木下恵介監督『不死鳥』

昨日に続いて木下恵介監督作品を見た。8作目で製作は1947年。1945年だけは1作もなく、その前後は半年に1本という早さだ。
昨日の「大曽根家の朝」に比べて「不死鳥」は完成度が高くて見応えがあった。

小夜子(田中絹代)は、戦地で亡くなった夫の真一(佐田啓二)との間に生まれた息子を育てつつ、夫の生家で両親や弟や妹とも折り合いがよく自分の居場所を確立している。
学生時代に出会った二人は内密の交際を続けてきた。真一は小夜子を父親に紹介するが許されない。
招集された真一が出発するまで二人は片時も離れないで過ごす。出征シーンや千人針を街頭で頼むシーンもあり、緊迫した雰囲気の中で恋人たちは自分たちの時間を持つ。
小夜子は弟と軽井沢に疎開して学校の先生をしながら農作業にも励む。
真一は1週間の休暇が決まった。小夜子のところへ真一の父親がやってきて息子とは結婚させないというが、結局小夜子の純情にほだされて帰国中に結婚ということになった。
そして真一は戦死し、小夜子は思い出を胸に秘め、子どもを胸に抱いて生きている。次男が結婚して家を継ぎ息子がもう少し大きくなったら、ミシンができるからどこかで店を持ちたいと将来も見据えている。

田中絹代は女学生から恋する女へ、そして子持ちの戦争未亡人の役を自然に演じていてすばらしい。佐田啓二はこれがデビュー作だそうですごく初々しい。

ディアーヌ・キュリス監督『ア・マン・イン・ラブ』

ひどい画面ではあったが「ア・マン・イン・ラブ」(1987)を見ることができた。最初見たときから13年経っているが、やっぱりすごい映画だった。ディアーヌ・キュリス監督のそれから21年経っての「サガン ー悲しみよ こんにちはー」と両方見ることができてよかった。両方ともよかったので満足感いっぱい。

以前見たときに書いてなかったので忘れていたが、グレタ・スカッキ演じるパヴェーゼの恋人役ジェーンがパヴェーゼを演じるピーター・コヨーテと別れて、母が亡くなった実家で恋の経験を書き出す。実らないとわかっているからよけいに激しく燃えた恋。結末を知っているのに心配しながら見ていたから、書くことで乗り越えていく彼女にほっとした。

いい映画だったなあ。ハリウッド俳優がパヴェーゼになりきって神経を張り詰めていて、恋人役女優に惹かれていくところがなんともいえずよかった。その妻の元ハリウッド女優が突然やってきて嫉妬に燃えるところもすごくよかった。

監督・脚本:ディアーヌ・キュリス『サガン ー悲しみよ こんにちはー』

昨日ネットでこの映画があるのを相方が見つけて今日レンタル屋で借りてきてくれた。2008年のフランス映画である。わたしはサガンを描いた映画があることを知らなかった。もうちょっとアンテナを張らなくては・・・

見た後で監督・脚本のディアーヌ・キュリスの名前は知っている、なにか書いているはずと古い日記を探したら出てきた。イタリア、トリノ出身の作家チェザーレ・パヴェーゼを描いた「ア・マン・イン・ラブ」(1987)の製作・原案・監督・脚本の人だった。この映画はなにもかも大好きで二度見たように思うが記憶にしか残ってない。もう一度見たい映画10本に入る。

「ア・マン・イン・ラブ」から21年目の映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」には、それだけの落ち着きがあるなあと感じ入った。前作ではなにもかも詰め込んでいる感じだったが、今回は描かねばならぬことをしっかりと描いていると思った。

フランソワーズ・サガンはわたしにとっては同時代を生き抜いた人である。「悲しみよこんにちは」では、少し嫉妬気味で読まなかったが、「一年ののち」でとりこになった。主人公のジョゼはお金持ち階級の人で、わたしは無産者階級の人だが、感じがそっくりと友人に言われた。それから10数年は左手にエンゲルス、右手にサガンを持って歩んでいた(笑)。

