宮本百合子「伸子」「道標」

最近ツイッターで「百合子、ダスヴィダーニヤ」という言葉をよく見かける。ダスヴィダーニヤというロシア語っぽい響きで、きっと百合子は宮本百合子だろうなと思った。よく読めば湯浅芳子の名前も出てきてどうやら同性愛のふたりを描いた映画らしい。
検索したら「百合子、ダスヴィダーニヤ―湯浅芳子の青春」 (沢部ひとみ著 女性文庫) という本があり、「往復書簡宮本百合子と湯浅芳子」(黒澤亜里子編さん  翰林書房) という本がある。すこし興味はあるが買ってまで読む気はない。

「伸子」なつかしいな。なんせ50年も前に読んだ本であるから当時は同性愛もなにもわからなかった。吉屋信子の「S」はわかってたけど、あれは麗しの世界のことで(笑)。
若くしてかなり年上の男性と恋愛結婚した伸子がついに離婚することになり、鳥かごから鳥を離した元夫が「鳥でももどってくるのに、君は・・・」というところを覚えている。先日、青空文庫で読み出したけど途中から飛ばして湯浅芳子が出てくるところを探して読んだ。なるほど愛の雰囲気が読み取れる。
次に「道標」を読んだ。物語の最初が列車でモスクワへ着いたところ。ふたりのモスクワ生活がはじまる。小説の中では伸子と素子で、素子は伸子のことを「ぶこちゃん」と呼んでいる。実際には「りこちゃん」と呼んでいたのかな。
【白い不二絹のブラウスの上に、紫の日本羽織をはおっている伸子が、太い縞ラシャの男仕立のガウンを着ている素子について、厨房のわきの「浴室」と瀬戸ものの札のうってある一つのドアをあけた。】なんか百合って感じがする。
こちらも途中まで読んでやめた。

宮本百合子はすごく読まれた作家だった。我が家は姉2人が買った本を受け継いでわたしと妹が読んでいる。いつごろからか翻訳小説ばかり読むようになった。ボーヴォワールとかサガンとかオースティンとかのほうがおもしろくなったのだ。

ミシェル・ティー『ヴァレンシア・ストリート』

デモ帰りに難波のジュンク堂をぶらぶらしていたとき目についた新刊書。表紙がこっちを向いていて、服部あさ美さん描く肩を抱いた女性二人の顔に惹きつけられた。この本買おうって即思った。
サンフランシスコに生きるレズビアン女性の愛と生活を描いた自伝的小説で、原作は2000年に発表され、ついさきほど5月に翻訳が出た。
読み出したらアンドリュー・ホラーラン「ダンサー・フロム・ザ・ダンス」を思い出した。あちらはゲイでこちらはダイク(レズビアン)の物語だが、どちらも愛の物語である。読み終わったら「ダンサー・フロム・ザ・ダンス」を読みたくなったが、貸し出し中なのでしかたなく自分の書いたブログを読んだ。自分の熱さに笑った。

「ヴァレンシア・ストリート」は「ダンサー・フロム・ザ・ダンス」のような物語ではない。主人公のミシェルの昼と夜の愛と快楽と金を稼ぐための労働が淡々と綴られているだけである。淡々とではあるが、かなりえげつないセックスや第1市民なら眉をひそめるであろう行為(公道でおしっこしたり)が描かれている。その書き方に〈いま〉を感じた。もともと本書はミシェル・ティーがクラブやライブハウスなどでジン(ファンジン)に書いた詩を朗読していたものが主になっている。
書くことがネット主体になる前にはアメリカではさまざまなジンが発行され、ひとりで発行するのや共同作業でつくるジンがあった。いま、わたしがそういうことを理解しているかのように書いているのは、少しだけ大阪のクラブシーンを覗き見ているからだ。ミシェルのジンをクラブイベントのフライヤーから想像できる。

たくさんのレズビアンの女の子が描かれていて、それぞれ個性的で楽しい。死んでしまった子もいるしカナダへ帰った子もいる。セックスのやり方、タトゥーの絵柄、酒の飲み方、会話・・・いろんな女子たちの交流があり、物語が終わっても終わらない愛の生活が続いていくのが見える。
(西山敦子訳 太田出版 2850円+税)

