変えなかったものを変えるとき

長い間食品の宅配を頼んでいた。30年近くになるんとちゃうかな。知り合いがはじめたもので、最初は彼が指定した場所に買いに行っていた。それから配達になって注文ハガキを出すと持ってきてくれた。牧歌的やったなぁ。その人が辞めてから数年離れていたが、その間に組織が大きくなったようで、知り合いがポランの新聞折り込みがあったと教えてくれた。週に一回、野菜だけでなく米や調味料なども配達してくれる。それに加入して毎週一度の配達を楽しんでいた。

先日、配達時間の変更があって、そのときはこちらが都合をつけたらいいかと思ったが、一度や二度ならいいがこれからずっとである。やめるということを考えたことがなかったが、ここでやめようという考えが浮上した。そう決めたら早くてさっさとやめてしまった。

宅配してもらって便利だったが面倒なところもあった。このあたりで野菜その他を買うところが増えたこともある。昔は仕事が忙しかったこともあり、相方が家事に関係していなかったが、最近は五分五分にやっている。大きな買い物はみんなやってくれるから大丈夫だ。

月に一度だけ野菜を売るところがあって、若者がさっき引っこ抜いてきたという大根や蕪や菜っ葉類が手に入る。今夜のおかずの大根炊きや蕪酢のうまかったこと!
いつも買いに行く道の駅のような野菜屋さん、有機食品の店に加えて、おしゃれなスーパーがあって調味料なども万全である。おいしいパン屋も近い。
瓦礫焼却さえしなければええとこでっせ大阪。

ケン・ローチ監督『ブレッド&ローズ』

ケン・ローチ監督の映画は今年の7月に「やさしくキスをして」を見たのがはじめてだ。映画紹介のサイトなどで名前は知っていてレンタルDVDを借りたのだが、手触りが柔らかく芯がしっかりとした映画だった。
もっと見たいと思っているときにDVDを貸していただけることになり、なにが見たいのか聞かれてケン・ローチをとお願いした。イギリス映画を中心に選んでくださったのだが、ケン・ローチの6本をまだ全然見ていなかった。実はあまりにも真面目そうで敬遠してた(笑)。

いま「ブレッド&ローズ」(2000)を見たところ。ケン・ローチがはじめてハリウッドで撮った映画で、筋の通った労働者階級側の視点をもった映画である。
マヤ(ピラール・パディージャ)はメキシコから不法入国したが、お金が不足で車から降ろしてもらえない。男たちにおもちゃにされるところを、ホテルの風呂に閉じ込め男のブーツを抱えて逃げ出す。最初から度胸が据わっている。

マヤは姉の紹介でロスアンゼルスでビルの清掃員の職に就く。仕事をしているときに労働組合活動家のサムと出会う。清掃員に対する管理職の横暴に怒りマヤはサムに電話する。
サムはマヤの姉の家に来て、夫が糖尿病であることを知り、健康保険、低賃金、劣悪な労働条件を改善するために会社と闘うように言う。しかしあきらめきった姉は相手にしない。
会合を重ねて清掃員たちは立ち上がる。だが裏切った者がいるのがわかっった。
マヤは姉に「裏切り者」と叫び、対する姉はいままで言わなかったことをすべて叫ぶ。こどものときからからだしか売るものがなかったと。
清掃員たちはデモに踏み切り全員でビルに入る。警官隊が外から襲いかかる。今回は会社側が譲歩し清掃員たちの闘争は勝利した。しかし、マヤは・・・

デモのシーンは横断幕やプラカードが掲げられ、太鼓の音が鳴り響きシュプレヒコールが響きわたる。脱被曝のデモといっしょだ。この映画をいま見てよかった。

「ブレッド&ローズ」は、1912年にマサチューセッツ州で約1万人の移民労働者が立ち上がったときの「We want bread but roses too.」というスローガンからきているそうだ。「パンと薔薇」という言葉がいいな。

P・D・ジェイムズ『高慢と偏見、そして殺人』(1)

映画「ユー・ガット・メール」でメグ・ライアンが「高慢と偏見」を200回読んだと言ったとき、わたしは負けた!と思った(笑)。わたしだって20回は読んでいるんだけどな。(200回読んでいるといえるのは「小公女」ですね。)それほどまでに乙女な女性の熱狂と共感に支えられている「高慢と偏見」の続編をアダム・ダルグリッシュ警視シリーズのP・D・ジェイムズが書いた。エリザベスと結婚したダーシーさんのお屋敷ペンバリー館の広大な森の中で起きた殺人のお話である。
物語はゆっくりと進んでいくが、こちらは物語がどうなるのか気になって、内容を味わいもせずにどんどん読み進んでいった。最後までいっていま2度目を味わって読んでいるところだが、せわしいからやっぱりとぎれとぎれ。でも、読書で憂さや怒りを忘れられて幸せ。

