ロバート・レッドフォード製作/監督/主演『モンタナの風に抱かれて』

レンタルDVDを見る日が続いている。昔からときたまこういう時期があって毎日ビデオやレーザーディスクを見ていたのがいまはDVDになった。
「モンタナの風に抱かれて」(1998)でブログ検索したら、「馬が出てこなくっちゃ」というのと、男前の話のときに出てきたから、映画を見たのはブログ以前のようだ。
わたしと相方の趣味の一致点である「恋愛もの」「馬が走る」の両方がそろった映画として覚えていた。

ニューヨークで雑誌の編集長をしているアニー(クリスティン・スコット・トーマス)は弁護士の夫と13歳の娘グレース(スカーレット・ヨハンソン)と暮らしている。娘は早朝に友だちと馬で出かけて事故にあい右足を失う。友だちは死に、馬のピルグリムはグレースをかばって怪我をし心にも傷を負った。
専門家たちに荒れる馬を処分するように言われるが、グレースがいやがるのでなんとかしたいとネットで探すと、モンタナで馬専門のクリニックをしているトム(ロバート・レッドフォード)が見つかる。電話では通じないのでアニーはグレースを横に、鎮痛剤を打ったピルグリムを乗せたトレーラーを引きずってモンタナに向かう。

トムの落ち着いた対応にピルグリムの心は徐々に開き傷も回復していく。美しいモンタナの風景とトムのきょうだい一家のもてなしで、絶え間ない電話で気ぜわしく働くアニーも根性の曲がったグレースも癒されていく。
昔は乗馬をしていたアニーはトムに勧められていっしょに出かける。ふたりはお互いに愛し合っているのを意識する。トムはシカゴの大学で知り合った音楽家の女性と結婚したことがあった。

グレースもトムに心を開くようになり事故のときの状態を話す。トムはピルグリムはグレースをかばって怪我をしたのだといって、最終的にはグレースが乗るようにいい、いうことを聞かない馬をおさえ、グレースに撫でさせる。ついにグレースはピルグリムの鞍にまたがる。

クリスティン・スコット・トーマスはイングリッシュ・ペイシェント(1996)がよかった。この作品も気の強い女性の役がカッコいい。ロバート・レッドフォードはいうに及ばすでものすごくよい。そしてまた、モンタナの風景の美しいこと!

ジュリアン・シュナーベル監督『夜になる前に』(1)

「バスキア」の監督がキューバの作家レイナルド・アレナスの生涯を描いた映画(2000年の作品)だと相方が借りてきたDVDをいっしょに見た。タイトルがいいと思ったら主人公が書いた小説のタイトルなのであった。
レイナルド・アレナスという作家の名前もはじめて知った。アレナスは1973年にキューバの貧しい家に生まれたが、文章を書く才能があるのを教師が見いだす。
映画紹介サイトの〈解説〉によると、アレナスは14歳でカストロ率いる暴動に参加、62年までハバナ大学に通い、同時に同性愛に目覚めた。1980年にアメリカへ亡命。1987年にエイズであることがわかり、1990年に睡眠薬を多量に摂取して自殺した。

レイナルド・アレナス(ハビエル・バルデム)の貧しい子ども時代からはじまるが、成長するにつれいい男になる。友人やとりまきの美しい青年たちが出てきて美しい海で戯れたりの文学青年時代。友人が華麗なオープンカーでやってくる。ええ車やなあと歓声をあげると「エロール・フリンが乗ってた」と答えが。エロール・フリンっていい男や華麗な車の表現に使う普通名詞なのか。

