井上靖『夢見る沼』

先日(14日)の日記に書いたんだけど、姉の家でテレビを見ていたら古い刑事ドラマで中村玉緒がデキる女性刑事をやっていた。事件にからむ元刑事がいて知った顔だなと思ったら名古屋章なのだった。年取って太っているけど特徴がある顔だからぱっとわかった。彼が出ている好きなドラマをまだ覚えていて、検索した結果、NHKで1957年に放映された「夢見る沼」とわかった。
活動や登山や交友で忙しくしていたから、落ち着いてテレビを見ている暇もなかったが「夢見る沼」は毎回見ていた。恋愛ドラマとして抜群によかったと思う。名古屋章は二枚目でないところがよかった。女優のほうはだれか忘れたが感じの良い人で、信州のシーンや大阪と京都の間にある淀川べりのラブシーンがよかった。いまも覚えているところがすごい。

原作者の名前も思い出してアマゾン中古本で注文。井上靖「夢見る沼」(講談社文庫)が昨日届いたのですぐに読み出し、ざっと今日読み終わった。ドラマとまったく同じ展開だった。原作に忠実なドラマだったのね。
井上靖の本は家にあった母と姉の婦人雑誌でかなり読んでいると思う。後のノーベル賞候補になったころの作品より、昔の恋愛小説のほうがなんぼおもろいかというのが我が家の女性陣の意見なのであった。

主人公の伊津子は開業医の一人娘で家業と家事を手伝いつつ、わりと自由に暮らしている。学友だった節子の頼みで一方的な婚約解消を告げに信州の八代の家に行く。写真家の八代と話しているうちに伊津子はだんだん彼に惹かれていく。一方、節子は解消した婚約をまた元にもどして八代と結婚しよう思う。

屈託があるから家事に励むのだが、そのころはまだ洗濯機がなかったようで、たらいで洗濯するシーンがあった。京都の叔母のところに行くと晩御飯のサラダが冷たくて冷蔵庫に入れたあったのねと思うところもあって、まだ電気冷蔵庫が一部にしか普及してなかった時代とわかった。
(昭和30年1月号〜12月号まで「婦人倶楽部」に連載)

雑誌が好き

ここ10数年は広告などで見て買いにいったほかは雑誌売り場を見ることもなかったが、最近スーパーの雑誌売り場がきれいになったのでときどき見る。そして先日、「装苑」(特集:ワンピース至上主義)をなかなかええやんと思い買って帰って楽しんだ。おとといは「an・an」(特集:人生を変える本)を見て買おうかなと思ったがなんとなく買わずに帰った。「an・an」を買う習慣が途絶えたままだったからと、女性誌を続けて2冊買うなんてとブレーキがかかって。
昨日考え直してコンビニに買いに行った。特集が本だからだろうが昔の「an・an」を思い出した。本の選び方がうまい。新しく出た本はほとんど読んでないが誘っている本があって楽しめた。(独り言=翻訳ミステリがないやん)

ただ、どちらも本文の文字が細かくて読むのにナンギしている。老眼鏡の上に虫眼鏡が必要なところもあって、読むことを拒否されているとは思わないがほろ苦い気落ちが湧き上がるのは事実だ(笑)。
まあ、テキトーに文字を読んで、あとは写真を見て楽しみますわ。

フランソワーズ・サガン『私自身のための優しい回想』

ディアーヌ・キュリスの映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」を見たらあまりにもよかったので、キュリス監督の20年前の映画「ア・マン・イン・ラブ」を見直したり、サガンの作品でいちばん好きな「一年ののち」を読み返したりした。

次に本書「私自身のための優しい回想」を買って読んだのだが、サガン大好きが復活して、ここ数日はサガンに明け暮れる日々である。
この本を読んだのははじめてでおもしろかった。さまざまな著名人(ビリー・ホリデイ、テネシー・ウィリアムズ、オーソン・ウェルズ、ルドルフ・ヌレエフ、サルトル)と会いに行って話したりつきあったした印象を書いた文章のほかに、賭博、スピード、芝居、サントロペ、愛読書の項目がある。

