近場を楽しむー北堀江

遠いところへ遊びに行く余裕なんてとてもなく、ラジオニュースが伝える混み合う飛行場とか関係なし。近郊を歩く元気もなく、昔の登山写真が出てきたのを眺めている。30キロのリュックを担いで笑っているのは50年前のわたしである。
あのころは仲間と会うと相談がまとまり、次の休みに行くところがすぐに決まった。夜行列車で出発し早朝に山のふもとの村にある駅に着いた。そこから山に入るまでのこれから登る山を仰ぎ見ながら歩くのが好きだった。
とてもいい写真なのでそのうち山に登った話を書くつもり。

今年のわたしは足弱である。謡をやっている姉に電話で「弱法師(よろぼし)になってもたから行かれへん」と弁解している。まあ、ぼちぼちと回復にむかっているところ。
したがって遠くにはいけない。奈良も京都も神戸も遠い。さいわい、近くにいいお店がいろいろできたので近所を探検しよう。

新町もいいけど、堀江のほうがいいお店が多いような気がする。
今日はアブサンでガトーショコラを食べようと思って行ったら定休日だった。それならと前から気になっていたオープンサンドイッチのお店 G.L.B へ。いろんな種類のサンドイッチの写真があってどれにしようかと迷うところだが、一目見て「うまそう!」と思ったデニッシュサンドとコーヒーを頼んだ。相方は生ハムとアボカドのでビール。
新しい感覚のお店で迷ったが食べたらうまくて大満足だった。

ベルトラン・ボネロ監督・音楽『サンローラン』

いい映画だった。すっごく気に入った。ベルトラン・ボネロ監督『サンローラン』(2014年,フランス・ベルギー合作、第67回カンヌ国際映画祭で上映され、セザール賞・最優秀衣装デザイン賞を獲得)紹介記事に「イヴ・サンローランの人生で最も輝き、最も墜落した10年間を描く」とあったので超期待して見はじめた。どんな役かヘルムート・バーガーが出るのも期待でわくわく。
1960年代後半、イヴ・サンローラン(ギャスパー・ウリエル)は共同経営者のピエール・ベルジェが増やしていく仕事に追われていた。映画・舞台衣装、コレクション、プレタポルテ、オートクチュールと絶え間なく追いかけてくるなか、モデルのベティとクラブに繰り出して遊ぶ。
美しい男ジャックと出会ったイヴはどんどん引き込まれていく。ジャックとともに酒と薬とに溺れ命を落としそうになる。
豪華な邸宅で贅沢な暮らしをしているが、心は虚ろ。そんなイヴを支えるスタッフがカバーしてショーの準備が出来上がっていくところがすごい。

最後のほうでヘルムート・バーガー扮する年老いたイヴが出てきた。豪華な部屋の椅子に座ってタバコをくわえ、オペラが好きだといいマリア・カラスのレコードをかけるようにいう。カラスの「蝶々夫人」の ある晴れた日に が美しく響く部屋でイヴは眠りについた。

ジャリル・レスペール監督『イヴ・サンローラン』 (2014年の映画)

サンローランの映画ができたと聞いたときから見たかった。サンローランの服をもっているわけでもないのに、サンローランのファンなのである。
若き日のサンローラン(ピエール・ニネ)と知り合い共同経営者で後援者として共に過ごしたピエール・ベルジェ(ギヨーム・ガリエンヌ)がサンローランの死後に一緒に買い集めた美術品などを競売に出すので、終生添い遂げたのだなとわかる。ちらっと解説を読んだら50年にわたって支えたと出ていた。

わたしはサンローランとほとんど同時代の人である。中学生のときにディオールの名前が姉たちの会話に出て、ロングスカートの人を見かけるようになった。
姉のファション雑誌のお古をもらって見ていたからファッション雑誌歴も長い。自分で買うようになって、『それいゆ』を経て『装苑』『ハイファション』『流行通信』『ミセス』など長いこと買っていた。サンローランは雲の上の存在だけど、今シーズンのドレスとか雑誌で見てよく知っていた。すごい人生を生きぬいたサンローラン、素晴らしいものを遺した。

