ジョン・フォード監督「駅馬車」(1939)

こどものころの夏は夜になると父親を囲んで縁台に座って星を見たり、しゃべったりしたものだ。同じことを何度も聞かされてうんざりしたが「駅馬車」と「暗黒街の顔役」が素晴らしい映画だということを叩き込まれて育った。父親の青春時代の記憶だったんだろう。
その父親が100歳を過ぎて施設に入った時に、施設内で映画を見せてくれたそうだ。なにかご希望はと聞かれて、父は「駅馬車」と叫び、見せていただいたそうである。きっとあの主題曲も口ずさんだことだろう。

わたしが「駅馬車」をテレビではじめて見たとき、期待が大きすぎて少しがっかりしたように覚えているが、今夜見たらなかなかよくできた映画だと思った。レーザーディスクを買ってがっかりした「暗黒街の顔役」もいま見たらいいと思うかもしれない。

リンゴ・キッドのジョン・ウェインが若くて美しい。ジーンズの後ろ姿も前姿も美しい。ダラス役のクレア・トレヴァーもよかった。「キー・ラーゴ」でアカデミー助演女優賞をもらっているが、映画は見たのに覚えていなくて残念。
飲んだくれの医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)も癖のあるいい味を出しているし、その他の俳優がみんないい。

本屋に行きたい

ハンズの地下にある本屋、クリスタ長堀にある本屋、新大阪駅にある本屋とちょっと立ち寄れて便利だ。でも行きたいのはジュンク堂堂島店。
吉田喜重「変貌の論理 」(2006)を買いたい。アマゾンへ注文したらすむのに(在庫は確認済み)、本屋で買って抱えて帰りたい。アホかと思うけど、好きな人への想いは重い(笑)。だけど2006年発行だから在庫あるかな。まあ一度本屋を見てなかったらアマゾンに注文しよう。買ってもすぐに読めないし。
吉田さんのもう1冊「メヒコ 歓ばしき隠喩 (旅とトポスの精神史) 」(1984)もそのうち読みたいなあ。これは中古本で買うか。「見ることのアナーキズム 吉田喜重映像論集 」(1971)も欲しくなった。

いつもミステリと文庫の棚しか行かないから、どこに映画の本があったっけという感じ。「ユリイカ」の棚はカウンターに近いからしょっちゅう見てるけど。
そういえば美術本の棚も久しく見ていない。今度行ったらアート関連本をゆっくり見てこよう。

山岸凉子「牧神の午後」と映画「赤い靴」

久しぶりに少女マンガ、山岸凉子「牧神の午後」(1989)を貸してもらって読んだ。山岸凉子のマンガはずっと昔に「日出処の天子」(1980−84)を延々と買って読んだことがあるけど、それ以後は読んでいなかった。

20世紀のはじめのディアギレフ率いるロシアバレエ団のことは、いろんなもので読んでいてよく知っているが、こうして絵物語になるとまた格別の味わいだ。天才ダンサー、ニジンスキーの輝きが美しく描かれていて久しぶりに気持ちが高ぶった。

ディアギレフはニジンスキーの代わりの踊り手ミャーシン(96ページ)を見出した。映画「赤い靴」に出ているレオニード・マシーンの若き日である。
わたしは「赤い靴」をかなり昔から機会あるごとに見ていて、最近はDVDで何度も見ている。最初はバレエへの憧れで見ていたが、誰かの本でバレエ団の団長がディアギレフをモデルにしていると知った。そしたら靴屋を踊っているマシーンのこともわかった。牧師をやっているロバート・ヘルプマンもディアギレフのところにいた人と知った。

そしていま検索していて「赤い靴」の新しいDVDが出ていることを知った。
【映画監督のマーティン・スコセッシがオリジナル・ネガ修復作業に着手し、2年の歳月をかけて完成された<デジタルリマスター・エディション>が、2009年カンヌ国際映画祭で世界初公開された。】
4,059円か〜 そのうち買おう。

小津安二郎監督「晩春」

「晩春」は1949年の作品で、ずっと公開時に見たと思いこんでいたが、49年に見たはずがない。いったいいつ見たのだろう。ベ平連のころより先か後か、全然わからん。一人で見に行ったのはたしか。そうだ!「東京物語」(1953)を見たあとだ。「東京物語」が評判良かったので小津特集とかやったのかな。

独り者の父(笠智衆)と結婚の決まった娘紀子(原節子)の二人が京都へ旅して旅館で枕を並べて眠るシーンに驚いたのをいまも覚えている。それこそ、紀子が叔父の再婚に「不潔!」と言った以上だと思ったものだ。もっとも、紀子は間違ったことを言ったと自分の結婚が決まってから後悔していたが。

