アン・ペリー『偽証裁判』を早く読みたい

積ん読になるほど本を買わないほうで、買った本はわりとすぐに読んでしまうのだが、P・D・ジェイムズにはまってから積ん読家になった。ダルグリッシュ警視長以外に目がいかなくなって何度も読んだから。
さっきツイッターを読んでいたら、アン・ペリー『偽証裁判 上・下』(創元推理文庫) についての書き込みが並んでいる。「迫真の歴史法廷ミステリ」なんて書いてあると煽られる。モンクとヘクターのシリーズが大好きなんで、いま読んでるのをおいて読もうかと思う。いま読んでいるのはエラリー・クイーン「災厄の町」で一度読み通したのをもう一度読んでいる。半世紀前に読んだ本だけどこんなにおもしろいとは思わなかった。読書会で取り上げなければ買わなかっただろうから儲けもの。読書会は4月なので日にちはあるのだが読み出してしまった。ダニエル・フリードマン「もう年はとれない」は、最初の5ページほど読んでみたが、これは積んどく。
ということで、今夜と明日は『災厄の町』で、あさってから『偽証裁判』かな。目下、ヴィク・ファン・クラブの会報づくりが終わりにかかっている。水・木で仕上げて金曜日に送りたい。その後がアン・ペリーと決めておこう。

サラ・パレツキー「セプテンバー・ラプソディ」(3)

後半455ページに出てきたエイダ・バイロンという名前にびっくりした。わたしは以前バイロン卿の娘エイダのことをコンピュータの歴史の本で読んで覚えていたから。2008年2月16日の日記だからきっちり7年前のこと。なんか因縁を感じてしまった。
本書はミステリなのでなぜかは明かせないが、読み進むにつれてなぜこの名前が使われたのかわかってくる。

「バイロンの頌歌」という章で、図書館にあった資料でエイダ・バイロンの名前を見つけたヴィクが検索すると、エイダはずっと前の時代の人だったとわかる。そしてヴィクは考える。マーティンはそれが誰かわかったのだと。ヴィクは独り言で文句を言う。「マーティン、どうしてわたしのためにパン屑を落としていってくれなかったの?」

本書はヴィクが調べて明らかにしていくロティとその幼年時代と成長の物語であるが、第二次大戦の前にヨーロッパで学び研究に励んだ女性科学者の物語でもある。その先駆者がエイダ・バイロンなんだなあとサラ・パレツキーにまた教えられた。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 1300円+税)

サラ・パレツキー『セプテンバー・ラプソディ』(2)

はじまりは1913年のウィーン、6歳の少女マルティナとゾフィーはイタリア人の音楽教師につくことになった。ゾフィーはブルジョワ階級のお嬢様でマルティナはお針子の娘である。ゾフィーの相手をしてあくびをしていた教師はマルティナのフルートを聞いて、きみはまだ小さいのに早くも音楽に恋をしている、という。のちのちマルティナはこんなことがあったのを忘れてしまうが、フルートだけは生涯にわたって彼女のこころを癒してくれるものとなる。

ロティの診療所の事務担当者コルトレーンさんからヴィクに連絡があった。ロティ宛にジュディという女性から助けを求める電話があったが、ロティは大手術があるのでヴィクに伝えたという。
ヴィクがジュディの住まいに行くと本人はおらず、農地に倒れた男性の死体がありカラスが群がっていた。ヴィクは犬を助けて病院へ連れていく。
仕事が終わったロティに聞くと、ジュディは子供時代からの知り合いであるキティの娘だという。オーストリアがナチスドイツに併合されたあと、ユダヤ人たちはフラットを追い出されみじめな生活を強いられたが、ロティの祖父は戦争の始まる前にロティだけでなくキティもロンドンへ送り出した。

キティの母であるマルティナは物理学に魅せられていて、子供を産んだものの子育てには無関心だった。マルティナの愛は学問だけに向かっていた。
ロティに頼まれてヴィクはキティに会いに行く。キティはずっとお嬢様であるロティを嫌ってきていまもなお反発している。それでも孫のマーティンの行方がわからないので探してほしいとヴィクに頼む。
マーティンはキティとジュディに続くマルティナのひ孫にあたる。彼の天才的頭脳はマルティナから受け継いだもののようだ。
ヴィクの物語であると同時にマルティナの物語でもある大作。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 1300円+税)

サラ・パレツキー『セプテンバー・ラプソディ』(1)

