英国ちいさな村の謎(2)M・C・ビートン『アガサ・レーズンと猫泥棒』

コージー・ミステリの評判作、M・C・ビートンのアガサ・レーズンが活躍するシリーズの2冊目をUさんが送ってくださった。最近いろんなかたから本をもらったり貸してもらったり。ありがたいことだ。人徳ですなぁ(笑)。
Uさんは1冊目は図書館で借りて読み、あまりのおもしろさに(2)を買いに走ったという。(1)「アガサ・レーズンと困った料理」で主人公の性格やなぜコッツウォルズにいるかの説明があったはずだ。ちょっと検索して書いておこう。
アガサはロンドンのPR業界でがむしゃらに働いてきたが、引退してあこがれの田園生活を送るべくコッツウォルズの村でコテージを買って暮らすことにした。村人にとけ込もうとキッシュ作りコンテストに応募するが、料理ができないのでロンドンのデリカテッセンで買ってくる。そして審査員がアガサのキッシュを食べて死んでしまい、毒殺魔の疑いをかけられる。

そういうことがあっての(2)である。
アガサはこんがりと日焼けしてヒースロー空港に降り立った。ハンサムな隣人ジェームズを追いかけてバハマまで行ったのだ。ところがアガサがバハマへ行くという情報を知ったジェームズは行き先を変更していた。
傷心のアガサは今度は新しく村で開業したハンサムな獣医さんを目がけて、健康猫のホッジスを連れて診療所へ行く。ちょっとヘンな医師だと思うが、デートに誘われてうきうき。夕方おしゃれして出かけたものの雪で車が動かず町へ出られない。彼に電話すると女性が出たのであなた誰と聞くと「妻です」。
村から私道が延びているさきにある大邸宅の厩舎で、馬の治療をしていたハンサムな医師が亡くなった。他殺だとアガサは思う。ジェームズも同意見でなぜかふたりはいっしょに素人探偵をはじめる。

大邸宅の主人の目つきでアガサは屈辱を味わう。アガサは高価なドレスを着ていたが、労働者階級出身だとその目は見抜いていた。別の聞き込みでも領主館へ行くと女主人とジェームズは祖先の話で知り合いだとわかる。アガサはジェームズはこういうひとと結婚する階級かとさびしい。自分は不潔なバーミンガムの労働者階級出身だから。

ひがんだり傷ついたりしながら、なぜか毎日聞き込みに歩くふたり。獣医の受付の女性を捜して町のディスコに行くと、入り口で「楽しんでください、おばあちゃん」と用心棒がいい、アガサは彼をにらみつけて「このボケナス」と返す。
(羽田詩津子訳 原書房コージーブックス 781円+税)

「ミステリーズ!」2月号に木村二郎さんの女性私立探偵小説『偶然の殺人者』

新刊書や雑誌は本屋で手に取って買うのが好き。去年の末から「ミステリーズ!」2月号を買わなくっちゃと思っていたのに買いそびれていた。堂島ジュンク堂に行けばバックナンバーも置いてある棚があってさっさと買えるので、他で探す気にならない。ようやく先週の土曜日に手に入れた。

最近は北欧ものを読むことが多いが、たいていが警察ものである。いちばん最近に読んだ「キリング」もデンマークの女性警部補が頑張っている。そこへニューヨークの女性私立探偵フィリス・マーリー登場したのにはおどろいた。木村さんの作品ならジョー・ヴェニスではないの? 読んでわかったが、フィリスは15年前に亡くなった父がいた探偵社で働いていたが2年前に独立した。フィリスの父とヴェニスは同じ探偵社で働いていたことがあり、ヴェニスはフィリスのことを実のおじのように気にかけている。今回、出版社の仕事にフィリスを推薦したのはヴェニスだった。フィリスは30歳代前半の鋭い目をした飾らない女性である。

エンパイア・ステート・ビルが見渡せるビルの一室でミステリ雑誌《ダーク・シャドウ》編集長のタラが待っていた。応募してきた新人の原稿に不審なところがあるという。盗作かもしれないので調査したい。私立探偵小説に詳しいヘイウッドにも会って話を聞くように。とのことで、フィリスは原稿を読んでからヴェニスと同じビルに住むヘイウッドを訪ねる。

作者の住まいに出かけると男が倒れていた。
フィリスは警察に連絡する前にiPhoneで写真を撮る。死体の他にも本棚の本のタイトルや著者名もわかるように撮り、自分のiPadに送信してiPhoneのほうは削除する。
「フィリス、死体を見つけるのが上手なのね」と言いながら登場したのはマンハッタン・サウス署殺人課のアンジェラ・パランボ警部補。フィリスは待たされている間に「退屈になったら、腕立て伏せでもやってますわ」だって。

