ヘニング・マンケル「背後の足音 上下」(1)

前作「五番目の女 上下」は去年の8月翻訳出版で、読んだのが10月だったから、今回7月発行は一年も経っていない。今回「背後の足音 上下」はそうそうに買ってきて読み出した。読み出したらやめられなくて先を急いで読み、いま二回目を読んでいるところだ。

プロローグは1996年のミッドサマーイブ(夏至前日)の夕方にに3人(4人のはずが1人病欠)の若者たちが自然保護区でパーティをはじめるところ。その前に不気味な男が彼らを見張る場所を決めている。
若者たちはそれぞれ茂みに隠れてカツラをかぶり衣装を整え、いま生きている時代から抜け出して18世紀の国民的詩人カール・ミハエル・ベルマンの時代の人となった。仮装してベルマンの音楽を流しワインを飲むピクニックがはじまった。笑い声が高まりまた低くなる。夜中を過ぎて3時過ぎ、サイレンサー付きのピストルを持った男は一人ひとりの額を一発で打ち抜いていった。そして計画していたとおり死体を片付けた。

8月になった。クルト・ヴァランダーはもうちょっとで自動車事故で死ぬところだった。居眠り運転をしていたのだ。喉が乾きトイレが近いしひどい疲れ感といまの出来事でおどろき、医院へ行くと血圧と血糖値が高いから糖尿病と言われる。

いままでも署を何度か訪ねてきて娘のことを調べてほしいと言っていた母親がまた来て、絵はがきを見せ、筆跡が娘と違うという。ミッドサマーイブをいっしょに過ごした友人とヨーロッパ旅行していると書いてある。その件で同僚のマーティソンとスヴェードベリと会議をしようとするが、スヴェードベリは欠勤で留守電にも出ない。

夜中に目を覚ましたヴァランダーはなにかを感じてスヴェードベリのアパートへ行く。閉まっているドアをナイフで開けるが、ひとりの行動を避けマーティソンを呼び出す。二人で中に入るとスヴェードベリが死んでおり、ライフル銃が投げ出されていた。つらい長い一日がはじまる。

スヴェードベリの遺品を捜すとミッドサマーイブの若者たちとひとりの女性の写真が見つかった。これで二つの事件が結びつく。なぜスヴェードベリは黙っていたのか。スヴェードベリの身辺を洗い出していくと、いままで知っていた彼と違う人間であることがわかっていく。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

ヘニング・マンケル『背後の足音 上下』(2)

ローズマリーとマッツは毎週日曜日に自然の中を散策するのを楽しみにしていた。彼らはその日、ハーゲスタの自然保護区に行くことにしてきちんと計画をたて、車にリュックと雨具を積んで出発した。平地を見つけて朝食を食べローズマリーは敷物の上に横になった。マッツは用を足しに茂みに入るが、そこで見つけたのは三体の遺体だった。
ヴァランダーとマーティソンは額を打ち抜かれ腐乱しかかっている遺体を見て言葉を失う。ヴァランダー「いまはどんな無理なことでも、やらなくちゃならないんだ」。この若者たちを家に連れ帰ることができなかったという思いが彼をさいなむ。

発見されたとき3人の若者たちはパーティをしている状態だった。鑑識課のニーベリは、遺体その他はどこか別のところに保管してあったはずだ、発見者がおととい散策に行っていたら見つけてないという。丹念な捜査で遺体が置いてあった場所がわかる。穴は4体入る大きさだった。

病気でミッドサマーイブに参加できなかったイーサが自殺しようとしたところをヴァランダーは助ける。親にかまわれない孤独な娘にパーティのことなど聞きだすが、イーサは病院を抜け出す。ヴァランダーは彼女を捜してペルンスー島へ渡る。島の郵便配達人ヴェスティンのボートに乗せてもらうが彼と話していると疲れがとれていくような気がする。イーサはこの島にある家におり、二人は長い時間話し合って気持ちよくそれぞれの寝室に引き上げるが、翌朝イーサは黙って家を出ている。島を探すとパジャマ姿で岩陰にもたれて射たれていた。

この本を読む直前にノルウェーで連続テロ事件があった。本書は1997年に書かれている。
マーティソン刑事の言葉。
【でも、時代が変わったんです。われわれの気づかないうちにスウェーデンは変わったんです。暴力は自然なものになったんです。われわれは気づかないうちに見えない一線を越えてしまったんです。若い世代はみんな確固たる地盤を失ってしまった。もはや彼らになにが正しいか、なにが間違いかを教える者がいないんです。】

