ルネ・ギヨ『一角獣の秘密』

「貴婦人と一角獣展」を見に行く前日にこの本があるのを思い出した。
1970年に出た本で買ったときに熱中して読んでそのまま置いてあった。本の整理をするときは〈もう一度読みたい本〉に分類してたから愛着はあったのだが、一度も読んでなかった。
美術館に行った翌日に読んだのだが、分厚いが紙が厚くて字が大きいので一晩で読めた。良かったという以外に忘れていたので〈一角獣〉が美術館で見たタピスリーとは関係ない話というのがわかってちょっとがっかりした(笑)。

ルネ・ギヨは1900年生まれのフランス人で、大学を卒業した25歳のときに仏領(当時)西アフリカのダカールで高校の教師になった。それから25年間アフリカで暮らし、休みの日は奥地のジャングルまでニジェール川をカヌーで遡った。50歳になったときフランスにもどり作家として約20年間、たくさんの作品を書いた。たいていはアフリカのジャングルと動物を描いたものだが、本書は他の作品と比べると異色だそうだ。

リュウ伯爵家は300年の間に人手にわたって分割されてしまったが、残った建物から書類箱が発見された。最後のリュウ伯爵が羊皮紙に書き残したものをギヨが再現した、という前書きから物語がはじまる。

リュカはフランスの大西洋に面した西海岸の港町ブルアージュに近い森のある小さな家で生まれた。父はリュウ伯爵家の狩猟長として仕えていた。リュカに勉強をするように城の執事が命じたのでリュカは読み書きができる。
城には老伯爵とリュカと年が同じの男女の双子の孫が住んでいて、リュカは最初は伯爵の側つきの召使いとして雇われ、後にリュックのお相手に取り立てられる。リュカはたまに姿を見せるマリ=アンジュに憧れる。

伯爵家は盛んなときは大砲で武装した大フリゲート艦が率いる艦隊を持っていたが、いまは二隻のフリゲート艦が任務についている。世界の隅々まで航海して獲物が多そうな船を見つけると大砲の火薬に火をつけて攻撃する。こうして得た富が伯爵家のものとなった。
森で鍛えたリュックの海への出陣のときが来た。リュカは同行を命じられる。
リュックとマリ=アンジュの謎がここで明らかにされ、リュカはマリ=アンジェへの想いを胸に冒険の旅に出発する。
(塚原亮一訳 学習研究社 少年少女・新しい世界の文学—5)

エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』

若い友人がわたし向きの本だと貸してくれた。この本のことは単行本で出たときから気になっていたけど、すぐに読みたいというわけでもなく忘れていた。去年の秋に文庫本で出ていたのも気にせずにいたので、渡りに船という感じで読ませてもらった。

すごくおもしろい本だった。
最初の「薬局」を読んだ後にせからしくとばして、最後の「川」を読んでしまったところで「訳者あとがき」に目がいった。【・はじめから順にお読みください。順序を乱すと効き目が薄れることがあります。】とある。オリーヴの夫ヘンリーが薬局を経営しているからそれに則って書いた注意書き。あっ、すんませんとアタマを下げたが後の祭り。効き目が薄れてしもうたかもと思ったが、いやいや強烈なオリーヴ熱に10日も浮かされているくらいだから、効き目は薄れてなかった。

13編の短編小説のすべてに、ニューイングランドにある架空の町クロズビーに住むオリーヴ・キタリッジという女性が出てくる。主人公のときもあれば、他の人の思い出の中に名前がちょろっと出てくるだけのときもある。レベッカという女性が主人公の「犯人」を読み終ってだいぶしてから、オリーブが出てこなかったんとちゃう?と読み返したら、数学の先生のオリーヴに声をかけられたのを思い出すところがあった。

オリーヴは中学の数学の先生を長い間やってきて、薬局経営の夫ヘンリーとの間に息子のクリストファーがいる。背が高くて中年過ぎるとだんだん肉がついてきてごっつい体になっている。
悩める昔の教え子ケヴィンが海の近くに車を停めているのを見て、オリーヴは勝手に助手席に座り話し始める。なにかを察している。夫のこと、息子のこと、お互いの親のこと、なんぞを話しながらケヴィンの様子を見ている。

息子のクリストファーが結婚して離婚して、今度はニューヨークで2人の子連れの女性と結婚して子どもが生まれる。不器用な母と子はなかなか打ち解け合えないまま、オリーヴはつまらない理由で戻ってしまう。

