これがジャズヴォーカルね、SUBの鈴木道子さん

SUBでは毎週金曜日に西山さんのベースと竹田さんのギターのデュオがあるが、3カ月に一度くらい東京から来られる鈴木道子さんのヴォーカルが入る。わたしはまだ聴いたことがなくて、ジャズヴォーカル勉強中の女子に聞いたらビリー・ホリデイみたいという答え。これは気になる。

最近はあまりジャズヴォーカルを聴いていない。このブログの音楽アーカイブをさかのぼると、何人か聴いたときはよかった人の熱い感想を書いているけど、長続きしていない。わたしが飽きっぽいことにしておくけど。まあここんとこ女性ヴォーカル聴く気が起こらなかった。

鈴木道子さんのヴォーカルはよかった。誰でも年を取っているからってうまく歌えるわけはない。日々精進を重ねて身に付いた巧さを感じた。歌と身ぶりが自然で若い歌手がやったら鼻持ちならないしぐさもカッコいい。時間があっという間に経った。歌手見習いの女性だったら絶対に聴いて見ておくべきものを持っている人だと思った。

先週「ベースとギターが会話する」とヘンリー・フランクリンさんと竹田さんのデュオについて書いたが、今日わかった! 西山さんとのときは会話が自然すぎて気にならなかったのだ。ヘンリーさんとの場合は初めて出会った二人の会話で、西山さんとのときは長い間連れ添った二人だもん(笑)。

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの『踊らん哉』

ビデオよりもレーザーディスク(LD)を早く買ったので、小遣いはみんなLDのソフトにいってしまった時代があった。マックプラスを買うよりも早かったからもう30年近く前か。最初はフランスやスウェーデンのアートっぽいものだったが、やがてフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンス映画を集めだした。
「踊らん哉」「トップ・ハット」「空中レヴュー時代」「コンチネンタル」「有頂天時代」と続けてRKO時代の映画を買って何度も見た。
カラーになってからのもほとんどと言っていいくらい見たけど、やっぱりRKO時代の白黒映画がいい。ダンスがすごくて、内容はお笑い恋愛映画(笑)。同じメンバーが出てくるのも楽しい。アメリカの刑務所は「サスケハナ」にあるというのも「踊らん哉」で知った。いまもそこのところを見て爆笑。

今日Video captureというものを購入した。ビデオやLDから中身がマックに取り込める。それで「踊らん哉」を見たわけ。押し入れにつっこんであった古いものが蘇るのがうれしい。
アナログテレビがもう10日で見なくなる。ビデオとLDからマックに取り込むのが終わると、テレビを置いてある一画が空いて部屋が使いやすくなる。

ベースとギターが会話する

SUBでベースの”The Skipper” Henry Franklinさんとギターの竹田一彦さんのデュオがあった。少し早めに行ったのだが始まるころは満員になった。今週は火曜日から4日連続でヘンリーさんが入った演奏があって今日は4日目。
いつもの金曜日は竹田さんと西山さんの演奏日で15年以上続いている。これってすごいことだ。今日は西山さんは司会にまわってヘンリーさんがベースである。

演奏がはじまった。お二人とも70歳を超えておられる。はじめは少し探り合いぽい感じがあったが老練なふたり、すぐにぴたっと息が合った。ベースとギターが会話している。仲良く、だけど自説はゆずらず。長いソロだったり短いソロだったり、うなずきあったり、内緒話みたいに親密になったり、いっしょにささやきあったり。すごい、すごい、音が途切れたときにすかさず拍手が・・・わたしはジャズの演奏中に拍手するタイミングをとるのがヘタで、めったに途中で拍手ってしないのだが、今日はその気持ちのままに手を叩いたらみんなも叩いて気持ちよかった。

終わってから竹田さんに「会話しているみたいやった」と言ったら、「ジャズは会話なんや」と返事。「今日はそれをほんまに実感できましたわ」とお礼を言った。

SUBの夜は西山カルテット

先週の水曜日に間違って行ってしまい若者2人とだべって帰った。ジャズをやる若者の気持ちと生活についてわかったような、わからんような。彼らはバブルの時代を通過してきた者と違う価値観を持っている。それでちょっと申し訳ないような気がした。でもわたしバブルの恩恵を受けてないもんな。だから平気でしゃべれるんやね。若者とのおしゃべりはとても好き。向こうはうっとおしいバアサンと思っているかもですが。

