田中康夫『なんとなく、クリスタル』をKindleで購入

「33年後のなんとなく、クリスタル」を買ってもう1カ月近いんじゃないかな。とうに読み終わっているのだがまだ感想を書けてない。33年前のを読んでからにしたいのと、長いあいだ読んでいるP・D・ジェイムズから抜け出さないとどうもならない。ようやく大作「原罪」を2回読んで納得できたので手放せそう。

さっき、ツイッターで「なんとなく、クリスタル」(河出文庫)が値下がりとのツイートを読んで、タイミングのよいことに驚ききつすぐに購入した。わたしのKindleはずっと寝てたので、起こしてご飯を食べさせてやったらようやく動き出した。片付けがすめば即読み出すつもり。
昔読んだことがあるけど、33年後の物語を読んでいたら、昔はどんなだったかしらと思うこと多しで、やっぱりまた読みたくなった。

阪神大震災の2年後、「週末ボランティア」のメンバーだったわたしは、田中康夫さんといっしょに仮設住宅に住む被災者のお宅を訪問した。一回目は暑いときで二度目はめちゃくちゃ寒い日だった。歩きながらや車中やいろんな話をしたが、わたしが「仮設住宅訪問では決して女性をおばさんと呼んだらいけません」と東条さん(リーダー)が言うてるのに、同僚のボランティアのわたしにおばさんと呼ぶ人がいるとぼやいたら、それではとS嬢と呼んでくれた。当時の「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです(笑)。

『オリーブ』を読んでPHSを買った

最近ツイッターで「オリーブ」(雑誌名)という文字をよく目にする。わたしは当時でさえ「オリーブ少女」の年齢をはるかに超えていたが、楽しい雑誌なのでよく買って読んでいた。いま本棚に2冊残してあったのを開いたのだが、1冊は1999年4月発行の超特大号で中原淳一の紹介ページがある。やっぱり「ひまわり少女」から「オリーブ少女」につながっていたんだ。
もう1冊は携帯電話のページに熟読の跡がある。2000年の7月発行で表紙に「今の時点でベストはどれだ? ケータイ、ピッチ大研究」。これを読んでわたしはPHSを買いました(笑)。お薦めのデザインがよかったから。ねばってお店の奥から出してもらったっけ。

ほんまに携帯電話を買うのが遅れていて、なにを買っていいか悩んでいた。神戸へボランティアに行ってたときは相方の黒くて重いのを持って行ってた。小グループに分かれたときの連絡用に携帯電話持ってるよと言うと、高い電話料を個人経営の女性に払わすわけにいかないと律儀に使ってくれなかったっけ。阪神大震災が1995年だからこのときは97年か。
それでもって、わたしが最初の携帯電話を持ったのが2000年なのね。乙女ちっくなオリーブ少女の話から携帯電話の話になるなんてさすがだな(笑)。

P・D・ジェイムズ『原罪 上下 』(4)4年ぶりの再読

先日アマゾンの中古本で買ったP・D・ジェイムズ「原罪 上下」を、読みはじめたらおしまいやからあかんと気持ちを引き締めていたのに、つい忙しいとき手にしてしまった。ジェイムズ作品の中でも特に読み応えの作品である。当ブログ「P・D・ジェイムズ アーカイブ」には4年前に熱っぽく3回にわたって書いているが、いま読んでいてこんがらがる登場人物たちの立ち位置がわかって助かる(笑)。
アダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、そしてダニエル・アーロン警部のチームが捜査にあたる。アーロン警部がユダヤ人であることが今回の事件に厚みを与えている。ここまで話が遡るのか、ここまでの怨念を持って生きてきた人がいるのかと胸が痛む。

ダルグリッシュが選ぶ特捜班員は、貴族の肩書きを持っているマシンガム、女性のケイト・ミスキン、ユダヤ系のダニエル・アーロン、オクスフォード大学神学部出身のピアース・タラント、そしてインド系のフランシス・ベントン・スミスと多彩。彼らの生い立ちを知るのも、会話を読むのも、心理状態を知るのも楽しみ。

