当時のアイルランドのキリスト教聖職者の間では結婚や出産は“罪”とはされていない。多くの僧院では信仰に生きる修道士と修道女が共に暮らし信仰を広めていた。ローマ派のキリスト教も十二信徒の中の最高位にある聖ペテロでさえ結婚していたことを認めている。にもかかわらず一部の禁欲主義者のみが、あらゆる肉の誘惑を否定しようとしていた。本書に出てくるコルマーン司教もそういう人間である。会議が行われる修道院のヒルダ院長とコルマーンが話しているとき、扉が開いて若い尼僧がすっきりと立っていた。コルマーンはフィデルマの名声を知っており丁寧に挨拶するが、院長はどういうことかと聞く。そこで初めてフィデルマの地位について説明がある。(日本の読者は先に長編3册と短編2冊を読んでいるからよく知っている)院長は当地ではそういう地位は男性のみがついているというと、アングルやサクソンでは女性がかなり不利な立場に置かれていることを知っているという答え。
フィデルマが考え事をしながら歩いていると曲がり角でがっしりした僧にぶつかるが、強い手に支えられる。互いに見つめ合ってその刹那、不可思議な作用がふたりの間に生じる。ローマ式の剃髪をしているからサクソン人であろう。これがフィデルマとエイダルフの最初の出会い。
フィデルマが自分の部屋へ入ると美しい女性が手を差し伸べた。エイハーンは王家に連なる娘だったが夫と死に別れたあと宗門に入った。いまは教養と弁論の才でキルデアの修道院長になっている。エイハーンは愛する人ができたので一修道女にもどってその人と暮らすと決めたと話す。フィデルマはある意味で、羨望を覚えた。
教会会議シノドがはじまる。フィデルマはこれほどの聖職者たちが集まっているのを見たことがなかった。やがてノーサンブリアの王オズウィーが入ってきた。会議中に日蝕がはじまり動揺する人が多い。フィデルマにとって天文学は常識である。光がもどり会議が再開したとき慌ただしく修道女が入ってきた。そのあとでフィデルマは王と院長に呼ばれる。咽喉を切られたエイハーンの死体が発見されたのだ。
王オズウィーは事件を調べることをフィデルマに頼む。そして助手としてエイダルフの名前をあげる。二人が出て行くとコルマーンが「狼と狐を一緒にして野兎を狩り出させるようなものだな」と呟くと、ヒルダ院長は「どちらが狼で、どちらが狐と見ておいでなのか、お伺いしたいものですわ」と返す。
かくて二人の共同捜査がはじまるが、この事件は恐るべき連続殺人の幕開けであった。
(甲斐萬里江訳 創元推理文庫 1200円+税)