1961年の1月10日

昔の知り合いからメールが届いたもので、ジャズ喫茶のことなんか思い出したり、ついでに検索して遊んでいるうちに今日がなんの日か思い出した。51年前に大阪フェスティバル・ホールでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを聞いた日である。ものすごい衝撃を受けたんだけど、忘れるともなしに忘れていた。

ところが数年前にSUBに行ったとき、壁に貼ってあるアート・ブレイキーの写真を見て、西山さんにあのときわたしもあそこにいたと言ったらすごく喜んでくださった。それ以来、いろんなお客さんやミュージシャンに「彼女は1961年にあそこにいたんや」と写真を指差して紹介してくれた。毎週金曜日の竹田一彦さんとのデュオのときに竹田さんが「わしも行っとったで」と言われて、三人組みたいな感じになった(笑)。それでSUBへ行くとわたしはクミちゃんだった(笑)。

去年の夏に西山さんが亡くなられた。「暑い! 冷たーい水を呑んでください。 体に気をつけましょうね!」というメールが残った。
51年前に生意気な娘だったわたしはお金を工面して行ったアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズに熱狂したが、西山さんはあまりのすごさにジャズをやめようかと思ったと語っていた。ちょうど50年後にジャズベーシストとしての人生を終えられた西山さんに想いを馳せる夜、わたしは61年前と相変わらず心は生意気な娘(笑)。

SUBで、荘司幸恵Quartet+1

今年はじめてのSUBである。今日のメンバーは、荘司幸恵(P)、鈴木一郎(G)、財 盛紘(B) 中野圭人(D)、with 城下麻弥(vo)。
荘司さんのピアノをはじめて聞いたのはいま当ブログをさかのぼったら2008年8月だった。そのときは西山さんがチェロで加わっていた。はじめて聞いた荘司さんのピアノが陽気にスイングしていてびっくりした。それがいまや老練さまで感じさせる。財さんは当時18歳で初々しかったがいまや堂々とした共演ぶり。中野くんのドラムははじめて聞いたときから新人と思えない度胸とうまさを感じたが、ますますうまくなっていた。鈴木さんは最初から大人だったからいまも大人で穏やかさが持ち味。つまりとても素敵なカルテットになっている。そこに城下さんのヴォーカルが加わった。
個人的体験からなんだけど、おととしごろまで女性ヴォーカルにちょっと引くところがあった。女性ヴォーカルをあんまり聞きたくないと西山さんに言って「わかるけどな」と言われてほっとしたり(笑)。でも西山さんのまわりの若い女性の歌をそろそろと聞き、また個人的に話をしてたら、わたしの偏見は払拭されていた。みんな素直や〜
今日の麻弥さんの歌は去年聞いたときよりずっと成長していた。ということで、あらあら、今日はみなさんの成長ぶりを楽しんだ日だった。

終わってから30年前からこの店の常連であるA氏と話した。なんと同じ日の反原発デモに行かれていた! 話はハート=ネグリの「帝国」までいった。ああびっくり。この本の訳者のお一人をご存知で、わたしはその方が西梅田公園でデモの前に対談されたのを聞いたことを言ったが、ああ驚いた。

エドワード・D・ホック『サイモン・アークの事件簿 III』

「サイモン・アークの事件簿 I」では、語り手の〈わたし〉は第一作「死者の村」のときは若い新聞記者だった。七十三人の村民すべてが崖から飛び降りて死亡、という事件の村に取材に行き、そこで出会ったシェリーと結婚する。その後、ニューヨークで〈ネプチューン・ブックス〉の編集者になり、編集部長から発行人まで出世して退職している。〈わたし〉は作品毎に年を取っていくがサイモン・アークは相変わらずの姿で〈わたし〉を事件現場に誘う。(ここまでは「サイモン・アークの事件簿 II」に書いたのと同じ)