著名人が著名人に会いに行って気が合い話が合って、これ以上のことはない記録なのでおもしろくないはずがない。
わたしはヌレエフ本人が踊る舞台は見たことがないが、映画になったのは何度も見た。(記録映画みたいに舞台を写した映画を厚生年金会館ホールなどで興奮して見た思い出があるし、レーザーディスクもいろいろ買っていた。)そのヌレエフにアムステルダムまで会いに行って3日間稽古を見て話す。ヌレエフの孤独やこどもっぽさがサガンらしい筆で書いてあっていい感じだ。

以上のインタビューや回想もよかったけど、わたしがいちばん興味ふかく読んだのは「賭博」と「スピード」だ。両方ともわたしとはいちばん遠いところにある。でも、おもしろかった。賭博とスピードに入れあげたサガンがああいう小説や芝居を書いたのだ。
(朝吹三吉訳 新潮社 1986年)

監督・脚本:ディアーヌ・キュリス『サガン ー悲しみよ こんにちはー』

昨日ネットでこの映画があるのを相方が見つけて今日レンタル屋で借りてきてくれた。2008年のフランス映画である。わたしはサガンを描いた映画があることを知らなかった。もうちょっとアンテナを張らなくては・・・

見た後で監督・脚本のディアーヌ・キュリスの名前は知っている、なにか書いているはずと古い日記を探したら出てきた。イタリア、トリノ出身の作家チェザーレ・パヴェーゼを描いた「ア・マン・イン・ラブ」(1987)の製作・原案・監督・脚本の人だった。この映画はなにもかも大好きで二度見たように思うが記憶にしか残ってない。もう一度見たい映画10本に入る。

「ア・マン・イン・ラブ」から21年目の映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」には、それだけの落ち着きがあるなあと感じ入った。前作ではなにもかも詰め込んでいる感じだったが、今回は描かねばならぬことをしっかりと描いていると思った。

フランソワーズ・サガンはわたしにとっては同時代を生き抜いた人である。「悲しみよこんにちは」では、少し嫉妬気味で読まなかったが、「一年ののち」でとりこになった。主人公のジョゼはお金持ち階級の人で、わたしは無産者階級の人だが、感じがそっくりと友人に言われた。それから10数年は左手にエンゲルス、右手にサガンを持って歩んでいた(笑)。

とにかく破格のお金を稼いでおそろしい無駄遣いをする人で、結婚(2回)や出産も経験している。なのに恋する女性の感情を描いてこんなに鋭く繊細な人はいない。どの作品も何度も読んで主人公の言葉を真似したりしているうちに男性をはぐらかす術に長けるようになった(笑)。

映画のサガン(シルヴィー・テステュー)は実際のサガンがやっていると思うくらいに似ていて、年を取ってくるにつれ見ているのがつらくなった。同時代を駆け抜けて先に逝ってしまったという気持ちがあるから。

A・S・バイアット『抱擁』

1週間前に映画「抱擁」を見た。何度も見ている大好きな映画だ。
映画を見終わったら原作の本を読みたくなって、アマゾンの中古本で注文したら〈1〉〈2〉が別々の本屋さんから同時に届いた。喜んですぐに読み出した。すでに図書館で2回借りて読んでいるが、自分の本となったら格別に楽しく読める。
最初は〈1〉から読み始めたが、大好きな最後のシーンが読みたくなって〈2〉を開いた。いまはそのシーンを読んでしまったので〈2〉の最初から読みはじめている。そしたら最後の登場人物たちの中でわからなかった人や関係が理解できて、すごく実になる読書になった。また〈1〉から読まなくっちゃ。

