ジェームズ・アイヴォリー監督『黄金の嘘』

ジェームズ・アイヴォリー監督の作品を続けて見ている。今夜はヘンリー・ジェイムズ晩年の長編小説の映画化「黄金の嘘」(2000)を見た。イギリスのお屋敷を舞台に濃密な人間関係を描く2時間を超える大作。

アメリカの労働者階級から身を起こし成功した億万長者ヴァーヴァー(ニック・ノルティ)の清純で無邪気な娘マギーはもうすぐ結婚する。相手は無一文のイタリア人アメリーゴ公爵だが、彼には以前貧しいアメリカ人の恋人シャーロット(ユマ・サーマン)がいて、しかもシャーロットとマギーは幼なじみだった。
アメリーゴとシャーロットの関係を知っているのは友人のファニー(アンジェリカ・ヒューストン)だけ。彼女はマギーに真実を知らせないほうがいいと判断した。
ヴァーヴァーはヨーロッパで美術品を買い集めていて、いずれニューヨークに美術館を建てたいと思っている。彼はシャーロットと結婚し毎夜彼女に夢を語る。
こうしてヴァーヴァーとシャーロット夫妻、アメリーゴとマギー夫妻は仲のよい家族であるが、娘は父に依存し過ぎ、シャーロットはアメリーゴに執着し〈夫の娘の夫=昔の恋人〉と不倫関係となる。

ロンドン社交界の花となったシャーロットだが、アメリーゴに執着し続ける。マギーは夫への猜疑心が大きくなっていく。
どうなるのかと心配したが、アメリーゴは妻と息子とともにローマで暮らすことにし、シャーロットはヴァーヴァー氏といっしょにアメリカに美術品とともに渡る。

ニック・ノルティ大好きなのだが、こんな役をしたのを見るのははじめてかな。ざっと出演映画を見たら「48時間」「3人の逃亡者」「48時間PART2/帰って来たふたり」「ロレンツォのオイル/命の詩」「狼たちの街」くらいだが、タイトルを忘れているのがあるからもっと見ているはず。

キャメロン・クロウ監督『あの頃ペニー・レインと』

キャメロン・クロウ監督は15歳でロック評論家としてデビュー、16歳のときには「ローリング・ストーン」誌で最年少のライターとして活躍していた。「あの頃ペニー・レインと」(2000)は、レッド・ツェッペリンのツアーに同行取材した自身の実体験を元にした映画だ。

ウィリアム(パトリック・フュジット)は父が亡くなってから教師の母と姉との3人暮らし。勉強がよくでき飛び級で2年上のクラスにいる15歳。母親はこども達に厳しい。反抗した姉が家を出て行くときにベッドの下にたくさんのレコードを置いていってくれる。
姉の「蝋燭をつけて聞きなさい」とメモのついたレコードを聞くウィリアムの幸せな表情。彼は演奏ではなく〈書く〉ことでロックミュージックシーンの中で生きるようになる。

バンドの取り巻きの少女たちの中でも特に美しいペニー・レイン(ケイト・ハドソン)がウィリアムを引き回してくれて、彼は原稿を書く許可を得る。
バスで演奏旅行を続けるバンドメンバーとの交流、ライブシーンや終了後のミュージシャンたちとのやりとりがさもありなんという感じで楽しい。

ギタリストのラッセルとペニーはつきあっていたが、ニューヨークには彼女がくるからとペニーは捨てられる。睡眠薬を飲んだ彼女につきそうウィリアムは愛していると告白。
実家にもどったウィリアムは母もものわかりがよくなり、姉も母と仲直りする。
ペニーはずっと行きたいと話していたモロッコへ一人で行く。

見終わって思った。ラッセルは〈ロックをやり〉ウィリアムは〈ロックを書き〉ペニーは〈ロックのように生きた〉のだと。

ジェームズ・アイヴォリー監督『日の名残り』

カズオ・イシグロの原作は翻訳されたときに買って読んだ。それからすでに訳されている本を数冊読んだ。なんと!この日記には1冊もカズオ・イシグロの本の感想が出てこない。いま調べたら「女たちの遠い夏」(1982) 「浮世の画家」(1986)「日の名残り」(1989)「充たされざる者」(1995)を読んでいる。このブログを書く前だ。

映画が公開されたときは行きたいと思ったのだが、映画を見る習慣がなくなっていたのでやっぱり見に行かなかった。レンタルビデオも借りないままに今回のご好意DVDの登場となった。昨日のもだが、こういう映画を見ることができた幸運に感謝。

