パトリシア・ハイスミス『キャロル』と吉屋信子『屋根裏の二處女』

『キャロル』がいいと友人と話していたら、日本には吉屋信子がいると言ってくれた。忘れてたわ、吉屋信子を。そのときは覚えていなかったが突然うちに『屋根裏の二處女』があるのを思い出した。探し出したらまだまだきれいな箱入り本で『花物語』といっしょに入っている。(吉屋信子全集 1 朝日新聞社 昭和50年(1975)発行)
久しぶりだから両方とも読もう。お正月に読む本がまた増えた。ハイスミスのリプリー・シリーズ3冊とどっちを先に読もうか。
(リプリー・シリーズは『太陽がいっぱい』『アメリカの友人』『死者と踊るリプリー』の3冊を正月用に買ってある)

『屋根裏の二處女』は大正8年(1919)に書かれた本で、『キャロル』は1952年である。どちらもかなり前に書かれたものだけど、いきいきした愛の姿が美しい。
どちらも二人の女性どうしの愛の姿が美しく描かれている。優しく美しいだけでない力強く生き抜こうとする二人。前途多難はわかっているけど、もう向かっていき闘っていくしかない立場を選んだ。

キャロル (河出文庫)

パトリシア・ハイスミス『キャロル』

映画『太陽がいっぱい』(1960)を見たのは1965年だったといまわかった。生意気な弟が父親と二人で見に行ってストーリーをしゃべりまくるし、主題歌をうなりまくるしうるさかったのを覚えている。すぐに兄たち姉たちも見に行ったのだろうか、わたしは一人で行ったように思う。わが家は『太陽がいっぱい』でいっぱいだった。
そのときに原作者パトリシア・ハイスミスの名前を覚えたのに、小説は読んだことがなかった。『リプリー』はビデオで見てなんともいえぬホモセクシュアルな雰囲気が好きになったのに、まだ本を読むところまでいかなかった。おかしな話だがいま考えると初読みを『キャロル』のためにおいてあったのか。

で、はじめて読んだパトリシア・ハイスミスが『キャロル』(1949)である。
最初から期待いっぱいで読みはじめて、その期待を裏切らぬ期待以上の作品で、読み終わっても数日間はしびれていた。
ハイスミスは作品のテレーズと同じようにニューヨークのデパートでバイトをしていて、美しい金髪の年上の女性を見かけた。そのときの気持ちが作品『ザ・プライス・オブ・ソルト』を生み出した。
作品は内容ゆえに大手の出版社で断られ、1952年にクレア・モーガン名義で小さな出版社から刊行された。翌年にペーパーバック版が出て100万部近くも売れる大ベストセラーになった。本書がハイスミス名義となりタイトルが『キャロル』になったのは1950年版のドイツ語版とイギリス版だったと訳者柿沼瑛子さんの「あとがき」にある。

ニューヨークで独り住まいの舞台装置家のたまご19歳のテレーズは生活費を稼ぐためにデパートで働くことにした。クリスマスの時期で配属された人形売り場は大にぎわいである。喧騒の中にひときわ輝く女性が立っていた。毛皮のコートを身にまとったブロンドの女性を一目見るなりテレーズは・・・

キャロル (河出文庫)

ジョージ・C・スコットの「クリスマス・キャロル」(クライブ・ドナー監督)

晩ご飯のあとになにか映画を見ようと何本か候補があがった。「クリスマス・キャロル」を見たいと主張したのはわたしだけど自分でもおかしくなった。いくらディケンズが好きでいろいろ読んでいるといってもクリスマスに吝嗇を改心する話を見たいなんて。いやいや、これには理由があるのです。
半年くらい前に中沢新一の『純粋な自然の贈与』を読んだのだが、数編の論文の中の「ディケンズの亡霊」というタイトルに惹かれた。ディケンズの亡霊ってなんのことかと読み始めたら「クリスマス・キャロル」が主題になっていた。長いあいだ忘れていた物語を中沢さんの導きで再び読めて、しかもわたしの目には見えていなかったものが示されている。
「クリスマス・キャロル」をわたしはこどものときから家にあった絵本でよく知っていた。その物語が教訓的だとさえ思っていた生意気な子どもだった。
それだけに「ディケンズの亡霊」を読んだ時はそんな大切なことが書いてあったのかと驚き、知ったことに感謝した。

