ロジャー・ミッシェル監督『ヴィーナス』

土曜日だし家にいるし映画でも見るかと探したら、ピーター・オトゥールが出ているのが見つかった。おお、なつかしき「アラビアのロレンス」(1962)!! 見た映画ってこれだけかと思ったら「ラスト・エンペラー」では家庭教師をやっていた。
ロジャー・ミッシェル監督の映画はジュリア・ロバーツとヒュー・グラントの「ノッティングヒルの恋人」(1999)を見ている。「ヴィーナス」は2006年の作品でこのときピーター・オトゥールは75歳。老人になっても美しい瞳は相変わらず。

クレジットに脚本ハニフ・クレイシとあったので思い出した。彼の小説を3冊(「ぼくは静かに揺れ動く」「ミッドナイト・オールデイ」「パパは家出中」)読んでいて、このブログの〈カテゴリー:イギリス〉に感想が入っている。「マイ・ビューティフル・ランドレット」の脚本も書いてたんだ。

モーリス(ピーター・オトゥール)は元俳優で近所に住む俳優仲間のイアンともどもいまも老人役でお呼びがかかる。今回も死体役をやって現金で支払ってもらう。イアンは田舎から姪の娘ジェーン(ジョディ・ウィッテカー)を頼まれて居候さすが、魚の料理などとんでもなくて、腹が立ってしかたがない。モーリスは彼女の良さを見抜き夜の町やランチにつれて歩く。前立腺の手術をしたが精神的に女好きなのである。
別れた妻(ヴァネッサ・レッドグレーブ)としみじみとした会話。古びた家の修理費がいるだろうともらった出演料の袋を渡すと、なんとかなるからと半分返してくれる。
手に職のないジェーンにモデルの仕事を世話したり、服を買ってやったのに持ち合わせがなくて恥をかいたり、ほんまに色気のあるじいさんである。

最後は悲しいけど、モーリスは好きなことをしたからいいんだと悲しくならない。リアルに老人を描きながら楽天的な脚本がいい。

ロバート・アルトマン監督『ゴスフォード・パーク』

ロバート・アルトマン監督「ゴスフォード・パーク」(2001)のDVDをYさんにいただいた(最近は借り物と貰い物が多い)。ロバート・アルトマンの名前はなつかしいが調べたらあんまり見ていなかった。
「M★A★S★H マッシュ」(1970)、「ロング・グッドバイ」(1973)、「ポパイ」(1980)「フール・フォア・ラブ」(1986)くらいかな。あとは見たような気がするのだが覚えていない。

「ロング・グッドバイ」が大好きで映画館で見たあとにレーザーディスクを買って何度も見た。20年くらい前に出した10号で終った手書き個人紙「キャット・クラブ・ニュース」に「ロンググッドバイ」特集号がある。エリオット・グールドがフィリップ・マーロウ役で、なんと猫を飼っている。その猫がカレー印の猫缶でないと食べないので、深夜にドラッグストアで探している。そんなことを書いて喜んでいた。

「ポパイ」にはヘンな思い出がある。当時仲が良かった友人カップルと4人でOS劇場で見たのだ。Aさんが行きたがったのはアルトマンの映画だったからだろうか。とにかくケッタイな映画でアニメでなく実写のポパイなのだ。オリーブ(シェリー・デュヴァル)の実写がマンガそっくりでおかしかった。いやまあヘンな映画だった。
以上、前置き。

1932年のイギリス、雨の降る郊外の道を車が走っている。伯爵夫人(マギー・スミス)が運転席と主人席を隔てているガラスを叩いて、魔法瓶のふたが開かないというと、助手席の召使いメアリーが車を止めるようにいい、雨の降る中を後部へまわってふたを開けてわたす。すぐにそびえ立つゴスフォード・パークの屋敷が見えてくる。ここでキジ撃ちとパーティが催されるのだ。ゴスフォード・パークの主人マッコードル卿は工場を経営する金持ち貴族で、彼から援助を引き出したい貧乏貴族もきている。アメリカから映画製作者も到着した。
迎えるのは客だけではなく、客にはそれぞれ使用人がついている。玄関から入るのは客で使用人は別の入り口から。
屋敷の上のほうには客がそれぞれの部屋に落ち着くと、使用人たちは地下の使用人の部屋が与えられる。食事のテーブルに座るのは各主人と同じ席順で名前も主人の名前で呼ばれる。上の廊下と階段でつながる下の廊下を使用人たちは歩き回る。