高慢な男ダーシーと偏見にみちたエリザベスは、いろいろあった末に愛し合っていることを自覚して結婚し、広大な土地にあるペンバリー館で仲良く暮らしている。明日はたくさんの客を招待して舞踏会を開くため、前夜にエリザベスの姉ジェーンと夫のビングリー、ダーシーの10歳年下の妹ジョージアナ、ダーシーの従兄弟のフィッツウィリアム大佐、ロンドンの若手弁護士アルヴェストンが屋敷に来ている。晩餐の席でジョージアナとアルヴェストンは惹かれあっているようだ。フィッツウィリアム大佐もジョージアナとの結婚を望んでいるようだ。
そろそろお開きということでみんなが立ち上がったとき、狂ったように馬車が近づいてきた。乗っていたのはエリザベスの末の妹のリディアで半狂乱である。エリザベスを押しのけジェーンに抱きついた彼女は夫のウィッカムがデニーに殺されたとわめく。
リディアをベッドに連れて行き、ダーシーとフィッツウィリアム大佐とアルヴェストンは馬と馬車で満月の森へ入って行く。
彼らが見つけたのは死んでいるウィッカムの戦友デニー大尉で、ウィッカムが血だらけで彼を抱き「ぼくが彼を殺したんだ」と叫んでいた。
今日はここまで。まだまだ続く。
(羽田詩津子訳 ハヤカワポケットミステリ 1800円+税)

アルフォンソ・キュアロン監督『トゥモロー・ワールド』続き

セオ(クライヴ・オーウェン )が働いているロンドンの風景から映画ははじまった。赤い二階建てバスは薄汚れているが走っている。だが、通行証を頼みにいった相手がいる政府のオフィスは機能的で美しい。
18歳で亡くなった青年を悼んで花を捧げるひとたちの姿は、ダイアナ妃を悼んで花を捧げたひとたちと似ていた。死に逝くひとばかりで構成されている世界は退廃している。

ロンドンを出た車は農村地帯をひた走る。美しいイギリスの田舎が薄汚れている。そこに隠れ住むジャスパー(マイケル・ケイン)とコミュニケーションのできない座ったままのかつて美しかった妻。ジャスパーは大麻のようなものを栽培し闇で売って金をかせいでいる。

官憲から危うく逃れて瓦礫の街の荒れ果てた建物の中で出産したキー(クレア=ホープ・アシティー )と助けたセオが銃撃戦の中を赤ん坊を抱いて歩くと畏敬に満ちて戦士たちは立ち止まる。

震災がれき試験焼却の住民説明会があった

今日は大阪震災がれき試験焼却の住民説明会が此花区民ホールであった。体調に自信がなくてわたしは行かなかったが、用事のかたわらIWJその他のユーストを見ていた。
見始めたときにはもう男性3人と女性1人が逮捕されたというツイートが入っていた。区民ホールという公共の建物にいただけで建造物侵入罪だという。この活動家4人を逮捕するのは最初から決めてあって、指定されていた4人が捕まったということらしい。
今月24日には試験焼却をするとニュースが流れたというツイートがあり、試験焼却日が決まったことを知った。
去年の12月にはじめて瓦礫問題の学習会に参加したときは、絶望の中にももしかして中止にできるかもという小さな期待のようなものがあった。
だけど橋下市政は住民の言うことを聞く耳は持っていなかった。

これから結婚する友だちカップルは子づくり子育ては大阪ではしないと先日沖縄へ移転した。大阪にいるわたしたちはなんとか個人的に体内被曝を避けるような暮らしを工夫するしかない。

こういうときに友だちの甘酒

昼食後どことなくしんどくて横になったが、眠れないので起きたらアタマがふらつく。えらいこっちゃと横になるとなんともない。以前めまいがしたときは寝ていて上を見ると天井がまわっていたけどな。目をつぶっていたら眠ってしまって3時間。起きたときはふらついたが、あとはなんともなく晩ご飯を食べてパソコンをつけて、本を読んでいる。どうやら睡眠不足だったみたいだ。

さっき11時ごろ、もう一個送っていただいた柿を食べようと思ったが、待てよ、いま柿を食べたら体を冷やすやんと甘酒に変更。その前にYさんが母上に甘酒をつくってもらった話を読んだところので(笑)。
去年の日記を読み返して甘酒の作り方を探すと、あったあった!「お湯と豆乳を半々にして沸かし酒粕を溶かして生姜と蜂蜜を入れる」eriちゃん甘酒。豆乳がなかったのでお湯だけでやったけど、うまい、うまい。