今日見たのはいままで9本製作された「クリスマス・キャロル」の中の3作目、ジョージ・C・スコットがスクルージを演じている1984年の作品。
ジョージ・C・スコットのスクルージさんはそのままのスクルージさんぽくて微笑ましく見た。従業員のクラチットさん、甥のフレッドも物語にあるとおりだった。

クリスマス・キャロル (字幕版)

さっき素直な気持ちで友だちへのメールに「メリー・クリスマス」と書き添えた。

(『純粋な自然の贈与』 講談社学術文庫 960 円+税)
純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)

近藤ようこ(原作 折口信夫)「死者の書 上」

先月だったか、寝るときにiPad miniで青空文庫の「死者の書」を読んでいると書いた。それを読んだ親切な友人が「死者の書」は難しかったのでマンガで読んだと送ってくれた本が、近藤ようこさんのこの本である。
折口信夫がマンガになっているのにびっくり!! わたしは最近原作を読んだからええわと言っていたのだが、マンガや本が近くにあればいずれ手に取る(笑)。

近藤ようこさんがどんな作品を書いているかは知らないが、「あとがき」に【四十年前に初めて読んだ『死者の書』を、やっと漫画にすることができました。】と書いておられる。そして【折口信夫を全く知らない人にための「死者の書・鑑賞の手引き」だから読者には最終的に原作を読んでいただきたいのです。】と続く。
上巻は第八話まであって、今年の1月から8月まで「月刊コミックビーム」に連載された。すぐに単行本になったのがここにあるわけだ。そしたら下巻が出るのは来年の後半か〜
まあ、原作を読んでいるのだからわたしはいいけど(笑)。

若いときの数年間わたしは奈良のお寺を巡ってけっこう歩いた。当麻寺も何度か行っている。そのときは「死者の書」の存在を知らなかった。ただ奈良中心部のお寺と違う鄙びた感じが好きだった。
それから何年か経って折口信夫と「死者の書」を知った。
近藤さんは40年前に原作を読まれたそうだが、わたしが読んだのもそのころだ。
ある春の日、出会って間もない相方と竹内峠を歩いて当麻寺まで行った。お庭を見たりお寺の本堂に上がらせてもらって午後から暗くなるまでいた。夕暮れ時には、した、した、した、と歩く音がしないかと土に耳をあてたりした。

そして、二上山! 泉北に住んでいた3年間は毎日二上山を眺めて暮らしていた。
いま、この本の裏表紙の二上山を眺めている。素晴らしい。
(KADOKAWA 740円+税)

死者の書(上) (ビームコミックス)

三浦しをん「仏果を得ず」

友人のYさんが送ってくれた本。彼女がときどき日本の女性作家の本を送ってくれる。直木賞作家の本が多いが、わたしはほとんど知らない。翻訳物以外は明治大正昭和初期の本ばかり読んでいるなと改めて思った。
今回の三浦しをん「仏果を得ず」もはじめて知った本である。三浦しをんという名前は聞いたことがあるが読んだことがなかった。
ちょっと読んでみたらおもしろくて昨日と今日で読んでしまった。
主人公は文楽の若手太夫 建(たける)で、八章あるタイトルが全部文楽の演目がついている。「一、幕開き三番叟」からはじまって「八、仮名手本忠臣蔵」まで、建が語ることになり、三味線の兎一郎と組んで演じる。その芸道を極めようとする日々の笑いと涙の物語である。最初は組むのを嫌がっていた兎一郎だが、一緒にやっているうちに理解しあっていく様子がうまく描かれている。

大阪の町があちこち出てくるのも魅力。住んでいるのは生玉(神社)さんのそばの連れ込みホテルである。偶然知り合ったホテルの持ち主の世話になっている。地方公演のときは留守が安心だし、大阪にいるときは手伝いをする。近所の小学校でボランティアで文楽を教えて、熱心な少女に惚れられる。
文楽を演じる人たちの演目と絡んだ物語がうまくて楽しい。