たくさんの客と両方の使用人たちの群像劇である。上ではゆったりと食事とおしゃべりに興じているが、下では上の彼らを快適にするための靴磨きや洗濯やアイロンかけと絶えず用事がある。
だが、使用人たちにも楽しみが・・・それは主人たちのゴシップ、そこまで言っても大丈夫ってこっちが気になるくらい。そして使用人たちの間にも階級がある。

マッコードル卿が死体で発見される。このあとはクラシックなミステリー調でいかにもイギリス人らしい警部が取り調べにあたる。

ヘレン・ハント監督・製作・主演『いとしい人』

ヘレン・ハントは「恋愛小説家」で、ジャック・ニコルソンの相手役でアカデミー主演女優賞を受賞した。感じのよいウェートレスの役で好感を持った。
今夜見た「いとしい人」(2007)は彼女が監督・製作・主演した映画(原作がエリノア・リプマンの小説『見つかっちゃった』)である。
すごく言いたいことがわかる映画だった、共演の俳優も知り合いたちが好意を持って参加したという感じ。

エイプリル(ヘレン・ハント)はユダヤ人の家庭の養子で弟は実子である。
39歳で小学校教師をしており夫ベン(マシュー・ブロデリック)も同じ学校の教師だが、突然ベンが別れようと言い出す。そしてその翌日は養母が死亡。
夫のクラスまで掛け持ちすることになったエイプリル、忙しくしているとそのクラスの生徒をフランク(コリン・ファース)が迎えにくる。フランクの妻は家出したので二人の子どもを育てているのだ。
エイプリルの実母(ベット・ミドラー)が突然現れる。15歳のときにエイプリルを産み養子に出したが、いまはテレビに出ている有名人だ。母と子の葛藤がいろいろあるがだんだんわかりあっていく。
フランクとも仲が深まるが、エイプリルは別れた夫の子を妊娠していることがわかる。彼女が病院へ行って診察椅子に座ったとき横にはフランクとベンが付き添う。その後に流産。
弟に相談すると養子をもらうか実母にお金を出してもらって人工授精したらどうかという。人工授精をしてからエイプリルはフランクに謝りにいく。
最後のシーンは遊び場にいる子どもを呼び寄せるエイプリル。彼女が抱きよせたのは東洋系の女の子だった。
コリン・ファース扮するフランクがまっすぐに怒り、まっすぐに愛するところがよかった。

マイケル・ウィンターボトム監督『キラー・インサイド・ミー』原作ジム・トンプスン

原作がジム・トンプスンだからこの映画は手強いでと、見たいと思うときがくるまで置いてあった。ようやくマイケル・ウィンターボトム監督がどういう映画にしているか気になりだして今日見ることにした。2010年の製作。※本のタイトルは「内なる殺人者」、映画のタイトルは「THE KILLER INSIDE ME」

10年くらい前だったかジム・トンプスンにはまったときがあった。そのときに買った本を押し入れから引っ張り出した。6冊あったのでタイトルを書いておく。せっかく出したのだから当分身近に置いておこう。
「内なる殺人者」(1952)村田勝彦訳 河出書房新社
「失われた男」(1954)三川基好訳 扶桑社文庫
「グリフターズ」(1963)黒丸尚訳 扶桑社文庫
「ポップ1280」(1964)三川基好訳 扶桑社
「鬼警部アイアンサイド」(1967)尾之上浩司訳 ハヤカワポケミス
「ジム・トンプスン最強読本」(2005)小鷹信光ほか著 扶桑社

舞台はテキサス州セントラルシティ、だれもが顔見知りの田舎町、石油会社の経営者コンウェイが町のボスである。ルー・フォード(ケイシー・アフレック)は真面目で平凡な保安官助手。ある日、コンウェイに命令されて町外れの一軒家を訪ねる。ここに住む娼婦にコンウェイの息子が入れあげていて困っている。その女を町から出て行かせよとのことである。出てきた女ジョイス(ジェシカ・アルバ)は怒ってルーの顔を平手で叩く。そのときルーの中のなにかが目覚めた。彼はジョイスを殴り倒しベッドで獣のように交わる。それから何度もジョイスを訪れるうちにルーの内面がだんだん変わっていく。

