雑誌好きよみがえる

昔は雑誌が大好きでいろいろ買っていた。『アン・アン』『ポパイ』『クロワッサン』『銀花』『装苑』『オリーブ』『宝島』『遊』『美術手帖』『流行通信』『ロックマガジン』『ジャズ批評』とかいろいろ。もう名前を思い出せないけどお金を使ったなあ・・・Macの雑誌もたくさん買っていた。いまは相方が買ってくる1冊。
最近また雑誌を買いだした。昔のように発行日にいそいそと買いにいくことはないが、本屋で立ち読みしてこれっと思うと買う。買い物や用事で出たときに心斎橋の本屋に寄るときもあるが、たいていは近くのスーパーライフの本売り場で買う。ファッション誌が多いが重いので他に買い物がないときに。女性誌がたくさんあるので立ち読みしたり。わたしは全然おしゃれしないが、流行とかに目配りはしてる(笑)。
そうそう、東北の地震以来『週刊現代』を買うようになった。だから毎週月曜日はライフの2階で家庭用品を買うついでに本の売り場に行く。

ツイッターの記事で知ったのだが『ku:nel』リニューアル号の評判が悪い。それでおととい手に取ってみたら上品な感じなので買って帰った。以前の号を知らないのでどう変わったかわからないが、この感じは好きだ。評判が悪いのは品は良いが力がないせいかな。
いま気に入っている雑誌は『WIRED』、難しいところはとばしてわかるところだけ読んでいる。

ミネット・ウォルターズ『悪魔の羽根』

ミネット・ウォルターズの本を読むのは1995年に『氷の家』と『女彫刻家』を読んで3作目の『鉄の枷』で挫折して以来だ。10作目が翻訳されてなくて、本書『悪魔の羽根』(2005年発表 翻訳は2015年)は11作目になる。(すべて成川裕子訳 創元推理文庫)
わたしはミネット・ウォルターズに怖いというか気持ち悪いというか好きでない印象が残っていて、今回も読む気がなかったところへ友人が貸してくれた。読み出したらハマってしまい、あっという間に読み上げた。おかげでいろんな用事が停滞しております。

コニー・バーンズはイギリス人女性でロイター通信の記者である。ジンバブエで育ちアフリカ、アジアなどで取材経験を積んだ30代半ばのベテラン。2002年にフリータウンで5人の女性が相次いでレイプされた上に鉈で惨殺された事件に取り組んだ。コニーは外国人居留者のハーウッドを疑う。彼は他の名前で他の地域でも事件を起こしている。2年後にコニーはバグダッドで彼と出会う。民間の警備会社の顧問をしていて本名がキース・マッケンジーとわかるが、会社は本人と接触させない。バグダッドはレイプ事件が増えており、コニーのホテルにも誰か侵入した形跡があり、危険を感じたコニーは病気休暇をとってイギリスへ帰ることにする。
ところが空港に着く前にコニーは拉致される。他の女性たちと同じような目にあうと心配されるが彼女は3日後に解放された。逃げるようにロンドンのホテルに身を置くコニーは自分を拉致したのはマッケンジーだと確信する。
マンチェスター警察のアラン・コリンズ警部補は英国訓練支援チームの一員としてフリータウンに駐在していた。一連のレイプ事件の関連について証拠が示していると言うが『戦時にはレイプと殺人は日常茶飯事であり、女性に対する暴力は、平和が宣言されたからといってやむものではありません。』と語っている。彼はずっとコニーに連絡を欠かさずにいる。

イギリスに戻ったコニーはドーセット州の古い屋敷を借りて住むことにした。美しいが荒れたバートンハウスで著作生活をするつもりだった。家に着いたとたんに犬をたくさん連れたジェスと出会う。医師のピーターもいろいろと助けようとしてくれる。
(成川裕子訳 創元推理文庫 1340円+税)

ローナ・バレット『本を隠すなら本の中に』

先日心斎橋へ出たときに東急ハンズ地下の本屋さんに寄って買った。目的なしでぶらぶらして衝動買いしたのは、『現代思想1月臨時増刊号』(特集:パリ襲撃事件)、澁澤龍彦『幸福は永遠に女性だけのものだ』(河出文庫)、ローナ・バレット『本を隠すなら本の中に』(創元推理文庫)の3冊。いかにも衝動買いで、お金がないんだからもうちょっと検討したらよかったとその日にうちにすこし後悔した。

