ヴィク・ファン・クラブはステキ

昼過ぎに東京からのSさんと心斎橋駅ホームベンチで待ち合わせ。戎橋から道頓堀へと歩いてお好み焼きを食べた。ずっとしゃべりっぱなし。毎日のようにメールが行き来しているのにね。観光客となって法善寺横町へまわり水掛不動に水をかけ、おみくじをひいたら〈吉〉が出た。「此の人のうんせいは、月の始め年のはじめなどに開く、病人本復す、長き病気ならば草木の変わり時によかるべし、何事も発展力のある気運あり。遠慮なく活躍し停頓していた事をどしどい片付けるべし」とあった。おみくじなんてめっそうひかないので、ここに記しておく。背中を押してくれる言葉だし(笑)。ここで笑ったらご利益ないか。

横にある「夫婦善哉」でぜんざいを食べながらしゃべり、次は千日前通りをタクシーで東へ一直線で鶴橋へ。Sさんは市場で家族へ土産のキムチをぎょうさん買うて大満足。
JR鶴橋駅のブックオフへの矢印がある階段を昇ると古本の棚がぎっしり。つい眺め出したらきりがない。わたしがここへ来たかったのは、店内からJR構内へ行く改札があると聞いていたから。その改札から入って大阪駅へ行く電車に乗った。

それから例会となった。Sさんは同世代の息子さんがいるNさんたちと掛け値無しのおしゃべりを楽しめたと思う。会員どうしは会報で気持ちがわかっているから話がよく通じる。最終の新幹線に乗るためにSさんは走って帰り、そのあともなんやかやとしゃべって、あっという間の3時間であった。

スティーブン・フリアーズ監督『ジギル&ハイド』

先日見たスティーブン・フリアーズ監督の「がんばれ、リアム」が良かったので「ジギル&ハイド」(1996)を引き続いて見ることにしたが、今回もこってりしてた。

タイトルにジュリア・ロバーツとジョン・マルコヴィッチの名前が出ているのでヘンだなと思った。あとでわかったがロバート・ルイス・スティーブンソンの名作「ジギル博士とハイド氏」を召使いの目線で描いたバレリー・マーティンの小説「メアリー・ライリー」の映画化なのであった。

メアリー(ジュリア・ロバーツ)は貧しく育った。父は仕事がある間は優しかったが仕事をなくして酒を飲むようになり娘を虐待する。暴力を振るったあと物入れに閉じ込めてネズミを放ち鍵をかけて出かけてしまう。夜遅く仕事から帰った母はメアリーを抱いて家を出る。いまもメアリーの腕と首筋には父の暴力の痕がある。ジギル邸で朝早くから働いているがそれを幸せだと思う。

外の階段を掃除しているときにジギル博士(ジョン・マルコビッチ)がもどってきて傷跡に目をつける。部屋へいったとき父に受けた暴力について異常に熱心に聞かれる。
博士は弟子のハイド氏の存在を召使いたちに話す。
それからは博士の使いに行かされたりするが、娼館へ手紙を持って行くと女主人ファラデー夫人(グレン・クローズ)にいろいろ苦情を言われる。どうやらハイド氏が娼婦相手に暴力をふるったらしく口止めの小切手だった。
その後にファラデー夫人や貴族が殺害されてメアリーの恐怖は増していく。

19世紀末のロンドンのお屋敷や道路や娼館、市場での屠殺の様子、そして雨や霧の風景がたっぷりあって楽しめた。
ジュリア・ロバーツの映画はあまり見ていないけど、こんな役はめずらしいような気がする。

エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ共同監督『明日へのチケット』

ケン・ローチ監督の作品を見たいとTさんに言ったのが最初で、英国映画を中心にいろいろな監督作品を見せてもらっている。
ところが、ケン・ローチ監督ってなんとなく重そうだし結末が可哀想みたいだなどと言ってなかなか見る気が起きなかった。
「明日へのチケット」(2004)は、エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチの共同監督の作品である。エルマンノ・オルミとアッバス・キアロスタミの映画は見たことがなかった。理由は映画を見ない時代が長かった。ケン・ローチもTさんにお借りするまで未知だった。

最初の物語は老教授が企業の会合に出張していて、帰りの飛行機が飛ばなくなったために、インスブルックからローマへ列車で帰ることになる。座席がとれなかったので秘書の女性が食堂車の席を2枚確保してくれた。
食堂車でパソコンに向かって仕事の書類を書いていたが、途中からチケットをとってくれた女性に手紙を書く。列車の窓を眺めながら昔ピアノを弾いていた少女を思い出す。列車の連結部分に乗っているのはアルバニアからの移民の一家4人で、教授はそれも気になる。軍人が乗ってきて傍若無人な振る舞いで移民の子どものミルク瓶を倒してこぼしてしまう。教授は給仕にミルクを注文し子どもに持って行く。車内にほっとした空気が流れた。
最後にパソコンで書いた手紙を〈消去〉する。