事件が終わってヴァランダーの思い。
【ヴァランダーの前には、頭がおかしくなって、どこにも居場所が見つけられず、最後には彼自身制御できなかった暴力を爆発された男が座っていた。精神鑑定で判明したことがもっとあった。家族にもネグレストされた子で、なにか問題につきあたったら隠れて避けることしかできなかった。そして笑っている人間に耐えられなかった。】
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

サウンドデモ出発前まで

今日はサウンドデモの日、午後2時に間に合うように出発して会場の西梅田公園へ。いつもと同じ西梅田駅なのだが地下鉄を降りて左折するとまるで別世界。地上へ出ると、元中央郵便局の建物と新しい大阪駅が見える。その反対側を進むと劇団四季の入り口があり、ザ・リッツ.カールトン大阪があり、その向こう側に公園があった。ここがどこか見当がつかない。見渡すと公園の横に「出入橋のきんつばや」と書いた壁。それでようやく場所がつかめた。福島西通り、出入橋、桜橋と続く通りがあったところだ。会社勤めのころ、きんつばを買って帰ったことが何度かあった。

公園は高速道路の下にあって日が当たらないし風が通って涼しい。2時からライブがはじまり、その後にリレートークと対談という段取りで4時に終了して4時半にデモ出発である。
ライブの間にだんだん人が増えてきた。前をどこかで見たような顔が通ってもどってきた。10数年前に知ってた女性だ。わたしが豊中市の女性会館のようなところで、ミステリについて講演(?)したときに来ていて、2年ほどつきあっていたひと。対談がはじまったときにはツイッターで知り合った初対面の男子がきた。昔の知り合いといまからの友だちとデモで会う。また楽しからずや。

リレートークは井戸謙一(弁護士、元裁判官)、平賀緑 (Midori.info – 持続可能な食とエネルギー)、原口剛 (Urban-Social geography) 八木美砂子(子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク) さんの4人で、いま実際に動いている人の生の声を聴けてよかった。

対談は、モブ・ノリオ(作家)さんと、酒井隆史(社会思想研究) さんと、司会が知り合いのDJ Handaさん。どんな話になるだろうかと真っ正面に座って聞いた。モブさんはのりのりで話したが、場を盛り上げようとされる気持ちが先に立っていたように思う。酒井さんはつぼをおさえた話ぶりがさすが。handaさんはお二人と以前からの知り合いで、自然な話ぶりがよかった。

肝心のデモはさぼりました。新旧の友人とその他のひとにさよならを言ってまっすぐに帰宅。

「関西翻訳ミステリー読書会」に参加

大阪駅前のビルの一室で行われた、第三回関西翻訳ミステリー読書会に誘われて参加した。課題書は前にも書いたとおりドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」。月曜日にアマゾンから届いたのを昨日までにフルスピードで読み終わり、昨日はここに一応感想を書いた。

夕方、会場へ行くと受付があって、会費を払いお茶のペッドボトルをもらって奥の部屋へ。数人の方が座っておられた。翻訳家・作家・評論家の木村二郎さんがおられたので10数年ぶりの挨拶をした。お元気そうでよかった。
ぐるっとテーブルを並べて円に座るようになっている。時間どおりに始まり、一通り自己紹介を終えてから、課題書について好きなところなどを話す。わたしは付け焼き刃のフアンなので、これといって話すことがなく聞くばかりだった。もうちょっと早く本を手に入れて、内容を自分のものにしておかないといけません。

二次会は桜橋のアウトバック・ステーキハウスへ。「ストリート・キッズ」の舞台がニューヨークということでアメリカ風ハンバーガーが食べたいと選んだ店だそうだ。運ばれてきたのはベーコン・チキン・バーガー、リブ・オンザバービー、フライドオニオン、フライ盛り合わせとサイトを見ながら確認しているが、まだあったかも。とても食べきれないでもったいなかった。いまもお腹いっぱい。店内にはU2の曲が鳴り響いていたがライブだったのかな。異文化に接してびっくりだった。

いろいろと雑談できて楽しかった。翻訳家の越前敏弥さんが二次会に来られていて、わたしが「夜の真義を」の「真義」を「信義」と間違ってブログに書いていたのを、ツイッターとブログで謝ったのだけど顔を見て言えてよかった。
細美遙子さん、ニキリンコさんともお話できてよかった。

ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』

おととい「ドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」読み出したらおもしろくて」を書いた。今日で読み終わったので、明日の読書会の前に感想を書いておこう。