まずコージーミステリをとローナ・バレット『本を隠すなら本の中に』読み出した。主人公はミステリ専門店の店主トリシア・マイルズ。離婚していまはジャーナリストの恋人がいる。猫のミス・マープルが同居。隣りで姉のアンジェリカが料理専門書の店とカフェをやっている。
大学時代の友人パミーが訪ねてきてもう2週間居座っている。パミーの行動にはトリシアの目にあまることが続いているので、ついに出て行くように言ってしまった。
パミーはあちこちの店をまわって職を探したが決まらず、最後はアンジェリカが雇うことにしたのをトリシアは知る。
トリシアはアンジェリカの店の裏側のコンクリートの道に出た。ゴミのカートから突き出た2本の脚はパミーのものだった。
否応無く警察とつきあうことになる。(多分)前作でうまくいかなかった係官でなく、今回は郡保安官事務所の地区隊長ベーカーが捜査に当たる。彼の緑の目に惹かれるトリシア。コージーミステリの王道を行くって感じ。

買ってよかったと思ったのは、居候だったパミーが殺され捜査官たちが帰った後のさびしい部屋で取り出した本が、なんとまあ『小公女』だったこと。トリシアはこの本の最初のページを何度も読んでいると書いてある。わたしは終わりのほうの屋根裏部屋に奇跡が起こったところを何度も読んでいるんだけど。
ドロシー・L・セイヤーズへの言及もあってうれしいかぎり。猫の名前はアガサ・クリスティーだけど。
(大友香奈子訳 創元推理文庫 1200円+税)

パトリシア・ハイスミス『死者と踊るリプリー』

へんなタイトルなので原題を見たら『Ripley Under Water』なので納得した。前作『アメリカの友人』と同じ家で妻のエロイーズと安穏に暮らしているリプリーに思いがけない危機がやってくる。
同じ村の大きな池がある家を買って暮らし始めた若いアメリカ人のブリッチャード夫婦がトムに接近してくる。経営大学院で学んでいると言ったがその他のことも嘘くさい。なにをたくらんでいるかわからない。家にいるトムの姿を近くの森の中から撮影していたりする。

エロイーズと友人のノエルとトムは前から計画していた北アフリカへ旅する。ホテルの側でブリッチャードが立っているのをトムは見かけた。誘い出すように一人で出かけたトムはつけてきたブリッチャードを叩きのめす。
女二人連れであとの旅を楽しむように言ってトムは先に帰国しブリッチャードのことを調べる。『贋作』のときの画家のこととかが思い浮かぶ。
どうやらこの作品は『贋作』の続編になるのだとわかってきた。そのときの友エドとの深い友情というのか関わりがいい感じ。
まるでゲームでもしているように、詰めたりかわしたり、一手先んじたり、ブリッチャードをかわしながら危うい橋を渡っていく。
ブリッチャードは人を雇って川をさらいはじめて村人の噂になるが、どうやら思っていた物を手に入れたらしい。
最後、ほっとした(笑)。
(佐宗鈴夫訳 河出文庫 980円+税)

パトリシア・ハイスミス『アメリカの友人』

パトリシア・ハイスミスのトム・リプリーのシリーズは『太陽がいっぱい』(1955)に続く『贋作』(1970)だけまだ読んでないのだが、『アメリカの友人』(1974)と『死者と踊るリプリー』(1991)を続けて読んだらどんな内容かわかって、読まなくてもいいかという気持ちになった。でもリプリーのなんともいえない暗い甘さを味わいたいなら読まなくてはとも思う。まあいまのところはこの3冊でいいことにしよう。いま調べたらもう1冊あった。『リプリーをまねた少年』(1980)は柿沼瑛子さんの訳だからこれから読む本に入れておこう。

トム・リプリーは妻のエロイーズとフランスのフォンテーヌブローから数キロ離れた小さな村ヴィルペルスに住んでいる。エロイーズは大富豪の娘で父からの金銭援助を受けている。援助金がなければこの地での生活が成り立たないのをトムはよくわかっている。頑健な60代の家政婦マダム・アネットが家事を全部引き受けている。
トムは絵を描き、エロイーズとともにハープシコードを先生に家に来てもらって習っている。その上に庭仕事が好きで季節の花やハーブを育てている。大きな仕事は庭師に来てもらい、毎日の世話はトムがしている。毎日朝早く起き咲いた花を切って部屋の花瓶に活ける。そこだけ見ていると落ち着いたブルジョワの生活だし、マダム・アネットにも村人たちにもそう思われているけれど。