能楽堂のシーンはよく覚えている。のちに梅若万三郎さんの「杜若」を産経観世能で見たことがあるのだが、晩年の万三郎さんが素晴らしかった。
能を見ながら父は再婚話の相手に目礼する。それを見た紀子の嫉妬心が能面のような表情の下に見え隠れする。

小津安二郎監督「麦秋」

「麦秋」という言葉が好きだけど実った麦畑を見たのはほんの数度あるだけで、だからこそ「麦秋」という言葉に惹かれるのかもしれない。
「麦秋」(1951)は爽やかな風に揺れる麦畑のように後味の良い作品だった。

北鎌倉に老いた両親と長男の医師康一(笠智衆)と妻(三宅邦子)と男の子2人の一家、それに会社勤めをしている長女紀子(原節子)が穏やかに暮らしている。日常の些事を描きながら映画はゆっくりとすすんでいく。

大和から来た伯父が紀子が28歳で独身なのを心配し息子をせかす。
紀子の会社専務の紹介があって話は決まりそうだったが、年齢が行き過ぎと家族は気にする。
近所に住む医師の矢部は戦争で死んだ紀子の兄の友人で、妻が女の子を残して亡くなり、母親(杉村春子)と暮らしている。
ちょっとした用事で矢部の家を訪れた紀子は、母親から息子が秋田の病院へ転勤する話を聞き、その流れであなたのような人と結婚できたらという言葉に、あたしでよかったらと自然に言葉が出た。
そこからは家族からなにを言われてもにこにこと自分を通す紀子。親友(淡島千景)もびっくりするが納得。

最後に紀子と兄嫁が海岸を歩くシーンが美しくて、後味の良い映画だった。その後、大和に暮らす老親たちが実った麦畑を眺めながら話すシーンがよかった。

溝口健二監督「新・平家物語」市川雷蔵の平清盛

ほとんど日本映画を見ないできたから、機会があればできるだけ見たい。いま見たばかりの「新・平家物語」(1955)は大好きな市川雷蔵が清盛をやっている。母の泰子(木暮実千代)は祇園の白拍子出身で白河上皇の寵愛を受けていたが妊娠し、上皇の意向で清盛の父の忠盛の妻となる。清盛は忠盛の嫡子として育ったが、実は上皇の子とわかり苦悩する。
清盛は貧乏貴族の娘でてきぱきした時子(久我美子)に惹かれて結婚する。なんやかやと断片的な知識がある時子夫人とはこうして結ばれたのかと納得。久我美子さん清潔感があふれて美しい。
木暮実千代の胸の谷間がきれいで色気が充満していた。胸の谷間をちらと見せて上着を羽織るのはいまも同じ。
市川雷蔵は優しい顔つきを太いゲジゲジ眉毛にして逞しい男に見せていた。貴族社会の終焉とこれからくる武士社会のはじまりの時代を生き抜く勢いを感じさせてよかった。

原作(吉川英治)を読んでないし、テレビドラマもほとんど見ていないし、いい加減な歴史の知識しか持っていなかったからおもしろく見た。比叡山のシーンといい、牛車がゆったり歩く京の道といい、それぞれの屋敷の佇まいといい、豪華なロケやセットで映画製作にまだ力があった時代。

小津安二郎監督「秋刀魚の味」

「秋刀魚の味」(1962)は小津安二郎監督の最後の作品である。小津安二郎は1962年60歳の誕生日に亡くなった。
小津の作品をあまり見ていないまま岡田茉莉子の自伝や吉田喜重の「小津安二郎の反映画」を読んだので頭でっかちになっている。これはいかんとチャンスがあれば見ていこうと思い、今夜「秋刀魚の味」を見た。

先日見た「秋日和」とほとんど同じシチュエーションで、年頃の娘路子(岩下志麻)と次男と暮らす父(笠智衆)を中心に中村伸郎、北竜二が元同級生で飲み仲間。彼らは仲が良くよく飲みよくしゃべる。昔の先生を囲んでの飲み会があり、送っていくと先生は下町でラーメン屋をやっており、いかず後家の娘(杉村春子)がいる。ラーメンを食べに来た客が戦争に行ったときの部下だった。彼に連れられて行ったトリスバーでその店の女性(岸田今日子)に亡き妻の面影を見る。
杉村春子と岸田今日子が絶品。

友人達は先生親子のようにならないように早く娘を嫁にやるように忠告する。
長男(佐田啓二)と嫁(岡田茉莉子)は共稼ぎでアパートに住んでいる。ゴルフ道具が欲しくてたまらない夫を妻は牽制するが、会社の同僚(吉田輝雄)からのセットを月賦で支払うことにする。
路子は吉田に好意を持つが、つねづね結婚する気がないと言っているので、彼は違う女性と結婚の約束をしてしまう。

