ニール・ラビュート監督『抱擁』は何度見ても素晴らしい

2007年に丁寧な紹介&感想を書いているので読んでください。

大切に持っている乙女もの映画DVD10本のうちでも上位に入る。さっきまで見ていたのだが、何度も見ているのにちょっと間が空くとはじめて見たときのような興奮が湧き上がる。ビクトリア時代と現代の恋人たちの姿が美しく描かれていて素晴らしい。

冷たさの中に熱を秘めたモード(グウィネス・パルトロウ)はレズビアン詩人ラモットの研究家で、イギリスに留学しているアメリカ人の学者ローランド(アーロン・エッカート)はアッシュの研究家である。二人の学者のじわじわと育つ恋。ビクトリア時代の詩人アッシュ(ジェレミー・ノーザム)と詩人ラモット(ジェニファー・エール)の激しく燃え上がる恋。

アッシュとラモットが4週間と決めて緑濃いヨークシャーへ列車で旅する。現代の二人は車で同じところへ到着して同じホテルの同じ部屋に泊まる。詩に描かれた滝壺を見つけるシーンがよく、ヨークシャー大好き人としてはたまらない。

原作を図書館で2回借りて読んだのだが、また読みたくなって注文した。
A・S・バイアット「抱擁」〈1〉〈2〉(新潮文庫)

ディケンズ『クリスマス・キャロル』再会と亡霊

中沢新一さんがディケンズのことを書いているのをツイッターで知って、その論文「ディケンズの亡霊」が入っている「純粋な自然の贈与」を買って読んだ。ディケンズの本はわりとたくさんおもしろく読んでいるので、どんなことを書いておられるのか気になって。

最初にロシアのピアニストヴァレリー・アファナシエフの『モーツァルト 幻想曲/ソナタハ短調』のことが書いてある。検索すると90年代の中頃に中沢さんが絶賛して話題となったらしい。わたしは全然知らなかった。「チベットのモーツァルト」をわたし読んでなかったわ。遅くなったけど追いかけねば・・・。
中沢さんはここにモーツアルトの幻想曲から亡霊が出現すると書いている。亡霊や霊は好きというかおもしろがるだけのわたしにはショックなお言葉。それからシューマンのことになって続いてヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」についての話になる。
ヘンリー・ジェイムズは生者の世界の間近まで死者の霊が忍び寄ってくるクリスマスの晩を舞台にして物語を描いた。【亡霊たちの横行するこの冬の夜には、喜びもまた人の世に出現する。】と中沢さんは「クリスマス・キャロル」について語り出す。
そしたらわたしは「クリスマス・キャロル」を大人になってから読んでなかった〜
買いに行こうかと思ったがきっとあるはずと青空文庫を開いたらあったので、いま読んだところ。おもしろかった〜
(中沢新一「純粋な自然の贈与」 講談社学術文庫 960円+税)

ディケンズ『大いなる遺産 上下』

めちゃくちゃおもしろい小説だった。19世紀のイギリスのことがよくわかる。小説で脇を固めておいてエンゲルスを読めば資本主義が生まれて発展する過程が目の前に映画のように現れるだろう。19世紀の裁判や監獄の描写も詳しい。村の鍛冶屋の義兄は清廉な男で主人公のピップの過ちを許し助ける。その力を借りてピップは自分の力で生きて行く人間になれた。

両親と死別して村の鍛冶屋のジョーと結婚している姉の世話になっているピップ。やかましい姉と違ってジョーは静かでピップに優しい。こうるさい妻の小言を避けてピップに目配せし〈相棒〉と呼んで可愛がる。
ピップは目はしの効いた子どもである。ある日誰もいない湿地で逃亡してきた犯罪者にヤスリと食べ物を持ってくるように言われてジョーのヤスリと姉から食べ物を失敬して渡す。
お屋敷のミス・ハヴィシャムは古いウェディングドレスを着たまま暮らしている変わった中年女性だが、ピップを屋敷に呼んで散歩やトランプの相手をさせる。その養女エステラは美貌の少女でピップは一目惚れ。彼女と同等に付き合うためにジェントルマンになりたいと切望する。
ピップはジョーの鍛冶屋で年季奉公することになった。静かな生活にすっかり満足しているジョーが歯がゆい。渡り職人のオーリックは悪い奴でピップの姉であるジョーのおかみさんを襲って致命的な怪我をさす。
そんなことがあって日々が過ぎたある日、ロンドンから弁護士が来てピップに匿名の人から遺産があるという。
衣装を誂えてロンドンに行きポケット先生にジェントルマンとしての行儀作法を習う。ポケット先生の息子ハーバートと知り合い終生の親友となる。彼といっしょに無駄遣いも覚えたピップだが読書は続けている。

