シャンナ・スウェンドソン「おせっかいなゴッドマザー 」

「(株)魔法製作所」シリーズの3・4・5巻の3冊をSさんに貸していただいた。全部読み終わったらわたしが2册買ったのと併せて持っていてもらうことになっている。
3冊目までくるとちょっと慣れすぎてきた感じがする。主人公ケイティは相変わらず、なんというか純情可憐で、2冊目で恋人に確定したかのオトコマエのオーウェンは仕事に没頭している。魔法界も正邪があって、もちろんオーウェンは正しいほうで、悪と戦う戦士である。
ケイティは仕事しつつオーウェンが気になる。そこへヘンな魔法使いばあさんが現れてあんたのゴッドマザーだと世話を焼く。

クリスマス休暇を養父母のところで過ごすオーウェンに誘われてケイティはいっしょに行く。ヴィクトリア様式の屋敷で厳格に育ったオーウェンだが、今回は厳しい母親も軟化した感じである。このあたりは少女小説のノリ、やおい小説のノリだな。田舎育ちで自分に魅力はないと思っている主人公と、その主人公を愛おしく思っているオトコマエでお金持ちの男性。
お約束事を下敷きに、華やかな魔法合戦があって、ふたりは結ばれると思いきや、ケイティはわたしがいたらオーウェンは悪者相手に実力を発揮できないと身を引きテキサスへ帰る。
(今泉敦子訳 創元推理文庫 1080円+税)

大橋鎮子『暮らしの手帖とわたし』

Sさんが貸してくださった本。このタイトル見てなんか懐かしい言い回しだと思った。「○○○とわたし」というアメリカの小説か映画のタイトルだと思うけど出てこない。「タマゴとわたし」? ちがうかな。

我が家には早くから「暮しの手帖」があった。わたしはその他の雑誌と同じく読むだけだったが、上の姉が結婚してからは生活の指針みたいな感じになっていたみたい。「暮しの手帖」のテストに合格した電気製品を買う暮らし(笑)。布巾まで「暮しの手帖」ご推薦だった。ステンレスの流し台もだ。
月に一度は姉の家に行って「暮しの手帖」と「ミセス」を読んでいた。「簡単にできるおかずの本」というような料理本をもらって、麻婆豆腐の作り方を覚えた。楽しかったのは石井好子さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」で、この本は自分で買った。

本書は花森安治さんとともに暮しの手帖社を最初からやってきて、いまは社主の大橋鎮子さんの自伝である。1920年生まれだから本書を出版した去年は90歳。バイタリティに圧倒される。
父親が結核で早く亡くなり、母親が長女の鎮子さんをたてて戸主としたせいか、子どものときから母親と二人の妹の面倒をみなければという意識が強かった。えらいのは気持ちだけでなくちゃんと実践したことである。
どこへでも堂々と行くし、だれとでも堂々と話すし、若いときだってお金を出してやろうという人が出てくる。そして勤めていた銀行と新聞社の人脈を活かす。
原稿をもらいに何度も行ったとか、台所の写真を撮りたいために見知らぬ家を訪ねて雑談からはじめて依頼したとか、やすやすとしたという印象を受ける文章だけど、どんなに大変なことか。

過去の記事や写真もたくさんあって、懐かしく楽しく読ませていただきました。
(暮らしの手帖社 1714円+税)

『フォン・シーラッハのベルリン讃歌』

おととい書いたフェルディナント・フォン・シーラッハの短編小説2編とともに「ミステリーズ!」にあった「フォン・シーラッハのベルリン讃歌」に惹きつけられた。2011年1月11日の「ベルリン新聞」に掲載されたものである。

シーラッハの「犯罪」は評判になりいろいろな賞を受賞したが、「ベルリン新聞」が主催するその年に活躍した文化人が選ばれる〈ベルリンの熊賞〉の文学部門でも受賞した(この賞は過去にバレンボイム、ニーナ・ハーゲン、ヘルムート・ニュートンも受賞している)。
そのときに彼が「ベルリン新聞」に寄稿したのがこの「フォン・シーラッハのベルリン讃歌」である。

実は木村二郎さんの他におもしろい読みものはないかとページをめくっていて見つけた「ベルリン讃歌」の文字。わたしはなぜかベルリンが好き。行ったことはないけど・・・。というわけで作品よりもさきに読んだ。しかも最後をさきに読んでしまった。そして、すげえ! ええこというてる、と感服して最初から読んだ。

「私は黒い森のイエズス会寄宿学校で育ちました。」から文章がはじまるのだが、その学校の先生である神父についての話があり、変な宿題を出したと回想する。ある日、彼は使い古しの皮のカバンを持ってきて「この中に自由の本質が入っている・・・」次の週までなにが入っているか考えるようにいう。
カバンを見せた日と開いた日の記述のあいだにシーラッハはベルリンについて書いている。〈五百を超す教会とヨーロッパ最大の刑務所〉〈人々は雪に文句をいい、夏にケチをつける〉の見出しで簡潔にベルリンのこと、住民のことを説明している。

