ジェーン・オースティン原作、ジョー・ライト監督『プライドと偏見』

何度読んだかわからないジェーン・オースティンの「高慢と偏見」は「自負と偏見」という訳もあるが、この映画では「プライドと偏見」(2005)になっている。5時間もある豪華なテレビドラマが「高慢と偏見」(1995)である。違うタイトルのほうが間違わないでいい。

女性が財産相続ができないという時代に5人の娘がいるベネット家は、父親になにかあれば従兄弟に家や財産を取られてしまう。母親はなんとかせねばと焦りまくり。
近所の屋敷に独身の資産家ビングリーが引っ越してきて、ベネット家は大騒ぎ。舞踏会でビングリーは長女ジェーンに惹かれる。友人のダーシーはベネット家の母親と下の娘らの下品さにあきれてビングリーをこの屋敷から遠ざける。だけどダーシー自身は軽蔑のまなざしを受けたエリザベスのとりこになってしまった。
それからいろいろありまして、ダーシーさんはみんなが思っているような高慢な人でなく、そう思っていたのはエリザベスの偏見だったとわかる。
このいろいろ回り道が楽しい。そして物怖じしないエリザベスはダーシーさんにもキャサリン令夫人にも屈せずに自分を通す。

もちろん、テレビドラマのほうがずっと好きだ。エリザベスがちょっと重いような気がしていたが、何度も見るうちにしっくりしてきた。もちろんダーシー役のコリン・ファースが最高!! 古典ドラマとしてこれからも何度も見るだろう。

「プライドと偏見」はいまの映画だ。キーラ・ナイトレイのエリザベスは賢くて上品で優雅で活発。ドラマの年代は古いがいまに生きる女性だ。

いろんな「高慢と偏見」があって楽しい。
わたしの好きな「高慢と偏見」的映画は「ユー・ガット・メール」で、ヒロインのメグ・ライアンこそエリザベスだ。そして「抱擁」のグウィネス・パルトローもまた。

サリー・ポッター監督『耳に残るは君の歌声』

タイトルだけは知っていたがこんなに素晴らしい映画とは!(映画を見るたびに書いている気がするが-笑)
主演のクリスティーナ・リッチは「バッファロー’66」(1998)に出てた子やった。監督・脚本・主演・音楽がヴィンセント・ギャロですごいという評判を聞いてアメリカ村の映画館で封切りで見たんだった。すごいとは思わなかったがクリスティーナ・リッチは可愛かった。「耳に残るは君の歌声」は2000年の映画やから2年後だが、これも可愛くて応援したくなる。もう大人になりはったけど。
「オーランドー」のサリー・ポッターの3本目の作品。

第二次大戦前1927年のロシアに住むユダヤ系の少女フィゲレ(クリスティーナ・リッチ)は、父親が仕事を求めてアメリカに行った後祖母と暮らしていたが、暴動があり父の写真を持って必死で逃れる。ロンドンへ逃れた彼女はスージーと名前を変えられて普通の家庭に引き取られる。言葉が通じなかったが教師に諭されて学校で英語を学ぶ。10年後に大人になったスージーは養親と別れてパリへ行く。そこで会ったロシア人のローラ(ケイト・ブランシェット)と同じ部屋に住み、コーラスガールとして働く。イタリアから招かれたオペラ歌手のダンテのバックダンサーをしているときにローラはうまくダンテにとりいって同棲する。スージーはジプシーの青年チェーザー(ジョニー・デップ)と気持ちを通わせる。
幸せもつかの間、ナチスの攻撃がはじまりユダヤ人への迫害がはじまった。親切にしてくれたアパートのユダヤ人も連れていかれる。
スージーとローラはニューヨーク行きの船に乗るが、ドイツ軍の爆撃で船は沈没。スージーだけが助けられてニューヨークにたどり着く。ニューヨークのユダヤ人街、それからカリフォルニアと父探しの旅は続く。

第二次大戦とその前後の出来事を時代が変わっても語り続けていることに感動した。先日見た「パンズ・ラビリンス」だって、フランコ軍とレジスタンスの人たちの闘いが背景にあって、そこで運悪く亡くなった少女への鎮魂の映画だと思った。