小説と映画は違うと検索したブログで読んだが、小説を読んだのは昔のことなので、いつか読み返してみたいということで映画のことを書く。

イギリスのお屋敷ダーリントン・パレス、その建物にいたる緑の中をくねくねと続く道をぴかぴかの自動車が走ってくる。運転手がさっとドアを開け、屋敷の前には執事が迎えに立っている。

持ち主のダーリントンが死んで譲られた跡継ぎは屋敷を維持できず競売にかける。屋敷はアメリカ人ルイスの手に渡り、執事のスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)もいっしょに引き取られる。
昔ここで働いていた女中頭のサリー(エマ・トンプソン)からの、また働きたいという手紙を読んだスティーブンスは、新しい主人のためにサリーを推薦する。主人はサリーに会いに行くというと自動車を貸してくれる。

スティーブンスは出発する。そこから回想がはじまる。
1930年代、ナチスが台頭してきたころ、英、独、仏、米の代表がダーリントン・パレスに集まって国際会議を開く。
完璧な執事の彼は主人の命を受けて主人のために働いてきた。副執事の父親が倒れても仕事のほうが大事だった。
ダーリントンはイギリス人として誤った方向へ進んでいたが、スティーブンスは会議の内容など気にするゆとりも頭脳もなく仕事に没頭する。楽しみは安っぽい恋愛小説を読むことだった。

ガソリンがなくなって世話になった酒場での会話で、村人たちに政界の要人と面識があったなどと話してしまう。ガソリンを譲ってくれた医師は彼が雇われる側の人間だと理解した。翌朝ふたりでいるときに、スティーブンスはダーリントン卿のもとで働いていたことを話す。医師に「君自身の気持ちは?」と訊ねられ「わたしも過ちを犯した、それをただすための旅をしている」と答える。サリーをほんとは愛していたのにどうしていいかわからなかったのが彼の過ちだったのだ。

サリーとレストランで20年ぶりに会って屋敷にもどってくるように頼む。サリーは娘にこどもが生まれたと聞いたばかりで、こちらにいたいと思い返したという。
「もう会うことはないでしょう」とバスに乗るサリーを見送って、スティーブンスはダーリントンに帰る。
ダーリントンでは主人の家族がアメリカから来るので従業員一同大忙しである。女中頭も新しく採用し、村の娘たちを女中として雇うことが決まった。

ジェームズ・アイヴォリー監督『シャンヌのパリ、そしてアメリカ』

ジェームズ・アイヴォリーの映画3本目は予告編を見て気になった「シャンヌのパリ、そしてアメリカ」(1998)。原作はケイリー・ジョーンズの小説。

冒頭のシーン、お腹の大きい少女がお腹を慈しみつつ日記を書いている。
やがて生まれた子ブノワは縁あってパリに住むアメリカ人、夫は作家(クリス・クリストファーソン)、美しい妻(バーバラ・ハーシー)と娘シャンヌ(成長後をリーリー・ソビエスキー)の家族の養子になる。
ブノワ(成長後ジェシー・ブラッドフォード)は生まれてから里子に出され、受け入れた養母が死んで孤児院にいたのをこの家庭が受け入れた。
父と母に愛されて育つ息子を実の母は見て、いつか息子に読ませてほしいと日記を託す。

丁寧に学校生活が描かれる。男友だちもできるがボーイソプラノが素晴らしい子でその母(ジェーン・パーキン)も風変わりで美しい。
やがて父親が体調を崩したのをきっかけにアメリカへもどることになる。1970年代のアメリカの高校生活になじめない姉と弟。だが、父の愛はこどもたちに伝わる。

父親亡き後、なにもせずにテレビを見ている弟に実母の日記を母が手渡す。冒頭のシーンをここで納得。

バーバラ・ハーシーは「ライトスタッフ」「ナチュラル」の大好きな女優。髪型をいままでに見たことのないボブにして、会話の中で「夫がリタ・ヘイワースが好きだと言ったのでわたしが紹介されたのよ」と言っていた。

ジェームズ・アイヴォリー監督『上海の伯爵夫人』

2005年の英米独中の映画、カズオ・イシグロの脚本で、1936年の上海の夜の世界が舞台。重要な日本人役マツダを真田広之が演じている。撮影がクリストファー・ドイル。

ヒロインのロシアから亡命してきた元伯爵夫人ソフィアをナターシャ・リチャードソン(ヴァネッサ・レッドグレイヴと映画監督トニー・リチャードソンの娘、2009年没)が演じている。そしてヴァネッサ・レッドグレイヴとその妹リン・レッドグレイヴがソフィアの家族の役で出演している。

