ジョゼフ・ハンセン『アラン—真夜中の少年』

柿沼瑛子さんお勧めのゲイミステリ10冊のうちの1冊。全然知らなくてアマゾンの中古本で手に入れた。二見書房のベルベット・ロマン・シリーズから1993年に出た本。
ジョゼフ・ハンセンはハードボイルドミステリを夢中で読んでいた時代に出会った作家だ。たくさんいる探偵のなかでも目立って異色の探偵である。それは保険会社の調査員ブランドステッターがゲイだったから。わたしはジャン・ジュネやジャン・コクトーやゲイの作家の作品はたくさん読んでいたけど、ゲイの私立探偵がいるとは思いがけないことだった。
ハヤカワポケミスで1970年の「闇に消える」から1991年の「終焉の地」まで12冊出ているのを全部買って読んだが、いま残っているのは数冊だ。今年の2月に他の本を探していたら、ブランドステッターものに出くわした。開くとやっぱりお気に入りの探偵だけにすぐ思い出した。
そこへいま、同じ作家だけどちょっと怪しげな感じがする本だからうれしくって(笑)。

アランはもうすぐ18歳だが小柄で13歳くらいにしか見えない。いま彼は両足を骨折して石膏で固められ、胸や肩に包帯を巻かれてベッドに横たわっている。黒い肌のハンサムなキャッチが彼の世話をやいてくれている。キャッチがいなければアランは生きていられない状況にある。
それより少し前のこと。アランは新聞で父が自殺したことを知った。父はハリウッド俳優でアランが6カ月のときに家を出て行ったままだ。母のベイブはバーでピアノを弾いてアランと暮らしてきた。アランはIQが最高ランクで読書好き。孤独に慣れていた。あんなやつほっとけという母は言ったが、アランは父エリックの葬式に行こうと思う。
着替えとお金(ほかの生徒のレポートを書いてやったりしてけっこう実入りがよかった)を持って出発しヒッチハイクでハリウッドを目指す。
葬式には間に合わず墓地へ行くと一人の男にエリックと間違うほど似ていると言われる。そこで父がホモであると知るのだが、教えたソーントンは自分の存在のせいで、エリックとベイブは別れたこと、父の死因は自殺のはずがないと語る。

アランは父にゆかりのある人間を探しまわる。最後に父の死因を知り殺人者を見つけ、自分も同じ場所で怪我をするが、運良く助けられる。
最初は現在の介護されているアランがいるので、どういうことかと読み進む。家を出ただけでなく、母からの精神的な自立、そして父の死の真相を体を張って探り出す。父の相手だったゲイ青年との愛憎がやるせない。
(柿沼瑛子訳 二見書房 1165円+税)

アンドリュー・クレメンツ『はるかなるアフガニスタン』紹介

アフガニスタン カプールの北の丘にサディードという頭のいい少年が両親と妹と住んでいる。先生が学校にとどいたアメリカ人少女の手紙に返事を出すのが礼儀だと村の長老たちを説得する。そして勉強のできるサディードを推薦するが相手が女の子なので、妹に書かせることになった。2歳年下のアミーラと文案を考え彼が英語に翻訳して返信を出す。

アメリカ イリノイ州の少女アビーは体育館の壁にしつらえてある岩登りが好きで、勉強する気がなく落第さすと教師にいわれる。必死で勉強するからと頼むと勉強以外の課題としてくじびきで外国の子どもとの文通することになった。山のあるところの人がいいとアフガニスタンを選び手紙を書く。

ふたりとも両親に愛されてしっかりと生きている。アフガニスタンもイリノイ州も大地に根ざした場所である。妹の名前だけど実はぼくが書いていたと別の手紙で告白し、ふたりの気持ちがつながる。
しかし、アメリカでは掲示板に貼った手紙のコピーにアフガニスタンの旗の写真をつけたのが、気に入らないという人がおり、アフガニスタンでは切手のアメリカ合衆国国旗が批判される。
アビーにはカプールの丘の石のかけらが、サディードにはイリノイ州の大地の土がほんの少し残された。

