SUBで西山満さんの誕生記念演奏

西山さんが亡くなられて8月末でまる2年、亡くなられた日でなく誕生日パーティをするということでそれが今日だった。
老若のジャズミュージシャンが集まって6時からとのことで、わたしは7時過ぎに行った。終ったのは11時前で、お客さんはここまでかとわたしは帰ってきたが、ミュージシャンの方々はまだまだこれからみたい。
今日はミュージシャンがお世話になった西山さんを偲ぶ日で、わたしら客はそれに同席させてもらった感じ。

それでも、かぶりつきの席に4時間座って大満足だった。
ピアノ、ベース、サックス、ギター、ボーカル、それぞれ複数の奏者が入れ替わって演奏。
大御所(ギターの竹田一彦さん、ドラムの大森秀斗史さん、ピアノの大塚善章さん)が要所に加わって素晴らしい演奏をした。とにかく3人とも元気で艶があってよかった。すごい精神力と体力だ。

久しぶりに会ったボーカルの城下麻弥さんが容姿も歌い方も女っぽくなっていたのでびっくり。同じく久しぶりのピアノの松本有加さんも大人になって、相変わらずスイングするピアノだったのでうれしい。

瑞々しい竹田さんのギター、SUBにて

久しぶりでSUBへ行った。なんと2カ月以上経っている。
暑くて出かける気が起こらなかったのだが、これはひどい。よく顔を覚えていてくれたなぁ。竹田さんはいつものように握手で迎えてくれた。

今夜は竹田さんのギターソロだった。前半は明日31日が命日の西山満さんとの20年間の毎週のデュオでよく弾いた曲を演奏された。いちばん多くやったのが「枯葉」だそうだ。その他曲名を忘れてしまったが懐かしい曲を数曲。
休憩があって後半はリクエストが中心。わたしは昨日たまたま聞いた「デア・オールド・ストックホルム」を頼んだ。静かで竹田さんによく合うと思ったのだがぴったりだった。

最後の3曲はテナーサックスの長谷川朗さんとふたりで。サックスとギターの音が出会って会話しているようなしゃれた演奏だった。
いちばん最後の「ブルーモンク」がよかった。この曲をわたしが最初に聞いたのは映画「真夏の夜のジャズ」のセロニアス・モンクだが、その映画のあとに女友だちと北八ヶ岳に登った。草原に座って休んでいると自然にこの曲がハナウタになった。いつもこの曲を聞いて思い出すわけではないが、今日は突然、青い空と白い雲が浮かんできた。

SUBは長谷川さんの誕生日で盛り上がった

おとといSUB店主の長谷川さんからツイッターで便りがあった。わたしが書いた「回想のマントヒヒ」サイトの中にある「人生の夏休み マントヒヒの日々」を読んだそうだ。阿部薫を検索していたら出てきたんだって。彼の言葉によると「読みやすい文章、内容からするとかなりの年齢らしい、そしてネットができる、しかも女性だ! と思ったらくみこさんだった」のだそうだ。

話はもっとあって、40年前のマントヒヒのマスターだったクマこと木村洋二さんが、関大ジャズ研の初代顧問だったという。彼やSUBに集まるミュージシャンには関大ジャズ研出身者が多いようだが、顧問の木村さんのことを聞いたのははじめてだ。
あさっては金曜日だから竹田さんの出演日。一仕事終ったし行こうかなとスケジュール表を見たら、竹田さんと長谷川さんその他とあったので、これは行こうと返信を出した。

夕方の大雨があがったし涼しいしと8時に家を出て、20分で到着。
わっ、竹田さんカッコいい、とまず思った。履き古したジーパン、赤いチェックのシャツ、グレイの野球帽型帽子、黒い靴。テニスで鍛えた足腰で後半ずっと立ちっぱなしでギターを抱えてはった。前半はギターソロ。
後半は長谷川さんのテナーサックス、側島万友美(そばじままゆみ)さんのアルトサックス、ドラムは中道みさきさんと弦牧潔さん、それにベースは4人入れ替わり、女性ボーカルも入っての熱演だった。

今日は長谷川さんの誕生日なので、カウンターに料理の皿が並べられみんなに振る舞われた。いろんな種類のサラダがうまかった。隣に座った男性がサミュエルアダムスを3本飲みはったので、おいしいでしょと言ったら、アメリカ旅行で覚えたとのこと。わたしはミステリで探偵が飲んでたから知ってると話した(笑)。でも今日は生ビール1杯とコーヒー。