とにかく破格のお金を稼いでおそろしい無駄遣いをする人で、結婚(2回)や出産も経験している。なのに恋する女性の感情を描いてこんなに鋭く繊細な人はいない。どの作品も何度も読んで主人公の言葉を真似したりしているうちに男性をはぐらかす術に長けるようになった(笑)。

映画のサガン(シルヴィー・テステュー)は実際のサガンがやっていると思うくらいに似ていて、年を取ってくるにつれ見ているのがつらくなった。同時代を駆け抜けて先に逝ってしまったという気持ちがあるから。

ニール・ラビュート監督『抱擁』は何度見ても素晴らしい

2007年に丁寧な紹介&感想を書いているので読んでください。

大切に持っている乙女もの映画DVD10本のうちでも上位に入る。さっきまで見ていたのだが、何度も見ているのにちょっと間が空くとはじめて見たときのような興奮が湧き上がる。ビクトリア時代と現代の恋人たちの姿が美しく描かれていて素晴らしい。

冷たさの中に熱を秘めたモード(グウィネス・パルトロウ)はレズビアン詩人ラモットの研究家で、イギリスに留学しているアメリカ人の学者ローランド(アーロン・エッカート)はアッシュの研究家である。二人の学者のじわじわと育つ恋。ビクトリア時代の詩人アッシュ(ジェレミー・ノーザム)と詩人ラモット(ジェニファー・エール)の激しく燃え上がる恋。

アッシュとラモットが4週間と決めて緑濃いヨークシャーへ列車で旅する。現代の二人は車で同じところへ到着して同じホテルの同じ部屋に泊まる。詩に描かれた滝壺を見つけるシーンがよく、ヨークシャー大好き人としてはたまらない。

原作を図書館で2回借りて読んだのだが、また読みたくなって注文した。
A・S・バイアット「抱擁」〈1〉〈2〉(新潮文庫)

ヴェラ・ヒティロヴァ監督・脚本『ひなぎく』(2)

ウキペディアを読んでわたしがなぜ「ひなぎく」を昨日見ることになったか納得した。日本での公開は1991年だったのだ。60年代はマイナーを含めてすごく映画を見てたから公開されてたら見ていたはずだ。1991年に知らなかったのはあかんけど、そのころは映画は家でレーザーディスクとビデオで見るものになっていた。
検索したら2007年には東京だけでなく全国的に小さな劇場で上映されていた。アンテナを張っていたらわかるはずだった。どれだけ映画館に行かなかったか、行かないから情報も集めなかったかわかる。

二人の少女の常識はずれのいたずら。まじめになろうってセリフがあったように思うが、なれるはずもない。60年代のチェコスロバキアに生きたヴェラ・ヒティロヴァは社会主義社会の息苦しさを、二人の少女の無頼な生きかたに託して描いた。

わたしには70〜80年代に彼女らのようなファッションの女友だちが何人かいた。親の家を出て独り住いしたり、妻子のいる男友だちと駆け落ちしたり、マリエのような水玉のドレスを着て男たちに酒をおごらせていた。我が家がそういう子の溜まり場だったこともあった。
彼女らはさすがに「ひなぎく」のパーティのシーンのようなことまではできなかった。いまは中産階級のいいお母さんになっている。少女の息苦しささえ中途半端やった日本を実感する。
(製作:1966年 日本公開:1991年、リバイバル上映:2014年)

ヴェラ・ヒティロヴァ監督・脚本『ひなぎく』(1)

ツイッターでフォローし合っているmasumiさんがプロフィールに使っていらっしゃる写真が気になって仕方がなかった。すごくおしゃれなんだけど意味ありげ。かなり以前にそれが映画「ひなぎく」の1シーンだということを知って、見たいと思ったが1966年のチェコスロバキアの作品と知って諦めていた。
今回もmasumiさんがリツイートされていてわかったのだが、東京ほかで上映されることが決まり、大阪はシネ・ヌーヴォで今日3日まで上映(夕方の1日1回)。去年の1月に監督のヴェラさんがお亡くなりになって一周忌上映なのである。知ったのはおとといの夜で行けるのは今日だけ。すぐに相方に「行く宣言」をして今日行ってきたが、関西一円の女性ファンが来るようなら最後の上映だから混むかと思って1時間早く行き整理券をもらった。それからいつも税務署に行ったときに入る喫茶店でコーヒーを頼んで時間調整。