久しぶりに読んだディケンズはおもしろくてためになる。
「荒涼館」が大好きなのだが最近読んでない。いまの積ん読を早く読み終えてまた読もう。
(石塚裕子訳 岩波文庫 上1140円+税 下1080円+税)

ディケンズ『大いなる遺産』とアン・ペリー『偽証裁判』

「偽証裁判」は読み終わっているのだが、もう一度ていねいに読んでから感想を書こうと思っているうちに、数日前からiPad miniで夏目漱石を3冊続けて読んでしまった。
ヴィクトリア時代のロンドンが薄れて、もう少し後の東京が姿を現している。この調子ではいつまで経っても漱石から抜けられぬ。
積ん読本が増え続けているのをどうしよう。Kindleにも入っているけど・・・。まあ1冊ずつ片付けていくしかない。
悩みつつも今年早々に買った岩波文庫のディケンズ「大いなる遺産」を読みかけている。ディケンズはかなり読んでいるけど本書ははじめて。映画はグウィネス・パルトロウが出ている1988年版を見たがよく覚えていない。あんまり後味のよくない映画だった。

いま「偽証裁判」と「大いなる遺産」は同時代でないかとふと気がついた。「偽証裁判」はクリミヤ戦争が終わってすぐのことで、解説を読んだら1857年のこととあった。「大いなる遺産」は1861年に発表されている。
ヴィクトリア時代のイギリスだが、同時代に書いているのと、後世になって時代小説として書いているのと違いはあるが、同じロンドンを馬車が走っていると思うとなんだか興奮してしまう(笑)。
「大いなる遺産」を読んでしまうか、「偽証裁判」再読を先にするかまだ悩んでいるが、ストーリーに引っ張られてディケンズだろうな。
(「大いなる遺産」岩波文庫 「偽証裁判」創元推理文庫)

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』の感想を書く前に

11月の終わりに買ってすぐに読んだ。いろいろと考えることが多い作品で、感想を書こうと思っているうちに年を越えてしまった。お正月にと思っていたら風邪をひいてアタマが冴えず今日にいたる。
その間にKindleで「なんとなく、クリスタル」を購入して読んだ。最初に読んだのは33年前で、おもしろがって読んだのを覚えている。その次は18年前に阪神大震災のボランティアで田中さんと知り合ったときに読んだ。

田中康夫さんとお会いしたのは阪神大震災から1〜2年あとの〈週末ボランティア=週ボラ〉だった。代表の東條さんが活動後の集会時に田中さんに話をしてもらうことにした。〈週ボラ〉メンバーはもひとつ気が乗らないようで、わたしだけが田中さん好きと言ったのを覚えている。そんなことで、その後に田中さんが〈週ボラ〉の活動に参加されたときは東條さんが、わたしといっしょに行動するように配慮された。暑いときで汗を拭き拭きわたしと男子2人と4人で仮設住宅を訪問した。その道すがら、わたしがそのころ腹が立っていた〈おばさん〉という呼び方にモンクを言ったら、「では、ぼくはS嬢と呼びましょう」と言われて、それ以来わたしはS嬢と呼ばれることになった。当時の雑誌「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです。よっぽどうれしかったとみえていまだに言っている(笑)。

二度目は震災から2年目の記念訪問日だった。西神駅に集合した〈週ボラ〉メンバーたちは、これから出かける仮設住宅訪問についてレクチャーを受ける。初めての人がいるから「必ず女性の名前を呼ぶこと、おばさんと言うたらいけません」という注意もある。
そのとき田中さんとW嬢(「33年後のなんとなく、クリスタル」のメグミさん)がいて、わたしと3人で出かけるようにと指示があった。集団から少し離れて3人で雑談しるとき、わたしは田中さんにヨイショするつもりで、「ご本読みました」と言ったまではいいが、続けて「されどわれらが日々」と口から出てしまって、大笑いして大謝り。真面目な場での大笑いで真面目な人たちから顰蹙を買った。「されどわれらが日々」は読んだけれどあまり好きでなく、なんでそのとき出てきたかわからない。
その日は3人で神戸ワインの工場の横を通ってずっと奥にある仮設住宅を訪問して、年取った独り住まいの女性の話を聞いた。田中さんたちはきちんと座って、その女性の言葉に相槌を打っておられた。車の中でもらったチョコレートがうまかった。