とても楽しく、ほろ苦く、一息で読んでしまった。
これで物語は終わってしまうのだが、数年後に少年はアメリカの大学に行き、少女と再会するという後編があったらいいな。
(田中奈津子訳 講談社 文学の扉 1400円+税)

アンドリュー・クレメンツ『はるかなるアフガニスタン』感想

昨日は物語のおもしろさに引っ張られてたったと読んであらすじだけを書いて終わってしまった。
はじめて読んだ作家だけど、アンドリュー・クレメンツは優れた児童文学の書き手のようだ。職業としてきちんと考え抜いた物語を書く。そしていま生きて学んでいる少年少女たちを励ます作品を書くひとだと思った。

細かいことにも気が配られている。アメリカの少女はアメリカという国を現すいろいろなデザインの切手をたくさん貼った手紙を出す。なにげなく少女っぽい。切手を収集するのではなく使うために買う切手愛好者としてうれしくなる。

ふたりともそんなに豊かではないが、愛に恵まれた家庭の子どもで賢く育ち、家事の手伝いをするのが当たり前と思っている。そういう生活がすごく自然に描かれているのも読んでいて楽しい。

少年が小さな丘の石のかけらを送ると、少女はイリノイ州の土を送ってきた。
【この土は、森の中の、今作っている木のとりでの近くで取りました。(中略)だれもさわったことのないものを(中略)地球上に生きてきた人間の中で、この土をさわるのはわたしが初めて。そして、あなたが二番目です。】

2009年の作品で翻訳は2012年2月。
(田中奈津子訳 講談社 文学の扉 1400円+税)

水村美苗「母の遺産 新聞小説」(2)

花畑のようなテッシュ入れを見つけたのは、美津紀が普通の切手を探すのに夫の哲夫の机の引き出しを開けたときだった。夫に親しい若い女性がいると感じる。そのとき電話がかかって母が骨折したことを告げられる。母の死に至る長い療養生活のはじまりである。

美津紀と哲夫は若いときパリで知り合って結婚した。哲夫は当時の留学生の中で垢抜けたしぐさで目立っており、東京での生活よりもお嬢様ふうな留学生活を送っていた美津紀に近寄ってきた。そして、階段をたくさん昇って蝋燭がたくさん灯された部屋に通され求婚される。いま考えてみると幸福だったのはそのときだけではないか。

哲夫はいまは大学教授であり、美津紀は大学講師をしつつ翻訳仕事をしている。哲夫はテレビにも出るようになっている。いままで二度の浮気をしたことはわかっているが、そのときは年上の女性が相手だったが今度は違う。若い女が相手である。

母の住んでいた家と土地を売って母を有料老人ホームに入れるが、また入院して亡くなるまでの美津紀と奈津紀の看病生活が綴られる。疲れ果てた娘二人は母の死を待っている。
そして母の死。葬式をしないと病院出入りの葬儀屋にいうと、立派な葬式をする人と葬式をしない人といまは二極化していると葬儀屋がさらっという。料金明細があるので参考になる。

本書の特徴はお金の話である。昔知っていた夫のパスワードを入れてみたら夫のメールが読めてしまった。夫と女の往復書簡を美津紀は読んで嘆く。メールには、哲夫と美津紀が別れたあとの周到なお金の計算がしてある。
美津紀は自分から離婚しようと決意する。哲夫からのお金の上に母の遺産を姉と二人で分けて足す計算をする。母の遺産は哲夫には渡せないとさっそくマンションを買う。

住まいがあって一生食べていけるお金があるって大変なのだ。お金の計算の苦労をしないですむのは大金持ちと貧乏人だなと思わせてくれる(笑)。
この本、ヘンにおもしろい。
(中央公論新社 1800円+税)

水村美苗「母の遺産 新聞小説」(1)