シネ・ヌーヴォへ行ったのはなんとまあ15年ぶりなのであった。2000年の3月に「ロルカ、暗殺の丘」を見てからだ。
咳ひとつ聞こえない静かな映画館の画面に二人のマリエがあばれる。
最初のシーン、下着姿で戯れている二人ともマリエという名の美しい姉妹は自分たちだけで充足している。姉のマリエはひなぎくの花の輪を髪にのせてカワイイ。妹のマリエも姉と色変わりのドレス姿でカワイイ。
二人はお腹がすくと中年男を色気で引っ掛けてご馳走させて逃走する常習犯である。妹が引っ掛けて食事をしていると姉がやってきて輪をかけたいたずらをするが、どんどん度が過ぎていき男たちは困惑する。度が過ぎて止まるところを知らないのがすごい。
行儀の悪いことはなんでもやってしまうし、部屋の中を燃やしたり危険なことも好んでやってのける。
終わりのほうでは準備が整ったパーティ会場に忍び込む。ご馳走に手をつけだしたら暴走し、ケーキの投げ合い、酒の掛け合い、カーテンを引っ張ってドレス代わりに、シャンデリアに座って空中ブランコ・・・。ここまでいくと、どしたらいいのよ、このわたし・・・

「踏み潰されたサラダだけを可哀相と思わない人々に捧げる」という言葉が最後のシーンに出て終わり。
これは女性による女性を描いた映画だ。「ひなぎく」を見るとヌーベルバーグは男性の映画だということがよく納得できた。
(製作:1966年 日本公開:1991年、リバイバル上映:2014年)

ジャン・コクトー監督『美女と野獣』

偶然古書アオツキ書店で手にしたジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」を読んだらおもしろくて映画を見たくなった。たしかDVDを持っているはずと探したらお気に入りの数枚といっしょに大切にしまってあった。最初に見たのはかなり昔でNHKのテレビ画面に震え上がるほどに感動したのだった。いまもその場面は脳裏に焼き付いている。
ずっと後になってからレーザーディスクを買ったときはうれしかった。そしていまはDVDがある。

「美女と野獣」は大好きなおとぎ話である。「ろばの皮」とともにこどものころから大好きで、いま持っているのは澁澤龍彦が訳した本で美しい日本語で読めてしあわせだ。

土曜日の深夜にひとりウィスキーを手にパソコンの前に座り、70年の歳月を経た映画を山ほどの製作中の苦心を思いつつ見ていた。人間が美しく、風景が美しく、光と影が美しい。
美女ジョゼット・デーがなんともいえず美しい。野獣で王子そしてベルを愛する近所の男を演じるジャン・マレーは美しくて声が独特。
野獣の城で壁から突き出た人間の腕が支える燭台の数ある蠟燭のゆらめき、部屋のあちこちに置かれた胸像は向きを変えたり微笑んだりする。ドゥドゥ扮する狩りの女神ディアーヌの像は矢を射る。美しくてファンタスティック。
日記を読み映画を見たあとで検索したら、いろんな記事や解釈が出てきて勉強になった。
「La Belle et La Be^te」1946年フランス映画
監督・脚本;ジャン・コクトー 原作:ボーモン夫人 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ジョルジュ・オーリック

マイケル・ウィンターボトム監督『スティーヴとロブのグルメトリップ』

「スティーヴとロブのグルメトリップ」(2010)は、とても変わっていておもしろい映画だった。イギリスの人気コメディ俳優のスティーブ・クーガンとロブ・ブライドンが本人の役で出ている。イギリスBBCで放映されたTVシリーズを再編集した映画化なんだって。

