スティーヴン・ダルドリー監督『愛を読むひと』

雨が降ってるし、しっとりとした映画が見たいなと探し出した。「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー監督だから間違いないと「愛を読むひと」(2008)にしたら、思った通り心にしみる映画だった。貸してくださったTさんに感謝。
原作はベルンハルト・シュリンク「朗読者」(新潮文庫)。

1958年のドイツ、ノイシュタット。15歳の少年マイケル(デヴィッド・クロス、成人後はレイフ・ファインズ)は下校中に体調が悪くなり、通りかかったアパートの入り口でうずくまる。そのアパートに住む市電の車掌のハンナ(ケイト・ウィンスレット)が助けてくれ、その礼を言いに行ったときから、二人の関係がはじまる。マイケルは毎日学校帰りにハンナの家に通うようになるが、本の朗読を頼まれ、セックスと朗読の日々を過ごす。じっくりと入浴場面や朗読場面が描かれて、彼らはどうなるのかこちらも手に汗をかいた。自転車一泊旅行でランチを食べると店の女性が「お母さんとご一緒でいいですね」なんて言う。すぐにハンナにキスするマイケル。学校でクラスメートたちとつきあわないし、家でも家族からヘンな目で見られている。

数カ月後に突然ハンナは姿を消す。
マイケルは成長して法科の学生になった(大学の先生ブルーノ・ガンツがいい感じ)。体験学習でナチスの裁判を傍聴することになったマイケルは被告席にいるハンナを見て驚く。彼女は第二次大戦中に捕虜収容所で働いていて、たくさんの囚人たちをガス室へ送っていた。
他の被告たちがハンナに罪を押し付ける。裁判官は書類のサインで筆跡鑑定をしようとするがハンナは拒否。実はハンナは文盲だった。そして彼女一人が無期懲役となる。マイケルは悩むがなにもしなかった。

結婚し娘が生まれ離婚したマイケルはやり手の弁護士。昔の本を見つけてカセットテープに吹き込みハンナに送る。だいぶ経ってハンナから礼の手紙がくるが、片言の短いものだった。それで、ハンナが文盲ということがわかる。ハンナは朗読された本を図書館で借りて、単語を組み合わせた文章を書いたのだ。
それからまた月日が経ち、ハンナは釈放されることにり、身寄りがないためマイケルが身元引き受け人に選ばれる。マイケルはハンナに会いに行く。
釈放される日にマイケルが花を持って行くとハンナは自殺していた。溜めてあるお金を収容所で生き残った母子に渡してほしいと遺書にあった。

マイケルは被害者に会うためにアメリカへいく。豪華な住まいの彼女はお金はいらないけど、入れてある古いお茶の缶を受け取る。ここでマイケルははじめて心に秘めていたことを話すことができた。
娘を連れてハンナの墓に行き彼女にすべてを話そうというところで終わり。

シャム猫ココシリーズ

シャム猫ココシリーズ29冊のうち25冊までをJさんが1月に送ってくださった。毎月少しずつ読んでいる。いま22冊目「猫は流れ星を見る」を読んでるところ。うちには本を置く場所がないので友人にもらってもらうことにして、読んだら渡すことにしている。Jさんが大切に読んでいたのがわかるきれいな文庫本である。
検索したら表があって、全作品のタイトルと刊行年月がわかる。翻訳名はすべて「猫は・・・」となっており、原題は「The Cat Who ・・・」である。翻訳はすべて羽田詩津子さん。

主人公はシャム猫のココとヤムヤム、そして飼い主のクィラランと恋人のポリー。そして親切な町のひとたち。
ジム・クィラランはもと新聞記者でいっぱいいっぱいの生活だったが、突然、莫大な遺産を相続することになった。相続の条件がピカックス市に住むこと。それでクィラランは猫2匹とともにこの町に引っ越してきた。お酒も飲まないし地味な生活である。クィラランは市のためになにかしようと基金を設ける。

図書館長のポリーとクィラランは愛しあっているが、ふたりの飼い猫の相性が悪くて、そして紅茶派のポリーとコーヒー派のクィラランだから結婚は無理なんだって。でも毎日のように晩餐をしにレストランへ行き、しょっちゅう電話しあっている。
(羽田詩津子訳 ハヤカワ文庫 22巻は660円+税)