いろんな〈なにか〉がある作品たちを読んできて、亡くなったひとあり、生まれてきた子がありに思いをはせる豊かな読後。
そして、最後の「川」を何度も読んだ。
いくつになっても出会いがある。年老いても新しい愛がある。ええ感じ。
(小川高義訳 ハヤカワ文庫 940円+税)

メアリ・バログ『麗しのワルツは夏の香り』(3)

読んでいてふと気がついた一節。
キャサリンとジャスパーの会話。
【「あなたに恋はしてないし、これから先、微細な破片のそのまた破片ぐらいの恋心を抱くこともありえないわ、ジャスパー」キャサリンは言った。しかし、彼に軽く笑いかけていた。ジャスパーは自分の胸に片手をあてた。
「微細な破片のそのまた破片……」と言った。「どういう形をしてるのか、いま想像してみてるんだが、肉眼で観察できるものであればね。ひと粒の砂のようなもの? “ひと粒の砂に世界を見る”のかな?」
この人、ウィリアム・ブレイクを引用している。夢なんてぜんぜん持たない人に、どうしてあんな燦然たる神秘的な詩が理解できるの?】

長い引用をしたが、このあとの会話がとてもよい。
しかし、ロマンス小説にブレイクの詩が出てくるとは。
ウィリアム・ブレイクの生涯は1757年から1827年である。リージェンシー時代は1811年から20年にかけてだから、ブレイクと時代が重なる。ブレイクは不遇のうちに亡くなったとはいえ、読んでいるひとは読んでいたのね。そして、教養あるキャサリンは申すに及ばず、放蕩者のジャスパーもほんとは真面目なひとだったのね。なぜ放蕩な生活に走ったかの説明があって納得。
以上が今日の感慨です。
(山本やよい訳 原書房ライムブックス 933円+税)

メアリ・バログ『麗しのワルツは夏の香り』(2)

先に出た「うたかたの誓いと春の花嫁」のヒロインである次女ヴァネッサにはすでに男女の子どもが生まれ、夫婦仲は円満。
今回の主人公は三女キャサリン(ケイト)で、二十歳になったキャサリンは清純な美しさで輝いている。
ジャスパー・モントフォード男爵はシーダーハーストに広大な領地と屋敷と財産を持つものの、ロンドン社交界では悪名高い放蕩者。娘のいる上品な貴族は避けて通るほど。25歳になった誕生日に酔っぱらった悪友たちとのやりとりで、清純な乙女を誘惑するという賭けをやることになり、名前があがったのがキャサリンだった。
2週間で彼女をベッドに誘うというもので、それは賭け帳に記載された。もともとジャスパーはキャサリンの美しい瞳を意識していた。キャサリンもハンサムで傲慢なジャスパーを意識していたのだが、キャサリンのいとこのコンスタンティンが放蕩者故に紹介を故意に避けていたので言葉を交わすことはなかった。ジャスパーは絶対に誘惑してやると思う。

キャサリンがヴォクソールガーデンで開かれたパーティに行ったとき、ジャスパーは足首を挫いた知り合いの代わりにそのパーティに来た。
キャサリンのすぐそばに座って、苺を食べるキャサリンの口元をじっと見つめていたが、やがて声をかけた。
そして花火があがるまでのそぞろ歩きがはじまったときにジャスパーはキャサリンの腕をとる。近道だとひとのいない道へそれたふたりは向き合う。誘惑するジャスパーをキャサリンは拒否しなかった。反対に「人を判断するときは自分でします」とキャサリン。しかし、彼は言ってしまう。賭けをしたこと、賭けに負けることにしたことを。キャサリンの誇りを傷つけられた怒り。

それから3年後、その賭けの内容がジャスパーを陥れようとする身内の口からロンドン社交界を駆け巡る。ヴァネッサ夫婦やマーガレットやスティーブンにも大変なスキャンダルである。
これしか道がないと決めたのが結婚することで、キャサリンとジャスパーは結婚式をあげ、シーダーハーストの領地に住むべく馬車に乗る。
それからはいろいろあるが、ふたりは協力し合って幸福に暮らすようになる。そこまでの長い物語が楽しい。
(山本やよい訳 原書房ライムブックス 933円+税)

メアリ・バログ『麗しのワルツは夏の香り』(1)