何週間か前の「週刊現代」の文芸欄に紹介されていたのを読んで買った。水村美苗の本はもうええわと思っていたのだが、「母の遺産」という言葉に惹かれた。水村さんのお母さんは80歳近くなって「高台にある家」でデビューされたが〈文学少女〉そのものなのだ。そのお母さんの遺産てなんだろう。

わたしが水村美苗を知ったのは「續明暗」を読んで感激してからだから長い。漱石はどう思うか知らないが、当時は「明暗」の結末はこれしかないと思ったものだ。ついで「私小説」を読んでアメリカの有名大学を出て有名大学で教えている大インテリに「ははーっ」となっちゃって(笑)。そしたら朝日新聞に辻邦生との往復書簡が連載され、わたしはガーリッシュな読書案内にしびれた。毎週切り抜いていたもんね。すぐに本になったのもすぐに買った。ついで「本格小説」が「群像」に連載されたときは毎月待っていて買って何度も読み、単行本も買って何度も読んだ。
ここまでは大ファンと大きな声でいえる。そのときに感想を書いていたらよかったのだが。

2006年に「新潮」に載ったエッセイ「もう遅すぎますか? —初めての韓国旅行」を読んで違和感を覚えてから、水村熱が醒めてしまった。その後に日本語のことでネットで騒がれていたことがあったが読みもしなかった。
それから1年後に水村節子の「高台にある家」を読んだのだった。

「母の遺産 新聞小説」は芸者上がりの祖母が新聞小説を愛読していて、尾崎紅葉の「金色夜叉」に影響され、24歳年下の男といっしょになり、そのふたりの間に生まれた母の生涯が語られる。「高台にある家」は母の自伝的小説なのだが、本書はその母の死にぎわの姿が描かれている。主人公の美津紀と姉の奈津紀が看取るのだが、ふたりとも更年期だから疲れきっている。
美津紀は夫の机の引き出しから小さな華やいだティッシュカバーを見つける。
続きはまた。
(中央公論新社 1800円+税)

青空文庫で坂口安吾と宮本百合子

ツイッターで坂口安吾の「桜の森の満開の下」が好きとつぶやいてるひとがいて、わたしも好きですと返信したら読みたくなった。だが全集をさがす根気がない。ふと思いついて青空文庫をさがして読んだ。そしたらもう一度「吹雪物語」を読みたくなった。
安吾を思いつつ、そやそや青空文庫つながりで宮本百合子が「伸子」で湯浅芳子と知り合うところを確かめたい。

宮本百合子の著作はすごくあってびっくりした。さっそく「伸子」を開く。
パソコンではフォントも行間もちょうどよくて読みやすいのだが、思ったところへいくのにスクロールがばかにならない。特に読みたいところが長編小説の終わりのほうだから、ちょこちょこ読んでいたら結婚生活の描写が長くていらいらした。ようやく野上弥生子が湯浅芳子を紹介したところになった。ふたりは散歩したりご飯を食べたりする。そしてわたしが読みたかった寝そべって話すシーンになった。はじめて読んだときは、宮本顕治夫人の百合子さんがレズビアンでもあったとはまったく知らなかった。単純に仲のよい友だちどうしでいっしょに暮らしたしモスクワへも長期間行ってたと思っていた。でも「伸子」のこのあたりになんかもやもや感じてたのを思い出して。
「百合子、ダスヴィダーニヤ」という映画が去年話題になっていたのを思い出してサイトを探したら、予告編があってラブシーンがあった。

相方が青空文庫を読むならiPadを使えばいいのにとアプリを入れてくれたので、次の青空文庫の読書はiPadにする。ちょっと夏目漱石「三四郎」の「これは椎」のところを開いてみた。読みやすいし、スクロールいらんしゴクラクや。