ニール・ケアリー・シリーズ(5作)東江一紀訳 創元推理文庫
「ストリート・キッズ」(1991)「仏陀の鏡への道」(1992)「高く孤独な道を行け」(1993)「ウォータースライドをのぼれ」(1994)「砂漠で溺れるわけにはいかない」(1995)
いつ全部読めるかな。ウィキペディアには「ジャンルはソフトボイルド・タッチの探偵」とあった。そういえば最近あまり聞かないが、昔ソフトボイルドという言葉があったなぁ。わたしはハードボイルドミステリがちがちなんで、最初のほうをちらっと読んで柔らかいと判断しちまったのかも。

物語は私立探偵ニール・ケアリー23歳の大仕事なんだけど、プロローグとしてなぜニールがこういう境遇にいるにいたったかの説明がある。11歳のニールは父を知らず麻薬中毒の母と暮らして、スリやかっぱらいで暮らしている。ある日バーに座っている男の上着のポケットから財布を盗んでつかまる。つかまえた男グレアムはターキーサンドをおごってくれた。そして次のときに機転を利かせたニールを見所ありとして仕込むことにする。

見張りや尾行などの探偵仕事をしっかりと仕込んで助手として使えるようになると、グレアムは自分の雇い主を教える。ある銀行内にある調査機関「朋友会」はずっと以前から顧客の要請に応じて調査と解決を図ってきた。
キタリッジは朋友会の頂点におり、ニールが仕事のできる青年であることを認め、ニールをトリニティ校へ通うようにする。カレッジで英文学を学びだしたニールは厳しい教師にディケンズを読むように勧められる。

いまやコロンビア大学院生になったニールは、大学の試験の前の日に新しい仕事を依頼される、上院議員の失踪した娘アリーの捜査である。大学は休学の手続きをしておくとキタリッジは約束する。
ロンドンでのじっと待つのも仕事の日々、やがて麻薬漬けのアリーを見つける。
ロンドンのパンククラブ、そしてヨークシャーへ。
(東江一紀訳 創元推理文庫 800円+税)

ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』読み出したらおもしろくて

先週の土曜日にジュンク堂で買いそこねて、帰ってからアマゾンに注文したドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」が月曜日の朝に届いた。金曜日に「関西翻訳ミステリー読書会」に誘われて出席するのだが、その日の課題書である。1993年初版でそのあと続けて作品は翻訳されているのだが、なぜか1冊も読んでいなかった。

とにかく当日までに読んでしまおうとしているのだが、最初のほうの印象があまりよくなくて、発刊されたとき手に取って合わないと思ったに違いないと思った。ところが強制的に読んでいくと、100ページを過ぎたあたりからだんだんおもしろくなった。主人公の少年ニールは不幸な環境に育つが、最初にぶつかった大人が彼の能力を伸ばして、自分の助手として使うようになる。ニールは頭が良くて読書好き。ディケンズを読んで、自分のまわりの大人を理解する。ここまでくるとどんどん読み通せそう。

教師に読まされた「オリヴァー・トゥイスト」をニールは2日間徹夜して読んだ。感想文を読んだ教師は「大いなる遺産」、つぎに「ディヴィット・コパフィールド」を渡してくれた。感想を口ごもるニールに「きみの言いたいことはわかる」「それでいいんだよ」。ここだけでも読んでよかったわ。いま評判の「サトリ」に無関心だったが読みたくなった。

「福島の子ども達を救え小児科医ネットワーク」の放送をユーチューブで

7月7日の日記は〈「福島の子ども達を救え小児科医ネットワーク」と山田真さん〉というタイトルで書いた。
7月5日の夜、ケーブルテレビ「朝日ニュースター」8時からの「ニュースの深層」で医師の山田真さんと上杉隆さんの対談があった。わたしはケーブルテレビに加入してないので見られなかった。それでミクシィ日記で見た人は報告してほしいと告知したら、Hさんがわたしへのコメントとご自分の日記に丹念な報告を書いてくださった。それをヴィク・ファン・クラブの会報に転載させていただいたのを読んだ会員のTさんがユーチューブを見つけた。そのツイートをさっき読んで、見たところである。
「福島の子どもたち 放射線の影響と健康状態は?」 1〜3まである。

ドキュメンタリー映画『ダーク・サークル』はユーチューブで見られる

ビデオの整理をしていたら30年前のドキュメンタリー映画が出てきた。「DARK CIRCLE 1982/アメリカ AUG.1987(10ch録画)完全版 字幕」と几帳面にシールが貼ってある。キャノンのワープロを使っていたころだ。テレビで録画しつつ見てそのまま押し入れにしまい込んで以来見てなかった。たしか原発の映画だってことしかわからないで再見。