今夜は客が少なくて贅沢極まりない夜だった。西山さんがチェロをがんがん弾いた。歳森さんのピアノもよく響いた。こういうときは、わたしだけのために演奏してくれてるといい気分になって聴いている(笑)。途中で眠くなって目をつぶってうとうとするのも贅沢のひとつ(笑)。
メンバーは、西山 満 QUARTET[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D)]& 春田久仁子(Vo)。
春田さんのヴォーカルは以前に聴いたときよりずっとよくなっていて、継続は力なりというか、続けていくことの大切さを感じさせてくれた。こう思ったときにはすぐに本人に伝えて、おだてて育てる(えらそうに書いてすみません)。

終わってから歳森さんのいろいろと示唆に富んだお話も気分よかった。話の内容は暗くてもその暗さを分析する知性は明るい。「無音ストリート」を実践されていればこその突き抜けた明るさ。

SUBで音楽と人生について語る

今日は西山カルテットの演奏日と思い込んでSUBへ行ったら来週なのだった。名盤を聴く夜とのことでチャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウン&マックス・ローチのレコードを聴きながら、居合わせたドラムの弦牧さんとベースの松元さんとおしゃべりした。早めに帰ろうと思ったのだが、ふだんあまり会話したことのないふたりに質問したり、コーヒーを飲みながら3時間近く話し込んだ。

わたしは音楽を聴くばかりなので、音楽をやるひとが羨ましいし、なぜ音楽をやっているのか興味がある。会話はアラトーリ(歳森彰)さんの「無音ストリート」をわたしが京都まで聴きに行った話からはじまって、いろいろと寄り道しながらジャズをいまやっていることについて。

弦牧さんの演奏は毎月一度は聴いているが、いつもいろんな可能性を探っているように思える。もうちょっとしたら、なんて聴いているほうは好きなことを言っている(笑)。
松元さんが指を怪我して8カ月間の休養をしたときの話はうなづけるものがあった。結果的にちょうどいい時期に怪我をしたというか、その8カ月の間に得たものが多かったそうだ。そして治癒してから演奏にもどっていい演奏ができたことがうれしかったそうだ。そんな話がぽつりぽつりと出た。わたしは松元さんのベースを弾くほっそりとした繊細に動く指が好き。

細野ビル 66展 第9回 オープニングイベント

雨のはずがなぜか晴れて気持ちのよい夜になった。月曜日だからどうかなと思ったが、6時過ぎてからどんどん人が入りいままでで最高だと思う。いままでよく見かけていた人は減っているけど若い人が増えて客層が変わっている感じ。早めに行って前の席をゲット。

超短い細野さんの一言があって、6時6分開幕。
豊田奈千甫さんのノイズサウンドにのって、西尾早苗さんの墨絵が巻物のように流れていく。机に向かい手元で書きつつある絵が大きなスクリーンに指とともに動く。音と絵がすごく合っていた。
ライブペインティングは4回続いた小澄源太さんに変わって今年は今川咲恵さんに。横でアコーディオンを弾くのはわたなべゆうさん。太陽のような花のような女性のようなおおらかな絵が目の前で仕上がっていくのはスリリングだった。小澄さんには近田和久さんのフリーなドラムソロが合っていたが、今川さんにはわたなべさんのアコースティックギターが合っていた。
こうして時間が過ぎていくのだが、窓の外がだんだん黄昏れて暗くなっていくさまを見るのも66展の楽しみだ。

ここで休憩時間となり、裏庭のテーブルにワインとおつまみが用意されていた。ここで年に一度だけ会う友人二人と出会った。一人はツイッターでフォローし合うことになり、もう一人に連れ立っている3人とマイミクになれそう。年に一度がもう一組、接待係をしているNさんご夫婦とも長い付き合いになった。三日月が西の空に光って気持ちよいガーデンパーティ。