次の週に神父はカバンから棚から出してゆっくりと開ける。中には派手な色合いの大衆紙が入っていた。神父は大真面目にいった。「決して忘れてはいけない。これこそ、自由の本質である」。
(「ミステリーズ!」2011年4月号 東京創元社 1200円+税)

フェルディナント・フォン・シーラッハの短編小説2編

木村二郎さんの私立探偵小説を読むつもりで買った「ミステリーズ!」4月号に掘り出し物があった。フェルディナント・フォン・シーラッハの短編小説「棘」と「タナタ氏の茶碗」(「わん」の字が難しいので「ミステリーズ!」のサイトを見たらやっぱり「茶碗」になっていた)の2編。
ドイツのミステリということで、以前読んで感想を書いた「ベルリン・ノワール」を開いてみたが、この本には入っていない人だった。
それで訳者の解説を読むと、6月に東京創元社から刊行予定の「犯罪」(邦題)は、F・V・シーラッハの最初の本でありドイツで大ベストセラーになり、32カ国以上の国で翻訳が決定しているそうだ。全編に「私」という弁護士が出てくるが、本書を書くまでシーラッハ自身が刑事事件の弁護士であった。

「棘」は美術館で長らく働いてきた男性の話で「棘を抜く少年」という彫刻に魅せられていく過程がおそろしい。心理的に追いつめられた男はその彫刻を壊す。彼の弁護士になった「私」は裁判官と検察官と話し合う。
「タナタ氏の茶碗」は日本人の実業家タナタ氏が所有する骨董の茶碗盗難の話。犯罪者の性格、そして犯罪のやりかた、殺しかたなどリアルな描写がおそろしいほど。茶碗を返すために弁護士の「私」はタナタ邸を訪れる。
タナタ氏は、この茶碗は長次郎によって1581年にタナタ一族のために作られたと説明。「かつてこの茶碗がもとで争いが起こったことがある。今回は早々に解決してよかった」と言う。半年後にタナタ氏は他界し遺体は日本へ送られた。茶碗はいま東京にあるタナタ財団美術館の目玉になっている。

シーラッハは〈ベルリンの熊賞〉を受賞したときに「ベルリン新聞」にエッセイ「フェルディナント・フォン・シーラッハのベルリン讃歌」を書いた。このうしろのページにあるのだが、とても感じがいいのだ。次はそのことについて書く。
(「ミステリーズ!」2011年4月号 東京創元社 1200円+税)

エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』修道士カドフェルシリーズ第1作

あまりにも有名な修道士カドフェルのシリーズ。阪神大震災のころ、ミステリファンでない知り合いでさえ読んでいるのを横目で見ていた。最近でこそクラシックミステリもコージーものも読むけど、そのころはハードボイルドミステリ一筋だったから、勧められたら反対にヴィクシリーズを読むようにと勧めたものだ(笑)。

ヴィク・ファン・クラブ ニュース4月号の「ミステリ散歩道」 33回目で紹介されたのが11作目の「秘跡」だった。いまの社会状況のなかで疲れた心に寄り添ってくれる本と書かれてあった。それでこのシリーズには目をつむりっぱなしだったのに気づき買いに行った次第だ。お勧めの「秘跡」がなかったのでシリーズ第1作を買った。

予備知識なしで読み出したので大津波悦子さんの解説が役に立った。
エリス・ピーターズはイギリスの女性作家で1913年生まれで95年に亡くなった。カドフェル・シリーズは長編20作と短編集が1冊ある。カドフェルは12世紀イギリスのベネディクト会シュルーズベリ大修道院に所属する修道士で57歳。若い頃は十字軍に所属して戦ったことがあり、また沿岸警備船の船長もしていたこともある。いまは修道院付属の薬草園でさまざまなハーブを育てている。
イングランドとウェールズが併合されたのは1284年なので、本書の時代は併合前のことになる。シュルーズベリはイングランドのウェールズに近いところで、登場人物のカドフェルも修道院副院長ロバートもイングランドとウェールズの血を引いている。

シュルーズベリ大修道院では有力な聖人の遺骨を守護聖人に祀ろうとしていた。よその修道院には聖人の遺骨が祀られているのに、この修道院に聖人の遺骨がないという屈辱から遺骨探しに奔走するがなかなか見つからない。あるとき神経質な修道士コロンバヌスが発作を起こしたとき、夜中にそばについていたジェロームがすごいものを見たと報告にくる。美しい乙女がベッドのかたわらでコロンバヌスをウェールズの聖なる泉で水浴させるよう語ったというのだ。そこには聖ウィニフレッドの遺骨がある。それを手に入れよう。

