「ミステリーズ!」4月号に木村二郎さんの私立探偵小説『タイガー・タトゥーの女』

去年の12月号の「ミステリーズ!」で「永遠の恋人」を読んで懐かしさを感じたのだが、今回も懐かしさにひたって読んだ。木村さんはネオハードボイルドといわれている私立探偵小説の翻訳をたくさんされていて、わたしはそのほとんどを読んでいる。木村さんの文体でアメリカの私立探偵の気分を感じてきた。今回も「タイガー・タトゥーの女」を読みつつ、あの時代の翻訳小説を読むときの甘酸っぱさを味わった。

ジョー・ヴェニスはニューヨークに住む私立探偵で、恋人のグウェンと暮らしている。話はいまから15年前の1995年のこと。知り合いの警官から電話がかかった。ジョーが以前つきあっていたミサ・ナガタという女性が自殺したという知らせだった。ジョーがミサを知ったのはその1年半前のことだった。グウェンがボストンへ行ってしまったときでジョーとミサは親しくなる。ミサは肩に虎のタトゥーがあった。
つきあいだして数ヵ月後に突然ミサから東京から恋人がくるので別れたいと電話がかかる。ジョーは自分でも驚くくらい冷静に別れを告げたが、その後もどってきたグウェンには話していなかった。いまミサのことはグウェンに話しておいたほうがいいだろうとジョーは思う。

わたしは1995年を阪神大震災の年として記憶している。だからあの頃のニューヨークかと思いがいく。あの当時のグウェンがアップルのコンピュータを使って、ユードラでメール、ネットスケープがブラウザとジョーに教えて新聞や雑誌が読めるという。ジョーは地下鉄の中にコンピュータを持ち込んで新聞を読むのは厄介だなというが、いまや地下鉄でiPadということをふまえたユーモアでしょう。
(「ミステリーズ!」2011年4月号 東京創元社 1200円+税)

ダイアン・デヴィッドソン『クッキング・ママのダイエット』

「ゴルディ・シュルツ・ケイタリング」を経営するゴルディを主人公としたシリーズ(日本語翻訳では「クッキング・ママ」シリーズ)の15冊目で2010年10月発行。Sさんに貸していただいた。今回もいらいらしながら読んで、読み終わってほっとした。

息子のアーチは大きくなって友だちが泊まりにきたり、また友だちのところへ行ったりと頼もしい少年になっている。刑事である夫のトムとはとても仲良く暮らしている。
ゴルディのゴッドファーザーである弁護士のジャックがすぐ近くに引っ越してきて仲良く暮らしていきた。ジャックはゴルディの最初の結婚での苦労を知ると、離婚してケータリング業をはじめるようにと大金を送ってくれたことがある。元の夫にDVで苦しめられたが、ゴルディが別れてから元夫の妻となりすぐに別れたマーラはずっと親友である。今回も重要な役わり。

ゴルディは結婚式のケータリングを頼まれるが、花嫁のビリーがわがまま放題に育った金持ち娘で、すぐに気分が変わる。献立の変更はあるわ、直前に人数を増やすわ、場所の変更はあるわで、最後に〈ダイエット道場〉のスパに決定。ゴルディのいらいらはつのるばかり。

医師のドク・フィンが謎の死をとげる。彼は死ぬ前にスパを調査していた。ビリーの結婚相手は医師のクレイグで金持ち娘のビリーに引っぱりまわされている。
その間に結婚式の料理をどうするかの話がある。ジュリアンを助手に頼んで手順も確認する。大型冷凍庫と広いウォーキング(?)冷蔵庫にいろいろ入っていて、なんでもできてしまう。仕事で料理するからといって普段の料理を手抜きということにはならない。夫のトムの料理の腕前もたいしたもの。

料理とドク・フィンの死因と、いやらしいスパの経営者との確執と、読者にゴルディのいらいらがうつってきたところへ、ジャックの死が。遺された証拠品からゴルディは謎を解こうとし、危険な目に遭う。
今回はレシピが多い。わたしに作れそうなものはあるかしら。
(加藤洋子訳 集英社文庫 819円+税)

ピーター・トレメイン『死をもちて赦されん』(2)