館山 緑『しあわせな恋のはなし』

青年と少女が抱き合っている甘い甘い表紙。うすむらさきとピンクとうすみどりを濃いヴァイオレットが引き立てている。
作者の館山さんとはかなり前にミクシィで知り合った。作家としてのお名前を知ったのはごく最近のことである。小説を書いているのはうすうすわかっていたが、どのような作品を書いているのかはあまり気にしていなかった。館山緑さんと知ってからツイッターでも付き合いがはじまり、日記以上にリアルに執筆時の苦しみを知った。わたしのRTや返信は常識の範囲で、きっともどかしく思われたことだろう。そのときに書いていた作品「しあわせな恋のはなし」が出版されるまでをリアルタイムで知って、ぜひ読みたいと思った。

サウンドデモの帰りに本を買ってから足を休めようと千日前のジュンク堂へ行ったが、ティアラ文庫の売り場がわからずうろうろ。店員さんに訊ねて売り場まで連れて行ってもらいようやく手に入れた。それからは3階のティーコーナーで読み出したらやめられないってやつ。甘い表紙を向かい側にいる客に見られたら恥ずかしいと思いながら読んでいた(笑)。

わたしは昔もいまも少女小説が大好きで、思い出の本、何度も読んだ本、いまだに読む本といろいろあるのだが、どれもセックスシーンがない。なんかもう清教徒的に育ったんだといまさら思う。性教育というものを受けたことがないから、やってからこういうもんかと(笑)。
「しあわせな恋のはなし」という静かな作品は、昔からある少女小説にセックスを取り入れただけではない。時代は表紙や挿絵にあるドレスからして18世紀ごろかしら。「高慢と偏見」よりも昔だよね。むかしむかしと語られる童話の世界と思ったらいいのか。

主人公セラフィーナは〈野の花〉を愛する少女である。そして相手は〈野の花〉を愛する少女と一度だけ散歩したことを忘れられない青年ユーシスである。清々しい恋である。そして青年は城主を継ぐ身で、あまたある縁談を退け初恋を貫く。まだ心身ともに少女であるセラフィーナが愛されて目覚めてしっかりした女性に育っていく。
これだけの単純な物語を一冊の本に書く力につくづく感心した。
(坂本あきら絵 ティアラ文庫 533円+税)

ケイト・モートン『忘れられた花園 上下』(2)

ネルはヒューに発見されたとき白い子ども用トランクを持っていた。トランクは船上で知り合った子どもたちの親が開き、封筒に入った紙幣を盗む。ネルを見つけたヒューはトランクを隠したままだったが死ぬ前にネルの手にもどした。開けると着替えなどの下に1冊の絵本(イライザ・メイクピース作のお伽噺)が入っていた。
そのトランクをネルの孫娘のカサンドラが子どものときに見つけたことがあった。ネルが亡くなってから家を捜し見つけ出す。このトランクで葬儀のあとにネルの妹たちから21歳からのネルの変化を聞いていたのを納得できた。ネルの過去がつまったトランク。

ネルの死後、ネルと親しかったベンが封筒を持って訪れる。家や預金をカサンドラに遺すという他にイギリスのコテージを遺すという遺言状が入っていた。
ネルがイギリスを訪れてそのコテージを見ているときに、庭園で小さな少年がひとり遊んでいた。母を癌で亡くしたばかりのクリスチャンである。ネルはまた訪れるまでこの庭を守っていてねと頼むがまた訪れることはなかった。

カサンドラが木を切るのに庭師を頼むと親方の兄とやってきたのがクリスチャンだった。静かな彼はできるだけ毎日来て手伝うという。
カサンドラはネルのメモを精読し、図書館で調べ、イザベラのいとこで邸宅の令嬢ローズと夫の画家ナサニエルがネルの親と思う。しかし、実はもっと複雑な事情があった。

ネルのあとを継いだカサンドラによって、さまざまな葛藤が解けていく。そして隠されていた庭園が受け継がれ息づいていく。

過去と現在が交錯する物語は「抱擁」を思わせるし、お屋敷は「秘密の花園」だし、1900年代のロンドンの場面はディケンズを思い起こさす。すごく楽しんで読んだ。
途中に挟まるイライザによって書かれたお伽噺の章が飾り罫で縁取られ、書体も古風でルビつき。まるで元の本から写したよう。
(青木純子訳 東京創元社 上下とも1700円+税)

ケイト・モートン『忘れられた花園 上下』(1)

東京創元社のメルマガで本書の紹介を読んだときピピッときて、書店に並ぶのを楽しみに待っていた。単行本2冊だし勘が当たらなかったらどうしようと思ったが買って正解だった。すごく楽しく熱中して読んだ。あまりにも先を急いで読んだので、またはじめから読み直す始末だ。

