ジャネット・イヴァノヴィッチ『あたしの手元は10000ボルト』前書き

いまこのブログのサイト検索したんだけどジャネット・イヴァノヴィッチではひとつも出てこなかった。数冊は読んだはずだけど、そんな昔だったのかとブログ以前のVFCサイトにある「kumiko pages」を探したら4作目と5作目の感想が出てきた。
最初の「私が愛したリボルバー」は1996年、いまから何年前よ、と指折って数えたら17年前のこと。ヴィク・ファン・クラブはあったが、当時はまだミクシィはなかったから、もっぱら口コミと会報の原稿で話し合ったのね。いまも思い出すけどすごく人気があった。友だちや姪たちが騒いでいて、ちょっとわたしは引き気味だった。

「kumiko pages」はサイト内検索が切れてしまったので、いま探したのをここに載せます。

#4 ジャネット・イヴァノヴィッチ「サリーは謎解き名人」
ジャネット・イヴァノヴィッチのステファニー・プラムもの4作目、扶桑社、734円+税。第1作「私が愛したリボルバー」が出たときはとても評判が良かった。女性だけではなく、男性にも良かった。それで、へそ曲がり、ではない、素直なあたしはいやになってしまったのだ。
男性がこの女の子なら許せる、みたいな可愛さがあるのが匂ってきたのだ。それで2作目からは感想を書くのがなんとなくね…。ところが、4作目にいたって、そのハチャメチャさがフツーでないのがよくわかってきた。ここまできたら男性が笑って許せる女の子ではない。もう文句言わんとほめることにする。すっごくおもろいわ。
1999.6

#5 ジャネット・イヴァノヴィッチ「けちんぼフレッドを探せ!」
バウンティ・ハンター(保釈保証会社の逃亡者逮捕請負人)のステファニー・プラムが主人公のシリーズ第5作目。4作目「サリーは謎解き名人」が出たのが99年10月なので、ファンは2年待っていたことになる。わたしは待っていなかったけど、友人や姪が待っていて、情報がないかとしょっちゅう聞かれていた。さっそく買って読んだ姪からはすぐおもしろかったとメールがきた。わたしは買ってまで読む気は起こらず、彼女は関東方面にいるので、ちょっと貸してというわけにはいかない。そこへ大津のDさんが買ったというメールがあったので例会に持ってきてもらった。
さっそく土・日・月で読んでしまった。やっぱりおもしろい。車が爆発したり、取っ組み合いしたり、つけ回されたり、ハードな出来事が続出するんだけど、気にならず読み通してしまう。軽い。湿り気がない。ま、いまのようなときに、明るい午後の日差しを浴びて読むのにちょうどいいかもしれない。かっこいいオトコが3人出てくるしね。(扶桑社 762円+税)
2001.9

探すのに時間がとられたので、「あたしの手元は10000ボルト」についてはいずれ書きます。
(細美遥子訳 集英社文庫 838円+税)

モーヴ・ビンキー『イヴニング・クラス 上下』

先日読んだ「サークル・オブ・フレンズ 上下」は映画(パット・オコナー監督)を見て原作を読みたくなりアマゾンの中古本で買ったもの。映画もよかったが原作もよかった。それで訳者だったか解説の栗原知代さんだったかが良いと書いておられた「イヴニング・クラス」を続けて買った。広告のページにはあと3冊あるけど、まあここまでにしようか。すごいストーリーテイラーで読み出したらやめられないというのはこのことかと思った(笑)。

エイダン・ダンはダブリンの高校教師でずっと次は校長になれると思っていたが、嫌っていたトニー・オブライエンが校長になることに決まった。ふたりの中は気まずくなる。トニーはエイダンの娘と知らずに彼の娘グラニアと恋愛中だ。これはまずいと考えた結果、エイダンには彼が好きなイタリア語のイヴニング・クラスをつくってまかせることにする。