今日は前書きだけでおしまいです。

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』

「おもしろくってためになる」、本書を読んだ感想はこの一言につきる。
自分が読み終わってから数人の女性に勧めたのだが、全員がすぐに買って読んで「良かった、面白かった」と言っていた。33年前に「なんとなく、クリスタル」を読んで東京に憧れていたという人は、もったいなくて何日もかけてゆっくり読み、ついで33年前の物語を読み返したそうだ。わかるぅ、わたしもKindleで買って3度目を読んだもの。

田中康夫さんとメグミさんと犬のロッタちゃんの生活が楽しく描かれている。わたしはメグミさんがW嬢だったときに一度お目にかかっているので、その生活ぶりを想像して楽しんだ。
33年前に「なんとなく、クリスタル」の主人公だった由利さんと食事しながらの会話が楽しいし、彼女の悩みや相談に誠実に応える康夫さんがかっこいい。ワイン談義のうんちくも鼻につかない。たいていの小説なら鼻持ちならないところだが、すいすい読めてしまう。なんの嫉妬心もわかないのが不思議(笑)。
江美子が幹事役の女子会はIT関連の会社幹部の妻が自宅を提供して催される。建物に入っていくところの描写から、ケータリングを頼んだ食事と飲み物についての成金趣味へのちょっと毒のある感想にはふーんとうなずくだけですが(笑)。でも、そういうクラスの女性たちが生真面目にいまの政治のやり方について語っているのが気持ちよい。

そしてここ。何度か出てくるこの言葉「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」に深くうなずいていた。
わたしは若いときから(参加する〉人だった。最初の参加はすべて自腹で仕事を休んで「総労働対総資本」と言われた三池闘争の現場へ女子3人で走って行った。
阪神大震災のときはボランティアに行った。
反原発のデモにも何度も行っている。最初の反原発デモに参加したときは、一歩目を踏み出したとき1968年の御堂筋デモを思い出して足が震えた。
そういうわたしはいま膝が痛い。御堂筋へ出かけても足手まといになるだけだ。だけど、なにかすることはあるだろう。得意の〈おしゃべり〉でも、超得意の〈お話を聞く〉能力もまだ衰えていないと思うし。
「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」ですね。
(河出書房新社 1600円+税)

川端康成『舞姫』

お正月読書は気分を変えて川端康成の「舞姫」を何十年ぶりに。「舞姫」は昭和25年12月から26年3月まで朝日新聞に連載された。こどものときから新聞小説に目を通していたわたしだが、なんぼなんでも覚えているはずなく、きっと姉がのちに単行本を買ったのを読んだのだろう。それにしても40代の夫婦の性生活がわかるはずもなく、主人公のバレエに生きる波子と品子の母娘が波子の夫矢木に精神的に虐待される物語として読んでいた。

いま読み終わって、川端康成はすごいと改めて思っている。
第二次大戦前、波子はお嬢様育ちで矢木は波子の家庭教師だった。矢木は学者を目指していて、波子はバレエで名をなしはじめていた。娘の品子と息子の高男が生まれていまや娘はもう二十歳。真面目な相手だと親のいいなりに結婚したのだが、矢木は実は計算高く、波子名義の預金を黙って自分名義に書き換えている。それを発見したのが父親を尊敬していた高男で、彼は自分の留学費用を黙って引き出す。
波子の恋人竹原はかつて波子の家の離れを借りて住んでいたことがあり、家庭を持っているが波子をずっと想い続けてきた。竹原が波子のために調べてみると家や土地も矢木名義になっているのがわかる。

母娘がバレリーナということで、東京にある稽古場と鎌倉の自宅の稽古場では洋楽のレコードがなり響き、当時のバレエの舞台を見に行く場面も多い。そのころの日本はバレエブームだったらしい。すごい数のバレエ教室があるとマネエジャアの沼田が波子の奮起を促す場面があった。

