オリヴァー・パーカー監督『アーネスト式プロポーズ』

コリン・ファースとルパート・エヴェレットが出ているだけでこころときめくものがある。「アナザー・カントリー」は1984年だったのか。そしていま見た「アーネスト式プロポーズ」は2002年。ふたりとも若々しくていい感じ。
オスカー・ワイルドの原作「真面目が肝心」は全然知らなかったけど、以前見た同じ監督の「理想の結婚」もよかった。真面目で洒脱な作品を書いていたひとなんだな。

19世紀のイギリスで田舎の紳士ジャック(コリン・ファース)はロンドンに遊びに行く理由に、弟のアーネストを口実にしていた。そして自分がアーネストと名乗って遊び歩いていた。
友人のアルジー(ルパート・エヴェレット)のほうは架空のバンベリーという病弱な友人をつくって伯母ブラックネル夫人(ジュディ・デンチ)の目をごまかしていた。
あるとき、ふたりはお互いのウソを知ってしまう。

ジャックはブラックネル夫人の娘グウェンドレン(フランシス・オコナー)に夢中になって求婚するが、彼女はアーネストという名前の男性と恋に落ちたかったといい、ジャックは慌てる。本人の承諾を得たがブラックネル夫人の面接があって、ジャックは生い立ちを話す。彼は赤ん坊のとき黒い鞄に入れられてビクトリア駅で見つけられた。そんな人間に娘をやれないと断られてしまい傷心のジャック。

ロンドンの町並みを行く馬車や人々も緻密に描かれ、屋敷や遊び場などの室内も豪華で楽しい。

後半はジャックの田舎のお屋敷が舞台になる。
アルジーがやってきて夢見る乙女のセシリー(リース・ウィザースプーン)に近づく。いらつくジャック。
屋敷も素晴らしいが庭園がステキで、セシリーが夢見る中世に舞台が変わっても矛盾がない。広い芝生の上でのお茶のためのテントもため息が出る。
そこへ自動車を運転してグウェンドレンがやってきた。
執事や家庭教師や召使いたち、近くの教会の牧師さんもやってきて大変な騒ぎに。
騒ぎの中に黒い鞄の持ち主もわかり、赤ん坊が誰の子かもわかり、したがってジャックの出自もわかる。
最後は気持ちのよいハッピーエンド。
コリン・ファースとルパート・エヴェレットが歌うのが愛嬌。

スティーブン・フリアーズ監督『ジギル&ハイド』

先日見たスティーブン・フリアーズ監督の「がんばれ、リアム」が良かったので「ジギル&ハイド」(1996)を引き続いて見ることにしたが、今回もこってりしてた。

タイトルにジュリア・ロバーツとジョン・マルコヴィッチの名前が出ているのでヘンだなと思った。あとでわかったがロバート・ルイス・スティーブンソンの名作「ジギル博士とハイド氏」を召使いの目線で描いたバレリー・マーティンの小説「メアリー・ライリー」の映画化なのであった。

メアリー(ジュリア・ロバーツ)は貧しく育った。父は仕事がある間は優しかったが仕事をなくして酒を飲むようになり娘を虐待する。暴力を振るったあと物入れに閉じ込めてネズミを放ち鍵をかけて出かけてしまう。夜遅く仕事から帰った母はメアリーを抱いて家を出る。いまもメアリーの腕と首筋には父の暴力の痕がある。ジギル邸で朝早くから働いているがそれを幸せだと思う。

外の階段を掃除しているときにジギル博士(ジョン・マルコビッチ)がもどってきて傷跡に目をつける。部屋へいったとき父に受けた暴力について異常に熱心に聞かれる。
博士は弟子のハイド氏の存在を召使いたちに話す。
それからは博士の使いに行かされたりするが、娼館へ手紙を持って行くと女主人ファラデー夫人(グレン・クローズ)にいろいろ苦情を言われる。どうやらハイド氏が娼婦相手に暴力をふるったらしく口止めの小切手だった。
その後にファラデー夫人や貴族が殺害されてメアリーの恐怖は増していく。

19世紀末のロンドンのお屋敷や道路や娼館、市場での屠殺の様子、そして雨や霧の風景がたっぷりあって楽しめた。
ジュリア・ロバーツの映画はあまり見ていないけど、こんな役はめずらしいような気がする。

エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ共同監督『明日へのチケット』

ケン・ローチ監督の作品を見たいとTさんに言ったのが最初で、英国映画を中心にいろいろな監督作品を見せてもらっている。
ところが、ケン・ローチ監督ってなんとなく重そうだし結末が可哀想みたいだなどと言ってなかなか見る気が起きなかった。
「明日へのチケット」(2004)は、エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチの共同監督の作品である。エルマンノ・オルミとアッバス・キアロスタミの映画は見たことがなかった。理由は映画を見ない時代が長かった。ケン・ローチもTさんにお借りするまで未知だった。

最初の物語は老教授が企業の会合に出張していて、帰りの飛行機が飛ばなくなったために、インスブルックからローマへ列車で帰ることになる。座席がとれなかったので秘書の女性が食堂車の席を2枚確保してくれた。
食堂車でパソコンに向かって仕事の書類を書いていたが、途中からチケットをとってくれた女性に手紙を書く。列車の窓を眺めながら昔ピアノを弾いていた少女を思い出す。列車の連結部分に乗っているのはアルバニアからの移民の一家4人で、教授はそれも気になる。軍人が乗ってきて傍若無人な振る舞いで移民の子どものミルク瓶を倒してこぼしてしまう。教授は給仕にミルクを注文し子どもに持って行く。車内にほっとした空気が流れた。
最後にパソコンで書いた手紙を〈消去〉する。

第二話は厚かましいおばさんと世話係の青年の話。おばさんは2等切符なのに1等車の空席に座り、青年も前に座らせる。切符を持ったひとと一悶着あるが、車掌は空いた個室に入れてやる。青年は愛想を尽きて消えてしまう。ここまでやるとご愛嬌というか応援したくなるような。

その列車にはスコットランドからやってきたスーパーの店員のセルティックファンが3人乗っている。ローマでの試合を見にきた彼らは移民の少年にサンドイッチを食べさせて、列車のチケットを盗まれる。3人にはもう持ち金はない。
警察に彼らを突き出すか、自分たちが捕まるか。チケットは取り戻したが、いちばん移民に懐疑的だった青年が自分のチケットを差し出す。
「俺たちは、移民のことなんか、何もできないんだ」

ローマの駅には移民一家を迎えに父親が迎えに来ていた。移民一家の話はウソではなかった。サッカーファン3人は隙を見て走り出し逃げきる。

列車の旅はいいなあ。

スティーブン・フリアーズ監督『がんばれ、リアム』

「がんばれ、リアム」(2000)は「マイ・ビューティフル・ランドレット」「プリック・アップ」「グリフターズ/詐欺師たち」「ハイロー・カントリー」のスティーブン・フリアーズ監督。タイトルの感じで軽い作品かなと思って見出したらなんとなんと重くて苦しいものであった。

1930年代はじめのリバプールの大晦日の夜、街ではカウントダウンがはじまった。
リアム(アンソニー・ボロウズ)の両親(イアン・ハートとクレア・ハケット)たちも近所のパブで人々に混じって陽気に飲み歌っていた。リアムと姉は親には内緒でその様子を見に外まで出て、見つかりそうになると寝室のガラス窓越しに眺める。
4人家族は仲良く暮らしていたが時代はだんだん暗くなっていく。父が働いていた造船所が不況で閉鎖され失業する。兄はようやく新しく仕事につくことができた。姉は金持ちのユダヤ人の家庭で家政婦として働きはじめる。仕事先で余った肉を持って帰ると誇り高い母は娘を叱りつけ捨てさせる。機転の利く娘は雇い主に気に入られているが、夫人の不倫に嫌悪感を持っている。

イギリス人だけどカトリックの一家で母は特に信仰深く、お金がないのに教会に献金しようと食費の箱からお金を出して父と衝突する。リアムに質屋へ服を持って行かせることもある。リアムは借りたい金額を唱えながら一生懸命に走って行く。
リアムは困ったときや嘘を言わねばならないときに吃音になってしまう。そのため教師や神父に手のひらを叩かれる罰を受けることもしばしば。
母が湯を浴びている裸の姿を見てリアムは驚く。学校で見た名画集には陰毛のある女性はいない。彼は深く悩み懺悔する。
母はリアムの聖体拝領の儀式のために借金してリアムの服装を整えてやる。姉が雇い主にもらったドレスも売る。(最近読んだグレアム・グリーンとイーヴリン・ウォーの作品がイギリス人だけどカトリックの信仰が主題だったので、教会や儀式や懺悔など興味深く見た。)