いらいらせずに楽しんで読める。そして、50年代、60年代の私立探偵小説作家の名前がぞろぞろ出てくるのも好きな者にはたまらん。わたしはそれらをすこし読んでいて、かなり名前を知っている。
(「ミステリーズ!」2013年2月号 東京創元社 1200円+税)

ミス・リード『村のあらし』

文字通りに〈あらし〉が村をおそう話かと思って読み始めた。なんと!〈あらし〉というのは電子力発電所の職員用住宅地計画なのであった。
架空の村フェアエーカー村は南イングランドのダウンズ地方にある。隣の村がビーチグリーン、そして近くにある町がカクスレー、村からバスで買い物などに行くところだ。

ある日、ミス・クレアが下宿人のミス・ジャクソンの部屋を掃除していると、窓から見慣れない男が2人、ミラー老人が精魂込めて耕している百エーカーの農地の中にいる。
それが始まりだった。男たちはニュータウン計画のために調査にきたことが村中に知れ渡る。原子力発電所の職員と家族が住む住宅とスーパーマーケットなどの設備を備えた大団地を、ミラー老人の農地とその向こうの斜面を開発して作る。発電所に通勤するためにバスがたくさん走ることになる。
だけど、学校はどうなるんだろう、教会はどうなるのか。教師も牧師も村の人々も寄るとその話で反対意見ばかりである。
【「思いあがった木っ葉役人どもめ。『公正なる価格にて、ご譲渡たまわりたく』なんて、ぬかしやがって。百エーカー農地は百年以上も、わしら一族の所有地だったんだぞ。(中略)わしの目が黒いうちは、そんなことはぜったいにさせやせんぞ」(中略)やるなら、やってみろ」老人はどなった。「やるなら、やってみろってんだ」】
説明会や公聴会が行われ、裕福な老婦人は有名な風景画家が好んで描いた村の風景を損なうと猛反発する。そして手にしうるあらゆる武器を使おうと、建設大臣に抗議のクリスマスカードを送る。ミス・リードの友人エイミーは新聞社に反対意見を何度も投書する。

すべての人が反対ではなく賛成する人もいるし、数週間するといずれ実行されるものとして計画を受け入れる態度が広まっていった。
【問題が始まった初期には、あれほど激しかった反対の意気ごみも、時間的にひきのばされ待たされるにつれて弱まったみたいであった。同じことを、今まではあまりに長く論じてきたので、どちらでもいいといった運命論的なあきらめが、かなり多数の人々の心を支配していた。】
だが、ミラー老人は違った。絶対、ここにがんばっていてやる。

〈あらし〉は過ぎ去った。一週間も雪が降り続いたある夜、カクスレーで集会が開かれた。地区議会の人たちと新聞記者は建設大臣と州当局からの文書を読み上げられるのを聞いた。
住宅地計画は取りやめになった。
(佐藤健一訳 角川文庫  1976年 485円+税)

ミス・リード『村の日記』

ミス・リードのフェアエーカー村シリーズ3冊目。最初の2冊「ドリー先生の歳月」と「村の学校」は知人に頂いた本で、これからの2冊は1冊目を回した友人が若いときに買ったのが家にあったと貸してくれた本である。偶然だが出版順に読めてよかった。
目次を見たら一月から十二月までの愛想のない文字が並んでいる「村の日記」だが、内容はこんな小さな村なのに多彩だ。

休暇が終って年が変わり新しい学期がはじまった1月、一人の生徒が猫を2匹学校に持ってきた。1匹は行き先が決まったがもう1匹は決まるまでミス・リードが預かることになる。結局、その猫ティビーはミス・リードの一人暮らしの相棒になる。
土曜日に村の若者がオートバイ事故で死んだ。用務員のウィレット氏の言葉。
【「・・・家族が息子を失っただけじゃないね。村の誰もが取り残されちまったのさ」(「ゆえに問うなかれ、誰がために鐘は鳴るやと」何世紀もの昔に、ジョン・ダンが歌ったとおりを、ウィレット氏がくりかえしたような感じがして、私の心にささやきかける声があった)】
続いて【「鐘は汝がために鳴るなれば」「誰ひとり孤島たりうる者あらじ」】とジョン・ダンの詩が続く。
ミス・クレアは彼のためにセーターを編んでいたが、編み上がればクリケットクラブに寄付するという。クラブでゲームに優勝した人の賞品にすると。
この時代、第二次大戦終了後の村の様子が書かれているのだが、老人たちは地主階級の支配していた時代を知っている。すでに政府によって社会保障などがなされているが、昔は領主が福祉を担っていた。「高慢と偏見」でもダーシー夫妻は領民のことを考えて行動しているのがよくわかる(P・D・ジェイムズ「高慢と偏見、そして殺人」にそういうことが詳しく書かれている)。そんなことを考えるのも楽しい読書だった。
(佐藤健一訳 角川文庫  1976年 505円+税)

