田山花袋『蒲団』

中学生の夏休みに一度読んだだけの本を青空文庫で読んだ。読みたい作品をiPad miniに入れてもらったのですごく読みやすい。
家には日本文学全集があって手当り次第に読んでいた夏休み。貧乏人の子沢山だからどこかへ行くということもなく、働きに行く者は行き、学校へ行ってる者は家事や母の内職の手伝いをした。弟は毎日自転車で仲間と遊びに出かけてた。わたしは家にある本を片っ端から読んでいた。

いちばんよく覚えているのは何度も読んだ『ジェーン・エア』で、これは一生の愛読書となった。漱石全集もそのころから読んでいた。文学全集の中に入っていたのに名前を忘れてしまった作家もたくさんいる。都会で学んでいた男子が病気して田舎に帰った話とか悲しい物語もあったが、作品名も作家名も忘れてしまった。

田山花袋の『蒲団』だって作家名と作品名のほか、いちばん最後の一節、作家が「蒲団にくるまって女の匂いを嗅ぎ、びろうどの襟に顔を埋めて泣いた。」ってとこ、いまだに覚えているところをみると、性的なものを感じたのね。親きょうだいにも言わなかったもんね。胸にしまい込んで(笑)。
いま読んだら、思いこんでいたより真面目な小説だった。私小説の代表みたいに言われているのも納得なのであった。

清野栄一『デッドエンド・スカイ』

うちの本棚にある相方の本を借りて読んだ。家にある本はおおまかにはわたしがミステリと乙女もの、相方がSFとIT関連と社会問題関連と分かれているが、あと半分は二人とも読む共有の文学書である。ふだんはじぶんの本を読むのが忙しくて読書範囲を広げないんだけど、今回は清野さんについて相方がいろいろしゃべるし、うちにある本の解説もするので興味をもって読もうかなと言ったら、最初に読むのはこれがいいと出してくれた。
カバーの内側にDJしている清野さんの写真があってとてもかっこいい。2001年発行の本だから15年以上若いときだ。もっと前に知っておけばよかった、ってどういう意味じゃ(笑)。

さっき読み終わったのだが久しぶりに清々しい小説を読んだ気分である。博之という主人公がいろんな場所に旅をして人の生死にも関わる物語だ。
最初の作品「プルターニュ14-1」はパリのプルターニュ通の19世紀に建った建物に住む人たちの話。パンションには失業者と外国人とアルツハイマーの老教授が詰め込まれ、そこに博之も住んでいる。1Fはパリで一番安くて狭いカフェがある。
とても貧しくて汚い場所の物語だけど、とても清々しい作品だ。博之に欲がないからかな。

二番目は東京に戻って働いている博之のところに、遠い親戚で幼馴染の幸太郎が仕事と住むところをなくして転げ込んでくる。ワンルームマンションのベッドの横にふとんを敷いて同居する二人。幸太郎の言葉「おれと博之は十五の時にパンクを聴いた」。それで全部通じる。

5編の小説が入っていて、その4つ目が「パラダイス・ホテル」。
メルボルンで借りたレンタカーが砂漠で動かなくなり、車を降りてバックパックを背負い歩き出す。足元にはカンガルーの骨が散らばっている。そして見つけたのがパラダイス・ホテル。
わたしのアタマには映画『バグダッド・カフェ』(1987)が思い浮かんだ。実はタイトルが出てこなくて検索もならず苦労(?)したんだけど。

最後の作品が「プルターニュ14-2」。パリ、真夏の炎天下で沸騰するデモ隊と催涙弾を構えた機動隊に囲まれる。
(河出書房新社 2000円+税)

ジェームズ・ボールドウィン『もう一つの国』のここが好き

長いこと愛読している本のうち、特に何度も読んで、これからも何度も読むだろう本が何冊かある。くたびれ果て変色した本の背表紙をとり本文の背を切り揃えてスキャンして電子書籍化しiPad miniで読めるようにしてもらった。古い本が生き返ってiPad miniの画面に現れた。この本、ジェームズ・ボールドウィンの『もう一つの国』(集英社)は絶版らしいから貴重だ。