当時のアイルランドのキリスト教聖職者の間では結婚や出産は“罪”とはされていない。多くの僧院では信仰に生きる修道士と修道女が共に暮らし信仰を広めていた。ローマ派のキリスト教も十二信徒の中の最高位にある聖ペテロでさえ結婚していたことを認めている。にもかかわらず一部の禁欲主義者のみが、あらゆる肉の誘惑を否定しようとしていた。本書に出てくるコルマーン司教もそういう人間である。会議が行われる修道院のヒルダ院長とコルマーンが話しているとき、扉が開いて若い尼僧がすっきりと立っていた。コルマーンはフィデルマの名声を知っており丁寧に挨拶するが、院長はどういうことかと聞く。そこで初めてフィデルマの地位について説明がある。(日本の読者は先に長編3册と短編2冊を読んでいるからよく知っている)院長は当地ではそういう地位は男性のみがついているというと、アングルやサクソンでは女性がかなり不利な立場に置かれていることを知っているという答え。

フィデルマが考え事をしながら歩いていると曲がり角でがっしりした僧にぶつかるが、強い手に支えられる。互いに見つめ合ってその刹那、不可思議な作用がふたりの間に生じる。ローマ式の剃髪をしているからサクソン人であろう。これがフィデルマとエイダルフの最初の出会い。
フィデルマが自分の部屋へ入ると美しい女性が手を差し伸べた。エイハーンは王家に連なる娘だったが夫と死に別れたあと宗門に入った。いまは教養と弁論の才でキルデアの修道院長になっている。エイハーンは愛する人ができたので一修道女にもどってその人と暮らすと決めたと話す。フィデルマはある意味で、羨望を覚えた。

教会会議シノドがはじまる。フィデルマはこれほどの聖職者たちが集まっているのを見たことがなかった。やがてノーサンブリアの王オズウィーが入ってきた。会議中に日蝕がはじまり動揺する人が多い。フィデルマにとって天文学は常識である。光がもどり会議が再開したとき慌ただしく修道女が入ってきた。そのあとでフィデルマは王と院長に呼ばれる。咽喉を切られたエイハーンの死体が発見されたのだ。
王オズウィーは事件を調べることをフィデルマに頼む。そして助手としてエイダルフの名前をあげる。二人が出て行くとコルマーンが「狼と狐を一緒にして野兎を狩り出させるようなものだな」と呟くと、ヒルダ院長は「どちらが狼で、どちらが狐と見ておいでなのか、お伺いしたいものですわ」と返す。
かくて二人の共同捜査がはじまるが、この事件は恐るべき連続殺人の幕開けであった。
(甲斐萬里江訳 創元推理文庫 1200円+税)

ピーター・トレメイン『死をもちて赦されん』(1)

長編小説(1)「蜘蛛の巣 上下」(2)「幼き子らよ、我がもとへ」(3)「蛇、もっとも禍し 上下」を読んで感想を書いているが、(3)の感想をまだ書いてなかった。もう一度読んで書かなければ・・・。短編集(1)「修道女フィデルマの叡智」は感想を書いているが、(2)「修道女フィデルマの洞察」はまだ買っていない。ということは読み直して書かねばならぬのが1冊手元にあり、これから買って読まねばならぬのが1冊あるということだ。

今回読んだのは最新刊の「死をもちて赦されん」で、〈訳者あとがき〉で説明しているけど、本書はフィデルマシリーズ最初の作品である。7世紀アイルランドという特殊な舞台を描いたこのシリーズを訳するにあたって、日本人読者にわかりやすいと思われるものから訳したそうである。だから「蜘蛛の巣」を読んだとき、フィデルマとエイダルフは旧知の間柄であった。

シリーズ第1作の本書で登場するドーリィー(法廷弁護士)のフィデルマは、男性4人ともう1人の女性との旅の途中で木に吊るされた修道士の遺体を見つける。そこで会った修道士と修道女にこの国の状態を聞く。この国を治めているのはオズウィー王だが、息子は新しい妻を迎えた王に向かって敵意を抱いているようだ。フィデルマはアイルランドでは身内の中でもっとも優れた者が後継者になるが、サクソンでは長男が相続するのが理解できないとため息をつく。
突然目の前に海が現れ水平線が彼方に広がる。旅の終わりだ。ストロンシャル修道院の黒い建物が見える。