お正月だから『夜の梅』

だいぶ前に東京の友人が本といっしょに「夜の梅」の竹皮包羊羹を送ってくれた。おいしいものはすぐに食べてしまう我が家だが、これはお正月に食べようと大事にしまい込んだ。忘れっぽいわたしがしまったのを忘れてなかったのは大好きな羊羹だから(笑)。
土佐鶴の冷酒と相方が用意したうどんすきの晩御飯を食べたあと、ずっしりと重い羊羹の厚切りを煎茶でいただいた。控えめな甘さで上品、切り口の小豆が夜の闇の中に咲く梅をあらわしているという文学的なところも好き。

夕方から雪みぞれが降ってすごく冷える。
今日は元旦、このあとも暖かくして静かに本を読むことにしよう。
そうそう漱石の「草枕」を出してきて羊羹の場面をちょこっと読んで楽しもう。

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(『古今集』)
(とらやホームページより)

田中康夫『なんとなく、クリスタル』をKindleで購入

「33年後のなんとなく、クリスタル」を買ってもう1カ月近いんじゃないかな。とうに読み終わっているのだがまだ感想を書けてない。33年前のを読んでからにしたいのと、長いあいだ読んでいるP・D・ジェイムズから抜け出さないとどうもならない。ようやく大作「原罪」を2回読んで納得できたので手放せそう。

さっき、ツイッターで「なんとなく、クリスタル」(河出文庫)が値下がりとのツイートを読んで、タイミングのよいことに驚ききつすぐに購入した。わたしのKindleはずっと寝てたので、起こしてご飯を食べさせてやったらようやく動き出した。片付けがすめば即読み出すつもり。
昔読んだことがあるけど、33年後の物語を読んでいたら、昔はどんなだったかしらと思うこと多しで、やっぱりまた読みたくなった。

阪神大震災の2年後、「週末ボランティア」のメンバーだったわたしは、田中康夫さんといっしょに仮設住宅に住む被災者のお宅を訪問した。一回目は暑いときで二度目はめちゃくちゃ寒い日だった。歩きながらや車中やいろんな話をしたが、わたしが「仮設住宅訪問では決して女性をおばさんと呼んだらいけません」と東条さん(リーダー)が言うてるのに、同僚のボランティアのわたしにおばさんと呼ぶ人がいるとぼやいたら、それではとS嬢と呼んでくれた。当時の「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです(笑)。

金井美恵子『お勝手太平記』

ブログ内検索したら金井美恵子の名前はごく最近のものしか出てこなかった。本棚の奥から出てきた映画の本のこと。そして本書を読みたくなって買いに行ったこと。
映画の本「映画、柔らかい肌」「愉しみはTVの彼方に」がすごくおもしろく勉強になったので、つい新刊が出ているのを知って読みたくなった。
買ってすぐに読み出したらおもしろくてたまらない。しかし、半分くらいまで読むとだんだん自分の世界と離れていることがわかってきて、そうだ、以前にもこの感覚があって、それで金井美恵子の新刊を買うのをやめたんだっけと思い出した。
東京と大阪の違いともいえるし、中産階級意識と貧乏人意識の違いともいえる。中産階級を描いても貴族を描いてもいいんだけど、どっぷり中産階級の中にいると思えるところにひっかかった。つい先だって読んだ川端康成には感じなかったし、イギリスのミステリにも感じなかった感覚。

ツイッターで読んだ書評に、村上春樹批判がおもしろいとあったが、そこはたしかにおもしろかった。わたしの感覚とはちょっと違うが。
わたしがおもしろいと思ったのは少女時代の読み物として、「小公女」と「秘密の花園」を良しとして「赤毛のアン」を批判しているところ。ここには引用しないが、すっきりした考えだと思う。わたしの思うところと近いけど、世代の違いとか読んだときの年齢とかいろいろあると思うのでわたしは言い切れないが。

まあそんなわけで、けっこう手紙好きの登場人物の手書き手紙に笑いを誘われつつ、最後にはもうお腹いっぱいの心境になってしまった。せっかく買ったんだけど。
(文藝春秋 2000円+税)