マイケル・ウィンターボトム監督『キラー・インサイド・ミー』原作ジム・トンプスン

原作がジム・トンプスンだからこの映画は手強いでと、見たいと思うときがくるまで置いてあった。ようやくマイケル・ウィンターボトム監督がどういう映画にしているか気になりだして今日見ることにした。2010年の製作。※本のタイトルは「内なる殺人者」、映画のタイトルは「THE KILLER INSIDE ME」

10年くらい前だったかジム・トンプスンにはまったときがあった。そのときに買った本を押し入れから引っ張り出した。6冊あったのでタイトルを書いておく。せっかく出したのだから当分身近に置いておこう。
「内なる殺人者」(1952)村田勝彦訳 河出書房新社
「失われた男」(1954)三川基好訳 扶桑社文庫
「グリフターズ」(1963)黒丸尚訳 扶桑社文庫
「ポップ1280」(1964)三川基好訳 扶桑社
「鬼警部アイアンサイド」(1967)尾之上浩司訳 ハヤカワポケミス
「ジム・トンプスン最強読本」(2005)小鷹信光ほか著 扶桑社

舞台はテキサス州セントラルシティ、だれもが顔見知りの田舎町、石油会社の経営者コンウェイが町のボスである。ルー・フォード(ケイシー・アフレック)は真面目で平凡な保安官助手。ある日、コンウェイに命令されて町外れの一軒家を訪ねる。ここに住む娼婦にコンウェイの息子が入れあげていて困っている。その女を町から出て行かせよとのことである。出てきた女ジョイス(ジェシカ・アルバ)は怒ってルーの顔を平手で叩く。そのときルーの中のなにかが目覚めた。彼はジョイスを殴り倒しベッドで獣のように交わる。それから何度もジョイスを訪れるうちにルーの内面がだんだん変わっていく。

見られたり関わりができた人間を無情に殺してもいつもの外見を保ち、前からつきあっている教師の恋人と結婚の約束をしているが、周りの人間にもだんだんおかしく思われるようになる。
ルーは自分の部屋の中ではオペラのレコードをかけ、ピアノを軽快に弾いているが、最初はいい感じと思っていたのがだんだん鬼気迫ってきて、どうなるやらと画面から目が離せない。
最後まで休む暇なく話がすすんでいく。
軽快な音楽が流れる画面ではほっとした。
新しい感覚のきっぱりした映画だった。

スティーヴン・ダルドリー監督『めぐりあう時間たち』

「めぐりあう時間たち」(2002)をはじめて見たのは2004年で、なんとテレビで見ていた。<a href=”http://kumiko.sgy3.com/blog/2004/12/post_622.html”_blank”>文学少女の生き方「めぐりあう時間たち」</a>。
それから9年近く経ったが、その間にビデオで2回見て、今日はT氏に貸していただいたDVDで4回目を見た。しみじみよかった。

1941年のイギリスのサセックスで入水自殺したヴァージニア・ウルフを、ニコール・キッドマンが入魂の演技でやっている。疲れ果てた表情で「ダロウェイ夫人」を書いているシーンや考えているシーン。その時代に女性が作家であることの大変さが夫と女中たちとの日々の暮らしをとおして描かれる。
子どもたちを連れて会いに来ていた姉が帰るとき、ヴァージニアはきつく抱きしめて唇にキスをする。

1951年のロスアンゼルスの中産階級の家庭で、ローラ(ジュリアン・ムーア)は傍目には幸せそのものだ。小さな息子がいて次の子を妊娠中。夫はローラを少女時代から知っていて、内気な彼女を自分が幸せにしたいと思ってきた。ローラが朝起きてこなくても文句を言わない。ローラのベッドには「ダロウェイ夫人」が置いてある。
近所に住むキティが訪ねてきて入院するからと犬の世話を頼む。ローラはキティを抱きしめてキスをする。なにげなく帰って行くキティ。ローラは息子リチャードを預けて車でホテルに行く。ここで薬を飲んで死のうと思ったのだができなかった。
ローラはその後、女の子を生み、その後に家族を置いてひとりで家を出た。