「サイモン・アークの事件簿 II」を読んでからちょうど1年経った。ふと3冊目は出るんだろうかと思ったことがあったが手にすることができてうれしい。

今回も最初の作品「焼け死んだ魔女」は〈わたし〉がサイモンと最初に出会ってから数年後の話である。
原子力時代が始まって10年以上経ったが、ニューヨーク州ウェストチェスター郡にはまだ占い師のマザー・フォーチューン(運勢の母)の言葉が通用する人たちがたくさんいる。そして彼女のことを魔女と非難する人たちもいる。
今回の事件では、現代の〈魔女〉は数世紀前の魔女裁判の審問官たちに羨望の叫びをあげさせるほどさかんに燃え上がる炎の中で死ぬ。サイモンと〈わたし〉はその事件に係わる。

仕事帰りにニューヨーク発の電車に乗っていた〈わたし〉がハドスンヴィル駅で電車を降りてからサイモンもこの電車に乗っていたと気づき声をかける。「きみはサイモン・アークだろう?」「もちろんだよ。数年ぶりだね」とサイモンは答えるが、電車から降りて〈わたし〉が見つけるのをわかっていたのでしょう。
サイモンはこれからハドスンヴィル女子大学へ行くという。公表されていないが、魔女を自称するマザー・フォーチューンが学生たちにある種の魔法をかけたため、3人の学生は死にそうだし40人ほどが病気にかかっている。それを解明するというのだ。もちろん〈わたし〉は同行する。大学へ行ったふたりは学長に話を聞く。マザー・フォーチューンは50年前に在学していたが喫煙のせいで退学になった。その恨みをはらすという手紙がきている。

魔女というテーマにとらわれて読んでいたら、最後に本当のテーマが現れる。それも最初にふれられていた「原子力時代が始まって10年以上経った」ことに関連があるのに驚いた。エドワード・D・ホックは新しい。
(木村二郎訳 創元推理文庫 920円+税)

エドワード・D・ホック『サイモン・アークの事件簿 III』続き

3冊目は出るかしらと心配したけど、ホックは短編集3巻分の作品を選んであったのだ。じゃあこれで終わりなのかしらと思ったら、続いて「それ以外にも訳者が好む作品があるので、第四巻は訳者が厳選した作品を集めてみるつもりである。」とあった。あと1冊出るのがわかってうれしい。
この短編集のおもしろいところは、1冊目から順に時代が新しくなっているのではなくて1冊ごとに時代順になっていること。だから3冊目の本書も最初のほうの語り手は若い〈わたし〉である。サイモン・アークは二千年も悪魔を追っているだから最初からあんまり変わらない。ずいぶんヘンな設定だけどすんなり受け止めて読めるのがすごい。

昨日紹介した「焼け死んだ魔女」の他に7つの作品が収められている。いずれも悪魔的な匂いのする怪しい事件だがサイモン・アークが合理的に解決する。ある作品の最後のほうに〈わたし〉の言葉がある。「悪魔との関係もなく、魂の取り立て人もなく、不変の三角関係があり、夫の死を望む女がいただけだ」、サイモンは答える「・・・悪魔の仕事を実行する魂の取り立て人だったんだ」。
(木村二郎訳 創元推理文庫 920円+税)

スパイク・リー監督『インサイド・マン』

久しぶりに見た痛快な映画、スパイク・リー監督「インサイド・マン」(2006)。「マルコムX」のスパイク・リーとデンゼル・ワシントンが組んで楽しんでつくったという印象を受けた。できる女弁護士役にジョディ・フォスター、刑事のキャプテン役に懐かしい美男子ウィレム・デフォー。頭の良い銀行強盗のリーダーがクライブ・オーウェン。
いつも言ってるけど、翻訳ミステリファンとしてニューヨークの刑事さんが2人組で出てくるとうれしい。相方がTSUTAYAで借りてきたのでおまかせだったのだが、あれ!うれしい!と身を乗り出して見てしまった。

マンハッタン信託銀行に銀行強盗という通報を受けて、刑事フレイジャーと相棒が駆けつける。フレイジャーは以前担当した事件で14万ドルの小切手紛失という失敗があり、今回は汚名返上のチャンスである。いっぽう、銀行の頭取りは貸金庫に秘密の品物が入れてあるのを守りたいと敏腕の女性弁護士ホワイトに頼む。犯人たちは従業員と客に自分たちと同じ服装に着替えさせマスクをさせて人質にする。