ソフィアは娘や家族を養うためにクラブで働いている。夜中働いて朝帰り、椅子で仮眠していると朝になりベッドが空いてようやく横になれる。出勤の準備をしていると家族から化粧しているところを娘に見せないようにと言われる。

ジャクソン(レイフ・ファインズ)は元外交官で、事故で娘を失い自分は失明してあてのない毎日を送っていたが、クラブでソフィアに親切にされて彼女を気にするようになる。競馬で当てた彼はクラブ「The White Countess」を開店し、ソフィアを店の中心に据える。
毎夜ジャズやシャンソンやダンスで享楽の上海の夜が続くが、なにかが欠けているように思い、ジャクソンは客のマツダに打ち明ける。マツダはこの店に足りないものは政治的緊迫感だと言い、その後は共産党、国民党、日本人が遊びにくるようになる。マツダの不気味さを真田広之がよく出している。

ようやく昔の知り合いと連絡がつき、ソフィアの一家は香港へ行けるようになるが、その費用はソフィアがジャクソンに出してもらったお金である。そして、金額不足としてソフィアひとりが取り残される。泣き叫ぶ娘を発見してソフィアは抱きしめる。

戦火のちまたになった上海の町を人々は逃げまどっている。自動車で出かけたジャクソンは行き詰まり人力車に乗り換え、そして歩いて杖をなくす。
なんとか会えたジャクソンとソフィアと娘は寄り添って上海を脱出する。

リチャード・ロンクレイン監督『たった一人のあなたのために』

製作総指揮が俳優のジョージ・ハミルトンで、彼の少年時代の思い出がベースになっている2009年の映画。ロード・ムービー。
タイトルからはどんな映画かさっぱりわからなかったが、見終わったときは親子3人を応援する気持ちになっていた。
1953年のニューヨークが最初のシーン。
一日早く帰ったアン(レニー・ゼルウィガー)が見たのはジャズ・ミュージシャンの夫(ケヴィン・ベーコン)が若い女と浮気している現場だった。そのまま銀行へ行って夫の貸金庫からお金を全部出して、次男に札束を渡し自動車を買ってこさせる。少年がキャデラックを買うシーンがおもしろい。

二人の息子がいるが長男(マーク・レンドール)は父親が違う。いつも刺しゅうしかけのワッコを手放さない女性的なところがある少年。次男(ローガン・ラーマン)は作家志望の賢く目端の利く少年。
3人はキャデラックに乗ってボストンを目指す。アンの目的はいい男と出会って再婚すること。

ボストンからピッツバーグへ、そしてセントルイスへと移動するが、男性のほうが金目当てだったり、ちょっとアタマがおかしかったりと、アンが思ったようにはいかない。バーで声をかけた男が刑事で誤解されて留置所に入れられたり。自動車に人を乗せて料金をもらうことにすると反対に有り金をとられたり。

最後にロスアンゼルスへ出てきて安い部屋を借りて住む。ここにきてほんとに自立心が生まれた。夫が復縁を頼みにくるが、いまのままでやっていくと断る。
ハリウッドでアンと長男が映画のエキストラをしているが、うまく撮影所のえらいさんの目につきチャンス到来。しかし長男は演技がだめで、練習中にやってきた次男が替わってやってみせたら、みんなが注目。次男はハリウッドスターへの道を歩み、長男はもともと好きだった衣装係のほうへ。

マーク・ハーマン監督『ブラス!』

イギリスの北部ヨークシャーといえば、レジナルド・ヒルのダルジール警視たちを思い出す。おまけで、ブロンテ姉妹やA・S・バイアット「抱擁」の新旧の恋人たちがロンドンから訪れていたことを思い出す。
そういえば、ヒルの作品にヨークシャーの炭坑が出てくる「闇の淵」があった。
映画「リトル・ダンサー」の父と兄は炭坑労働者で長いストライキを闘っていた。
1960年ごろ、わたしは友人の女子3人で争議中の三井三池炭坑に走った。夜行列車に乗って朝方大牟田に到着し工場に入って、なにかお手伝いしたいと言った。炭住(炭坑労働者の住宅)に泊めてもらって、炊事当番の助手をしつついろんなところを見て歩いた(ホッパー前で撮った写真がある)。