オリヴァー・ハリス『バッドタイム・ブルース』

これも友人にいただいた本で、最近は自分で買うよりもらうほうが多いみたい。いただいて読むのはハズレもあるけど、たいてい自分では買わない本なのでアタリだとすごくうれしくなる。今回もアタリでうれしい。

主人公はロンドンの高級住宅地ハムステッド犯罪捜査課刑事ニック・ベルシー、38歳。この日、彼が目が覚めたのはハムステッド公園の小さな丘で、上半身がずきずき痛むし、腕時計も鍵も携帯電話もない。血がぽたぽた落ちるので、白鳥のいる池へ降りていって水の中へ頭をつっこむ。
出勤して洗面所で着ているものを脱いで洗う。カードは何日か前に無効になっている。彼の考えは【カードがなければ借金もないような気がして、借金がなければどこへ逃げるのも自由だと思う。】
ベルシーが机の上の仕事連絡シートを見ていくと、行方不明が1件あった。この地域でも最も地価の高いところだ。金持ちが姿を消したら貧乏人と同じではない。自分の今日の仕事はこれと決めて出かけると、通報した掃除人の女性がいた。雇い主には会ったことはないが、今日は遺書があったから通報したという。ベルシーは家に入る。

行方不明者の家に夜もどったベルシーは、二階の屋根から大きなプールを発見して飛び込む。食べ物と高級酒をいただき、服を着替え、住まいのない彼は寝室で横になる。

本の中のことなのに、いったいどうするつもりなのか、はらはらしながらどんどん読んでしまった。
ロンドンにはいろんなタイプの飲み屋があるんだな。
【〈ホワイト・ハート〉は古くて天井の低いパブで、都会の富みに寄生するようにして、ロンドンの裂け目みたいな場所におさまっている店だ。労働者やスーツの連中が、パブの暗い隅を漂うように行き来し、携帯電話を眠りにつかせて、一杯ひっかけたり、社内恋愛を楽しんだりする。隠れ家を集めた街のようだ、とベルシーは思った。】
(府川由美恵訳 ハヤカワ文庫 1040円+税)

サリー・ポッター監督『愛をつづる詩(うた)』

2004年のアメリカ=イギリス映画、原題「Yes」
最初のシーンはロンドンの高級住宅から、いやいや夫(サム・ニール)と晩餐会に出る北アイルランド出身の“彼女”(ジョアン・アレン)が描かれる。“彼女”と夫はかつてリベラルな思想を持つ仲間だったが、いまは夫は政治家であり現実を肯定している。科学者の“彼女”は若いときからの思想を失っていないという自負している。アメリカへ渡った両親の代わりに“彼女”の面倒をみた叔母はマルクス主義者で、学校はカトリックだったので矛盾の中で育った。宗教を持たず科学を信じて生きてきたのが自信になっている。

美貌の“彼女”は食事中も愛想笑いくらいはするが孤立している。給仕の“彼”(サイモン・アブカリアン)が声をかけ、二人は恋に落ちる。
“彼”はレバノン人で元は外科医だった。手術が成功した患者がすぐに敵側の人間に射殺されてしまう。それで医者であることをやめてロンドンへ来て調理場で働いている。
とても美しいラブシーンが続く。

しかし、調理場内での喧嘩が元で白人の上司にアラブ人差別の言葉を投げられクビになる。“彼女”から電話があってもつれなくなる。話し合うために会うが結局は“彼女”は白人であるから、酷い言葉の応酬になる。
レバノンにもどった“彼”は旧友と会ったり、働いていた病院へも行ってみる。

叔母が死んで病院へ行った“彼女”は叔母の言葉を聞く。
ふっきれたように“彼女”は叔母が行きたがっていたキューバへと旅立つ。
キューバでひとり海辺に行き海岸を走る毎日。
ホテルで憩う“彼女”のところへ“彼”がやってきた。
「Yes」

“彼女”役のジョアン・アレンは「ジェイソン・ボーン」シリーズに2回目からから4回目までパメラ役で出演していた。

松井今朝子『壺中の回廊』

歌舞伎好きの友人が送ってくれた。歌舞伎が好きで松井今朝子の本が好きなんだって。それでわたしにもお裾分けしてくれた。いま検索したら「仲蔵狂乱」(1998)「東洲しゃらくさい」(1997)を読んだ記憶があった。そのときも達者な筆だと感心したが、今回もよどみなく読み進んだ。
松井今朝子さんは京都祇園の南座にほど近い環境で育った上に、大学院終了後に松竹に入社して歌舞伎の企画・制作に携わった。その後フリーになって武智鉄二に師事し歌舞伎の仕事に携わってきた。