聖ウィニフレッドを求めてロバートを中心に代表団の修道士たちは出発する。カドフェルも通訳として同行する。ウェールズに着いた彼らは当地の有力者リシャートに会うが、遺骨を渡さないと大反対され、まずいことにロバートはお金で解決しようとしてよけいに反発を買う。
(大出 健訳 光文社文庫 552円+税)

ナンシー・アサートン『ディミティおばさま幽霊屋敷に行く』

「優しい幽霊シリーズ」の5作目、気持ちよく手慣れた感じですすんでいくストーリーが気持ちよい。前作4作品で語られているように、イギリスはコッツウォールドで双子の男の子を産んで育てるようになったシカゴ育ちのロリ。毎日双子の世話に追われて慌ただしく暮らしているところへ恩師から電話があり、ノーサンバーランドの古い屋敷にある古書の鑑定に行くように頼まれる。夫のビルが留守番はまかせておけと言ったので出かけるが、もう少しというところで山道から車ごと落ちるところを必死で飛び降りる。気を失ったロリを近くに住む作家アダムが助ける。ロリとアダムの間になんともいえない空気がただよう。おいおいロリ、あんたにはビルがいるでしょうが、と言いたくなる(笑)。

ノーサンバーランドはイングランドとスコットランドの戦場だったそうで、数世紀にわたって奪い合われた土地だという。いまも古い城や屋敷があり開発が進んでいないところ。メル・ギブソンの「ブレイブハート」のような戦いが繰り広げられた場所なのだろう。いまは相手が違うけれどイギリス軍が不審者が侵入しないように見張っている。担当のマニング大尉がロリを屋敷に送りこの土地について話してくれた。

お屋敷に着くと風変わりな主人と妻の若い美女ニコールが迎える。幽霊が出そうな部屋に案内されるが、実際に幽霊が出てくるのである。主人は用事があるので1週間は帰らないと出て行く。ロリはニコールと執事夫妻と広大な屋敷に残され、図書室で本を調べ始める。ニコールは孤独でロリがいることを喜ぶ。

ロリは古い絵本を見つけて惹きつけられる。昔ここで暮らしていたニコールの大叔母にあたる少女クレアのものだった。そしてクレアにはエドワードという恋人がいたこともわかっていく。
古い部屋から絵本やドールハウスやテディベアや人形が出てくるところは、「抱擁」で古い屋敷で探し物をするシーンを思い出させてくれた。
(朝月千晶訳 RHブックス+プラス 820円+税)

「ミステリーズ!」4月号に木村二郎さんの私立探偵小説『タイガー・タトゥーの女』

去年の12月号の「ミステリーズ!」で「永遠の恋人」を読んで懐かしさを感じたのだが、今回も懐かしさにひたって読んだ。木村さんはネオハードボイルドといわれている私立探偵小説の翻訳をたくさんされていて、わたしはそのほとんどを読んでいる。木村さんの文体でアメリカの私立探偵の気分を感じてきた。今回も「タイガー・タトゥーの女」を読みつつ、あの時代の翻訳小説を読むときの甘酸っぱさを味わった。

ジョー・ヴェニスはニューヨークに住む私立探偵で、恋人のグウェンと暮らしている。話はいまから15年前の1995年のこと。知り合いの警官から電話がかかった。ジョーが以前つきあっていたミサ・ナガタという女性が自殺したという知らせだった。ジョーがミサを知ったのはその1年半前のことだった。グウェンがボストンへ行ってしまったときでジョーとミサは親しくなる。ミサは肩に虎のタトゥーがあった。
つきあいだして数ヵ月後に突然ミサから東京から恋人がくるので別れたいと電話がかかる。ジョーは自分でも驚くくらい冷静に別れを告げたが、その後もどってきたグウェンには話していなかった。いまミサのことはグウェンに話しておいたほうがいいだろうとジョーは思う。

わたしは1995年を阪神大震災の年として記憶している。だからあの頃のニューヨークかと思いがいく。あの当時のグウェンがアップルのコンピュータを使って、ユードラでメール、ネットスケープがブラウザとジョーに教えて新聞や雑誌が読めるという。ジョーは地下鉄の中にコンピュータを持ち込んで新聞を読むのは厄介だなというが、いまや地下鉄でiPadということをふまえたユーモアでしょう。
(「ミステリーズ!」2011年4月号 東京創元社 1200円+税)