スティーブが受けた仕事は1週間北に向けて旅をし毎日その地の有名レストランで食事を味わうというものだった。
二人は四駆でロンドンを出発し湖水地方の美しい景色の中を美味を味わいながら1週間の旅をする。美しい景色の中を車は走っていく。二人がとにかくよくしゃべるので最初はなにを言ってるのかわからない。字幕を追って理解しようとがんばってせっかくの景色を楽しむ暇なし。途中からは諦めてわかる範囲でええわいという心境になった。マイケル・ケインの真似が多かったのはそれだけイギリスで人気がある俳優だからだろう。
イギリスの田舎を車は走り、ワーズワースやコールリッジの詩を暗唱することもありケイト・ブッシュの「嵐が丘」を歌うところもあった。この近くが嵐が丘だというセリフにここがヨークシャーかと感極まったわたし(笑)。

車を降りて岩山に登るところ、携帯電話は湖のそばでなら通じると言われて美しい湖水まで行くとかよいシーンがいっぱい。
帰りにマンチェスターのスティーブの両親の家に寄るところもよかった。
ずいぶんと変わったおもしろい映画だった。

ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』を読みながら

昨日アオツキ書店で買った本を他の本をおいて読んでいる。全部読むつむりはなく気がすむところまで読むつもり。そしたら読みかけのミステリにもどることにして読み続ける。
好きな映画の中でも飛び抜けて好きな映画の製作日記だ。どんな「美女と野獣」の映画が作られてもこれ以上の「美女と野獣」(1945)はないと思っているくらいに好きだから、どのようにして撮ったのか興味がわく。

ベル(美女)役のジョゼット・デーのことなんだけど、この映画でほれぼれしたのだけれど、他の映画に出ているのか気にしてなかった。いまわかったことは、コクトーの「美女と野獣」と「恐るべき親たち」に出演後、マルセル・パニョルと結婚して離婚。その後ベルギー人の実業家と結婚して映画・演劇界から去ったとのこと。それで以後の彼女の映画はないのだといまごろわかった。
もひとつわかってうれしかったのは、写真がたくさん収録されているんだけど、ベルが家にいて女中のように働いているところは、フェルメールの絵の中の少女にそっくりだ。コクトーが意識してフェルメールの感じにしたって書いてある。いまごろわかったんだけど、なんか楽しい。

はじめてテレビで見たときの感動を思い出す。それからだいぶ経ってからレーザーディスクを買い何度も何度も見ている。いまはDVDがあるんだけどちょっとご無沙汰している。いろんなシーンを覚えていて、本に入っている写真を見ると懐かしい。
スタッフの名前を見ると、ルネ・クレマンが技術助言〔技術顧問〕、美術指導がクリスチャン・ベラール、撮影指揮〔撮影技師〕アンリ・アルカンと知ってる名前があるので、本文を読み進めばいろんなことを知ることができるだろう。

ノーラ・エフロン監督『ユー・ガット・メール』

何回も見ている大好きな映画。好きな映画の20番目くらいにはいるかも。ラブ・コメディ大好きだが押し付けがましいのに当たるとがっかりする。なかなか難しいところをクリアしている映画を見るとうれしくなる。そういう映画である。

メグ・ライアンほどラブコメディに向いた女優はいない。美女ぶらない好ましい美人。相手役のトム・ハンクスは男前とは言えないが好ましい男ナンバーワン。二人がインターネットでメールを交わす。実際にも会っている仲だがお互いがわからないところから話がはじまり、だんだん惹かれあっていく。

要するに「高慢と偏見」現代ニューヨーク版である。実際にメグ・ライアン扮するキャスリーンはいつも「高慢と偏見」を抱えていて、待ち合わせのカフェで読んでいる。ちょうど映画が封切られたころ、わたしも「高慢と偏見」を20回くらい読んでいると言ってた。ここ数年はなぜか読んでなくて、コリン・ファース演じるダーシーさんのDVDもしまい込んだままである。暖かくなったら出番がくる予感がする。