かたや、ノラ・オドナヒュー(シニョーラ)が26年ぶりにシシリー島から戻ってきた。恋人を追ってイタリアに行ったものの古い町には彼の許嫁がいた。彼女は近くに部屋を借りて手仕事で自活していたが、彼が事故死したので帰ってきたのだ。

イヴニング・クラスに集まった30人あまりの、それぞれ問題や愛を抱えた生徒たちの物語が語られる。
クラスはそれぞれイタリア名前で呼び合うことになり、アイルランド名前とだぶるからややこしい。いろんなかたちのカップルができていく。
シニョーラの教え方に人気があがり誰も辞めないし、みんな仲良くなり、講座の終わりにはイタリアへ行こうと盛り上がる。
そして、イタリア旅行の日がきた。

マーク・ローレンス監督「トゥー・ウィークス・ノーティス」

ヒュー・グラントが好きだと言ったらT氏が出演作を何本か貸してくださった。その中の「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2002年)をいま見終わった。共演のサンドラ・ブロックは昔から好きな女優だ。ふたりともイヤミがなく楽しく見られて終ったらいい気分になった。楽しいラブコメディ大好き。

ハーバード出身の弁護士ルーシー(サンドラ・ブロック)はニューヨークの由緒ある公民館の取り壊し中止の運動をしていて、友人カップルとともに工事場所に毛布を敷いて横たわり反対の意思表示をする。そこにきた大手不動産会社のCEOジョージ(ヒュー・グラント)は取り壊しをしないと約束し、彼女を自分の会社で働くように頼む。仕事ができる彼女を頼りだしたジョージは私生活の相談もするようになり夜中でも電話する。耐えられなくなったルーシーはあと2週間で会社を辞めると申し出る。後任の弁護士はもっと美人のできる女性で、ジョージにも上手に接するのでルーシーは心中穏やかでない。
ジョージは公民館を活かすと損失が出ると共同経営者の兄に言われる。それを聞いたルーシーはジョージを非難。
パーティに出席していたルーシーを見て変身したような美しさに見とれたジョージだが、新しい弁護士の手にものって下着姿のところをルーシーに見られて狼狽する。

ルーシーの新しい職場に行ったジョージは公民館を残すというスピーチの原稿をこれでいいかと読み上げる。帰って行く彼を彼女が追いかけて抱き合う。
公民館を残すことにしたジョージは会社をクビになりルーシーの家に同居する。いつも中国料理の配達を頼む電話ではじめて箸を2人分頼むルーシーの後ろでは、この家は端から端まで6歩で歩けるとぶつくさ言ってるジョージ。

連続SUBははじめて

昨夜SUBへ行ってしゃべっているうちに明日も来ようと常連さんと約束した。店主の長谷川さんにも帰りに「では、あした」と挨拶した。
だから、今日は夕方から出かける段取りしたが、起きたのがお昼なので日が短い。昨日の晩ご飯と今日の昼ご飯の間が長く、晩ご飯までの短いこと(笑)。

今夜の演奏は、長谷川朗さんのサックス、井上幸祐さんのベース、中道みさきさんのドラムだった。年配客が多かったせいか静かな曲が多かった。どうやらわたしも年配客に入っていたらしくて、帰りによかったでしょと言われたので、フリージャズ育ちでっせと訂正&抗議(笑)。
2ステージ目の最後にようやく激しい演奏になり中道さんのドラムが炸裂という感じでとてもよかった。
11時をだいぶ過ぎてから高槻ジャズストリート帰りのミュージシャンが2人来られて、これからやろうという話になっていたけど、地下鉄があるうちにと帰ってきた。きっとよい演奏だったろうなとちょっと悔しい。

SUBで、竹田さんのギターと石田さんのボーカル

連休後半第一日はいろんなところで催しがあるようだがわたしはSUBへ行った。
今夜は竹田一彦さんのギターと石田裕子さんのボーカル。
「今日は無料のところ(高槻ジャズ・ストリート)があるのに有料のSUBに来てくれてありがとう」というMCではじまった。