そういう生活の果てに父はお金がないのも仕事がなくなったのも搾取するユダヤ人と仕事を盗ったアイルランド人のせいだと憎しみをますます強くし、ファシストへの道を歩み始める。
暗澹たる結末。明日の展望がない一家の明日はどうなる。

スティーブン・フリアーズ監督『ハイロー・カントリー』

マックス・エヴァンスの同名の小説をサム・ペキンパーが映画化を望みながら実現しなかったということを知ったマーティン・スコセッシが製作した映画(1999)。スコセッシは「グリフターズ」を製作したときの監督スティーブン・フリアーズを起用した。(スティーブン・フリアーズ監督の「プリック・アップ」はロンドンのゲイカップルを描いた素晴らしい作品だった。他の映画もこれから見ていくつもり。)

第二次大戦が起こる直前から物語が始まる。
最初のシーンで若い男がショットガンをにぎってじっと待っている。
そこから過去にさかのぼって、ビッグボーイ(ウディ・ハレルソン)とビリー(ビリー・クラダップ)が知り合ったいきさつが語られ、仲間とともに牧場をやっていくことになる。まだカウボーイが生きていけた時代。
第二次大戦が始まって二人とも戦争に行く。
戦争が終わって牧場にもどってくると、戦争に行かなかった連中が支配する資本の時代に変わっていた。弟のリトルボーイは資本家牧場主の手下になっている。牛をカウボーイが追うのではなくトラックで運ぶ時代になっていた。

ピートには美しい恋人(ペネロペ・クルス)がいるのだが、人妻のモナ(パトリシア・アークエット)に惹かれる。ところがモナとビッグボーイが恋仲になって逢い引きの手助けをするはめに。二人の仲は周囲の知るところとなり、酒場での喧嘩があり一触即発の事態になる。モナもビッグボーイも真剣に愛し合っているのが愛おしい。
ピートがなぜあそこで待っていたか、そこでなにが起こるか。哀愁に満ちた最後に泣いた。

モナのドレス姿が美しい。あのころの映画では女優たちはみんなあんな感じのドレスだったなぁとキャサリン・ヘップバーンやベティ・デイヴィスやジンジャー・ロジャースを思い出していた。
馬が走っていた最後の時代を描いた映画だった。西部劇へのオマージュと思った。

サム・ペキンパー監督の作品はたくさんあるが、見たのは「ワイルド・バンチ」「ゲッタウェイ」「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」「ガルシアの首」「コンボイ」と少ないけれど、それぞれ強烈だった。「ガルシアの首」が最高。

ダニー・ボイル監督『スラムドッグ$ミリオネア』

映画に関心をなくしていた時間が長かったのはなぜか自分でも不思議だ。ダニー・ボイル監督の作品は「トレインスポッティング」(1996)しか見ていなかった。
「スラムドッグ$ミリオネア」(2008)は2008年と2009年(アカデミー賞7部門)の世界中の映画賞を独占しているのに、全然関心がなかった。いまもアカデミー賞がどうとか気にしないほうだが、この作品に関心を寄せなかったのはひどいねと自分に呆れている。

インドのスラム街で生まれ育ち、母を殺されたサリームとジャマール兄弟は逞しく生きている。混沌の中で知り合ったというより拾った少女ラティカと3人組で浮浪の生活をしていたが、マフィアにつかまって物乞いさせられたりしている暮らしから逃げ出す。兄弟は汽車に飛び乗れたがラティカは一瞬遅れて再びマフィアの手におちる。

青年になったジャマールは電話局で給仕をしているが、テレビの有名番組「クイズ$ミリオネア」に出ることになり、解答がどんどん当っていく。その解答ごとにジャマールの生い立ちが重ねられて、解答のヒントになるのがわかる。教育のない青年がどんな不正をしているのか警察に連れて行かれ、ひどい拷問を受けるが耐えきり、最後は警部が納得する。
マフィアの手下になった兄のサリームはジャマールのラティカへの愛を捨てさせようとするが、ジャマールは想い続ける。