彼の作品を認めてくれた文学者は国立図書館で働くようにいい、プルーストやカフカなどの必読本を貸してくれる。そして革命政府にとっては文学者はいずれ敵になるだろうと話す。その言葉どおりに弾圧がはじまり、文学と同時にホモセクシュアルであることで逮捕される。その寸前に偶然知り合ったフランス人夫妻に原稿を渡したのが、フランスで出版されてフランスにおける外国文学賞を受賞する。
脱獄しまた逮捕され刑務所で服役。ひどい刑務所だったが作家ということが知られて、服役者の手紙の代筆をする。手紙や原稿を外へ出すにあたっての手段がすごい。ジョニー・デップが熱演している。
独房やものすごい屈辱を受けた後にようやく出所。その後の生活で生涯の友となるラサロと知り合う。
カストロ政権による革命政府に不用な人間はいらないという政策により、ホモセクシュアルとして登録しアメリカへ亡命する。

原作を読まなくちゃ。

セイヤーズ読書会!

ヴィク・ファン・クラブの例会が参加者が少なく存続の危機が続いている。15年以上も毎月第4土曜日にはわたしがここにいて、話し相手になりますよという活動(?)を続けてきた。5年くらい前まではけっこうな集まりであった。でもどうやらそういうのって時代遅れなのかなと思えてきた今日この頃。楽しき雑談ってわたしは思っていたのだが流行らんのね。

今月は趣向を変えて「セイヤーズ読書会」をやることにした。最近よく参加するNさんの要望でもある。雑談ばかりじゃ満足感がわかないよねとわたしも気がついた。
ドロシー・L・セイヤーズの作品の中で、わたしらがいちばん気に入っている作品「学寮祭の夜」をテキストに語り合おう。
話し合っているうちに雑談に発展してしまうのがなんだが、ミステリだけでなくジェーン・オースティンのこと、セイヤーズ以後の作家のことなど、大筋ではセイヤーズにふれていたのでオーケーである。
少し遅れてもうひとりのNさんが来られて、昨日の読書会の報告やらミステリ新刊書のことやら話題に幅ができた。
そして、来月はきちんと読んできて真面目なセイヤーズ読書会にしようということになった。めでたし。

エイヴリー・エイムズ『名探偵のキッシュをひとつ』

昨日は考えが飛躍しておかしなところへ着地した。あれはわたしの妄想だがすごくうまく言い表していると思う。現実にはミクシィの「強い女」のコミュニティに翻訳ミステリの登場人物は女性探偵だろうとコージーの主人公であろうと出てこない。どちらにしても少数派なのである。運動をしている女性だって女性全般からすれば少数派である。
でも、彼女たちが世の中を変えていくのには間違いない。わたしらがジーパンと運動靴で開いた道を踏み越えて。

さて、本の感想。
主人公シャーロットはオハイオの小さな町プロビディンスで祖父から継いだチーズ店を従兄弟のマシューと共同経営している。祖父と祖母は第二次大戦後にフランスから移住して苦労の末にお店を開いた。シャーロットの両親は小さいころに自動車事故で亡くなっている。
この町は近所にアーミッシュのコミュニティがあって観光客が多く、しゃれたお店が次々と開店している。祖母は町長でありプロビディンス劇場の経営者でもある。
従兄弟のマシューは妻が勝手にイギリスに帰ってしまったので、双子の小学生姉妹を連れてチーズ店で働きだした。店員のレベッカはアーミッシュ出身の若い娘できびきびと働いている。バイトのボズは16歳のコンピュータの達人。店の経営が順調なので、これから別館をつくって販路を広げようと改装中。

近くのチーズ製造業者のジョーダンにシャーロットは惹かれている。まるでエロール・フリンのようないい男(なんでいまの時代にエロール・フリンなんかわからん)。
新装開店のパーティにたくさんのお客が来る。クリスティーンは次期町長に立候補しようと虎視眈々。夫のエドは女好きでいやなやつである。
チーズとワインが次々に出されてパーティは盛り上がっている。シャーロットは記者から質問を受けてこれからやりたいことを話して上機嫌。と、そこへ外の歩道からつんざくような悲鳴が聞こえた。エドが倒れており祖母が壁際にうずくまっている。放心状態で手が血に染まっていた。

