2011年秋 光合祭 -Sunshine Music Festival-

湊町リバープレイスで毎年5月の連休と秋のお彼岸に行われる〈光合祭〉が今年も開催された。いいお天気で朝から子ども連れが着いたとツイッターに書き込みがあった。わたしらが行ったのは例によって夕方一歩前だ。カバンが大きいから冷水とおやつを入れていったら重くて(笑)。
子ども連れが多くてふたり連れているカップルもちらほら。おやつを楽しみながら眺めていた。

秋の日は早く暮れる。水辺のこととて風が冷たい。コットンセーターの上に着ようとパーカを持っていったが、それだけでも寒い。ふと後ろを見るとフリーマーケットの店が並んでおり、暖かそうな布を肩に羽織った男子がいる。いい色やなと近づくといろんな柄の布があってネパールのだって。その色ええねとわたしが言うと彼が「ぼくにはちょっと赤すぎなので」と譲ってくれた。2750円だったが、たっぷりと大きくて座ると肩から膝までカバーできる。おかげでゆっくりと座って、秋のつるべ落としの夕日が沈んでいくのを楽しめた。

伝わるブルース魂 西山 満QUARTETから歳森 彰TRIO へ

月に一度やって先月31回になった西山 満 QUARTET[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D) ]が西山さんが亡くなられたので終わり、今月から残った3人が歳森 彰 TRIOとして演奏することになった。

先月は西山さんが演奏中にふとこちらを向いて微笑んでくれたのが心に残っている。最後の曲がブルースで、演奏が終わったとき今日のブルースはよかったとおっしゃった。ピアノの歳森さんがブログで西山さん追悼の言葉を書いておられるので引用させてもらう。[2011.08.31 無音ストリート「西山満さんにお別れ」]【2011年8月17日のSUBでのライブが最後になりました。その最後に私にかけてもらった言葉は「オレが思った通りのピアノになった」でした。】そのとおり素晴らしいブルースだった。こういう記憶をもっていられてわたしは幸せ。

だから、今日の1曲目はブルース。歳森さんがベースの財さんドラムの弦牧さんに指示を飛ばしてはじまった。歳森さんのピアノがはじけていい感じ。わたしの前にいた老練の聴き手が「おっ、財くん鍛えられとる」と独り言。この店で30年以上いろんなミュージシャンを聴くことで育ててきたひとだ。
後半は来ておられたトランペットの唐口一之さんが加わって華やかに。「いまの曲はセロニアス・モンク作曲のラウンド・ミッドナイトでした」ってわたしに向かって言うてくれた(笑)。

終わってから唐口さんとすこし話させてもらった。西山さんとの長いつきあいの話。ジャズの巨匠たちが相次いで亡くなって、西山さんはその世代の最後で、もうこういうミュージシャンは出ないなど。わたしもセロニアス・モンクのコンサートにいった話など。

YOSHITAKE EXPE + 沼澤 尚 フリー公開セッション

夕方7時から四ツ橋のCompufunkで EXPE + 沼澤尚 フリー公開セッションがあった。
このお二人の音を3年前にはじめて聴いた。2008年の秋に細野ビルで1週間、YOSHITAKE EXPEさんが毎日違うゲストを迎えての演奏で、1時間半ぶっ通しで叩く沼澤さんのドラムの音に驚嘆した。細野ビルは古い建物ゆえ強い音が出せないので抑えた音だったのがかえって巧さを感じた。
次は半年前、今年の3月で東日本大震災の前日、アメリカ村のサウンドチャンネルでOKI DUB AINU BANDとの共演だった。このときは3時間くらいをものすごい音量で聴けた。わたしは一番前で足の疲れもものとせず頑張って終わってからへたった。

そして今日、Compufunkの黒い空間で、もっと中へと言われて移動したら、EXPEさん、沼澤さんと打楽器2人、コンピュータをいじっている2人の計6人の真ん中に座ることになった。EXPEさんのギターが真空管アンプを通して複雑な音を伝える。沼澤さんが叩く音がすごいスピードで響く。そして2人の打楽器の音が底辺を支えている。
そりゃすごい演奏で、その真ん中にいるんだから、もう幸せで・・・生きている歓びを感じたと大げさだけど言っとく。