館山緑『子爵探偵 甘い口づけは謎解きのあとで』

コナン・ドイルによる〈シャーロック・ホームズの物語の本〉が刊行されている時代の物語。
格別に貧しくはないが家族に疎まれて育った少女ステラ・D(このDが謎のひとつ)は、美術商の一家の世話になりながら美術を扱う仕事を覚えようとしている。そして主人夫婦の母親メイジーから可愛がられおばあちゃんと呼んでいる。知り合いが突然亡くなって、頼まれていたキプロスにいる妻へ形見の品を渡しにいくとメイジーが言い出し、知り合いの中年男性バークとともにステラ・Dは付き添って豪華客船に乗ることになった。
乗船して間もなくホームズに憧れて名探偵になりたい貴族の青年イアン・ローランド子爵と出会う。イアンは自分はホームズのつもりで、ステラ・Dにワトソンにならないかと誘うがにべもなく断る。
ステラ・Dは舞踏会や豪華な食事や華やかなものには向かない自分を感じながら、足の悪いメイジーの相手をして過ごす。もう一人一等船客の男が声をかけてくれ、メイジーとバークはステラ・Dに社交生活を楽しむようにしむけてくれる。

何日目かの朝食前に船員がやってきて、ステラ・Dを別室に連れて行く。バークが音楽室で殺され、ステラ・Dが書いた誘いの手紙がそこにあったというのだ。なにも知らないとステラ・Dはいうのだが信じてもらえなくて監禁される。そこへイアンが来て下船するまでに事件を解決すると約束する。イアンはたくさんの召使いを連れて豪華な船室をたくさん使っているので、その一室にステラ・Dを連れて行く。
ふたりは真犯人を探し出して事件を解決するが、だんだん惹かれ合うようになり、ついにはベッドへ・・・。
ステラ・Dの自立心や階級の違いからの軋轢をさけようという気持ちが恋をさまたげて、すぐにはハッピーエンドにはならない。そうそう、ステラ・Dの〈D〉の謎もイアンは解く。

わたしは何度も書いているが(笑)、少女小説が大好きである。「あしながおじさん」「リンバロストの乙女」「ジェーン・エア」など飽きもせずに何度も読んでいる。ミステリではドロシー・L・セイヤーズのハリエットとピーター卿もそういう少女小説的要素で好きなんだろうと思う。ただ貧しい美少女と金持ちの男性というだけではダメで、少女は頭が良くて美人でないが個性的で自立心が強くて、男性は他の女性になかったものに惹かれる。本書のイアンもきっと貴族やお金持ちの令嬢に飽きていて、拒まれたことが新鮮だった上に頭が良くてはっきりとものを言うところがよかったのでしょう。ミステリ仕立てのところもわたしに向いてた。

いま気がついたのだが、皆川博子「開かせていただき光栄です」がロンドンで、木村二郎「ヴェニスを見て死ね」「予期せぬ来訪者」がニューヨークで、それに次ぐイギリスを舞台にした日本語による作品というところもおもしろかった。
(ひだかなみ絵 ティアラ文庫 552円+税)

川端康成『乙女の港』(少女の友コレクション)

これで何度目かわからないが何度も読んだ本。小学校2年のときにはじめて読んだのだが、なぜ覚えているかというと、1年生のときは絵本を読んでいた記憶があるから。2年生くらいから「本」を読み出した。「小公女」「小公子」「家なき子」などおもしろくて、雑誌の読めるところ、理解できるところをどんどん読んでいった。とにかく父と兄姉2人ずつの本があったから、なんでも読んだ。
そのなかでいまもお気に入りが「リンバロストの乙女」「小公女」「あしながおじさん」、吉屋信子の「紅雀」と本書「乙女の港」なのである。
実業之日本社から出ていた「乙女の港」の原著はどこかへいってしまい、長い間もう一度読みたいと思っていたのが20年くらい前に国書刊行会から大型本で出た。わーわー言って買って何度も何度も読んだ。ところが読み飽きたってところもあって欲しがる人にあげてしまった。その後、また読みたくなったときどれだけ後悔したことか。

先日、ツイッターで「少女の友」を出していた実業之日本社から文庫化されたことを知り、昨日買いにいったというわけ。原著と同じ中原淳一の挿絵が入っている。これもうれしい。昨夜と今日と、もう二回読んでしまった。ツイートしてくださった人に感謝。
「少女の友」に1937年6月から38年3月まで連載され、単行本になったのは38年4月。これが昔うちにあった。