見られたり関わりができた人間を無情に殺してもいつもの外見を保ち、前からつきあっている教師の恋人と結婚の約束をしているが、周りの人間にもだんだんおかしく思われるようになる。
ルーは自分の部屋の中ではオペラのレコードをかけ、ピアノを軽快に弾いているが、最初はいい感じと思っていたのがだんだん鬼気迫ってきて、どうなるやらと画面から目が離せない。
最後まで休む暇なく話がすすんでいく。
軽快な音楽が流れる画面ではほっとした。
新しい感覚のきっぱりした映画だった。

スティーヴン・ダルドリー監督『めぐりあう時間たち』

「めぐりあう時間たち」(2002)をはじめて見たのは2004年で、なんとテレビで見ていた。<a href=”http://kumiko.sgy3.com/blog/2004/12/post_622.html”_blank”>文学少女の生き方「めぐりあう時間たち」</a>。
それから9年近く経ったが、その間にビデオで2回見て、今日はT氏に貸していただいたDVDで4回目を見た。しみじみよかった。

1941年のイギリスのサセックスで入水自殺したヴァージニア・ウルフを、ニコール・キッドマンが入魂の演技でやっている。疲れ果てた表情で「ダロウェイ夫人」を書いているシーンや考えているシーン。その時代に女性が作家であることの大変さが夫と女中たちとの日々の暮らしをとおして描かれる。
子どもたちを連れて会いに来ていた姉が帰るとき、ヴァージニアはきつく抱きしめて唇にキスをする。

1951年のロスアンゼルスの中産階級の家庭で、ローラ(ジュリアン・ムーア)は傍目には幸せそのものだ。小さな息子がいて次の子を妊娠中。夫はローラを少女時代から知っていて、内気な彼女を自分が幸せにしたいと思ってきた。ローラが朝起きてこなくても文句を言わない。ローラのベッドには「ダロウェイ夫人」が置いてある。
近所に住むキティが訪ねてきて入院するからと犬の世話を頼む。ローラはキティを抱きしめてキスをする。なにげなく帰って行くキティ。ローラは息子リチャードを預けて車でホテルに行く。ここで薬を飲んで死のうと思ったのだができなかった。
ローラはその後、女の子を生み、その後に家族を置いてひとりで家を出た。

2001年のニューヨーク。名の知れた詩人のリチャードはエイズに罹って不自由な生活をしている。ずっと彼の世話をしている出版社の編集者クラリッサ。二人は若いときに知り合ってつきあっていたが、すぐにリチャードに男性の恋人ができる。
クラリッサには長いつきあいの女性の伴侶がいて、人工授精で産んだ成人した娘がいる。その生活のかたわら、リチャードの世話をしてきた。
リチャードはクラリッサのために死なないで生きてきた。リチャードの本が賞をとったのでパーティをしようとクラリッサは張り切るが、リチャードはもう心がもたない。彼はクラリッサの目の前で窓から飛び降りる。

夜遅く訪れたのは、カナダからやってきたかつて家族を捨てたローラ、年老いたが毅然としたローラだった。

スティーヴン・ダルドリー監督『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

「リトル・ダンサー」(2000)「めぐりあう時間たち」(2002)「愛を読むひと」(2008)に続く「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2011)。この4本でスティーヴン・ダルドリー監督の映画を全部見た。
映画の前はずっと舞台の仕事をしてきて、ロンドンオリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の総合プロデューサーをつとめたそうである。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は9.11で父親を失った少年の物語で、同名の原作(ジョナサン・サフラン・フォア NHK出版)の映画化。
「リトル・ダンサー」の少年が素晴らしかったが、今回もよかった。

オスカー(トーマス・ホーン)は9.11アメリカ同時多発テロで最愛の父親を失う。自分に閉じこもったオスカーは父(トム・ハンクス)のクローゼットで小さな花瓶を落として壊してしまう。その中に封筒に入った鍵があった。封筒に〈ブラック〉と書いてあったのをヒントとして電話帳でブラックという名を調べ、一人ずつ訪ね歩く。
母(サンドラ・ブロック)との間に溝ができる。近くに住む祖母とすこしつながりがあるのだが、ある日、祖母の謎の同居人(マックス・フォン・シドー)と出会う。同居人は話すことができないので筆談しながら二人は街を歩き〈ブラック〉さんを捜す。二人旅でお互いを知っていくところがよかった。オスカーは謎の同居人は祖父ではないかと推理する。

とにかく少年が可愛くて賢くて一生懸命で素晴らしい。母親はどうするかと見ていたら、とても素晴らしい母なのであった。
最初の〈ブラック〉さんが連絡してくれて、彼女の別れた夫を訪ねるのだが、そのエピソードもよかった。とにかく真面目な映画だった。