第二話は厚かましいおばさんと世話係の青年の話。おばさんは2等切符なのに1等車の空席に座り、青年も前に座らせる。切符を持ったひとと一悶着あるが、車掌は空いた個室に入れてやる。青年は愛想を尽きて消えてしまう。ここまでやるとご愛嬌というか応援したくなるような。

その列車にはスコットランドからやってきたスーパーの店員のセルティックファンが3人乗っている。ローマでの試合を見にきた彼らは移民の少年にサンドイッチを食べさせて、列車のチケットを盗まれる。3人にはもう持ち金はない。
警察に彼らを突き出すか、自分たちが捕まるか。チケットは取り戻したが、いちばん移民に懐疑的だった青年が自分のチケットを差し出す。
「俺たちは、移民のことなんか、何もできないんだ」

ローマの駅には移民一家を迎えに父親が迎えに来ていた。移民一家の話はウソではなかった。サッカーファン3人は隙を見て走り出し逃げきる。

列車の旅はいいなあ。

スティーブン・フリアーズ監督『がんばれ、リアム』

「がんばれ、リアム」(2000)は「マイ・ビューティフル・ランドレット」「プリック・アップ」「グリフターズ/詐欺師たち」「ハイロー・カントリー」のスティーブン・フリアーズ監督。タイトルの感じで軽い作品かなと思って見出したらなんとなんと重くて苦しいものであった。

1930年代はじめのリバプールの大晦日の夜、街ではカウントダウンがはじまった。
リアム(アンソニー・ボロウズ)の両親(イアン・ハートとクレア・ハケット)たちも近所のパブで人々に混じって陽気に飲み歌っていた。リアムと姉は親には内緒でその様子を見に外まで出て、見つかりそうになると寝室のガラス窓越しに眺める。
4人家族は仲良く暮らしていたが時代はだんだん暗くなっていく。父が働いていた造船所が不況で閉鎖され失業する。兄はようやく新しく仕事につくことができた。姉は金持ちのユダヤ人の家庭で家政婦として働きはじめる。仕事先で余った肉を持って帰ると誇り高い母は娘を叱りつけ捨てさせる。機転の利く娘は雇い主に気に入られているが、夫人の不倫に嫌悪感を持っている。

イギリス人だけどカトリックの一家で母は特に信仰深く、お金がないのに教会に献金しようと食費の箱からお金を出して父と衝突する。リアムに質屋へ服を持って行かせることもある。リアムは借りたい金額を唱えながら一生懸命に走って行く。
リアムは困ったときや嘘を言わねばならないときに吃音になってしまう。そのため教師や神父に手のひらを叩かれる罰を受けることもしばしば。
母が湯を浴びている裸の姿を見てリアムは驚く。学校で見た名画集には陰毛のある女性はいない。彼は深く悩み懺悔する。
母はリアムの聖体拝領の儀式のために借金してリアムの服装を整えてやる。姉が雇い主にもらったドレスも売る。(最近読んだグレアム・グリーンとイーヴリン・ウォーの作品がイギリス人だけどカトリックの信仰が主題だったので、教会や儀式や懺悔など興味深く見た。)

そういう生活の果てに父はお金がないのも仕事がなくなったのも搾取するユダヤ人と仕事を盗ったアイルランド人のせいだと憎しみをますます強くし、ファシストへの道を歩み始める。
暗澹たる結末。明日の展望がない一家の明日はどうなる。

モジーズcafe in Osaka ☆ に参加

ツイッターで知り合った友人のお誘いがあって吹田にあるモモの家での「モジーズcafe in Osaka ☆」に行った。
吹田はずっと昔にメイシアターにいったことがあるだけだが、数年前に下新庄の整骨院へ通ったことがあったのを阪急線に乗って思い出した。下新庄から神崎川を越えて次の駅だ。

古い日本家屋を利用した貸し座敷での学習会だった。庭にカリンとビワの大きな木があって足元にはオオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ハコベが咲いていた。わたしには座卓の下に足を投げ出しての数時間はちょっとしんどかったがユニークな会場で和めた。
お茶を飲みながらの少人数の集まりで終始穏やかな会話だった。
岩手県に行かれた下地(モジモジ)さんの報告があり、同じく岩手に行かれた方の写真を見せてもらった。311のときは栃木県にいて、その後仕事の関係でアメリカに住まれ、いま大阪に一時帰国中の子ども連れのご夫婦が来ておられた。