P・D・ジェイムズ『神学校の死』を購入して再読

P・D・ジェイムズの本を初めて読んだ「秘密」の最後にダルグリッシュとエマが結婚する。出会ったときのことを知りたくて「神学校の死」を読んだのが4年8カ月前のこと。そのときは図書館にあった本だけ読んで満足していた。
P・D・ジェイムズは先日お亡くなりになったので、新刊で買った唯一の本が「高慢と偏見、そして殺人」である。
(このあたり、同じようなことばかり書いているような気がする。)

今年の9月に「皮膚の下の頭蓋骨」を読んで再び熱が上がり、ダルグリッシュのシリーズを全部読もうと思った。そして読んでしまったのだが熱は下がらず、図書館で読んだ本を中古本で買って読んでいる。
いま「正義 上下」「原罪 上下」をアマゾン中古本で注文した。次のお楽しみに「灯台」を置いてある。

アダム・ダルグリッシュとエマ・ラヴェンナムが出会う「神学校の死」を再読した。
経済界の大物から依頼された彼の息子の死の真相を探るために、アダムが少年時代に三度の夏休みを過ごしたサフォークの神学校を訪ねる。物語に入る前に少年時代のアダムの姿が描かれる。健康な体と暖かい心と論理的な頭脳そして詩ごころが、美しい海と空の下で育ったのがわかる。

エマはケンブリッジ大学で文学の講師を務める28歳の才媛でケンブリッジに恋人が一応いるんだけど、結婚に踏み切れない。
エマとアダムは神学校の客として出会いおたがいに惹かれるものを感じる。

土地のことや少年時代のこと、神父たちの立場や考えの描写が長い。イギリスという国のこと、国教会など宗教のことなどについて知識が得られる。食事の説明とか日常生活のこともよくわかって、じたばたと過ごしている身としては羨ましい。

半分くらいいってから新たな殺人が起こり、ダルグリッシュ班の警官たちが招集される。
さて、これから「殺人展示室」をもう一度読む。
(青木久恵訳 ハヤカワポケットミステリ 2005年2月発行 1800円+税)

金井美恵子『お勝手太平記』

ブログ内検索したら金井美恵子の名前はごく最近のものしか出てこなかった。本棚の奥から出てきた映画の本のこと。そして本書を読みたくなって買いに行ったこと。
映画の本「映画、柔らかい肌」「愉しみはTVの彼方に」がすごくおもしろく勉強になったので、つい新刊が出ているのを知って読みたくなった。
買ってすぐに読み出したらおもしろくてたまらない。しかし、半分くらいまで読むとだんだん自分の世界と離れていることがわかってきて、そうだ、以前にもこの感覚があって、それで金井美恵子の新刊を買うのをやめたんだっけと思い出した。
東京と大阪の違いともいえるし、中産階級意識と貧乏人意識の違いともいえる。中産階級を描いても貴族を描いてもいいんだけど、どっぷり中産階級の中にいると思えるところにひっかかった。つい先だって読んだ川端康成には感じなかったし、イギリスのミステリにも感じなかった感覚。

ツイッターで読んだ書評に、村上春樹批判がおもしろいとあったが、そこはたしかにおもしろかった。わたしの感覚とはちょっと違うが。
わたしがおもしろいと思ったのは少女時代の読み物として、「小公女」と「秘密の花園」を良しとして「赤毛のアン」を批判しているところ。ここには引用しないが、すっきりした考えだと思う。わたしの思うところと近いけど、世代の違いとか読んだときの年齢とかいろいろあると思うのでわたしは言い切れないが。

まあそんなわけで、けっこう手紙好きの登場人物の手書き手紙に笑いを誘われつつ、最後にはもうお腹いっぱいの心境になってしまった。せっかく買ったんだけど。
(文藝春秋 2000円+税)

P・D・ジェイムズさんがお亡くなりになってさびしい

大好きな作家 P・D・ジェイムズが11月27日にオクスフォードで亡くなられた。94歳だった。
わたしがP・D・ジェイムズの本をはじめて読んだのは2010年の4月だから、まだ4年半しか経っていない。いま一番好きな作家を聞かれたらP・D・ジェイムズと言う。おっ、レジナルド・ヒルと同じくらいにと付け加えるか。ヒルを読み出すのが遅かったがジェイムズはもっと遅かった。