「ブラス!」(1996)はヨークシャーの炭坑労働者たちのブラスバンドが予選を勝ち抜き、最後はロンドンのロイヤル・アルバートホールで演奏し優勝するまでを描いた映画。
その過程で炭坑の閉鎖が決まり、先行き不安の中でバンドの解散までいきそうになり、賭けのかたに楽器を預けた者もいる。指揮者が喀血して倒れ、見舞いに行った息子に知り合いが死んだときは肺が真っ黒になっていたと話す。自分もそうなるのをわかっているのだ。病室の窓の下にみんなが集まり演奏するダニーボーイの哀愁溢れる演奏がよかった。
息子のほうは3人のこどもがいて借金地獄で、それなのに楽器が壊れて新しいのを買い、妻子は出て行ってしまう。高利貸しになにもかも取られてがらんとした部屋。彼は首を吊るが見つけられて助かる。
この町で育った娘が大学を出てビジネスマンとしてこの炭坑にやってきた。彼女は祖父がやっていたとバンドに入りコンテストへの戦力となる。彼女はまだこの炭坑は石炭があるという主張をするが、会社側の廃坑計画はすでに決まっていて、手続きとして彼女に仕事をやらせていた。彼女は会社を辞め、退職金(?)をコンテストのために寄付する。

炭坑存続についての投票は退職金の割り増しなどで切り崩された組合側が破れる。
しかしブラスのコンテストに出ようとみんなが集まる。堂々と素晴らしい演奏をして勝ち残り優勝するのだが、そこへ病院を抜け出して現れた指揮者は、我々にはトロフィーは不用とサッチャー攻撃の大演説をする。帰りのバスでは「威風堂々」を演奏。
マーク・ハーマン監督やバンドの指揮者役のビート・ポスルスウェイトは炭坑労働者を支持し続けたと映画紹介ページにあった。
サッチャーが亡くなって間もないいま、この映画を見たのもなにかの縁かな。この映画を見たのは二度目だけど涙ぐんでしまった。

マーク・ハーマン監督『スプリング・ガーデンの恋人』

マーク・ハーマン監督の作品は、ブラス! (1996)、リトル・ヴォイス(1998)、シーズンチケット(2000)を見ている。イギリスの地方都市に生きる人々を描いてしみじみした気持ちにさせてくれた。「スプリング・ガーデンの恋人」(2003)の後の「縞模様のパジャマの少年」は、孤独なブルーノ少年が強制収容所と知らずに入り込んで縞のパジャマを着たユダヤ人の少年と親しくなり、最後は他のユダヤ人と共に「シャワー室」に入ってしまう。というアイルランドの作家ジョン・ボインの小説(岩波書店)の映画化だそうだ。

さっき見た「スプリング・ガーデンの恋人」はロマンチック・コメディ。
イギリス人の肖像画家コリン(コリン・ファース)に婚約者のヴェラ(ミニー・ドライヴァー)から他の男との結婚招待状が届く。痛手を負ったコリンはアメリカへ傷心旅行。長距離バスに乗ってニューイングランドの田舎町ホープに着く。よろよろのコリンに宿の女主人(メアリー・スティーンバージェン)はセラピーだと介護士のマンディを紹介する。ぶっとんだところのあるマンディと仲良くなるコリン。町の人たちの肖像画を描いていると市長からも頼まれる。
そんなところへ元婚約者がやってきて復縁を迫る。なかなかしつこくて自信まんまんの美女。
彼女はいつも毛皮をあしらった服やコートを着ていて、しょっちゅうタバコを吸って、ここは禁煙だとモンクを言われ、誰にも好かれないキャラ過ぎ。でも最後はコリンに対して意地を張ったマンデイを和らげる。
雪が降る前の紅葉の森が美しいニューイングランドの景色がたっぷり。

パオロ・ソレンティーノ監督『きっと ここが帰る場所』

ああ、よかった〜 この映画、すごい。
昨夜、アイルランド関連のことを告知している知り合いのミクシィ日記にあったU2のボノに関するニュース、【「ボノはニューヨーク大学から名誉博士号を授与したいとのオファーをとても光栄に思いました。イヴが卒業生となることもあり、家族全員で話し合った結果、ボノは娘の卒業を誇りに思う一人の父親として式に参列したいとの結論に達したんです」と情報筋は語っている。】を読んだ。ボノの娘さんを検索したらショーン・ペン主演の映画に出演しているとのこと。予告編を見てこれは見たいと思った。

だいぶ前になるが近所にTSUTAYAが開店してまだ行ったことがなかった。以前は難波店まで行ってたのに、最近は貸していただいたのばかり見ている。カードが共通で使えるそうで久しぶりのレンタルビデオ。

最初から妖しい雰囲気。中年男のシャイアン(ショーン・ペン)が口紅を塗りアイシャドウをつけメイクしている。
シャイアンはかつてロック界の大スターだった。いまはダブリンの豪邸で妻(フランシス・マクドーマンド)と暮らし、つきあっているのは近所の少女メアリー(イヴ・ヒューソン)くらいだ。ぼさぼさの黒髪をひるがえしながら買い物に行ってまともな人からヘンな目で見られたりするが、反面、株でしっかり儲けてもいる。