スティーヴン・ダルドリー監督『愛を読むひと』

雨が降ってるし、しっとりとした映画が見たいなと探し出した。「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー監督だから間違いないと「愛を読むひと」(2008)にしたら、思った通り心にしみる映画だった。貸してくださったTさんに感謝。
原作はベルンハルト・シュリンク「朗読者」(新潮文庫)。

1958年のドイツ、ノイシュタット。15歳の少年マイケル(デヴィッド・クロス、成人後はレイフ・ファインズ)は下校中に体調が悪くなり、通りかかったアパートの入り口でうずくまる。そのアパートに住む市電の車掌のハンナ(ケイト・ウィンスレット)が助けてくれ、その礼を言いに行ったときから、二人の関係がはじまる。マイケルは毎日学校帰りにハンナの家に通うようになるが、本の朗読を頼まれ、セックスと朗読の日々を過ごす。じっくりと入浴場面や朗読場面が描かれて、彼らはどうなるのかこちらも手に汗をかいた。自転車一泊旅行でランチを食べると店の女性が「お母さんとご一緒でいいですね」なんて言う。すぐにハンナにキスするマイケル。学校でクラスメートたちとつきあわないし、家でも家族からヘンな目で見られている。

数カ月後に突然ハンナは姿を消す。
マイケルは成長して法科の学生になった(大学の先生ブルーノ・ガンツがいい感じ)。体験学習でナチスの裁判を傍聴することになったマイケルは被告席にいるハンナを見て驚く。彼女は第二次大戦中に捕虜収容所で働いていて、たくさんの囚人たちをガス室へ送っていた。
他の被告たちがハンナに罪を押し付ける。裁判官は書類のサインで筆跡鑑定をしようとするがハンナは拒否。実はハンナは文盲だった。そして彼女一人が無期懲役となる。マイケルは悩むがなにもしなかった。

結婚し娘が生まれ離婚したマイケルはやり手の弁護士。昔の本を見つけてカセットテープに吹き込みハンナに送る。だいぶ経ってハンナから礼の手紙がくるが、片言の短いものだった。それで、ハンナが文盲ということがわかる。ハンナは朗読された本を図書館で借りて、単語を組み合わせた文章を書いたのだ。
それからまた月日が経ち、ハンナは釈放されることにり、身寄りがないためマイケルが身元引き受け人に選ばれる。マイケルはハンナに会いに行く。
釈放される日にマイケルが花を持って行くとハンナは自殺していた。溜めてあるお金を収容所で生き残った母子に渡してほしいと遺書にあった。

マイケルは被害者に会うためにアメリカへいく。豪華な住まいの彼女はお金はいらないけど、入れてある古いお茶の缶を受け取る。ここでマイケルははじめて心に秘めていたことを話すことができた。
娘を連れてハンナの墓に行き彼女にすべてを話そうというところで終わり。

サリー・ポッター監督『愛をつづる詩(うた)』

2004年のアメリカ=イギリス映画、原題「Yes」
最初のシーンはロンドンの高級住宅から、いやいや夫(サム・ニール)と晩餐会に出る北アイルランド出身の“彼女”(ジョアン・アレン)が描かれる。“彼女”と夫はかつてリベラルな思想を持つ仲間だったが、いまは夫は政治家であり現実を肯定している。科学者の“彼女”は若いときからの思想を失っていないという自負している。アメリカへ渡った両親の代わりに“彼女”の面倒をみた叔母はマルクス主義者で、学校はカトリックだったので矛盾の中で育った。宗教を持たず科学を信じて生きてきたのが自信になっている。

美貌の“彼女”は食事中も愛想笑いくらいはするが孤立している。給仕の“彼”(サイモン・アブカリアン)が声をかけ、二人は恋に落ちる。
“彼”はレバノン人で元は外科医だった。手術が成功した患者がすぐに敵側の人間に射殺されてしまう。それで医者であることをやめてロンドンへ来て調理場で働いている。
とても美しいラブシーンが続く。

しかし、調理場内での喧嘩が元で白人の上司にアラブ人差別の言葉を投げられクビになる。“彼女”から電話があってもつれなくなる。話し合うために会うが結局は“彼女”は白人であるから、酷い言葉の応酬になる。
レバノンにもどった“彼”は旧友と会ったり、働いていた病院へも行ってみる。