広瀬隆さんの講演会「第二のフクシマ 日本滅亡」に参加

広瀬隆さんの講演会〈「第二のフクシマ 日本滅亡」主催:福島のこどもたちを応援する会 〉が西淀川区民会館であった。
阪神電車の福という駅からすぐというので、桜川まで歩いて尼崎行きの阪神電車に乗ったらロマンスシートだったので旅気分(笑)になったがすぐに着いた。淀川の鉄橋を渡ってすぐの駅だ。

会場についていつものように最前列に座ったら、広瀬さんにいちばん近い席だった。
広瀬さんの講演は二度目である。「東京に原発を!」(JICC出版局)が出たばかりだったから1981年のはず。アメリカ村のボウリング場だったところにぎっしりと若者が詰めかけて3時間の熱い話を聞いた。それから30年以上経った今日、広瀬さんは同じようにほっそりとして情熱的に語った。
あのときわたしには福島原発事故が起こるなど想像もできなかった。東京に原発を建てるべきだと思ったが、福島に建てても東京に被害が及ぶなんて想像できなかった。

パワーポイントで画像を出しながら語られた。まず「福島原発事故の真相と放射能汚染の恐怖」の文字が大写しで出た。
大阪の放射能は東京の1/10くらいで、そのせいか名古屋から西の人間は放射能汚染への関心がぬるいと話がはじまった。
福島第一原発の現状について写真とともに詳しい話。米国の著名な原子力技術者アーニー・ガンダーセンの著書「福島第一原発——真相と展望」(集英社新書 700円+税)からも引用されていた。この本は家にあるけどわたしはまだ読んでなかった。広瀬さんの話が整理しきれなかったので、詳しくはお互いにこの本で。

広瀬さんの原点。60年代から70年代は高度成長時代といわれていたが、光化学スモッグ発見の年で、実は大公害時代のはじまりだった。
そこからさかのぼって被曝の歴史について。キューリー夫人など研究者や医師の被曝、時計の夜光塗料を塗っていた女工たちの被曝、妊婦のレントゲン写真でこどもの癌、コロラド州ロッキー・フラッツの核施設、低線量被曝した皮膚がんの医師、などの被曝の歴史。

人間は二足歩行をはじめてから自然界の放射能を体内から出すようになっている。1945年(広島・長崎への原子爆弾投下によって地球上に放出されたのが最初)以前にセシウム137はなかった。いまは体内に放射線をあび続けている。

東京は福島との間に山がなく、風が放射能を運んできた。いま広瀬さんの自宅や公園を測ると高いベクレル数がでる。カウンターは空間線量を測るものなので、エアフィルターをレントゲンで感光させた写真で見ると、シアトルはほとんど空白、東京はかなり汚染、福島はすごく汚染されている。
東京湾の汚染がひどい。霞ヶ浦でセシウムが増えている。水源大汚染で太平洋側にも日本海側にも流れる川の水が汚染されている。汚染は海水に溶け、海底に溜まるので今年から来年にかけて深刻な事態になる。

体内被曝について。
いままで「内部被曝」という言葉を使っていた。3日に話を聞いた守田敏也さんの著書も〈矢ヶ崎克馬・守田敏也「内部被曝」(岩波ブックレット)560円+税〉「内部被曝」なのだが、広瀬さんは「体内被曝」とおっしゃった。これからは「体内」のほうがわかりやすいので、「体内被曝」ということにする。
X線、原爆による閃光、大気中の実験などは体外被曝である、アトミック・ソルジャーやこどもの癌はこれにあたる。
体内被曝は皮膚がんと同じものが体内に濃縮していく。レントゲンは一瞬だが体内に取り込むと体内にある限り放射線を出し続ける。
(体内被曝については矢ヶ崎克馬・守田敏也「内部被曝」を読んでから書きます。)

それから津波と地震の話。津波の画像がいろいろが映し出された。
いまは大地震の時代である。大飯原発は大丈夫か。
大飯原発で直下地震が起これば制御棒を差し込む時間はなく即爆発する。大阪の人は道路渋滞で逃げられない。窓に目張りして部屋に閉じこもること。琵琶湖もやられるから、水と食糧を備蓄し、防護マスクを用意しておく。現金も持っているべき。

最後におっしゃったこと。
ここに来ている人はわかっているからいい、来ていない人を変えていくのが大事だ。となりにいる人に話そう。

広瀬さんの新しく出る本、「原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論」(集英社新書)

我が身にも家族や友の身にもせまる危機、瓦礫焼却

先日姉の家に行ったんだけど、その翌々日にしんどくなって医者に行き心電図をとったと電話があった。「もし入院するようなことがあったら猫を頼むわな、猫の世話を頼めるのはあんたしかおらへん」だと。泊まりに行って家に通勤するしかないなと覚悟を決めていたら、今回はなんともなかったようでほっとした。季節の変わり目だからなにかある。