大阪と東京と離れているけど宅急便のおかげで本の貸し借りを頻繁にしているヴィク・ファン・クラブの会員Sさんに「秘密」をお借りしたのが最初だ。ダルグリッシュシリーズの最後の作品で、読むなりエマとダルグリッシュの間柄に魅了された。殺人事件よりも「高慢と偏見」を読んだときのような恋愛小説気分だった。最初の記事のタイトルが「下世話な興味 エマとダルグリッシュ」なんだから(笑)。

「秘密」を読んでから図書館で棚にあった本5冊を借りた。それを読んでひと休みしていたらずっと休んでしまい、それから2年は空白。
2012年に姪の本棚で亡姉の遺した「女には向かない職業」を見つけた。なつかしく読み出したら最後のほうにダルグリッシュ警視が出てきた。ずっと昔の女性探偵全盛時代に読んでいたのだが気にしてなかったのね。なぜか現代イギリスのミステリを頑なに読んでいなかったのが悔やまれる。P・D・ジェイムズとレジナルド・ヒルを読み出すのが遅かったのが恥ずかしい。

「女には向かない職業」でダルグリッシュ熱が再発して「ナイチンゲールの屍衣」と「死の味」を読んだ。そのあとに「高慢と偏見、そして殺人」が出たのだった。P・D・ジェイムズの新訳を初めて買ったのに、この本が最後の本になった。もう新訳が出ないと思うとさびしい。
今年の夏にコーデリア・グレイが主役のもう1冊「皮膚の下の頭蓋骨」(ここではダルグリッシュは会話の中に出てくるのみ)を読んで、さあ ダルグリッシュ!という感じで、第1作から読み出した。ダルグリッシュシリーズを全部読んだとようやく言えたばかり。
ここまできたら全作品を手元に持っていようと(再読もしたいし)、いまアマゾン中古本で「神学校の死」と「殺人展示室」を注文中。あと2冊頼めば全册揃う。

田中康夫「33年後のなんとなく、クリスタル」を読み出した

「ユリイカ」12月号(特集「百合文化の現在」)をすぐに読みたいので発売日の今日買いに行くことにした。ジュンク堂大阪本店に行くことが多いが、梅田よりも難波店のほうが近いといまごろ気がついた。もうだいぶ前だがデモの帰りにこんなところにジュンク堂があると知ったのが最初だった。
地下鉄を降りてすぐ外に出ないで歩くとすぐにスーパー・ライフがあって、1・2階にはホームセンターがあって、その上の3階である。
とにかく広い。そして本棚の間の空間が広くとってあるので見やすい。今日で3回目くらいだから慣れてなくてうろうろしたが、慣れたらすいすいと思うところにいけるだろう。

まず「ユリイカ」を手にして、うろうろと文庫本のところへ行き、ジュリアン・グラッグ「アルゴールの城にて」(岩波文庫)を、それから昨日ツイッターで知った田中康夫さんの新作、「33年後のなんとなく、クリスタル」(河出書房新社)を買った。合計3780円。
あとはなんとなく千日前線に乗るまで地下の商店街を歩いた。

「ユリイカ」はあちこち興味のあるところ(やっぱり吉屋信子や宮本百合子と古いところになる-笑)を流し読みして、「アルゴールの城」は相方へのお土産にして、さあ康夫さんだ、と読み出した。すっごくおもしろい。

袋物好き そして P・D・ジェイムズ「秘密」

昨日ステップ・ファーベストに出店していたhoopで布バッグを眺めていたら、「袋が好きなんですね」と声をかけられた。そうなんです、持っているのも堀江のジョローナで買ったhoopの僧侶バッグ(お坊さんがかけているような感じ)だし。またまた目についたエコバッグを買っちゃった。

実はおとといP・D・ジェイムズの「秘密」を読んでいたところ、布製ショルダーバッグを肩にかけた保護観察官が登場した。
由緒ある荘園の一画を改造した形成外科医院に入院していた自費患者ローダが死んでいるのを発見される。アダム・ダルグリッシュ警視長率いる特捜チームは殺人現場に出張し泊まり込みで捜査に当っている。そこには過去に殺人を犯した少女シャロンが保護観察の身分で働いている。すべてに目を配っているダルグリッシュは保護観察官に来てもらうように連絡する、という話のところ。