ギターとボーカルというプレーンな組み合わせはどんな感じかなと思っていたら、竹田さんのギターはときにドラムのように力強くボーカルを支え、ときには繊細に、変幻自在な演奏だった。
1セット、2セットともに、1曲目は竹田さんのソロで、2曲目からはボーカルが入った。
石田さんの声は低くて気持ちよく久しぶりにジャズボーカルを聞いた気分になった。技巧を感じさせないうまい歌いぶりが気に入った。聞きながらアビー・リンカーンを思い出していた。あのときもいちばん前でアビーの膝とわたしの膝はときどきぶつかっていたっけ。今日はぶつかりはしなかったけど、やっぱりいちばん前に座ってた。続いてカーメン・マクレー(ジャズ喫茶で2回)、ニーナ・シモン(フェスティバル・ホール)と、聞きにいった歌い手の名前を思い出した。3人ともアフリカ系アメリカ人である。石田さんの歌いぶりはこの系統の感じだった。久しぶりにジャズボーカルを聞いたという気になった。

終ってから竹田さんの紹介で石田さんともお話させてもらった。竹田さんは1961年に同じ場所にいたという同志的感覚があって、とってもひいき目に見てくれているから、わたしはトクしてる。石田さんのすごくおしゃれな名刺をもらってラッキー。

終ってから久しぶりに会った男子と少しおしゃべり。おおかたはわたしがしゃべって、彼が相づちをうってくれていた(笑)。そこへ店主でサックス奏者の長谷川朗さんも加わって雑談。このトシになっても男子が話し相手になってくれるのは幸せだわ(笑)。

木村二郎「残酷なチョコレート」

封筒から出したらすごくおしゃれなハードカバーで、帯に「職業、私立探偵。依頼の件はオフィスで聞こう。」とあるのがカッコいい。
読み終えてから気がついたのだが、カバーの写真が〈マンハッタンヘンジ〉みたいだ。ほんまにいま気がついたところ(笑)。ウィキペディアに「ニューヨーク市マンハッタン区の碁盤の目状の大通りの東西方向の通りにちょうど沿って太陽が沈むとういう一年に二回起こる現象である。」とある。本書の中の「この母にしてこの息子あり」に〈マンハッタンヘンジ〉の写真が部屋にかけてあるというところがあって気がついた。

雑誌「ミステリーズ!」に掲載された「永遠の恋人」「タイガー・タトゥーの女」「残酷なチョコレート」の3作を読んで感想を書いたのが当ブログに入れてある。
あと2作「バケツ一杯の死」「血は水より危険」を読んでいなかったのが残念だが本書で読めた。それに書き下ろしの2作「ツインクル、ツインクル」「この母にしてこの息子あり」が入っている。
(その他に女性探偵フィリスが活躍する「偶然の殺人者」があるのを忘れないように書いておく。)
いつものお気に入りの本と同じく、さっと読んでしまってからもう一度ゆっくり読んだ。

わたしは外国語ができないので翻訳にたよって読書している。家にあったのは童話のようなものでも翻訳ものであった。それが幼年時から続いていていまも同じくで主に翻訳ミステリを愛読している。日本語のミステリを友人がたまに貸してくれるが最後まで読み進めない(池波正太郎だけは別)。そんなわけで日本語で読んでいるんだけど、ヨークシャーだったりデンマークだったり、ニューヨークだったりするのを楽しんでいる。わたし以上に楽しんでいるひとはいるかなと思うくらい(笑)。
木村さんの小説は翻訳もの感覚で読めるということも好きの原因だと思う。それも直訳みたいなところが好きである。