終わってから別行動になった相方が帰ってきたので、この音楽のことをどういうたらええのかなと聞いたら、ファンクという答え。そうか、わたしはファンキー少女だったと回想したら疑問解決。好きやねんなあ。

終わってロビーで子ども連れのTさんに紹介してもらった。すっごく可愛い母子。子どもはあいにくぐっすり眠っていたけど。これからツイッターとミクシィでもつきあうことに。
そのあとバーコーナーでカウンターのレミさんとオンナのおしゃべり。相客のちょっと年配のDJ氏とジャズ喫茶や阿部薫ややくざ映画や共通話題が多くておおいに盛り上がった。レミさんにライブ好きなんやと図星をさされたけど、たしかに。

西山さん亡き後のSUBで

西山さんが亡くなられてからはじめてSUBへ行った。店内はピアノの上の大きな西山さんの写真のほかはいままでと同じだ。店に入ったときは西山さんはちょっと席を外していてすぐもどるって感じがした。
西山さんが好きだった曲と竹田さんがおっしゃったのを聴いていたら涙が出そうだった。誰かが亡くなってこれほどの喪失感をもったことがない。

毎週金曜日はずっと西山満さんのベースと竹田一彦さんのギターのデュオをやっていた。欠かさずに15年とも20年とも聞いている。今夜で3回目になるが西山さんに変わって財盛紘さんがベースを弾く。前半がふたりのデュオで、後半はベースの宮上啓仁さんが来られていて替わった。そしてギターのふたりも加わり、最後は荘司幸恵さんのピアノが入ってすごくスイングした演奏。(あとで聞いたが後半はセッションだそうです。)

宮上啓仁さんのベースは以前よく聴いていた。おととしくらいにはSUBにも定期で出ていたし、ジャズ祭なんかでも聴いていた。最近ジャズとなるとSUBしか行ってないからほんとにご無沙汰してた。ミクシィの「つぶやき」をよく読んでいるからご無沙汰とは思ってないけど・・・
久しぶりに聴いたら、わっ! ええやん、ええやん、ベースってええやん(笑)。

休憩と終わってからと、竹田さんや古参のSUBファンとしゃべったり、元パンクロッカーでいまジャズのギター弾きとしゃべったり、財さんと練習の話なんかして楽しかった。一抹の寂しさとともに。

山下耕作監督『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』

「昭和残侠伝」シリーズの5作目をTSUTAYAが貸し出し中だったので、ひとつとばして6作目「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」(1969)を借りて見た。4作目の「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」がちょっと不完全燃焼だったのをふっとばしてくれた。

玉ノ井遊郭(永井荷風の「濹東綺譚」の舞台になった)をショバとして古風なしきたりを守る組に、自分のショバを拡大しようとする組が暴力で敵対してくる。花田秀次郎(高倉健)は刑務所から出てきたところ。秀次郎と義兄弟の風間重吉(池部良)は親分の最近のやり方に苦慮している。その上にいるきちんと筋を通す大親分に片岡千恵蔵。でも、そういうやり方は古くなったとされ、もっと上の親分から武器の提供までされるという時代である。知恵蔵ふんする大親分は古風に「喧嘩状」を墨書して届ける。悪い奴らは「喧嘩状」を無視して、これから出かける準備をした知恵蔵をでっかい銃で撃ち殺す。
みんながいっしょに行くというのを、これからの組のことを考えろと押さえて、ひとり斬り込みに行く秀次郎の前に現れる重吉。まだ悪いやつの組に居るのだろうと兄弟杯を割ろうとする秀次郎に、おれは親分に破門された、お前といっしょに行くという重吉。ふたりは並んで雪の降る道を歩む。バックに「義理と人情をはかりにかけりゃ・・・」と健さんの歌がかぶる。
抑えに抑えたところまでいった怒りが一挙に吹き出す。ふたりのこれしかない刀の力が爆発する。背中の唐獅子牡丹が吠える。
戦い終わって、手負いのふたりは雪の道をよろけながら歩いていく。山下耕作監督、よっしゃ。