ミス・リード『村の学校』

先月読んだ「ドリー先生の歳月」のドリー先生(ミス・リードはミス・クレアと書いている)は、自分が学んだフェアエーカー村の学校の先生になり長く働いていたが、授業中に倒れて退職する。その後も村の両親が残した家に住み続け、体調がよくなってからは学校行事の手助けなどで登場する。
ミス・リードはその学校のもう一人の先生であり校長先生でもある。ミス・リードは校長先生だけに威厳があり、しっかりと子どもたちとまわりの人たちの面倒をみるし、自分の意見を持っている。

本書はミス・リードが語る「村の学校」のお話。〈第 I 部 クリスマス学期、第 II 部 春学期、第 III 部 夏学期〉。秋の「新学期の朝」からはじまり夏の「学期の終わり」まで。全児童数40人の小学校に新入生が3人が入学。その子どもたちと村の人々の暮らしが綴られている。時代は第二次大戦直後でまだ村に新しいものは入ってこず、村人は昔ながらの生活をしている。
ミス・リードは人間観察能力に優れていて、特に校務員のミセス・ビリングルの描写がするどい。実際にこういう人を相手に苦労したんだろう。ミス・クレアの後に入った先生のミス・グレイは、ともに音楽を愛するアネット氏と婚約する。
小さい村の一年、いろんなことが起き波紋が広がることもあるが、歳月を穏やかに迎えて見送る。いまは過去の桃源郷みたいなイギリスの田舎が懐かしい。
(中村妙子訳 発行:日向房 発売:星雲社 2000年 2400円+税)

デヴィッド・ヒューソン『キリング 2 捜査』

昨日本を送っていただいのを超特急で読んでしまった。地下鉄を待つ間、電車に乗ってから、SUBで演奏がはじまるのを待ちながら、ずっと読んでいた。もちろん家でお昼は個食だったので食べながら、会報のコピーをとりながら、ずっと読んでいた。そう、昨夜寝る前も。落ち着きのないことはなはだしい。自分のミーハー魂に自信を持った(爆)

デンマーク警察の女性警部補サラ・ルンドは、スウェーデンに結婚を約束した相手がおり、前夫との息子マークといっしょにスウェーデンに移住する予定なのに、この事件のために出発を一日延ばしにしている。そのたびに温厚なベングト・ロースリングに謝っている。スウェーデンでの家族友人たちとのお披露目の日もせまっている。どないすんねん、サラ。
19歳のナナには秘密があった。その秘密をサラと新任のイエン・マイヤとが探る。サラとマイヤとの間は最初のうち険悪になったりしたが、いまはお互いに認め合ったはぐれ者どうしの友情も芽生える。
教師に疑いがかかったのを知ったナナの父が勝手に恨みを晴らそうとして迷走。教師への疑いが晴れると一転、異なった容疑者が浮かぶ。
その間に市長候補ハートマンへの嫌疑が浮上。
サラは古いコートの下にフェロー諸島産の手編みセーターを着て、髪は無造作に結んだポニーテール。このドラマが放映されたお陰でセーターは売り切れ、生産が追いつかなくなったそうな。

おもしろかった。どんどん読んでしまった。毎月1冊出るそうである。3月、4月が待ち遠しい。「キリング」を楽しむ春、早くこい。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 880円+税)

ダイアン・デヴィッドソン『クッキング・ママと仔犬の謎』

ダイアン・デヴィッドソンのクッキング・ママシリーズの16冊目。厚くて今回もいらいらはらはらしながら読んだ。このいらいら感がこのシリーズの特徴かな。
このブログでは、「クッキング・ママの供述書」「クッキング・ママの鎮魂歌」「クッキング・ママの遺言書」「クッキング・ママのクリスマス」「クッキング・ママのダイエット」に続いて6冊目である。
ずっと買って読んできて途中で買うのを忘れたのを図書館で借りたのが2回、いまはSさんが貸してくれるのを待って読んでいる。
毎回、物語が終った後にケイタラーの主人公ゴルディによるレシピがついているせいか、コージーミステリに分類されるが、内容はハードで女性探偵ものといったほうが当っている。