ヴィクシリーズ長編16冊目。
「VFC会員サイト」のために本の整理をしたのでここにも書名を入れておく。

サラ・パレツキーの長編小説 山本やよい訳
1 サマータイム・ブルース(ハヤカワミステリ文庫 1985年)
2 レイクサイド・ストーリー(ハヤカワミステリ文庫 1986年)
3 センチメンタル・シカゴ(ハヤカワミステリ文庫 1986年)
4 レディ・ハートブレイク(ハヤカワミステリ文庫 1988年)
5 ダウンタウン・シスター(ハヤカワミステリ文庫 1989年)
6 バーニング・シーズン(ハヤカワミステリ文庫 1991年)
7 ガーディアン・エンジェル(ハヤカワノヴェルズ 1992年)
※現在はハヤカワミステリ文庫から刊行
8 バースデイ・ブルー(ハヤカワノヴェルズ 1994年)
※現在はハヤカワミステリ文庫から刊行
9 ハード・タイム(ハヤカワノヴェルズ 2000年)
※現在はハヤカワミステリ文庫から刊行
10 ビター・メモリー(上下)(ハヤカワミステリ文庫 2002年)
11 ブラック・リスト(ハヤカワミステリ文庫 2004年)
12 ウィンディ・ストリート(ハヤカワミステリ文庫 2006年)
13 ミッドナイト・ララバイ(ハヤカワミステリ文庫 2010年)
14 ウィンター・ビート(ハヤカワミステリ文庫 2010年)
15 ナイト・ストーム(ハヤカワミステリ文庫 2012年)
16 セプテンバー・ラプソディ(ハヤカワミステリ文庫 2015年)

翻訳ミステリが低調なときに全作品が訳されていて読めることに感謝でいっぱい。
早川書房さまありがとうございます。素晴らしい翻訳をしてくださっている山本やよいさんありがとうございます。

わたしはもともとミステリファンで、そのころは特にハードボイルドミステリが好きだった。「サマータイム・ブルース」が出版されたときにすぐに買って読んでいるから30年にわたる読者である。

数冊読んだころ、ヴィクもわたしら読者も年を取ったのに気がついた。「バースデイ・ブルー」くらいからだったと思うが、ヴィクの言葉に疲れを感じるようになった。これからどうするんだろうと考えていたとき、若い女性警官が警察を辞めてヴィクを手伝うといってきた。そのときわたしは体力を使う仕事は彼女に任せてヴィクは頭を使ったらいいんじゃないかと真剣に思った。その彼女ものちに出てきた従姉妹のペトラもヴィクの行動力には追いつけなかった。
最近のヴィクは疲れたと言いながら活動していて昔と変わらず一直線だ。年を取ったとは言いながら作品では実年よりも年をとるのが遅いからいいよね。
わたしもそのくらいの遅さで年をとっていたらもうちょっと行動できるんだけど、実年齢に合わせて年をとっているので疲れるし遅れをとるしである(笑)。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 1300円+税)

P・D・ジェイムズ『殺人展示室』再読と「百合」

図書館で借りて最初に読んだのは2010年4月、今回約5年ぶりに自分の本で読んだ。
本書の翻訳発行は10年前なので、その間こんなおもしろい小説を読まなかったことを悔やむ。偏った読書をしていたものだ。イギリスの警察小説はレジナルド・ヒルのダルジール警視に夢中になったがずいぶん遅かった。翻訳されるのを最初から読んできたのはイアン・ランキンだ。ピーター・ラヴゼイもコリン・デクスターもジョセフィン・テイも読み出したのは遅かったが、夢中になって翻訳されたほとんどの作品を読んでいる。
まあ、大先輩のドロシー・L・セイヤーズはずっと昔から読んでいるからいいとするか。

お正月に川端康成の作品を何冊か読んで美しい日本語に魅了されたのだけれど、その後に本書を読んで今度は論理的な英語(翻訳されたものであっても)にほとほと感心した。
並行して雑誌「ユリイカ」の「百合」特集を読んで自分なりにわかった気がした。
百合:レズビアン=川端康成:P・D・ジェイムズ
吉屋信子や川端康成の作品は麗しい「百合」であって文句のつけようがない美しさ。だが、ダルグリッシュ警視長と特別捜査班の論理はレズビアンとしての堂々たる態度みたいなもの。
あくまでも勝手な想いである。
「殺人展示室」のアダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、ピアーズ・タラント警部、読み返して懐かしかった。シリーズ最後まで読んで結末わかっているから気分良い。
(青木久恵訳 ハヤカワポケットミステリ 2005年2月発行 1800円+税)