ひとりごはんで読書

夕方から西梅田へ出てジュンク堂へ。おしゃれで広いという茶屋町のジュンク堂へ行ってみたいのだが、西梅田の駅から地下街を通っていける大阪本店が便利で気心がしれているという感じ。
木村二郎さんの私立探偵ジョー・ヴェニスものが掲載されている「ミステリーズ!」4月号、「週刊金曜日」、去年買い忘れていた修道女フィデルマ・シリーズの短編集「フィデルマの洞察」(ピーター・トレメイン)、ヴィク・ファン・クラブの会報で紹介のあった修道士カドフェルのシリーズの第1作「聖女の遺骨求む」(エリス・ピータース、会報で紹介された「秘跡 」がなかったのでシリーズ最初の作品にした)を買った。有名な修道士カドフェルのシリーズを読んだことがなかったのでちょっとためらったが(笑)。もしよかったらどないしょう。21册もあるから困るわ。

それからシャーロック・ホームズへ行ってのんびりとギネスとサンドイッチとソーセージ料理、そしてナッツとコーヒーでひとりごはん。昨日から読み出したメアリ・バログ「婚礼は別れのために」をのんびり読みながら。家で2時間も連続で本を読むことはないからすごく読書した気分になった。1冊をほとんど読み終わって帰宅した。

「夜の真義を」のタイトルを間違えてた件

3.11以後はどうにも落ち着きがなくていけない。ツイッターの書き込みが多い上に、記事やブログへの引用が多いしユースト等へのリンクも多い。いままで読んでいない週刊誌も買っている。東北へ思いをはせたり、原発の知識も得たいしと、ピンク色の脳細胞は大忙しである。
前置きをながながと書いたけど、こんな失敗してしまった言い訳です。

3月の30日、31日、4月1日の3日にわたって、マイケル・コックス「夜の真義を」の感想を書いた。数日前にふと気がついたのだが、みんな「夜の信義を」になっていたぁぁぁぁ
本のタイトルを間違えてしまったらいかん。慌てて直してほっとしたのだが、その数日後にこの本を翻訳された越前敏弥さんがツイッターで、「真義」を間違っている人が多いと書いておられた。いろんな「しんぎ」があるが、ブログに「夜の信義を」と書いた人がいるとあった。こりゃわたしのことだ!と「すみません、すでに直してあります」とRTした。そしたらちゃんと返事をツイートしてくださった。最後には「この作品の魅力をたっぷり伝えてくださって感謝します。」と書いてくださりリンクもしてくださって感激。

ほんまに気をつけなあかんと思ったのであった。ところが昨日も誤変換してた。ドラムの弦牧さんを最初は「鶴巻」としてすぐに直したはいいが「弦巻」に。そしてようやく「弦牧」に。ああ、カッコわるぅ。ごめんね。

ダイアン・デヴィッドソン『クッキング・ママのダイエット』

「ゴルディ・シュルツ・ケイタリング」を経営するゴルディを主人公としたシリーズ(日本語翻訳では「クッキング・ママ」シリーズ)の15冊目で2010年10月発行。Sさんに貸していただいた。今回もいらいらしながら読んで、読み終わってほっとした。

息子のアーチは大きくなって友だちが泊まりにきたり、また友だちのところへ行ったりと頼もしい少年になっている。刑事である夫のトムとはとても仲良く暮らしている。
ゴルディのゴッドファーザーである弁護士のジャックがすぐ近くに引っ越してきて仲良く暮らしていきた。ジャックはゴルディの最初の結婚での苦労を知ると、離婚してケータリング業をはじめるようにと大金を送ってくれたことがある。元の夫にDVで苦しめられたが、ゴルディが別れてから元夫の妻となりすぐに別れたマーラはずっと親友である。今回も重要な役わり。

ゴルディは結婚式のケータリングを頼まれるが、花嫁のビリーがわがまま放題に育った金持ち娘で、すぐに気分が変わる。献立の変更はあるわ、直前に人数を増やすわ、場所の変更はあるわで、最後に〈ダイエット道場〉のスパに決定。ゴルディのいらいらはつのるばかり。

医師のドク・フィンが謎の死をとげる。彼は死ぬ前にスパを調査していた。ビリーの結婚相手は医師のクレイグで金持ち娘のビリーに引っぱりまわされている。
その間に結婚式の料理をどうするかの話がある。ジュリアンを助手に頼んで手順も確認する。大型冷凍庫と広いウォーキング(?)冷蔵庫にいろいろ入っていて、なんでもできてしまう。仕事で料理するからといって普段の料理を手抜きということにはならない。夫のトムの料理の腕前もたいしたもの。

料理とドク・フィンの死因と、いやらしいスパの経営者との確執と、読者にゴルディのいらいらがうつってきたところへ、ジャックの死が。遺された証拠品からゴルディは謎を解こうとし、危険な目に遭う。
今回はレシピが多い。わたしに作れそうなものはあるかしら。
(加藤洋子訳 集英社文庫 819円+税)