重い内容なのに暗くなく、観光客をだましてお金を稼ぐ逞しさ、ふてぶてしさもいい。
最後の駅のプラットホームのダンスがインド映画っぽくてよかった。

マイケル・ウィンターボトム監督『イン・ディス・ワールド』

いま、T氏に貸していただいたマイケル・ウィンターボトム監督の14本目の映画を見終わった。これでわたしは、T氏がいうところの「全部見たら押しも押されぬ立派なウィンターボトム通」になった(笑)。
贅沢言うと「キラー・インサイド・ミー」を見たいんですけど。原作がジム・トンプスン「おれの中の殺し屋」なんで。

息抜きに冗談が入ったけど、「イン・ディス・ワールド」(2002)は難民問題を取り上げていてすごい映画だった。ウィンターボトム監督はぐいぐい押すだけの作家ではないから、しんどい問題を取り上げているけど静かに見続け、見終わったあとは深く静かな興奮が残った。

パキスタンの北西の町ペシャワールには100万人の難民がいる。そこに生まれた若者は違う世界に出て行きたい。密入国業者にお金を払えて運がよければ行ける文明世界に。
15歳の少年ジャマールは難民キャンプに生まれてレンガ工場で低賃金で働いている。従兄弟の青年エナヤットは親の家電店で働いている。エナヤットの父親は息子の将来を思ってロンドンへ行くようにと、英語のできるジャマールとともに送り出す。空路はお金がかかるので、危険だが陸路の旅を選ぶ。
難民キャンプからバスで出発、途中でトラックに何度か乗り換え、検問でエナヤットのウォークマンを差し出して通してもらったこともあった。なのに次のバスでは乗り込んで来た軍人にバスから降ろされパキスタンにもどされる。前に進むために何度も何度も車を乗り換えお金をむしりとられる。
果物がいっぱいのトラックの荷台に乗って山に囲まれたところに着くと、クルド人が優しくもてなしてくれた。子どもたちとサッカーして遊んで小休止の楽しい場面だった。
案内の少年に連れられて山を越えようとすると、銃撃戦があり少年は逃げて行く。ふたりは必死で山を越え雪のトルコに到着。トラックを乗り継ぎ、途中で知り合った子連れ夫婦といっしょにイスタンブールに着く。
イスタンブールで仕事を見つけて少し穏やかな生活を送っていたが、またもや難民として移送される。トラックの荷台の暑さと酸欠でエナヤットも子連れ夫婦も死亡。ジャマールと子どもだけが残る。
ロンドンに着くまでまだまだ苦労の連続。難民キャンプで知り合った友人とユーロトンネルをおどろきのただ乗りで越えて、いまジャマールはロンドンにいる。

年齢は上だが親掛かりのエヤナットに比べて孤児のジャマールは目端が利き、なにがなんでも生き抜く力を持っている。二人ともとても爽やかな青年だ。
主演の二人は本当の難民で本名と役名が同じだ。

ブルース・パルトロウ監督『デュエット』

アメリカでも〈カラオケ〉っていうのをいままで知らなかった。この映画ではアメリカ各地に〈カラオケ・バー〉があってのど自慢のひとたちが競いあっている。賞金があるのでそれで生活している人間もいるみたいだ。まるでハスラーみたいだ。
わたしは一度もカラオケに行ったことがないので知らないけど、元祖日本のカラオケとはえらい違うように思った。

「デュエット」(2000)の監督はグウィネス・パルトロウのお父さんのブルース・パルトロウ。映画の中の父親(ヒューイ・ルイス)は賞金の出るカラオケ・バー情報を知るとすぐに出かけて、さりげなく歌って賞金をものにする。しかもカモを見つけてどっちが勝つか賭けるようにもっていき相手の持ち金を取り上げる。
ホテルで休んでいると電話がかかって知り合いが亡くなったのを知る。ラスベガスの教会で棺に横たわる昔の恋人を見ていると、「お父さん」と若い女性(グウィネス・パルトロウ)が呼びかける。彼女は三代続くラスベガスのショーガール。
その他、神父になろうと思っていた純情タクシードライバーとあっぱっぱなカラオケ賞金稼ぎの女性のおかしな道行き。
疲労のために出張先を見失った営業マンは店にいた女の子にクスリを飲まされて、生まれてはじめてカラオケで歌い興奮しっぱなし。くるまをぶっとばしていて見かけたわけあり男を乗せる。むちゃくちゃやっているうちにふたりの間に友情が育つ。