その後路子は父親の友人の紹介で結婚することになり花嫁姿で家を出るシーンにつながる。
結婚式を終えた笠智衆は中村伸郎宅で飲んでいたが一人よろよろと立ち上がる。トリスバーに行く哀愁のこもった姿が絶品。家で式服のままでじっと待っている長男夫婦。寝間着姿の次男は父親の顔を見るとほっとして「おれは寝るよ」。

木下恵介監督「今年の恋」

1962年のモノクロ映画。二人の仲良し高校生が悪いグループに襲われて強くなろうとボクシングを習おうとジムに通う。二人の姉と兄、両親の小料理屋で働いている岡田茉莉子と金持ちの大学院生の吉田輝雄が偶然知り合う。二人ともきょうだい思いのいい姉と兄なんだけど、相手を非難しあって喧嘩ばかり。
お互いに好意を持つのに反発しあう二人の言い合いが楽しいラブコメディ。最後は大晦日に京都知恩院で除夜の鐘を並んでつくというおしゃれな設定である。
高校生の一人が田村正和、ばあやに東山千栄子、学校の先生に三木のり平、岡田茉莉子の両親が三遊亭円遊と浪花千栄子と懐かしい人が出ている。
東京から熱海に車で行くことになるのだが、その道中の景色、富士山や熱海の海岸道路も懐かしい。

いま53年前の映画を見てこんなに笑えたのだからすごい。こんなおしゃれなラブコメディが日本映画にあったんや。この映画を見ないでなにをしてたんやろ。まあこの映画を見てこんなに笑って楽しめるのはいまやからでしょう。

吉田喜重監督「嵐が丘」を再び見て

さっきまで吉田喜重監督の「嵐が丘」(1988)を熱中して見ていた。二度目だったから検索したら2011年のお盆休みに見て感想を書いていた。わたしとしては熱狂が不足している(笑)。それまでに吉田監督の映画は2本しか見てなくて「これからできるだけ追いかけたい」と最後に書いているが、口だけだった。すみません。(「秋津温泉」(1962)と「エロス+虐殺」(1969)は封切りで見ていたのだけれど。)

今回は最近何度も書いているけど、「ユリイカ」高峰秀子特集のインタビューで吉田喜重すごいと思い、パートナーの岡田茉莉子さんの自伝を読み、著書の「小津安二郎の反映画」を読み、ユリイカの吉田喜重特集を読んでいる最中である。
突然、炎のごとくに吉田喜重熱が高まっていて、映画のほうはDVDで「水で書かれた物語」、「鏡の女たち」、「エロス+虐殺」を見た。つぎは「嵐が丘」をもう一度見ようと決めていた。

エミリ・ブロンテ「嵐が丘」の舞台ヨークシャーと主人公ヒースクリフとキャサリンを日本の中世の荒涼たる風景に置き換えていて見事。
人里離れた山の中にあるお社のような山辺一族の屋敷で、あるじ(三國連太郎)が都から汚らしい孤児を連れて帰ってきたところからはじまる。屋敷には娘の絹と息子の秀丸が待っていた。新しい仲間の鬼丸を絹は遊び相手にするが、秀丸は目の敵にして虐待する。
月日が経ち、鬼丸(松田優作)は絹(大人になってから田中裕子)とは惹かれあい、秀丸とは憎しみ合う。
絹が亡くなると墓を掘り出し骸骨になっても愛する鬼丸。

すべての人物の基本の動きが能の動作であるのを今夜改めて確かめるように見た。実はわたしはひところ能に凝っていた。謡を習ったりはしないけど、見るのが得意なのである。中世の愛と憎しみを描くのに能の様式がぴったりだった。

吉田喜重監督『鏡の女たち』

まだ「エロス+虐殺」を消化しきってないのに、見たい欲が高まって「鏡の女たち」のDVDを購入。今日中に届くとのことで昼と夕方と2回郵便受けを見に行った。晩ご飯後すぐに見た。

「鏡の女たち」は2002年の作品。
東京の閑静な住宅街に夫を亡くしたあと一人で住む女性 愛(岡田茉莉子)のところへ、娘 美和(田中好子)の母子手帳を持った女が見つかったと連絡があった。20年前に家出した娘はその4年後に出産したが赤ん坊を置いて失踪したままである。訪ねると正子と名乗ったその女性は記憶を失ったまま自分は誰かわからない。愛はアメリカ留学中の孫 夏来(一色紗英)に連絡する。

アパートで家と同じように割った跡のついた鏡を見て自分の娘と確信する母。
祖母をママと呼んで育った孫の夏来は自分を産んだ母が現れたと聞いて驚く。
三人はルーツの広島に旅立った。

メイキングを見たら、吉田監督が自身が原爆を描くことについて謙虚なコメントを述べていた。
「ヒロシマわが愛 二十四時間の情事」をわたしは封切りで見た。1959年にアラン・レネがヒロシマを語った。2002年に吉田喜重「鏡の女たち」がヒロシマを語った。