わたしは若いころに四ツ橋文楽座や道頓堀の朝日座に何度か行ったことがある。能、歌舞伎、文楽、そしてクラシックとバレエに凝っていたハタチのころ。働いたお金はみんなそれらに使った。5年後にはジャズと登山とデモに興味が移ってしまって古典とはさよならしたが、三越劇場で見た桐竹紋十郎が遣った「伊達娘恋緋鹿子」(八百屋お七)が忘れられない。
(双葉文庫 600円+税)

仏果を得ず (双葉文庫)

アーナルデュル・インドリダソン「声」と「テンプルちゃんの小公女」

「声」を金曜日から読み始めてもう終わるのだが、さっき気がついたことを書いておく。
アイスランドの大きなホテルのドアマンでクリスマスにはサンタクロース姿でサービスするグドロイグルが、ホテル地下の粗末な自室で死体となっているのが発見される。
捜査官エーレンデュルが2人の部下と捜査にあたる。
なにもない部屋に唯一シャーリー・テンプル主演1939年製作の「リトル・プリンセス」のポスターが貼ってある。最後まで「リトル・プリンセス」は「声」の中で重要な役割を担っている。

「リトル・プリンセス」は「小公女」のことだと気がつかずにストーリーを追っていたが、終わりのほうで気がついて検索したらウィキペィアにちゃんと「テンプルちゃんの小公女」とあった。
こんな映画があったんや。知らんかった。
「小公女」はわたしが最初に読んだ本の一冊である。いまだに好きな本の上位にある。ときどきiPad miniで読んでいる。
ウィキの「概要」のところに、この映画はパブリックドメインとなっているとある。そして右側に【1939年版『The Little Princess』全編(パブリックドメイン)】とあるのでクリックしたら<a href=”https://ja.wikipedia.org/wiki/テンプルちゃんの小公女”_blank”>映画</a>がはじまった。わーい!!
今日のところはセーラと父がロンドンの街を馬車で通って寄宿学校に着いたところまで見て、残りはお預け。

シャーロット・マクラウド「納骨堂の奥に」

「Vic Fan Club News」の人気連載「コージー・コーナー」にシャーロット・マクラウド(1922-2005)「納骨堂の奥に」が紹介されていた。コージー・ミステリはあまり読まないが翻訳が懐かしい浅羽莢子さんだし買って読むことにした。著者も主人公のセーラ・ケリングの名前も昔から知っているけど読んだことがなかった。
なんてったってコージーだからとゆったり気分で読み出したら、なんだか様子が違う。すげえすげえと土日月と3日間で読み終えた。シリーズ第一弾である。次も読みたい。

ボストンの旧家の若奥様であるセーラは夫のアレクザンダー(従兄)と、姑(伯母)と古い大きな屋敷で暮らしている。アレクザンダーが41歳でセーラが19歳になる前に結婚した。いまも上品な夫を愛しているから不自由は感じていないが、お金の管理をまかせている夫からわずかな家計費しかもらっていない。

フレデリック大伯父が亡くなって、セーラは納骨堂へ来ている。
妻といっしょに埋葬されるのはいやだから自分だけケリング家の納骨堂へという遺言を実行するために納骨堂の中を見に来たのだ。
ボストンコモンの周りの古い墓地は全部史跡に認定されていてなにも動かせないが、壁際の納骨堂はケリング家のものなので利用できると役所から返事をもらった。
別の従兄ドルフが来て納骨堂の鍵を開けた。煉瓦の壁が立ちはだかっている。係員とケリング家の男たちが力づくで破ると、若い女の死体が目の前にあった。
(浅羽莢子訳 創元推理文庫 1,000円+税)

柴崎友香「春の庭」

去年の芥川賞を受賞したこともお名前も知らなかった柴崎友香さんの「春の庭」を買って読んだ。先日すでに日にちの過ぎた「週刊現代」9/12号の書評ページをめくっていたら「わが人生最高の10冊」の左側にある「柴崎さんのベスト10」が目についた。3位の「ニューヨーク・ストーリー ルー・リード詩集」である。この本は相方の愛読書であって実はわたしは読んでない。ただ我が家はしょっちゅうルー・リードの歌声が聞こえるしパソコン画面に顔が見えるから全身にしみついている。実はわたしは昔からジョン・ケイルのファンなのです。