足を鍛えれば頭にも血が回るかな

今月は年末からの体調不良から解放されて本も読めそうだし、本の紹介文なんか書けそうだと思っていたが、どっこいそうはいかず、相変わらずネットに浸かってぼけっと過ごす日が多かった。
ヴィク・ファン・クラブの会報作りはいけると思ってやったことはやったが、出来上がってみるとどこか暗い。体調の悪さがこんなことにさえ出るのかな。よく食べて消化も良く、よくしゃべっていたが、足がなあ〜〜〜〜〜〜さっさと長距離歩けないのがあかんのかと気がついた。

考えた結果、今月号には読み終わってにっこり笑うようなページを追加して、「あとがき」をもういっこ書いて、全体を点検したらなかなかええぞ。これはいける。ということで、Vic Fan Club News 4月号が出来上がって、さっきポストに入れに行った。
来月はもちょっと足を鍛える。足に従って頭に血がまわって少しは賢くなると期待して。

思い出いろいろ 第5回

東京の思い出 その6 関東大震災

わたしの両親は大災害に二度遭遇している。関東大震災と大阪大空襲だ。二度とも家を焼かれなにもかも失った。なぜか生き延びたのが不思議だといつもいっていた。

我が家は年齢が合わなかったのでひとりも戦争に行かずにすみ、近所の人たちから陰口をいわれていた。

関東大震災のときはわたしはまだ生まれていない。母親は長女を妊娠中だった。両親ともにもういないので聞いておけばよかったと思っても後の祭りである。
地震があったときは家から逃げ出し、近所の空き地に逃げて松の木の根っこに座って揺れが過ぎ去るのを待ったとか。家は丸焼けだったそうだ。

東京を去るのだから見ておこうと震災の記念館のようなところへ連れて行かれた。お寺だったのか会館だったのか、いろんな記録や写真があって恐ろしかった。また父母の会話が、このへんは死体の山だったとか、朝鮮人が殺されるところを見たとか、子供には恐ろしすぎた。いまも覚えているくらいだからショックだったんだろう。

思い出いろいろ 第4回

東京の思い出 その5 七五三

東京の思い出ってあまりにも少ない。4歳という年齢のせいだろうか。今日ふと思い出したのは七五三。なぜかこの日はわたしもよそ行きの服に着替えさせられ明治神宮へ行った。昔はこういうときって必ず写真屋さんで写真を撮る。母の実家に疎開したときに東京から送った写真がたくさんあった。伯母(母の姉)一家の写真もあったからみんな実家へ写真を送るものだと知った。

わたしの七五三のドレスはちょっと地味なチャコールグレイに1センチおきくらいに赤と白の刺繍で縦に波模様の線が入っていた。胸で横に切り替えが入りウエストはすとんとして裾は広がっていた。この服を着せてもらってからは、よそいきはこの服と決まっていて、新しい服がほしかった。でもうちが貧乏というのはこども心にわかっていたから黙って同じ服を着てがまん。いまは自分で貧乏してがまん。

参拝がすむと千歳飴を買ってもらって袋をさげて写真館へ行き写真を撮った。電車に乗ったのかも覚えていない。検索したら代々木にあるようだが、代々木ってどっちのほうかも知らない。千歳飴の袋の絵は好きで、のちに見た写真にはぶら下げてうれしそうに写っていた。こどもが順番にいるので、今日の千歳飴はだれのかがわからない家であった。一袋がみんなのぶん(笑)。
いま気がついたがこの日の七五三はもう少しで大阪へ行くから東京見物しておこうということだったのかも。

血液検査は「非常に良い」

いまいってる医者は整形外科で膝の具合を診てもらっているのだが、先週「血液検査しましょうか」といわれた。最初の日に血圧を測ったらちょっと高いとのことでいちばん軽い薬を出してくれた。いままで測ったことがなかったが自分でも血圧は高いだろうなと思っていた。医者に行かないので血圧も血液も自然任せである。それはあかんやろと思っても機会がないと動かないものだ。今回は整形外科の先生が明るくて親切なので自然と頼る気になっている。
「血圧手帳」をくれて毎日測ってつけておくようにいわれたので、朝夕測って記帳しているが、わたしって几帳面だわ。朝夕測って記帳して1日平均と週の平均を出す。先生は行くたびにコピーをとってこのパソコンに入れとくからねという。