それぞれの作品の前にマンハッタンの地図がある。作品ごとに出てくる場所が記入してあって親切だ。ヴェニス探偵事務所、恋人のグウェンと住んでいるアパート、グウェンの仕事場を地図で見てなんだか安心する(笑)。この距離だとタクシーかなんて思ったり。

「残酷なチョコレート」を読んだとき(2011年12月)の感想にはヴェニスは55歳を越えていると書いた。今回はミステリー作家の友人ジェイク・ヘイウッドを、おれより少し年下と書いている。その後にジェイクは60歳前後と書いているから、ヴェニスは60歳を少し越えたようだ。
仕事を終えて家に帰ったときのグウェンの迎え方やふたりの接し方は長いつきあいの夫婦だと思うけど、ヴァレンタインズ・デイ・プレゼントにバラを贈るのに、ちょっと玄関に置いていたり、いい感じ。

ヴェニスだけでなく他の登場人物のオーディオやラジオやiPadからジャズが流れる。きちんと曲名とミュージシャン名が書かれていてその人間を知る助けになる。ふたりが食後に見るDVDも古い趣味のよいハリウッド映画だ。テレビを見ているシーンがないのもいい。
(東京創元社 1900円+税)

ピーター・チェルソム監督「セレンディピティ」

久しぶりに大好きなジョン・キューザックを見て楽しんだ。長いこと見ていなかったので好きなことも忘れていた(笑)。
ビデオのタイトルは「セレンディピティ〜恋人たちのニューヨーク〜」 となっているそうで、こちらのほうが内容がわかりやすくていい。2001年製作。
いまニューヨークの私立探偵ジョー・ヴェニスの本(木村二郎さんの「残酷なチョコレート」)を読んでいて気分はニューヨークなのでちょうどよかった。

クリスマス前のニューヨークのデパートで、同じカシミアの黒い手袋を買おうとしたジョナサンとサラ(ジョン・キューザックとケイト・ベッキンセール)は、在庫はそれしかないと言われ、取り合いしたり譲り合ったりしたのちカフェで話す。
ジョナサンは名前を5ドル札の裏に書き、サラは持っていた本に書いた。それを両方とも手放し、運を天に任せようとサラはいう。
マフラーを忘れたジョナサンと、手袋が入った袋を忘れたサラは同時にカフェにもどり、いっしょに雪の降るスケート場でロマンチックなひとときを過ごす。そとあとはウォルドルフ・アストリア・ホテルのエレベーターで別々のエレベーターに乗って同じ階で降りたらという(サラは黒い手袋の片方をジョナサンに投げる)が、すれ違ってしまう。

数年後、ふたりはそれぞれの相手との結婚がせまってきている。いつも古本屋で同じ本を探しているジョナサンに婚約者はその本の初版本を贈る。
サンフランシスコで心理カウンセラーをしているサラはミュージシャンとの結婚式を前に友だちを誘ってニューヨークへ婚前旅行をする。
ジョナサンは明日は結婚式だというのに友人の助けを借りてサンフランシスコのサラの自宅へ行く。窓からベッドシーンが見えたのをサラと誤解して落ち込む。
帰りの飛行機に乗り込んだサラはジョナサンの連絡先がある5ドル札を見つけてあわてて降り、ジョナサンの住まいに直行。いまごろは結婚式だといわれてあわててホテルへ向かう。

うまい脚本で軽快に進むストーリーが楽しい。ジョン・キューザックが気楽そうなところもよかったが、必死になるところもよく、男の友情もよろしいし、百貨店の係員とのやりとりもコメディタッチでよかった。最後に片方ずつの黒い手袋が一対となるのもおしゃれ。