AZ CATALPAとMOHIKAN FAMILY’Sの演奏をわたしは外に出たまま窓の外から聴いていた。アズさんはますますいろっぽく、逞しく、巧くなっていた。立ち見のうしろから外までびっしりと聴く人が立っていて、窓の外にもいてすごい歓声が起きる。
うってかわって、絵本紙芝居「隅田川」(齋藤勝、後藤小寿枝、杼麻司由)がはじまる。窓の外からなのではっきりとわからなくて残念。
わたしはここで帰宅。
この後はKING COLUMBIAのスウィング・ジャズ。そして、KING COLUMBIA+AZ CATALPA +鞍掛綾子さん他による、演奏、歌、ダンス。「素敵なあなた」で盛り上がったそうだ。

今夜のSUBは西山さんと竹田さんの演奏

またまたご無沙汰してしまって久しぶりやなと言われてしまった。お二人の相変わらず艶のある安定した演奏で、気持ちが落ち着いた。昨日は深夜からチェルノブイリのドキュメンタリーを3時間近く見て、明け方に眠りについた。神経がとがっているのをお二人の音が鎮めてくれた。ジャズはからだにいいしこころにも効く。
西山さんはニューヨークで買った弓をはじめて使って演奏された。いい音が出ていた。

雑談も楽しいのが金曜日。
竹田さんとはおおかたわたしがしゃべっていたが(主にアラトーリさんの「無音ストリート」のこと)、話をして返事をもらって幸せ。iPad 2のジマンもした(笑)。

5月に西山さんは財盛弘さんとニューヨークへ行かれた。そのときのことをブログに書いておられる。
5月21日の日記に、11日にバードランドのファラオ・サンダースのライブに行ったことが書いてある。ファラオ・サンダースは70年代によく聴いていたので、いまも活躍されているのを知ってうれしい。西山さんと並んだ写真を見せていただいた。

西山さんにニューヨークのおみやげをいただいた。リキテンスタインの絵が入った小さな額。溺れかけている女子が「溺れてもあんたには助けてもらいとうない」と言ってる。西山さんに「強い女や、おれは強い女が好きや、くみちゃんも強い女やし」とありがたいお言葉をいただいた。

久しぶりに「クルセママ」を聴いた

久しぶりにジョン・コルトレーンの「クルセママ」を聴いた。というのは先日CDの整理をしていたら出てきたから。最初に聴いたのは70年代のジャズ喫茶だと思うが、すごく気に入ったのでレコードを買い、毎日毎日聴いていた。聴く者を戦慄させるジュノ・ルイスの声が好きだった。呪術的だけどモダンでいまも新しい。

もう40年も前のこと、南海線の岸里駅の線路沿いの文化住宅に住んでいたころで、安物のステレオセットで聴いていたコルトレーンやアート・アンサンブル・オブ・シカゴやニーナ・シモンがなつかしい。
天神の森駅から阪境線に乗って今池に出てジャズ喫茶マントヒヒへ通っていた。

時は移りCDの時代になってわりと早くレコードを処分してしまったが、いまになるともったいないことをしたと思わないでもない。ちょうどパンク・ニューウェーブの時代の終わりかけのころだったかな。それからレコードで気に入ってたのをぼちぼち買い直してきた。昔は所有欲が強かったが、レコード時代が終わりレーザーディスク時代が終わると音楽や映像への所有欲がなくなってきた。本はまだまだだけど。

90年代に入ってからだと思うが、突然「クルセママ」が聴きたいと思ってCDを買った。そのとき何回か聴いて、またCD棚の奥で眠っていたのを先日聴いたわけ。
やっぱりよかった。でも聴いている音だけでなく、くっついてくる思い出がちょっとかなわんような。

「ネットワーク放射能汚染地図」それからVFC例会、その後にパーティ(WwW)

 

お昼に起きて3時からテレビでETV特集「ネットワーク放射能汚染地図」を見た。評判になっていたのを3回目の放映ではじめて見た。涙なしでは見られない過酷な現実が次々と映し出された。静かに暮らしている人たちの上に降りそそぐ放射能。こんな無惨なことをされる覚えがない人たちの上に過酷にも・・・。