テンポよくはじまり、ユーモアのある会話がある。賢い犯罪者の相手をする刑事に思い入れして見ていた。
さすがスパイク・リーの映画だから、単なる犯罪や刑事たちの活躍だけでなく、銀行頭取の過去に迫ってさすがである。ちょっと年配になったジョディ・フォスターとデンゼル・ワシントンの丁々発止のやりとりがよかった。

PINE BROOKLYNにて PRHYTHM – AMAZON FUNK -  12/31の続き

YA△MAさんのDJがアマゾンを意識した音でどんどん盛り上げて行く。ステージのバックにはアマゾンをイメージして加工した布が張ってあって、それが照明でアマゾン川にも南米の地にも見えるONAさんの素晴らしいデコレーション。

8時、うしろに立っている人たちの厚みがぐっと増していくのを感じつつ座っていたら演奏がはじまった。パンデイロ(ブラジル風のタンバリン、ウィキペディアには「パンデイロ奏者としてはマルコス・スザーノが有名」とある)のマルコス・スザーノがギターのYOSHITAKEさんのほうを見ながら叩く音は不思議なリズムをかもしだして別世界へ連れていく。

今回の演奏にいたるまでにYUSHITAKE EXPEさんの公開リハーサルを秋から3回きいている。それぞれ共演者が違っていてそれぞれよかったけど、その集大成だ。
1ステージが終わったときには、ぺちゃんと座っていたので足腰が疲れて立ち上がった。屋上に出てワインを飲み、昔なじみのピンクさんが子連れで友だちのトトロさんと来ていたのでしゃべったり子どもの相手をしたり。雑貨と食べ物のコーナーでショールを買ったのが暖かい。

2ステージ目は後ろで立ってきいた。後ろの壁いっぱいに現在進行中の舞台が映し出されている。その前の空間で踊るひとたちがいて、すごくいい雰囲気。
10時で一応終わったが拍手でアンコール。ドラムの沼澤さんがすごいのりで叩いてYUSHITAKEさんが神懸かり的に弾きまくって、スザーノさんがこれでもかとパンデイロを叩く。よかった、よかった、来てよかったと友人たちと言い合い笑い合った。
前売り券を買ったらもらえる「YA△MA特製RAWチョコレート」がうまかった。
最後には足が疲れて友人たちとしゃべりまくっている相方をおいて、さきにタクシーで帰った。わたしには明日があるから(笑)。

ジャズ屋台、アラトーリさんのソロ、有音モバイル

5月20日午後に、京都の地下鉄(京都市役所前駅)の改札横と夕方から三条大橋東詰南でアラトーリ歳森彰さんの無音ストリートを楽しんだ。もう一度行きたいと言ってるうちに12月になって、あっという間に年末、ぎりぎり大晦日になって実現した。
【31(土)12pm正午-,1pm-,2pm-,4pm-,5pm-, ゼスト御池、御幸町広場でジャズ屋台、アラトーリのソロ、有音モバイル】
JRの普通電車で本を読んだり窓の外を眺めたりしながら京都着。2回目なので地下鉄に乗るのもさっさといけた。商店街ゼスト御池を歩いて行くといちばん奥の広場からピアノの音が聞こえる。地下広場には布を張ったパイプの小さなベンチが10個ほど置いてあり、道行く人はそこに座って聞いたり、待ち合わせに使ったりできる。
今日はヘッドフォンなしの演奏で「有音ストリート」。半年ぶりに聞く演奏はすごく自信に満ちていてわが道を往っているのを感じた。3歳くらいの子どもが気にするので親もしょうことなしに一緒に見ていたりでおもしろい。杖を持った高齢者のかたが座って足でリズムをとっておられたのがいい景色だった。

30分ほどで休憩になり、奥のレストランでアラトーリさんは定食をたのみ、わたしはコーヒーとケーキでおしゃべりした。ここのご主人が理解者だそうで、道具の置き場所を使わせてもらったりしているそうだ。
即興演奏のこと、ジャズは足が肝心だということ、わたしが行った昨日のライブのこと、原発事故のこと、吉本隆明の原発推進発言が「週刊新潮」に載っていること、ジャズ界のこと、などなど楽しい会話だった。