今回も優しい夫のトム(警察官)と前の夫との子アーチー(16歳になった)とケータリング業をしながら暮らしているが、アスペン・メドウの町に不景気の風が吹いて仕事が落ちこんでいる。そんなときにキューバ系アメリカ人のヨランダ(35歳の美人)から仕事をまわしてほしいと電話があった。彼女は大おばさんフェルディナンダを抱えて苦労している。フェルディナンダは無収入で車椅子生活である。ヨランダを雇うことにするというと、トムはつきあっている人間が悪いと遜色をしめすが、結局は好きにやればいいとトムは折れる。
ヨランダが借りていた家が放火され全焼した。私立探偵アーネスト・マクラウド(元優秀な警官)の家に身を寄せるが、ここも不審火で焼け出され、マクラウドは射殺される。マクラウドのやっていた仕事は、動物愛護活動家の依頼で金儲け主義の“仔犬工場”を閉鎖に追い込むことだった。
仔犬を9匹連れたヨランダとフェルディナンダがゴルディの家に居候することになる。

今回はゴルディはもちろんだが70歳を越えたフェルディナンダが大活躍。車椅子に隠した特殊警棒で気の食わないやつはがつんとやる。彼女はキューバのラウル・カストロの軍隊で狙撃手だった。車椅子に座っていても体を鍛えるのは当たり前。革命前のパティスタ政権のときはハバナのカフェで料理人をしていた。カバーの写真が彼女のつくった料理プエルコ・クバーノ(キューバ風豚肉料理)、うまそう。
(加藤洋子訳 集英社文庫 1100円+税)

イーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド 上下』(2)

いま三度目を読み終ったところ。深い作品だとため息をついている。
〈わたし〉チャールズ・ライダーは、ブライズヘッドを所有するマーチメイン家に次男セバスチャンの親友として迎え入れられる。父は第一次大戦に所領の使用人たちを編成した部隊を率いてヨーロッパ戦線に出て行き、戦後は愛人とヴェニスで暮らしている。カトリックの家系であり特に母は敬虔な信者で、邸宅の庭には礼拝堂がある。
〈わたし〉には親族が父一人しかいなくて、裕福な父の仕送りでオクスフォードで学んでいる。セバスチャンと知り合って酒を飲む仲間がいる快楽を覚えた。
休暇でロンドンの父の家にいると、セバスチャンからケガをしたと電報が届き慌ててブライズヘッドへ赴く。迎えに来たのは妹のジューリアでセバスチャンそっくりな美女だった。セバスチャンは常に酒びんを離さないようになっている。
酒代をセバスチャンにせびられ渡したことでマーチメイン夫人になじられ、ブライズヘッドから追放された〈わたし〉は、勉学よりも画家に向いていると自分で決めてパリへ留学する。建築物専門の画家になるつもりだ。
セバスチャンは外国へ出たときに母が手配した同行者から離れて、定めなくさまよい酒を飲んでいる。病気の母がセバスチャンに会いたがっているとのことで、〈わたし〉はカサブランカへ飛びフェズへ行く。探し当てたセバスチャンは送金を受け取っており、ひたすら酒を飲む毎日を続けている。しかし人柄の良さでまわりの人たちには愛されている。イギリスに帰る気はない。

ジューリアは俗物の政治家レックスと激しい恋をして結婚して何年か経った。
〈わたし〉は友人の妹シーリアと結婚して子どもがふたりでき画家として名をなしている。シーリアは理性的な女性で夫を売り出すことに専念している。〈わたし〉は2年間メキシコから中部アメリカにかけて絵を描く旅を続けニューヨークのエイジェントに送っていた。ニューヨークで待つ妻と会って、船便でイギリスに帰ることにする。シーリアは乗船するとすぐに社交にかかる。しかし船は大荒れでシーリアはベッドから離れられず、〈わたし〉はジューリアと偶然出会う。そしてはじまる恋。「芸術に社交界のシーリアと、政治に金のレックス」と相手のあるふたりの恋は燃え上がる。

こっちが思ったような結末にいかない。そうだよなぁとも思える。
わたしは宗教をもっていないけど、なんとなく最後のジューリアの決断はわかるような気がする。イギリスにおけるカトリック、これもわからないことだけど、ちょっとだけわかったような気がしてきた。
【「月が上がって沈むまでの人生なのだわ。そのあとは闇なのね」】
(小野寺健訳 岩波文庫 上700円+税、下760円+税)

イーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド 上下』(1)