そんなわけで、おおいに興味をそそられ本文を読んだ。ちなみに1位はデニス・ジョンソンの「ジーザス・サン」、2位は漱石の「草枕」大賛成。10位まで好みが合う本ばかりと思ったが、特に6位の吉田健一「東京の昔」はわたしの大好きな本である。こういう好みの人が書いた小説を読んでみたい。
というわけでアマゾンで中古本が100円であったので即注文、届いたのをすぐに読んだ。

いつも翻訳本をそれも北欧のミステリを好んで読んでいるし、この数日はピエール・ルメートルの猛スピードで超残酷な3冊を読み終わったところである。はやるルメートル頭を抑えて読み出した。「春の庭」というタイトルが素敵で表紙カバーの写真がいい。
読んでいくうちにおだやかな語り口に引き込まれていった。

離婚して独り暮らしになった太郎は元美容師でいまはサラリーマン生活をしている。借りているアパート「ビューパレス サエキIII」に住む住民との穏やかなやりとりが描かれる。
アパートから見えるおしゃれな一戸建ちの空き家にアパートに住む独り暮らしの西さんは執着する。太郎も西さんとつきあっているうちに興味をそそられるようになる。
静かに静かに物語が進んでいく。

作者は大阪生まれだが作品の舞台は東京である。大阪の人が描いた東京という感じがする。わたしは東京生まれだが、こどものころから大阪にいてちょっと出たことはあるが大阪人である。若いころ東京に住む友人宅によく遊びに行った。そのときの若い3カップルのアパート暮らしの雰囲気が「春の庭」に似ている。東京の人には書けない東京って思った。わたしの独断ですが。
(文藝春秋 1300円+税)

ピエール・ルメートル「死のドレスを花婿に」

なんかもう、すごい小説にぶちあたった。すぐ前に読んだ「その女アレックス」と「悲しみのイレーヌ」もすごかったが、「死のドレスを花婿に」には、もうなんていうか圧倒されてしまった。ルメートルすごい!
最初は女性主人公ソフィーの謎めいた存在と行動に引きずられて読んでいた。平穏な日々が壊れてソフィーを中心に転がるように事件が起き続ける。あれよあれよと驚きながら読んでいるうちに、ある男の作為でソフィーの人格や人生が否定されていく。

4つの章に分かれているのだが、読んでから意味がわかった。
内容について書いてしまうといけないので、すごくよかったとだけ書いておく。
ルメートルの作品は3冊読んだだけだけど、女性がものすごく強くて頑張るところが好き。3冊ともに内容について語ったらこれから読む人が困るというところがすごいです。
(吉田恒雄訳 文藝春秋 790円+税)

ピエール・ルメートル「悲しみのイレーヌ」を読んでいる

まだ出来上がらないVFCニュース、合間に本読みを入れるからできなくて当たり前だ。ピエール・ルメートル「悲しみのイレーヌ」(文春文庫)に惹きつけられてあと少し。
残酷な連続殺人を調べているカミーユ・ヴェルーヴェン警部のことは先日「その女アレックス」を読んで知っていた。だけど、本作は「その女アレックス」より前の作品である。カミーユの苦悩の原因を知らされてショックだった。翻訳されるだけでありがたいと思うが、あとの作品を読んでから前作というのはうれしくない。なんて言っていいのはちゃんと翻訳出版順に買って読んだ人が言うことで、いまごろ4作同時に買った者がいうたらあかんね。

「悲しみのイレーヌ」はミステリ小説が重要な要素になっていて、その中にわたしが大好きなウィリアム・マッキルヴァニー「夜を深く葬れ」(ハヤカワ・ポケットミステリ)があったので驚いた。しかもヴェルーヴェン警部は「夜を深く葬れ」を読んでグラスゴーに赴くのである。

グラスゴーの機動捜査班警部ジャック・レイドロウもカミーユ・ヴェルーヴェン警部も事件への入れ込み方がすごい。
もう一度「悲しみのイレーヌ」を読んで、そのあとに「夜を深く葬れ」を読もう。レイドロウのほうは読みはじめたらどんどん思い出していくはず。

「夜を深く葬れ」で検索したら1ページの3つめに【ウィリアム・マッキルヴァニー「夜を深く葬れ」 (kumiko 日記)】が出てきて感激。ハヤカワとアマゾンの次だからうれしい。