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』の感想を書く前に

11月の終わりに買ってすぐに読んだ。いろいろと考えることが多い作品で、感想を書こうと思っているうちに年を越えてしまった。お正月にと思っていたら風邪をひいてアタマが冴えず今日にいたる。
その間にKindleで「なんとなく、クリスタル」を購入して読んだ。最初に読んだのは33年前で、おもしろがって読んだのを覚えている。その次は18年前に阪神大震災のボランティアで田中さんと知り合ったときに読んだ。

田中康夫さんとお会いしたのは阪神大震災から1〜2年あとの〈週末ボランティア=週ボラ〉だった。代表の東條さんが活動後の集会時に田中さんに話をしてもらうことにした。〈週ボラ〉メンバーはもひとつ気が乗らないようで、わたしだけが田中さん好きと言ったのを覚えている。そんなことで、その後に田中さんが〈週ボラ〉の活動に参加されたときは東條さんが、わたしといっしょに行動するように配慮された。暑いときで汗を拭き拭きわたしと男子2人と4人で仮設住宅を訪問した。その道すがら、わたしがそのころ腹が立っていた〈おばさん〉という呼び方にモンクを言ったら、「では、ぼくはS嬢と呼びましょう」と言われて、それ以来わたしはS嬢と呼ばれることになった。当時の雑誌「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです。よっぽどうれしかったとみえていまだに言っている(笑)。

二度目は震災から2年目の記念訪問日だった。西神駅に集合した〈週ボラ〉メンバーたちは、これから出かける仮設住宅訪問についてレクチャーを受ける。初めての人がいるから「必ず女性の名前を呼ぶこと、おばさんと言うたらいけません」という注意もある。
そのとき田中さんとW嬢(「33年後のなんとなく、クリスタル」のメグミさん)がいて、わたしと3人で出かけるようにと指示があった。集団から少し離れて3人で雑談しるとき、わたしは田中さんにヨイショするつもりで、「ご本読みました」と言ったまではいいが、続けて「されどわれらが日々」と口から出てしまって、大笑いして大謝り。真面目な場での大笑いで真面目な人たちから顰蹙を買った。「されどわれらが日々」は読んだけれどあまり好きでなく、なんでそのとき出てきたかわからない。
その日は3人で神戸ワインの工場の横を通ってずっと奥にある仮設住宅を訪問して、年取った独り住まいの女性の話を聞いた。田中さんたちはきちんと座って、その女性の言葉に相槌を打っておられた。車の中でもらったチョコレートがうまかった。

今日は前書きだけでおしまいです。

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』

「おもしろくってためになる」、本書を読んだ感想はこの一言につきる。
自分が読み終わってから数人の女性に勧めたのだが、全員がすぐに買って読んで「良かった、面白かった」と言っていた。33年前に「なんとなく、クリスタル」を読んで東京に憧れていたという人は、もったいなくて何日もかけてゆっくり読み、ついで33年前の物語を読み返したそうだ。わかるぅ、わたしもKindleで買って3度目を読んだもの。

田中康夫さんとメグミさんと犬のロッタちゃんの生活が楽しく描かれている。わたしはメグミさんがW嬢だったときに一度お目にかかっているので、その生活ぶりを想像して楽しんだ。
33年前に「なんとなく、クリスタル」の主人公だった由利さんと食事しながらの会話が楽しいし、彼女の悩みや相談に誠実に応える康夫さんがかっこいい。ワイン談義のうんちくも鼻につかない。たいていの小説なら鼻持ちならないところだが、すいすい読めてしまう。なんの嫉妬心もわかないのが不思議(笑)。
江美子が幹事役の女子会はIT関連の会社幹部の妻が自宅を提供して催される。建物に入っていくところの描写から、ケータリングを頼んだ食事と飲み物についての成金趣味へのちょっと毒のある感想にはふーんとうなずくだけですが(笑)。でも、そういうクラスの女性たちが生真面目にいまの政治のやり方について語っているのが気持ちよい。