ビクトリア時代の高名な詩人アッシュには妻がいて、女性詩人ラモットは愛する女性画家と暮らしていた。二人は燃え上がった恋をヨークシャーへの旅の4週間で終わらせ、世間に知られることなく別々に死んでいった。いま二人の間に交わされた手紙が現代の主人公モードとローランドと二人に関わる学者たちの手にある。

恋愛小説なんだけど、手紙をめぐる謎と墓を暴いても遺品を手に入れようとするワル学者の執念とそれを阻止するグループ活動はミステリを読んでるのと同じわくわくするものがある。
(栗原行雄 訳 新潮文庫 I II ともに895円+税)

関西翻訳ミステリ読書会 エラリー・クイーン『災厄の町』

久しぶりの読書会、西梅田へ出るならジュンク堂へ寄ろうと思っていたが段取りがうまくできず、行けなかった。シャーロック・ホームズで晩ご飯としてタイカレーを食べてコーヒーとチョコレートでデザート、女主人としゃべっていたらちょうど開催時間になった。場所はとなりの駅前第二ビルである。

翻訳者の越前敏弥さんも来られて大盛況。熱心なファンの発言で活気のある会だった。
最初に全員の自己紹介。さきにメールで提出している自己紹介をまとめてプリントしたものが配られているので、それに補足しながらしゃべる。女性16人、男性4人だったかな。
わたしは昔読んだときに理解できなかった作品中の場所がわかってうれしいということを述べた。災厄の町ライツヴィルの場所がニューイングランドにあること、都会と田舎が接する場所であること。言葉足らずでうまく説明できず、だれもわからなかったと思うが。まあ、こどものときに理解できなかったことが大人になってわかっていま幸せな気分になっているということ。

最後まで間が空かずに話が続けられた。みんなよく読み込んでおられる。間が空いたらなにか言おうと思っているうちに終わってしまった。わたしはそのまま帰ったが、二次会があってほとんどの方が行かれたようだ。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 1200円+税)

ニール・ラビュート監督『抱擁』は何度見ても素晴らしい

2007年に丁寧な紹介&感想を書いているので読んでください。

大切に持っている乙女もの映画DVD10本のうちでも上位に入る。さっきまで見ていたのだが、何度も見ているのにちょっと間が空くとはじめて見たときのような興奮が湧き上がる。ビクトリア時代と現代の恋人たちの姿が美しく描かれていて素晴らしい。

冷たさの中に熱を秘めたモード(グウィネス・パルトロウ)はレズビアン詩人ラモットの研究家で、イギリスに留学しているアメリカ人の学者ローランド(アーロン・エッカート)はアッシュの研究家である。二人の学者のじわじわと育つ恋。ビクトリア時代の詩人アッシュ(ジェレミー・ノーザム)と詩人ラモット(ジェニファー・エール)の激しく燃え上がる恋。

アッシュとラモットが4週間と決めて緑濃いヨークシャーへ列車で旅する。現代の二人は車で同じところへ到着して同じホテルの同じ部屋に泊まる。詩に描かれた滝壺を見つけるシーンがよく、ヨークシャー大好き人としてはたまらない。

原作を図書館で2回借りて読んだのだが、また読みたくなって注文した。
A・S・バイアット「抱擁」〈1〉〈2〉(新潮文庫)

ディケンズ『クリスマス・キャロル』再会と亡霊

中沢新一さんがディケンズのことを書いているのをツイッターで知って、その論文「ディケンズの亡霊」が入っている「純粋な自然の贈与」を買って読んだ。ディケンズの本はわりとたくさんおもしろく読んでいるので、どんなことを書いておられるのか気になって。