ハーレクインロマンスの宣伝用のを1册もらって読んてアホらしいと思ってから、ロマンス小説は書店では棚の前を素通りだし、図書館でも敬遠してきた。でも、わたしのもともとはロマンチック好みで「小公女」にはじまって、ドロシー・L・セイヤーズの「学寮祭の夜」なんか、ミステリとしてでなくロマンス小説として読んでいた。なんといっても「高慢と偏見」を20回くらい読んでいるし、映画はラブコメディが好きだし。
だからといってわざわざロマンス小説を買うことはしなかった。イギリス文学とミステリーの中にロマンチックはたくさんあるから。
それが、山本やよいさんが訳された本を頂いてからはすっかりはまった。といっても、メアリ・バログ「婚礼は別れのために」と同じメアリ・バログの〈ハクスタブル家のクインテット〉の一冊目「うたかたの誓いと春の花嫁」だけなんだけど。

今回3冊目の体験になる「麗しのワルツは夏の香り」をいただいて読んだ。18日火曜日の昼に届いたのを、今日20日木曜日午後に読了のメールを出している。めちゃくちゃ早い。534ページもあるのに。どれだけおもしろかったか、どれだけ夜更かししたか、どれだけ先へ先へと進みたかったかわかるでしょ。

ハクスタブル家のきょうだい4人(長女マーガレット、二女ヴァネッサ、三女キャサリン、長男スティーヴン)の成長と恋愛と結婚の物語。
村で貧しく暮らしていた一家が探し出され、スティーヴンがマートン伯爵を相続することになる。突然、豪華な邸宅に引っ越してロンドン社交界にも出入りするようになった4人は生活に適応していく。

最初のヒロインはヴァネッサで、肺病の夫と死に別れたが、さまざまな事情からスティーヴンの後見人エリオットに結婚を申し込む。最後には愛し愛されのハッピーエンドになるまでの細かい描写、二人の尽きぬ会話に引っ張られる。

今回はキャサリンの恋と結婚の話だが、また明日。
(山本やよい訳 原書房ライムブックス 933円+税)

岸恵子『わりなき恋』

本書を知ったのは「週刊現代」の芳川泰久さんの書評で、「年齢を感じさせないヒロインの情熱、老いらくの恋の葛藤と美を描く長編」という言葉にいかれてすぐに買いに行った。
ご自身の体験を元にした作品だと思うけど、岸さんはご自身を主人公の伊奈笙子と親友の桐生砂丘子の二人に分けているように思えた。恋に一途になってしまった笙子を客観的に見て援護する砂丘子と。

笙子はドキュメンタリー作家で横浜とパリに住まいを持っている。どちらにも帰るのではなく、横浜に行く、パリに行く、と言っている。若くしてフランス人の夫を飛行機事故で亡くし、フランスで育った娘テッサはすでに結婚してこどもが2人いる。70歳になったなんて見えないエキセントリックな美人である。

その日フランスへ行く飛行機のファーストクラスは満席だった。笙子は隣席の旅慣れたふうな男、九鬼兼太と言葉を交わす。彼は大企業の専務で世界各地を飛び回っている。名刺を出したのでシナリオを破ってパリの電話番号を書いて渡すと、九鬼は「すばらしいかたとお目にかかりました」と笑顔に笑窪を浮かべた。
ロケハンの仕事から離れてパリへもどるとプラハの九鬼から電話がありパリでの食事に誘われる。
次の逢瀬は日本で笙子の誕生日である。横浜での食事の後でホテルに泊まるという彼に、ホテルよりもわたしの家が落ち着くでしょうと、洋室に案内し自分は母屋に寝ることにするが、歯ブラシを持って行くと風呂上がりの素裸の九鬼がいた。抱き合って過ごすことになった一夜。笙子は長い一人暮らしで体が応じなくなっている。笙子は「七十歳と十七時間・・・私もう若くないの」といい、九鬼は「七十歳と十七時間ですか、すてきですね。あなたはとんでもない人なんですよ」という。彼はもうすぐ還暦だという。
思ったらすぐに行動の笙子は婦人科の医師に相談し親切に対応してもらう。なかなか開かなかった体が応じるまでになったのはかなり経ってからだった。