1900年と1913年のロンドンとオーストラリアのメアリーバラ、1930年のブリスベンからずっと後の1975年、2005年のロンドンと物語は時代と場所を超えて進んでいく。

オーストラリアの港に着いた船に乗っていた引き取り手のいない女の子を、税関で働くヒューが家に連れて帰る。ネルと名付けて妻のリルともども我が子として可愛がって育てるが、ネルが21歳になったときに真実を打ち明ける。ネルは長女として年の離れた妹たちを可愛がっていたが、そのときからだんだん家族と気持ちが離れていき恋人とも離れていく。

1900年代初頭のロンドンでイライザはこきつかわれ、食べるものも満足に与えられない生活をしていた。イライザの母は船乗りと恋をして家を捨てた。夫が死んだあと働きながら双子を育てていたが結核で死ぬ。双子のサミーは霧の中で馬車にはねられ死ぬ。イライザは髪を切りサミーの服を着たままで働いている。ディケンズの作品を思わす描写。わたしは「荒涼館」を思い出していた。

コーンウォールの邸宅で暮らす伯父が探偵を雇ってイライザを探し出し屋敷に引き取る。この邸宅と伯父さんがバーネットの「秘密の花園」の邸宅と庭園そして主人のモデルだろうと思わせる巧妙な書き方である。
叔父の妻は地位の低いところからの出身ゆえに、常に金持ちらしく上品に振る舞うように心がけている。そして病弱な娘ローズをいかに地位のある男性と結びつけるかばかりを考えている。そこへ引き取られたイライザは叔母からは疎まれるがローザと仲良くなり、物語を書く才能を伸ばしはじめる。

1975年、ネルはイギリスへ渡り自分の過去を調べ始める。コーンウォールでコテージを手に入れ、すぐにもどると言ってオーストラリアへ帰るが、たった一人の娘が孫カサンドラを連れてきて置いていったのでイギリスへの移住を諦める。

そして2005年、ネルが亡くなり、カサンドラにはコーンウォールのコテージが遺される。カサンドラはまずロンドンへ飛ぶ。
(青木純子訳 東京創元社 上下とも1700円+税)

恋愛小説

26日(土曜日)にジュンク堂で買った「忘れられた花園 上下」を読み終わってまた読み返している。久しぶりでしっくりとくる上質な恋愛小説だ。A・S・バイアット「抱擁」を読んで以来の興奮とあちこちで言いふらしている。
オーストラリアの港に着いた船にたったひとり乗っていた引き取り手のいない女の子を、港で働く男が家に連れて帰る。その女の子がどこから来たのか、どこの子が全然わからない。それからオーストラリアとイギリスのロンドン、コーンウォールとみごとに話がつながっていく。
「秘密の花園」みたいと思って読み進めると、バーネット夫人がパーティに招かれている。バーネット夫人はこの屋敷と花園と屋敷の主人を見て「秘密の花園」を書いたという感じになっている。

恋愛小説好きとしてはとってもうれしい本にめぐりあえた。「学寮際の夜」「ジェーン・エア」「嵐が丘」「高慢と偏見」「リンバロスとの乙女」に匹敵する何度でも読むだろう恋愛小説。
(青木純子訳 東京創元社 上下とも1700円+税)

メアリ・バログ『婚礼は別れのために』

読み出したらやめられなくて2日で読んでしまった。ストーリーづくりがうまいのと日本語が読みやすいからだと思う。ジェーン・オースティンの時代の物語をいま書いている〈時代小説〉である。ヒロインのイヴの性格は「高慢と偏見」のエリザベスとよく似ている。荘園の相続問題が柱になっていて、いやな従兄弟のものになりそうになるのも似ている。現実にこういうことが多々あったのだろう。

貴族階級に対してブルジョワ階級が勃興してきた時代、ヒロインの父親はウェールズの炭坑夫だったが、社長令嬢と結婚して猛烈に働き富を手にした。妻の親も同じようになり上がった人だろうと思う。ディケンズの作品でもお屋敷で働いていた一家の息子が豊かな工場主になった話があった。

そんな時代背景を考えながら、ロマンスに酔いしれていた(笑)。ヒロインは美しくて誇り高い。父親に譲られた荘園にウェールズから大伯母を引き取り、生活に困っている人を雇い入れ、親の亡い子どもを二人わが子のように育てている。大伯母は炭坑で石炭を運んで何十年も働いていた人だ。