サクソン人のエイダルフ修道士は船でやってきた。彼は世襲の代官の地位を継ぐべきところを20歳のときに背を向け、古の神々への信仰を捨ててアイルランドから伝えられた新しい神に帰依した。アイルランドのダロウの学問所で学び、医術と薬学に興味をもった。アイルランドともブリテン島のものとも違うローマのキリスト教が違うのに気がつき、ローマへの巡礼に出かける。その結果、ローマ教会のキリスト教原理に献身しようと決意した。
いまエイダルフがやってきたのは、国内外から聖職者がウィトピアへと集まって来つつあるストロンシャル修道院である。帆船は聳え立つ断崖に次第に近づいていく。

【アイルランド・カトリック教会の信徒とローマ派の聖職者の間では、両者の教義をめぐり、長年にわたって論争が戦わされていた。その軋轢が今、ブリテン島において解決されようとしているのだ。】
(甲斐萬里江訳 創元推理文庫 1200円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』のお屋敷

「夜の真義を」の主人公エドワード・グラブソンは幼年時に大きな屋敷に連れて行かれたことがあった。そのときの印象を大人になっても覚えている。
いま好意をもって遇してくれているタンザー卿の秘書に伴われて訪れたのは、タンザー卿の大きな屋敷である。エドワードはこここそ子どものときに行った場所だと確信する。すばらしく美しい敷地に建つ屋敷である。〈訳者あとがき〉によると、マイケル・コックスは本書を書くにあたってイギリスの三つの実在の場所を参考にしたとある。
そのひとつが〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉とあるのに気がついた。サックヴィルだったら覚えている。ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」だ。ウルフの親友で恋人だったヴィタ・サックヴィル・ウェストの屋敷。ヴィタの息子ナイジェル・ニコルソンが書いた「ある結婚の肖像」にも出てきたわと思って本を2冊出してきた。写真がある。このお屋敷が〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉であるかどうかはわからないけど、とりあえず素晴らしく大きな屋敷なので、ここと思って屋敷を訪れるシーンをまた読むことにする。
今夜はせっかく出してきたことだし、「オーランドー」を広げてヴィタとヴァージニア・ウルフのことを偲ぶか。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』

主人公エドワードが語る長い物語のはじまりは1854年秋のロンドン。エドワードは標的に選んだ見知らぬ赤毛の男をナイフで刺し殺す。この殺人は本当に殺したい男を殺すために試しただけだ。エドワードには本当に殺したい男がいる。いままでの人生のすべてを邪魔をした男、恋した女まで奪った男を生かしておけない。
イートン校からの親友ル・グライスとは心を開いてつきあっている。彼といっしょに酒を飲みうまいものを食べているとくつろげる。最近の様子を心配するのでこれまでのすべてを話したが、最後の決心は明かせない。

エドワードはドーセットで作家の母親と貧しい二人暮らしの生活をしていた。12歳の誕生日に母は木箱を持って「これは貴男のものよ」と言った。その箱には革袋に入った金貨が2袋入っていた。エドワードはこの贈り物は一回だけ会った悲しげな目をしたミス・ラムからのものだと思う。その上に母の親友がイートン校で学ぶように手続きもしてあるという。こうしてイートン校へ入学して成績もよく楽しい学生生活を送っていた。

彼の一生が狂ったのは学友のフィーバス・ドーントの奸計によって無実の罪をきせられ放校されたときからはじまった。
ドーントは貧しい牧師の息子だが、母が亡くなったあとに継母に寵愛される。父のドーント師はタンザー卿の領地の教会の仕事や屋敷の図書室の仕事をするようになる。継母とフィーバスは子どものいないタンザー卿に取り入る。その上にフィーバスは文才があり文筆家として人気が出る。

こうして明暗を分けた二人の人生だが、フィーバスの野心はエドワードがこの世にいることが邪魔で、あらゆる手段でエドワードの人生を踏みにじろうとする。

ディケンズの「荒涼館」を思い出した。イギリスの貴族の奥方はすごい。またバイアットの「抱擁」も思い出した。やっぱり芯の強い女性だ。エドワードの母も「抱擁」のレズビアンの詩人も自分が産んだ子どもを他人に託す。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』をようやく読んだ

