四方田犬彦『歳月の鉛』からちょっとだけ

読む前から覚悟していたが、この本は暗い。この本だけを長時間読んでいるのはしんどいので、他の本を混ぜながら少しずつ読んでいる。今日は気に入った一箇所についてだけ書いておく。

本書が書かれている時代は先日読んだ『ハイスクール 1968』のあとになる。高校生だった筆者は東大へ進学しようとして受験に失敗し予備校へ通い、一年後には合格して東大生になった。1970年代の学生生活の暗さが言葉から立ちのぼってくる。

本書の出版は2009年で「あとがき」には【1970年代とは文字通り、停滞のなかで両手両足を縮めながら、いかにして生き延びるかを模索していた時間であった。】とある。そして本書を書くにあたってこの時代に書き続けたノートを読み直して当時の感情を回復した。わたしはいま73章のノートからの引用が挟んであるのを読んでいるところだ。

途中で気がついてにやっとした箇所がある。
引用の(23)はポール・ニザンについて。20歳のニザンは融通の利かない社会にうんざりしてアデンに向かった。そこで少しニザンと旅について説明をしたあと、【生きるとは旅行をすることではなく、慎重にひとつの場所に辛抱強く定着するということなのだ。真実を得るにはじっと待ち伏せしていなければならないのだ。】とある。
そうや、そうやとわたしはつぶやき、そして大声で言った。「四方田さん、若いときにもうわかってはったんやなあ」
とても有益なというか我が意を得たりの読書をしていると思うと楽しい。
(工作社 2009年5月発行 2400円+税)

本を読みすぎ

午後からつるかめ整体院に行った。今日も「この凝りは本の読みすぎからきている」と言われて笑ってごまかしたが、ほんまに目からくる肩こりでしんどい。
「ああええ気持ち。気持ちようなったから帰ったら昼寝するわ」といい、ほんとにそう思って帰ったのだが、コーヒーをいれて『クロワッサン』を拾い読みをしていたら目が覚めてきた。もう昼寝はあかんなと諦めてパソコンの前に座った。わたしの居場所はベッドかテーブル前の椅子かパソコン前である。

四方田さんの本『人、中年に到る』に「本と娼婦」という章がある。
「ベンヤミンによれば、どちらもベッドに引き摺りこむことができる。どちらも並んでいるときは大人しく背中を見せているだけだが、ひとたび夢中になってしまえば、昼と夜の区別がつかなくなることがある。」とある。
娼婦は知らんが本はそのとおりで、読み出したらきりがない。昨日もおとといも遅くまで四方田さんの本を読んでいた。

いままでわたしの読書は翻訳ミステリを中心にしてきた。その他に漱石や川端康成や谷崎潤一郎を繰り返し読んでいる。半七捕物帳も。最近は吉田喜重監督の本とか映画関連も。そこに雑誌がおもしろく、そして四方田犬彦がおもしろい。ああどないしょう、と言いながら喜んでいる。

四方田犬彦『ハイスクール 1968』

楽しい読書だった。さきに『母の母、その彼方に』を読み終わっているのだが、高校生時代を描いた本書のことを先に書くことにした。手に入れたのも先だったし。
ちょっと前に書いたけど、こんなにたくさん本を読んだり買ったりしているのに四方田さんのことを長いこと知らなかった。2年ほど前に『ユリイカ』の吉田喜重監督特集に書いておられるを読んでええこと書いてると思ったのが最初である。彼の映画の本を買おうと思いながら買ってなくて、新潮社の『波』4月号に出ている紹介記事とインタビューを読んで、こりゃ買わねばと思った。
買う前に著書を調べたら100冊もあって、その中で気に入ったタイトル『ハイスクール 1968』(2004)を中古本で買った。読み出したら相方にとられ、わたしは『母の母、その彼方に』を読んでいたのだがこれがすごく気に入った。それからもどってきた本書を昨日今日で読んだ。これもまたおもしろくて、なんでいままで知らなかったんだろうと不思議でしかたない。

四方田少年は1968年4月に東京教育大学農学部附属駒場高等学校に入学した。その前の年に大阪の箕面から東京杉並区に引っ越してきたのだ。西洋風の家の庭には芝生が植えられ、薔薇のアーチがあり庭の隅の井戸からはこんこんと水が湧き出ていた。少年は2階の一室を自分だけの部屋として与えられた。窓からは隣家との境界に欅の木と池がよく見えた。
時代はベトナム戦争のさなかで、ボリビアではチェ・ゲバラが処刑され、シナイ半島はイスラエルの奇襲作戦で占拠されていた。
日本はアメリカ、西ドイツについで世界第3位の国民総生産を誇り、米はあまるほど収穫されピアノの生産台数は世界一に達していた。

少年が振り分けられたクラスの半分ほどは附属中学組、その他は厳しい受験勉強をして合格した生徒たちでなりたっていた。
それからの学生生活と学友たちのことを興味ふかく読んだ。
特に高校紛争について詳しく語られているのが興味深い。
そして、高校生で!! 文学とジャズと映画への傾倒が羨ましい。ビートルズのことも。
(新潮社 2004年2月発行 1600円+税)