全部読み通すと複雑な内容なのでそこらは後回しにして、わたしが読むのは197ページ。
ある春の夕方パリ在住のアメリカ人作家エリックはサン・ペール街を歩いていた。向こう側の道を歩いていた青年が抱えていた携帯ラジオからベートーベンの「皇帝」が聞こえてくる。エリックは青年イーヴに続けて聞かせてと頼む。二人は並んでベートーベンを聞きながら歩く。エリックはイーヴのお腹が空いているのを感じて晩ご飯に誘う。そして恋がはじまる。
ここだけ読むと納得して本を閉じる。前も後ろもあったもんじゃない。この恋のシーンの美しさが大好き。

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』は何十回目

古い岩波文庫の『高慢と偏見 上下』(富田彬訳)を大切に持っていて何十回も読んできた。紙が変色しているのでそろそろ新しいのを買おうかなと思っていた矢先に相方が「自炊」してiPad miniに入れてくれた。これからは読みやすく楽しく読書できると思うとうれしい。さっそく読みかけている。何度も読んでストーリーもシーンも頭の中にあるんだけど、また読むってなんでだろう。
いま読んでいるロザモンド・レーマン『恋するオリヴィア』(1936 行方昭夫訳 角川文庫)のヒロイン、オリヴィアの愛読書にも入っているのでうれしくなった。

映像のほうは最近見てないけど、イギリスBBC制作のテレビドラマ(1995)のDVDを持っている。これはコリン・ファースのダーシーさんが素敵だ。エリザベスのジェニファー・イーリーはエリザベスと印象がちょっと違うと最初思ったが何度も見ているうちに納得した。『抱擁』のクリスタベルがとてもよかったし。この2本で時代劇女優だなと思った。

もうひとつ、二次創作というのか、P・D・ジェイムズ『高慢と偏見、そして殺人』(羽田詩津子訳 ハヤカワポケットミステリ)を持っていてときどき読んでいる。うまく原作とつながっていて、殺人事件と納得の解決。最後はダーシーさんの妹が恋した彼と結婚するだろうという結末にほっとする。

《amazonのページ》

高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)
ジェーン オースティン
岩波書店
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ロザモンド・レーマン『ワルツへの招待』

友だちが本を貸してくれた。以前から持っていた『ワルツへの招待』(角川文庫 MY DEAR STORY)と物語が続いている『恋するオリヴィア』(角川文庫)の2冊。続きのほうは最近ずいぶん高価な古本を手にいれたそうで、わたしはなにもせずに宅急便を受け取って読んでいる。ラッキー。

角川文庫の「MY DEAR STORY」はギンガムチェック柄のカバーがついた少女向けの本で、わたしの本棚にはジーン・ポーターの『そばかすの少年』と『リンバロストの乙女 上下』が並んでいる。本の最後にリストがあり、たいていの作品は読んでいるのだが、この本は知らなかった(なんだか最近知らない本にぶつかることが多い)。またその上に作家も知らなかった。少女ものならたいてい知ってるんだけど。

ロザモンド・レーマン(1901−1990)ははじめて読む作家である。検索したら「ヴァージニア・ウルフと同じように意識の流れの手法で知られる作家」だそうである。『50年代・女が問う』が中古本にあった。あと2冊ほどかなり前に訳が出ているのでそのうち調べよう。今回の2冊ともにBBCで映画化されている。

『ワルツへの招待』はオリヴィアという少女が主人公で、両親と姉弟がいる。姉のケイトとオリヴィアは舞踏会に招待されそれぞれ自分なりに着飾って出かける。作品の大部分はその舞踏会のことで、いろんな相手とダンスしながらの会話が綴られる。踊ったり話をしたり飲んだりしているうちに夜が更けて帰ってきた二人。翌日ケイトと踊った相手から電話があり、ケイトは晩餐と狩猟に招待される。
(増田義郎訳 500円 角川文庫 MY DEAR STORY)