時間が半分過ぎたところで自己紹介時間に。いろんなところから瓦礫問題に関心を持っているひとがいろんな話をした。それにモジモジさんが答える。わたしは「活動とかしていないけど、ヴィク・ファン・クラブというのをやっており、毎日ブログを書いています。今日は若いひとたちの話を聞きにきました」と自己紹介した。
いつもツイッターで尊敬している若いIさんやSさんの話が、顔を見ながら聞けてラッキーなことであった。
帰りにはアメリカからのお土産のマスクをいただき、前に座っていた方と話しながら梅田までいっしょに帰った。

デヴィッド・ヒューソン『キリング 3 逆転』

デンマーク警察の女性警部補サラ・ルンドは、婚約者のベングトと前夫との息子マークと3人で暮らすためにスウェーデンへ引っ越すことにしていた。退職の日に19歳のナナの惨殺死体が見つかり、退職を延期して捜査にあたるように上司から要請される。
捜査は二転三転して容疑者が浮かび上がるが確証にはいたらない。サラはしっかりと捜査にはまり込んでしまい、後任として赴任してきたマイヤと次々と起こる事柄を追って行く。やがて上司からもういいからスウェーデンに行けといわれるようになるが、手を抜かない。サラとマイヤはだんだん息が合っていく。
あまりの遅延にスウェーデンからはサラとマークの荷物が送り返されてきて、母親のアパートの地下室に置かれている。
「2」ではデンマークへ来たベングトが交通事故にあい入院していて、今回「3」では腕を包帯で吊った姿で出てくる。ベングトは犯罪心理学の専門家でその立場からサラに助言する。それだけでなくプロファイリングして自分勝手に動いてサラが激怒する。
次期市長を狙うハートマンは妻の死後ネットに偽名登録して遊んだことがあり容疑者と見なされる。サラたちの捜査によってハートマンを攻撃している市長の周辺もきな臭くなる。
ナナの両親の哀しみと怒りの姿がせつない。ナナは親が思いもよらない大人の世界を知っていた。

いやー、おもしろい。送ってもらってすぐに読み出して、おとといと昨日で読んでしまった。すっ飛ばして読んだので、もう一度読んでいる。早く来い「キリング 4」の出る4月。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 940円+税)

午後は歯科で気分よく、夜はSUBで楽しんだ

10日くらい前だが晩ご飯を食べていたら口の中でじゃりっと歯が欠けた。いちばん奥の下の歯だ。何十年も前に虫歯治療してちょこっと詰め物してあった。
去年の夏にいったのにまたかといやな気分になったがしかたない。美容院で教えてもらった新しい歯医者さんに行くことにした。
ビルの1階の診療所は受付も診療室も明るくて親切丁寧な応対で気持ちよかった。レントゲン撮るのも新式でラクだった。心配していた歯は簡単に治療できるようでやれやれ。今日型を取って1週間後にもう一度行けば済むみたい。
先生はレントゲン写真を見ながら、しっかりした歯だと感心してくれた。歯茎なんか30代40代と言ってもとおるって。
ということで、機嫌良く帰ってきた。

晩ご飯を食べて、地下鉄でSUBへ。
今夜は竹田一彦さんのギター、宮上啓仁さんのベース、最後のほうでイクノさんのボーカルが2曲。イクノさんはニューヨークで20年暮らして一昨年帰ってきたそうだ。
竹田さんと宮上さんはとても息が合う最強のデュオだ。あっという間に時間が過ぎる。もう終わりの時間かといつも思う。
お客が多かったのでカウンターに席を替わり隣の人とおしゃべり。何年も竹田さんのときに一人で来られているが、話したのははじめてだった。そのあと反対側のイクノさんにニューヨークと日本の違いなど聞いた。20年前と比較して若者が草食系になっていると感じたそうな。

グレアム・グリーン『情事の終わり』

先日ニール・ジョーダン監督の映画「ことの終わり」を見ていて、グレアム・グリーンの「情事の終わり」の映画化と気がついた。続いてずいぶん昔にデボラ・カー主演の「情事の終わり」を見たこと、続いて原作を読んだことを思い出した。

第二次大戦中のドイツ軍によるロンドン爆撃はすごかったようで、サラ・ウォーターズ「夜愁」の空襲シーンを思い出しもした。

人妻のサラと独身の作家モーリスが出会って真剣に愛し合う。ふたりが逢い引きしているときに大爆撃がありモーリスが直撃される。サラは彼が死んだと思いこみ、彼を生き返してくれるように神に祈る。彼を生き返えらせてください。彼が生き返ったらわたしは彼を諦めます。モーリスは生還する。そして、サラはモーリスから去った。