細野ビル66(rokuroku)展 XI  オープニングイベント

Opening Act 出演者
Art Live:小澄源太×豊田奈千甫(音楽)
Music Live:AZ CATALPA、MOHIKAN FAMILY’S、デミ
Art Live: 今川咲恵、わたなべゆう(guitar)、池田安友子(percussion)
Music Live:KING COLUMBIA
Final Act「素敵なあなた」:鞍掛綾子 × 樋口洋子 × ふじたゆかり(song)、 KING COLUMBIA

去年10回目を迎えた66展、今年は11回目になる。
今日のオープニングライブは6時6分から始まって11時10分頃まで5時間を越える長丁場だった。
去年、道路の縁石に座って窓から見ていたのが涼しくてよかったので、今年は最初からそのつもりでゆっくり行った。水とお菓子を持参したのを食べながら、ときどき窓に近づいてライブペインティングの様子を見ながら、時間がゆっくりと経っていくのを感じていた。

建物の横の庭に用意されたテーブルにはワインのコップが用意され、食べ物がいろいろと並んでいる。
ワインを飲みながら1年ぶりに顔を合わせた絵描きの友だちとしゃべった。七夕さんみたいにずっと年に一度細野ビルで会っている。ミクシィで知り合ったのが先か、細野ビルで話したのが先か。ご近所さんのアーティストとも会った。会期中に彼の作品を見に行かなければ。(展示は12日まで)
そういえば、去年までずっと来ていたのに今年来てない子がいる。そう思って見渡せば、知らない人がけっこう多い。こうして新陳代謝していくんやな。

ずっとボランティアで細野さんのお手伝いをしているNさんは、細野ビルはこの日が新年だという。それで新しい年もよろしくと挨拶をしあった。毎年この日は着物に袴をつけて接待にあたる怪傑男子。

寒くなってきたので一度家に帰ってパーカを着てきた。
そろそろ帰る人がいて椅子が空いたので座ったら、KING COLUMBIAがはじまるところだった。わたしがスイングジャズを聞くのはこのバンドだけだけど、今年はすごくいい演奏であっという間に45分が経った。管楽器が5人そろうと景気がいい(笑)。
そして最後にお定まりのダンス「素敵なあなた」なのだが、今日は鞍掛さんが出られなくて、樋口洋子さんがモダンガールって感じで踊った。ふじたゆかりさんが歌で入ってKING COLUMBIAと盛り上げていた。

わたしもがんばらなくっちゃ、SUBにて

昨日に引き続き歯が浮いた状態が続いているが、昨日より先が見えてきたようにも感じる。でもご飯を食べるのがうっとおしい。お腹が減っているのに食べたくないって、そんな状況になった記憶がない。でもSUBへ行くと決めているので行ってこよう。「肩こり、歯痛がジャズを聞いて治るか試してくる(笑)。」とツイッターにつぶやいて一路SUBへ(笑)。

竹田一彦さんのギター、長谷川朗さんのサックス、 井上幸祐さんのベース、中道みさきさんのドラムの一夜は楽しかった。いつも金曜日は竹田さんのギターにベースが入ったりする日だが、今日はベースの井上さんの他に、店主の長谷川さんのテナーサックス、中道さんのドラムが入った。
長谷川さんのサックスは誰かの演奏の最後の2曲に入ったのを何度か聞いて、いいなと思っていた。先月初めて一晩演奏を聞いたのだが、お客さんの関係もありスタンダードが多かった。いい響きだったけど、いまの音楽を聞きたいと切実に思いながら帰った。そんなことを帰りがけにちょっと話した。

今日はとても好みの演奏で満足だった。
聞きながら彼らは演奏している、彼らの人生が演奏に反映していると感じた。聞いている者はそれを感じ、受け止めたからそれでいいのだけど、なんかそれだけでいいのかとも思った。
聞いてるだけじゃつまらない。なにかしなくちゃね。
わたしにできるのは文章を書くことである。へたっぴんでも書くことがあり発表の手段もある。がんばる。

連続SUBははじめて

昨夜SUBへ行ってしゃべっているうちに明日も来ようと常連さんと約束した。店主の長谷川さんにも帰りに「では、あした」と挨拶した。
だから、今日は夕方から出かける段取りしたが、起きたのがお昼なので日が短い。昨日の晩ご飯と今日の昼ご飯の間が長く、晩ご飯までの短いこと(笑)。

今夜の演奏は、長谷川朗さんのサックス、井上幸祐さんのベース、中道みさきさんのドラムだった。年配客が多かったせいか静かな曲が多かった。どうやらわたしも年配客に入っていたらしくて、帰りによかったでしょと言われたので、フリージャズ育ちでっせと訂正&抗議(笑)。
2ステージ目の最後にようやく激しい演奏になり中道さんのドラムが炸裂という感じでとてもよかった。
11時をだいぶ過ぎてから高槻ジャズストリート帰りのミュージシャンが2人来られて、これからやろうという話になっていたけど、地下鉄があるうちにと帰ってきた。きっとよい演奏だったろうなとちょっと悔しい。

