P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』(1)

久しぶりに読んだダルグリッシュシリーズだが、書かれたのは古くてシリーズ4冊目である。調べるついでに全作品のタイトルをコピーしてきた。(○のついてるのが読んだ本)
1962年 女の顔を覆え
1963年 ある殺意
1967年 不自然な死体
1971年 ナイチンゲールの屍衣 ○本書
1975年 黒い塔
1977年 わが職業は死
1986年 死の味
1989年 策謀と欲望
1994年 原罪 ○
1997年 正義 ○
2001年 神学校の死 ○
2003年 殺人展示室 ○
2005年 灯台 ○
2008年 秘密 ○
わあ、読んでないのが7冊もある。えらいこっちゃ〜ぼちぼち読んでいかねば。
「死の味」は持っている人を知っているので貸してもらおう。
本書は亡くなった姉のを姪にもらってきたうちの1冊。

看護婦養成所の視学官ミス・ピールは1月の寒い朝早くジョン・カーペンダー病院の視察のために出かける。看護婦養成所はビクトリア朝式大建築ナイチンゲール・ハウスのなかにあった。看護婦たちが実技の研修を受けるところを視察するのだが、その日はピアス看護婦が患者の役で直腸食餌法が実践される。本当の病人なら栄養物を入れるところをこの日は温めたミルクが投与される。全員が見守る中でピアス看護婦はベッドから転がり落ち苦悶しながら息絶えた。

地元警察が調べているうちに第二の殺人がおこる。
朝起きてこないファロン看護婦の部屋へ行くと彼女はベッドで死んでいた。
そこでスコットランドヤードのアダム・ダルグリッシュ主任警視の出番である。このときはまだケイト・ミスキン警部ではなく、マスターソン巡査部長がついている。
ファロンの本棚にはダルグリッシュを含む現代詩人のコレクション、インディアン・ペーパー(どんな紙かしら)に印刷して、なめし革で製本したジェーン・オースティンの完全なひとそろいなどがあり、ダルグリッシュは自分たちは同じ好みを持っていたんだと思う。
(隅田たけ子訳 ハヤカワポケットミステリ)

アントン・コービン監督『コントロール』

この映画の存在を全然知らなかった。わたしがイアン・カーティスのファンであることを知っているT氏がDVDを貸してくださったのだ。70年代、イアン・カーティスがボーカルをやってたマンチェスターのバンド「ジョイ・ディヴィジョン」は、「クラッシュ」とともにいまでも大好き。レコードの時代の最後のほうだったと思うのだが、輸入版レコードを買って毎日聞いていた。CDの時代になってからやっぱり持っていたいとCDを買ったのを持っている。好きなジャケットデザインがCDサイズになったのがちょっと違和感あったけど。

自殺の知らせを聞いたときはショックだった。だれから伝わったのか覚えてないけど、シーンとした気持ちになったことをいまでも思い出す。1980年5月だった。

「コントロール」は、2007年のイギリス、アメリカ、オーストラリア、日本の合作映画。写真家アントン・コービンの初監督作品である。解説を読んでいたら、俳優たちがほんとに演奏をしていて、イアン役のサム・ライリーはボーカルをほんまにやっているのだ。ビデオやレーザーディスクで見ていたイアン・カーティスそのままのような歌いっぷりだ。はじめからぐんぐん引き込まれてしまった。

イアンとデボラは10代で愛し合い結婚して子どもが生まれた。昼は公務員として障害者のための求職センターで真面目に働き、夜にはバンド活動で狂わんばかりのパフォーマンスを見せすごい人気を得る。レコーディングやバンド活動の幅が広がり仕事を辞め音楽で生きていくことに。ベルギーで行われたアートイベントに参加してイベントの興行主のアニックと知り合いつきあうようになる。それはすぐにデボラにわかり、彼はふたりの間で揺れ動く。

妻と愛人との間で苦悩し、癲癇の発作と鬱病にも悩まされ、死を選んだイアン・カーティス。残ったバンドのメンバーは3人で新しいバンド「ニュー・オーダー」を結成し、いまにいたる。

クミちゃんとクミさん

昨夜は映画「コントロール」を見てからブログ(酒井隆史「通天閣 新・日本資本主義発達史」読了)を書いたんだけど、映画の影響を横において大正時代の大阪に向き合うのがちょっとしんどかった。今日はその本を図書館へ返しに行った。返却日が近づくと慌てるのはよくないけど、暑くてしんどいときによく読んだわ(自画自賛-笑)。このあとはミステリが待っている。