叔母が死んで病院へ行った“彼女”は叔母の言葉を聞く。
ふっきれたように“彼女”は叔母が行きたがっていたキューバへと旅立つ。
キューバでひとり海辺に行き海岸を走る毎日。
ホテルで憩う“彼女”のところへ“彼”がやってきた。
「Yes」

“彼女”役のジョアン・アレンは「ジェイソン・ボーン」シリーズに2回目からから4回目までパメラ役で出演していた。

ジェームズ・L・ブルックス監督・脚本・製作『恋愛小説家』

1997年製作のずいぶんと評判になった映画で、見に行きたいと言いながら行かず、レンタル屋に行こうと言いつつ行かずに終っていた。いろんなもので読んでいるからストーリーも知っているし。とはいえ、ジャック・ニコルソンの恋する男の表情を見るだけでも見てよかった。なんせ16年前の映画だからゲイの青年のあつかいがちょっとぎこちない。

メルヴィン(ジャック・ニコルソン)はベテランのロマンス小説作家で、たしか62冊出したとか言ってた。極度の潔癖性ですぐに手を洗うが、洗面所には石けんがいっぱい入っていて一度使うとすぐに捨ててしまう。
ランチを食べに行くのもナイフとフォークを持参する。気ままな客でウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)が食事を運んでくるのが気に入っている。

隣の部屋に住むのがゲイの画家サイモンと小さい犬で、メルヴィンはじゃれてきた犬をゴミ箱に放り込むなど、諍いが絶えない。
強盗に入られたサイモンは大けがして入院。メルヴィンは犬を預かることになる。犬と仲良くなるメルヴィン。
キャロルには喘息とアレルギーの病弱な息子がいて母親と3人暮らし。キャロルは看病で店を休むとメルヴィルは彼女の給仕でないとご飯が食べられないので、編集者に頼んで優秀な医者をキャロルの家に派遣する。

入院費がかさんで親に援助を頼むより仕方なくなったサイモンを車に乗せ、メルヴィンとキャロルはボルチモアへ連れて行く。二人は着替えて出かけせっかくのロマンチックムードになったのにレストランで喧嘩。ホテルにひとりもどったキャロルの背中を見たサイモンは絵を描く気持ちが復活して、親に会うのを取りやめて画業で頑張ろうと決意。

家にもどると住まいを失ったサイモンを当分のあいだ同居人にすることに。
そしてサイモンの言葉に励まされて真夜中キャロルに会いに行く。
朝の5時に開くパン屋にパンを買いに行こう。

サリー・ポッター監督『タンゴ・レッスン』

「贅沢貧乏」という森茉莉の本のタイトルを思い出した。いまのわたしの映画状況はまさに「贅沢貧乏」という言葉がぴったり。貧乏しているけどある方のおかげでわたし好みの映画が見られる。こんな贅沢なことはない!!

サリー・ポッター監督の映画は「オルランド」と「耳に残るは君の歌声」の2本を見ている。2本ともよかった。あと1本「愛をつづる詩」は未見だがここにある。計4本で全部らしいので少ないなと思ったら、映画だけでなく音楽やダンス方面でも活躍されているのがいまわかった。

「タンゴ・レッスン」(1997)は、サリー本人が映画監督サリー・ポッターの役で出ていてタンゴを習って踊る。細くて力強くて美しい肉体。
レッスン1からレッスン12まで物語がある。

サリーは自作映画の構想を練っている最中である。映画全体は美しいモノクロで、構想部分はカラーで現される。
考え疲れてたまたま入った劇場でパブロ・ヴェロンが踊っているアルゼンチンタンゴを見る。サリーは見惚れてしまい、タンゴを習おうとパブロを訪ねる。
自室の床を工事することになり、サリーはブエノスアイレスへ行きレッスンを続ける。
タクシーの運転手の言葉が印象に残った。
「精一杯生きろ、そして苦しめば、タンゴがわかる」

パリにもどったサリーはパブロに会いに行きレッスンを頼むと、練習したなとパブロが言い、二人の仲は熱くなる。そして二人ともユダヤ人ということでいっそう親しくなる。
ときどき構想中の映画シーンが入る。その脚本を持ってハリウッドへ行くサリーを送っていく飛行場のエスカレーターのシーンがよかった。

パブロが踊るフレッド・アステアみたいな部屋の中でのタップダンスもよかった。
だが、やっぱりタンゴだ。人生を語り踊るのがタンゴだなとつくづく思った。