして虐待する。
月日が経ち、鬼丸(松田優作)は絹(大人になってから田中裕子)とは惹かれあい、秀丸とは憎しみ合う。
絹が亡くなると墓を掘り出し骸骨になっても愛する鬼丸。

すべての人物の基本の動きが能の動作であるのを今夜改めて確かめるように見た。実はわたしはひところ能に凝っていた。謡を習ったりはしないけど、見るのが得意なのである。中世の愛と憎しみを描くのに能の様式がぴったりだった。