4時から今年の最終演奏はのりのりで始まり、ピアノを弾きながら口ずさむというか独り言というか、声を出しながら足で調子をとってピアノを弾く。足が肝心なんだ。
立ってピアノの前で見たらいいと言われてそうしたが、ピアノを弾いている前から見るって普通ないよね。おおいに楽しんだ。
子ども連れが楽しんで帰った後に、熟年の男性がひとり体で聞いている。声をかけたらときどき来ているとのこと。大阪からここだけに来たと言ったら、そういうひとがいると帰って妻に話すと言ってた(笑)。弾いているひとも聞いているひとも狂(笑)。

商店街が閉まりはじめた5時に終了。
京都の空気を吸うこともなく地下鉄で京都駅へ。帰りのJR普通車はロマンスカー(笑)新しい車両で気持ちよかった。大阪駅のイカリスーパーで買い物して帰宅。大晦日の夜は更けて行く。

PINE BROOKLYNにて PRHYTHM – AMAZON FUNK –

福島区のギャラリーPINE BROOKLYNでYOSHITAKEさんのライブがあった。ひと月近く前から前売り券を買って楽しみにしていたが、期待どおりに楽しかった。いま軽食を食べてお風呂に入ったところ。書けるところまで書く。

【ブラジルよりパンデイロの革命家マルコス・スザーノを迎えての年末スペシャルプログラム。変拍子+ポリリズムをテーマに、ギャラリースペースならではのインスタレーション、スペシャルなマーケット出店、屋上のTIPIやガーデンバー、新感覚な楽しい要素がいっぱい<前売りチケット購入の方には、YA△MA特製RAWチョコレート付き>】

出演者は、Marcos Suzano (Pandeiro) from Brazil、Numazawa Takashi (Drums) , Yoshitake EXPE (Space Guitar)、Takahashi Minoru (Drums) from nutron、Ieguti Shigeki (Synthesizer) from Para。そしてDJがYA△MA。

6時に着いて会場の2階へ上がると椅子がなくてだだっ広い部屋。横の部屋が雑貨や食べ物を商うコーナーになっている。階上は屋上だがいろんなおもしろいコーナーがあり、テントで飲み物を売っている。三日月が見えて、まわりの超高層ビルの明かりがまばゆい。

7時頃にはかなりの人が集まってきたので、いちばん前にショールを折り畳んでぺちゃんと座った。同じように座った女性としゃべりながら待つ。結局はじまったのは8時だった。演奏がはじまって座っているのはわたしだけ(笑)。

※1月2日に続く。

【大阪】放射能燃やしていいのか 住民説明会

正式には〈大阪に放射能がくるぞ (+_+) 燃やしていいのか放射能(ー_ー)!! それでいいのか大阪人! 【大 阪】住 民 説 明 会 〉。
おとといツイッターでリツイートされていたのを読んだら場所が西区民センターとある。すぐそばなので瓦礫問題を知るいい機会だと思って出かけた。どんな人たちが集まってくるのかなといつものヤジウマ根性もはたらいている。
着いたらもう人がいっぱいではじまるところだった。和室なので壁にもたれて座れるところを確保。広い部屋には女性がいっぱいで子どももたくさん。自己紹介ではやはり西区の人が多かった。男子は5人だったから1/10くらいの比率かな。マンションに入ったチラシを見た母にすすめられてきた姉妹がいた。

主催者の上木めぐみさんが司会進行をして、経済学の下地先生(ツイッターでモジモジさんとして知っている)が「放射能と暮らしのこと」というテーマで基調の話をされた。
内容は〈放射能ってどういうもの?:アルファ線、ガンマ線、ベータ線〉〈電離ってどういうこと:分子切断〉〈被爆ってどういうこと?〉〈内部被爆と外部被爆〉〈内部被爆の危険性〉〈どうして内部被爆は危険なの?〉〈つまり、まとめるとどういうこと?:内部被爆は少ない線量でも「まちがったカタチで修復される」危険性が相対的に高いということ〉〈どんなことに気を付けて暮らしたらいいの?:ゼロにしようと考えるより、「少しでも減らそう」と考えましょう〉〈個人として防衛する以上のこと:汚染を拡大しないように政府に働きかけることが大事です。〉
そのあとは途切れなく話が続く。府と市の計画では大阪に桜の花の咲くころには放射能が舞っているそうだ。大阪の人たちはぬるいと言う人もいた。