ピーター・チェルソム監督「ヒア・マイ・ソング」

アイルランドはこういうところと思うそのままが出てくる素晴らしい?映画だった。緑濃く水清いアイルランド。妖精もいるのだ。

リバプールのミュージック・ホール ハートリーズの若い経営者ミッキー・オニール(エイドリアン・ダンバー)は経営がうまくいかず家主から立ち退きをせまられている。窮余の策として50年代に脱税容疑をかけられて逃げたオペラ歌手ロックを出演させる。ところがそれが偽物だった。逮捕しにきた刑事(懐かしき「ナポレオン・ソロ」のディビット・マッカラム)が一目見て違うと言う。昔の恋人キャサリンも最初はだまされるが気がつく。キャサリンの娘ナンシー(タラ・フィッツジェラルド)はミッキーの恋人だが、これで無視されてしまう。

ミッキーは本物のロックを探しにアイルランドに到着。昔の知り合いに声をかけると車を出していっしょに探しに行ってくれる。緑濃いアイルランドの村々を走るが、あるところでは妖精に騙されると上着を裏返して着る。そしたら石の上にガマガエルのようなのがいたり。夜はテントを張ってキャンプ。朝起きて水を汲みに川へ行くとロックそっくりの男が車に乗っているのが見え、そのまま追跡。
ロック(ネッド・ビーティ)を説き伏せるのにいろいろあるが、アイルランドではこうあってほしいと思うことがどんどんある(笑)。
夜の海の景色がなんともいえない美しさ。深い井戸があって、月が輝いていて、牛が走る。
翌朝いちばんに友と別れ、船でリバプールに到着。いっしょに来た連中がみな楽器を取り出す。

そしてコンサートの前。ロックはキャサリンと再会。ミッキーはナンシーと仲直り。たくさんの観客の前でコンサートがはじまる。入りきれない人たちに拡声器から歌声が流れる。そこへ警官隊の到着。もしかして歌に感激して見逃すのかと思いきやそんなことはおまへん。あわや逮捕されるかと思うと天井から大きな物体が。

気持ちのよいラストで今夜は気持ちよく眠れるだろう。1991年製作のイギリス映画。

昔乗ったバス

今日は亡くなった義兄(次姉の夫)の33回忌だった。わが家が第二次大戦の空爆で焼け出されてからずっと住んでいた家に、姉の家族が家を建て直して住んでいる。
わたしはかなり長いことここに住んでいた。阪急沿線とはいえ不便なところで駅まで遠かったのを歩いたり自転車に乗ったりしていたが、バスが開通してすこしラクになった。あまり本数はないし、夜は早く終ったけど。
姪から電話で駅まで車で迎えに行くということだったが、昔みたいにバスで行くわと言ったら、この前といっしょやなと笑われた。前回は駅から歩いて道を間違え、お経がはじまってから到着して、センチメンタル・ジャーニーやってる間に迷ったんやと言い訳したのを覚えてたってわけ。
今日は慎重に梅田のバス停の場所と発車時間を調べておいた。バスに乗って窓から外を眺めながらの40分の旅だった。小銭もちゃんと用意してたし降りる場所も間違えず。

お経が長い上に説教も長いのを聞きつつ、義兄のことを回想していた。大正の末に生まれて、大阪で働き出したときに赤紙がきて中国戦線で戦って戦後復員した。戦線の話はせずに桃源郷って言葉はほんまやでと桃の林が美しかったことや、上官の馬の世話係をやっていたことなどを話してくれた。わたしも若かったからそれ以上のことを聞けなかった。

お昼は近所の和食店で懐石料理を食べながら姪ふたりとこどもたちとしゃべって笑った。今度彼らと会うのは姪の夫の三回忌である。

鬼蔵さんがジョン・ライドンに電話インタビューした記事が「BOLLOCKS」#007に掲載されています!