祖母は逮捕されるが在宅拘禁ということで帰ってきた。町長選挙の日が迫っている。シャーロットは犯人捜しを始める。レベッカが助手をつとめる。直感で考えて警察署長を悩ましながらまっしぐら。

登場人物が多くて、普通に読むだけならすっとばしてすすむが、読書会となるとそうもいかない。面倒だが〈主要登場人物〉にもどっては、この人はなに屋さんかと確かめた。
犯人を突き止めるまでにあっちこっちと鼻をつっこむシャーロット。おばあちゃんは拘禁生活にいらいらして庭で道に向かって演説したり芝居の稽古をしたり。
(赤尾秀子訳 原書房コージーブックス 895円+税)

コージー・ミステリについて考えた

明日(27日)行われる関西翻訳ミステリ読書会で取り上げる課題本、エイヴリー・エイムズ「名探偵のキッシュをひとつ」をようやく読み終わった。コージー・ミステリを読書会で取り上げるって珍しいと思う。読書会の中心にいるKさんが筋金入りのコージー・ファンで、彼女はヴィク・ファン・クラブの会報にも「コージー・コーナー」ページを持っている。
わたしはコージー好きかと考えるとそうであるというにはあまり読んでいない。友人から借してもらって読んだのが多い。

さて本書を読んで考えるところがあった。ただ借りて読んだらさっと読んでおもしろかったというところだが、読書会でなにか感想を述べねばならぬ、ので考えた。

サラ・パレツキーと彼女の探偵V・I・ウォーショースキー(ヴィク)が1982年に世に出て今年で30年になる。日本で翻訳紹介されたのは3年後の1985年で、その6年後の1991年にヴィク・ファン・クラブが発足した。わたしはハードボイルドファンとしてサラ・パレツキーの本が出たときから読み、他の女性作家の本も読んでいたのだが、世の中の動きは違っていた。たくさんの女性たちに強い女性のナンバーワンとしてもてはやされ、その流れでファン・クラブ発足に発展していったのだった。

それからファン・クラブはずっと続いてきたのだが、わたしは世の中の動きが変わっているのに気がつかなかった。はじめてのSNS ミクシィに入ったとき、コミュニティに入ろうと探したときに「強い女性」というようなのがあり、そこであげられていた名前は主に日本のコミックの主人公たち(ナウシカや草薙素子など)で翻訳ものの女性探偵は入っていなかったのである。ということで、ヴィク・ファン・クラブにいる女性たちは普通でなく並外れた読書家ばかりであることに気がついた次第だ。

いま女性探偵ものは売れなくてコージーものが売れているという。女性探偵や女性警官でなくて、地元に根付いて暮らしを立てている女性。地方の小さな町でドーナツ店、チーズ店などの小売業である。元祖コージーのようであるクッキングママのシリーズはケータリング業である。
お節介で、お人好し、おしゃべり、甘いもの好き、おしゃれ、などなどが主人公の特徴である。

最近になって、脱原発の運動をしている女性たちと話したりツイッターやブログを読ませてもらっているけど、コージーの主人公たちと同じ感じなのだ。肩肘張らない自然体でおしゃれでセンスがよい。デモで浴衣を色っぽくあるいは子どもっぽく着こなしているのを見ると隔世の感じをもつ。昼はデモで練り歩き夜はクラブで踊る。理屈を言いつつ行動している。女子デモを企画し女子会をつくる。チラシやプラカードのセンスのいいこと、コージーの主人公たちのキルトや刺しゅうみたい。
昔の足元固めてジーパンでというのもきりっとしてよかったが、スカートを翻して素足にサンダルもよいものだ。

ロジェ・ヴァディム監督『危険な関係(’59) 』

原作の「危険な関係」(ラクロ)を読んだのはずっと昔のことで、澁澤龍彦あたりが紹介していたから読んだのだと思う。メルトイユ侯爵夫人という名前をずっと覚えているくらいに影響を受けた。徹底した悪女ぶりがすごい。