久しぶりの岩波文庫は文字が大きく行間も広くて読みやすかった。イギリスの作家というだけで、タイトルしか知らなかった本が、単純な物語ではないが、大好きなイギリスのお屋敷ものだった。イーヴリン・ウォー(1903-1966)の1960年の刊行された本で、解説には「彼の代表作として定評のある突出した名作」とあった。おもしろく読んで二回目を読んでいるところ。

〈序章ブライズヘッドふたたび〉第二次大戦で軍務についた39歳の〈わたし〉チャールズ・ライダーは、中隊長として屈強で希望にあふれた一中隊を率いていた。グラスゴー市のいちばんはずれにある宿営地にいたのだが、だんだんやる気がそがれていく。
中隊が列車で次の宿営地に移動することになる。トラックに乗り換えて着いたところで「ここは何という所だ」と部下に聞く。なつかしい名前が答えられる。「ここには前に来たことがある」と〈わたし〉は言う。
〈第一部 われもまたアルカディアにありき〉は、註に「すべて知っているという意味もあって墓碑銘に用いる」とあった。再読して納得。
回想がはじまる。20年以上前の6月にセバスチャンとここへ来たのが最初だった。
〈わたし〉はオクスフォードのコレッジの角部屋に住んでいた。酔っぱらったセバスチャンが窓から顔を入れて嘔吐する。それが縁でふたりはつきあい始める。20年以上前の6月のある日、どこへ行くとも言わずに車を走らせ、途中で休んでワインとイチゴを楽しみ、着いたのがセバスチャンの家族が住むブライズヘッドの侯爵家のお屋敷だった。
それから何度ここを訪れたことだろう。セバスチャンには母と兄と妹がふたりいて、父は別居している。
(小野寺健訳 岩波文庫 上700円+税、下760円+税)

デヴィッド・ヒューソン『キリング 1 事件』

訳者の山本やよいさんからいただいた本。風邪で体力低下のためコージーなものばかり読んでいたので遅くなったがようやく読み終った。読みはじめたら一直線。
表紙カバーに〈デンマーク史上最高の視聴率を記録した警察ドラマ! シーズン1・TVシリーズの小説版〉とある。どういうことかしらと、解説から読み出した。
いま北欧ミステリの人気が高まっていて「ミレニアム」三部作が世界的人気である。わたしは「ミレニアム」は読む気が起こらないのだが、その他の北欧とドイツの作品はけっこう読んでいて、その魅力にはまっている。
本書はデンマークの首都コペンハーゲンを舞台にした警察小説である。元々はソーラン・スヴァイストロップのオリジナル脚本によるテレビドラマであるが、イギリスでの人気があがったためにイギリスで小説化が企画された。そして執筆者がデヴィッド・ヒューソンに決まった。
デヴィッド・ヒューソンはヨークシャー出身のイギリス人で、ローマ市警のニック・コスタ刑事が活躍するシリーズ(わたしはニック・コスタ刑事ファン)や、ヴェネツィアを舞台にした作品がある異色の作家である。英語で書かれたデンマーク警察の物語が自然に読めるのもうなづける。

小説「キリング」は4回に分けて出版される。本書は「1 事件」で、物語の最初は19歳のナナが必死で森を逃げまわるところからはじまる。すぐ次の章になって、デンマーク警察の女性警部補サラ・ルンドが登場する。彼女は婚約者のベングトと前の夫との息子のマークと3人でスウェーデンへ引っ越すことにして、今日はデンマーク最後の日である。後任のイエン・マイヤがやってくる。気の合いそうにない二人のところへ上司ブシャードが来て、仕事だという。
発見されたのは血のついたブラウスとレンタルビデオのカードだった。カードの名前はナナの父親タイスのものだった。二人の警察官は家を訪ねてナナが在宅かと聞く。
やがて、運河で車が見つかりドアをこじ開けるとナナの死体が現れた。車は市長選挙立候補者のハートマンの選挙活動用のものだった。
サラ・ルンドに上司はスウェーデン行きを延期するように要請する。今週中はいると返事をしたサラにイエン・マイヤはすぐに交代したいという。サラの指揮の下では働きにくい。だがサラはすでに事件にはまりこんでいる。

サラ・ルンド、カッコいい。話を聞くのがわたしの仕事ですと執拗に質問する。大きな目でじっと見つめられると相手はたいてい話し出す。もうデンマークの自分の住まいは片付けてあるので、母親の家に泊まっての出勤である。婚約者に謝りつつご飯を食べるのも忘れて捜査にかかりきる。
第2部が待ち遠しい。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 780円+税)