ニューヨークへ向かう船中でスージーが歌う「暗い日曜日」がよかった。 テーマ曲の(日本語映画タイトルになっている)「耳に残るは君の歌声」はほんとによかった。

SUBは西山さんの一周忌で老若ミュージシャンが集まった

前回8月3日に竹田さんと話していて突然思い出した。西山さんの一周忌が近いんちゃうかしら。そしたら竹田さんが31日やといってカレンダーを見たら金曜日だった。「ぼくのやる日やんか、黙っていてわかっている人は来たらええやん」とさっぱりとおっしゃっていた。わたしは忘れたらえらいこっちゃと印をつけた。

それが昨日、竹田さんが「5時からセッションで8時半からは通常の演奏をする」と告知された。わたしが行ったのは7時過ぎで、店内はミュージシャンでいっぱい。
ミュージシャンをあんまり知らないので、顔がわかった人の名前を書いておく(思いだした順)。顔がわかっても名前と結びつかない人がいるのもすみません。
大塚善章、宮哲之、千北祐輔、横尾昌二郎、矢藤亜沙巳、荘司幸恵、弦牧潔、中野圭人・・・もっといてはった。わたしの前に座っていたピアニストの名前を忘れた。ベースの人ももっといたし、ギターも。お店の長谷川朗さんは忙しすぎて演奏はなし。だけど終わってからよそのセッションに行くんだって。

8時半からのいつものライブに他の方々も入って賑やかだった。
基本は竹田一彦、奥村美里、宮上啓仁。
最後の曲には城下摩耶さんともう一人の女性ヴォーカルが入った。

同時代に活躍されていま現役のミュージシャンと、西山さんが見いだして育てた若手のミュージシャンとのセッションだった。

40年来の客も何人かいた。
休憩時には近所の神社の宮司さんとラブホテルの社長さんと話をした。高校生のときからジャズ喫茶に行ってたという人にマントヒヒと言ったらわかったのには驚いた。マントヒヒ伝説に尾ひれがついているのがわかった(笑)。で「マントヒヒ回想」サイトを紹介しておいた。

ジョン・マッデン監督『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』

最近は存在さえも知らない映画が多くて困ったことだ。先日からずっとダークなのが多かったからちょっと洒落たの見ようということで選んだ。とはいえ、さきに検索しなくてはどんなんかもわからんという情けなさ。
ジョン・マッデン監督は「主任警部モース」「第一容疑者」などテレビドラマを演出している人なんだって。最近読んだ「ウッドストック行最終バス」のモース主任警部ものが映像になっているのか。「第一容疑者」は友だちに貸してもらってかなり見たっけ。
「恋におちたシェイクスピア」(1998)を映画館で見ている。「セブン」(1995)でファンになったグウィネス・パルトロー(「抱擁」が最高)と「高慢と偏見」のコリン・ファースが出てるというので行ったのだが、もうひとつだった。期待大きすぎたのだろう。

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(2006)は、だれが出ているかも監督の名前も気にせずに見たらアタリだった。おっ、グウィネス・パルトローやんと喜ぶ(笑)。もともと演劇なので部屋の中のシーンが多く、せっかくのシカゴの景色が少なくて残念。

キャサリンは学生生活を中断してシカゴ大学の教授だった父親ロバート(アンソニー・ホプキンス)を介護して5年間暮らしてきた。ロバートは20代で天才ぶりを発揮したが精神を病んで、厖大な量のノートになにか書いている生活である。キャサリンは父にすすめられて数学のノートを書くようになる。
父が亡くなったあと教え子のハルがロバートが遺したノートを見たいとやってくる。父の不安定な精神傾向と数学の才能を受けついでいるキャサリンの心は揺れる。葬儀には実際的な姉がニューヨークからやってきて世話を焼く。葬儀の後のパーティでキャサリンとハルは気持ちが通じて一夜を共にする。父でなく自分が書いたとノートを渡すがハルはキャサリンが書いたはずがないと思い込んでいるのがわかり、キャサリンは絶望する。
それなりに妹を思っている姉は家を売りキャサリンをニューヨークへ連れて行こうとする。キャサリンは部屋を探すという姉に病院の一室ではないのかと反発。
シカゴを出るときにハルが大学のチームがノートの数学の証明はキャサリンがしたものと認めたと言いにくるが、車は停まらない。飛行場で待っているとき、キャサリンは空港を後にして大学へ。大学のベンチでハルに会えてよかった!

