レジナルド・ヒルの短編『ダルジールの幽霊』

4つの短編小説が集められた「ダルジール警視と四つの謎」を「ダルジールの幽霊」から読んだ。ヨークシャーは11月ですごく寒そう。いまの大阪の寒さを経験しながら読んでいると現実感があってすこぶる楽しい。猫が出てくるし。

ダルジールとパスコーは友人エリオットとジゼル夫妻に頼まれて、彼らが改修した農場の母屋に一夜を過ごすことになった。ジゼルが幽霊がいると怖がっているからだ。ふたりは用意されたサンドイッチとお酒で暖炉の前に座り、ダルジールははじめて警官になったころの事件について語っている。

ひっかくような音を聞いたパスコーが怪しいと言いだす。そこへ電話があってパスコーは署へもどらないといけなくなる。ようやく車を出すと目の前に光るものが・・・それは猫の目だった。ひっかくような音は猫がひっかいていたのだ。母屋を改修するときに猫が住んでいた納屋が取り払われた。猫は果樹園にいたがこう寒くなると外にはいられない。しかも子猫が何匹かいる。パスコーは車を降りて親猫と子猫を抱いて母屋にもどりミルクをやる。
家に入るとダルジールは書斎で金庫から書類を出して調べている。パスコーがなじると、これには理由があり金庫の開け方と道具を用意してきていたが、パスコーがいないときにやろうと署の警官に呼び出し電話を頼んだという。

ダルジールが台所で四つん這いになって猫に子牛のタンのハムを食べさせていたり、パスコーが真夜中に親子の猫を抱いて家に運ぶなどユーモアたっぷりのシーンがあってうれしい短編。(嵯峨静江訳 ハヤカワ文庫 820円+税)

17日は坂口安吾の命日

ツイッターは便利というかなんというか、有名人の誕生日と命日は絶対というくらいにだれかのツイートがある。今日も17日は坂口安吾の命日だとわかった。
若いときは坂口安吾がめちゃくちゃ好きで全集を2回買っている。最初のは同人誌の仲間に持って行かれていくら言ってももう少しということで結局帰ってこなかった。わたしは懲りずにいまだに本を貸しているが、本って返さない人が多いようだ。

そんなに経たないうちに2回目を買った。また買うくらいに好きだったのね、「吹雪物語」が。この全集はかなり読んでいる。年を取るにつれだんだん深刻なものよりも「不連続殺人事件」や「安吾捕物帳」が好きになった。

6畳の和室の壁に沿って天井までの本棚を作り、その下で寝ていたのだが、阪神大震災のときに本棚の上段からばんばん本が飛び出した。安吾全集、泉鏡花全集、南方熊楠全集がふとんの上に散乱していた。頭にでも当ったら大変なことになったろう。すぐにその本棚を取り払って、もう読むことはないと思う本を捨てた。だから安吾全集も数冊しか残っていない。まあそれでいいのだと思う。わたしの遊びは本と雑貨を買うくらいで弊衣破帽生活であるから、読みたくなったらまた買う。

レジナルド・ヒル『骨と沈黙』(2)

ダルジールは自分が目にしたのは自殺ではなく殺人だったという確信をもって聞き込みや捜査を続けている。続けて事故死とされる死があり行方不明者もいることがわかる。

パスコーは建設業者スウェインの事務所へ聞き込みに行く。事務机の前に若い女性が座っていた。机の上には読みかけの本、表紙は〈活劇調ロマンス小説〉風だがタイトルは「ジェーン・エア」が置いてあった。角張った顔立ちで太っていて化粧気がなくハスキーな声にはヨークシャー訛がある。シャーリーはスウェインの共同経営者の娘でまだ19歳だが子どもがいる。いろいろと話しを聞いたあとにパスコーは、
【「・・・純愛の力をもし信じないんなら、あなたは本の選択を誤ったんじゃないかな」彼女は読みさしの『ジェーン・エア』を手にとった。「つまり、ハッピー・エンドで終わるってこと?」彼女はいった。失望したような声だった。「残念ながらね。不幸な結末がいいんなら、男性作家の本を読まなきゃ」パスコーはちょっとからかうようにいった。】