子どもの給食問題では、牛乳を断るのにアトピーが出たからと言ったという人がいた。弁当を持って行くことにしたお母さんは、先生に「持っていっていいですか」と聞くのではなくて「弁当を持参します」と断言したらいいとのこと。

上木さんは、瓦礫問題はもう話し合いの段階ではなくなっているので、みんなで子どもがダダをこねてテーブルをひっくり返すような感じでやろう。「放射能 いやや いやや」とダダをこねたらどうやろとおっしゃる。

最後のほうで若い男性が、311からずっと抱えきれない不安ではち切れそうだったけど、今日ここでみんなの話を聞いて元気づけられたとおっしゃったのが印象に残った。
最後には「みのお放射線はかり隊」(箕面市内の放射線量を測定している市民グループ)のかたから報告があった。

あちこちに電話をかけたと報告したひとが、すぐに資料をコピーして配ったりみんなすごくアグレッシブでやることが早い。先日の女子デモのときも思ったが、大阪の女子はすごい。大阪は母権制社会に移行してるとだれかがネットで言ってたのがほんまだとうなづける。
放射能と瓦礫問題の勉強をして、大阪の女子のすごさに感動できて有意義な午後だった。

「聴く」と「聞く」ことについて

この話題はピアニストのアラトーリ(歳森彰)さんのツイートからはじまった。
引用させていただく。
【私は「音楽をきく」が1980年頃は主に「聞く」だったのに「聴く」に変わってきたのを批判する。ぼんやりと「きく」時こそ、本当に音楽は「きこえて」くるからだ。 最近は「聞く:聴く」の関係が「男:男性」(その使い分けも批判する)みたいになってきている。(12月18日) Twitterから】

わたしが会報その他やネットなど人の目にふれる文章を書くようになってから20年くらい経つ。それまでは読むいっぽうで書くのは覚え書きくらいのものと手紙(これはたくさん書いたな)だった。うんと若いときは文学仲間と同人誌出していて評論(?)みたいなものを書いてたのと、登山仲間の会報に登山記録(?)を書いていた。
そういうことはご破算にして、ブログをやりだしてからは自分の考えていることを真剣に文字にしている。

本を読むことの次には音楽を「きく」ことがずっとあった。そういえば、1980年頃はパンク一辺倒の時代で、耳で「きく」というより体で聞いていて、ホールでは体をゆらし狭いところでは踊ったこともあった。ほとんどライブで音楽と自分がいちばん密着していた時代だ。
その前にはジャズを聞いていた。さきに「聴いていた」と書いてみたが、ジャズ喫茶で神妙な顔をしているときは「聴く」で、行きつけの店でしゃべったり笑ったりしてたときは「聞く」ほうだったな。体験としては「聴く」から「聞く」ほうへ向かっていた。

それから音楽に関しては暗黒の10年があった。公園猫にご飯を運んだ3年のあとにMacに夢中の時代がきてヴィク・ファン・クラブ、そして震災ボランティアと音楽と離れていた。CDでクラシックやアイルランドの音楽をきいてはいたんだけど。

ブログに音楽のことを書こうとすると、演奏者に敬意を表さなあかんと思って(笑)、「聴く」に統一してしまった。そうすると自分でも聴こうと思うようになり真剣な顔して聴いている(笑)。そしてなんかカッチョいいことを書いてやろうなんて思っている(笑)。ほんまここいらへんのことは笑ってごまかします。

今年はいまこうして考えていることの元になる素晴らしい体験をした。アラトーリさんの「無音ストリート」とYOSHITAKE EXPEさんの公開セッションだ。だからアラトーリさんのツイートにすぐに反応できた。