映画「危険な関係(’59) 」は製作されてすぐに日本で上映されたのだろうか。見たような気がしていたが、見ていなかったようでもある。ヌーベル・バーグ以前のフランス映画をいっぱい見ていた時代だ。
ジェラール・フィリップの最後の作品だということはいまはじめて知った。いま主な出演作品を見たら「危険な関係」以外は全部封切りで見ていた。

見たとはっきりいえるのは90年代にレンタルビデオで見たときだ。そのときは一言でいえばつまらなかった。音楽がセロニアス・モンクとアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズでそのときはわかっていたろうが、忘れたままだった。ただ若きジャン=ルイ・トランティニャンをいいなと思ったのは覚えていた。

さっき見たらびっくりするくらいよく覚えていた。全然つまらなくない。音楽がよくて画面とぴったり合っているところに感動した。ジャンヌ・モローの悪女ぶり、ジェラール・フィリップのモテ男ぶり、アネット・ヴァディムの色気のある清純さ、ジャン=ルイ・トランティニャンのおたくっぽい青年・・・登場人物みんなところを得ている。
ジャズクラブのシーンが長くて楽しめた。成熟した大人の社会であることが羨ましい。

トム・マッカーシー監督『扉をたたく人』

数日前から映画を見る気が起きてきて毎日のように(気持ち的に笑)見るようになった。といってもレンタルDVDでだが。
見たい映画をメルマガなどから調べたりツタヤで探したりして借りている。
トム・マッカーシー監督「扉をたたく人」(2008)は最初4館のみで公開されていたのが、最終的に270館に拡大し6カ月間にわたってのロングランになったそうだ。それがうなづける内容の映画だった。

コネチカット州で大学教授をしているウォルターは妻を亡くしてから、仕事にも張りがなく気力のない生活をしている。ニューヨークで開かれる学会にやる気がないが行かざるを得なくて出かけいく。彼はニューヨークにアパートを持っている。
アパートに入ると、アフリカ系の若い女性ゼイナブ(セネガル人)がお風呂に入っていてびっくりする。アラブ系の男タレク(シリア人)がもどってきて、ふたりは知り合いの紹介でここを借りたという。彼らが静かに出て行くのをウォルターは追いかけて家が見つかるまで同居するようにいう。
タレクはジャンベ奏者で、彼の叩くジャンベの音にウォルターは惹かれていく。ライブにも行き、公園でたくさんの仲間で叩くときにはグループに入れてもらう。ゼイナブがアクセサリなど小物を作って売っているところにも行く。
すっかり明るくなったウォルターだが、地下鉄の改札口でもたついたときに、警察官たちに囲まれタレクは不法逮捕される。911以来、アラブ系の人間に厳しくなっており不法滞在であることがわかって拘置される。タレクの母が電話が通じないのを不安に思ってやってくる。ホテルへ行く彼女を引き止めて部屋を提供する。ふたりで拘置所に行くが母は面会できない。タレクの不安は増すばかり。拘置所の職員の対応がやりきれない。

初対面のゼイナブと3人で船でマンハッタン島をめぐるところもよかった。ふたりともおしゃれして「オペラ座の怪人」を見に行くところも、緊張が場面が続く中ちょっと気が休まった。静かに恋が進行していくところもよかった。
最後のシーン。タレクがあそこでジャンベを叩きたいと言っていた地下鉄のプラットホームのベンチに座ってウォルターがジャンベを取り出し叩き出す。

関電前抗議集会をIWJ中継で

午後から雷雨があるようなことをラジオの天気予報で言っていたので洗濯は控えた。このところ毎日してるからまあええやん。午後に図書館と買い物に行ったが帰りにぼつぼつ降ってきてやがて雷も聞こえてきた。今日は関電前抗議集会の日である。わたしはヴィク・ファン・クラブの会報作りに追われているので欠勤。梅雨に入ってから疲れがたまっていてあんまり行ってないがIWJのユーストを見ていると現地にいるよりも情報通に(笑)。