今日の午後は東京から友人がきて久しぶりのおしゃべり。30年くらい前によく大阪で遊んだ子で、仲間からは同じ名前のクミコを彼女はクミちゃん、わたしはクミさんと呼ばれていた。10数年前に一度うちへ来てくれて数時間しゃべったことがあったが、ほんまに長いご無沙汰だった。今回はダンナ様もいっしょ。フランスの女優みたいなろうたけた美人な彼女。楽しげな年下のダンナさん(実はうちもだが-笑)。一人娘さんは高校生だけどカナダに留学中だそうだ。
心斎橋で会って2時間ほどしゃべった。ブログを読んでくれてるし、ツイッターでフォローしあっているからたいていのことは知りあっているんだけど、元気な顔を見るのはまた格別だ。VFC BBSの話まで出てきたのにはびっくり。あのときは苦労したけど、会員外のひとにも影響(?)を与えたと思うと苦労した甲斐があったかしら。
もう一人の遊び仲間メグちゃんもいたらよかったのにな。
変わらないといってくれたけど、いくら髪を染めてもそれはねぇ(笑)。ただ遊び好きが変わらないのは自信あり。楽しい午後を過ごさせてもらってうれしかった。

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』読了

ふうふういいながら734ページを読み終った。暑さの中を読むだけで大変やったなあというのが感想である。

最後に心に残ったところを引用する。
逸見直造は訴訟をよく起こす人で、しつこい乱れ打ちの訴訟を行っている。
【問われるのは、主要には法廷での勝ち負けではない。玉川しんめいは、逸見直造の好む表現として「裁判に負けても負けへん」というものをあげている。裁判は、みずからの介入する力のゲームの結節点の一つに過ぎず、たとえそこで負けたとしても、ゲーム全体では勝利していることもある。逸見直造が身をもって表現する哲学とはこれだ。】

借家人運動のしたたかさ。
【帰国後の長屋経営失敗の経験から、〈払えぬものは払わなくてよい〉という「店子の思想」を編み出した逸見直造は、水崎町の家を借りるや、即座に悪徳家主との闘争を開始した。その家は「借家戦試練の家」と名付けられる。まさに占拠という直接行動を通して、身をもって借家人の権利はかくあるもので、かくして克ちとらねばならぬことを示そうというのである。】
こういう逸見直造の〈アメリカ/大阪横断的急進プラグマティズム〉がすごい。

大阪でのデモについても詳しい。
1920年(大正9年)に行われた「大阪史上初の大型デモ」といわれた府選要求大行進のデモコースは、中之島公園を出発して長堀通りで西に折れ四ツ橋筋を北上して梅田阪神電車前へと進んで梅田新道を通って中之島公園にもどったとある。

日本労働総同盟大阪連合会の別働隊と自ら名乗る野武士組の活発な活動、そして女給同盟についても知らなかったので勉強になった。
【女性とサービス業との問題を労働運動において先駆的に提出した女給同盟であるが、道は険しかった。】と結んでいる。

知らなかったことがばんばん出てくる。そしてそれは歴史の勉強ではなく、いまのデモをどう考えるか、女性問題をどう考えるかに繋がってくる。
最後のほうで釜ヶ崎を描いた文学作品と映画の話がまた出てきて、そのどちらも知らないことが多い。それらをこれから読んだり見たりは時間がないから本書で読んで知ったことで満足しておこう。
(青土社 3600円+税)

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』図書館貸出三回目

最初に手にしたのが6月の終わりで感想は「読み出した」と「読書は佳境に入っているが」を書いた。それから最後まで読んだんだけど、落ち着いて感想を書けないまま、二度目を借りて、また三度目を借りた。今度はちゃんと感想を書いて返したい。

小野十三郎からはじまって、文学、映画、将棋などで具体的に大阪の資本主義発展の様子がわかるように導いてきた長い導入部だった。いまようやく第四章「無政府的新世界」に入り、最初のタイトルが「借家人同盟、あらわる」である。
【〈大正十年二月十四日中ノ島中央公會堂に於ケル住宅問題演説会ニ際シテ暴漢ニ襲撃サレタル逸見直造〉の写真がある。この写真はあえて傷ついたみずからの姿をさらすことで、暴力に屈しない姿勢をアピールしているのだ。】
写真を掲載しているのは「借家人の戦術—借家法と借地法」という小冊子。逸見直造という傑出した人物が大阪で活動し、来阪していた大杉栄とも行動をともにしていたという。
1918年(大正7年)に起こった米騒動は今宮町(釜ヶ崎付近)天王寺公園(天王寺公会堂)を発火点として燃え盛った。人々は公会堂を埋め尽くし聴衆はみずから弁士となって演説を繰り広げた。竹槍部隊があらわれて米屋に放火したり火消しのホースを日本刀で切断したとある。ほんまにこんなことが大阪であったんや。