ある日突然、イヴの屋敷へイヴの兄が戦死したことを告げにエイダン・ベドウィン大佐が訪れる。たった一人の兄の死にショックを受けるイヴ。まだなにかあるとみたエイダンは、兄がもどらずイヴが結婚しなければ、この荘園があと5日で従兄弟のセシルのものになることを知る。イヴの兄の死の間際に約束した言葉を思い出し、迷った末にエイダンはイヴと結婚するしか手がないと思う。

二人はロンドンへ行き特別許可を得て結婚する。そのまま別れるつもりだったが、イヴのことを考えていっしょに荘園へもどり、村でのパーティに参加する。だんだんイヴに惹かれていくがまだ義務感である。5日経って従兄弟がやってくるが結婚したと追い返す。

エイダンは貴族階級に属し兄が家督を継いでいて彼は二男で軍隊に入った。家にもどって結婚したというと波紋が起きる。結婚したからにはレディ・エイダンになって女王陛下に拝謁しなければいけない。イヴを連れに行き、叔母に頼んで貴族の教育を受けさせ、無数のドレスを注文する。従順で終わらせないイヴの勝ち気さが小気味よい。

エイダンもイヴも相手に惹かれていくが、大切なパーティにイヴの昔の恋人が現れたり、いろいろとあって、物語にうまく引っ張られてどうなっていくやら、はらはらどきどき。最後はうまくおさまってめでたし。セックス場面もほどよくあって楽しませてくれた。
(山本やよい訳 ヴィレッジブックス 860円+税)

モンゴメリ『もつれた蜘蛛の巣』

最近になって読んだモンゴメリの本の3冊目、最初は2009年11月の「青い城」、続いて12月に「丘の家のジェーン」を読んだ。どちらも人生をうまく生きていくのが下手な若い女性が主人公だ。そして最後はその真心や必死さがむくわれる。そこへいくまでがこまごまと描かれ、小説を書くことがうまい人なんだと心底思った。

「丘の家のジェーン」を貸してくれたSさんが、最近買った「もつれた蜘蛛の巣」をまた貸してくださった。わたしとしては少しいらいらしているときで、コージーミステリのあとにロマンス小説はちょうどよかった。ちょいと食べ過ぎていたのも反省の時期に入ったということは読書が効いたのだと思う。

ダーク家とペンハロウ家は、誇り高く、精力旺盛で、力強く、一族の中でもまれながら外部の敵対する力に対して壁をつくっている。一族の長であるベッキーおばは85歳で一族のなにからなにまで知り尽くしている。名士だという者も偏屈者だという者もいるが、誰にとってもベッキーおばとして君臨している。彼女がみんなを集めて話があると言い出した。自分の死後に家族に伝わる水差しを誰に遺すか発表するというのだ。

その日、ベッキーおばの家にはダーク家とペンハロウ家の全員が集まった。過去のいざこざを忘れていない者や、若い男と女が一目で惹かれ合ったり。そして水差しを手に入れることがいかに重要なことであるかが語られ、全員が最後まで帰れないでいる。
ベッキーおばは指輪や置物などひとりずつに渡していく。マーガレットにはぼろぼろになった「天路歴程」を渡す(後に初版ものであることがわかる)。
ヒューとジョスリンは部屋の反対側に座っていた。彼らは夫婦なのだが結婚式のあとでジョスリンは実家へ帰ったままだ。その謎のいきさつの末に、素晴らしい最後となる。
探検家のピーターとドナの宿命的な間柄も素晴らしい恋物語だ。
美貌のゲイはハンサムなノエルとの結婚を夢見ていたが、幼なじみに横取りされてしまう。医師のロジャーはずっとゲイのことが好きで失意のゲイを慰める。ゲイはノエルの身勝手を思い知り、誠実なロジャーの恋はむくわれる。

という具合にひとつひとつが一冊の物語になるような恋物語がいくつもあって、それだけではなくマーガレットは結婚を断り、「天路歴程」を売ったお金で家を買い不幸な境遇の子どもと暮らすことにする。また一家の男たちの気持ちの変化もしっかり描かれている。
(谷口由美子訳 角川文庫 781円+税)