ケイト・ミスキン警部は駅まで迎えに行く。列車から降りてきたのはケイトより背が低くずんぐりしていて、顔はきっぱりとして強さが感じられる。髪の毛はお金をかけたらしくスタイリッシュにカットしてある。役人の象徴であるブリーフケースを持たずに口紐のついた布製ショルダーバッグを肩にかけている。
ちょっとわたしみたいでしょ。わたしはお役人でなくてフリー人だけど。
イギリスの女性にもわたしのような袋物愛好者がいるのがわかってうれしい。そしてP・D・ジェイムズの登場人物描写の細かい配慮に感心すること、しきり。

牧村朝子「百合のリアル」

ツイッターで知ってすぐに購入した本。
わたしは異性愛者であるが「百合」好きである。
小学生のときに川端康成の「乙女の港」で女性同士の愛に目覚めたが、「ひまわり」連載の「歌劇学校」も雰囲気があった。中原淳一の影響も大きかった。
少女ものを卒業した感じで外の世界に目を向けるようになり、男性社会を泳ぎ回るようになっていた。そして男性と結婚していまにいたる。うーん、女性には同志愛のような広い気持ちを持っているけどな。

20年くらい前に当時のヴィク・ファン・クラブ会員のSさんが、秋月こおの「富士見シリーズ」の大ファンだった。あおられて読んで「やおい」がなんなのかわかり、自分もええトシして「やおい」やということがわかった。毎巻買って読んでいて、文庫本になるのが待ちきれず、ついに掲載誌「小説ジュネ」を買っていた。
少女マンガもけっこう読んだ。
眠っていた百合の気分がひそやかに百合好みに育っていった。最近になって川端康成の読み直しをしたら、またまたはまった。「美しさと哀しみと」「女であること」、ああ女性同志の危険な愛の深み。

という文学的な百合好みでしかなかったわたしに、「百合のリアル」はストレートに生きている「百合」を見せてくれた。

牧村さんはフランス人の「妻」とフランスで暮らしている同性愛者の日本人女性である。フランスでは日本ではできない「同性婚」ができる。
本書は一人の先生と四人の若者が率直に語り質問し答えを見いだしていく、その丁寧な一つ一つの疑問と答えとそれぞれの立場からの意見がまっすぐで快い。
【『同性結婚制度が存在しない日本で同性と生きていきたい人になにができるか』と考えることは、広い目で見れば『人生設計の前に法制度が立ちはだかった時、個人になにができるか』を考えることでもあるの。」】
と言って、具体的にできることを提案しているのを感心して読んだ。
(星海社新書(武器としての教養) 820円+税)

雨の音を聞きながら「山の音」を読んでいた

「雨の日の猫は眠い」という言葉を猫を飼っているときになにかで読んでほんまやなと思った。外は雨、猫だけではなく人間も眠い。
片付けをすませテーブルに未読本を数冊置いてなにを読もうかと迷っていたら、あくびがはじまりハナミズずるずる。これはあかんとコーヒーをいれてナッツの缶を開けた。これで眠気をごまかして本を読もう。未読本はあかん、何十回目になる川端康成「山の音」にしよう。とても好きな小説で、最初に発表された雑誌から読んでいたような気がする。

鎌倉に住む会社経営者の信吾の長男の優しい嫁菊子への繊細な心遣いがこころに染みる。戦争のせいで気持ちが荒んだ修一は新婚の妻をないがしろにして外で女遊びにふけっている。
老夫婦と息子夫婦が暮らす家に娘がこどもをふたり連れて戻ってくる。息子は美男なのに娘は美人でなくひがみっぽい。修一と菊子は美男美女で、保子と房子は美しくない母娘である。菊子はいやがらずこどもの世話をする。

物忘れをするしネクタイの結び方を一瞬忘れたりで老年に入って行く自分を眺める信吾の気持ちをなんとなく読んでいたけど、いまでは共感して読んでいる(笑)。
妻の保子はまるい性格のいいひとなのだが、図太い神経の持ち主のように描かれている。信吾が保子の美しい姉に惹かれていたからだ。

微妙なこころの動きと生々しい夫婦生活の描写があって、その遠景には山の音が聞こえる鎌倉の自然がある。