主役で探偵役の桜木治郎は江戸の狂言作家の末裔だが、封建的な歌舞伎の世界を離れて早稲田の文科で学びいまは講師である。なので彼はコウモリのように両方の世界に容易に出入りできる。
助手役の澪子は桜木の妻の従姉妹で桜木の家に居候している。桜木が震災後に一時埼玉県の妻の本家を頼って居候したときの本家の娘で花嫁修業という口実で東京へきた。モダンガールの象徴のようなボブで築地小劇場の女優の卵である。

ニューヨーク市場の大暴落を受けた不況の時代、芝公園ではメーデーがあり「聞け 万国の労働者」を歌って行進するデモ隊と彼らを上回るほどの警官隊がぶつかり逮捕者が出る。
そういう世間を背景に歌舞伎の殿堂である木挽座で起こった殺人事件、解決しないままに続いて二人が殺される。

築地署の笹岡警部にこの世界をよく知っているからと協力を強いられ、桜木は俳優たちから聞き込みを始める。
そこで知り合ったのは、おのれが生きている封建的な芝居の世界を変えようと行動する歌舞伎役者の荻野寛右衛門である。
読み進んでいるうちに荻野寛右衛門は中村翫右衛門だと気がついた。こうして前進座が歩み始めたのかといまごろ知った。とても魅力のある人物に描かれている。

いまは前進座創設者の中村翫右衛門も河原崎長十郎も女形の河原崎国太郎もこの世にいない。わたしは若いとき前進座ファンだった。長十郎の「鳴神」「勧進帳」「毛抜」などよかった。少ない小遣いでよくいったものだ。翫右衛門のほうはうまいと思ったが熱烈ファンにはならなかった。
いま前進座の歩み第一歩の手前を知った。いま生きていてこういうことも知ることができて幸せだ。

関西翻訳ミステリー読書会(ギリアン・フリン『冥闇』)

第11回関西翻訳ミステリー読書会に行った。わたしの参加は8回目。
課題本のギリアン・フリン「冥闇」(めいあん)をぎりぎりで読み終って、昨日感想を書いた。

翻訳者の中谷友紀子さんが参加されていていろいろとお話あり。「冥闇」が映画化されるそうである。リビーにはシャーリーズ・セロンという話があるとのこと。
まず参加者全員が順番に感想を述べるのだが、読み始めるときは鬱陶しかったが、読み出したら良くなったとほとんどが肯定的だった。わたしも主人公リビーと身長が同じなことろに好意を持ったと言って笑いをとりました(笑)。

主催者から入り口で渡された資料のうちの一枚。1985年1月、母パディ32歳、長男ベン15歳の事件のあった日の出来事を時間の推移にそって書き出した表組である。大変な労作だ。それにそって意見が交わされた。
32歳で15歳の息子とは17歳で産んだのかと表にすると一目瞭然で、いろんな意見が述べられた。
リビーはぐうたら暮らしをしてきたけど、いざとなると賢い人だとみんな言ってた。

わたしにとってカンザスは映画「オズの魔法使い」で竜巻があったところ(最後のセリフ「わたしはカンザスに帰ります」がお気に入り)で、本書でリビーが家の中を逃げるシーンがあり、逃げこんだところが地下の竜巻シェルターだった。というようなことを発言した。ミステリーから遠く離れて(笑)。

そしてまたカンザス州はサラ・パレツキーの生まれたところ。この機会にとサラ・パレツキーの「ブラッディカンザス」を出してきたのでもう一度読み返そうと思っている。「冥闇」を頭に入れて読めばカンザスへの理解が深まりそう。
(中谷友紀子訳 小学館文庫 924円+税)

ギリアン・フリン『冥闇』

明日の〈第11回 関西翻訳ミステリー読書会〉の課題書、ギリアン・フリンの「冥闇」(めいあん)を8月半ばに買って読みかけたが挫折してしまった。読書会は明日6日である。
9月になってから慌てて読んだのだが、最初はいやいやだったのが後半に主人公のリビー・デイが好ましくなってきた。過去の事件のところをとばして〈現在のリビー〉だけを読み返すと、リビーに好意を持つにいたった(笑)。

