ポール・グリーングラス監督『ジェイソン・ボーン』

ジェイソン・ボーンのシリーズを第1作『ボーン・アイデンティティー』(2002)第2作『ボーン・スプレマシー』(2004)第3作『ボーン・アルティメイタム』(2007)まで見ている(3作ともポール・グリーングラス監督でマット・デイモン主演)。第4作『ボーン・レガシー』 (2012年 トニー・ギルロイ監督でマット・デイモンは出ていない)は見ていない。
ということで、久しぶりのジェイソン・ボーンで興奮した。

第1作から15年も経っているから、アクションものといってもかなり違っている。派手などつきあいや銃撃戦も沢山あるけれど、原因やら説明やらはコンピュータの世界である。デイモンがこの映画は「スノーデン後の世界」のボーンになると明かしたと解説に出ていたが、そのとおりでコンピュータを制した者が次の支配者になる世界だ。そのうわてを行くのがジェイソン・ボーンで、女性のCIA局員が自分の支配下におこうと賢く(狡猾に)しようとするのをさらっとわかっていることを知らせるところがよかった。

アン・リー監督『ブロークバック・マウンテン』を再び

アカデミー作品賞に『ムーンライト』が選ばれたことで『ブロークバック・マウンテン』(2008)も『キャロル』とともに話題になった。
実は去年の1月どんな映画かも知らずに見て衝撃を受けた。激しい男性どうしの愛の映画だった。すごく強烈な愛のかたちにくらくらした。

ワイオミング州ブロークバック・マウンテンの山の中で羊の放牧を行う季節労働者として雇われた青年イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ジレンホール)は寒さを避けて入ったテントの中で抱き合う。
これが20年にわたる途切れ途切れの愛の生活の発端だった。
二人ともいい相手と結婚し子供が生まれたものの、お互いを求める気持ちを断ち切れない。ジャックは牧場をやって男二人でいっしょに暮らそうと誘うが、イニスは子供のときにリンチにあって殺されたゲイの男性の死体を父親に見せられたことがあり、ジャックとの関係を隠し続けようとする。妻にジャックと抱き合っているところを見られ、釣り旅行に行くと騙して山に行ったのもばれて、ついには離婚されてしまう。一人暮らしになってもイニスの気持ちは変わらない。

ある日、ジャックに当てたハガキが「死亡」のスタンプを押されて戻ってきた。ジャックの妻に電話すると事故で死んだというが、イニスはジャックが男たちに襲われて殴り殺されたと推察する。
イニスはジャックの両親に会いに行きジャックの遺言に従って遺灰をブロークバック・マウンテンに撒きに行くというが、父親が家の墓に入れると断る。ジャックの部屋に入れてもらって彼のシャツと重ねられた自分のシャツを見て涙するイニス。

リチャード・リンクレイター監督『ビフォア・サンセット』を再び

ビフォアシリーズの2作目。前作『ビフォア・サンライズ』から9年経った設定で出演者も9年経って同じカップル、ジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジェリー・デルピー)である。
今回もすごくよかった。内容がわかっているだけに見方が深まった。ジェシーの「パリのアメリカ人」的なちょっと田舎者のようなところと、セリーヌのおしゃれなパリジェンヌ的なところがとてもよい。

ジェシーは9年前の出来事をテーマにした小説を書き、作家として認められて、いまパリの書店でサイン会が開かれている。一人の女性ファンが事実かと突っ込んで聞くのがおもしろい。話しながらセリーヌが来ていることに気がつく。セリーヌはこの書店の常連でジェシーがパリに来ているのを知り立ち寄ったのだ。
飛行機の時間がせまっているけど、少しだけと書店の人にいって二人はカフェに行く。歩きながらもお店でも話がつきない二人。店が手配してくれた車に迎えに来てもらい、しゃべりながら結局はセリーヌの住まいまで行く。
セリーヌの部屋のインテリアが素敵。ジェリーはセリーヌに歌をうたってと頼み、セリーヌはギターを抱えて歌う。
最後に部屋でかけるニーナ・シモンの歌が素敵。

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』を再び

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』を去年の8月に見て魅せられ、翌日9年後の『ビフォア・サンセット』を見てますます惹きつけられた。1995年と2004年に見ていたら自慢しまくってただろうけど、残念ながら2本とも2016年にアマゾンプライムで見せてもらってわいわいいってる。
3作目の『ビフォア・ミッドナイト』の物語はまた9年後になるのだが、これはDVDを買ってここにある。連続で見るつもり。

3作とも見てから1作目を見ると、最初は気がつかなかったことにいろいろと気がついて満足感に満たされた。
フランス人のジュリー・デルピーとアメリカ人のイーサン・ホークはヨーロッパを走る列車で偶然知り合い、その夜を共に街を歩きまわり公園で横になって過ごす。映画『第三の男』で知られたウィーンの大観覧車が動いているのが懐かしい。詩人、占い女などと声を交わし、クラブ、バーなどで遊び、最後はお金がなくなって入ったバーでワインを借りて公園へ。そこで一夜を過ごして朝の別れ。ほんとによかった。