デヴィッド・バーンのライブに行くシーンがあり「This Must Be the Place」が演奏されている。観客の中にシャイアンがいる。
バーンとの会話でシャイアンの過去がわかる。彼はミック・ジャガーと共演したくらいな大スターだった。暗い曲が若者にウケると知って儲けるために暗い曲を作った。挙げ句は自殺者が出た。そういうことがあってロック界から引退したのだ。最初のほうで墓場に行って花を供え、墓の中の若者の父親に「ここへは来るなと言っただろう」と追い返されるシーンがあったのはそういうことだった。

そこへ故郷のアメリカから父が危篤という知らせ。シャイアンは飛行機が嫌いなので船でニューヨークに向うが、すでに父は亡くなっていた。亡がらには収容所の番号が記されていた。30年間会っていなかった父が、アウシュヴィッツの収容所にいたときに侮辱されたナチ親衛隊員ランゲを探していたことを知る。葬式の後、ユダヤ人街を訪れてランゲの行方を聞くが話し合いがうまくいかず、わずかな手がかりをたよりに追うことにする。

シャイアンはランゲを求めて車でアメリカ横断の旅に出る。
いつもキャリーバッグを引いてよろよろと情報を求めて歩きまわる。過去のシャイアンを知っている食堂で働く女性と出会い、そのこどもにも慕われるが妻がいるからと断る。だが、あとでプールをプレゼントする。
田舎の食堂でキャリーバッグの発明者と話をするところがおもしろかった。

最後のシーン。メアリーのお母さんがはっと彼に気付いてにこにこする。彼はメイクを落としてこざっぱりとした男になっていた。
2011年のイタリア/フランス/アイルランド作品。音楽がデヴィッド・バーン(元トーキング・ヘッズ)。

「従軍慰安婦」の問題が大きく取り上げられているいま、この映画を見ることができてよかった。過去を忘れ去ってはいけない。

デニー・ゴードン監督『ロイヤル・セブンティーン』

コリン・ファースの映画もいろいろ貸していただいている。ヒュー・グラントのほうが端正だがコリンのほうが好み。どっちも好き(なんやねんな)。

17歳のダフネ(アマンダ・バインズ)はニューヨークのチャイナタウンで母リビーと二人暮らし。母は結婚式場の披露パーティの歌手。ダフネもバイトでウェイトレスをしている。
母はモロッコで知り合ったヘンリー(コリン・ファース)と恋をして現地で結婚。ヘンリーはイギリスの大邸宅に戻るとヘンリー・ダッシュウッド卿となり、リビーは貴族にそぐわないと側近に別れさせられる。アメリカに帰ってダフネを生んだがヘンリーには知らせずに育てている。父についての話を聞いて育った娘は17歳になり、写真を持ってイギリスへ父に会いに行く。
赤い二階建てバスに乗ってロンドン見物し、急な雨に降られて安ホテルに入るとロビーにギターを持った男の子イアン(オリヴァー・ジェームズ)がいて親切にしてくれる。テレビニュースに写ったのは父で選挙に出馬するようだ。貴族としてではなく普通に選挙に出ると言っている。ダフネはあれは父よとイアンに言う。

大邸宅に入れてもらえず壁を乗り越えて入り込むと父には婚約者グリヌスとその連れ子がいる。ヘンリーがパパラッチと間違えて捕まえたらわが娘だった。ヘンリーは驚き喜ぶがグリヌスと娘クラリッサはとんだ邪魔者がきたと、まるでシンデレラの継母と姉のように邪険にする。
王室向けのファッションショーは王室と貴族だけが集まる。クラリッサが貸してくれた衣装を着るがうまく着られないでいると、ヘンリーを急かせて3人は先に行ってしまう。ダフネは結局ジーンズとキャミソールで出かける。ジーンズなので入れてもらえず、裏口から入るとモデルがいてそのまま舞台に出てしまう。堂々と歩く姿を撮影されてヘンリー卿の娘というニュースが報道される。

そんな具合でアメリカ娘がイギリス貴族階級を驚かし受け入れられていく。
貴族のパーティにもいろいろ参加。太った双子娘さんを感化してしまうし、貴族の愛犬と仲良くなったり。
ヘンリーは父親としてダフネを社交界に披露するパーティを催す。デコルテのドレスに祖母からは大切なティアラをもらってつけデビュー。しかし・・・もう一波乱あって気持ちよいラストシーンへ。