2001年のニューヨーク。名の知れた詩人のリチャードはエイズに罹って不自由な生活をしている。ずっと彼の世話をしている出版社の編集者クラリッサ。二人は若いときに知り合ってつきあっていたが、すぐにリチャードに男性の恋人ができる。
クラリッサには長いつきあいの女性の伴侶がいて、人工授精で産んだ成人した娘がいる。その生活のかたわら、リチャードの世話をしてきた。
リチャードはクラリッサのために死なないで生きてきた。リチャードの本が賞をとったのでパーティをしようとクラリッサは張り切るが、リチャードはもう心がもたない。彼はクラリッサの目の前で窓から飛び降りる。

夜遅く訪れたのは、カナダからやってきたかつて家族を捨てたローラ、年老いたが毅然としたローラだった。

スティーヴン・ダルドリー監督『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

「リトル・ダンサー」(2000)「めぐりあう時間たち」(2002)「愛を読むひと」(2008)に続く「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2011)。この4本でスティーヴン・ダルドリー監督の映画を全部見た。
映画の前はずっと舞台の仕事をしてきて、ロンドンオリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の総合プロデューサーをつとめたそうである。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は9.11で父親を失った少年の物語で、同名の原作(ジョナサン・サフラン・フォア NHK出版)の映画化。
「リトル・ダンサー」の少年が素晴らしかったが、今回もよかった。

オスカー(トーマス・ホーン)は9.11アメリカ同時多発テロで最愛の父親を失う。自分に閉じこもったオスカーは父(トム・ハンクス)のクローゼットで小さな花瓶を落として壊してしまう。その中に封筒に入った鍵があった。封筒に〈ブラック〉と書いてあったのをヒントとして電話帳でブラックという名を調べ、一人ずつ訪ね歩く。
母(サンドラ・ブロック)との間に溝ができる。近くに住む祖母とすこしつながりがあるのだが、ある日、祖母の謎の同居人(マックス・フォン・シドー)と出会う。同居人は話すことができないので筆談しながら二人は街を歩き〈ブラック〉さんを捜す。二人旅でお互いを知っていくところがよかった。オスカーは謎の同居人は祖父ではないかと推理する。

とにかく少年が可愛くて賢くて一生懸命で素晴らしい。母親はどうするかと見ていたら、とても素晴らしい母なのであった。
最初の〈ブラック〉さんが連絡してくれて、彼女の別れた夫を訪ねるのだが、そのエピソードもよかった。とにかく真面目な映画だった。

スティーヴン・ダルドリー監督『愛を読むひと』

雨が降ってるし、しっとりとした映画が見たいなと探し出した。「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー監督だから間違いないと「愛を読むひと」(2008)にしたら、思った通り心にしみる映画だった。貸してくださったTさんに感謝。
原作はベルンハルト・シュリンク「朗読者」(新潮文庫)。

1958年のドイツ、ノイシュタット。15歳の少年マイケル(デヴィッド・クロス、成人後はレイフ・ファインズ)は下校中に体調が悪くなり、通りかかったアパートの入り口でうずくまる。そのアパートに住む市電の車掌のハンナ(ケイト・ウィンスレット)が助けてくれ、その礼を言いに行ったときから、二人の関係がはじまる。マイケルは毎日学校帰りにハンナの家に通うようになるが、本の朗読を頼まれ、セックスと朗読の日々を過ごす。じっくりと入浴場面や朗読場面が描かれて、彼らはどうなるのかこちらも手に汗をかいた。自転車一泊旅行でランチを食べると店の女性が「お母さんとご一緒でいいですね」なんて言う。すぐにハンナにキスするマイケル。学校でクラスメートたちとつきあわないし、家でも家族からヘンな目で見られている。

数カ月後に突然ハンナは姿を消す。
マイケルは成長して法科の学生になった(大学の先生ブルーノ・ガンツがいい感じ)。体験学習でナチスの裁判を傍聴することになったマイケルは被告席にいるハンナを見て驚く。彼女は第二次大戦中に捕虜収容所で働いていて、たくさんの囚人たちをガス室へ送っていた。
他の被告たちがハンナに罪を押し付ける。裁判官は書類のサインで筆跡鑑定をしようとするがハンナは拒否。実はハンナは文盲だった。そして彼女一人が無期懲役となる。マイケルは悩むがなにもしなかった。