〈1985年〉カンザス州で小さな農園を経営している母パティと兄ベンと姉2人とリビーは暮らしていた。父は離婚したのに金をせびりにきて暴力をふるう。

事件が起きたときリビーは7歳だった。母と姉ふたりが惨殺され、壁には悪魔崇拝の気味悪い血文字があった。15歳の長男のベンの犯行場面を見たとリビーは証言し、ベンは逮捕され終身刑を宣告される。リビーは遠い親戚をたらいまわしされて育つ。

〈現在〉アメリカ、カンザス州の小さな借家に住むリビーは31歳。身長147センチという小柄な女性。(わたしと変わらんやんとわたしは独り言-笑)
仕事はせずに善意の人たちによる寄付金で暮らしてきたが、たくさんあった寄付金はついに底をついた。ずっと寄付金の管理をしてきたジムは「・・・これからぼくたちは・・・新しい局面を迎えることになる」とリビーを呼び出して言う。
働くのはいやだしぐうたら考えていると〈殺人クラブ〉の会員ライルから連絡がある。クラブの会員たちはベンの無罪を主張していて、自分たちでも事件を解明しようと思っている。リビーがなにか提供すれば謝礼金が支払われると聞いたリビーは過去の殺人事件に向きあうことになる。

やっとベンに面会に行く気になってリビーは刑務所に行く。ベンはリビーを見て母にそっくりになったと言う。ベンの諦めきった穏やかな物腰と口調にリビーは真相を隠していると思う。
(中谷友紀子訳 小学館文庫 924円+税)

ジェームズ・L・ブルックス監督・脚本・製作『恋愛小説家』

1997年製作のずいぶんと評判になった映画で、見に行きたいと言いながら行かず、レンタル屋に行こうと言いつつ行かずに終っていた。いろんなもので読んでいるからストーリーも知っているし。とはいえ、ジャック・ニコルソンの恋する男の表情を見るだけでも見てよかった。なんせ16年前の映画だからゲイの青年のあつかいがちょっとぎこちない。

メルヴィン(ジャック・ニコルソン)はベテランのロマンス小説作家で、たしか62冊出したとか言ってた。極度の潔癖性ですぐに手を洗うが、洗面所には石けんがいっぱい入っていて一度使うとすぐに捨ててしまう。
ランチを食べに行くのもナイフとフォークを持参する。気ままな客でウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)が食事を運んでくるのが気に入っている。

隣の部屋に住むのがゲイの画家サイモンと小さい犬で、メルヴィンはじゃれてきた犬をゴミ箱に放り込むなど、諍いが絶えない。
強盗に入られたサイモンは大けがして入院。メルヴィンは犬を預かることになる。犬と仲良くなるメルヴィン。
キャロルには喘息とアレルギーの病弱な息子がいて母親と3人暮らし。キャロルは看病で店を休むとメルヴィルは彼女の給仕でないとご飯が食べられないので、編集者に頼んで優秀な医者をキャロルの家に派遣する。

入院費がかさんで親に援助を頼むより仕方なくなったサイモンを車に乗せ、メルヴィンとキャロルはボルチモアへ連れて行く。二人は着替えて出かけせっかくのロマンチックムードになったのにレストランで喧嘩。ホテルにひとりもどったキャロルの背中を見たサイモンは絵を描く気持ちが復活して、親に会うのを取りやめて画業で頑張ろうと決意。

家にもどると住まいを失ったサイモンを当分のあいだ同居人にすることに。
そしてサイモンの言葉に励まされて真夜中キャロルに会いに行く。
朝の5時に開くパン屋にパンを買いに行こう。

「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に山本太郎さんも

ぐるぐるつながるネットワーク主催の「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に行ってきた。こういう集会には久しぶりの参加だ。去年まではデモや学習会によく行っていたが、今年はどうも出かけるのが億劫で遊びにも出かけていない。勤続疲労が暑さで倍増してる感じ。トシには逆らえないと言いたくないが。

今日は絶対行くぞと決めてネットで参加表明したので、どうこうなく雨の中を出かけた。天満橋のエル・おおさかへ行くのははじめてで、地下鉄を谷六で乗り換えて天満橋へはスムーズに着いた。それからお約束どおり(笑)ちょっと方向を間違ったが、豪雨と雷の中をたどり着いた。この雷雨なのに会場の後ろのほうはほとんど満席。比較的空いていた前のほうに座った。膝から下がびしょ濡れだったのでクーラーで冷えて困った。上に着るものとかいろいろ持っていって正解。