本書が3月10日に出ると知ったのは1月の末ごろだったかな。編集者がツイッターに熱く書いておられたのを読んで、好みや〜と思い、そうRTしたらフォローしてくださったといういきさつがある。10日になる前に読んだという書き込みがあったので、8日に姉の家に行った帰りクリスタ長堀の本屋に寄ってみたら、あった! でもそのときは「忘れられた花園 上下」を読みおわったところで、感想をあわてて、しかし丹念に2日かけた書いたのだった。
ようやく確定申告をすませ、10日の夜はOKI DUB AINU BANDOの演奏を聴きに行って、翌金曜日はゆっくりと仕事していたら地震があって津波が襲っていた。それに加えて原発事故が起こった。
そしてこの週は会報作り。時々刻々という感じでメールが入りミクシィとブログの書き込みがあって、それへの返信と会報への転載とで慌ただしかった。いらぬ雑事もあって時間と気持ちをとられた。ほんまにようやった1週間だった。前置き長過ぎ。

そんなことで、なかなか「夜の真義を」に取りかかれなくてあせったが、読み出すと現実を忘れて熱中していた。
ディケンズの時代の物語である。作中にディケンズの連載小説が載っている週刊新聞を待っているところがあった。ディケンズに捧げるみたいな気持ちがあるような気がした。ロンドンの霧、ロンドンの倶楽部、ロンドンの売春婦、ロンドンの食べ物、ロンドンの暗黒社会といちいち言いたくなるくらいに、ロンドンが描かれている。
だけど、本書に描かれているのは、現代人の精神の病いではないかしら。最初のシーンで主人公が見知らぬ男性を刺し殺すシーンの不条理は、19世紀に生きている人々を描いているのに〈いま〉(2006年イギリスで刊行)の感覚だ。
権威も良識もある人物から認められ好意をもたれる知性のある青年なのだが、彼の思いはただひとつ、仇を討つことに集中している。大学から放逐されるよう仕組れたところからはじまり、これでもかと押しつぶそうとする相手の禍々しさ。恋する相手さえも奪われるのだが、彼女は奪ったほうの男を愛していて彼をだましていた。
あらゆるものについての細かい描写に心を奪われつつ読んでいき、最後になって現代人の孤独な精神の物語なのだと気づいた。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

ミステリマガジン4月号はジョー・ゴアズ追悼特集

明日25日は5月号の発売日なので書いておこう。ツイッターで売り切れ書店続出というツイートを読んで、慌ててジュンク堂へ行ったのは3月のはじめごろだったか。特集がふたつあって、わたしの読みたいのはジョー・ゴアズ追悼特集なんだけど、売りは「高橋葉介の夢幻世界」なのだ。たった1冊しかなかったのには驚いた。だからツイッターにもわざわざ「ジョー・ゴアズ追悼特集」だから買ったと念押し(?)ツイートしといた(笑)。

特集にはゴアズの短編小説がひとつと、追悼エッセイがふたつある。木村二郎さんの「ハメットを追いかけた男」と小鷹信光氏の「ビッグ・ジョーの思い出のひとかけら」。ゴアズという素晴らしい作家を亡くしたさびしい思いが伝わってくる。
わたしはゴアズのファンで作品はわりと読んでいるほうだと思う。机のそばに「スペード&アーチャー探偵事務所」を置いてあってときどき読む。「ダン・カーニー探偵事務所」ものも大好きだ。ここに出てくる女性たち、キャシー・オノダやジゼル・マークがとてもいいのだ。このシリーズは出版社が違ったりしているがずっと読んできた。

ここに紹介されている短編「黄金のティキ像」(木村二郎訳)は、都会派とゴアズを思っていたから驚いた。フランス領タヒチ島パペエテ港でフェロは「きょうの冒険の問題は、冒険がないことだ」と言う。背が高くて胸板の厚い純血タヒチ人のマチュアがにやっと笑って答えかけたのをさえぎって、大男が声をかけた。船を貸し切りにし黄金のテイキ像を海中で探す仕事を大金を払うからと持ちかけられて、二人は応じる。思いがけない場所の設定だが、ゴアズらしい骨太の作品。〈冒険児フェロシリーズ〉だって。
(ミステリマガジン2011年4月号 800円+税)

シャンナ・スウェンドソン『赤い靴の誘惑』

「(株)魔法製作所」シリーズ第2作で2007年に発行され版を重ねている。おもしろくてたちまち読んでしまった。あと3冊あるのだがここでちょっとお休みして他の本を読むことにする。