結婚し娘が生まれ離婚したマイケルはやり手の弁護士。昔の本を見つけてカセットテープに吹き込みハンナに送る。だいぶ経ってハンナから礼の手紙がくるが、片言の短いものだった。それで、ハンナが文盲ということがわかる。ハンナは朗読された本を図書館で借りて、単語を組み合わせた文章を書いたのだ。
それからまた月日が経ち、ハンナは釈放されることにり、身寄りがないためマイケルが身元引き受け人に選ばれる。マイケルはハンナに会いに行く。
釈放される日にマイケルが花を持って行くとハンナは自殺していた。溜めてあるお金を収容所で生き残った母子に渡してほしいと遺書にあった。

マイケルは被害者に会うためにアメリカへいく。豪華な住まいの彼女はお金はいらないけど、入れてある古いお茶の缶を受け取る。ここでマイケルははじめて心に秘めていたことを話すことができた。
娘を連れてハンナの墓に行き彼女にすべてを話そうというところで終わり。

サリー・ポッター監督『愛をつづる詩(うた)』

2004年のアメリカ=イギリス映画、原題「Yes」
最初のシーンはロンドンの高級住宅から、いやいや夫(サム・ニール)と晩餐会に出る北アイルランド出身の“彼女”(ジョアン・アレン)が描かれる。“彼女”と夫はかつてリベラルな思想を持つ仲間だったが、いまは夫は政治家であり現実を肯定している。科学者の“彼女”は若いときからの思想を失っていないという自負している。アメリカへ渡った両親の代わりに“彼女”の面倒をみた叔母はマルクス主義者で、学校はカトリックだったので矛盾の中で育った。宗教を持たず科学を信じて生きてきたのが自信になっている。

美貌の“彼女”は食事中も愛想笑いくらいはするが孤立している。給仕の“彼”(サイモン・アブカリアン)が声をかけ、二人は恋に落ちる。
“彼”はレバノン人で元は外科医だった。手術が成功した患者がすぐに敵側の人間に射殺されてしまう。それで医者であることをやめてロンドンへ来て調理場で働いている。
とても美しいラブシーンが続く。

しかし、調理場内での喧嘩が元で白人の上司にアラブ人差別の言葉を投げられクビになる。“彼女”から電話があってもつれなくなる。話し合うために会うが結局は“彼女”は白人であるから、酷い言葉の応酬になる。
レバノンにもどった“彼”は旧友と会ったり、働いていた病院へも行ってみる。

叔母が死んで病院へ行った“彼女”は叔母の言葉を聞く。
ふっきれたように“彼女”は叔母が行きたがっていたキューバへと旅立つ。
キューバでひとり海辺に行き海岸を走る毎日。
ホテルで憩う“彼女”のところへ“彼”がやってきた。
「Yes」

“彼女”役のジョアン・アレンは「ジェイソン・ボーン」シリーズに2回目からから4回目までパメラ役で出演していた。

ジェームズ・L・ブルックス監督・脚本・製作『恋愛小説家』

1997年製作のずいぶんと評判になった映画で、見に行きたいと言いながら行かず、レンタル屋に行こうと言いつつ行かずに終っていた。いろんなもので読んでいるからストーリーも知っているし。とはいえ、ジャック・ニコルソンの恋する男の表情を見るだけでも見てよかった。なんせ16年前の映画だからゲイの青年のあつかいがちょっとぎこちない。

メルヴィン(ジャック・ニコルソン)はベテランのロマンス小説作家で、たしか62冊出したとか言ってた。極度の潔癖性ですぐに手を洗うが、洗面所には石けんがいっぱい入っていて一度使うとすぐに捨ててしまう。
ランチを食べに行くのもナイフとフォークを持参する。気ままな客でウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)が食事を運んでくるのが気に入っている。