12時開場
映像〈何が起こったのか,関電前〜天満署〜大阪駅〜此花〉上映がはじまっていた。何度もネットで見ているけど、きちんと編集されて大きな画面で見たら改めて感動した。

1時スタート
司会:緑の党の長谷川羽衣子さん。赤いドレスで元気いっぱい。
メインスピーチ:下地真樹(モジモジ)さん。
話は「自由について」からはじまった。次に「弾圧」について。日常生活への弾圧として、不当逮捕等への恐怖が〈自主規制に追い込む〉こと。デモの申請が必要な国は少ない。その日本でデモ申請をしに行った下地さんたちがひどい嫌がらせをされたことなど。最近あった「東京リベルタン」の不当逮捕についても話された。
〈休憩〉

ライブ〈はちようび〉+ジャンベ4人 ○山本太郎さん登場。
久しぶりの〈はちようび〉のライブ、ヤンシの歌を聞いて気分があがった。
○途中で山本太郎さんが来られて挨拶された。
ヤンシは山本さんへの拍手が自分らへより大きかったとちょっとご機嫌ななめだった(笑)。ちょっとノリが悪い観客ではあった。○モジモジさんが登場して1曲歌った。
〈休憩〉
受付でチラシなどを収集。「NO NUKES バッジ」と園良太さんの本「ボクが東電前に立ったわけ」を買った。

参加者からのスピーチ
○園良太さん(麻生邸リアリティツアー弾圧,2.9竪川弾圧,差別・排外主義にNO! 9.23新宿デモ弾圧当該)
○大谷隆夫さん(4.5釜ヶ崎大弾圧当該)
○福岡市民救援会・久藤学さん
○関西大弾圧救援会・韓基大さん、前田登志さん(関西大弾圧当該)
○労働組合弾圧から 全日建連帯労組関西生コン支部民救援会関西大弾圧救援会
それぞれのかたが自分の経験からの発言をされた。わたしも真剣に生きなければ。

1分間スピーチ(会場から申し込んだ人による)
○関西弾圧東京の会、監視テントのくまさん。○千葉県から関東大震災90年のこと。○大阪在日男性、3年前の9月1日に逮捕された。○大阪府の学校の先生、君が代のときに座っていて減給処分。○大阪原告団事務局から。○釜ヶ崎日雇い労組、良心を失わない。○福井から普通の人間として福島へ行き、政府の大嘘を知った。○堺市では市長選が近いこと。○車椅子の方が呼びかけ。○最後にさっき言い残したと韓基大さんが裁判の傍聴呼びかけ。

3時半に終了した。参加者700人。
わたしはここまでで帰宅。
帰ったら集中したせいか雨に濡れたせいか疲れて2時間の爆睡。

デモは4時からスタート。雨があがってよかった。
無事に終了したそうです。参加者500人くらいだったって。
いま「たぬき御前のたぬキャス」でデモの様子を見ている。

瑞々しい竹田さんのギター、SUBにて

久しぶりでSUBへ行った。なんと2カ月以上経っている。
暑くて出かける気が起こらなかったのだが、これはひどい。よく顔を覚えていてくれたなぁ。竹田さんはいつものように握手で迎えてくれた。

今夜は竹田さんのギターソロだった。前半は明日31日が命日の西山満さんとの20年間の毎週のデュオでよく弾いた曲を演奏された。いちばん多くやったのが「枯葉」だそうだ。その他曲名を忘れてしまったが懐かしい曲を数曲。
休憩があって後半はリクエストが中心。わたしは昨日たまたま聞いた「デア・オールド・ストックホルム」を頼んだ。静かで竹田さんによく合うと思ったのだがぴったりだった。

最後の3曲はテナーサックスの長谷川朗さんとふたりで。サックスとギターの音が出会って会話しているようなしゃれた演奏だった。
いちばん最後の「ブルーモンク」がよかった。この曲をわたしが最初に聞いたのは映画「真夏の夜のジャズ」のセロニアス・モンクだが、その映画のあとに女友だちと北八ヶ岳に登った。草原に座って休んでいると自然にこの曲がハナウタになった。いつもこの曲を聞いて思い出すわけではないが、今日は突然、青い空と白い雲が浮かんできた。