最初にロシアのピアニストヴァレリー・アファナシエフの『モーツァルト 幻想曲/ソナタハ短調』のことが書いてある。検索すると90年代の中頃に中沢さんが絶賛して話題となったらしい。わたしは全然知らなかった。「チベットのモーツァルト」をわたし読んでなかったわ。遅くなったけど追いかけねば・・・。
中沢さんはここにモーツアルトの幻想曲から亡霊が出現すると書いている。亡霊や霊は好きというかおもしろがるだけのわたしにはショックなお言葉。それからシューマンのことになって続いてヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」についての話になる。
ヘンリー・ジェイムズは生者の世界の間近まで死者の霊が忍び寄ってくるクリスマスの晩を舞台にして物語を描いた。【亡霊たちの横行するこの冬の夜には、喜びもまた人の世に出現する。】と中沢さんは「クリスマス・キャロル」について語り出す。
そしたらわたしは「クリスマス・キャロル」を大人になってから読んでなかった〜
買いに行こうかと思ったがきっとあるはずと青空文庫を開いたらあったので、いま読んだところ。おもしろかった〜
(中沢新一「純粋な自然の贈与」 講談社学術文庫 960円+税)

たまには雑誌を 『エル・ア・ターブル』

こどもの頃から雑誌が身の回りにいろいろあった。とにかく7人のきょうだいがいたからこどもの雑誌もいろいろ、大人の雑誌だっていっぱいあった。いちばん上の姉といちばん下の妹の年齢の差は20年である。うちの両親は20年の間に7人のこどもを産んで育てたのだからすごい。これだけのこどもたちにご飯を食べさせた上に本も買ってくれたのだから、父親の稼ぎが少なかったとモンクを言うとバチが当たるね。
そんなわけで、少女雑誌から婦人雑誌、映画雑誌、ミステリ雑誌、なんでもある中で育った。姉たちが結婚して出て行ったあとは「それいゆ」「スクリーン」「婦人公論」など少ない小遣いから自分で買っていた。
雑誌買いはずっと続いていたが、雑誌の黄金期と思える時期があり特にたくさんの雑誌を買っていた時期があった。
「アンアン」は創刊号から買っていた。「装苑」も好きだった。「銀花」「流行通信」など大好きだった。誌名を思い出せないものもたくさんある。ずっと後には「オリーブ」もたまに買っていた。

ある時から雑誌が急速におもしろくなくなって買わなくなった。いまも美容院で見る女性誌を自分で買って読む気が起こらない。最近買った雑誌は「ユリイカ」「現代思想」、たまーに「ミステリマガジン」。相方が買う「Wired」は気に入った特集のときに読む。

今日は相方が料理の雑誌を買ってきたというので見せてもらった。「エル・ア・ターブル」79号で、特集が〈“グルメ”と“きれい”を叶える 今、「おいしい」はヘルシー〉。
相方は実用記事として、わたしは昔のように夢のある雑誌として読んでいる。

今日も雨、中沢新一『ディケンズの亡霊』を読んでいる

今日も雨、明日も雨らしい。おとといと昨日晴れていたのを忘れてしまい、ずっと雨が降っているような気がしている。
午後に歯医者に行った。今日の治療は簡単にすんで、このままご飯を食べても大丈夫とのこと。以前、帰ってすぐにご飯を食べていいですかと聞いたので、それからは治療後にご飯は1時間後にしてねと言われることが多いような(笑)。誰にでも言いはるんやろか。

ツイッターでフォローしている「中沢新一語録」で知った「ディケンズの亡霊」が読みたくて収録されている「純粋な自然の贈与」 (講談社学術文庫)をアマゾンの中古本で買った。「クリスマス・キャロル」のスクルージさんのことが丁寧に描かれている。こどものときに読んで、あとは何人かの画家の絵本で知っているだけなので、こういうことだったのかとわかった。ディケンズの前にはヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」の話があって、こちらはわりと最近に読んでいるのでよくわかった。ジェイムズとディケンズの作品に表れた〈霊)の話なのである。
青空文庫に「クリスマス・キャロル」が入っているので、これから読んでスクルージさんを変えた〈霊)を詳しく知ろうと思う。