ギレルモ・デル・トロ脚本/監督『パンズ・ラビリンス』

毎晩のように映画を見てご機嫌生活をしているがええんかな。
子どものときから映画好き。父親や姉に新世界や十三の映画館に連れて行ってもらった。自分で稼ぐようになったら日曜ごとに映画館を3館くらい巡って、ハリウッド映画やフランス映画を見た。小さな上映会に行ってドイツ表現派やドキュメンタリー映画や古いフランス映画を見た。その後も見続けてヌーベルヴァーグもイタリア映画もいっぱい見てきた。「スクリーン」「キネマ旬報」は発売日に買ってた。
レーザーディスクを買ってからは、いままで見られなかった実験的な映画やアステアのダンス映画をたくさん買い込んで、頑張って買った29インチのテレビで毎晩見ていた。映画館もよく行ってた。「エイリアン」の3作目の先行ロードショーに並んでいるのを友人に見つかって冷やかされたこともある。

ところが、もう20年くらいはそんなに映画館に行っていない。家でビデオさえあんまり見ていない。パソコンのほうがおもしろくなったのが第一の理由かな。本はまあまあ空き時間を工面して読んでる。映画は集中する時間が2時間となるとまあいいやと思ってしまう。
最近、すこしは映画を見ようということになった。それでレンタルDVDを借りに行くのだが、お金を払うと思うと、借りるのは話題作とかこじゃれたのとか(笑)。

今回T氏にたくさん映画のDVDを貸していただいて見続けている。
前書きが長くなったが今日はギレルモ・デル・トロ脚本/監督「パンズ・ラビリンス」を見た。映画情報からして知らないので白紙で見たのだがとても気に入った。

第二次世界大戦の終盤のころのスペイン。内戦で父を亡くした少女オフェリア(イヴァナ・バケロ)はフランコ軍が進駐している村へ妊娠中の母とともに着く。母は夫亡きあと大尉と結婚した。子どもは父親がいる場所で産むものだという大尉の意向にそってやってきたのだ。
本の束を抱きしめた少女は森で母が気分が悪くなり自動車を止めて休んだとき、森の奥に吸い込まれるように入って行く。次は夜中に目が覚めて茶色いカマキリのような虫(妖精)が案内役になり、迷宮(ラビリンス)に入るとパン(羊の姿をした神)がいて、あなたは魔法の国の王女だとささやく。
外の世界はフランコ軍の支配する独裁社会。村の人たちはレジスタンスグループを組織して戦うべく森に集まっている。村から徴集された小間使いのメルセデス(アリアドナ・ヒル)はオフェリアにやさしい。

いろんなレジスタンスの映画を見てきたが、今回ほど時代の移り変わりを感じたことはない。リアルな場面であってもいまの映画である。「バットマン」と通じた暗さがある。
この映画は少女オフェリアがいるから成り立った。本を読む少女♪

「リーバス警部」との4日間

ほぼ毎夜「リーバス警部」とつきあい4日間で4本のシリーズドラマを見終わった。心はエジンバラに飛んでいる。観光客の入っていけない暗黒街や貧しい人たちの住む団地やクラブのシーンに、これがエジンバラ?と小説を読んでない人は驚くだろう。リーバスが行くバーも見られてよかった。これがほんとのスコットランドのバーかと感激(笑)。

小説と同じく映像のほうも暗い。ひたすらストーリーを追っていたのでもう一度見たいと言ったら相方に「こんなに暗いのは当分ええわ」と拒否されてしまった(笑)。しゃあない、翻訳のある3冊を読み返そう。
イアン・ランキンの作品はみんな長い。その1冊を2時間くらいのドラマに仕上げてあってモンクの言えない仕上がりなのがすごい。