SUBの西山さん追悼

最後に聴いた8月17日の西山 満 QUARTETのとき、MCで久しぶりに1961年のアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズのことを口にされた。いつものようにではなく、リー・モーガンとウェイン・ショーターがかっこ良く吹きまくったことだった。わたしもよく覚えているけど、若武者ふたりの演奏ぶりはすごかったのよ。
西山さんにわたしが最初に話しかけたときと、最後に聞いたMCがアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズだったことに、なにか因縁めいたものを感じている。まあいつも言うてはったけど、リー・モーガンとウェイン・ショーターのことを聞いたのははじめてだった。むしろ、アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズのことを言い出されたときに、わたしが尻馬に乗って若武者たちのことをカッコいいと言っていたのだった。

毎月真ん中の水曜日が、西山 満 QUARTET[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D) ]の日だった。西山さんなくして西山 満 QUARTETはないからもう聴けなくなってしまった。残念だけど、3年通ったんだから上等だと思うことにしよう。なんでもいつかは終わる。歳森さんのピアノを聴きに京都の無音ストリートへ行くことにしよう。

SUBの西山満さんが亡くなられた

8月31日午前6時16分、ジャズベーシスト西山満さんが心筋梗塞で亡くなられた。
夕方お別れに行ってきた。すでに多くの方が来られていたが、夕方からはとてもたくさんの方がお別れに来られたようだ。明朝11時まではSUBに安置され、お通夜、告別式はご親族でされる。

最後に聴いた西山 満 QUARTET[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D) ]が良かったので気持ちよい思い出を持っていられる 。毎月一度の彼らの演奏を欠かさずに行って31回目だった。そして毎週金曜日のギターの竹田一彦さんとのデュオにも毎月1回は行っていた。15年間続いたのが終わったんだ。竹田さんの気持ちを思いやるとせつない。

わたしが最初にSUBへ行ったのが2005年6月エディ・ヘンダーソンのときで、まだわたしは長い空白期間からジャズ復活をしていなかった。
それから間が空いたが2007年11月同じくエディ・ヘンダーソンを聴きにいった。そのときに西山さんがアート・ブレーキーを聴きにいった話をされていたので、わたしもそこ(1961年1月10日フェスティバルホール)にいましたと言ったのが始まりでSUBの仲間入りをさせてもらった。そして2008年1月からはずっと月に一回から三回は行っている。最初のころはうるさいくらいに、この彼女はアート・ブレーキーに行っとんたんやでと人に言いまくってくださった。そして、わたしはジャズに戻った。

わたしが西山さんにとってはとんでもないフリージャズやらなにやらを聴いていることで、ご機嫌を損ねたことはあったけれど、くみちゃんは妹(不肖の妹です)やとも言ってくださった。
あんたの文章は読みやすいと言ってブログとツイッターを愛読してくださっていた。

竹田さんがソロの日に聴きたい曲をリクエストされたとき、わたしは「グリーン・スリーブス」をお願いしたことがあった。単純な曲だけど文学的に好きなのである。その話を聞かれて西山QUARTETで何度も演奏してくれ、最後に聴いたのがよかった。それをもっと素晴らしいものにするとおっしゃっていたので楽しみにしたいたのに・・・

西山さんと竹田さんとわたしとが、1961年1月10日にそれぞれフェスティバルホールにいた。それをお互いに知ったのは47年後のことだった。なんかすごい。

西山満さんのご冥福をお祈りします。

マキノ雅弘監督『昭和残侠伝 血染めの唐獅子』

シリーズ中でこの一作「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」(1967)だけが高倉健の役がかたぎである。
浅草の鳶職・火消しの鳶政(加藤嘉)の組は上野公園で行われる博覧会の仕事ができると喜んでいる。ところが仕事は建設業にも手を広げた阿久津組が役人を丸め込み一手にしようとしている。阿久津組の代貸し風間重吉(池部良)は異議をとなえるが押さえ込まれる。重吉の妹文代(藤純子)は花田秀次郎(高倉健)の恋人で戦役から秀次郎が帰るのを待っている。
秀次郎が帰ってきたら親方が亡くなっており、秀次郎はみんなに推されて鳶政の親方になる。芸者の染次は借金のために阿久津の妻になるところを音吉(山城新伍)が、まといを質に入れた金で助けようとする。まといを返してもらいに行った音吉は無惨に阿久津組に殺され、嫌がらせは増えるばかり。染次はは川に身を投げて死ぬ。
そこで立ち上がる秀次郎と重吉。前の3作と監督が代わって暗さがとれてわかりやすくなったが、つまらなくもなったという印象。藤純子はきれい過ぎて下町娘らしくない。