SUBで、竹田さんのギターと石田さんのボーカル

連休後半第一日はいろんなところで催しがあるようだがわたしはSUBへ行った。
今夜は竹田一彦さんのギターと石田裕子さんのボーカル。
「今日は無料のところ(高槻ジャズ・ストリート)があるのに有料のSUBに来てくれてありがとう」というMCではじまった。

ギターとボーカルというプレーンな組み合わせはどんな感じかなと思っていたら、竹田さんのギターはときにドラムのように力強くボーカルを支え、ときには繊細に、変幻自在な演奏だった。
1セット、2セットともに、1曲目は竹田さんのソロで、2曲目からはボーカルが入った。
石田さんの声は低くて気持ちよく久しぶりにジャズボーカルを聞いた気分になった。技巧を感じさせないうまい歌いぶりが気に入った。聞きながらアビー・リンカーンを思い出していた。あのときもいちばん前でアビーの膝とわたしの膝はときどきぶつかっていたっけ。今日はぶつかりはしなかったけど、やっぱりいちばん前に座ってた。続いてカーメン・マクレー(ジャズ喫茶で2回)、ニーナ・シモン(フェスティバル・ホール)と、聞きにいった歌い手の名前を思い出した。3人ともアフリカ系アメリカ人である。石田さんの歌いぶりはこの系統の感じだった。久しぶりにジャズボーカルを聞いたという気になった。

終ってから竹田さんの紹介で石田さんともお話させてもらった。竹田さんは1961年に同じ場所にいたという同志的感覚があって、とってもひいき目に見てくれているから、わたしはトクしてる。石田さんのすごくおしゃれな名刺をもらってラッキー。

終ってから久しぶりに会った男子と少しおしゃべり。おおかたはわたしがしゃべって、彼が相づちをうってくれていた(笑)。そこへ店主でサックス奏者の長谷川朗さんも加わって雑談。このトシになっても男子が話し相手になってくれるのは幸せだわ(笑)。

鬼蔵さんがジョン・ライドンに電話インタビューした記事が「BOLLOCKS」#007に掲載されています!

先月のことだけど、ツイッターで鬼蔵さんが「ジョン・ライドンにインタビューする仕事がきた!」と書いていたのでびっくりした。前々からパンク系のライブで通訳したり、音楽雑誌で翻訳しているのは知っていたけど、直接ジョン・ライドンに電話インタビューとは!! 2・3日前にはドキドキしているという書き込みがあって心配したけど、掲載誌を読んだら堂々たるインタビューぶり。

○ジョン・ライドンとは

70年代後半に世間を驚かせたロンドン発セックス・ピストルズの輝けるヴォーカル。
セックス・ピストルズは1975年にライブデビュー。
労働者階級出身のジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスたちは世界の若者たちをとりこにした。
わたしは1978年からパンクミュージックに魅せられて来日したバンドのほとんどを聞きにいった。若い友だちもたくさんできて、そのひとりMちゃんはロンドンで買ったセックス・ピストルズのTシャツ、とさかのような赤髪に大きな安全ピンをあちこちに刺して、道行くひとが振り返って見ていた。

セックス・ピストルズは78年に解散したが、その年の終わりにジョニー・ロットンはジョン・ライドンと名前を変えてPiL(パブリック・イメージ・リミテッド)を発足。
わたしは円盤型の金属製ボックスに入っていておしゃれな「Metal Box」は高価で買えなかったけど、セカンドエディションのレコードを買ってよく聞いていた。
83年にPiLが来日して大阪公演は厚生年金会館中ホールだった。まだセックス・ピストルズの記憶が強くて、あのジョニー・ロットンだったジョン・ライドンを目の前にして興奮した。
それからジョン・ライドンとPiLは活動を休止していたけど、2009年に活動復活。

○ジョン・ライドンへのインタビュー

「ハロー」調子はどうとジョン。鬼蔵さんは「子供の時からのヒーローと話せるということで興奮が隠しきれません。泣きそうです」と答えて「想像できるよ(笑)」とジョン。こうしてはじまったインタビュー「いまLAに住んでいるけど庶民はどこでも変わらないね」