逸見直造の次男の吉三(当時16歳)は大杉栄の米騒動時の行動について語っている。このように大杉栄は運動の中にいたのだが、運動史に現れるのはここからあとである。
【事実の詳細は謎である。しかし、次のことは確認できる。すでに大杉栄は、それが悪夢であれ幸福な夢であれ、騒然性の時代にあって、生きたまま夢みられる人であったということだ。】

次の章では逸見直造について詳しく書いてあって、その合理主義が母親の考えで小学校を出たらすぐにアメリカへ渡ったせいだとわかる。彼は1899年に渡米し各地を転々としさまざまな職業につき1908年に帰国した。

紹介など簡単にできるものではないが、一種の熱気を持って読んだことだけでも伝えられたらいいな。
(青土社 3600円+税)

P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』(2)

コーデリアはバーニィが乗っていたミニでどこへでも出かけて行く。図体が小さいから人を訪ねるときにも停めやすい。
ケンブリッジでの聞き込みは同じ世代の男女と話ができて楽しいこともあった。
村へもどってコテージでマークが首をつっていたベルトを調べ、自殺でないことを確認する。庭の井戸をのぞいたとき何者かに突き落とされるが、必死で壁を這い上がりもう少しのところまでいくが蓋が閉まっている。死を覚悟してじっとしていると近所の人が助けてくれた。探偵は作品中に一度は危害を加えられるものだが、それにしてもようやるわ、コーデリア。

どっとクライマックスになって事件は終わる。とても複雑な事件だったがコーデリアは頑張った。マークのことを思いながらしたことと、レミングに告げる。謝礼金は支払われて一息つけそう。

そこへスコットランドヤードのダルグリッシュ警視から呼び出しがかかる。ダルグリッシュ警視は鋭いがコーデリアは頑張る。事件のすべてを調べあげたダルグリッシュはコーデリアから聞きだしたいことがある。22歳の女性探偵は頑張る。
事務所へもどると新しい依頼人が待っていた。

小泉喜美子さんの訳は小気味よく歯切れがよくて読みやすい。
(小泉喜美子訳 ハヤカワポケットミステリ)

P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』(1)

ずっと昔に読んだ本が姪の家にある姉の遺した本棚にあったのでもらってきた。ヴィク・ファン・クラブを発足させる前に読んでいたから21年以上前になる。もう一冊「皮膚の下の頭蓋骨」(1982)を読んだ覚えはあるのだがこれも全然覚えていない。
一昨年にアダム・ダルグリッシュ警視シリーズを数冊読んでP・D・ジェイムズのとりこになった。「女には向かない職業」(1972)を再読しようと思ったのもダルグリッシュ警視のおかげである。そのダルグリッシュ警視が本書に出てきたのにはびっくりした。ほんまにきれいに忘れていたので(笑)。

コーデリア・グレイという名前がまずステキ。リア王の娘コーデリアからとった名前である。彼女が生まれてすぐに母が死んだ。それ以来父親(旅まわりのマルキシスト詩人、そしてアマチュア革命家とコーデリアは説明する)と暮らすが養母は次々に変わり、学校の先生を困らせ、という具合で成長する。頭がよくAクラスであり大学の奨学金もとれたはずなのに16歳で父親の便利屋をするようになった。

探偵事務所長のバーニィ・プライドはダルグリッシュ警部の部下だったことがあり、警察を辞めてからも誇りにしていた。コーデリアは探偵仕事や銃の扱いを教えてもらいつつ彼のもとで働いてきた。
バーニィが癌を苦にして自殺したあと、引き継いで探偵事務所をやっていくことにする。コーデリアの想像の中の母は探偵は〈女には向かない職業〉と思っているのだが。こうして22歳の女性探偵が誕生した。

最初の仕事の依頼は自然保護に対する貢献でナイトに叙せられた高名なロナルド卿からだった。以前した仕事の依頼主からの紹介だったが、バーニィはこの仕事には絶対ボーナスがつくといっていた。そのボーナスがコーデリアの第一回の仕事となった。
秘書のレミングが事務所に来ていっしょにその屋敷を訪れる。ロナルド卿は「わしの息子が首をくくった。その理由を調べてもらいたい」と依頼する。