ユーストをつけたままあれこれやっていたら7時半になった。裏口方面のコールが7時半に終わると帰る人が多いが、正面で行われている抗議集会はまだまだこれから。入れ替わり立ち替わりマイクを持って自分の意見や経験談を話す。女性も高齢者も若者も堂々としたものだ。おっと相方がしゃべってるやんか。もう7〜8回目になるから話すのも慣れてきたみたい。そのあともどんどん話す人がいて話しながら感極まって泣いている女性もいた。
最後にもじもじさんが「明日がある」を歌ってお開き。おっと、早くご飯を炊かなきゃ。

ケン・ローチ監督『やさしくキスをして』

ケン・ローチ監督の映画「やさしくキスをして」は題名ではわからない硬派な映画だった。(製作国イギリス/ベルギー/ドイツ/イタリア/スペイン)
スコットランドのグラスゴーにに住むパキスタン人一家の長男カシム(アッタ・ヤクブ)は妹の通うカソリック高校の音楽教師ロシーン(エヴァ・バーシッスル)と出会う。ロシーンは夫と別居中の進歩的な教師。
DJもするカシムはロシーンに積極的にアタックしてクラブに誘う。「仕事は何時から?」「9時から」「7時までに帰れるよ」てな具合。意気投合して彼女のアパートに行くが、つい家族のことを考えてしまう。
ロシーンがスペイン旅行に誘って楽しく遊ぶが、カシムは家のことや両親のことを考えて鬱々としている。
ロシーンは本雇いではないが上司は仕事ぶりを認めて正規の教師に推薦してくれる。でもそれにはカソリックの教区のえらいさんのサインが必要で、教区長はイスラム教徒の恋人がいるロシーンをなじる。上司はかばうが教育委員会の許可が得られず、宗教自由の学校に行かされることになる。
カシムは親の決めた婚約者がおり、親は庭に新しく彼らが住む家を建てている。カシムはロシーンにパキスタン人の悲劇を語りイギリスへ来ることを選んだ親たちの苦労を語る。ここでふたりは別れるのかと思ったが・・・
ケン・ローチの映画は恥ずかしながらはじめて見た。すごい監督だということがわかった。

わたしの大阪地図 千鳥橋

昨日「木下黄太講演会 7月17日 此花」があって、千鳥橋の此花区民ホールへ行った。千鳥橋へ行ったのは何十年ぶりになるかしら。西区に越してきた当時、散歩で足が伸び、気がついたら千鳥橋の駅のそばだったことがある。方向オンチの散歩は思っていなかったところへ着地する(笑)。それだって30年も前のことだ。そこから尼崎まで電車に乗って梅田行きに乗り換えて、千船で降りてみた記憶がある。長い散歩だった。
そのころの駅はまだ古いままだったからすぐにわかった。いまは高架になって駅前は知らない町にきたようだ。

ずっと昔、西淀川区で働いていたとき仕事でよく千鳥橋まで行った。通勤は梅田から阪神電車に乗り千船で降りた。会社から用事で千鳥橋に行くときは出来島駅から車両数の少ない線に乗った。あれは何線と言ってたかしら。伝法線? 検索したらアタリ! 千鳥橋には労働基準監督署と職業安定所があったように記憶している。阪神本線と同じ神崎川と淀川を越えるのだが、ずっと川下のほうになる。いまは千鳥橋から難波まで線路ができて、奈良や松阪まで行く電車を昨日見てびっくりした。いま路線図を見たら伝法(でんぽう)、福(ふく)、出来島(できじま)、大物(だいもつ)と懐かしい駅名が並ぶ。

職業安定所では友人が求人係をしていたので用事をつくって行ったものだ。世話好きな彼女のいうなりに横にちょこんと座って職の世話もしてもらった。結局は転職しなかったが。彼女は学者の卵と結婚したが若くして亡くなった。

今度は時間をたっぷりとってセンチメンタルジャーニーしようと思うが、いつも思うばかり。