グウィネス・パルトロウが「ベティ・デイビスの瞳」を歌う。20年くらい前にキム・カーンが歌ってヒットした歌だ。当時ですらベティ・デイビスって誰って聞かれたことがあった。亡くなった姉が大好きだった女優で、わたしは深夜映画やビデオで見られるかぎり見ている。ベティ・デイビスは瞳もいいが唇がなんともいえずセクシー。歌うグウィネスもステキ。

登場人物がみんなそろったラストだが、すんなりカラオケ大会で終らない。ドラマチックな悲しい物語があって、ほんとの最後は明るく出発!!

スティーヴン・ウーリー監督『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』

監督のスティーヴン・ウーリーはニール・ジョーダンのたくさんの映画のプロデュースをしてきたが、ずっとブライアン・ジョーンズを主題にした映画を撮りたいと思っていた。彼の最初の監督作品が「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」(2005)である。
60年代の音楽、麻薬、酒、セックス、そしてブライアンと恋人と。無慈悲なブライアンに翻弄される建築家が悲しい。

ブライアン・ジョーンズはローリングストーンズをつくり最初はリーダーだった。わたしはローリングストーンズは好きだけど熱中したわけではない。そしてブライアンが好きといえるほど聞いているわけでもない。

わたしが関心をもっているのはブライアンが住んでいた家である。この映画を見ていると実際にこの家に住んでいたのかと思ったほど、それらしい家なのであった。それで検索してようやく映画の家は他の場所で撮ったものとわかった。
「サセックス州ハートフィールドのコッチフォードファーム」を1925年に購入したのは「くまのプーさん」を書いたA・A・ミルン。56年に亡くなるまでミルンはここに住んでいたが、その後、息子により売却された。68年11月にブライアンが移ってきて69年7月、27歳でこの家のプールで死亡。住んだ期間が短過ぎる。
ブライアンは「くまのプーさん」が大好きでこの家を買ったそうだ。

わたしはプーさんより「赤い館の秘密」(1921)が好き。生まれてはじめて読んだ5冊のミステリーの1冊だから。いま調べたら「くまのプーさん」(1926)より前に書いている。
ブライアン・ジョーンズの映画を見て、ブライアンとともにA・A・ミルンを偲んだ。

ウォーター・ヒル監督『クロスロード』

ロバート・ジョンソンの名前はマンガで知っていた。クロスロードで悪魔と取引した話だった。わが家はブルースがよく聞こえてCDもなにやらあるんだけど、わたしは聞こうと思って聞くことってない。好みって一人が熱中すると片方は醒めるのかも。

ジュリアード音楽院でクラシックギターを学んでいる白人青年ユージン(ラルフ・マッチオ)はブルースに心酔していて、教師の前でもモーツアルトを弾いていて最後はブルースになってしまう。
近くの老人ホームにジョンソンの友人だったウィリー(ジョー・セネカ)がいるのを知り、ホームの掃除夫になって話しかける。お互いに信じ合うのでなく両方とも魂胆があって行動を共にすることになる。いままで管理者の目を欺くために車椅子に座っていたウィリーが立ち上がって歩きだす。ふたりは早朝ホームを逃げ出し追っ手をまいて一路南部へ。
ユージンのお金がなくなり、ウィリーが持っていた40ドルでヒッチハイクの旅を続ける。女の子と知り合って別れ、保安官に捕まって村から追放され、ようやくクロスロードへ。ギター対決でスティーヴ・ヴァイを相手に弾きまくる。

ウィリー役のジョー・セネカのハーモニカと歌がすばらしい。
帰りはシカゴまで飛行機で行こう、そこで別れようと提案するウィリーがカッコいい。人生を知り尽くしている。1986年のアメリカ映画。音楽映画であり青春映画である。