コーデリアは息子が住んでいた農園のコテージに住み込む。ここからマークの大学友だちからの情報を得るためにケンブリッジへ行く。
(小泉喜美子訳 ハヤカワポケットミステリ)

「8/4 ナツダツゲンパツ2012」に行った

今日のデモは【超巨大脱原発イベント+デモ「ナツダツゲンパツ2012」2012年8月4日(土)14時から大阪・西梅田公園!!!  レベル7の原発事故から僅か1年で再稼働。この暗闇で触れた手に、私たちは互いを発見し、太陽の下に溢れ出す。新しい関係、新しい習慣。今、踊れ!声をあげろ!ナツダツゲンパツ! 音は集まりデモになる。】なのであるが、歩かずに見送っただけやけど一応参加と数えて15回目。

午後2時から6時までイベントがありそれからデモ(元町中公園まで5キロコース)に出発の予定と聞いてそれは無理と思った。年寄りの冷や水はやめとこということで、4時から6時までイベントに参加して、デモを見送る。

公園にいた2時間はいろんな人と出会って楽しかった。近所の親子、久しぶりの友だち、デモで顔見知りになった人、去年関東へ引っ越したけどもどってきたアーティスト。
そして前回「6.24 イノチアクション@大阪」の主催者のお二人と会えたのもすごくうれしかった(わたしは缶バッジを買っただけだが、相方はデモの写真を提供した)。あのデモはユニークだった。次は大阪で10月に「アートデモ イノチアクション反原発・脱原発デモパレード in 大阪」をやるそうである。
フリーマーケットをやっていたので、また缶バッジを買い、みずみずしい野菜(トマト、キュウリ、オクラ)を買った。
ステージではずっとライブが続いている。東京からの松本さんの挨拶を聞きたかったのだが逃してしまった。最後のバンドの女性ボーカルが威勢がよくてよかった。「りんご追分」で踊る人が多数いて、わたしも手拍子、楽しかった。

そうこうしているうちに6時、東京からも参加しているドラム隊が調子を合わし出す。この心の底からわき起こってくる怒りと祈りのリズムがすごい。そして出発。

サウンドカーのDJ kihiraさんとmaikoさんの音を聞きながら歩きたい気持ちはあったんやけど、そこは抑えて・・・予定通り最後まで見送って西梅田へ出てシャーロック・ホームズでギネス! うまかった! ふだんは家で近隣野菜を食べるように頑張っているので、たまの外食がうまい(笑)。

SUBの夜は更けて

7月は行事が多くて精神的にも忙しく反原発関連や読書会もあってSUBのライブにとうとう行けずじまいだった。SUBに行きだしてから月に2度は行ってたのに・・・。
金曜日は竹田さんの日、今日行かないと忘れられる(笑)。

竹田一彦さんのギター、奥村美里さんのピアノ、千北祐輔さんのベースに、最後の2曲を長谷川朗さんのサックスが加わった。竹田さんと千北(ちきた)さんは初対面なんだって。
3人が弾き始めるとすぐに、ああっとまずわたしの体が喜んだ。体がさきにスイングしてる。奥村さんのピアノは久しぶりだったが繊細でいい感じ。千北さんのベースは頭で体で弾いている。こんなに動くベーシストははじめてだ。
3人とも全身でジャズをやっている。竹田さんがすごく機嫌良くリードしてギターの音がはじけてる。
そして長谷川朗さんが加わる。わたしが彼を好きなのは、サックスを持つときのうれしそうな顔だ。あんなにうれしそうに楽器に触る人を他に知らない。

お客さんもすごく楽しんでいい感じだった。はじめてのお客さんも来週も来るといって帰っていった。終わってからの会話も楽しく久しぶりの地下鉄最終電車になった。間に合ってよかった〜

政治と文学 ジュリアン・シュナーベル監督『夜になる前に』(2)

昨日は映画「夜になる前に」を見てすっかり興奮してしまい寝付けなかった。カストロ政権には好意を持っていたから、見ているときはえっという場面が多々あった。でも考えるまでもなく、文学はやばいものだ。新しく革命政府を打ち立てるためには文学は邪魔である。文学的なものも邪魔である。
アレナスの才能を認めて育てようとした先生が、軍部や官僚たちに節を曲げさせられるつらいシーンがあった。そういうふうにしていかないとキューバという小国がアメリカの鼻先で生きていけなかったのだろう。
アメリカへ渡ってせっかく自由になったのに、エイズに罹るなんてなんてことだ。