パスコーはダルジールの捜査に加わりつつも、謎の女〈黒婦人〉からダルジール宛に届いた手紙が気になってファイルを調べる。この件で相談した精神科医のポットルは、前作で大けがの経験したパスコーの心理を大切にするようにいう。
【「・・・それに人を助ける上でも役に立つ。たとえば、この黒婦人を、きみは自分で思っている以上に、彼女の抱えているような暗黒を知っているかもしれない」】という。

最後の最後まで必死に〈黒婦人〉を探すパスコー。思い当たる女性を追って無作法をかえりみず走る。シャーリーもその一人として追うのだが、逆境を生きる強さを見せられる。
【彼女は急いで立ち去った。それは、愛し、耐える能力のある、そして、無惨きわまる絶望を越えてなおも生きつづけようとする意思のある、生命力あふれる、強い、若い女性の姿だった。】

そして、最後に見つけ出した〈黒婦人〉は、思いもよらぬ女性だった。
シャーリーが愛おしい。太めと化粧気がないところがわたしと似ているからだけでなく(笑)。今回はエリーよりもシャーリー。
(秋津知子訳 ハヤカワ文庫 1000円+税)

ジョゼフ・ハンセンのブランドステッター シリーズ

押し入れのミステリ箱を掘り出したのはおとといのこと。読書会の課題本「ブラック・ダリア」は厚くて読みにくそうだから読書会前まで置いとく。ロバート・クレイスのエルヴィス・コールシリーズはそんなに忘れてないから結末のところに目を通して友人宛に送る手配。

そしてもう一発! ジョゼフ・ハンセンのデイヴ・ブランドステッター シリーズ8冊(全12冊)をあちこち拾い読み。本の厚さがちょうどよい。映画でいうといまのミステリは2時間30分の超大作みたいなのが多いから、あっさりと90分で終わる昔の白黒映画みたいで小気味よい。
1970年から91年の間に書かれたシリーズでポケミスをずっと買っていた。不足の4冊はどこへいったやら。そのころ読んだ多くの私立探偵小説と同じく〈ネオハードボイルド〉に分類されるのかな。しかも男性の恋人とのやりとりがリアルである。

デイヴ・ブランドステッターは保険会社の調査員をしている。父親がその会社の社長をしていて、いつも落ち着いた結婚生活をするようにいうのだが、デイヴはゲイであることを隠さないで恋人ロッドと暮らしてきた。
家具を買いに行ったときの店員だったロッドと20年にわたる愛の生活だったが、突然の癌でロッドを失い、最初の作品「闇に消える」のときは孤独に暮らしている。そして知り合った青年は亡くなったロッドの存在で落ち着かない。
そしてさっき「砂漠の天使」を開いたら懐かしきセシルが出てきた。

レジナルド・ヒル「骨と沈黙」(1)

ダルジール警視シリーズ9作目になる「骨と沈黙」(1990)を先日買って今日二回目を読了。いつのもように一回目はストーリーを追ってとばし、二回目で細部を味わった。1994年のヒルさんの講演会のときは一冊も読んでなくて、その場で短編集(薄かったから)を買ってサインしてもらった。その次に読んだのが「骨と沈黙」だったが人に貸したままきれいさっぱり忘れていた。それにシリーズ途中の本を読んだのでなにがなにやらわからない。
本気になったのは図書館で借りた「武器と女たち」である。それからは真面目な読者だが、それでもジュンク堂であれっと未読本を見つけて買っていた。そのときはいいようのない喜びなので、これもいいかなと思うことにしていた(笑)。

エピグラムにヴァージニア・ウルフの「波」の一節がある。最後の言葉が「こういう舗道の下には、貝殻と、骨と沈黙が横たわっているのだ。」である。
物語の最初に謎の女からの手紙がある。ダルジールに宛てたものではっきりと自殺すると書いていて、確実に12カ月以内と新年の誓いのようなものだともある。

パスコーは前作「闇の淵」で炭鉱事故からあやうく生還したが、エリーと微妙な仲になったコリンは死んだ。パスコーは脚の怪我の完治を待って休んでいたが明日から仕事に行こうとしている。パスコーとエリーの間はまだ少しぎくしゃくしている。エリーは演出家アイリーン・チャンの広報の仕事を手伝っている。イギリス人の父と中国人の母を持ちバーミンガムで育ったチャンは素晴らしい美貌の持ち主で頭がよく人使いがうまい。次の芝居は中世史劇を野外を舞台にするべく画策していて〈神〉の役をダルジールにと考えている。