このような病気持ちの人に舞州(まいしま)から焼却灰の風が吹いてきたら影響あるだろうと心配だ。
11月にUSJに近い此花区舞州焼却場で100トンの瓦礫の試験焼却が行われ、来年2月から約2年間で3万6千トンの本格焼却が行われる。
瓦礫焼却がはじまったらフィルタでは取れない放射性物質その他の有害物質を含んだ風が、舞州工場から大阪全区と大阪湾に向かって吹く。
うちなんかいちばんの通り道になるだろう。淀川の北だからといって安心できない。
高齢者やこどもや体の弱い人が特に被害を受けそうだ。そして元気なひとの体も徐々に蝕まれていくのだと思う。いくら食べ物に気をつけても空気がこれではあかんわ。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『罪悪』

去年の「ミステリーズ」に出た2編とエッセイを読んですごい作家が出てきたと思った。すぐに短編集が出たのを買って読んだ。
今回の「罪悪」も同じく短編集である。今年のはじめに出たのに買ってから半年以上も本棚に「犯罪」と並んでいた。いつも新刊はすぐに読み出すのに、楽しみにとっておいた感じ。いいのはわかってるんやから楽しみにおいとこ(笑)。
半月ほど前から一編ずつを毎晩読んでいったが、犯罪の内容が恐ろしくて寝る前に読むとちょっときつかった。それでまたしばらくおき、早めの時間に読むことにして、ようやく読み終った。

すべて弁護士の「私」が担当した事件の話である。
最初の「ふるさと祭り」では、若い娘が祭りのさなかに集団の男たちにひどいはずかしめと暴行を受けた事件で、被疑者たちについた9人の弁護士の中に、若い「私」が学友とともに加わる。被疑者たちが黙秘し、警察や病院の捜査や犯罪への対応が悪くて、捜査判事が逮捕令状を撤回したため被疑者らは釈放される。彼らはまっとうな生活にもどっていった。
被害者の娘の父親はただ法律家たちが歩いて行くのを眺めているだけだった。
【家に向かう車中、互いに顔を見ることなく、あの娘とまっとうな男たちのことに思いを馳せた。私たちは大人になったのだ。列車を降りたとき、この先、二度と物事を簡単には済ませられないだろうと自覚した。】

こうして大人になった「私」はさまざまな事件をこなしていく。
優しい男だと思ったのに結婚してから暴力をふるわれ傷だらけの妻は、娘が年頃になったら自分のものにするという夫を殺す。隣家の男の暴行による少女の妊娠。学校での虐めのエスカレートで死ぬほどの暴力を受けた少年。湖畔の村で知り合った男は成功者だったが・・・。
最後の「私」が精神科に連れて行った男がいうセリフにおどろき笑った。そこで「私」とはフェルディナント・フォン・シーラッハだとわかる。
(酒寄進一訳 東京創元社 1800円+税)

マーク・ハーマン監督『シーズン・チケット』

「シーズン・チケット」(2000)はマーク・ハーマン監督の「リトル・ヴォイス」の次の作品。サッカーのシーズン・チケットがテーマのほんわかした映画かと思って見たら、すごくシビアな映画だった。

イングランド北東部の都市ニューカッスルは19世紀の末ごろは世界最大の造船所があったが、1970年代には衰退し炭坑も閉山され、失業者が増え治安が悪化している。その町の貧しい人たちが住む地域の少年ジェリー(クリス・ベアッティ)とスーエル(グレッグ・マクレーン)はサッカーを見に行きたくてしょうがない。ニューカッスル・ユナイテッドFCの本拠地セント・ジェイムズ・パークのシーズン・チケット席で熱い紅茶にミルクと砂糖をたっぷり入れたカップを持って応援するのが夢である。チケットを買うために二人は禁煙し屑拾いやかっぱらいや万引きをしてお金を貯める。
ジェリーは母と姉と姉の赤ちゃんと暮らしている。もう一人の姉は父の暴行で家を出ている。父親が暴力をふるうのでソーシャルワーカーがついて何度も転居しているが、また見つけられ母もジェリーも暴行され怪我をする。ジェリーは学校へ行く気がないがソーシャルワーカーが2週間学校へ行ったらサッカーのチケットをあげるというので学校へ行く。結果は敵のチームのチケットであった。

ニューカッスル・ユナイテッドFCのスター選手アラン・シアラーが本人の役で出演しているとあとで読んで知った。いい感じ。
最後に紅茶を持って特等席(?)で試合を見るところがよかった。