読んでいるうちにフランソワーズ・サガンを思い出した。若い日のサガンが書いた「ブラームスはお好き」で、主人公ポールは39歳、彼女を恋するシモンは25歳。別れるときにポールは「シモン、もう、私、オバーサンなの、オバーサンなの」と階段の手すりから身を乗り出して言うが、シモンには聞こえない。彼は階段を駆けおりた。若いわたしは別れの甘美させつなさにしびれたものだった。
「わりなき恋」は、歳月の残酷さ、男の身勝手さが描かれて、だからこそせつない「わりなき恋」が身にしみる。
若いときはサガンに夢中になり、いまになって岸恵子さんの「七十歳と十七時間・・・私もう若くないの」の笙子の恋に夢中になっている。
ふと思い出した。サガンというペンネームはプルーストの「失われたときを求めて」に出てくる人物の名前だった。「わりなき恋」は「失われたときを求めて」で老いについて語る一節を思い出させた。
(幻冬社 1600円+税)

モーヴ・ビンキー『イヴニング・クラス 上下』

先日読んだ「サークル・オブ・フレンズ 上下」は映画(パット・オコナー監督)を見て原作を読みたくなりアマゾンの中古本で買ったもの。映画もよかったが原作もよかった。それで訳者だったか解説の栗原知代さんだったかが良いと書いておられた「イヴニング・クラス」を続けて買った。広告のページにはあと3冊あるけど、まあここまでにしようか。すごいストーリーテイラーで読み出したらやめられないというのはこのことかと思った(笑)。

エイダン・ダンはダブリンの高校教師でずっと次は校長になれると思っていたが、嫌っていたトニー・オブライエンが校長になることに決まった。ふたりの中は気まずくなる。トニーはエイダンの娘と知らずに彼の娘グラニアと恋愛中だ。これはまずいと考えた結果、エイダンには彼が好きなイタリア語のイヴニング・クラスをつくってまかせることにする。

かたや、ノラ・オドナヒュー(シニョーラ)が26年ぶりにシシリー島から戻ってきた。恋人を追ってイタリアに行ったものの古い町には彼の許嫁がいた。彼女は近くに部屋を借りて手仕事で自活していたが、彼が事故死したので帰ってきたのだ。

イヴニング・クラスに集まった30人あまりの、それぞれ問題や愛を抱えた生徒たちの物語が語られる。
クラスはそれぞれイタリア名前で呼び合うことになり、アイルランド名前とだぶるからややこしい。いろんなかたちのカップルができていく。
シニョーラの教え方に人気があがり誰も辞めないし、みんな仲良くなり、講座の終わりにはイタリアへ行こうと盛り上がる。
そして、イタリア旅行の日がきた。

モーヴ・ビンキー『サークル・オブ・フレンズ 上下』

パット・オコナー監督の映画「サークル・オブ・フレンズ」を見てから原作(アイルランドの女性作家モーヴ・ビンキー)があるのを知って、アマゾンで中古本を注文。すぐに届いたのをすぐに読んでしまった。
すでに映画でストーリーは知っているけど、厚めの文庫本2冊にぎしっと入った物語がとてもおもしろかった。
今日もう1冊同じ扶桑社ロマンスから出ている本「イブニング・クラス 上下」を注文したのだけれど、よく出してくれていたと扶桑社に感謝。モーヴ・ビンキーさんは去年お亡くなりになっているのをいま知った。

50年代のアイルランド、ダブリンへバスで行ける距離にある田舎町ノックグレンの紳士服店の娘ペニー、お屋敷のお嬢様だった母と使用人の父の間に生まれてすぐに両親を亡くし修道院で育ったイヴ、このふたりの友情がしっかりと芯にある。小学校のときにいじめられるイヴをペニーは体を張って助けた。イヴは大柄で不器用なペニーのためにはなんでもしようと思っている。
大学に行くように両親が学費保険をかけていたペニーはダブリンの大学へバス通学をはじめる。イヴは学費を出してもらえるように母の実家の当主サイモンに掛け合い、生活費は修道院で知り合ったキットがやっているダブリンの下宿屋で働いてまかなうことにする。
楽しい学生生活ですぐに友だちのサークルができる。パーティや映画やカフェや学生たちは青春を謳歌している。田舎育ちのペニーとイヴは美人のナンと知り合って服装のことや男性とのつきあい方などを教わる。
サイモンは地主で上流階級、ペニーと仲良くなったジャックの父親は医者で中産階級、ナンの親は建設業者で下層階級とはっきりとしている。ナンは美しく生まれ、母は娘に期待をかけ向上心を持つように育てた。酒飲みの野卑な父親からお金だけは出させ、外側は洗練された女性としてなに不自由なさげなナンである。態度もしっかりとしていて大人が振り回される。