ケイティは会社で積極的に仕事して経営者マリーンの信頼も厚い。不祥事があり社内にスパイがいるのではないかという疑いが起こり、彼女が担当者になり張り切る。

デートのための着るものを買いにルームメイトと百貨店に買い物に行くと、まずは靴だとデザイナーブランドの靴売り場へ連れて行かれる。そこにあったのが赤いハイヒールでぴったり合ったが弱気になって買わない。
そこへテキサスから両親が遊びにくるという知らせ。魔法の会社で働いていると言いにくくごまかしつつ、大変な気遣いでもてなす。母の買い物を手伝うのに百貨店に行くと、なぜか母の反対を押し切って赤い靴を買ってしまう。

弁護士のイーサンとランチデートをすると、自分はもっと魔法に近づきたいからと、仕事以外は普通の生活がしたいケイティとの違いを指摘されてふられる。26歳にもなって5年間もベッドの相手がいないとルームメイトに笑われてもしかたないドジなのだ。魔法会社に勧誘してくれたオーウェンとは仕事上で助けあっているが、オーウェンとのやりとりは、今度も「兄」としてだとさびしく思う。
そんな彼女が事件を解決するのに重要な役割を果たす。
【真面目でお人好しだからカモにしやすいと思ったのかもしれないけど、真面目な人というのは人から信頼されるものなの。こっちが向こうを信じていいか迷っているときでさえ、相手はわたしを信じてくれるのよ。】
最後にようやく兄のように接していた男性と愛し合っているのがわかって、よかった。

会社の同僚の失恋対策は「チョコレートのいっき食いと『テルマとルイーズ』の三回連続鑑賞」というのも気に入った。
そして、赤い靴にうきうきと反応してしまった。昔、わたしも赤いハイヒールを持っていた。細い足首がジマンで化粧もしないで足元だけが真っ赤なハイヒール。われながら似合ってた(笑)。
(今泉敦子訳 創元推理文庫 1080円+税)

ボストン・テラー『音もなく少女は』

最初のページはナタリーが書いた読者への短い手紙で、その手紙を出版社に送る原稿に加える。次のページは1975年の新聞記事で、「五十四歳のブロンクスの女性店主、麻薬の売人を射殺」というタイトルでフラン・カールが警察に自首してきた記事である。そして次は、イヴとチャーリーがイヴが住んでいる建物の屋上で毛布を広げて夜空を見上げている。イヴは17歳、チャーリーは21歳。イヴは聾者なのでチャーリーのシャツを引っ張って手話で話す。チャーリーは彼女に銀のネックレスを贈る。

物語がはじまる。イヴの母クラリッサは夫ロメインからひどい虐待を受けているが、宗教上の理由もあって別れられないでいる。ロメインは麻薬の売買のときに怪しまれないように、子ども連れを装うためにイヴを利用している。機嫌をとるために渡したカメラが皮肉にもイヴの未来を決める。
クラリッサと知り合ったドイツ人女性フランはナチスからアメリカへ逃れ、小さなキャンディストアを経営している。彼女が聾者の恋人をもったことに対して、ナチスに恋人は殺され、彼女自身も子宮を摘出された過去を持っている。
二人は親しくなりイヴとともに過ごす時間が増える。カメラを手にしたイヴは、写真を撮ることが生きることになっていく。
聾学校の日々をカメラを持つことで乗り切っていくイヴは、学校行事などの撮影も頼まれるようになる。フランが上級のカメラを買ってくれ、暗室もつくってくれる。
離婚を決意したクラリッサが殺されてしまい、フランとイヴは二人で生きていくことにする。

やがてイヴはチャーリーと知り合い仲が深まる。白人でないチャーリーと聾者のイヴはお互いに遠慮し合っていたが告白しあって恋人どうしになる。チャーリーは里親の家におり、やはり里子の妹ミミがいる。ミミの父親ロペスもまた麻薬の売人で、里親夫婦とチャーリーを脅す。愛し合う二人を襲うロペスの暴力はついにチャーリーの命を奪う。
チャーリーの元恋人のナタリーはイヴと行動をともにするようになり、最初のページの手紙を書く重要な人物となる。

最初から辛い話の連続で読むのが苦しいのだが、それなのにストーリーに沿って読み進んでしまった。現実的には犯し殺す男たちの暴力の前で犯され殺される女たちが描かれているのだが、暴力を振るう男たちの弱さと、暴力に立ち向かう女たちの強さが描かれているのに気がついた。だからずんずん読んでいけて、静謐な最後にいたる。
(田口俊樹訳 文芸春秋 876円+税)