隣の部屋に住むのがゲイの画家サイモンと小さい犬で、メルヴィンはじゃれてきた犬をゴミ箱に放り込むなど、諍いが絶えない。
強盗に入られたサイモンは大けがして入院。メルヴィンは犬を預かることになる。犬と仲良くなるメルヴィン。
キャロルには喘息とアレルギーの病弱な息子がいて母親と3人暮らし。キャロルは看病で店を休むとメルヴィルは彼女の給仕でないとご飯が食べられないので、編集者に頼んで優秀な医者をキャロルの家に派遣する。

入院費がかさんで親に援助を頼むより仕方なくなったサイモンを車に乗せ、メルヴィンとキャロルはボルチモアへ連れて行く。二人は着替えて出かけせっかくのロマンチックムードになったのにレストランで喧嘩。ホテルにひとりもどったキャロルの背中を見たサイモンは絵を描く気持ちが復活して、親に会うのを取りやめて画業で頑張ろうと決意。

家にもどると住まいを失ったサイモンを当分のあいだ同居人にすることに。
そしてサイモンの言葉に励まされて真夜中キャロルに会いに行く。
朝の5時に開くパン屋にパンを買いに行こう。

瑞々しい竹田さんのギター、SUBにて

久しぶりでSUBへ行った。なんと2カ月以上経っている。
暑くて出かける気が起こらなかったのだが、これはひどい。よく顔を覚えていてくれたなぁ。竹田さんはいつものように握手で迎えてくれた。

今夜は竹田さんのギターソロだった。前半は明日31日が命日の西山満さんとの20年間の毎週のデュオでよく弾いた曲を演奏された。いちばん多くやったのが「枯葉」だそうだ。その他曲名を忘れてしまったが懐かしい曲を数曲。
休憩があって後半はリクエストが中心。わたしは昨日たまたま聞いた「デア・オールド・ストックホルム」を頼んだ。静かで竹田さんによく合うと思ったのだがぴったりだった。

最後の3曲はテナーサックスの長谷川朗さんとふたりで。サックスとギターの音が出会って会話しているようなしゃれた演奏だった。
いちばん最後の「ブルーモンク」がよかった。この曲をわたしが最初に聞いたのは映画「真夏の夜のジャズ」のセロニアス・モンクだが、その映画のあとに女友だちと北八ヶ岳に登った。草原に座って休んでいると自然にこの曲がハナウタになった。いつもこの曲を聞いて思い出すわけではないが、今日は突然、青い空と白い雲が浮かんできた。

サリー・ポッター監督『タンゴ・レッスン』

「贅沢貧乏」という森茉莉の本のタイトルを思い出した。いまのわたしの映画状況はまさに「贅沢貧乏」という言葉がぴったり。貧乏しているけどある方のおかげでわたし好みの映画が見られる。こんな贅沢なことはない!!

サリー・ポッター監督の映画は「オルランド」と「耳に残るは君の歌声」の2本を見ている。2本ともよかった。あと1本「愛をつづる詩」は未見だがここにある。計4本で全部らしいので少ないなと思ったら、映画だけでなく音楽やダンス方面でも活躍されているのがいまわかった。

「タンゴ・レッスン」(1997)は、サリー本人が映画監督サリー・ポッターの役で出ていてタンゴを習って踊る。細くて力強くて美しい肉体。
レッスン1からレッスン12まで物語がある。

サリーは自作映画の構想を練っている最中である。映画全体は美しいモノクロで、構想部分はカラーで現される。
考え疲れてたまたま入った劇場でパブロ・ヴェロンが踊っているアルゼンチンタンゴを見る。サリーは見惚れてしまい、タンゴを習おうとパブロを訪ねる。
自室の床を工事することになり、サリーはブエノスアイレスへ行きレッスンを続ける。
タクシーの運転手の言葉が印象に残った。
「精一杯生きろ、そして苦しめば、タンゴがわかる」

パリにもどったサリーはパブロに会いに行きレッスンを頼むと、練習したなとパブロが言い、二人の仲は熱くなる。そして二人ともユダヤ人ということでいっそう親しくなる。
ときどき構想中の映画シーンが入る。その脚本を持ってハリウッドへ行くサリーを送っていく飛行場のエスカレーターのシーンがよかった。