C.サレンバーガー『機長、究極の決断「ハドソン川」の奇跡』

クリント・イーストウッド監督の映画『ハドソン川の奇跡』を見て感想(1月30日)を書いたら、yosさんが「原作が大好きです。3回ぐらい読んだ。映画も見て、すごくよかった。」とコメント(ミクシィ日記)をくれた。
わたしは原作があったことも知らずに見ていたので、あわてて本を買って2回読んだ。クリント・イーストウッド監督は映画化にあたって、原作全体でなく事故に焦点をあてている。事故シーンの合間に過去のことや私生活も少しはあるけれど、事故と全員生還にテーマをしぼっている。そして事故対応の必然が見るものを納得させる。

原作ではサリー・サレンバーガー機長の生まれてからいまにいたる生活や仕事のこと、とりわけ「飛ぶこと」への憧れと現実化について詳しく書いていて感銘を受けた。
子供時代に父親から受けた実地の教育は、ワシントン大統領の子供時代のようであるし、ロバート・B・パーカーが書いた私立探偵スペンサーが依頼人の少年と家を建てるシーンを思い出した。
私生活で夫妻にこどもができず、養子を2回もらうところはアメリカだなあと感心した。

映画では事故調査を中心にもってきて、あの判断でよかったのか的を絞ったスリリングな展開だった。本書を読むと軍隊体験も含む飛行経験を重ねていたからこその、事故対応だと納得できる。機長と副操縦士が冷静に判断したこともすごいことだった。客室乗務員3人の冷静な行動も素晴らしい。
yosさんこの本を教えてくれてありがとう。
(十亀 洋訳 静山社文庫 838円+税)

ウィノナ・ライダーとイーサン・ホーク、ベン・スティラー監督『リアリティ・バイツ』

見たい映画のメモ帳を見ていたらイーサン・ホークとウィノナ・ライダーが出ているのがあった。この二人を見られたらいいなと思ってアマゾンプライムを探した。
イーサン・ホークはずっと名前を知ってるだけだったけど「ビフォア・シリーズ」3作でファンになった。ウィノナ・ライダーはデビューした頃からファンで最初のころはみんな見ていた。最近すごく美しい写真を見て喜んだところ。

1994年のアメリカ映画。大学を出た4人の男女がまともな就職活動をしないで生きている。リレイナは衣料品店で働く女友達ヴィッキーと共同生活をしているが、そこへ男性2人が押しかけて4人で暮らすことになった。

リレイナ(ウィノナ・ライダー)はテレビ局でアシスタントをしながら自分でドキュメンタリー作品を制作中。トロイ(イーサン・ホーク)はアマチュアバンドのボーカルをやっていて世を拗ねたところがあり、ふたりは好き合っているのに強張った関係。
リレイナが親からプレゼントされたガソリンカードを使ってみんなと買い物をし、ガソリンを入れにきた人たちから現金をもらってカードで決済、最終的に親に請求がいく。そりゃ親は怒るがな(笑)。
時代の閉塞感がひしひし伝わるリアリティがある青春映画だった。
実はこの映画、映画館で見た記憶がよみがえった。忘れて当然、23年も前だもんね。

イーサン・ホークとアーロン・エッカートが好き

好きだった映画スター、ごく初期はジャン・ルイ・バローとジャン・マレーに夢中。それからいろんな人を経てモンゴメリー・クリフト。いろいろいたんだけどこの3人が抜群に好き。夢中にはならなかったけどずっと好意を持ってるのはクリント・イーストウッド。

さて、いま話題の『マグニフィセント・セブン』にイーサン・ホークが出ている。ちょっと前に『ブルーに生まれついて』でトランペッターのチェット・ベイカーをやっている。まだ見てなくてどっちもそのうち見るつもりだけど、どっちもいいだろうな。
イーサン・ホークの名前だけは知ってたけど、ビフォワーシリーズの『ビフォア・サンライズ(日の出前)』と『ビフォア・サンセット(日没前)』をネット配信で見て相手役のジュリー・ デルピーともども夢中になった。3作目の『ビフォア・ミッドナイト(真夜中前)」は無料になるのを待てずDVDを買って見た。
3作ともにジュリー・ デルピーのほうが激しく見えるけど、彼は彼女を受け止めながら彼の激しさがある。これでイーサン・ホークのファンとなった。

アーロン・エッカートは先日見たクリント・イーストウッド監督『ハドソン川の奇跡』で副操縦士をやっていい味を出していた。『幸せのレシピ』『エリン・ブロコビッチ』ではええ感じやなって思った。その後に見たのが『抱擁』で、惚れ惚れ。グウィネス・パルトローの恋人になって素晴らしい笑顔を見せた。これもDVDを買って何度も見ている。