これでシリーズ9作のうち4作を見た。クーラーつけないで汗を拭きながら見ていたが、ふと気がつくと7月8日公開なのであった。あの頃は映画館も暑かったような気がするがどうだったろう。
「エンコ生まれの浅草育ち」という歌詞をいつも、エンコってどこのことやろと思っていたが、広くは浅草公園(公園を逆読みしてエンコ)、特に浅草六区界隈のみをエンコと呼ぶ説があるとか。

リドリー・スコット監督『ワールド・オブ・ライズ』

「デュエリスト/決闘者」 (1977) 、「エイリアン」 (1979)、「ブレードランナー」 (1982)、「レジェンド/光と闇の伝説」 (1985)、「誰かに見られてる」(1987)、「ブラック・レイン」(1989)、「テルマ&ルイーズ」 (1991)、「1492 コロンブス」(1992)。
リドリー・スコットの映画を検索したら、最初の8作をすべて見ていた。ほとんど映画館で見てあとでレーザーディスク(LD)を買って何度も見ている。「1492 コロンブス」でがっかりして以来、テレビで「グラディエーター」見ただけである。ほんまにがっかりしたのと、ほとんど映画を見なくなった時期が重なったんだけど。
「エイリアン」や「ブレードランナー」は優れた映画だと思うし好きだけど、いちばんのお気に入りは「誰かに見られてる」である。刑事のトム・ペレンジャーが大金持ちの令嬢ミミ・ロジャースの護衛をする。そうそう令嬢はヴェジタリアンだった。これと「テルマ&ルイーズ」はLDで何度も見ている。

前置きばかりだが、久しぶりのリドリー・スコット監督作品「ワールド・オブ・ライズ」(2008)は、はらはらしながら楽しめた。そういえば、ラッセル・クロウが体重を20キロ増やしてほしいと言われたという話が評判になっていたっけ。
CIAの敏腕工作員フェリス(レオナルド・ディカプリオ)は中東で活躍しているが、いつもアメリカからの上司ホフマン(ラッセル・クロウ)の指示を受けている。ホフマンはオフィスで仕事をしつつ、家庭で子どもの相手をしつつ指示を出し続ける。中東で仕事していてもワシントンから上司に衛星偵察システムで監視されているわけだ。太ったラッセル・クロウが不気味。
仕事中に犬に足を噛まれたフェリスは狂犬病の手当に行って看護士の女性と親しくなる。遊びではなくつきあいはじめるディカプリオ。彼女が誘拐されて救出に乗り出し捕まって拷問される。

深作欣二監督「仁義なき戦い 広島死闘篇」

「仁義なき戦い」を順番に見るつもりでレンタル屋にあれば借りることにしている。2作目「広島死闘篇」(1973)があった。
前回活躍した広能昌三(菅原文太)は呉に広能組をもったが、今回は主役を助ける役。刑務所にいるとき、暴れて独房に入れられた山中正治(北大路欣也)にそっとご飯を差し入れてやる。
刑務所から出た山中は無銭飲食して大友勝利(千葉真一)らに叩きのめされるが、村岡組組長の姪で戦争未亡人の靖子(梶芽衣子)に助けられ恋仲になり村岡組組員となる。姪との間が組長の知るところとなり、若頭松永(成田三樹夫)の指示で九州へ逃れる。そこで組長を射殺し広島へ帰ることを許される。
大友勝利は実父の大友長次(加藤嘉)から破門され、新たに大友組を作って派手に抗争を続ける。最後まで不気味ですごい。

とにかく俳優が若くてぎらぎらしていて、生きることは暴力を振るうこととばかりに生き生きしている。
わたしは「仁義なき戦い」1作目を見てから、ヤクザ映画を見なくなったが、成田三樹夫が大好きだったのを思い出した。金子信雄、加藤嘉、素晴らしい役者が生きていたころ。成田三樹夫ももう亡くなったんだ。