昼寝が正解

四方田犬彦さんの『母の母、その彼方に』をどんどん読んで読み終わった。読み方が早すぎる。どうでもいい本なら早くていいけど、こんなにおもしろい本だから落ち着いてゆっくり読むべきだ。もう一度きちんと読もう。
読んだら『ユリイカ』(吉田喜重特集号)に出ている四方田さんの吉田喜重論「母の母の母」を読み直そう。

今日は午後から雨降りだった。ヴィク・ファン・クラブの会報があと「あとがき」+1ページになったので、ほっとしたら眠くなって夕食前に寝てしまった。ぐだらぐだらしていたので、寝たのが正解。しゃきっとなった。でも夕食にわたしとしては多目に赤ワインを飲んだので、またぐだらぐだらで時間が過ぎていっている。

いろいろあれこれと本を読みすぎてアタマが疲れている。
昨日は整体院で診てもらってすっきりした。ここでの1時間半が1週間の健康維持のもとで、肩も目もすっきり。また同じことを繰り返すけど・・・。
幸いなことに明日は週に一度の姉の家訪問日なので、夕方まで本と無縁に過ごす。テレビをぼーっと見ながら、同じことを繰り返す姉の話に相槌を打ちながら肩を揉む。

これから雨が上がったら洗濯物を干しておく。明日出かける前の仕事をさきどり。来週は雨が多そうだ。

未読本が山積み

ディケンズの『二都物語』新訳(光文社古典文庫)がネット注文で明日届く。子どものときに読んだだけだからおおかた忘れているので読むのが楽しみ。最近サラ・ウォーターズの本を読んだら雰囲気からディケンズを思い出してむしょうに読みたくなった。以前引越しされた方からどばっとディケンズを送っていただいたことがあり、前から持っているのを合わせるとすごい量である。箱の中から『荒涼館』を出して読みたい気持ちがたかまってきたけど、未読本を先にしようと『二都物語』を待っているところ。

この前四方田犬彦さんの本を2冊買った。『ハイスクール1968』と『母の母、その彼方に』(2冊とも新潮社)。『ハイスクール1968』は読みながらおもしろがっていたら相方にとられた。代わりに『母の母、その彼方に』を買ってきてくれたのでいま読んでいるところ。すっごくおもしろくて、なぜいままで四方田さんの本を読んだことがなかったか不思議だ。

サラ・ウォーターズは先日アマゾンの中古本で『半身』を買ってまだ読んでない。あと1冊『夜愁』を買えば全部読了なのでうれしいような寂しいような。

山田真さんの『水俣から福島へ』を買ったのにまだ読んでない。カライモブックスで買ったマルグリット・デュラスの『緑の眼』もちょっと目を通しただけだ。

図書館で借りた『田村隆一全集』も読みかけたままだ。

今月は雑誌もたくさん買ったが、なかなか全部は読めない。読んだ作品の感想を書かねば。

わぁっ、未読本が山積みで、幸せなような困ったような。

四方田犬彦『ハイスクール1968』がおもしろい

吉田喜重監督と岡田茉莉子さんカップルが好き。ここ数年DVDで映画を見たり、お二人の本を読んでもっともっと好きになった。その縁であまり気にしていなかった蓮實重彦さんの本をも読んで、尊敬の念が湧き起こった(笑)。蓮實さんのお名前は昔から知っていた。
四方田さんの名前は『ユリイカ』の「吉田喜重特集」にあるエッセイを読むまで知らなかった。自分でもおかしいと思うが、同時代に生きていて100冊も本を出している方の名前を知らないなんてほんまにへん。最近のことだが書店の棚に四方田犬彦『吉田喜重の全体像』(作品社 2004年)を見つけて買おうと思ったが高かったのでそのうちにとやめたまま。

今回は姉が購読している新潮社の『波』に『母の母、その彼方に』(新潮社 2016年2月)の紹介と四方田さんのインタビューが載っていたので読んだわけ。
それでまずアマゾンの中古本で『ハイスクール1968』(新潮社)を買った。昨日届いたのを相方と取り合いで読んでいる。1968年はわたしらにとってもいろんなことがあった年なので興味津々である。
晩ご飯のときに相方が、明日本屋に行くから『母の母、その彼方に』を買ってきてやるとのことですごく楽しみ。

サラ・ウォーターズ『エアーズ家の没落 上下』

『黄昏の彼女たち 上下』の感想を書いたとき、未読の本として本書をあげたらSさんが持っているよと貸してくださった。一気読みしてしまったが、感想をまだ書いてなかった。お話はおもしろくてどんどん読めたが内容は悲しくてつらい物語である。