そしてここ。何度か出てくるこの言葉「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」に深くうなずいていた。
わたしは若いときから(参加する〉人だった。最初の参加はすべて自腹で仕事を休んで「総労働対総資本」と言われた三池闘争の現場へ女子3人で走って行った。
阪神大震災のときはボランティアに行った。
反原発のデモにも何度も行っている。最初の反原発デモに参加したときは、一歩目を踏み出したとき1968年の御堂筋デモを思い出して足が震えた。
そういうわたしはいま膝が痛い。御堂筋へ出かけても足手まといになるだけだ。だけど、なにかすることはあるだろう。得意の〈おしゃべり〉でも、超得意の〈お話を聞く〉能力もまだ衰えていないと思うし。
「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」ですね。
(河出書房新社 1600円+税)

まだまだ、P・D・ジェイムズ

P・D・ジェイムズのアダム・ダルグリッシュ警視長シリーズは全部読んでいるんだけど、買っていなかった本2冊「ナイチンゲールの屍衣」(1971)と「灯台」(2005)を中古本で注文した。明日には届くだろう。
先日来「殺人展示室」を再読・三読してダルグリッシュの理詰めの推理と、部下たちの無駄のない動きにまた魅せられていた。ダルグリッシュはケンブリッジで教える若いエマに恋をして、彼女の心を推しはかって自信をぐらつかせたりもする。最後にイエスと言うエマと向き合って両手をとる。そして高らかに笑う。
お布団の中で最後のページを読み終わって自分を笑ってしまった。おいおい、ミステリを読んでいるのかロマンスを読んでいるのか。こんなんだから安眠確実(笑)。

他に積ん読本がいっぱいあるので、ジェイムズさんの本だって家にないと読まないから買うまいと思っていたのに、そこまで読んだらたまらずにアマゾンのページを開けていた。明日届いたらすぐに読みだすのだろうな。「灯台」ではケイト・ミスキン警部とピアーズ・タラント警部がいい仲になるけど一度壊れたんだっけ。えっ、これで終わりなの?と思ったら「秘密」ではピアーズからメールが届いて・・・この二人らしいいい解決でよかった。

川端康成『舞姫』

お正月読書は気分を変えて川端康成の「舞姫」を何十年ぶりに。「舞姫」は昭和25年12月から26年3月まで朝日新聞に連載された。こどものときから新聞小説に目を通していたわたしだが、なんぼなんでも覚えているはずなく、きっと姉がのちに単行本を買ったのを読んだのだろう。それにしても40代の夫婦の性生活がわかるはずもなく、主人公のバレエに生きる波子と品子の母娘が波子の夫矢木に精神的に虐待される物語として読んでいた。

いま読み終わって、川端康成はすごいと改めて思っている。
第二次大戦前、波子はお嬢様育ちで矢木は波子の家庭教師だった。矢木は学者を目指していて、波子はバレエで名をなしはじめていた。娘の品子と息子の高男が生まれていまや娘はもう二十歳。真面目な相手だと親のいいなりに結婚したのだが、矢木は実は計算高く、波子名義の預金を黙って自分名義に書き換えている。それを発見したのが父親を尊敬していた高男で、彼は自分の留学費用を黙って引き出す。
波子の恋人竹原はかつて波子の家の離れを借りて住んでいたことがあり、家庭を持っているが波子をずっと想い続けてきた。竹原が波子のために調べてみると家や土地も矢木名義になっているのがわかる。

母娘がバレリーナということで、東京にある稽古場と鎌倉の自宅の稽古場では洋楽のレコードがなり響き、当時のバレエの舞台を見に行く場面も多い。そのころの日本はバレエブームだったらしい。すごい数のバレエ教室があるとマネエジャアの沼田が波子の奮起を促す場面があった。

お正月だから『夜の梅』

だいぶ前に東京の友人が本といっしょに「夜の梅」の竹皮包羊羹を送ってくれた。おいしいものはすぐに食べてしまう我が家だが、これはお正月に食べようと大事にしまい込んだ。忘れっぽいわたしがしまったのを忘れてなかったのは大好きな羊羹だから(笑)。
土佐鶴の冷酒と相方が用意したうどんすきの晩御飯を食べたあと、ずっしりと重い羊羹の厚切りを煎茶でいただいた。控えめな甘さで上品、切り口の小豆が夜の闇の中に咲く梅をあらわしているという文学的なところも好き。

夕方から雪みぞれが降ってすごく冷える。
今日は元旦、このあとも暖かくして静かに本を読むことにしよう。
そうそう漱石の「草枕」を出してきて羊羹の場面をちょこっと読んで楽しもう。

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(『古今集』)
(とらやホームページより)