マイケル・カニンガム『この世の果ての家』

7月末に届いたマイケル・カニンガム『この世の果ての家』(角川文庫)をようやく読み終えた。572ページもある厚い本でしかもものすごく文字が小さい。おもしろいから読み終えたけど、理屈っぽいのなら途中でやめてるか最初から読まないかだ。
マイケル・カニンガムの本はとっても素敵な『めぐりあう時間たち』1冊しか読んでなかったが、本書も繊細な上に物語を書く才能に恵まれている感じで先へ先へと読み進んだ。本のカバーにある著者の写真を見ると、感じが『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』からはじまるビフォア3部作の主人公、イーサン・ホーク演じるアメリカ人の作家に似ている。
発表されたのは1990年、日本で翻訳出版されたのは1992年、文庫化が2003年。2004年にアメリカで映画化され、日本でのタイトルは『イノセント・ラブ』。

60年代から70年代のオハイオ州クリーブランド、ボビーとジョナサンのちょっと変わった二人の少年が親しくなる。ジョナサンの父親は町に映画館を持っており、母アリスは専業主婦である。二人はいつもいっしょにジョナサンの部屋で過ごす。音楽とクスリをやっているうちに自然に抱き合う二人。音楽を三人でいっしょに聞くところまでいって、ついに二人の関係を知ってしまう母アリス。

大人になった二人は違う道を歩むようになり、ジョナサンはニューヨークへ。ボビーはアリスにパン作りを習い料理の腕を磨く。そこまでが長くて(いやではないが)、ニューヨークへ行ったあたりからおもしろくなる。ジョナサンは新聞にコラム記事を書くようになった。ボビーがニューヨークへ出てきて転がり込む。ジョナサンはクレアという一回り上の女性と性関係なく住んでいて、ボビーを加えて3人家族となる。
ジョナサンはバーでバーテンダーのエリックと知り合う。

物語はジョナサン、ボビー、アリス、クレアそれぞれの語りで進んでいく。ちょっと面倒くさい最初から、大人になって食べていけるのかしらと心配になるし、えっ、どうするの?と出産におどろき、お金がうまい具合に入って食べ物商売が順調、しかし一人がエイズに襲われるし、出て行く者は出て行く。

映画では大人になったボビーをコリン・ファレル 、ジョナサンをダラス・ロバーツ、クレアをロビン・ライト、母アリスをシシー・スペイセクが演じている。そのうち見よう。もともとロビン・ライトつながりで知った本なんだから。

(飛田野裕子訳 角川文庫 857円+税)

マイケル・カニンガム『この世の果ての家』が届いた

当日記26日「見たい映画と見たい本」に書いたマイケル・カニンガムの『この世の果ての家』(角川文庫)をアマゾンに注文したのが届いた。なんと、中古本で1円だった。厚さ2センチ、ページ数は柿沼瑛子さんの解説を入れて572ページ、そして文字が小さくてぎっしりと詰まっている。老眼では長時間の読書は無理だ。ヴィクシリーズの新刊がこんな感じだと思い出した。ヴィクシリーズの場合は新刊ピカピカだから文字が小さくても読みやすい。この本は2003年発行だから12年前のか。古びていてもモンクはいえない(1円だし)。つけ加えると、1992年に単行本で翻訳出版されたのが、10年経って文庫で再び出版された。映画化されたせいかな。どんなかたちであろうといま読めるのがありがたい。

家にいてネットで手に入れたのだからほんとにありがたい話。目をいたわりながらぼちぼち読んでいこう。しかし、未読本がこんなにあって困ったなあ。
恋愛小説から片付けていけば、この本は順番が早い。そっとすぐ読む本に挟み込んだりして(笑)。
ごちゃごちゃ考えてないで、コーヒーでも淹れて最初のところだけ読み出すことにしよう。柿沼さんが解説を書いているということはゲイ文学だろうから。

見たい映画と読みたい本

先日ツイッターでフォロワーさんのツィートが気になって「いいね」にしておいたのが、「ロビン・ライトが弓を引く姿とかカッコ良すぎでしょ。ワンダーウーマンを育てる女戦士アンティオーペ。」というお言葉。ほんまに颯爽とカッコいいロビン・ライトだ。