かつては隆盛を極めた領主館だったが第二次大戦が終わってからは子孫がひっそりと引きこもって寂しく暮している。土地や建物を切り売りしてなんとか暮しているのだが、だんだん生活が苦しくなっている。
村の医師ファラデーの母は第一次大戦前にこの屋敷の女中だった。父は食料品店の使い走りをしていて二人は知り合い結婚した。賢いファラデーを大学に行かすため両親は無理して働き早く世を去った。ファラデーは出身階級である小作人たちの間では嫉妬からくる無視に出会い、ほとんどが豊かな階級出身の医師たちの間では居心地が悪い。でも医師のとしての腕は確かなので認められている。

ファラデーが子どものとき母が内緒でお城に入れてくれた。そのときお城に魅せられてその気持ちはいまも続いている。
不運な一家のために医師として城に出入りするうちに令嬢キャロラインと心が通い合う。しかし、お城と令嬢のふたつを手にする幸福はファラデーには結局訪れなかった。物語が終局に向かう迫力がすごい。

時代が進むにつれ村の人口は増え医院の仕事も増える。仲間の医師たちともうまくつきあっているのでよかった。

すごく長くて怖い物語をドキドキして読んだ。最後までいってまた読み返した。
(中村有希訳 創元推理文庫 上960円+税、下1000円+税)

『月刊 MOE モエ』5月号(特集 中原淳一)

書店で働く友人が教えてくれたので買おうと思っていた『月刊 MOE モエ』5月号(特集 中原淳一)が書店で見つからない。ネットで出版社のサイトを見たら「売り切れ」になっている。まあええかと諦めかけたけど翌日アマゾンを検索した。在庫ありだったのですぐに注文したら(11日)今日(13日)の指定時間に届いた。すんごい世の中だ。
書店で探してお金を払って買うのが好きと思ってたけど、時間の無駄かもね。買うと決めてる本はこうして買ってしまえばいいのかも。

表紙がすっきりしていて好み。記事も編集意図がしっかりしているからわかりやすい。中原淳一先生の生涯にも触れられているし、仕事全般をきちんと整理してあって若い人にもよく伝わるだろう。
まあ、わたしのような「淳一いのち」時代があった人にとってはうまくまとめ過ぎだけど、それはわたしのほうがおかしいのだから。淳一先生と同時代に生きて、同時代に発表された雑誌を買って何十度も繰り返し読んだ経験はしたものにしかわからない。わからなくて当たり前だ。
そんなことはどうでもよい。若い人たちが中原淳一をかっこいいと思って、生活すること、着ること、読むこと、食べることなどなどの参考にするって素敵だ。うれしい。

女性誌がおもしろい

今年になって女性誌をよく買っている。わたしは記事を読み相方は料理の参考にする。いまも『k u : n e l』『エル・ア・ターブル』がテーブルにあって明日のご飯の献立を検討中。料理がないから『装苑』は買わない(笑)。
『エル・ア・ターブル』の特集「トーストとサンドイッチ」のページ数に驚いた。めくれどもめくれどもうまそうなトーストとサンドイッチが現れる。材料を買ってくればだけど、すぐにできそうである。こういうのが今風なのかと納得する。先日心斎橋のブルックリンパーラーで「今日のサンドイッチ」を注文したら、温めたパンに肉とごぼうその他の野菜炒めがいっぱいはさんであって味もよかった。ポテトフライがたっぷりついているのにも驚いた。それで翌日に買った『エル・ア・ターブル』を見てなるほどとなった。

関東の書店で働いている友人がメールで『MOE』5月号は「中原淳一特集」だよと教えてくれた。買いに行ったがうちの近所にはなかった。新大阪の本屋でも見つからなかったから梅田で探すしかないな。と書いてネットを見たら「売り切れ」になっていた。3日発売なのに・・・淳一先生いまだに人気あるんや。淳一先生の本や絵葉書などいろいろ持っているのでまあいいか。

翌日追加:『MOE』5月号「中原淳一特集」アマゾンにありました。明日届くそうです。楽しみだ〜

古い本箱は宝の山

姉が「最近本が読めなくなったからいらんわ、あんた持って帰ってええよ」というので、定期購読している新潮社の『波』の2,3,4月号をもらって帰った。けっこうおもしろいのでちょこちょこ読んでいる。

先日、転んだときぶつかった障子が一箇所破れたのを貼り直してほしいと頼まれた。障子紙を探していたら亡き義兄の勉強部屋の奥の本棚の引き出しにあるとのことで、障子紙と糊と刷毛が見つかった。しかもその奥に分厚い本が見えた。
引っ張り出すと厚い『朝日ジャーナルの時代』が現れた。刊行された『朝日ジャーナル』全部が小ぶりになって収録されている。
姉は『朝日ジャーナル』をずっと愛読していて、廃刊したあとにこんな本まで買っていた。あちこち開いていると「60年安保」の記事が出てきた。樺美智子さんの写真もあった。
「もう読まないから持って行っていいよ」というので、ありがたくもらって帰った。この前は高橋和己さんの本をもらったが、まだまだなにかありそうだ。