ある夜ダルジール警視は酔っぱらって帰りさんざん吐いたあと、狭い庭の向こうを見ると一軒の家の窓に裸の女性の姿を見かける。そのあとは破裂音で、ポルノ映画からアクション映画に変わったように事態は変化した。ダルジールは駆けつけるがゲイルは顔を撃たれて死んでいた。その場にいたのは夫のスウェインとゲイルの愛人ウォータソンで、彼女は自殺だったという。
ダルジールは以前彼らを見たときから虫が好かぬやつらだと思っていた。【偏見と職務が一致したときほど愉快なことはまずない。】
スウェインを逮捕するが、彼は自殺しようとした彼女の手にあった拳銃が暴発したのだと主張する。ウォータソンもそう調書に書いた。
ダルジールは殺人と確信して執拗に事件を調べる。弁護士とのやりとりなど老練な会話、警察長との軋轢もある。

パスコーは職場へ復帰するとすぐに警部から主任警部への昇進を伝えられる。
ウィールドはゲイであることをカミングアウトしたがふだんの生活はなんら変わらない。だが夜間に呼び出されて「ホモ野郎」と殴る蹴るの暴行を受ける。ダルジールがウィールドを精神的に支えるところがいい。
(秋津知子訳 ハヤカワ文庫 1000円+税)

頭の中の過去を発掘

おとといは花田清輝のことを思い出しつつ60年代のことを書いた。頭の中の過去を発掘しているといろいろと出てくるものだ。
以前から古い友人たちと話し合いをしていたのだが、このたび、相方がジャズ喫茶・ロック喫茶 MANTOHIHI(マントヒヒ)]のサイトを立ち上げた。わたしは「MANTOHIHI の思い出 」という項目に「人生の夏休み マントヒヒの日々」という原稿を書いた。
そしてまた発掘! 写真箱を探したらマントヒヒで撮った写真が出てきたので「MANTOHIHI 写真集 」に入れてもらった。40年前のわたしが見られます。

もういっこ。さっき、次の「関西翻訳ミステリー読書会」の課題本ジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」を探しておこうと、押し入れに積み重ねてあるダンボール箱を発掘したらあった! 続いて友人に貸してあげると約束していたロバート・クレイスが4冊出てきた。そしてまた再読したかったジョゼフ・ハンセンのゲイの私立探偵ブランドステッターが主人公のシリーズが8冊出てきた。わーお!

花田清輝「復興期の精神」のころ

今日ツイッターでフォローし合っているかたが「花田清輝」のbotをリツィートしてくださった。すぐにフォローしてツィートを読むと、これが花田清輝の話し方だったよなとうなづける言葉があった。
きっかけはなんだったのか覚えていないが、60年代はずっと花田清輝のファンだった。「復興期の精神」はバイブルのようなもので、西欧へのあこがれをかき立ててくれた。何度も何度も読んで記憶していたくらいだから、文章の最初がわかれば、いまでも続きを暗唱できるかもしれない。

わたしは孤独な文学少女だったが、和文タイプの教室で知り合った人の彼氏のTがやっている同人雑誌の仲間に入れてもらった。そのT氏や中心になっていた労演事務局の人などと知り合って、タイプ印刷の冊子に原稿を載せてもらった。そういうときに知った花田清輝だった。
あるとき文芸講演会があり5人ほどの講演者の中に花田清輝と野間宏が入っていると聞いた。わりと広い会場だったがどこだったんだろう。
花田清輝はかっこ良かった。ハンカチをポケットから出して両手で持ち替えつつ話していた。内容は忘れたがハンカチを持っていたことだけは覚えている。「だれかくみこにあのハンカチをもらってきてやれや」とからかわれたが、それを言ったK氏が亡くなったと人づてに聞いた。そのときいたWさんとT氏が亡くなったのを最近ネットで知った。

60年代も後半になると「アヴァンギャルド芸術」「近代の超克」「もう一つの修羅」を読んだがそれほどの熱狂はなく、「復興期の精神」で花田さんがふれている作家や、もっと新しい作家の作品を読むようになっていった。
花田さんはその後はけっこう有名になったみたいで、父親が読んでいた文芸雑誌に「ヴィクター・マチュアに似ている」と写真付きで出ていた。たしかに似ていた。ヴィクター・マチュアが「サムソンとデリラ」に出ていたころの話だ。
そうそう、ミステリを書くと言われていたように覚えているが結局書いてないのかな。チェスタートンのことを書いていたのを思い出した。