ハンブルグから友人のリーヴスがやってきて仕事の話をする。やばい仕事だと思うが手助けしようと思う。このあたりの悪人どうしの信頼感は古いフランス映画みたいに惹きつけられる。
(佐宗鈴夫訳 河出文庫 980円+税)

アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』

友だちのSさんが貸してくれた。去年の秋に出た本できれいな表紙カバーがついている。
1944年に書かれた本だけど最初の日本語訳はいつ出たのだろう。出たときに二番目の姉が買ったのを兄の次に読んだ。妹もそのとき読んだような気がする。内容を全然覚えてなかったし、良いと思ったのかどうかも覚えていない。姉は亡くなったがこの本は姉が遺した本箱で眠っている。姉はクリスティー好きだったが、わたしは嫌いだった。嫌いといいながら家にある(父と姉が買ったから)のは全部読んだけど。だからけっこう読んでるんだ、クリスティー。心底から好きなドロシー・L・セイヤーズびいきのためにクリスティーは好きと言わない(笑)。

きれいなカバーやなあと言いながら開いてちょっと読んだらおもしろい。ええっ、こんな内容やったん?とびっくりして読み進んだ。
イギリスの地方都市に住む弁護士の奥さんジョーンが、末の娘バーバラが結婚して住んでいるバグダットを病気見舞いで訪ねる。その帰りの列車が遅延して何日か宿泊所で過ごすうちに読む本がなくなり、することがない状況になる。数日が同じように朝ご飯、昼ごはん、午後のお茶と昼寝と晩ご飯なのだが、ジョーンは考えごとに取り憑かれる。夫のこと、子どもたちのこと、女学校の先生の言葉などが思い浮かぶ。ロンドンのヴィクトリア駅へ見送りにきた夫のロドニーが戻っていく背中が列車からちらと見えたのが浮かれている感じだったことも。
ロドニーが随分といい人に書かれているがそうかなあ。
分別のあるジョーンをきつく書きすぎているようにも思うし。
でも、確かにジョーンみたいな人がいるわ。
(中村妙子訳 ハヤカワ文庫 680円+税)

おかしな姉妹の話とミステリー雑談

我が家は目が覚めたら仕事場というテキトーでルーズな生活をしている。わたしは仕事がヒマなとき月に数回は姉の手伝いに出かける。ということで、明日は朝から姉の家に頼まれた買い物をして行って一日お相手。お風呂に入るときの用心棒も。
姉という人は長年勤務した会社を退職してからうん十年経つのに朝は6時に起きる。わたしが到着する昼前にはきちんと片付けて洗濯干してテレビを見ている。テレビを見ながら居眠りしているのだが、がんとして横にならない。わたしなんか同じ立場なら朝寝昼寝で夜更かしやけどな。新聞は『朝日』、雑誌は『文藝春秋』『波』と何十年変わらない。

連休中はヴィク・ファン・クラブの会報発行の準備の他は読書だけだったなあ。映画も見なかった。パトリシア・ハイスミスの本『アメリカの友人』を読み終えたので明日くらいに感想を書こう。よかったけど暗い小説やった。あと残っているのは『死者と踊るリプリー』だけど、なんか気持ち悪いタイトルだなあ。文字ぎっしりで分厚い。これを入れて3冊読んだらハイスミスはちょっと休んで、ピエール・ルメートル『天国でまた会おう』を読むか、Sさんが貸してくださったアガサ・クリスティー『春にして君を離れ』、マーガレット・ミラー『まるで天使のような』、ミネット・ウォルターズ『悪魔の羽根』のうちどれかを読む。クリスティーのは初めて翻訳されたとき、亡くなった二番目の姉が買ってきて読んだような気がする。これをアップしたら最初のところを読んでみよう。

パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』

映画『太陽がいっぱい』が上映されたのは1960年だった。55年前だ。いまもスクリーンに流れた音楽を口ずさむし、アラン・ドロンとモーリス・ロネの顔が浮かんでくる。そして青い空。
当時も話題になったが映画と原作では結末が違っている。映画は苦労して成し遂げたせっかくの完全犯罪が最後に崩される。見た人が思いを残す素晴らしい結末だった。
そのときから原作は違うといわれていたんだけど、映画が完璧だったのでそれでいいと思ったのか、本を読もうとは思わなかった。ミステリから離れていたときだし。

そのまま、去年の暮れに『キャロル』を読むまでハイスミスのことは忘れていた。『キャロル』はミステリではなく女性どうしの恋愛小説なんだけど、どこか影のあるところに誘われた。そしてリプリーものを読もうと思った。3冊買ったうちの1冊目を読了。

暮れから時間があると読んでいたが、スウェーデンものが間に入ったし雑誌もあった。いちばん時間がとられ、これからもとられる予定のブログの引越し作業がまだ1/20くらいしか進んでいない。

主人公のトム・リプリーはニューヨークに住む陰のある美貌の青年。あたまがまわりちょっとした悪事に手を染めて生き延びている。ある日、大金持ちのグリーンリーフ氏が街でトムを探し出して、イタリアにいる息子ディッキーをアメリカへ連れ帰るように依頼する。
この出だしがすごく好き。後ろをつけてくるのは警官か?探偵か? 捕まったら10年か15年くらいこむことになるかも。そう思ったが、その男は実業家風で頼みたいことがあるという。2年ほど前からイタリアに行ったまま戻ってくる様子がない息子をイタリアまで行って連れ戻してほしい。トムにはちょっとだけ知り合いのディッキーなのだが、イタリアに行くのもいいなと一等船客となって大西洋を渡る。
(佐宗鈴夫訳 河出文庫 860円+税)

本の虫

さっき『太陽がいっぱい』を読んでいたら、「本の虫」という言葉そのままの人間がここにいると言われた。「本の虫」ってでっかい虫やなぁ、気持ちわるう。
本から体を離してコーヒーを淹れたが、コーヒーカップを手にしてまた読んでいる。おもしろいんだから虫と言われても平気。コーヒー淹れながら体操のつもりで肩をまわして伸びをした。

活字中毒者でもある。老眼の進み方がいちじるしく、肩こりもまたひどい。でもよく眠れるから睡眠中に修理できているようで、目覚めはけっこう爽やか。
いちばんのくすりはお風呂だ。熱めのお風呂にゆったり入って長風呂、ときどき半身浴、ときどき塩湯やハーブ湯。

本さえあれば生きていける。物語の中に真実があると信じている。
今夜はちょっと気取りました(笑)。

カーリン・イェルハルドセン『子守唄』

スウェーデンのストックホルム、ハンマルビー署のコニー・ショーベリ警視と部下たちがすさまじい犯罪に正面から立ち向かうシリーズの3作目。今回も最初から最後まで圧倒的な筆力に引っ張られて読んだ。

火曜日の朝、土曜日と日曜日の間に行われたとみられるひどい殺人現場にショーベリ警視と捜査員たちはたじろぐ。血の海のダブルベッドに横たわっているのはアジア人の母親ケイトと二人の男女の子どもだった。
母親はフィリッピン人で清掃会社に勤務していたが失職中である。しかしマンションは彼女のものになっているから別の収入があったと考えられる。マンションには家具もなく男気もない。

ショーベリ警視はエリクソン警部の無届欠勤が続くので彼の部屋に入って調べる。エリクソンは仕事はできるが人と交わらず孤独な生活をしていた。
ハマド刑事が唯一ケイトの部屋にかかっていた男物セーターの匂いに気がつく。エリクソンとなにかつながりがある。ショーベリ警視は彼のつらい過去を探っていく。

一方、ショーベリもまた深い悩みを抱えている。父は早くに亡くなり母に育てれらて仲が良い親子なのだが、母は過去を話さない。ショーベリはお手の物の調査力で自分の過去を探り、死んでいるはずの祖母を見つける。
ショーベリにも驚くべき過去があったのだ。

ハマド刑事とペトラ・ウェストマン刑事の間の誤解とわだかまりが、いつまでも解けなくっていらいらした(笑)。わたしはハマドがお気に入り。
「訳者あとがき」によると、このシリーズは8作目まであるらしい。翻訳を期待してます。
(木村由利子訳 創元推理文庫 1100円+税)

子守唄 (創元推理文庫)