もし、わたしがそういう場面でもし誓ったとしたらやっぱり誓いを守るだろうか。誓うはずがないから、そういう設問はありえないけど。
イーヴリン・ウォーの「回想のブライズヘッド」を読んで先月感想を書いたが、これも主人公の画家がカトリックの女性と愛し合いながら、女性の方から拒絶される物語だった。
グレアム・グリーンとイーヴリン・ウォーは同時代の作家だった。
「月が上がって沈むまでの人生なのだわ。そのあとは闇なのね」という「回想のブライズヘッド」の最後のジューリアの言葉がまた甦った。
(田中西二郎訳 新潮文庫 2006年版〈1959年初版〉)

スティーブン・フリアーズ監督『ハイロー・カントリー』

マックス・エヴァンスの同名の小説をサム・ペキンパーが映画化を望みながら実現しなかったということを知ったマーティン・スコセッシが製作した映画(1999)。スコセッシは「グリフターズ」を製作したときの監督スティーブン・フリアーズを起用した。(スティーブン・フリアーズ監督の「プリック・アップ」はロンドンのゲイカップルを描いた素晴らしい作品だった。他の映画もこれから見ていくつもり。)

第二次大戦が起こる直前から物語が始まる。
最初のシーンで若い男がショットガンをにぎってじっと待っている。
そこから過去にさかのぼって、ビッグボーイ(ウディ・ハレルソン)とビリー(ビリー・クラダップ)が知り合ったいきさつが語られ、仲間とともに牧場をやっていくことになる。まだカウボーイが生きていけた時代。
第二次大戦が始まって二人とも戦争に行く。
戦争が終わって牧場にもどってくると、戦争に行かなかった連中が支配する資本の時代に変わっていた。弟のリトルボーイは資本家牧場主の手下になっている。牛をカウボーイが追うのではなくトラックで運ぶ時代になっていた。

ピートには美しい恋人(ペネロペ・クルス)がいるのだが、人妻のモナ(パトリシア・アークエット)に惹かれる。ところがモナとビッグボーイが恋仲になって逢い引きの手助けをするはめに。二人の仲は周囲の知るところとなり、酒場での喧嘩があり一触即発の事態になる。モナもビッグボーイも真剣に愛し合っているのが愛おしい。
ピートがなぜあそこで待っていたか、そこでなにが起こるか。哀愁に満ちた最後に泣いた。

モナのドレス姿が美しい。あのころの映画では女優たちはみんなあんな感じのドレスだったなぁとキャサリン・ヘップバーンやベティ・デイヴィスやジンジャー・ロジャースを思い出していた。
馬が走っていた最後の時代を描いた映画だった。西部劇へのオマージュと思った。

サム・ペキンパー監督の作品はたくさんあるが、見たのは「ワイルド・バンチ」「ゲッタウェイ」「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」「ガルシアの首」「コンボイ」と少ないけれど、それぞれ強烈だった。「ガルシアの首」が最高。

LIVE & MOVIE: EXPE & FRIENDS

細野ビルでのライブ「EXPE FILM OF SOUTH AMERICA TOUR LIVE & MOVIE: EXPE & FRIENDS」に行った。YOSHITAKEさんの演奏は一昨年2011年12月30日に聞いてからだから、1年と70日目だ。この間に南米ツアーに長期間出かけたり充実した音楽生活が続いていたようだ。

6時に細野ビルに着いた、といっても10分で着くんだけど(笑)。細野さんとしゃべったりしながら、用意された南米のお酒やマテ茶を飲んで待つ。スクリーンにはのんびりしたアニメが映し出され音楽が流れている。童話っぽいアニメは優しい色彩でスピーディな転換が快い。心はほんわかしてきたが、細野ビルは寒い。寒いのをわかっているからダウンのコートで膝掛け毛布持参、カイロも貼っている。

7時に演奏がはじまった。YOSHITAKEさんのギターにドラムとキーボードが2人。
久しぶりの演奏は穏やかで快かった。YOSHITAKEさんは細野ビルが大好きなのだが、古いビルだから大きな音を出したらあかんと言われていて、ここでの演奏はよそでやるときよりおとなしい。わたしはよそで聞く激しい演奏を体で聞くのも好きだが、細野ビルで抑えた音での演奏も好きだ。

1時間があっという間に経った演奏が終って、南米ツアーの映像が映し出された。そのあとにはカーニバルの華やかな映像もあった。
寒かったけど穏やかな夜で気持ちよく過ごせてよかった。