レコード会社の話になって、「自分のレーベルを立ち上げることになったんだよ。音楽業界から独立したってことだ」「問題は流通と販売だったけど、全て自分たちでまかなうことにした」「レーベル名がPiLだよ」。アルバムのアートワークもジョンである。動物愛護家のジョンは動物園に反対で自由に大地を走り回る動物を描いている。
「留まっていては、退屈でしょうがないよ! 物事はやればやるほど深いところが見えてくるし、知識も増えて新しいことに挑戦したくなる。イギリス人以外にはなかなか理解できないメンタル的なことだと思うが、威厳を持って歳をとっていくということなんだよ」

「本物のPUNKじゃない奴ら。PUNKってなにかわかっているのかと思う。あれは自分の生活と経験の中で辱めを受けたから生まれてきたものなんだ。街で脅かされ、警察には追われ、挙げ句の果てには裁判所にまで連れて行かれ・・・もう30年前のことだけど、そこから始まったのがPUNKだ」「35年前にいわゆる当時のPUNKと言われる服装をするということは、一種の覚悟がいった。侮蔑の言葉を知らない奴から投げかけられてもかまわないというね」「(いま)俺が他人と同じような服装をしていたら、それこそ亡くなった両親が、そこまで凡人になってしまったのかと嘆き悲しむよ」

音楽の話になって、いまのメンバーのこといろいろ、レコード制作の主にお金の苦労のことで18年経ってしまったことなど。そして「俺がPiLそのものであるのは間違いないね。だって俺が一人ですべての支払いを担っているんだから(笑)」

鬼蔵「貴方が及ぼした万人への影響は計り知れないと思うのですが、その辺はどのように捉えてますか?」
ジョン「影響を受けた人の中には二種類あると思う。一つは純粋に影響を受けている人々、俺はそういう人には尊敬の念をはらうし、正直さに感謝する。ただし、もう一方は影響を受けたと言いながら、ただ人の物を盗用して自分の利益にしているヤツら。そういうヤツらには過去痛い目にあわされたから、影響というのも考えものだね」
(「BOLLOCKS」#007 メディア総合研究所 発行 890円+税)

ヴィク・ファン・クラブ会報「Vic Fan Club News」4月号から転載しました。

『BOLLOCKS』#007 ジョン・ライドン インタビューに共感

1カ月くらい前に友だちの鬼蔵さんがツイッターにジョン・ライドンにインタビューする仕事がきたと書いていてびっくりした。そのインタビュー記事が「BOLLOCKS」#007に掲載されたというのでさっそくアマゾンで購入。
パンク雑誌で若者向きだから(それがあとで聞くと40代読者が多いそうで、文字が細かいと批判があるとか)全体に字が細かくて老眼鏡をかけても読みづらい。おおかたのページが黒地に白い文字なのだ。他のページはともかく、ジョン・ライドンの言葉はきちんと読みたいので拡大コピーして読んだ(笑)。鬼蔵さんのインタビューは聞くべきことはちゃんと聞いていると思った。根っこからのパンク少女だもんね。
「ヴィク・ファン・クラブの会報に紹介するね!」「紹介お願い!」の会話があって、さっき紹介記事を書いたところ。
本文は会報を出したあとでアップします。

午後は歯科で気分よく、夜はSUBで楽しんだ

10日くらい前だが晩ご飯を食べていたら口の中でじゃりっと歯が欠けた。いちばん奥の下の歯だ。何十年も前に虫歯治療してちょこっと詰め物してあった。
去年の夏にいったのにまたかといやな気分になったがしかたない。美容院で教えてもらった新しい歯医者さんに行くことにした。
ビルの1階の診療所は受付も診療室も明るくて親切丁寧な応対で気持ちよかった。レントゲン撮るのも新式でラクだった。心配していた歯は簡単に治療できるようでやれやれ。今日型を取って1週間後にもう一度行けば済むみたい。
先生はレントゲン写真を見ながら、しっかりした歯だと感心してくれた。歯茎なんか30代40代と言ってもとおるって。
ということで、機嫌良く帰ってきた。

晩ご飯を食べて、地下鉄でSUBへ。
今夜は竹田一彦さんのギター、宮上啓仁さんのベース、最後のほうでイクノさんのボーカルが2曲。イクノさんはニューヨークで20年暮らして一昨年帰ってきたそうだ。
竹田さんと宮上さんはとても息が合う最強のデュオだ。あっという間に時間が過ぎる。もう終わりの時間かといつも思う。
お客が多かったのでカウンターに席を替わり隣の人とおしゃべり。何年も竹田さんのときに一人で来られているが、話したのははじめてだった。そのあと反対側のイクノさんにニューヨークと日本の違いなど聞いた。20年前と比較して若者が草食系になっていると感じたそうな。