わたしは運がよくて、探さなくても文学仲間に恵まれたし、山に登ってみようと思う前に登山青年が目の前に現れた。音楽もしかりでいろんな分野のかたと知り合いになっていまにいたる。パソコンとネットでは相方にお世話になっているがこれも運命のなせるわざ(笑)。

なんか最近はツイッターで昔読んだ本や昔見た映画を思い出させてもらうことが多い。思い出したことはぼちぼちと書いていこう。

井上理津子『さいごの色街 飛田』

会社勤めのころ男性ばかりの職場だったから男性どうしの話を漏れ聞いていたし、わざわざ女子のわたしの耳に入るようにしゃべるやつもいた。飛田や松島やキャバレーやアルサロや、いやでも耳年増になっていた。売春防止法もなんのその遊ぶところはいっぱいあったようだ。「店先で見た女と恋愛してから2階へ上がるんや」と教えてくれたおっちゃんがいた。ほんまに杓子定規には世の中はいかないものだということを若いわたしは思い知っていた。だって会社の連中は働き者ばかりやったから。

本書を開くとすぐに、著者が知り合い等に声をかけて飛田経験を聞いている。普通の男性たちがものすごく具体的に語っているのにおどろいた。「不倫するより健全」「150回行った」という人たちがいる。老人ホームのバスから降りて杖をついて店に入っていく老人たちがいる。

本の入り口でおどろくが興味が深まって次へいくと「飛田を歩く」章になり、飛田への道の説明となる。地下鉄御堂筋線の動物園前駅で降りて道路へ出ると北側はじゃんじゃん横町を経て新世界へ出る。南側へ行くと飛田商店街(いまは動物園前一番街となっている)である。この道を行くとトビタシネマがあったと思い出して検索したらいまもある。70年代はここでけっこう映画を見た。
地下鉄御堂筋線は大阪の中心を走っている。千里中央から新大阪、梅田、そして御堂筋に面して淀屋橋、本町、心斎橋、難波と大阪の中心地があり、そこから2駅で飛田に通じる動物園前駅があるのだ。わたしは新世界が好きで東京から友だちが遊びにくると連れて行くが、みんな動物園前駅から路上に上がると荒涼とした風景にたじろぐ。わたしは向こう側の道へ入っていくともっとすごいところやでと言いつつじゃんじゃん横町へ案内している。

「飛田のはじまり」では、詳しい場所の説明があって飛田の歴史が語られる。〈日本で最初の女子デモは大阪 井上理津子「さいごの色街 飛田」から〉に書いた反対運動もこの章である。
ヤクザの取材やここで働く女性たちへの取材、店主たちや店のさまざまな仕事に携わる人たちへの取材も生々しく読み応えがある。

最後の飛田からこつ然と姿を消した原田さんを探し出して雪の北陸へ訪ねていく章がよかった。
(筑摩書房 2000円+税)

井上理津子『さいごの色街 飛田』

週刊誌で広告を見て買おうと思っていたら12.11のデモ帰りに本屋があった。すぐに読みはじめて、日本で最初の女子デモは大阪という記述にぶつかって、わたしも参加したデモ「原発いらん!女子デモ!? だれデモ!@大阪」とからめて書いた。その後、木村二郎さんにいただいた本の感想を書いて、年末の雑用をしていたら年が明けて、なんやかんやでもう1月が終わる。
先週ようやく読み上げたが雑用が多く館山緑さんのライトノベルの感想を書いただけで雑文ばかりだ。なんか弁解ばかりしているが、年月かけて調べて書いた本だからちょこっと書くわけにいかない。と言いつつ、やっぱりちょこっとだけしか書けないか。

本書を読んで、飛田という街についてここまで書いた人がいることに驚いた。この本は男性には書けないし、女性だって井上さん以外に書けない。縦横無尽に飛田にせまっている。飛田という独特な街と住んでいる人たちへの愛があるから書けた本である。好奇心で読んで愛にうたれる。