先週血液を採った看護師さんは、「すごいきれいな血管や」ともうひとりの看護師さんに見せた。「ほんま、きれいやね」とのことで血を採ってもらったが「ラクや」とほめられた。血管だすのに苦労する人がいるみたい。

昨日はその結果を報告してくれたのだが、先生は「きれいな血や」の次に「ちょっとタンパク質が足りないようだけど、気にするほどのことではない」。そして「ほんまにきれいな血やね。長生きするよ」とまた褒めてくれた。
少し血圧が高いけど、血が良いので大丈夫だろうとのこと。でも毎日測って記帳することが血圧管理になるそうなので続ける。

初夏の味 豆ご飯

たらの芽、タケノコと春の味が続いたせいか、今度は豆ご飯を食べたくなった。春から初夏の味とタイトルのような言葉を思いつき、たくさん炊いて二度に食べた。味噌汁と魚と野菜がついてご飯の味が生きる。毎日一度食べるポーチドエッグの白が映える。

以前(だいぶ前)は仕事場が別だったから最初はお弁当をつくって持っていってた。せっかく高い家賃を払っているのだから有意義に使おうと、炊飯器を買ってお昼は炊きたてのご飯を食べることにした。おかずは朝ごはんの片付けをしながら、昨夜と朝のおかずの残りを弁当箱に詰めた。
そういう日々に豆ご飯を食べたいとどちらからともなく言い出して、豆をむいてもっていき、豆ご飯を炊いた。炊きたての豆ご飯がうまかった〜
そのころから公私が混同していたわたしら(笑)。
いまは職住いっしょの慎ましい暮らしである。
豆ご飯を食べながら感慨ひとしお。

堀江ベースでジャークチキンとヴィーガンケーキ

今年の冬は寒かった。体調が悪いままで外出する気にならず、キタへもミナミにも行く気がせずにほとんど家で過ごした。見舞いの言葉をいただいた友だちにも顔を合わさないままになっている。

2月ごろ相方がフェースブックに「かみさんのこと」と題して70年代のわたしのことを書き、写真とともに載せたら、たくさんの「いいね」をいただいた。10年くらい前にはクラブとか反原発デモとか顔を出していたから、わりと新しい知り合いもいるのだ。本だ、映画だといってもなによりもイキイキできるのは生きている人間の言葉だ。その上で本と映画があれば、そしてケーキとコーヒーがあればいうことなし。

まずベースへ行こうといいつつ日が過ぎたので、今日は車椅子でベースの琴美さんの顔を見に行こうと決めて出発。思ってた通り賑やかに迎えてもらってうれしい。
おいしいジャマイカ料理とヴィーガンケーキを食べて、たくさんしゃべってきた。なによりもおしゃべりが一番のクスリである。ピンポンみたいにすぐに跳ね返ってくる会話の妙に目が覚めたような気になった。なんといっても女どうしのおしゃべりが一番だ。買ってきたケーキを食べながらおしゃべりの続きは相方と。

チャド・スタエルスキ監督、キアヌ・リーブス『ジョン・ウィック:チャプター2』

第1作『ジョン・ウィック』がめちゃおもしろかったので、理屈抜きで2作目も見たいなと思っていた。とにかく格闘技がすごいし、撃ち合いがすごいし、カーチェイスもすごい。女も男もなく撃ち合い殴り合い殺しあうところがいい。伝説の殺し屋ジョン・ウィックに関わる人々は血にまみれて倒れる。死闘の背景に音楽や美術や装飾を美しく描き出していて、そこで人間がえげつなく殺される。
歌声が聞こえてオペラかと思ったら、DJも入ったバンドの演奏で、クラシックのような現代音楽のようなロックコンサートのようでいい感じだった。

キアヌ・リーブスは若い時から好きだったけど、歳をとっても清潔で正義感にあふれた役がよく似合う。
オトコマエが好き、清潔感あふれるオトコが好き、孤独そうなオトコが好き。なので理屈抜きで好きな映画だという。