クリント・イーストウッド監督『ハドソン川の奇跡』

久しぶりに見たクリント・イーストウッド監督の映画。内容はわかっているのに最後まではらはらして見ていた。
乗客たちと機長と副機長と乗務員を入れて155人を乗せて飛び立った旅客機。ニューヨークの街が美しい。すぐに鳥がエンジンに飛び込むトラブルが発生する。最寄りの飛行場を指示されるが時間が足りない。機長のサリー(トム・ハンクス)はハドソン川に降りると即座に決断し実行する。副機長ジェフ(アーロン・エッカート)も沈着に対処する。
155人はニューヨークの沿岸警備隊や警官たちに助けられ全員が無事に助けられた。1月の寒さの中を川に着水したのでみんな無事ってほんとに奇跡。

機長の判断ミスと決めつけるコンピュータ・シミュレーションを使った調査会議で、サリーとジェフは被告人を見るような視線にさらされる。機長が判断を下す時間を35秒遅らせてシミュレーションをやり直したら、近くの空港にたどり着くのは不可能だという結論が出る。サリーとジェフがちょっとの間を部屋から外に出て微笑み合うところがよかった。

大好きなアーロン・エッカートが口ひげを生やして副操縦士になっているのがかっこよくてうれしかった。

『ヒロシマモナムール』のエマニュエル・リヴァさんが亡くなった

58年前にたった一度しか見ていない映画だけど、エマニュエル・リヴァと岡田英次が抱き合うシーンをいまだに覚えている。そして彼女がドイツ人男性と愛し合ったことで戦後のフランスで頭を丸坊主にされ引きまわされるシーンも強烈だった。
彼女のつぶやき「私、広島で何もかも見たわ」彼が答える「君は何も見ちゃいない」繰り返されるこの言葉もよく覚えている。いま思い出すとデュラス的なセリフだが、当時はふーん、こんなシーンになる恋愛がしたいと思ったり、こんなシーンはつらいやろなと思ったり。岡田英次がかっこよくて満足だった。

監督アラン・レネ、原作がマルグリット・デュラス(当時は知らなかった)、製作者は永田雅一(大映社長)とフランス人のジャック・アンドレフェー、1959年製作。
十三の大映映画館に一人で行ったんだけど実は岡田英次のファンだったから。まだ子供時代から抜けてなかったといまにして思う。のちにアラン・レネ監督について知り上映された映画をほとんど見て、デュラスの本をたくさん読むようになった。
『ヒロシマモナムール』という映画が『24時間の情事』という名前で封切られたことに憤慨したが、それはもっと後になってからだ。
続編のような吉田喜重監督のヒロシマを描いた『鏡の女たち』(2002)を思い出した。

ペドロ・アルモドバル監督・脚本『私が、生きる肌』

今夜もペドロ・アルモドバル監督の映画を見ることにしたのだが、この作品、見ている間も見終わっても、すごい!としか言葉が出てこなくて、どう書いたらいいものか。
2011年の作品。原作ティエリー・ジョンケ(ハヤカワ文庫)

主な舞台は世界的な形成外科医ロベル・レガ(アントニオ・バンデラス)の大邸宅。邸宅の中に手術室があり監禁室あり。死体を埋めてもバレない広さの庭があり血の付いた寝具を燃やしても平気なのである。趣味は盆栽で、植木を剪定して自分の思う姿に矯正する。人間も思う形に仕上げられるわけだ。

ロベルの妻ガルは自動車事故で大やけどを負い、療養中に窓ガラスに映った醜いケロイドの自分の姿に絶望し自殺する。一人娘のノルマは母の自殺を目撃したショックで精神を病みクスリを常用している。偶然パーティで出会った洋品店の息子ビセンテ(ジャン・コルネット)とノルマは腕を組んで庭園へ出る。二人は抱き合うがノルマが大声で叫びだしビセンテは逃げ出す。ロベルは死んだ娘を見つけて、ビセンテを探し出し追う。
ついにビセンテを捕まえて監禁したロベルは、ビセンテを去勢し性転換手術をほどこし人工膣を装着する。膣を広げるために小から大のペニスを並べて受け入れ態勢を整えさす。ついにビセンテは美女に生まれ変わる。ロベルは彼女をベラ(エレナ・アナヤ)と名付ける。
鍵のかかった部屋で孤独に過ごすベラはテレビでヨガへの誘いを見てヨガの本を要求し熱心に学びはじめる。美しい肉体のヨガのポーズ。

ついに、ロベルの拳銃を手にしたベラはロベルを撃つ。
ようやくベラはロベルの邸宅から逃げ出して母の洋品店へ帰った。

思い出しつつストーリーを綴った。こういう映画が好き。