モンゴメリ『もつれた蜘蛛の巣』続き

読み終わったんだけどすぐに離れがたくあちこち開いて読んでいた。もちろん恋愛場面(笑)。たくさんの登場人物がいて複数の恋人たちがいる。ミステリではないのに〈主な登場人物〉の表があってなかなか便利。

恋人たちの特徴は〈一目惚れ〉だが、恋人たちどうしの〈一目惚れ〉だけでなく、他の人相手だったのが覚めて真の愛に目覚める場合もある。
ジョスリンはヒューとの結婚式にきていたフランクに一目惚れする。フランクはそんなことは知らずに急用で帰ってしまう。夫の家から逃げ帰り一目惚れをそのまま10年生きているジョスリン。
ノエルを友人に取られたゲイの失意を慰めるゲイを熱愛するロジャーは辛い。だが彼はだれも愛さなければ辛くないと人に言われて言い返す。「見返りに愛して欲しいなどと思ったことはない——だが、辛いのはこの上ない」。
ドナとピーターは過去があるが再会し愛し合う。駆け落ちしようというピーターに性急すぎるとドナは言い口論になる。最後にドナは「消えちまえ」と言ってしまう。
【ピーターは女が決して許せないたったひとつの罪を犯した、彼は彼女の発言を言葉通りにとったのだ。】
それぞれのハッピーエンドまでの長い物語を読んでいて飽きないのだからすごい。
(谷口由美子訳 角川文庫 781円+税)

エイドリアン・フォゲリン『ジェミーと走る夏』

アメリカのフロリダ州タラハシー、12歳のキャスは姉のルー・アンとまだ赤ん坊のミッシーと両親と暮らしている。ある夏の日、お父さんは隣家との境に古い板でフェンスを作っている。黒人が隣の家にいるのを見たくないというのだ。隣家にはミス・リズが住んでいたが少し前に97歳で亡くなった。キャスと女の子同士の話をしていた楽しい人で14匹の猫を飼っていた。そのうち13匹は近所の人に通報されて連れ去られたが1匹だけ残っていてキャスはご飯をあげている。ミス・リズはキャスに「ジェーン・エア」という古い本をくれたのだが、まだ読んでなかった。ミス・リズが亡くなったのだから読まなくてはと思う。
フェンスの板の節穴から隣家をのぞくと、向こうにばれてしまう。そしてアフリカ系のジェミーとアイルランド出身の祖先を持つキャスは言葉を交わす。ジェミーはグレースおばあちゃんとお母さんと赤ちゃんのアーティーでお父さんは亡くなっている。

明日の朝いっしょに走ろうと約束し、翌朝ジェミーとキャスは二人とも負けず嫌いでどんどん走り、お互いを認めあう。ジェミーのおばあちゃんはキャスを可愛がって、いろんなことを教えてくれる。おばあちゃんとの会話からいろんなことがわかっていく。おばあちゃんはバス・ボイコット運動に参加した話をしてくれる。
【「・・・あたしは、もう、いちばん前の席からたちのくつもりはなかった。バスのうしろからそこまでの旅がどれほど長かったことか」】
そこまでいっても、黒人と白人は水と油みたいなもんで、いくらかきまぜても混じり合うことがないと思っていたおばあちゃんは、キャスとジェミーを見て、いつか変わる日がくるかもしれないと思う。

しかし、父親の偏見はちょっとやそっとでなおるものではない。少女たちはないしょでつき合うことにして、フェンスの両側から「ジェーン・エア」を声を出して読み合う。物語をとおして二人は恋愛や人生を語り合い成長していく。

キャスの母は子どもの擁護施設で料理や雑用をしている。ジェミーの母は大学で学んだ看護士である。
ジェスの一家は貧しくて父親のいまの仕事だって黒人にとられそうになっている。父親の偏見は変わりそうになく、ある日隣家と親しくしている娘を見て交際を禁じる。二人はミス・リズのお墓の側で「ジェーン・エア」を読み続ける。

さまざまな事件があってそれを乗り越え、フェンスがいらなくなって気持ち良く終わる。ていねいに書かれており、アメリカの現状がよくわかる。こういう児童書が出版されていることにアメリカの明るさを感じる。2000年に書かれ、日本での出版は2009年。
そして「ジェーン・エア」を読み終わった二人が図書館でシャーロット・ブロンテの本を探していると同じブロンテのエミリー・ブロンテ「嵐が丘」があるところも感動的。話をばらし過ぎてすみません(笑)。
(千葉茂樹訳 ポプラ社 1400円+税)