映画にはならなかった部分がたくさんあって読み応えがあった。田舎町の人々のウワサがなんでもすぐに伝わってしまうところや、だからこそのこれは隠し通すということの重み。
ジャックに捨てられて泣くんじゃやなくて、しっかりとした態度をとることでウワサは今日一日で終るというやりかたをイヴがペニーに教える。
(中俣真知子訳 扶桑社ロマンス 1996年発行)

グレアム・グリーン『情事の終わり』

先日ニール・ジョーダン監督の映画「ことの終わり」を見ていて、グレアム・グリーンの「情事の終わり」の映画化と気がついた。続いてずいぶん昔にデボラ・カー主演の「情事の終わり」を見たこと、続いて原作を読んだことを思い出した。

第二次大戦中のドイツ軍によるロンドン爆撃はすごかったようで、サラ・ウォーターズ「夜愁」の空襲シーンを思い出しもした。

人妻のサラと独身の作家モーリスが出会って真剣に愛し合う。ふたりが逢い引きしているときに大爆撃がありモーリスが直撃される。サラは彼が死んだと思いこみ、彼を生き返してくれるように神に祈る。彼を生き返えらせてください。彼が生き返ったらわたしは彼を諦めます。モーリスは生還する。そして、サラはモーリスから去った。

もし、わたしがそういう場面でもし誓ったとしたらやっぱり誓いを守るだろうか。誓うはずがないから、そういう設問はありえないけど。
イーヴリン・ウォーの「回想のブライズヘッド」を読んで先月感想を書いたが、これも主人公の画家がカトリックの女性と愛し合いながら、女性の方から拒絶される物語だった。
グレアム・グリーンとイーヴリン・ウォーは同時代の作家だった。
「月が上がって沈むまでの人生なのだわ。そのあとは闇なのね」という「回想のブライズヘッド」の最後のジューリアの言葉がまた甦った。
(田中西二郎訳 新潮文庫 2006年版〈1959年初版〉)

ミス・リード『村のあらし』

文字通りに〈あらし〉が村をおそう話かと思って読み始めた。なんと!〈あらし〉というのは電子力発電所の職員用住宅地計画なのであった。
架空の村フェアエーカー村は南イングランドのダウンズ地方にある。隣の村がビーチグリーン、そして近くにある町がカクスレー、村からバスで買い物などに行くところだ。

ある日、ミス・クレアが下宿人のミス・ジャクソンの部屋を掃除していると、窓から見慣れない男が2人、ミラー老人が精魂込めて耕している百エーカーの農地の中にいる。
それが始まりだった。男たちはニュータウン計画のために調査にきたことが村中に知れ渡る。原子力発電所の職員と家族が住む住宅とスーパーマーケットなどの設備を備えた大団地を、ミラー老人の農地とその向こうの斜面を開発して作る。発電所に通勤するためにバスがたくさん走ることになる。
だけど、学校はどうなるんだろう、教会はどうなるのか。教師も牧師も村の人々も寄るとその話で反対意見ばかりである。
【「思いあがった木っ葉役人どもめ。『公正なる価格にて、ご譲渡たまわりたく』なんて、ぬかしやがって。百エーカー農地は百年以上も、わしら一族の所有地だったんだぞ。(中略)わしの目が黒いうちは、そんなことはぜったいにさせやせんぞ」(中略)やるなら、やってみろ」老人はどなった。「やるなら、やってみろってんだ」】
説明会や公聴会が行われ、裕福な老婦人は有名な風景画家が好んで描いた村の風景を損なうと猛反発する。そして手にしうるあらゆる武器を使おうと、建設大臣に抗議のクリスマスカードを送る。ミス・リードの友人エイミーは新聞社に反対意見を何度も投書する。

すべての人が反対ではなく賛成する人もいるし、数週間するといずれ実行されるものとして計画を受け入れる態度が広まっていった。
【問題が始まった初期には、あれほど激しかった反対の意気ごみも、時間的にひきのばされ待たされるにつれて弱まったみたいであった。同じことを、今まではあまりに長く論じてきたので、どちらでもいいといった運命論的なあきらめが、かなり多数の人々の心を支配していた。】
だが、ミラー老人は違った。絶対、ここにがんばっていてやる。

〈あらし〉は過ぎ去った。一週間も雪が降り続いたある夜、カクスレーで集会が開かれた。地区議会の人たちと新聞記者は建設大臣と州当局からの文書を読み上げられるのを聞いた。
住宅地計画は取りやめになった。
(佐藤健一訳 角川文庫  1976年 485円+税)