4時半に終了したのであわてて支度して西梅田へ。ジュンク堂で新刊案内を見て読みたかったジョージェット・ヘイヤー「紳士と月夜の晒し台」という奇妙なタイトルの文庫本と「ミステリマガジン」7月号を買い、VFC例会場所のシャーロック・ホームズへ。はじめてあったYさんと楽しい4時間を過ごした。よくしゃべりよく笑った。ミクシィやメールで親しくなって入会された方だが、会ってしゃべると距離がぐっと近くなって楽しい。こういう楽しさがあるから会を続けている。わたしは人間(好もしい人にかぎるが)が大好きなんだなぁ。

11時に相方と地下鉄の駅で待ち合わせて西本町の画廊ACDCへ。ここで開かれているパーティに相方が招待されていて、〈お連れさま〉一人オーケーなのでくっついていった。ライブとDJを3時間。爆音が気持ちがよくてぼーっと聴いていた。
まだ他へ行くという相方と別れて帰宅。食べたら元気になるというローチョコが1個だけあるのを出かける前に半分、帰ってから半分食べた。まだ眠くないのはそのせいかな。

「無音ストリート」知性と情念

昨日は「無音ストリート」がやっていることの紹介のようなものを書いたので、今日はわたしの感想を書こうと思う。だけど、わたしは音楽の感想を書くのが苦手。好きなものは好きであかんのん?と思っているが、それじゃなんでブログ書くのか。ひたすら今日は良かったとか酔わしてもらったとかだけだけど、それを書きたいから書いている。それでいこう。

アラトーリさんのピアノに惚れたのは約2年半前のこと、SUBの西山さん主催のコンサートではじめて聴いて、ほかのピアニストとちゃうわと思った。それ以来、アラトーリさんがSUBで月に一度西山カルテットに参加されるときは全部聴いている。

アラトーリさんとはSUBでの演奏の合間の雑談とブログとミクシィ日記と最近はツイッターを読んでいるので、ずいぶんと親しくなっている(と勝手に思っている)。
レニー・トリスターノと似ている演奏と誰かに言われたと書いてあったと記憶しているのだが、それでレニー・トリスターノってどんな人なん?と相方に聞いて、うちにあるでと聴かせてもらった。ありゃまあ聴いたら知ってた(笑)。クールな弾き方が好きだったが、そうかアラトーリさんの演奏と似ているところあるな。
ときどきブログにピアノを弾いている動画があり、レニー・トリスターノ風に弾くとタイトルがある。最初のころそれをかけていると、別室にいる相方が誰のピアノや?と聞くのでアラトーリさんや〜って返事すると、ええやんかと言う。ええやろ!とわたしは鼻高々。
そんな具合でアラトーリさんのピアノのファンです。考えたらセロニアス・モンクからこっちあまり好きなピアニストはいなかったような。

アラトーリさんがブログに書いてくださっているように、わたしは父親が聴いていたスイングジャズからはじまって、弟が聴き出したモダンジャズ、それもウエストコーストも聴いていた一時期があった。わたしがフリーに走っていったとき、弟がコルトレーンは「至上の愛」までやなと言いやがって、言い争いをした(笑)。阿部薫に心酔したり、日野明とその周辺のミュージシャンと知り合った。そしてフリーからパンクへ。そしていろいろとさまよったあげくにジャズへ。西山さんの情熱をまじかに見てジャズを再び見出した。そしてアラトーリさんに出会った。

昨日の会話の中で、ピアノでなくサックスだったらいいなと思う、そして街の中で阿部薫のように吹いてみたいとおっしゃった。じっと考えたが、阿部薫の情念は70年代のものであった。いまアラトーリさんがサックスを吹いたらどんなだろう。さぞ知的な論理的なサックスだろう。そんなふうに考えるとアラトーリさんの音は知的だが情念がないみたいだ。ああ、違うわ。そこで、アラトーリさんのピアノは21世紀の情念と知性を持ったピアノだと気がついた。阿部薫と比較する人は彼が亡くなって以来いないけど、ここにいたやん。ピアノを街で弾いている人。

毎日地下鉄改札横や道路で弾いていることで得られるものはやっていない者には想像できない。きっとすごいものを得られるでしょうと予想するしかない。応援するしかない。
目立ちがりやとしては、こういう演奏をしている人としゃべっているのを人々に見られるのが楽しい。冗談をおいて、ほんまに毎日こんな演奏を続けていることにまず敬意を表するとともに、どこまでやるかとおもしろがって期待している。