リーバスのジョン・ハナーは見るごとに好きになっていった。シボーン警部は最初は違和感があったけど、だんだん頼りになるシボーン警部だと思えてきた。

「死せる魂」ではリーバスは悪夢に悩まされて眠れない夜が続いている。
忙しくしているところへ若いときの知り合い夫妻が訪ねてきて、行方不明になった息子を捜してほしいと頼む。リーバスは若いときにその彼女を愛していたが、母親から好かれていなかった。それで伝言を伝えてもらえなくて、待ちぼうけをくらう。それ以来の彼女なのである。
いっしょにエジンバラの街を情報を追って捜し歩き、ついに見つけたらえらいこっちゃで。二人の間も狭まっていき、リーバスは彼女の夫にバーで殴られる。

クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』(バットマン 2)

「ダークナイト」を見たら「バットマン ビギンズ」はこの映画の前編なんだなとわかった。ものすごくおもしろくて熱中してしまった。地方検事ハービー・デントが見たことのあるいい男だなと見つめているうちにわかった。「抱擁」のアーロン・エッカートではないか。ジョーカーにやられて命は助かるが顔半分大やけどを負う。美しい半分と皮が焼けただれて骨や歯や目がむき出しになった顔で、レイチェルを誘拐した者たちを追う彼が哀しい。

ゴッサムの街角にピエロのマスクをして男たちが集まり銀行を襲撃する。それぞれの仕事が完了するたびに仲間に射殺される。ボスであるジョーカーの指令は「用済みは殺せ」である。最後の一人が仮面を外すとその顔は隈取りされてピエロの顔である。赤く塗られ広く避けた口が笑っているよう。彼がジョーカー。

ジム・ゴードン警部補はバットマンにジョーカーの映像を見せる。最後まで争うことになる仮面の二人。
新任検事ハーヴェイ・デントが着任する。若くて正義感あふれた彼はゴッサム・シティの治安回復を目指して活躍をはじめる。元気いっぱいの彼にレイチェルは惹かれる。二人がレストランで食事をしていると、ウェインがボリショイ劇場のプリマとともにくる。そしてデントの地方検事への資金援助を約束する。

ウェインの会社と中国の企業との合弁事業計画があるのだが、ウェインが会社内容を調べた結果中止させる。ラウ社長は香港へ逃亡する。
ウェインは船に乗りクルーズを楽しんでいるように見せて、途中で海へ飛び込み水上着陸した飛行機に乗って香港へ向かう。
それからの香港での行動はあれよあれよと言ってる間にどんどん進んでいってよくわからなかったです。携帯電話がカギになってた。
なんだかだあってラウ社長は「ゴードン警部補まで配達」と納付書がついてゴードンのところへ。

このあたりからストーリーと映像を追いかけて無我夢中(笑)。仕掛けが大き過ぎる。
猛スピードの暴力シーンと爆音がいっぱい。はらはらどきどき。

すごーく暗くて重くて気持ちよい映画だった。

クリストファー・ノーラン監督『バットマン ビギンズ』

昨夜は遅くまで「バットマン ビギンズ」(2005)を見た。今夜もさっきまで「ダークナイト」(2008)を見ていた。評判はネットで読んでいたのでいつかは借りてきて見ようとは思っていたんだけど、なかなか先の長い話なのであった(笑)。正直うれしくありがたい。

「バットマン ビギンズ」はバットマン(クリスチャン・ベール)になるブルース・ウェインの子ども時代からはじまる。ゴッサムの立派なお屋敷のぼっちゃんだが、自分が原因で両親が強盗に殺されたというトラウマに悩む。大人になって武者修行にヒマラヤのようなところまで行って体を鍛えあげる。ゴッサムにもどってきたブルースは屋敷の地下の大洞窟を秘密基地として、執事のペニーワース(マイケル・ケイン)を助手に、バットマンとしての自分をつくっていく。
父親の残した会社ではフォックス(モーガン・フリーマン)が閑職に追いやられていたが、彼が開発した布や金属を使って小道具ができあがっていく。神秘的とか魔法とか全然なくて合理的なのだ。
悪い奴らに支配されている市の警官の中でただ一人清廉なジム・ゴードン警部補が涼しい風を入れてくれる。

執事をやっているマイケル・ケインは息の長い俳優やな。「探偵スルース」(1972)「殺しのドレス」(1980)が忘れられない。イギリスの映画や小説に欠かせない〈執事〉だが、これこそ本当の執事やな。