30年前のアメリカにおけるプルトニウム汚染と放射能反対闘争を描いた映画だが、まるでいまの福島を見ているようだ。プルトニウムは安全というダマし文句だって同じだ。説明会で政府・会社側の美貌のできるタイプの女性が集めた人たちを強弁で説きふせる。日本にもこんな評論家がいたっけと思い出した。

ある男性の話は、娘さんのちょっとした怪我が治らないので病院で診てもらうとガンとわかり、足を切断するが、その後死亡。子どもに早く影響が出るのだ。
また違う話で、その地にある家を売って子どものいる家庭が去って行く。小さな子どものいない人に売りたいと言っていたが、結局、買い手は幼い子どものいる夫婦だった。その地についてなんの説明もせずに売り手は去って行った。

ひとりの女性が近所の家々を回って話し合いましょうと呼びかけ、座り込みデモまで発展するが警察に排除される。
最後には完成した原発工場に欠陥がいろいろ見つかり操業ストップになる。さすがアメリカというべきか、日本だったら早急に対処して操業開始になりそうだ。

SUBとPANORAMAでストレス雲散霧消

昨夜は台風の大雨を心配しながら寝たのに、ぐっすりと朝まで熟睡。窓を全部閉めて扇風機をかけたから静かだったせいかな。目が覚めたら雨かと思っていたのに天気だ。テレビニュースでは四国や和歌山県の水害を映しているのに。
なぜかすごく体調が良くて、午後から会報を綴じるいちばんいやな仕事もすいすいして送れるようにした。晩ご飯は蕎麦と作り置きの野菜ですませSUBへ。

今日のSUBはとても楽しかった。こんなに気合いの入ったいい演奏を客数が少なくほんまにもったいない。なじみの客ともっといろんな人に聴いてほしいねと言い合ったが、どうしたらいいんでしょうね。それはヴィク・ファン・クラブの例会にも言えるが、いいものが評価されない時代なのでしょう。めんどくさい、理屈っぽい、辛気くさいとか思われるんだろうな。でも、今日聴いた人は熱中して聴き満足した。ほんとにジャズが好きな人たち。

その後タクシーでパノラマへ。タクシーはめったに乗らないけど、午後に中腰で頑張ったから階段の昇り降りなどを考えて用心した。
今日はパノラマ手芸部の日でマッサージもある。はなちゃんと久しぶりに会ったし、さきちゃんのDJ久しぶりだし、Aさんと話したらニューヨークに住んでいたときは毎日ジャズクラブへ行ってたそうで、今度SUBへ連れて行ってほしいと。ちょうど仕事の時間とぶつかるので、いつか行けるときに連絡しあうことになった。
その上にマッサージをしてもらって目がきっぱりと気持ちよくなった。なんか音楽と開放感で葬儀のストレスが雲消霧散した感じ。
帰りに辛いもんやギロチンの前を通ったら、お腹が空いていたので、ちょっと立寄りトマトスープスパゲッティと枝豆とビール。完璧なストレス解消となった。

親戚の葬式 台風6号は明日か・・・

お昼前に家を出て葬式の会場へ行った。台風がきたらどうしようと心配していたが、いい案配に雨がときたま降るだけだった。これならいけるとタクシーはやめて駅から歩きはじめたら、途中の家の庭でクマゼミが激しく鳴いていて、なんとなく安心した。

故人はサッカーを高校、大学、社会人と続けて、Jリーグができる前のことだけど、一度は社会人で天皇杯まで勝ち続けたことがある。最後に負けて杯は手にできなかったけど。その試合のビデオが会場に映し出されていた。サッカー関連の方がびっくりするほどたくさん来てくださったのは、故人がよく後輩の世話をしたからだろう。
火葬場がけっこう遠くてバスでの2往復は時間をくったが、道中の田んぼや池や公園の景色を見ていたら飽きなかった。

そうそう、昨日に懲りて、今日はタイツと膝のサポーターをしていったらオーケーだった。雑談中に冬物の下着を着てきたとか、レインコートを膝掛けにできてよかったとかの声が。すこし年を取るとだれでも冷えるんだから。

帰りくらいに台風がくるかと心配したが、どうやら大阪は明日になるらしい。街路樹がときたま激しく揺れている程度だ。四国からの参列者がおられたが帰りの交通はどうされただろう。