パブロが踊るフレッド・アステアみたいな部屋の中でのタップダンスもよかった。
だが、やっぱりタンゴだ。人生を語り踊るのがタンゴだなとつくづく思った。

リドリー・スコット監督『プロメテウス』

リドリー・スコット監督「プロメテウス」(2012)は同監督の「エイリアン」(1979)に先立つ物語として企画されたが、シリーズから独立した物語になったという。今日DVDをうちのiMacで見て、このくらいの大きさがええな、もう大画面だと身が持たんと思った。これでもかとばかりのぬるぬるした怪物はもうええ(笑)。

1979年「エイリアン」というわけのわからないタイトルのついた大きな映画の看板が南海電車の難波ホームに入るときに目に入る。毎日毎日見ているうちに、評判が耳に入ってくるようになった。まだ泉北の泉ヶ丘に住んでいて「ビルボ」に通勤していたころだ。
暑いときだったので映画館の時間を調べて晩ご飯は終ってから千日前でウナギでも食べようと決めた。映画の内容を全然知らなかったし、監督のリドリー・スコットも主演のシガニー・ウェーバーもはじめてである。
映画が終ったときは生まれて初めてくらいにふらふらになって、ウナギを食べるなんてとんでもなくってミナミの街をうろうろと歩いていた。30分くらい歩いてようやくビヤホールに入りポテトサラダなんか食べた(笑)。
「エイリアン」シリーズは全部見ているはずだ。それぞれに良かった。

リドリー・スコットの映画は最初から8番目まで全部見ている。
「デュエリスト/決闘者」 (1977) 、「エイリアン」 (1979)、「ブレードランナー 」(1982)、「レジェンド/光と闇の伝説」(1985)、「誰かに見られてる」(1987)、「ブラック・レイン」(1989)、「テルマ&ルイーズ」(1991)、「1492 コロンブス」 (1992)。
「デュエリスト/決闘者」「レジェンド/光と闇の伝説」はLDを買って、「誰かに見られてる」と「テルマ&ルイーズ」は映画館で見た上にLDを買って何度も見た。「1492 コロンブス」がよくなくてそれきり映画館で見てなかったが、たまにDVDをレンタルで見ていた。今回またがばっと貸していただいたので見る予定。

リドリー・スコット監督『プロヴァンスの贈りもの』

リドリー・スコットを検索していたとき、「プロヴァンスの贈りもの」(2007)は他の映画とはちょっと趣きが違うとあったので、かえって気になっていた。さいわいお借りした中にあったので見たのだが、こんなにラッセル・クロウがカワイイとは!!
プロヴァンスもので日本でも人気のあったピーター・メイルの原作なのだが、彼はリドリー・スコットとは仲がよくて、それにリドリー・スコットはプロヴァンスにワイナリーを持っているそうだ。

ロンドンでやり手の証券会社のトレーダー、マックス(ラッセル・クロウ)のところに、おじさん(アルバート・フィーニー)が亡くなったという知らせがくる。両親を亡くした彼を可愛がってくれたおじさんは南仏プロヴァンスで一人で暮らしていた。マックスは遺産のブドウ畑や屋敷を売り払うつもりで、電話で仕事の指図をしながらプロヴァンスに着く。

少年時代の思い出がよぎる部屋やプールやブドウ畑とおじさんの教えが甦る。しかし彼の気持ちは変わらない。ブドウ園の世話をしている夫婦の失望をよそに休暇をとって掃除や修理をはじめる。
マックスは屋敷の写真を撮っておこうと焦って空のプールに落ちる。車で走っているときに電話していてぶつかって倒れた自転車の女性ファニー(マリオン・コティヤール)がプールの側を通りかかって、さっきの事故の相手だとわかりプールに水を入れる。ぐしょぐしょになって必死でプールをあがるマックス。
そこに現れたアメリカ女性が父の娘だという。鼻の形でわかると農園の夫妻は言う。
あくまでも売り払う気持ちのマックスだが、ファニーに惹かれ、彼女のプロヴァンスへの強い愛についに仕事を辞めて永住することに。
マックスの子ども時代をやった少年がすごく美形。
ラッセル・クロウはなんとも可愛くてびっくりだった。