コリン・デクスター『ウッドストック行最終バス』

2010年になって読んだ「森を抜ける道」(1992)の感想に「ウッドストック行最終バス」(1976)をアメリカのウッドストックと間違えて買って読んだと書いてある。ハードボイルドミステリを追いかけていて、イギリスの本格ものは受け付けていなかったころだ。知り合いの青年に言ったら「ぼくも音楽祭のウッドストックと思い込んで買った」と苦笑いしてた。あれから30数年か、どうしているかしら彼。

コリン・デクスターのモース警部シリーズ第1作である。
ジャーマン夫人はオクスフォードの中心へ向かう道路のバス停で自分の乗るバスを待っていた。若い娘につぎのバスはウッドストックへ行くかと聞かれて行かないと答えると、二人の娘はヒッチハイクしようと歩き出した。
夫人はバスで帰宅し食事をしてテレビのニュースを見て、10時30分にはぐっすり眠っていた。同じ時間にウッドストックのある中庭で若い娘が倒れているのが発見された。娘は惨殺されていた。

オクスフォードからウッドストックへ向かってあと半マイルほどのところに、むかし玉石の上に馬蹄がひびいた古い中庭がある〈ブラック・プリンス〉があり繁盛している。酔った若い客が中庭で車の横の死体を発見しはげしく嘔吐した。

ルイス巡査部長とモース主任警部の登場である。モースはルイスに新聞のクロスワードの解答を見せて自慢する。
【「ルイス、時間の浪費だと思っているのかね?」/ルイスは利口だし、かなり正直で誠実な男だった。/「はい」/人なつっこい微笑がモースの口元に浮かんだ。彼は二人はうまくやっていけそうだと思った。】
そしてモースはダブルのウィスキーをたのむが、ルイスには勤務中だよと飲まさない。そして店にいた全員から話を聞きはじめる。

殺されたシルヴイアの日記に「ライアンの娘」を見に行ったと書かれている。「ライアンの娘」よかった。大好きな映画だ。この映画のころの事件なのか。

ジャーマン夫人はモースの質問に必死で記憶を呼びさます。娘の一人の言葉、「大丈夫よ、明日の朝は笑い話になるわ」それで二人の娘は同じ職場で働いていると推定できる。
(大場忠男訳 ハヤカワポケットミステリ)

アントン・コービン監督『コントロール』

この映画の存在を全然知らなかった。わたしがイアン・カーティスのファンであることを知っているT氏がDVDを貸してくださったのだ。70年代、イアン・カーティスがボーカルをやってたマンチェスターのバンド「ジョイ・ディヴィジョン」は、「クラッシュ」とともにいまでも大好き。レコードの時代の最後のほうだったと思うのだが、輸入版レコードを買って毎日聞いていた。CDの時代になってからやっぱり持っていたいとCDを買ったのを持っている。好きなジャケットデザインがCDサイズになったのがちょっと違和感あったけど。

自殺の知らせを聞いたときはショックだった。だれから伝わったのか覚えてないけど、シーンとした気持ちになったことをいまでも思い出す。1980年5月だった。

「コントロール」は、2007年のイギリス、アメリカ、オーストラリア、日本の合作映画。写真家アントン・コービンの初監督作品である。解説を読んでいたら、俳優たちがほんとに演奏をしていて、イアン役のサム・ライリーはボーカルをほんまにやっているのだ。ビデオやレーザーディスクで見ていたイアン・カーティスそのままのような歌いっぷりだ。はじめからぐんぐん引き込まれてしまった。

イアンとデボラは10代で愛し合い結婚して子どもが生まれた。昼は公務員として障害者のための求職センターで真面目に働き、夜にはバンド活動で狂わんばかりのパフォーマンスを見せすごい人気を得る。レコーディングやバンド活動の幅が広がり仕事を辞め音楽で生きていくことに。ベルギーで行われたアートイベントに参加してイベントの興行主のアニックと知り合いつきあうようになる。それはすぐにデボラにわかり、彼はふたりの間で揺れ動く。

妻と愛人との間で苦悩し、癲癇の発作と鬱病にも悩まされ、死を選んだイアン・カーティス。残ったバンドのメンバーは3人で新しいバンド「ニュー・オーダー」を結成し、いまにいたる。