わたしは90年代ロビン・ライト・ペンの時代の彼女が大好きだった。『シーズ・ソー・ラヴリー』『メッセージ・イン・ア・ボトル』、もう1本すごくいいのがあったのだがタイトルすら記憶が不鮮明。そのうち思い出すだろう。ショーン・ペンもちょっと出ていたっけ。

気になって出演作を検索したら全然知らなかった『この世の果ての家』があった。原作がマイケル・カニンガムで「1990年に発表され、ピューリッツァー賞を受賞した。2004年に映画化され、カニンガム自身がその脚本を書いた。」とある。
マイケル・カニンガムの『めぐりあう時間たち』は映画もよかったが原作はなおよい愛読書である。もしかして原作があるかもとアマゾンを見たら、なんと角川文庫で『この世の果ての家』があった。即注文。別れたゲイのカップルのうちの一人と同棲している女性の役がロビン・ライト。今日の収穫(笑)。

祇園祭やさかいに川端康成『古都』を読む

先日姉と話していたら妹と電話で朝日新聞の連載小説の話で盛り上がったという。昔みたい。そう昔みたいに姉と妹はいまだに朝日新聞である。昔は親たちも子どもたち7人もみんな連載小説を愛読したものだ。晩ご飯は連載小説の話題とともに(笑)。

川端康成の『古都』は1961年10月から朝日新聞に連載された。そうか、60年安保の翌年か〜
安保闘争のあと、わたしがしょぼんとしていたときの気分に合ったんだろうな。そのころは小さな会社で働いていて、言うならばひまわり娘みたいな存在だった(笑)。京都から通勤していた同僚の男性が祇園祭に誘ってくれ、祭りの後は古い町屋の自宅に泊めてくれた。『古都』を愛読していたわたしは千重子の気持ちになって祭りの人混みの中にいた。

次に祇園祭の京都に泊めてもらったのは70年代になってジャズ喫茶マントヒヒに通っていたときだ。マスターの木村さんと常連たちと京大西部講堂でのコンサートの帰りに飲んだ後に木村さんんの下宿先に泊まらせてもらった。関大教授で関大ジャズ研顧問になった木村さんが京大大学院に学んでいたときだ。

祇園祭をもう一つ思い出した。やっぱり70年代だったか、西部講堂で催しがあり、あんまり面白くなくて早めに引き上げた。そのとき街は祭り一色だったがあまりにも暑くて、今日はもうええやんと帰ってきた。
それ以来、祇園祭はニュースで知ってるだけである。

夏になると『古都』を引っ張り出す。文庫本が傷んでくると新しく買い直して読む。電車で出かけるときはバッグに入れておく。
古都・京都に生きる千重子と苗子、父と母、竜助と真一、秀男、竜助の父、みんな好きどす。こんなに愛読している新聞小説は他にない。

蓮實重彦さんの『伯爵夫人』は6/22発売予定

「蓮實重彦氏の『伯爵夫人』は6/22発売予定 」という新潮社のツイートを見てびっくりした。表紙の写真がルイズ・ブルックスだ。作品の中でも言及されているから当然かもしれないが、ちょっとびっくりした。
わたしは大岡昇平の著書『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(1984 中央公論社)を出たときにすぐに買った。なんと32年前のこと!! 年に一度は出してきて楽しんでいる。

蓮實重彦さんのことは数年前まで無関心だったが、吉田喜重監督のことを知りたくて買った本によく出てくるので気になりはじめた。そして小津安二郎監督にも無関心だったが、そのつながりでいろいろと読み、小津の映画も見て言わんとしていることがわかって、いまは愛読者である。
そういうときに出た蓮實さんの「伯爵夫人」が載っている『新潮』4月号だからわくわくして買って読んだ。期待以上におもしろかった。ぜんぜんエロくはなかったけど(笑)。

もうひとつ発見があった。以前に書いたけどもう一度書いておこう。
なんとまあ、『ルイズ・ブルックスと「ルル」』に収録されているルイズ・ブルックスの2つの文章「ギッシュとガルボ」「パプストとルル」は四方田犬彦さんが訳したものである。いままでぜんぜん気が付かなかったけど。最近になって夢中で読んでいる四方田さんの本、いろいろ繋がっておもしろい。