先月のことだけど、ツイッターで鬼蔵さんが「ジョン・ライドンにインタビューする仕事がきた!」と書いていたのでびっくりした。前々からパンク系のライブで通訳したり、音楽雑誌で翻訳しているのは知っていたけど、直接ジョン・ライドンに電話インタビューとは!! 2・3日前にはドキドキしているという書き込みがあって心配したけど、掲載誌を読んだら堂々たるインタビューぶり。

○ジョン・ライドンとは

70年代後半に世間を驚かせたロンドン発セックス・ピストルズの輝けるヴォーカル。
セックス・ピストルズは1975年にライブデビュー。
労働者階級出身のジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスたちは世界の若者たちをとりこにした。
わたしは1978年からパンクミュージックに魅せられて来日したバンドのほとんどを聞きにいった。若い友だちもたくさんできて、そのひとりMちゃんはロンドンで買ったセックス・ピストルズのTシャツ、とさかのような赤髪に大きな安全ピンをあちこちに刺して、道行くひとが振り返って見ていた。

セックス・ピストルズは78年に解散したが、その年の終わりにジョニー・ロットンはジョン・ライドンと名前を変えてPiL(パブリック・イメージ・リミテッド)を発足。
わたしは円盤型の金属製ボックスに入っていておしゃれな「Metal Box」は高価で買えなかったけど、セカンドエディションのレコードを買ってよく聞いていた。
83年にPiLが来日して大阪公演は厚生年金会館中ホールだった。まだセックス・ピストルズの記憶が強くて、あのジョニー・ロットンだったジョン・ライドンを目の前にして興奮した。
それからジョン・ライドンとPiLは活動を休止していたけど、2009年に活動復活。

○ジョン・ライドンへのインタビュー

「ハロー」調子はどうとジョン。鬼蔵さんは「子供の時からのヒーローと話せるということで興奮が隠しきれません。泣きそうです」と答えて「想像できるよ(笑)」とジョン。こうしてはじまったインタビュー「いまLAに住んでいるけど庶民はどこでも変わらないね」

レコード会社の話になって、「自分のレーベルを立ち上げることになったんだよ。音楽業界から独立したってことだ」「問題は流通と販売だったけど、全て自分たちでまかなうことにした」「レーベル名がPiLだよ」。アルバムのアートワークもジョンである。動物愛護家のジョンは動物園に反対で自由に大地を走り回る動物を描いている。
「留まっていては、退屈でしょうがないよ! 物事はやればやるほど深いところが見えてくるし、知識も増えて新しいことに挑戦したくなる。イギリス人以外にはなかなか理解できないメンタル的なことだと思うが、威厳を持って歳をとっていくということなんだよ」

「本物のPUNKじゃない奴ら。PUNKってなにかわかっているのかと思う。あれは自分の生活と経験の中で辱めを受けたから生まれてきたものなんだ。街で脅かされ、警察には追われ、挙げ句の果てには裁判所にまで連れて行かれ・・・もう30年前のことだけど、そこから始まったのがPUNKだ」「35年前にいわゆる当時のPUNKと言われる服装をするということは、一種の覚悟がいった。侮蔑の言葉を知らない奴から投げかけられてもかまわないというね」「(いま)俺が他人と同じような服装をしていたら、それこそ亡くなった両親が、そこまで凡人になってしまったのかと嘆き悲しむよ」

音楽の話になって、いまのメンバーのこといろいろ、レコード制作の主にお金の苦労のことで18年経ってしまったことなど。そして「俺がPiLそのものであるのは間違いないね。だって俺が一人ですべての支払いを担っているんだから(笑)」

鬼蔵「貴方が及ぼした万人への影響は計り知れないと思うのですが、その辺はどのように捉えてますか?」
ジョン「影響を受けた人の中には二種類あると思う。一つは純粋に影響を受けている人々、俺はそういう人には尊敬の念をはらうし、正直さに感謝する。ただし、もう一方は影響を受けたと言いながら、ただ人の物を盗用して自分の利益にしているヤツら。そういうヤツらには過去痛い目にあわされたから、影響というのも考えものだね」
(「BOLLOCKS」#007 メディア総合研究所 発行 890円+税)

ヴィク・ファン・クラブ会報「Vic Fan Club News」4月号から転載しました。