わたしが中学生のころ、郊外の下町っぽいところに住んでいたのだが、あるときFさんとこの娘が飛田にいるというウワサが駆け巡った。近所の男が飛田に遊びに行って、店に座っている彼女を見かけたというのだ。わたしよりも3歳ぐらい上の彼女はハタチを前にして大人の女だった。貧しいわけではなく男が好きなんだって。飛田にいると言われても当時のわたしにはわからなかったが、彼女が侮蔑されていることはわかった。大人たちが飛田というときの独特のニュアンスが頭に残った。

遊郭についての思い出はもう一つある。阪神沿線にある会社で働いていたとき、正月に数人のグループがこれから松島遊郭に初買いに行くという。彼らは楽しげにタクシーで出かけて行った。年中行事だったらしいが翌年は参加者が減ってたしかこの年で終わったのだった。

そして現実の飛田というには古い話だが、1970年代に天王寺区旭町にあったジャズ喫茶マントヒヒに通っていたころは、今池の駅から歩いていくと飛田へ曲がる道が右側にあった。暗い道の向こうにピンク色の街灯が見えて神秘だった。

本書を読んでいるうちに飛田や遊郭にかかわる三度の経験を思い出した。本の感想はこれから。
(井上理津子著 筑摩書房 2000円+税)

館山緑『子爵探偵 甘い口づけは謎解きのあとで』

コナン・ドイルによる〈シャーロック・ホームズの物語の本〉が刊行されている時代の物語。
格別に貧しくはないが家族に疎まれて育った少女ステラ・D(このDが謎のひとつ)は、美術商の一家の世話になりながら美術を扱う仕事を覚えようとしている。そして主人夫婦の母親メイジーから可愛がられおばあちゃんと呼んでいる。知り合いが突然亡くなって、頼まれていたキプロスにいる妻へ形見の品を渡しにいくとメイジーが言い出し、知り合いの中年男性バークとともにステラ・Dは付き添って豪華客船に乗ることになった。
乗船して間もなくホームズに憧れて名探偵になりたい貴族の青年イアン・ローランド子爵と出会う。イアンは自分はホームズのつもりで、ステラ・Dにワトソンにならないかと誘うがにべもなく断る。
ステラ・Dは舞踏会や豪華な食事や華やかなものには向かない自分を感じながら、足の悪いメイジーの相手をして過ごす。もう一人一等船客の男が声をかけてくれ、メイジーとバークはステラ・Dに社交生活を楽しむようにしむけてくれる。

何日目かの朝食前に船員がやってきて、ステラ・Dを別室に連れて行く。バークが音楽室で殺され、ステラ・Dが書いた誘いの手紙がそこにあったというのだ。なにも知らないとステラ・Dはいうのだが信じてもらえなくて監禁される。そこへイアンが来て下船するまでに事件を解決すると約束する。イアンはたくさんの召使いを連れて豪華な船室をたくさん使っているので、その一室にステラ・Dを連れて行く。
ふたりは真犯人を探し出して事件を解決するが、だんだん惹かれ合うようになり、ついにはベッドへ・・・。
ステラ・Dの自立心や階級の違いからの軋轢をさけようという気持ちが恋をさまたげて、すぐにはハッピーエンドにはならない。そうそう、ステラ・Dの〈D〉の謎もイアンは解く。

わたしは何度も書いているが(笑)、少女小説が大好きである。「あしながおじさん」「リンバロストの乙女」「ジェーン・エア」など飽きもせずに何度も読んでいる。ミステリではドロシー・L・セイヤーズのハリエットとピーター卿もそういう少女小説的要素で好きなんだろうと思う。ただ貧しい美少女と金持ちの男性というだけではダメで、少女は頭が良くて美人でないが個性的で自立心が強くて、男性は他の女性になかったものに惹かれる。本書のイアンもきっと貴族やお金持ちの令嬢に飽きていて、拒まれたことが新鮮だった上に頭が良くてはっきりとものを言うところがよかったのでしょう。ミステリ仕立てのところもわたしに向いてた。

いま気がついたのだが、皆川博子「開かせていただき光栄です」がロンドンで、木村二郎「ヴェニスを見て死ね」「予期せぬ来訪者」がニューヨークで、それに次ぐイギリスを舞台にした日本語による作品というところもおもしろかった。
(ひだかなみ絵 ティアラ文庫 552円+税)