横浜のミッションスクールに入学したキュートな大河原三千子と物静かな5年生の洋子との愛の物語なのだが、そこに三千子を追い求める気の強い4年生の克子がからむ。
三千子は母と三人の兄の末っ子で無邪気に育った子。洋子は生まれたときから母が病んで入院しているため母の顔を見たことがない。その上に父の事業がうまくいかず邸宅を手放すという不幸がおそう。洋子は不幸な人生を生きつつ信仰と美を求める。克子は裕福な家の子で気が強くなんでも自分の思い通りにしようとするが、思い通りにいかないことがあるのを知る。
エキゾチックな横浜と避暑地の軽井沢を舞台に繰り広げられる女性三人の愛の物語。
(実業之日本社文庫 762円+税)

夏目漱石「虞美人草」が好き

貸し出し中だった「虞美人草」がもどってきたので、開いたらもう藤尾の世界に入り込んでいた。結局、積んである本には待っていてもらうことにして、はじめから読み直した。
甲野さんと宗近さんが京都で遊ぶところ、嵐山や保津川や三条の旅館など明治の京都をたっぷりと楽しんだ。そして東京へ帰るのに寝台車に乗って食堂車で朝食。わたしが若かったころ、大阪駅から夜の8時ごろに北海道へ行く寝台特急「日本海」に乗って、目が覚めて食堂車に行った。なんてことを思い出していた。

藤尾が気に入っている小野君は東大卒で博士になるために勉強中。彼は貧しく生まれて先生の世話になり現在にいたった。先生は小野君を娘の小夜子の婿にしたいと思い、住み慣れた京都から他に頼れる人がいない東京へもどってきた。
甲野家は父が外国で亡くなって甲野さんが当主になった。継母と娘の藤尾は頼りない身になったが、甲野さんをさしおいて藤尾が小野君を婿にするという計画を立てる。甲野さんが自分から出て行くように仕向ける巧妙な手だてである。
宗近さんは藤尾と幼なじみ。宗近さんの妹の糸子は実務的な性格だが甲野さんを尊敬している。

お金に困らない人たちがきちんと生きていた時代。お金に困って脇道にそれかけた小野君は宗近さんに人の道を諄々と説かれて小夜子さんとの結婚を決める。
甲野さんは家を出るための行動をはじめ、糸子が手助けしているとき、藤尾に悲劇が起こる。

藤尾のことは誰も好きにならないように書かれている。甲野さんだって彼女のことをひどく言うが、わたしは藤尾が好き。いくらいい着物を着て英語を秀才に習っていても、この家の財産は長男にしかいかないのだから分が悪すぎる。美貌で頭の回転が速くて、紫の着物が似合うひと。最後のシーンのために彼女は存在していたのかも。

徳田秋声『あらくれ』と漱石の言葉

ふと徳田秋声の「あらくれ」をなんの関連もなく思い出した。関連があるとすればヤクザ映画とボディガードの荒っぽい小説のせいで、心があらくれてるんやないかと思ったから。
「あらくれ」は若いころに読んでついていけなかったことだけ覚えている。女主人公のあまりの男好きにおたおたした。いま検索したらいいページ(日本大百科全書)があった。おおよその筋書きがあって、〈みごとに客観化され、自然主義系の傑作となったが〉とあり、その次に、〈夏目漱石は「フィロソフィがない」と批判した。〉と結んでいる。秋声と漱石のことはかじっているだけだけど、この言葉どおりだと思った。そしてわたしは漱石寄り。
検索してよかった。夏目漱石の言葉を突然読めるとは思いもよらなんだ。

今夜はこれで気持ちが落ち着いたけど、昨夜なんか映画を見てカタルシスを得られなかったせいか、頭も体もどんよりしていた。お風呂に入ったら和むかと思ったら、よけいに原発事故のことを思ったり、今後の仕事や生活の不安がおそってきた。それでもすぐに熟睡したけど(笑)。